2010年8月 2日 (月)

トランペットのKさんご逝去の報に接して

所属するアマチュアオーケストラで数年ご一緒したトランペットのKさん、昨2010年8月1日にご逝去、との知らせを受け取り、大変に驚いております。

存じ上げなかったのですが、6月から体調を崩されていたそうです。

一時退団していた私が楽隊に復帰したときにお会いしたのが初めてでした。
ご自分が降り番の、独唱の入る曲で、なかなか合わないアンサンブルにいても立ってもいられない様子で、

音楽って、ほんとはこうなんだ!!!

と懸命にアピールするように体を振られていたのを・・・練習をサボって傍観していた私はとても印象深く記憶しております。

お仕事の方はどんなご関係だったか、お聴きしたこともあったのかもしれませんが、残念なことに記憶しておりません。
ですが、お仕事でも、きっと、いつも全力投球でいらしたのではないかと思っております。

練習の合間に、あるいは演奏会の打ち上げで、そのときどき採り上げる曲について
「僕たちが鳴り響くところでは、音はこんなふうでなければならないんだ」
と、輝かしくあるべきところでは伸び伸びと、神秘的であるべきところではしっとりと、を基本に据えていつも考えていらして、熱のこもった語り口でそれをお話しして下さるのが、私にはたいへん楽しゅうございました。

私の家内の死の直前に、ご事情で退団なさったのでしたが、家内の葬儀は聞きつけて下さって、ご夫婦で駆けつけて下さいました。

前々から計画していた宿泊がどうしてもはずせず、私はそんなKさんへのご恩返しが出来ません。

大変に申し訳なく感じております。

奥様はじめご家族の皆様に、心からお悔やみを申し上げたく存じます。

団の関係者各位は、詳しいお話は団の委員の方にお尋ね頂ければと存じます。

・・・綴っている今、しかし、まったく実感が湧きません。
・・・信じられません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 1日 (金)

明日から恒例の春合宿です

ゴルデンウィ−クは、私たちのアマチュアオーケストラ、TMFは恒例の合宿です。
毎年、この時期は、
「弦楽器やってて損したなあ」
と悲しく思う時期です。
というのも、弦楽器は出ずっぱりなので、練習でずっと缶詰で、こんないい季節に外に散歩にも行けません。
ずっと、先生にしごかれっぱなし。

で、今年の合宿は、終わった後で2日間の休日がまだ残っているので(そこはサービス業の方には申し訳ない限りです!)、もし家内が生きていたら、きっとチャンスだったのだ、と思うと、ちと口惜しい。

何のチャンスかといいますと、芝桜見物です。

宿泊が埼玉県秩父市でして、しかも、テレビでも大々的に宣伝されている羊山公園に近い。
この羊山公園の芝桜が、合宿の頃、ちょうど見頃、かつ最大の人出なのです。

連休最後に2日残っている・・・もし家内が生きていたら、1日宿泊を延長して、みんなでみよう、って行ったに違いないのです。
芝桜の名所として喧伝される前から、羊山公園は母子や友達の絶交の遊び場でした。

で、芝桜の名所になってから
「オレだけ見たことがないんだよ」
とぼやくと、家内は、
「ああまた今度、休みが余計に取れるときに見せてやるからね」
毎回、これでした。

で、とうとう、
「また今度」
はやって来ませんでした。

口惜しいんだよなあ。

こっそり抜け出して、ひとりで見に行けるようだと嬉しいのですが。


この一週間綴った記事
・「J.S.バッハ」は現代浪漫派である(2)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/js2-37fb.html

・「J.S.バッハ」は現代浪漫派である(1)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/js-eb90.html

以上ふたつ、素人の屁理屈です。

・終了:齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-2c70.html

・曲解音楽史58:清代の豊かさ
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/58-211a.html
 ※ 京劇も、いいですよ!

・TMF:4月25日練習記録
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/tmf-80d2.html

以上

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月30日 (金)

なにごとにつけ

「常識」は疑ってかかるべし。
「権威」の発言は斜めに聴くべし。

ならば、自分ならどう考えるのか、を、突き詰めてみるべし。
突き詰めた『自分」が「現実的」かどうかを見直すべし。

そこまでやって、もういちど「常識」・「権威」を眺め直しましょう。

果たして、自分自身がそれらをみる目は正しかったでしょうか?
正しかったかた、よかったですね!
外れたかた・・・私と一緒です。

客観的にものを見るのは、何と難しいことか!
なぜなら、「客観的に」ものを見るべき「私」は、どこまで行っても「私」という主体であり、純粋に「客観的」であるためにはそれなりの<方法>を見つけ出さなければならないからです。

・・・私自身にも言い聞かせるつもりで、綴りました。

まず思考。

いま、ひとりひとりが、「もっと考える」ことが必要とされています。

そして、行動。
ただし、それは
「人のためになるように」
という発想からではなく、まずは
「人を害さないように、でいながら、決して<無難>に走るという消極的なものにはならないように」
でなければならないのではなかろうかと思います。

ちょっと、前後に何の脈絡もなく、突飛なことを綴りました。ビックリしないで下さいね。


今週綴った記事
・TMF:先週の練習記録(シューベルト「グレート」)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/tmf-289e.html
 ※ ある団員のかたがメールで送って下さった練習記録です。

・曲解音楽史53)舞曲とディヴェルティスマンのフランス
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/53-da3c.html
 ※ フランスバロックから3曲お聴き下さい。

・曲解音楽史52)「バロック」では括れない・・・バロック音楽概観
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/52-8779.html
 ※ うーん、バロックって、ずいぶん変化に富んでいるんですね!

・ご案内:大宮光陵高等学校音楽科 第21回卒業記念演奏会
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/21-f697.html
 ※ お出かけになって見て下さい。

・メンデルスゾーン:THE COMPLETE MASTERPIECES
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/the-complete-ma.html
 ※ CD紹介。記念年にふさわしいセットです。

・千五百番歌合5:判者の価値観(3)御子左家—旧世代から新世代へ
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-a5a9.html
 ※ 「千五百番歌合」はここまででとりあえず締めておきます。

・両手に花で歌舞伎観劇(新橋演舞場)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-da9f-1.html
 ※ 3年ぶりに出掛けた歌舞伎の感想。海老蔵・獅童に感動!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月16日 (日)

見当たらない「なぜ勉強するか」の基本を綴った書籍:最近の記事

昨晩は、「アジアオストミー協会」のお招きでの演奏に参加して深夜帰宅、今日はオケのパート練習で自分が当番でしたので、フツウは出掛けない夜の練習に行って来て先ほど帰宅、と、夜11時過ぎ(昨日は午前様)に帰る、ということを、家内の死後初めて、しかも2日連続で体験しました。その間のことは娘と息子の二人でやりくりしてくれていました。食事の支度もお風呂も、自分たちで済ませている。2年の歳月はまだそれほど長いものではないのに、子供たちは確実に、あっという間に、生活力を付けて来て暮れているのですね。ホンネで、驚きもし、感激もしました。
ただ、勉強は、親の目がないとサボりますしね。お役目はまだ終わりというわけには行きませんね。学校のテストの方は姉も弟も散々な結果でした。アタマが痛いところです。
少なくとも、息子は夏休みに宿題をサボったツケで1週間さんざん苦労した甲斐があって、家庭学習の習慣だけは付いたのですが・・・

今回は
「点数は問わない、この前は答案用紙を半分しか埋められなかったんだから、分からないところはとばしてでも答案用紙の最後まで一旦たどりついて、分からないところはあとからやれ」
というミッションを与えたら、それは果たしてくれました・・・が、点数は下がっちゃってました。

先生との三者面談で、
「まあ、しかし、父との約束は果たしたので今回は親としては<合格>と見てやります」
と見えは切って来ましたが。次の目標は各科目点数20点アップ。・・・まあ、無理だろな。

娘は一夜漬けが多いからなあ。数学の「基本」を楽しく書いてある本をやっとの思いで見つけて買い帰りましたら、こっちはこっちで目を輝かして
「読む!」
と私の手から本をもぎ取って言ってはくれました。・・・効果があるかどうかは、定かではありません。

いえ、点数のことは、最終的には子供たちそれぞれの「点数をとる能力はここまでだ」と見極めがつきさえすれば、それはそれでいいのです。

一番の問題は、この子たちがもし
「でもさあ、どうして勉強なんかしなくちゃいけないの?」
と問いかけて来た時に、どう答えてやるか、なのです。

科目それぞれの意義はそれぞれの特徴から、実生活のこういうことに役立つのだ、という説明は簡単に出来ます。
ところが、科目の境目を超えて、あるいは目先の<実用・実利>を超えて「勉強」の必要性・重要性を伝える、となると、これは一転して、なかなかに難しいことになります。

科目が「国語」であれ「英語」であれ「数学」であれ、他のどの科目であれ、それを貫く「人間の積み重ねて来た知恵」の結晶です。そして本来、知恵としては源はひとつでもあります。科目に別れているのは便宜的な理由からに過ぎません。

では、ある科目とある科目はどんな理由から別れているのか。

それをどのように説明したら、その大切さをきちんと伝えてやれるでしょう?

たとえば
「国語は日本の、英語はイギリスやアメリカの言葉で、それぞれの違いが分かると人間のものの考え方が国や地域によっては違うんだ、ってことも感じられるようになる」
と話したところで、全てを伝えられたことにはならない。英語には、現代では便宜上世界の共通語の役割もある、ということや、じゃあ何故そうなってしまったのか、については抜け落ちています。それを埋めたとして、さらに、なんで住む地域が違ったら言葉が全然違ったものになってしまったのか、使われる文字もどうして違うのか、文字だけでも統一したらいいのではないか・・・いや、統一してしまうと不便なことも増えるのだ、と、問題は限りないものになります。

さらには
「数学は言語を超えても数や形の関係が変わらない<言葉>なんだ」
という言い方をしてしまったら最後、数学だけ勉強すれば世界共通のコミュニケーションが出来てしまうような錯覚を子供に持たせてしまうままになってしまう。たしかに、ユークリッドの公理に従うことのみを万国共通の原則にしてしまえばユークリッド幾何学の閉じた世界だけは成立しますが、非ユ−クリッド幾何学の世界は別のもの、ということになってしまう。公理系を変えれば違う数学の世界がある、すなわち、数学だって単独の言葉ではない、ということまでを子供たちに伝えられない。かつ、数学には含み得ない「言葉の表現」というものも豊かにあるんだよ、ということを理解させるのが、大変になってしまう。

人間が「考える」おおもとにある論理の世界にしても、多様なものです。しかも、論理で証明できる「正しさ」は、必ずしも、「正しい」と証明したいことがらの正しさを保証するものではない(この辺は私ごときの理解力ではうまく説明できませんが、議論がデタラメでも論理的には正しい、ということはありえる。論理学は検証の仕方が正しいかどうかについてしか扱わないので、これはほんとうに「正しい」のかどうか、については論理学以外の範疇からアプローチしなければなりません)などということもあります。

裏返せば、人間の知恵の積み重ねと言うのは一筋縄ではいかない。
「科目」は、本来ひとつながりの「人間の知恵」を、誰もが理解しやすいように、似たもの同士をまとめたのだから、どれも同じ重さで大事なんだ、ということくらいまでしかいえない。

せめて、そこまででいいから、「勉強はなぜ大切か」をまとめて書いてくれている本はないかなあ、と、ずいぶん一生懸命さがしましたが、いまのところ全く見つけられずにいます。

人間にとっての「キホンのキ」の本が、実は、世の中には存在しない。

そのことに驚かされましたが、こうやって考えてみると、無理もないのかな、と思ってしまいます。

でも、やっぱり、だれか書いてくれないかなあ。名前が売れている人が、そんな本を、中身はお願いだからまっとうに、余計な話は交えず、出してくれないかしら。

長くなりました。すみません。


今週綴った記事(昨日になってしまった今日までを含む、日付逆順)
※「好きな曲」という副題のものは全部、音楽そのものを聴いて頂けます。
※今週は、このカテゴリの記事ばかりになってしまっています。明日もかな。
 1記事の曲が5分程度ですから、9曲で45分・・・
まとめ読み(いや、文は読まないで頂いても結構です、まとめ聴き)するには
こちら・・・
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/cat20780550/index.html

・「アルルの女」第1組曲から<カリオン>(ビゼー):好きな曲009
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/009-386e.html

・吹奏楽のための組曲第1番から「シャコンヌ」(ホルスト):好きな曲008
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/008-f69f.html

・プロメテウスの創造物(ベートーヴェン):好きな曲007
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/007-f85e.html

・スラヴ舞曲第10番(ドヴォルジャーク):好きな曲006
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/10006-574d.html

・菩提樹(シューベルト):好きな曲005
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/005-ec93.html

・トロイメライ(シューマン):好きな曲004
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/004-f191.html

・「わたしの苦悩は誰もしらない」(黒人霊歌):好きな曲003
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/003-eb3c.html


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 7日 (金)

秩父の眠れる豚:合宿を挟んでの1週間に綴った記事

11月1〜3日のTMFの合宿は、娘の用事の関係で3日の朝に失礼することだけはあらかじめ決めていましたが、1日は恥ずかしながら夜の練習の時は熟睡、2日目も午後の半分は寝かせておいて頂く、という参加の仕方で、非常に申し訳なく思っております。
「秩父の眠れる豚」でした。
ですが、それを許して頂けたおかげで、今週は中日に娘の高校の懇談会と息子の中学校での三者面談を1日で乗り切らなければならなかったのですが、それぞれで、子供たちのこれからを私がどう見つめていくかを勝手に滔々と述べさせて頂け、なんとか気力も甦りつつあるかなあ、と思っております。
昨日は、心配して下さったある方にお電話を頂け、思わず感涙を催してしまったりしました。

そんな、まだ安定しきっていない精神状態の中に埋もれていないで、子供の日に帰るところから、音楽を見つめなおすのもいいかな、と思い始めました。
ですので、「好きな曲」カテゴリを新設しました。主旨は
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-fb08.html
に綴りました。
5分程度の、親しみ深い曲を聴いて頂くのが主旨です。自分の思い出と、曲についてのかなり大まかな説明をする程度で、あまり堅苦しくならずに綴ります。

自分を回復する・・・それが、子供たちのためにも、私がしなければならない最大のことなのではないか、と考えております。

今週綴った記事(日付逆順)

・「メサイア」序曲:娘の誕生日に寄せて
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-2385.html
 ※今日11月7日で、娘は16歳になりました。
  娘が生まれたその日に私は演奏会に出てこの曲を弾いていました。
  それから今日までの感慨を綴りました。音楽も聴けます。


・「ウィーンの森の物語」(J.シュトラウス�):好きな曲002
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/j002-edbb.html
 「好きな曲」カテゴリの2曲目ですが、合唱版でお聴き頂きます。

・少しでも「正しい」音楽理解とは?
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-1c69.html
 ※理詰めで音楽を考えるのにつまづき始めております。

・古楽の、やっぱり分からん「ピッチ」の話
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-de98.html
 ※バッハのカンタータの通奏低音はオルガンだったのかチェンバロだっ
  たのか、なんてことを延々と語る本はあるのですが、かつ、その価値
  も認めますが、そんな本でさえも、なぜかピッチ問題には触れていな
  い・・・不思議で仕方ありません。こつこつデータを集めるしかない
  のでしょうか?

・「見よ、勇者は帰る」(ヘンデル):好きな曲001
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/01-ea6c.html
 ※運動会の表彰式で流れるこの曲のオリジナルがどんなだか、
  想像できますか? ここで聴けます!

・ファジル・サイ in つくば
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/in-808f.html
 ※例によって、つくばで、また格安の優良演奏会!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月27日 (水)

お知らせとお願い

ニフティの措置で、直接アップできる1ファイルの最大容量が1MBに制限されることになりました(私限定ではありません・・・似たようなことをしている人も、あるいは単にファイルの置き場として利用していた人も、ニフティの想定していた以上にたくさんいたようです)。
つきましては、今後は長めの音声について対策を検討中です。しばらくの間、新たに長い音楽をお聴き頂けないのは残念ですが、少しのあいだお待ち下さい。

何卒宜しくお願い申し上げます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月12日 (土)

おわび と お願い

L4WBanner20080616a.jpg

クラシックCD検索に便利!バナーをクリックして下さい!
ニフティさんフリースペースを利用させて頂いている本ブログが、サーバに負荷をかける要因を作ってしまい、私が復旧作業に当たれる本日まで10日間ほど、他のユーザーの方にご迷惑がかからないよう、いったん閉鎖となりまました。

先ほど、負担軽減の措置を講じました。

ただし、新規記事は、この期に

http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/

の方へ綴り足していくことを原則と致します。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

なお、本ブログはこのまま存続させますので、また「開かない」際は
「しょうがねえなあ、また閉じられやがったか」
と笑ってやって下さい。

お手数をおかけしたニフティの運用ご担当者には、深くお詫び申し上げます。



負荷軽減軽減策として、下記の措置をとりましたが、不充分な場合は、前述の通り、再閉鎖になる可能性がございます。その際には追加の措置を行ないます。

・トップページで一度に表示される記事は7件までとしました(従来は30件)。
・原則として5分以上の音楽ファイルは削除しました。(リンクが再生されない場合があります。)
・YouTube画像の直接埋め込みを同時に複数行なっていた記事は、気づいたかぎり削除しました。

作業可能な時間の制限上、以上までが「出来たこと」です。

お気付きの点はアドヴァイス頂ければ幸いに存じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 1日 (火)

演奏会反省(第45回定期演奏会)

L4WBanner20080616a.jpg

クラシックCD検索に便利!バナーをクリックして下さい!
村治奏一リサイタル at つくばノバホール 是非足をお運び下さい! 7月6日(日)午後3時から。
団員でない方には、身内向けで恐縮です。野次馬なさってくださるのでしたら、笑い話にお読み下さい。
すみませんが、「責任」上、無理をお願いして、録音下さったMさんに、先に音を聴かせて頂きました。 ・・・というのも、今回は演奏していて、どうも掴み所がない、足りない何かがあって、大変心にかかっていたからです。

いつもの定期演奏会でしたら、まず一応はメンバーの皆さんを「ヨイショ」するところから始めるのですが、
「何が足りないか」
について、総体的に感じることが非常に強くありましたので、
・まず、全体を述べる
・人様をどうこう言う前に自分の「ヘマ」を(ユニゾン部とソロ部を例に)述べる
・セクションごとの全体的な問題点を述べる
という手順で述べてみたいと思います。

各曲について該当する個所は、まずは「音を聴かないで」イメージして考えてもらえたら嬉しく思います。(団員のかたは、MさんからCDを購入出来ます。)



全体から行きましょう。

・「そんなこといつも考えているよ」というなら初心に還ってのご再考を
・「あ、考えたこともなかった」というなら、この機会に是非

念頭において頂きたいことを申し上げます。

*楽器だけで演奏される音楽であっても、原点は「歌」だ、ということを忘れないで下さい。

これは本来、音楽の「入門書」に書かれていてしかるべきことなのですが、残念なことに「入門書」と称するものに明言されているのを目にしたことがありません。
ですから、演奏法の優れた教科書・研究書の類に、あらためて目を通してみて下さい。・・・音楽の原点が「歌」であることを明記しているかどうかが、良書であるかどうかを判別するメルクマーレ(目印)になります。ご自分の弾いて・吹いている楽器に関する本である必要はありません。値段が張るので躊躇なさるかも知れませんが、たとえ専門家でなくともご自身が楽器の奏者だと自覚なさっていらっしゃるなら、「借りる」のではなく、是非1冊はご自身で大枚をはたいて購入して下さい(そのくらいのつもりで買わなければきちんと読まずに終わりますから)。
最近のものでは、バドゥラ=スコダ「バッハ 演奏法と解釈」(ピアノもしくはチェンバロのものですが、カンタータ、ヴァイオリン曲、フルート曲の譜例もあり、とくに「カンタータ」に見られる歌詞と旋律線・音型が「純粋器楽」を演奏する上でどれだけ強い結びつきをもっているかを知るには恰好の書です)がいい。しかも、これは著者個人の創案した意見ではなく、J.S.バッハの息子であるエマヌエルの「正しいクラヴィウア奏法」や、その同僚だったクヴァンツの「フルート奏法」、その他L.モーツァルトをはじめ多くの演奏家・作曲家が繰返し述べてきたことである、という事実を、適切に要約してあります。かつ、バロック期に留まらず、後代の作曲家の作品についても(メインがバッハである以上、ほんの「さわり」程度ですが)言及されていますから、本書を通じて、応用すべきことをじっくり考えることも可能です(とくにフレージングの問題)。


*クラシックに限るわけではないのですが、「音楽」とは3D+時間の流れだと、常に思って下さい。

音楽を絵画にたとえる比喩が存在するのを否定はしませんが、それは「聴き手」の印象としてならば許容されるものです。たとえ作品のタイトルに「絵」だとか「絵画的」という語が用いられていても、音楽が「音の響き」なしに成り立たないものである以上、それは平面ではなく、立体としての空間を必要とします。ということは、端的に言ってしまえば「和声を軽んじるな」で終わってしまうのですが、そうではない。響きを形作るひとつひとつのパートが、たとえ主旋律ではなくとも、「歌」として成り立つ「正しい音程」を必要とする、ということでもありあます。私たちは「ピサの斜塔」を建て続けたいわけではないでしょう?高層ビル街のバベルの塔群もいかがなものか、とは思いますが、そういう作品だってあるのは確かです。その作品が建物として「どの程度の規模なのか」ということが念頭に置けるようにしましょう。
かつ、建物であれば、柱材や梁材1本が欠けても、あるいは欠けていなくてもしかるべき質を保っていなければ、いずれそんな設計では崩落するのが目に見えています。
しかも、私達の素材である「音」は、残念ながら固体ではありません。響きつづけるためには「持続すべき時間」が必要です。
言葉が重複しますが、全体が「歌」であることを「正確な寸法で」保てなければ、私たちは(たまたまオーケストラという大人数だから大勢ばかりを連想なさるかも知れませんが、たとえたった一人で演奏するのであっても)、<耐震基準を満たさない>建造物を作りつづけるという間違いを犯しつづけているのです。

・・・大枠は、これくらいにしましょうか。



「じゃあ、ken、おまえはどうだったんだ」
ということで、実例で「歌」の崩れ、間違った建造行為を観察して頂きましょう。
(音の例は、これだけは挙げて置きます。色の変わったところを右クリックしてみて下さい。)

1)「歌」の崩れ
で、フルートの旋律に対してぴったりと付けなければならない部分です。
切り出しませんので、お聞きになって場所を特定下さい。
2回あります。1回目は点を甘くして合格だとします。2回目は、明確なミスがあります。「時間」の読み間違いです。私のヴァイオリンはフルートよりタイミングが遅れています。ユニゾンですからまだはっきり分かりますが、これが仮に伴奏音型でしたら、多分お分かり頂きにくいでしょう。ただ、「出来のひどさ」はもっと誇張されます。・・・伴奏がしっくりいかない個所は、単純化すれば、私のこの個所でのミスが恰好のモデルとなります。コンマコンマ数秒の<時間のズレ>が、音楽を崩すのが「原則」です(巧者になると「わざと」そのことで効果をあげる場合もありますが、私達のレベルで許されることではないでしょう)。

2)間違った建築行為
です。伴奏部分については1)をご参照頂き、各位の「うまくいっていないところ」は勿論ですけれど、「うまくいっているところ」も意識してお聴きになって下さい。「うまくいっているところ」は<時間のズレ>が・・・ヴァイオリンの旋律と同時ではない個所のルバートなど・・・正しい文脈でなされていたりして、マイナス評価してはならない部分です。
ということで、伴奏部分についてはとりあえず脇に置いて下さい。
全編ヴァイオリンのソロですから(念のため申し添えますと、この曲はプログラムにお書きになって頂いたのとは違い、コンチェルトではありません。コンチェルトとはソロの持っている意味合いが違っているからです)、ヴァイオリンの粗探しをして下さい。
大きく、4つのミスがあります。
*音を外す
「歌」の寸法を測り間違えると、その前の<より難しいはずの>音が「正しく」でていたのに、次の音が大きく外れる、という事象が起こります。・・・意味が、通じますか? 他の曲で、私以外の方も結構やらかしていますよ! 共に「直して」いけるよう頑張りましょう。
*音のかすれ(大は3つ)
建築部材で言えば「材質」の選択誤り、あるいは製造ミスです。目立つかすれは3ヶ所ありますが、高い音に最初に上がったときのかすれは、左指の乗りがわるいところを右手(運弓)でカヴァーしようとしたことに起因します。低い音でのかすれは、右手の圧力の設計誤りです。中庸の高さの音でのかすれは、左手は右手を、右手は左手を思いやっていません。こういう場合は、心理的には「歌」に対する冷静さを欠いていると思って間違いないでしょう。すなわち、無意識に「思い入れ」をしてしまう際に起こります。

綴ればきりがないのですが、以上2項目の、1)の2点、2)の4点を念頭に、セクションごとの総括をして終わります。



*タイミングの遅い打楽器は歌を崩す
・・・と、単純にこれだけ、なのですが、非常に重いことです。
オーケストラで打楽器が活躍する部分は、他パートに比べ最も少なく、制限されているだけに、そこに何故「私の音」が存在するか、の意味は、作品にとって最重要懸案です。
従いまして、全体の音楽より遅れたパーカッションは、作曲家の狙った効果を外すばかりでなく、作品のイメージを大きく壊します。
タクトより若干・・・早過ぎないように・・・早く入るくらいの心積もりが必要ですし、そのために、大変ご苦労なことではありますが、長い休符の間には他パートを一音たりとも聞き逃さない心構えも必要になってきます。

*響きあわない管楽器は用を成さない
全体について述べたところに戻るのですが、3Dとしての「歌」の設計が出来ていなければ、濁ります。結果として、「音楽」には、とてもとても聞こえません!
楽器の特性に「逃げて」いませんか?・・・後で述べますが、弦楽器は反対に「楽器の特性を理解していない」という欠点があります・・・まず、自分に与えられた「音符」が自分の「歌」になっているかどうか。「歌」になったとしたら、今度はそれが他者との関係を崩した独善的なものになっていないかどうか。独善的であることから逃れた、と、そこまでたどり着いたら、では建築物の総体として、出来上がりが正しいかどうか。・・・自分を、お互いを、「測って」下さい。人格を測るのではないから、これは推奨したいことです。
チャイコフスキーの第1楽章から2点だけ述べておきますと、まず第二主題再現部前のクライマックス部で、管楽器が「上の音から下の音へ」向かう際に、必ず上の音が高すぎます。それでも二音の関係が全音ならばまだ難は少ない。問題は、二音の関係が半音である、すなわち、上の音が下行導音である際、上の音が「下行導音」であることが全く意識されていないところにあります。次に、最後のコラールがホルンからトロンボーンへ移るときですが、音色においてはトロンボーンはホルンを受け継いでいませんし、ホルンはトロンボーンへ渡すためには暗すぎる音色になっています。これは、ホルンのコラールの総体としての音域が狭いことに最大の原因があります。音域の採り方としてはトロンボーンの方が正しい。ただし、主音が高いので和声的には正しくない・・・この手の音楽作品は決して少なくありません。具体的にパート名を挙げて恐縮でしたが、ここを参考に、管楽器同士のやり取りで、どの程度「正しい響き」を意識していたか、まずは省みて置いて下さい。
「音程」という、ストップした事象で考えがちであり、私もそうでしたが、静止した「音程」で発想することは誤りです。
これは弦楽器にも共通して意識して頂きたいのですが、音の「その瞬間の響き合い」から「次の瞬間の響き合い」を予想しながら「歌う」癖をつけるべきではないかと思います。
音楽の教科書が「対位法」と「和声学」を区分していることは、学習上やむを得ないこととはいえ、実践上では非常に遺憾に思います。これらは本来一体の物です。
難しい本が多いので、どうしても敬遠してしまうかも知れませんが、たとえば、薄手のものを各1冊、
「作曲と演奏のための対位法」シンフォニア
「和声の歴史」文庫クセジュ、白水社
のような本は、音を想像しながら読んでみて下さい。
読み終わるまで難儀しますが、読み終えた後で、相互が一体であることに「ああ、そうだったのか」と思い至って頂ければいいんだがなあ、と思っております。

*カウント、コミュニケートできない弦楽器は邪魔
弦楽器相互の問題は管楽器に準じますが、こちらは複数奏者であるがゆえに「甘え」が大きな障害となります。
弾くのが難しいところには二種類ありまして、
・管楽器が重複しているのだから頑張らなくていい個所(極端に言えば間違った音を出すくらいなら弾かない方がいい)個所
・どうしても弾かなければならない個所
という具合に分けられるでしょう。
ところが、往々にして、一つ目の方はやたらと一生懸命弾き、二つ目の方は「誰かが弾けるだろう」と逃げを打つケースが殆どです。逆です。
かつ、二つ目のものの方は、楽器を手にして「弾けない」と投げ出す前に、楽器なんか脇において、楽譜をちゃんと読んで、まずは作曲者の指定するテンポの3倍くらいの遅さからゆっくり歌ってみることです。今後、そのようにお試しいただきたく存じます。
また、本番の直前にならないといらっしゃれないメンバーに、合宿中に「これは必ず伝達して下さい」と依頼したはずのことが、全く伝わっていない、という事実が確認できてしまい、非常に残念に思っております。・・・なぜ、伝えて下さらない? 後から来る人は「ゲスト」だからご自由に、ということですか? そんな非人情で心から「歌う」ことが可能なのでしょうか? キツメの言葉になって恐縮ですが、そういう風通しの悪さは、やめましょうね。
なお、狂った開放弦を平気で弾いている人がいます。これが、管楽器のところで「後で述べます」と申し上げたのは、このことです。弦楽器は、管楽器と違い、指一本で音程が調整出来るのですから、せめてそれくらいは繊細にして下さい。それとも、狂っているのが分からない?・・・私の脳ミソじゃないんだから!



悪口雑言ばかり綴りました。

・・・ですが、実を言いますと、今回ほど「自分が大袈裟に動かなくて済んだ」定期演奏会は、初めてでした。
そんな「信頼」を抱かせていただけたからこそ、心を許して悪口雑言に徹したのです。
お許し下さい、とは申し上げません。
ただ、ホンネで、そう感じさせて下さったことに深く御礼を申し上げます。

・・・今回は、
「おまえは指揮者じゃない!」
とは、アンケートには書かれなかっただろうなあ。そうあってほしいなあ。

最後に是非付け加えさせていただきたいのは、<悲愴>でのティンパニの名演です。

長年私たちを支えてくれたMGさんの音は・・・お辞めになる事実は演奏会の後で知ったのですが・・・本番中でも心に染みるものでした。なぜ、今回はこんなにしっとり叩くんだろう、といぶかしく思いながら聴いていたことを告白します。
録音で確認した結果も、同様でした。・・・いや、録音で、あの本番のときのティンパニの響きがよくここまで再現できているな、とさえ感じました。

皆様、あらためて、本当にお疲れ様でした。また、よりいい音楽をやりましょう!

ありがとうございました。

♪バッハ 演奏法と解釈全音楽譜出版社♪バッハ 演奏法と解釈全音楽譜出版社


販売元:音手箱

楽天市場で詳細を確認する


音楽書 作曲と演奏のための対位法音楽書 作曲と演奏のための対位法
販売元:楽譜ネット Yahoo!店
楽譜ネット Yahoo!店で詳細を確認する

Book和声の歴史 (文庫クセジュ 448)


著者:オリヴィエ・アラン

販売元:白水社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月23日 (月)

「愛」ということば:定期演奏会反省のために

L4WBanner20080616a.jpg

先に。
往年の名ホルン奏者、千葉馨さんの訃報に接しました。21日ご逝去の由。関連記事が過去JIROさんのブログに記載されていました。取り急ぎリンクしておきます。


ずれた角度から始めますが・・・わざと、です。

日本語での「愛」には、西洋的なものと比べたときだけでなく、大陸部アジアの同義語(どんなものがそれに当たるかまでは実は知らないのですが)との間でも、その意味に邪魔者が入り込んでいる気がします。

角川必携国語辞典(初版)にある意味づけを列挙しますと、字の説明そのものに、こうあります。
1)(前半略)胸がいっぱいになるほど切ない、好きだ、大事にしたいと思う気持ち
2)おしむ
3)神仏のめぐみ

小学館新選漢和辞典(第五版)では、また違います。
1)いつくしむ。かわいがる。このむ。
2)異性をしたう
3)<め・でる(と読んで)>1)に同じ
4)惜しがる「-・惜」
5)かわいらしい。あいらしい。

では、ヨーロッパ語の殆どの祖先であるラテン語ではどうか? 研究社羅和辞典"amo"の項。
1)愛する、好む、気に入る/うぬぼれる、自ら満足する、利己的である
2)(ある者を)愛している、恋愛している(alqm)
3)好んでする、常にすることになっている
4は省略(熟語の説明であるため)
5)(ある事についてある人に)恩義を感じる、おかげを蒙る
名詞としての"amor"は、どうでしょうか?
1)愛(・・・そのまんまかよ!<--あ、これは辞書には書いていません、念のため。)
2)恋愛関係
3)愛の対象、愛人
4)情、欲望、色情
5)恋愛の神
6)(5の複数形)

注意しなければならないのは、漢和辞典は中国語の辞典ではないことで、とくに「惜しむ」という意味を「愛」の一字に込めてしまうことは、おそらくは中国語にはないという点です(チャンと辞典を引かなければ!)。
すると、この「惜しむ」という意味が「愛」にくっついているかどうか、というところが、日本語固有らしく、漢字本来の意味もヨーロッパの言葉でも、「愛」に込められた意味が、もっとストレート(直裁)であるのは大変に面白い。


漢訳仏典(要は「お経」)では「愛」は妄執を代表するものとし、悟りに至るためには人間がその思いから解き放たれなければならないものの最大の一つとされています。・・・その仏教の教えが色濃く染み付いた平安後期以降、昭和20年代に至るまで、日本では「恋愛結婚」というものは実質上例外的なものと見なされて来ましたし、そこへ儒教の価値観が重なって、江戸期には「夫を失った妻は再婚をしたら白眼視される」なんてこともありました。
これはカトリック世界のヨーロッパでも同様で、教義の基本が再婚禁止であるため、特に女性に不利だったのですが、寡婦が再婚を認められるのは特権階級に限られていました。・・・ただし、そこでは日本仏教と異なり、「愛」と離れることの強要からではなく、「神の愛」を受けることにに専心しなさい、というものだった点に違いがあります。
でも、以下に見るように、元来の意味付けがこれほどの差を持っていても、実際に人の行為となると、実行に移す過程がどのように人の目に映るかが非常に似てくる。・・・ここが、肝です。


私は妻と死別しましたが、それでよく聞かれるのは
「奥様を、いつまでも愛していらっしゃるのでしょう?」
という言葉です。答えは、
「はい、愛しています。もちろんですとも!」
です。
お聞きになって下さった相手は、
「じゃあ、この人は死ぬまで奥様に<執着>するのだろう」
と期待します。
ところが、こんなに美男の(!・・・ウソ。もう白髪が目だちはじめたデブオヤジです)、私なんぞに惚れてくれる相手に運良く再び巡り会って、仮に周りの期待を裏切って、私が再婚出来てしまったとしましょう・・・残念ながらモテないうえに、一番手と金のかかる時期の子持ちですので、どうも期待ははずれっぱなしで終わりそうで・・・実際の、ではなくて映像に現れるチャップリンを地で生きているようなていたらくですが・・・。
すると、私はきっと「不貞」の輩と見なされ、死後の行き先は<地獄>でしかなくなる。
亡妻とのあいだに子供たちだっていますから、結婚した結果、子供たちが気まずい思いをしてしまうようだったら、なおさらです。
地獄の中でも最大の罪人が堕ちるべき地獄へ堕ちることは必定です。いや、生きているあいだから、親族姻族から総スカン、という地獄に堕ちるのでしょう。

日本仏教とカトリックとの違いを前提にすれば、それは日本的には「惜しむ」愛を持たない軽率さからですし、ヨーロッパ的には「神の愛よりも、正しい信仰が生まれる以前の、第1義的な、自足と自惚れの<愛>を優先させたからだ」ということになります。

現代でも、(要領のよろしい方は例外ですが)、まあ、「愛」という価値観は、こんなものです。
「愛」の対象は、単数でなければならない。。。
(これ以上、とりあえず余計なことは言わんでおこうっと。)


さて、昨日の定期演奏会です。
ここからは、「私たち」という、複数形で考えましょう。

私たちは、どのように音楽を「愛して」、昨日の演奏会を迎えたか?

プログラムを拝読しましたが、代表挨拶・指揮者紹介は内容が一新され、記述内容が素晴らしい変貌を遂げました。
代表者「ごあいさつ」から、すみませんが、抜粋させて頂きます。

日々の練習の中でメンバーを充実させ、アンサンブルを楽しみ、納得したプロセスを経て(下線は私が引きました)、本日のような演奏会を持ちたい。

これは大変に嬉しい文でした。
各曲の解説文(と言いながら、私の担当した<悲愴>の文は生硬で、ちょっと評価に値しません)も日本語としては1)、漢語としても1)の「愛」の溢れた、心豊かな文章です(手前味噌ですみません)。

では、実際に、代表者がおそらく理念と感じて下さっている、抜粋部分の「納得したプロセスを経て」という部分が充分だったかどうか・・・今回の実際の演奏会で出た音を私自身が冷静に評価するまでにはまだ思考が固まっていないのですが・・・ということについて、終わってみて、メンバーがどれだけ省みているか、が次への大事な踏切台になりますから、メンバー各位に置かれましては、その点をもういちどお考え頂きたく存じます。

ですので、打ち上げ最後の乾杯の際に、音頭をとられた方が(盛り上げなければならない、という責任感もおありだったのでしょうが!)
「とにかく、満足しています!」
という発声をなさったのは、私は「宜しくありませんね」と申し上げておきたいと存じます。
「最高でした!」
とは仰っていなかった(のか、少なくとも私の耳には届かなかった)のは良かったですけれど。

少なくとも、直前の練習まで「納得したプロセス」を経たかどうかとなると、一人一人が胸に手を当てたとき、
「いやあ・・・そうじゃあなかったなあ」
と思って下さることが最も素晴らしいのです。そうあって下さったら嬉しいな、と思います。

私個人のミスのいちばん大きなものは、昨日綴った通りで、あらためてお詫び致します。

チューニングでは、湿気も考慮し、だいぶ特別なことをやりました。
ステージチューニングの際には、おそらく、弦楽器は管楽器に対して、前半では2Hzほど、後半は1.5Hzほど高めにして臨みましたので、「いつもとやり方が違うな」ということでメンバー各位を戸惑わせたかもしれません。これも併せてお詫び致します。

ところが、そういうチューニングをしていて、結果的に演奏が始まると管と弦でピッチが殆どきちんと合っていた。

このことが何を意味するか、を、ちょっと考えてみて下さい。

一般論でいえば、弦楽器は湿気の多いときはピッチがどんどん下がって行きます。ですから、高めにチューニングしておけば演奏中の調整はしないで済むことになります。
管楽器については、湿度の一般論より、ひとり1パートの原則がネックになります。とくに、木管およびトランペット(後期ロマン派以後)はファーストを吹くことが必然的に旋律を吹くことに繋がります。旋律をよく聞かせるためには、(これは意識出来てやっているのでしたら解消が簡単なのですが)通常の和声のための音を出している時よりピッチが上がるのです。・・・この点は、カラオケで「上手く歌う人」と「万年耳栓が欲しくなるような歌い方をするオッサン」の歌のピッチを聞き比べるのに慣れて頂くとよくわかります。

ということで、各曲各所の問題点がどうだったか、という「後ろ向きな」反省ではなく、こんなピッチの仕掛けの上で今回の演奏会がなされたのだ、ということを、ちょっと念頭に置いて頂けると有り難いなあ、と思っております。
要するに。
いままでこうして来たから、と「惜しむ」愛は、いっぺん片隅に追いやってみて下さったらいい。

そう、「地獄墜ち」をしてもいい、と腹を括った方が、ものごと、良く見えるようになります。
(地獄に堕ちてもいいのは演奏に関してだけですヨ!人生はそうであってはいけません!・・・私はどっちも落ちても構わないけどな。。。)

なお、ファーストヴァイオリンにつきましては・・・緊急事態もあったからではありますが・・・席順は、実は前の晩、考えるのに半徹夜で悩みました。
思った通りに行っていたかどうかは、こんど皆さんからご感想・ご教示を頂ければありがたく存じますし、またとくにアマチュアにおいては弦楽器パート内での並び方が非常に重い意味を持つ(初心者だからいちばん後ろに坐ってもらう、という発想や、普段からの仲良しさん同士だからそのまま一緒に組ませれば上手くいく、という考えは捨てなければ・・・とくに「好きだから、弾けないけれど入って来ました」というメンバーに哀しい思いをさせるだけでなく、響きとしてもアンバランスを生じさせる原因になり、結果的に管楽器打楽器にも大きな迷惑をかける)という点は、是非肝に銘じて頂きたいことです。

少なくとも、こちらに関してさえも「愛が単数でなければ」と見られてしまうと・・・私の人生は、そこでもうおしまいですねー。(T_T)


なお、長年当オケでティンパニを叩き、女性客のアイドルだったMさんが、ヴィオラの奥様共々、今回で退団なさるとのことです。奥様が「新しく学びたいことがある」と向学心を抱かれたことにつき、ご主人も協力する、とのご決意だから、と承っております。
Mさんは、私が当団に入るおおきなきっかけを作って下さった方のお一人で(「入団しないと給料止めるぞ!」と言われました・・・)、たいへん寂しく思っておりますが、またのご復帰も願いつつ、まずはお企ての実り多からんことを祈って、1曲捧げてお餞別代わりとさせて頂きます。

ちょっと珍しいものですが、打楽器の曲でなくてすみません。

・ブラームス (「11のコラール変奏曲」第8曲)
  オルガン:クリストフ・アルブレヒト KING RECORDS KICC 9526)
  ※ 恐縮ですが、モノラル化してあります。


バナーをご提供下さったsergejOさんが、当日の感想を記事にして下さいました
こちらも是非、というより、こっちの方こそ是非、読んでご覧になってみて下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月22日 (日)

ご来場御礼・身内慰労

クラシック音楽のCD探しには、下のバナーをクリック!
L4WBanner20080616a.jpg



本日6月22日、大井町の「きゅりあん」に於いて催しました東京ムジークフローの定期演奏会に
開場時には大変な雨だったにもかかわらず、1074名収容の会場に716名様のご来場だった由、悪天候ですのでそこまで期待をしていなかったにも関わらず、思いがけず3分の2を埋めるお客様に恵まれましたことを、たいへんありがたく存じております。

個別にメールも頂戴しておりますが、あらためて御返事を申し上げる所存ですので、取り急ぎこちらでの御礼にてご容赦下さいませ。

ハチャトゥリアンには私の独奏があったのですが、本番でいつもやることでお恥ずかしいことながら、前半で危うく楽譜を見落とすところで、お気づきになった方はお気づきになったかと存じます。ミス、お詫び申し上げます。


メンバー各位は、本当にお疲れさまでした。
本日は細かいことは申し上げません。余韻を楽しんで下さい。

個人的には、明日、ちょっと出勤に耐えないほど疲弊しました。。。クビかしら。。。
明朝「休みます」って電話を入れるのに勇気が要るなあ。

でも、それだけメンバーの集中力に圧倒されたという面もあるかと思っております。そういう意味では、身内にもとても感謝しているのをここで述べますことを、どうぞ、団外の皆様にもご容赦頂ければと存じますe

バナー作成ばかりか本日もいらして下さったsergrejOさん
記事リンクを作って下さったキンキンさんには、重ねてまた特別に感謝の意を表させて頂きます。

どなたも、雨でお風邪等召されませんように。

本当にありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧