CD紹介本はもういらない
ギタリストの増井一友さんが、4月11日に世良美術館(阪急御影駅そば)で新作を含む演奏会をなさいます。詳しくは昨日記事にて。
2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日、終了:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん、各々30名様限定です)詳しくは記事中のリンク先をご覧下さい。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。
なお、大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。Amazonではまだ入手できないようです。
新旧料ブログに同時に掲載します。
少々過激になる分にはお許し下さい。
本人はあまりそういうつもりはないのですが、お読み頂くと、そうした印象は免れない部分もあるかと存じますので、予めお詫び申し上げておきます。
CD紹介本はもういらない・・・と、何度か「個人的な考え」はつづってみたつもりでしたが、論旨が明確ではなかったかも知れません。
なので、今回ははっきり、
「文筆家さん、出版社さん、もうやめませんか?」
と申し上げておきたいと思います。
・・・と、こんなささやかな場所で申し上げても「無駄」だのは承知のつもりでおります。
・・・まあ、文筆家さん、出版社さん、お好きにどうぞ、なる無難な文言でも充分なのかも知れません。
ブログなんちゅう(とんでもない)ものを綴りだして、私自身の中に、大きな変遷が3度あったかと感じております。
最初は、私自身の「うつ」からのリハビリ、のつもりで、心のことやらなにやら、入り混じりで始めました。
その延長で、一番好きな「クラシック」ジャンルに分類される音楽の話が多くなりました。
この時点で、「そういえば」と、単純に心に浮かんだ疑問を調べてみるようになり、今にいたって、音楽史(ヨーロッパに限らず)とモーツァルト鑑賞は続けております。
そのうち、自分の所属するアマチュアオーケストラの練習記録なり、そこで演奏する作品の資料を探るなり、というほうにもウェイトがかかるようになって参りました。
この第2段階までは、私も「クラシック」ファンのご多分に漏れず、CDやDVDだの、クラシック音楽界でメジャーとされる人や団体のニュースを追いかけてみる、ということに終始をしておりました。
「いや、これでいいのかなあ」
という思いは、第2段階にさしかかったばかりの3年半前に家内に死なれたあたりから薄々感じ始めていたことですが、そのまま続いてきたのではないかと思います。
で、以降、さまざまなお知り合いを通じたり、この拙いブログを覗いて下さってあれこれ御教示下さったりするかたもいらっしゃるようになり、
「これではいかんのかもなあ」
という思いは日増しに強まる一方でした。
そこで、自分がじかに拝聴した音楽家さんなどをご紹介することも、ぼちぼち始めだして、これが第3段階となりました。
まだ、半端です。
やってきて・・・記事にする時には、無能力ながら、無能力者にできる範囲での資料を読んだり聴いたりし、運のいい時には詳しいかたのお話を伺うことなどもできるようになってきたのですが、そうなってみて自分の仲間(だと自分で勝手に信じてきた人たち)や、そうでなくても「クラシック好き」を自任する人たちが何を資料に音楽を評価しているのかを眺めだしてみると、これがなんと、たいていの場合
「CD名盤紹介」
の類なのです。
「いや、楽譜・スコアも<も>読んでいるもん」
と言いつつ、やはりCD名盤紹介で知った情報がまず頼りで、そのなかで「優れている」と推薦されているものを軸にイメージして音楽の心象をその人の中にフィックスしている例を多く見受けます。
・・・ちとちがうんじゃないかい?・・・と、思い始めております。
聴いて雰囲気楽しむ、それで十分、という人は別段構いませんし、そういうかたには何も申し上げるつもりはありませんが、愛好家であっても、自分でも演奏もすることまでなさるのだったら、CD紹介本を読むのが曲を知る方法である、などというのは・・・ちと、これは自分自身に対しても言葉がキツすぎるのですが・・・言語道断だと思うのです。
キツすぎる、というのは、経済的制約を考慮した場合の話です。それにより、出来ることは限られるでしょうから。
それを措いた場合、(クラシック音楽に限らず)前提として、音楽を「ただ楽しむ」以前に、その音楽作品を理解するための様々なアプローチが必要なはずです。
とくに、自らが演奏する場合には(職業としてならば当然であるにしても、そうでなくても、本当に音楽作品が「訴えたい」ものを掴むのが本来の姿勢であるとすれば)、以下3点の、可能なかぎりの「事実」を突き止めなければならないはずです。
・音楽作品が「どのような目的を持って」つくられているか
・それは、音楽作品のどのような「構造」から判明するか(「ニュアンス」・「ムード」からではありません)
・その「構造」が成立するには、どのような人間の営みが関係しているか
世の中のCD紹介本は、おしなべて、そうしたことに対する客観的な記述に欠け、ただ、著者がそのCDに収録された演奏が、決して客観的とは思えない著者の価値判断によって「良いか」・「悪いか」を決めつけてあるだけです。
では、様々な録音を並列に掲載し、あれはこういうところがいい、これはこういうところがいい、それはそこがだめだ、と述べているものがいいのか、と言うと、これも違うと考えます。
音楽への入口が「逆」だからです。
以前は、音楽の入門書というと、仮に楽譜が読めなくても、この楽器はこういう響きだから・・・なんでもいいから試しにそれを聴いてごらん、ということで、録音の推薦まではしていないものが圧倒的に多かったのです。かつ、そうしたものは、単に「試してみればいい」と読者を投げ出すのではなくて、聴いてみるにあたっての注意点・・・まず速度の選択が適当であるかどうか、ピアノ音楽であれば旋律が有機的に結びついているかどうか、アンサンブルであれば「響き」がそのアンサンブルに溶け合うようにふさわしく奏でられているか、に注意を払うことを求めていました。・・・そして、その先の「鑑賞眼」は読者が聴く経験・奏でる経験を自ら養って行くことを狙いとしていたのだ、と、私は理解しています。
いまや、市場には手軽に入手出来る録音があふれ、私達はまずそこからどれを選択するかに気をとられる方が先になってしまいました。
そこにCD紹介本がどんどん生まれる温床がありましたし、クラシックとか伝統邦楽のように市場が限られたジャンルにとっては渡りに舟だった面が広く大きくあったことは否めません。
せめて、この小さなブログで、
「そうではなく、原点にかえった勉強をしてみたい」
という思いが、いま、沸々と胸の内に湧いて来ています。
今日ただいま以降、従来継続していたことは継続し、ですが、どうせ「演奏仲間」と信じた人たちのうちの少数からしか顧みられないことも何年も経験しましたから、これからは自分の勉強をする「カテゴリ」も加えて行こうと存じます。
「音楽を読む」
というものにしてみます。
題材はどうしても好きな「クラシック」が多くなるでしょうが、「クラシック」にこだわらずに参りたいと存じます。
このカテゴリにつきましては、1作品に何回もかけるということも致します。いうことも致します。
したがって、途中で、
「おい、おまえ、この見方では偏っているんじゃないか? 漏れがあるんじゃないか?」
ということを、曲の読みに携わっている途中でご指摘頂けるようでしたら、大変有り難く存じます。
手始めの材料をいくつか思案中ですが、入口は直接には「音楽作品」ではないものを簡単に採り上げる所存です。
今後ともアドヴァイス頂けましたら幸甚に存じます。

日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。
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