2008年2月14日 (木)

ライネッケ「フルート協奏曲」〜<撰ばない>勇気

最初に。
JIROさんが、娘のお祝いに、ブログにドカーンと「おめでたい」曲集を載っけて下さいました
オドロキ! ほんとうに、いつもありがとうございます。なんとお礼申し上げたらいいか、他に言葉がありません。
・・・我が家族についてご紹介頂いている文は照れくさすぎで、少なくとも私はそんなたいそうなもんじゃありませんので、そこは読み飛ばして・・・でも、いい曲ばかりですので、是非お聴き下さい。
我が家への祝福、というのにとどまらず、JIROさんは、受験を既に乗り越えたどなたへものお祝いの気持ち、そしてなにより、これからまだ勝負を控えている受験生へのエールとして綴って下さっていますから。・・・ありきたりないい方ですが、本格的な人生航路を歩み始める人たちのために、これ以上の選曲はないと感じている次第です(演奏の中身ももちろんです)。



今日は、去る1月5日に私どもが催した演奏会から、

※ライネッケ「フルート協奏曲 ニ長調 作品283」
をご紹介致します。

独奏は久保美亜さん。
普段は看護士を務め、超多忙、かつ精神的なご負担も大きい中で、フルートの鍛錬を怠らず、数々のコンクールで高い成績を収めています。1月5日演奏会の記事もご参照頂ければ幸いです。

演奏は、オーケストラが音程も悪くパッとせず(団員各位は最大限の努力をしたと信じていますので、これはひとえに、棒と楽団員の「つなぎ」をしっかり果たせなかった私の責任なのですが)、久保さんは、そんな輪郭不鮮明な伴奏から良く「間」を拾い上げて、大変良いソロを吹いています。
勿体ないので、これはご紹介しなければ、と思いました。
色のかわったところを右クリックで、別ウィンドウを開いて、各楽章をお聴き頂けます。



ライネッケについてはWikipediaに説明を委ねます。



話は変わりますが、
「人間万事、・・・あれ、なんだっけ?」
「塞翁が馬、だよ」
「あ、それそれ、アハハ」
というのが、私が家内といちばんたくさん交わした会話でした。家内はこの言葉が大好きでした。
この故事成語(リンクをクリックするといわれが分かります)、夫婦のどっちかや、子供たちに、あんまりうれしくないことがあったときに、多分、家内が自分自身を奮い立たせるために口にして笑ってみせていたものなのでしょうが、おそらくは、独身時代から、ある意味で彼女の「座右の銘」でもあったのではないかと思います。

結構計画性のない人で、娘が小6の11月頃になって、急に「私立中学を受けさせる」と言い出しました。あきれましたが、まあ、家内の思った通りにさせることにしました。でも、こんな時期にニワカ勉強して通るほど、私立中学というのは甘くはありません。・・・なにせ、高校までにせよ大学までにせよ、以後は受験の苦労をしたくない、という親たちが、子供の尻を必死でひっぱたいて勉強させ、試験に臨ませるのです。・・・それでも私が家内に「ノー」を言わなかったのは、家内は「一貫教育」云々にではなく、受けさせたい、と思った学校の校風の良さを俄に気に入って、娘を「モラルのいい子にしたい」、それだけの単純な理由で思いついたことだったからです。
案の定、娘は見事、不合格でした。
その日、がっかりする娘を横目に遊びまわっていた息子が、遊具に坐ったら尻がすっぽりハマってハズれなくなり、必死に抜け出そうとするその姿があんまりおかしくて、みんなで大笑いして帰りました。

で、娘は、小学校卒業間際、跳び箱で変なひっくり返り方をして、複雑骨折してしまいました。
・・・かの私立に合格していたら、治った頃には入学式はとっくに終わり、授業が始まっているはずでした。
このときも、家内の口から「人間万事塞翁が馬」が出てきました。

家内自身について言えば、本人は内心、専門の歌い手になりたかったフシがあります。ですが、音楽で飯を食うというのは大変なことです。そこで、家内の思いついたのは「音楽の教師になればいいじゃないか!」ということだったらしい。
これも「塞翁が馬」に繋がるとは、子供が出来るなんて、まだ想像もしていなかった十代の家内に思いつくわけがありません。
結果として、家内は吹奏楽部の顧問を務め、娘は友だちと家内の指揮する演奏を見に行って「あんたのお母さん、かっこいいねえ!」と言われ、どうもそれも一因で、娘自身、ブラスバンドに入りたいと思ったらしいのです。で、とりあえずのゴールでもあり、新しい出発点に娘が選んだのは、「トロンボーン専攻」で高校に入る、ということでした。・・・家内が歌い手だったら、娘はどんな選択をしたでしょう?



私自身の方を話しますと、私は小5の頃から学生時代まで、本当に、オーケストラのこと以外、何も考えられない、視野の狭いヤツでした。今でも狭いですけれど、もっと狭かった。ですから、親にはストレートに「音楽の道に行きたい」と言いました。家庭の事情を言ってもなんですが、しかし、実家には息子をそんな職に就ける経済的ゆとりは全くありませんでした。他のことでは別に普通の中流家庭と変わらない生活をさせてもらえたので分からなかったのですが、父母共稼ぎだったにもかかわらず、収入は祖父母に9割以上献上、残り一割で子供を養っていたのです。祖父母の死後、初めて知ったことでした。ですから、3年だけでも、月謝は新聞配達して稼ぐ、という条件でしたけれど、ヴァイオリンを習うのを許してもらえたことには、いまは大変感謝をしております。
で、以降は独学でした。独学ですから、練習の方法が分かりません。中学生や高校生が行ける程度の安いコンサートを見つけては、最前列でヴァイオリンを弾く人の手を必死で見つめる、というのが唯一のチャンスでした。幸い、どこでどう情報をつかんだのか分からないのですが、市内の高校生主体のアマチュアオーケストラから電話がかかってきて入団、以後、アマオケ生活も33年となりました。
その生活の中で、音大になんか行っていたら・・・私のレベルでは、到底いい学校には入れませんでしたから・・・絶対に巡り会えなかっただろう有名演奏家と共演させて頂いたり、バロックから現代物まで幅広く演奏もさせてもらえたり、ミサやオラトリオの伴奏をしたり、クラブでシャンソンのバックを弾いたり、ホテルのディナーショーでアンサンブルしたり、と、むしろ、思いがけないほど豊富な経験をさせてもらえたのでした。
「最低レベルでも音大!」という選択をしていたら、果たして、これだけいい思いを重ねることが出来たでしょうか?

さらに言えば、オーケストラ活動自体、何度か中断せざるを得ない状況に追い込まれたことがありました。
最初は、就職してから3年間。
セールスに配属になり、勤務は毎晩0時を超過、休日はお客様の都合でないに等しく、1.5ヶ月に1回が平均でした。オーケストラになんかは入れっこない。これが、憧れを強くしました。3年経って、また活動を再開出来たとき、「ああ、<喜び>っていうのはこういう気持ちをさして言うのが本当なんだな」と、切ないほど思いました。
次は、先輩たちとの価値観が合わないことを自覚したとき。自分はなぜ音楽をやるのか、その意味を徹底して考えました。その時持っていた結論は、今振り返ると間違いだらけのものでしたが。
三度目、四度目があるのですが、省きます。



娘は、とりあえず、本職を目指してのスタートを切ることになりました。
トロンボーンという楽器だからこそ、家内も私も認めた、ということもあります。トロンボーンは、比較的潰しがきく。音楽で飯を食うなら、オーケストラがダメでもビッグバンドがあるし。もちろん、教職も選択出来る。オーケストラにしたって、でかくて有名なところを狙わなければ、金管楽器には珍しく、古い音楽専門の団体に入る道もあります。選択肢が広い。


音楽専門に進学したからといって、自立後、音楽では思うようにいかないで悩む方も沢山いらっしゃるのです。せめて、選択の余地は広い方がいいなあ、と、そのことだけを念頭に、私は娘の進路に賛成をしました。・・・家内と娘の二人で、それこそ家内が思いがけず命を落とすまで、一緒に、懸命に追いかけ続けた夢でもありますし。
ただ、この先、娘は私と違う「音楽像」を固めて行くはずですし、学校が専門だからといって、ずっと先まで「音楽が糧」であるかどうかの保証があるわけでもありません。
音楽以外こそ、人生の糧なのだ、と思うことがあるのだったら、方向転換をしてもいいのです。そのあとで、「ああ、やっぱり音楽」というのだったら、また戻ればいいのです。


どうも、脳ミソの出来が悪くて、思ったように表現出来ませんが、ご容赦下さい。

ついで話が長くなりました。

長いついでに、もうひと言いえば、私が音楽を「好き」なのは、音楽は「ウソをつかない」からです。
人間の演奏する音自体は、「ウソ」をつきます。人間はウソをつく動物だから、自然なことです。その時は、聞こえてくる音が「音楽」ではないことに気づける耳があるかどうかは、私次第です。・・・「音楽そのもの」には、ごまかしがきかず、それだけに、人様の、あるいは私自身の言葉や態度のようには、心を欺くことがありません。

今度ちょっとだけかじってみてビックリさせられたのですが、数日中にご紹介するだろう、ペルシア音楽の考え方には、こうした音楽の原点がよく現れています。

要は(実は音楽に限らないのですが)
「これこそ本物、これこそ私のもの」
と決めつけ切った「選択」をしてしまわないことで、初めて見える真実もあるのです。
「選択」しない勇気がなければ、真実は永遠に、その裾の端っこさえも見せてくれはしないでしょう。



すみませんでした。
最初に戻って、また久保さんの「音楽」をお聴き下さい。

「音楽」を専門にしなかったことへの悩みを持っていらしたようだけれど、それが幸いした、見事な演奏だと、私は信じて耳にしています。

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2007年7月10日 (火)

Hさん四十九日:聴いて下さい、彼のコルアングレ

・・・ああ、くだらん「コンマス」がなんたらかんたら、なんて綴っている場合ではなかったのです。

Hさんの四十九日だったんです!
ココログ不調だったので、アップがずいぶん遅くなってしまいました。

幸い、いつも録音で奮闘して下さるMさんの努力で2年前の演奏会のCDもやっと出来ました。
その中に、独特の味わいで私たちを酔わせてくれたHさんの、コルアングレの音が入っています。

曲は、最初の短い方が彼の演奏を堪能出来ます。
長い方は冒頭部でH節が聴けます。

このときは彼の調子は100%ではなかったと思っていますけれど・・・音色の深さは充分出ています。
どうぞ、お聴き下さい。彼をご存知の方は、どちらかというとシリアスな表情の時の彼の顔を思い浮かべるといいです。
実際、あのときは、実に締まった、いい顔して吹いていました。私は、忘れていません。
(2005.6.12 ティアラこうとう)

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2007年6月21日 (木)

お聴き下さい:第44回定期演奏会(東京ムジークフロー)

チャイコフスキーコンクール・ヴァイオリン製作部門第1位を獲得された菊田様より、ご紹介した記事にコメントを頂きました。JIROさんのところでワガママで「是非私のも読んで下さい」とダダをこねたのにお応え下さった恰好です。・・・お恥ずかしい。「手仕事」への素直な思いがこもった素敵なお言葉を頂けました。是非ご一読下さい。



この間の録音、担当したMさんがいち早く送ってくれました。
「メンバーに売るまで発表を控えましょう」
と言ったのですが、
「別に構いませんから」
と言ってくれましたので、さっそくアップします。
(音質・音量が落ちていますから、団員のかたはより細かいチェックのためにはMさん作成のCDを入手して下さい。)

今回の演奏会直前に亡くなったHさん、その他40年のあいだに亡くなった諸先輩、加えて私の家内のためにまで、当日は開演時にメンバーが「マタイ受難曲」中のコラールを追悼演奏してくれました。
これについてのみは、演奏会そのものとは異なりますので、音をアップしません。
何卒ご了解・ご許容下さいませ。

聴いて下さる皆様へ:
なにせ「初心者から老人まで(失礼!)」という団体ですので、お聴きになって、出来にご不満も多いかと存じます。とりあえず精一杯の演奏ではございます。
精緻な技術が今後身についていく保証は・・・団員のためにも・・・ゼロ、とは断言はしませんけれど、細かいパッセージを器用に演奏できる、と言うことよりは、「よりよい響きを目指す」ことを最優先に今後とも精進してまいりますので、暖かい気持ちでお聴き頂け、今後ともご支援を賜れますよう、(かく申す私は名目ばかりで腕の悪い「コンサートマスター」ではございますが)心からお願い申し上げます。
・・・あ。
ですので、ショスタコーヴィチの第1楽章と第2楽章は、どうか飛ばしてお聴き下さい!
お願いいたします!

団員・演奏者各位:
当初、各曲の反省点をこちらに併せて掲載しようか、と考えておりましたが、それは別途と致します。
当面、各自が胸に持っていることがあると思いますし、聞けばそれを自分で確認出来るでしょう。それにお任せします。(ただし、いずれまとめは綴ります。)



各曲目の解説は、本来プログラムに掲載したものを転記すべきですが、私が過去に綴った関連記事へのリンクでご容赦下さい。(曲名にリンクを貼ってあります。)
ただし、グリークのピアノ協奏曲の解説だけは、故Hさんが綴った遺稿にリンクを貼りました。

エルガー:「海の絵」訳詩:当団A氏による)




グリーク:ピアノ協奏曲

(7月12日付記:ブログ不具合で第1楽章音声を一旦削除しました)
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番



アンコール

*音声をモノラル化しました。ご了承下さい。(2008.2.3)

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2007年5月26日 (土)

Hさんを偲んで・・・最近の彼の演奏から

私の所属する東京ムジークフローの定期演奏会(6月16日、杉並公会堂)について掲載しました。リンクご参照の上、是非おいで下さい。


私たちの大切な友、Hさんの死を通じて考えたことは、こちらに綴りました。
聴いてあげて下さい。そして彼の魂を感じて、私と共に黙祷して下さいますことを、僭越ですが、お読み下さる方にお願い申し上げます。

5月24日に心不全で急逝なさったHさんが、
昨年暮れ
「照れくさいけれど、照れくさくないように吹くね」
はにかみ笑いをしながら本番に臨んだ

同じ年の夏、定期演奏会で吹いた

このソロ、「なかなか度胸が決まらなくって」と相談してきてくれ、「いいんですよ、ミスしたって。思い通りにのびのび吹けばいい」と応じて差し上げたらとても喜んでくれました。

以下は、ひとりごとです(・・・だったら綴るな、と、どなたにも叱られますね。)
Hさん、奥様・ご親族の深いお悲しみもお察しいたします。でも、あなた自身が今どんな思いでいるかは、自分も悲しみというベールをかぶせられているせいで、はっきりと見ることが出来ません。
そのうえ、私はいまこんな病気と生活の状態で、葬儀の場にお会いしに出かけることが出来ません。
それを悔いずに済むためには、もう少し、神仏、宇宙に私が「生かされて」あり続けることになるでしょう。
切なくてなりません。

いつか、然るべき場所で、ニコニコお話しましょう。
再会を楽しみにしつつ。

5月30日追記)やはり、悔いを残したくない。葬儀でお会いしましょうね。体の方とお会い出来るチャンスはそこしかないものね、さっき職場に了解を取りました(今日まで所定の休暇なので、電話で)。

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2007年4月 5日 (木)

娘のコンテスト

3月27日朝、娘はトロンボーン片手に、無事コンテストへ出発。
ボクと息子も、家内の写真を連れて聴きに行った。午後からはお友達も二人演奏するのだが、息子が飽きてしまったので、残念ながら帰宅。結果発表も分からない。
が、それは、もう、いい。
親バカながら、いい演奏をしたと思う。
曲は、リムスキー=コルサコフのトロンボーン協奏曲からフィナーレ。
カデンツァも吹いた。まあ、あそこまで良く吹くとは思っていなかった。もちろん、まだまだ欠陥はたくさんあるのだけれど、それは今日は言わなくてもいいだろう。

伴奏は、娘の幼稚園の頃からのピアノの先生が、インフルエンザで倒れた当初の予定者のピンチヒッターを急遽引き受けて下さり、娘と二人、夕べ長い時間をかけて練習して下さった。初見も同然で、よくこなして下さった。
終わって後、扉を出て娘とピアノの先生を前にして、不覚にもボロッと泣いてしまった。
「あらま、お父さん、泣いちゃったよ」
と、先生に笑われた。
トロンボーンの先生も来て下さっていた。
「楽しく聴けましたよ!」
うん、これが一番、ボクが望んでいた最高のお褒めの言葉だし・・・カアさん、あんたもだろう?

なんとまあ、娘がトロフィーを持って帰ってきた!
管楽器のコンテストなのだが、金管・木管それぞれ1名だけ受賞する「ヤマハ賞」というのがある。
・・・それを貰って帰ってきた。。。ぶったまげた。
ただウルウルするだけのオヤジに比べ、娘はさめていて、
「どこが賞を取れる演奏だったんだか分かんないんだけど・・・」
などとのたまっている。
この記事を読んで下さる方には、聴いて頂く事にする。
下にリンク!

・・・ホントに、娘の言う通りなのがお恥ずかしいのですが。。。
親バカです。

当日、ご友人方から頂いたコメントを併せて掲載させて頂きます。

<JIROさんから>
Kenさん、お嬢さん、受賞おめでとうございます。
この曲は、随分難しいですよね。細かいパッセージはあるわ、跳躍はあるわ、
音域は広いわ、難しいところだらけでしたが、度胸がいいですよね。
だから、発音がとても気持ちいいし、紛れもなく堂々たる「トロンボーンの音」なんですよ。
速いパッセージで音程が外れているところはあるけれど、それは仕方がない。
非常に良いと思ったのは、学生さんとか、アマチュアは、
ちょこっとミスをしただけで、その後、ガタガタっとなることが多いのだけど、
お嬢さんはその後も怖がらずに高い音をしっかりしたアタックで、吹くんですよね。
私はこれを「復元力」と勝手に呼んでいますが、演奏者にとって大切な資質です。
素晴らしい。
カデンツァまであるのですね。ペダルトーンには驚きました、お見事。
あそこまで、ペダルトーンが出せると言うことは、唇に無駄な力が入っていない、ということだから、
地道にロングトーンの練習を続けて音域を広げていけば、一層素晴らしいトロンボーン奏者になれるでしょう。
お嬢さんの「ボレロ」を聴ける日を楽しみにしてます。
立派な演奏でした。ブラボー!


<仙丈さんから>
お孃さんの受賞、おめでたうございます。
演奏、拜聽しました。
これまでにトロンボーンの演奏といふのは聽いたことがありませんでしたので、音域の廣さに驚きました。
細かいパッセージ、きつと難しいのでせうね。
私はテクニカルなことは全くわかりませんが、のびやかな部分の演奏がいいなあと思ひました。
お孃さんがこれから音樂にどういふ姿勢で取り組まれるおつもりかはわかりませんが、kenさんの應援がちからになることは間違ひのないことだと思ひます。
もしかしたら、奧樣の應援かな?
いづれにせよ、お孃さん、頑張つてほしいですね!


<イワンさんから>
いい感じでなっていますね。
私は自分が楽器をやらないので、
まったく専門的コメントはできないのですが、
音楽をやることの温かさと喜びが
伝わってくるようです。
おめでとうございます!

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2007年2月 4日 (日)

ボレロ〜短縮三重奏版

娘たちがアンサンブルするというので、選曲して来たラヴェルの「ボレロ」の編曲を、子供たちの注文で私がアレンジしなおしたものです。

もとは、いとうたつこ、というかたがチェロとフルートとピアノのために編曲したもので、演奏時間5分強なのですが、チェロパートはトロンボーンで吹く上に、コンテストで4分以内でやらなければならないそうなので、喫茶店でカットする箇所をえいやっと決め、さらに、オリジナル編曲の最終ページ(この音声ではトロンボーンの有名なソロの旋律が終わって下げにかかる場所から)のみ手を付けず、あとはオリジナル編曲のあとをほとんどとどめないほどに、私がアレンジしなおしたものです。

演奏は(ピアノを弾いてくれた天才H君以外は)平凡な中学生によるものですし、4分以内を意識したためにテンポも速くなっています。息が持たず、長いフレーズがのびた蕎麦のようにブツッと切れたり、ディナミークも変化に乏しかったりしております。(ただし、ミュンシュはオーケストラで、ほぼ子の速さでの演奏を録音に残しています。コンテストで「速過ぎる」とのコメントを下さった審査員の方には、ミュンシュを聴いてみて頂きたいなあ。。。)

が・・・音を一切聴かずにアレンジした割には、響きについては自分でも満足が行きましたので、お聴き頂ければ嬉しいと思い、僭越ながらアップさせていただいた次第です。
いまになって、
「ああ、忙しい、だなんて言わずに、最終ページもアレンジしなおせば良かったなあ」
と思っています。
クライマックスの部分が、ちょっと物足りなくて終わってしまった・・・。
これは機会を見て修正しますネ。

ご感想を頂けると嬉しいです。

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2006年5月20日 (土)

クリスチャン2世 第1曲

東京ムジークフロー
2002年定期演奏会
シベリウス作曲
いい曲です! いい演奏?
 まあまあ、追及しないで下さいませ。

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2006年5月18日 (木)

ガーシュウィン:ピアノ協奏曲

東京ムジークフロー
2004年定期演奏会から。
第1楽章のみをアップ。
ピアノ:ナイジェル・クレイトン
・・・ナイジェルさんはロンドン在住の、イギリスでは有名な「アンサンブル・ピアニスト」。
謙虚なお人柄でもあり、自己宣伝をしませんので、
サイトを探すとお名前がたくさん出てくる割に、日本人にとっては正体不明。
しかし、これを聴いていただければ彼の素晴らしさがご理解戴けます。
オケの方ではなく、ピアノに傾注頂ければ幸いです(TMFの皆さま、失礼!)

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シベリウス:Andante Festivo

東京ムジークフロー
2004年定期演奏会
アンコール曲
・・・めずらしく、最後まで集中を保てた演奏。
「それでもいつも、どっか、詰めが甘いんだよなあ」
と、娘に言われる今日この頃。。。

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イェーネフェルトの前奏曲

東京ムジークフロー
2002年定期演奏会
アンコール曲
・・・ドジったのは私です。すみません。

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