2008年6月10日 (火)

予言の鳥

Tokiomusikfroh

来たる6月22日は、私共のアマチュアオーケストラ、東京ムジークフローの定期演奏会です。詳しくはバナーをクリック下さい!20名様(ペア換算10組)まで無料ご招待申し上げます。ご希望の方は本ブログのプロフィールページから、記事掲載者宛メール下さい。



先日(6月8日)は、シューマンの誕生日だったそうで、バナーを作って下さったsergejOさん特集記事を組んでいらっしゃいました。

それで、久々に私も、雑文として、シューマンを取り上げたいと思いました。カテゴリは作ってあるのですが、とんとご無沙汰でしたし。

前期ロマン派の作曲家は、私には「はかない」イメージを与える人が多いのですが、その中でもシューマンは、公の場よりは個人的な場で、その音楽に接する機会が多く、そういうプライベートな演奏の都度、彼が精神を病んでライン川への投身自殺に失敗、精神病院で死去するという悲劇的な最後を遂げたことに思いを致さずにはいられませんでした。

シューベルトも病気で早世しました。メンデルスゾーンも、幼少期から常に音楽を共にした彼の最大の理解者である姉が亡くなったことをきっかけに、失意の高まりから病を得て死んだのでした。

これら二人に比べれば、シューマンは少しは長く生きました。死んだときの年令は46歳でした。
ですが、彼が死に至った病は、上の二人よりも悲惨なものだった、と感じずにはいられません。

彼が狂気を発したのは1851年ごろらしく、その引き金となったのは、この年に深まった、デュッセルドルフの音楽協会との埋めがたい溝でした。
推測でしかありませんが、シューマンの音楽に対する「内面的なものへの強い志向」は、普通の感覚で音楽をたのしみたい常識人たちには耐え難かったことでしょう。ですから、シューマンと対立した人たちを「悪者」にしてはいけないのだとは思います。
一方で、クララとの結婚に際しても、クララの父ヴィークの執拗な反対・・・これは法廷沙汰にまでなりました・・・で長年非常に苦労した経験のあるシューマンは、何年にもわたったそのような裁判にも自分をいっさい曲げなかった頑固者でありました。頑固者の常で、彼は、なぜ人々が彼を理解出来ないのか、皆目見当がつかず、ただ腹立たしいばかりではなかったのでしょうか?



個人的には、ピアノを習ったことのない私は、学生時代、ヴァイオリンを含む室内楽数曲を先輩と演奏するというかたちでシューマンの音楽に出会い、自己流でも数曲は弾けそうな「子供の情景」の楽譜を買って来て、学校のピアノでつっかえつっかえ弾くうちに魅力を感じるようになりました。でも、ピアノの経験が豊富な人に言われたのは、
「おまえのトロイメライ、ちょっと、思い入れし過ぎ!」

シューマンがデュッセルドルフの音楽協会とトラブルになった原因は、シューマンがあまりに主情的な指揮をしたせいだ、と、読んだ伝記にありました。ですが、具体例は出ていませんでしたので、トラブルにまで至った「主情的な指揮」とはどのようなものであったのかは、分かりません。

抑鬱から発狂へと坂を転げ落ちて行ったシューマンは、数年前にまだ、作曲家として栄誉に包まれはじめたばかりでした。

ピアノ作品でもうひとつ、タイトルに情景の言葉が付された作品集が、「森の情景」です。

9曲から成るこの曲集も、シューマンのピアノ曲としては平易な方に属し、こちらも自己流で数曲手を出しましたが、ちょっと手に負えませんでした。
ですが、シューマンのピアノ作品の中では、最も好きな作品集です。
書かれたのは1848年、出版は1849年。作曲家としてのシューマンの絶頂期でした。

この作品集の中に、奇妙な曲が、ひとつあります。有名なのでご存知の方も少なくないでしょうが、

(Vogel ais Prophet)
  Wilhelm Kempf(pf) Polydor 459 383-2
 
というものです。(曲名のところに音声をリンクしましたので、お聴き頂けます。)
作曲年代をみても、この当時、シューマンはまだ狂気に囚われていないはずです。

なのに、この曲の、異様な薄暗さは何なのでしょう?

シューマンがこの先狂ってしまうことを、神が彼の手に教え賜うたのでしょうか?
それとも、そんな個人的なことではなく、もっと大きななにものかについての予言なのでしょうか?

いや、「薄暗い」のは、いまこのときの「うつつ」の世界です。
「うつつ」を薄暗く感じるのは、「予言の鳥」が、羽から金粉をふりまいて、あっという間に飛び去って行くからです。金粉が舞うあいだ、「うつつ」は一瞬光につつまれます。でも、金粉は瞬く間に地に落ち、土ぼこりのあいだに隠れて輝きを失います。

「予言の鳥」が向かう先の世界には、この鳥の羽に降り掛かっていた金が豊かにあるのか、そうではないのか・・・飛んで行ったこの鳥以外には、結局だれも知らないのでしょうか?

・・・本来、「森の情景」の各曲には詩が付されていて、それが曲の性格を説明していたのですが、現在では省かれていますし、ついていた詩がどのようなものであったかを、私は知りません。

今日は、ただ、印象だけを綴りました。・・・失礼致しました。


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2006年12月 8日 (金)

シューマンを聴く:「ライン」、2人の作曲家のアプローチ

私の聴いたのとは違う盤ですが・・・

シューマン:交響曲全集

こんにち私たちが安く購入出来るクラシックのCD(録音)は、大体が1960年代から1980年代のものかと思います。この時期の演奏は、第二次世界大戦終結以後高まった「楽譜に忠実な演奏」を標榜したものでした。・・・が、「楽譜に忠実な」という言葉には様々に入り組んだ難しい問題があります。
そもそも、忠実であるべき「楽譜」とは、どんなものを指すのか。
「作曲者の自筆に忠実なもの、もしくは自筆が残っていなければ出来るだけ早期に出版されたもの、という優先順位の元に校訂された<原典版>」
正確な要約ではありませんが、おおよそそういうものが、演奏家にとって忠誠を誓うべき楽譜だったのではなかろうかと思われます。

しかし一方で、クラシック商品の中心を占めるドイツ古典派作曲家の自筆譜は、第2次大戦でドイツが敗戦した影響から、60〜80年代には実質上、再発見、再研究が為されている真っ最中でした。ベートーヴェンの交響曲にしても、この点では当時まだベーレンライターが「より自筆譜に忠実」と称したスコアを出版するまでに至っていませんでした。(しかも、出版を終えたとはいえ、今度は別の出版社が別の角度から研究し直した印刷譜を出したりしていますので、原典版問題は今なおイタチごっこが続いている状況です。)
自筆譜には、一作品でもそのファクシミリをご覧になればお分かり頂ける通り、作曲家のその時々の考えの変化まで書きとめられています。
印刷譜の方は、実用も考えると、そうした作曲家の「頭の中の幾通りものヴァリアント」から、どれか一つを選択せざるを得ません。
となると、完璧な<原典版>なるものを印刷し得るのは殆ど不可能事となります。
したがって、現在より自筆譜(および初版譜)の研究が進んでいなかった60〜80年代の演奏は、現実には<原典版>によるものは存在しない、と極論してもいいくらいではないかと考えられさえします。

では、演奏者は「恣意的に改変した」楽譜に基づいて演奏していた、ということになるのでしょうか?
・・・これはこれで、また非常に難しい問題です。
良いほうに解釈すれば、少なくとも、彼らは「その時点で、優れた先人が採用していた最も信頼すべき楽譜」には忠実であろうと努めたはずなのです。
ベートーヴェンの交響曲で言えば、それは、ワインガルトナー(1863-1942)が著書「ある指揮者の提言」(訳書がありましたが、絶版の上、古書でも出回っていません。持ち主に大事にされている証拠でしょう。私は恩師から拝借して読みました)で数多くの譜例を揚げながら展開している解釈に則る、というものでした。

ここに、問題の根本が存在します。
ワインガルトナーのベートーヴェン解釈は、ベートーヴェンの早期の出版譜、あるいは自筆譜からみれば、大きな改変を伴うものだからです。たとえばいわく、
「(第九の第2楽章のヴァイオリンパートは、あるテーマの箇所で)オクターヴ上げて弾くべきである。何故なら、ベートーヴェンの記譜は彼生前の旧弊な方法に仕方なく依存しているのであって、現在の演奏技術をもってすれば、彼はオクターヴ上げての演奏の方を望むに違いないからである。」
これは私の記憶によるもので、ワインガルトナーの原文には忠実ではありませんが、おおよそこんな調子だったはずです。すなわち、あくまで、ワインガルトナーが、ワインガルトナーの時代から見て過去の作曲者の「本来そうでありたかった願望」を「推測」したに過ぎない。
その「推測」を金科玉条としていたのが、80年代頃までの演奏です。

ワインガルトナーは、ほかにモーツァルト、シューベルト、シューマンの交響曲についても同様な解釈を公表していたとのことですが、私はそれらは目にしたことがありません。
ただ、たとえばシューマンの交響曲第3番「ライン」の第1楽章のヴァイオリンパートが、私の学生時代頃には、先に揚げたベートーヴェン「第九」第2楽章と同様オクターヴ上げて演奏されるのが通例だったことを記憶しています。

あるいは、ワインガルトナーは、最小限だった、とは感じていますが、場合によっては初版譜に指定された楽器を入れ替えることもしていたのではなかったかと思います。
「古典派」管弦楽作品演奏に際しての楽器の入れ替え・音符の割当替えは、19世紀後半から20世紀初頭には平気で行なわれていた、と聞いてはいるものの、真相についてはまとまった研究もなさそうですし、本当にどこまで平気だったのかはハッキリとは分かりません。
ただ、ワインガルトナーより先輩格のマーラーがベートーヴェン「第九」のスコア上でそうした入れ替え・音符の割当換えを行なったものは、渡辺裕『マーラーと世紀末ウイーン』【岩波現代文庫 文芸82】などに写真版が掲載してあって、確認することが出来ます。
面白いのは、このマーラーが手を入れた楽譜での第九の演奏はウイーン市民にははなはだ不評だった、ということが前掲書に書かれていることです。・・・そんなこともありますので、楽器の入れ替え・音符の割当替えは、どんな演奏家がどの程度行なっていたのか、聴衆はどの程度許容していたのか、を、今後誰かが面白い研究発表をするかも知れず、興味が尽きません。

と、だらだら回り道をしたところで、やっと本題にたどり着きます。

Ceccatoシューマンの4つの交響曲について、マーラーがオーケストレーションをやり直した、というものが存在します。楽譜を見ることが出来ませんでしたので、CDはないか、と思って探しましたら、ありました。
アルド・チェッカート指揮ベルゲンフィルハーモニー管弦楽団の演奏で、輸入盤です(非常に良い演奏です)。
マーラーが楽譜にどれだけたくさんの変更を加えたのかは、したがって確認は出来なかったのですが、何度も聴いてみて、次の3つの特徴を感じ取りました。
1)楽器法、ディナミーク付けがマーラーの個性で潤色されているものの(例:第1楽章でホルンにゲシュトップ奏法をさせている)、シューマンのオリジナルな楽器配置には基本的には大手術といえるような変更は加えていない
2)改変は、「主題」と「応答」を、シューマンのオリジナルよりも際立たせたい、と考えた場合に行なっている(主題・応答旋律の補強、または伴奏部のディナミークのランク下げ)
3)さらに、オリジナルでは響きが分厚く色合いが不鮮明になる危惧が感じられる箇所については「多すぎる髪を梳く」手法での改変、すなわち楽器を減らす手段をとっている(例:第1楽章冒頭部のティンパニ、あるいは第3楽章全般)
第2,4,5楽章は、私の鈍い耳では、あまり改変の跡を把握出来ませんでした。
『マーラーと世紀末ウイーン』の記述によれば、ある研究者は、マーラーが「ベートーヴェンの時代よりもオーケストラの弦楽器奏者の人数が増えることによって崩れてしまった弦と管のバランスを回復する目的で」(82頁)弦楽器奏者の削減や管楽器奏者の増強を行なった、述べているとのことであり、この記述を前提にみれば、耳で確認し得た、マーラーによる上の3点の改変は、おそらく当時の肥大したオーケストラを前提に考えたときには、単純にオリジナルに忠実であるよりはむしろ、「音楽に忠実であろうとした」健全な精神の反映だった、と、前向きに評価したい気持ちになります。

さて、マーラーとは逆のアプローチで『ライン』に臨んだ作曲家がいます。
バーンスタインです。
彼はウィーンフィルとシューマンの交響曲全曲の録音を2,3種残していたと思います。私が耳にしたのは、「ライン」については1984年にムジークフェラインザールでセッション録音したものです。
こちらは、シューマンのオリジナルに(少なくとも楽器法と表情記号については)全く手を加えていません。
当然、「髪梳き」を施したマーラー版よりも、分厚く重い響きになっています。
・・・ですが、マーラー版の意図したと思われる、この交響曲の色彩感は、ほかにも「色彩的だなあ」と感じさせてくれたどの演奏にも増して、豊かでもあり、陰影にも富んでいます。
よく聴くと「コロンブスの卵」なのですが、オリジナル楽譜を使っての演奏、だとは言っても、バーンスタインのしていることはマーラーと大同小異です。
音符の上での「髪梳き」や「補強」をするのではなく、演奏上際立たせるべきパートを際立たせ、スコアの同箇所で主パートと同じディナミークを持つ伴奏部は、このときワンランク落としたディナミークで演奏させる。バーンスタインがとっているのは、たったそれだけの、当たり前といえば当たり前すぎる手法です。とはいえ、これは単純な指揮者の発想ではない、やはり「作曲家」としての彼の耳がとらせた解決法だったのだな、と、あらためてバーンスタインを尊敬し直した次第です。
バーンスタインの功績は、
「シューマンは決してオーケストレーションのヘタな作曲家ではなかった」
ことを、初めて証明してみせたことにあります。
逆の角度からみれば、これは同時に、
「シューマンはオーケストレーションがヘタだったから」
色合いのでない演奏になってもやむを得ない、としてきた従来のプレイヤーたちには非常に厳しいお灸が据えられた、ということにもなるでしょう。

今月(2006年12月)にはメルクル指揮NHK交響楽団による「シューマン交響曲全集」もでます。テレビでしか耳に出来ませんでしたが、この組み合わせでの第1番は、これまた今まで耳にしたことが無いほど豊かな響きを持つ演奏でした。バーンスタイン/ウィーンフィルをも上回っているのではないか、と、非常に期待し、予約して到着を楽しみにしているところです。

追伸)この記事の前文に使うはずだったネタは、じつはちゃんと手元にあったことを、今晩になって確認出来ました。でも、結局使いませんでした・・・恥。(なんだったか、は、ナイショ。)

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2006年11月23日 (木)

シューマンを聴く:自国語オペラへの夢、潰えて

Genovevamazur新作オペラが上演される、と大きく話題になるのは最近まれなようですが、web上の外国の新聞や音楽ニュースによれば、メトロポリタンをはじめ、世界各地の劇場で、ときどき注目作というのが発表されています。オペラに情熱を傾ける作曲家は、決していなくなったわけではないのですね。ただ、それらが日本でベストセラーCDやDVDになることは、おそらく、なかなか無いのかな、とは思います。
もうひとつ、東洋系の人の「自国語オペラ」は欧米ほど数が生まれていない・・・そんな気がするのですけれど、
「ソウデモナイヨ」
なのだったら、ごめんなさい。(ご教示下さい。)
ただ、『 HERO(英雄)』などの映画音楽で有名な中国出身の作曲家タン・ドゥン氏に、近年いくつか素晴らしいオペラ作品があるものの、私がCDやDVDという媒体で見聞きすることが出来た彼のオペラ3つ(『鬼戯』【1994】、『マルコ・ポーロ』【1996】、『The Tea』【2002、NHK交響楽団演奏のDVD・・・不思議かつ残念なことに国内盤がありません】)は、舞台こそ東洋であるものの、詞はすべて英語なのですよね。いずれも傑作だと思います。しかし、世界中の人に傑作だと認められるオペラを書くには、詞は東洋系の言葉ではまだまだダメだ、ということなのでしょうか? 分かりません。
とはいえ、たとえば日本でも山田耕筰以来、日本語オペラの試みは絶えず続けられており、とくに先年亡くなった團伊玖麿さんの『夕鶴』は海外でも評判が高いと聞いていますし、当然日本国内でも長く上演し続けられる作品だと信じております。
子供でも分かる日本語オペラとしては林光さんの『森は生きている』という楽しい作品もあり、その舞台を我が家の子供たちも大笑いで見させていただきました。これは、ドイツだとジングシュピールという言葉でくくったら良さそうな作品で、日本にも「ジングシュピール」にあたるような新語が出来ないかなあ、と、マニアックで変人の私は本気で考えたものでしたが・・・思い付きませんでした。
「賞金出しますから応募して!」
なんていうことをのたまうには懐も寂しすぎるしなア(出せる賞金は、せいぜい千円!)。そういうこと言ってくれるスポンサー、見つからないかなー(百万円くらいの賞金出してくれるなら、私も応募したいデス)。

と、余計なことばかり・・・のようですが、実は、完成作としてはシューマン唯一のドイツ語オペラ『ゲノヴェーヴァ』のことを考えていたら、今まで綴ってきたような、さまざまなことが、つい頭の中を駆け巡ったのでありました。

ドイツ語オペラ、といえば、ベートーヴェン以後、シューマンより前にこの世界で大きく当たりをとったのは、申し上げるまでもなくウェーバーでした。『魔弾の射手』はいまでも、たとえば外国語音痴の私がCDで聴いても、中身がさっぱりわかっていないにも関わらず、舞台の情景が目に浮かぶような傑作です。
ウェーバーに好感を持っていたシューマンは、また自作の速度表示や表情の用語を、それまでイタリア語で書かれるのが常識だったところ、自国のドイツ語で書くよう積極的に取り組んだ人でもあり、この点で後輩たちに大きな影響を与えたのでした。(自国語による表記についての提唱者は別の人で、それに対するシューマンの考え方は、シューマン自身の評論集『音楽と音楽家』[吉田秀和訳、岩波文庫、42頁参照]に述べられています。)
シューマンにも、ドイツ語でオペラを書く、という夢がありました。
それも、従来のレシタティーヴォとアリアの連続のような、いわば科白劇の延長としてのオペラではなく、音楽そのものの流れの中に身を委ねて鑑賞出来るようなオペラを、何とか作りたいと意欲を燃やしていたのでした。
暗中模索の上作り上げたのが、『ゲノヴェーヴァ』でした。

古い伝説に題材をとったもので、筋はおおよそ次のようなものです。
・・・レコンキスタ運動に参戦するため出兵することになったジークフリートは、貞節な妻ゲノヴェーヴァの留守中の保護を、信頼する友ゴローに頼んでいきます。ところが、前からゲノヴェーヴァに恋していたゴローは、この機会に彼女を自分のものにしようと、必死に試みます。しかし、いくら試みても、ゲノヴェーヴァはゴローの誘惑に屈しません。ジークフリートは無事生還しますが、あろうことか、ゲノヴェーヴァの乳母が出迎えと偽って出向き、彼を毒殺しようとして失敗します。妙な事態にジークフリートはゲノヴェーヴァの貞節を疑いますが、ゴローが彼女の潔白を明かして遠くへと立ち去り、ジークフリートは疑いを解き、ゲノヴェーヴァはあらためて永遠の貞節を誓います。

素材とした伝説に基づいた台本が良くなかった、ということだそうで、1850年6月25日にシューマン自らが指揮してライプツィヒで上演された、この意欲作は、興行的に失敗し、以後久しく、序曲を除いては演奏もされることが無かった、とのことです。

1976年、クルト・マズアは手兵ライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団とともに全曲初録音に挑みました。ゲノヴェーヴァをエッダ・モーザー、ゴローをシュライアー、ジークフリートをフィッシャー=ディースカウという錚々たる歌手陣が歌っているおかげもあり、これはオペラ『ゲノヴェーヴァ』の真価をくっきりと浮かび上がらせる名録音となっていますが、CD化されたのは16年後の1992年、とリーフレットの説明にありました。

実際にCD聴いて見ると、シューマン生前の上演失敗が「台本が良くないせいで」という説がウソだったのではないか、と思えて仕方がありません。
まず、管弦楽が非常に色彩的です。
シューマンの交響曲は、過去の名指揮者たちまでが「オーケストレーションが悪い」と酷評してきましたが、最近ではこちらも作品本来の色彩の豊かさを浮かび上がらせることに力を注いだ演奏・録音が増えてきています。
ところが、『ゲノヴェーヴァ』については、シューマンは文句無く、平明で効果的なオーケストレーション手法で実力を発揮しており、劇の場面転換が聴覚だけではっきりと、しかも興奮を伴って認識することを可能にしています。
次に特筆すべきなのは、各幕ごとに音楽が途切れることなく流れ続ける点でしょう。語るようなレシタティーヴォも、くっきりここからだ、と分かる見せ場的なアリアも無く、音楽はストーリーの波の高低によって融通無碍に変化しつつ、休むことを知りません。非常に明瞭にワーグナー(ローエングリンやトリスタン)の先駆であることを示しているこの音楽的特徴が、しかし初演当時は逆に聴衆を戸惑わせる斬新さとなってしまい、興行を失敗に終わらせる原因となったのではないかとさえ思われてきます。
合唱曲の名作者でもあったシューマンは、劇中での効果的な合唱の用い方もよく心得ていて、合唱の響く場面が大きな聴きどころともなっています。
最近では、演奏会形式ながら上演される機会も増えてきたのだそうで、機会があったら、ないしはCDをお見つけになったら、是非ご一聴をお勧めしたいと思います。

・・・名作です。スコア、見てみたいです。

余談ですが、私がまだ学生だったか、会社員になって数年経ってだったかは忘れましたけれど、マズア/ゲヴァントハウスの来日公演に出かけたとき、コンサートマスターは名ヴァイオリニスト、カール・ズスケでした。曲はチャイコフスキーの『ロメオとジュリエット』でしたが、ズスケのコンマスぶりに、本当に驚かされたことといったらありませんでした。
最近では某マイナーオーケストラ(ウチらだ!)の超ヘタコンマスが、屠殺前のブタほどパンパンに太った体を指揮者も食わんばかりによじらせるので悪名高くなっておりますけれど(誰だ?)、一説には、あれは彼がズスケを気取って身の程をわきまえなくなったからだ、とのことです。それくらい、というか、そのブタ以上に、ズスケは曲が高まれば身を上下左右に大きく振り、静まっていくと大袈裟に身を縮め、
「あれ、チャイコフスキーが作ったんだから、『ロメオとジュリエット』もバレエ音楽だったんだっけかな???」
と、私は以後しばらく悩み続けることになったのでありました。。。
ハイ、まったくの蛇足です。

マズア盤
アーノンクール盤

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2006年11月12日 (日)

シューマンを聴く:「僕はいまクララをきき終わったばかりなのに」

「のだめ」奮闘記録(もぎぎさんによる)を是非ご覧下さい!
  ドラマ「のだめ」が百倍楽しめます!
・NHK発売の来日オケDVD8タイトルをレヴューしました(1回目2回目)。
  ご参考になれば。



Claraシューマンの伝記・関連書籍が店頭で見当たらない・・・昼休みにやっと1冊見つけたそれは、買いに向かった夜、先に誰かの手に渡ってしまっていました。記念年をおおいに祝われたモーツァルト、誕生日が近づくにつれ盛り返してヒートアップしたショスタコーヴィチとは何という違いでしょう!
没後150年、という記念年ですから、「しんみり」の方が似合ったのかな? 4年後は生誕200年だから、そちらで盛り上がってくれるのかな?

そんな中、シューマン自身の名評論集「音楽と音楽家」(吉田秀和訳 岩波文庫 青502-1 第1刷は1958年)だけは第32刷として今年ふたたび現れ、大変嬉しくて飛び上がってしまいました。古いのもあるのに、気がついたら家で新品を手にしていました。
今回の標題は、この書の中でシューマン(ロベルト)が1833年、クララ(7年後に彼の妻となる)について記述した節の冒頭の句です(32頁)。以降、何を述べているかは、どうぞ、文庫本をお手に取ってご覧下さい、と申し上げておいた方が、「お楽しみ」でしょう?

クララは少女時代から有名な天才ピアニストで、リストやショパンからも尊敬を受けたそうです。とくにリストはクララのコンサートにゲスト出演しましたし、クララの方もリストのコンサートにゲスト出演する、というほど、双方の才能を認め合っていたようです。

夫シューマンの悲しい晩年から死の時期にかけ、献身的に自分を支えてくれたブラームスと、しかしこちらも辛い恋愛をしたことは、ブラームス関係の伝記に必ず出てくる話題です。それでも、というより、そうだったからこそ、二人の関係は、恋愛を乗り越え、お互いへの親愛と敬愛で、より深く結びつけられたのでしょう。・・・ただし、ブラームスは後年、クララの娘ユーリエ・シューマンのほうに恋心を抱き、それに気付かずユーリエをイタリア貴族と結婚させてしまったクララに怒り心頭だったことがあるようです(三宅幸夫:カラー版作曲家の生涯『ブラームス』新潮文庫 108頁参照)。この事件はブラームスが「アルト・ラプソディ」を作曲する動機の一つにもなったそうです。

ここまで出てきた男性陣は、ピアノ音楽の作曲家としてみたとき、全て、こんにちまで愛される名作の書き手ですね。華麗なリスト、繊細なショパン、重厚なブラームス、そして夢幻的なロベルト・シューマン・・・クララの夫であったその人も。

作品番号23まではピアノ作品しか顔を出さない、といった具合だったほど、ロベルトにとってピアノ曲は創作の本拠であり、回帰点でした。そして、その描く世界は、ピアノがからきし、の私も「せめて<トロイメライ>は弾けるようになりたい」と思って『子供の情景』の楽譜を手にしてしまったほどに誰にでも親しみやすい反面、近付きにくい暗がりをたたえてもいます。(ついでながら、おかげさまで、「トロイメライ」を含む3曲ほどは、当時は弾けるようになりました・・・でも今では手の方ですっかり忘れてしまっています。残念。)

けれども、男性陣のピアノ曲には、やはりどこか「頭脳だけ」で作られた感じがしてならないときがあります。先の「音楽と音楽家」の中に、ロベルト自身の次のような言葉があります。

「作曲をするようになったら、まず頭の中ですっかり作ってしまうこと。そうして、その曲がすっかりできるまで、楽器で弾かないように。」

クララ自身が素晴らしいピアノ作品を残していることは、長い間忘れられていました。
女性作曲家たちが注目を浴びだしたのは1980年代からでしたでしょうか?(お読み下さっている方でご存知のかたがいたしたら、是非ご教示下さい。)
その一環で、クララの作品も、盛んに、とまではいきませんが、ようやく日の目を見るようになりました。
それらを聴くと、
ロマン派、というのは本当は彼女から生まれたんじゃなかろうか
という思いが、大変強くなります。
有名男性陣の有名大規模作品群に比べれば、つつましやかなものばかりです。
ですが、男どもの作品には時々感じる「気負い、こだわり」とは、彼女の作品は一切無縁です。

最終作に付された作品番号が、たしか22あたりだったと思いますが(付記;23まで、とご教示頂きました)、それから察せられる通り、決して作品の数は多くありません(付記:これも私の誤解があります。あとにもご紹介する"A Plaza of Clara Schumann"でご確認頂ければ幸いです)。ですが、どの曲に耳を傾けても、こう感じずにはいられません。

「ああ、クララという人の心の中には、いつもきれいな空気に包まれた深い森があるんだなあ」


ピアノのみの全作品を集めたCDもありましたが、私はヴァイオリンとピアノの二重奏を収録した1枚もののCDを愛聴しています。

"Clara Schuman 10 romances pour piano" CALLIOPE CAL 4211
長調の曲のはずなのに「短調(mineur)」となっているものが2つもあったり、と、標題に関しては怪しいところのあるディスクですけれど、ピアノを弾いているエレーヌ・ボッシは、コルトーとイヴォンヌ・ルフェーブルの衣鉢を継いだ人。ヴァイオリンを弾いているアニー・ジョドゥリィも柔らかい音色の持ち主です。
(残念ですがHMVサイトでもタワーレコードサイトでも見つけられません->ご指摘頂き、廃盤に鳴っていると知りました。スミマセン 。)

お詳しいクララ・シューマンネット、"A Plaza of Clara Schumann"で、作品情報、CD情報、他、是非どなたもお触れになってみて下さい。上記ご指導、ご指摘とこのリンクをお許し下さったサイト管理者のK.I様に心から感謝申し上げます。)



Book

音楽と音楽家


著者:シューマン

販売元:岩波書店

Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006年10月24日 (火)

シューマンを聴く:「女の愛と生涯」

ゴールドベルク夫人山根美代子さん逝去(各リンク先にぜひお目通し下さい)
グレン・グールド映画上映 in New York(もうDVDで出ているものですが・・・記事を「誤訳」しました。)



Lucia

演歌張りの邦訳タイトルがついた、シューマン作品42のこの歌曲集、美空ひばりが歌ったらどんなだったんだろう、と、ふと思いました。
演歌ファンにもクラシックファンにも爪弾きされるかしら。

テレビによく出るあいだは
「こんなにヤキが回って!」
と嫌味ばかりを感じさせられる気がした美空ひばり。
「ヤキが回った」
はとんでもない誤解であることを、彼女の死のだいぶあとに放映された広島ライヴを見て、聞いて、強烈に印象付けられたものでした。

歌を仕事にする人が、大病の後で健康なときの艶やかな声を取り戻すのは、どれだけ困難なことか。これも病気を乗り越えて頑張った村田英雄を思い起こすと理解できるはずなのですが、彼の晩年の声を、 私にはしかとは思い出せません。

美空ひばりは、単に病気を乗り越えただけではありませんでした。広島で歌った彼女の声は、病前よりずっと色彩豊かで、繊細で、かつ大きな振幅にも耐えるゆとりがありました。

技術を維持し、さらに高めるには、おそらく機械的な練習だけではダメなのでしょう。では、どんな要因が決め手となるのか・・・ちょっと私ごときの手に負える問題ではありません。

極端な例として、『愛の喜び』で名高いクライスラーは、普段ちっともヴァイオリンを練習しないのでも有名でした。それでも録音で確認できる限り、晩年まで腕の衰えを見せていません。

「女の愛と生涯」の作曲者シューマンは、クライスラーとは正反対でした。激しい激しいピアノ練習を重ね、激しくやりすぎて薬指を損ない、ピアニストの道を断念したのですから。
その死も自殺未遂の果ての精神の荒廃だったという、悲しい人生を送った人ですが、シューマンの描く謎めいた薄暗がりの音楽は、いまも数多くの名手の心を捉えて離しません。

ドイツリートを勉強する女学生にとって、シューマンの歌曲も必須だとみえ、かつは歌うに大変難しくもあるからでしょう、ウチにも家内が学生時代レッスンに使った「女の愛と生涯」の楽譜が、顔じゅう入墨をされたまま書棚にずっと直立不動でいます。

Schwalzcopf_2今年亡くなったシュワルツコップが1974年にこの歌曲集を録音しています。解説によると、満を持して臨んだ録音だったそうです。引退まであと5年、おん年58歳。
自身の録音を耳にするたび
「こんな出来でホントにゴメンナサイ」
見えないファンに向かってそう謝っていた、と、インタヴューで語ったことがあるほど自分に厳しかった人です、「女の愛と生涯」を歌うにあたっても、たいへんな工夫をしています。
1曲1曲の最高音は、彼女の声域では当時の年齢でも悠々出せるはずでした。ですが、殆どの曲でシュワルツコップは低く移調して歌っているのです。それにより、シューマン独特の深い低音が、いっそう掘り下げられて響きます。

シューマン:女の愛と生涯

この歌曲集、他にもクリスタ・ルードヴィヒ、ブリギッテ・ファスベンダーやフォン・オッター、滅多に人を誉めなかったシュワルツコップに絶賛された白井光子など、錚々たる顔ぶれの録音が出揃っています。
けれど、熟成の頂点に達したところで惜しくも世を去った、愛らしい歌手ルチア・ポップが詩への共感をベースに示してくれた、デリケートな歌いぶりほど、私の耳に残っている声は他にありません。

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2006年10月12日 (木)

シューマンを聴こう:まずは交響曲

Sinopolischmann

没後150年のシューマンですが、日本ではあまり騒がれませんね。ドイツのサイトでは稀に名前が出ていますが、あとはパリ管のサイトで見かけたくらいで、知る限りではアメリカでも出てきません。モーツァルトとショスタコーヴィチに完全に食われている感じです。他の各国ではどうなのでしょうか?
ただ、シューマンは4年後には生誕200年を迎えます。46歳の若さで亡くなっているからです。ですので、2010年には大々的に注目を浴びる・・・かも知れません。そうあって欲しいな、と思う今日この頃です。

彼はクララとの大恋愛や、ブラームスを見いだしたことで有名です。優れた評論家で、カントなどの哲学に造詣の深い人でもありました。そのくせ、作品は決して理屈っぽくなく、特にピアノ曲では夢幻的な世界を築き上げています。
思弁的な理性の持ち主でありながら、無邪気な憧れに生涯身を焦がしたせいでしょうか、早くに精神を病み、ライン川に投身自殺を図り、2年後に精神病院で逝去するという悲劇的な結末を招くこととなりました。その創作世界にも精神錯乱の影が取りざたされています。
ですが、錯乱の一例として挙げられる「森の情景」の、独特な暗い豊かさ(「予言の鳥」など)にも、他の作曲家にはない強烈な魅力がありますし、これも含めピアノ曲の楽譜は単なる音符の線に留まらない、どこか文学書的、あるいは絵画的な香りが漂う不思議な顔をしてさえいます。

交響曲のスコアも例外ではありません。読んでいると、たくさんの色が浮かんでくるのです。
ところが、実際の演奏を聴いたり、あるいは自分が一員となって鳴らしてみたりしても、イメージ通りの色が、なかなか浮かんでこない。かなり優秀な音楽家たちでもそうなんでしょうね、シューマンの交響曲は、くすんだ色しか持たない、とまで悪口を言われています。
「オーケストレーションがつたないせいだ」
・・・そんなわけで、マーラーがオーケストレーションをやり直したりしていて、マーラー版によるCD も最近出ています。

本当に、シューマンのオーケストレーションは拙いでしょうか?

シュターツカペレ・ドレスデンの演奏でシューマンの交響曲全集2種類を聴きました。録音場所はいずれも同じ、ドレスデンの聖ルカ教会です。

ひとつはヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮で1972年に録音されたもの(リンクでみつけられませんでしたが、同じEMIなので。日本盤はTOCE-13565-56)。サヴァリッシュ氏らしい硬質で鋭角なディレクターぶりです。
もうひとつはジュセッペ・シノーポリ指揮で1992年から93年にかけて録音されたもの。早い晩年にR.シュトラウスのオペラで鮮やかな監督ぶりを発揮したシノーポリらしく、テンポは決して遅くないにも関わらず、恰幅のいい響きを導きだしています。(リンク先で試聴できます。)
20年を隔てた、表面はスタイルも違う演奏ですが、2種ともこれまで私が聴いたことのあるどんなシューマンよりも管楽器がよく鳴っており、結果としてスコアから感じられる色彩が比較的イメージ通りに見て取れるものとなっています。

シューマンの交響曲は、決してセピア色ではない。

光の3原色なら重なれば明るくなりますけれど、絵の具で3色混ぜたらくすみますね。
シューマンの音世界は、それが演奏者の手の中で光になるか絵の具になるか、それ次第で浮かび上がってくる色彩が両極端に変わるというのが真実なのではなかろうか、と、最近ではそんな気がするのです。

先日たまたま耳にした、準.メルクル指揮NHK交響楽団の「第1番<春>」・・・第2楽章の途中から偶然耳に入ったのですが、これがあまりにベルリオーズと似た音色なのに仰天しました。ドイツのオーケストラに比べて優しく柔らかく聴き手をつつむ演奏でしたし、あとで別途スタジオ録音したとのことなので、CDが出るのを期待しています。その他にクリュイタンスがベルリンフィルとパリ音楽院管弦楽団を指揮したシューマン2曲もCDが出ていますので、そちらも聴きたいな、と思っています。
外国人ならではの、ドイツとは違って硬派ではない響きの方が、あるいはシューマン本来の色が浮かび上がるのではなかろうか、という期待があるものですから。

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