2013年5月31日 (金)

とうちゃんは、だんだん追いつかなくなって来ている。

とうちゃんは、だんだん追いつかなくなって来ている。

娘が大3になって、遅い日もあるのにはさすがに慣れた。

息子、である。
高3になってから、どう動くのか、まだ分からない。

今日も夕方、晩ご飯をどうするか、で、いつものつもりで娘と息子にメールを送った。
返事が来ないのは毎度のことで、これも慣れた。

娘の方からは、今夜行きたい店がどこか返事が来た。

息子のほうは、どうせまた学校が終わってウチで眠りこけているんだろう。

そう思って帰宅してみたら、真っ暗である。
ケータイに電話してもつながらない。

・・・迷った末、みっともないのだが、学校に電話してみた。
先生たちがすぐ調べてくれた。
息子は、卒業課題の関係で、まだ学校で作業かなにかをしていた。

晩ご飯へは、息子の帰宅を待って出発する。

自分の高校・大学の頃を思い出せば、娘や息子よりも遅く帰ったりしていた。
でも、僕はまだ恵まれていた。両親だけでない、祖父母もいた。少々遅くなって、そのうちの誰かが気に病んでも、あとひとりから三人まで、
「なぁに、心配ないよ」
とのたまう大人がウチにいた。

親としても、僕は自分の両親よりも祖父母よりも、ずっと「苦労」していると思う。・・・たしかに、苦しい、つらい、と思うことは少なくない。が、「苦労」という二文字は、こうやって考えてみるまで、思えば浮かんだことがなかった。
だからどうだ、というわけでもないが。
子供たちは子供たちで、僕が同じ年頃には想像もつかなかった貧相な生活をしている。が、やつらには比較するものがないから、これまた、だからどうだ、という訳でもない。

明日は息子と、埼玉東部の大学のオープンキャンパスに行く。
明後日は息子の学校の卒業生の親たちの会に挨拶に行かなければならない。

夏はPTAのお役目で山口へ。萩や秋吉台には観光に行けないから、せめて中原中也記念館でも見て来たいのだけれど。

もう、初夏の夕暮れの今日この頃である。
中也には初夏の夕暮れの詩なんかあったかしら?

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春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁! 案山子はないか――あるまい
馬嘶くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自らの 静脈管の中へです

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2013年3月19日 (火)

苦しくても子はなぜかわいいか

自分がかつてそうだったのは、別の話。
子供らも高校生以上になって来ると、トサカが生えて来て、親と衝突はあたりまえになる。 娘がまだ生まれたばかりのときから、そういう時期が来るのが恐ろしかった。 家内と一緒なら乗り切れるだろう、と、あくまで家内のいてくれることが頼りだった。
現実は、ひとりでぽつんと置いて行かれた。 無意識に、誰かの助けを求め続けてきたけれど、とうとう助けはなかった。それでガムシャラに拍車がかかった。
息子ともとっくみあいを少なくとも3回はやって、力がついてきた息子のパンチを受けて顔を腫らしたこともある。 娘は女の子だからと遠慮があったのがいけなくて、遠慮のつもりがかえって息子のほうばかり贔屓しているように映っていたらしくて、おとといとうとうぶつかって、思いがけずふっとばして手首に打ち身を負わせてしまって、愕然となってしまった。それで娘に謝り、娘の方も謝ってきてくれて、それで少し、つかえが降りた感じがする。

とくに息子の学校に行くと、他のお家のかたも、先生も、高校生くらいの子は 「口もきいてくれない」 と仰る。 そこまでになってしまうものなのか・・・と振り返ると、17、8の僕はたしかに親父とは口もきかなかった。そのかわり、多分そのころいちばん精神的につらかったのだろう、外のお店で酔いつぶれているのを、迎えに行っておぶってタクシーに乗ったことが何度かある。

・・・飯のこともかりかり心配しっ放しだし、娘のレッスンの送り迎えからは解放されていないし、そんなこんなで今、ウチの子たちは、いくつかは持っていてくれる隠し事があるにしても、そうでないことは、僕が何かやっていようがおかまい無しに
「ああでもない、こうでもない、そうだろうか」
とうるさいくらいに話しかけて来る。
よく知る人に子供のことで愚痴ると、
「過保護だからだよ」
と言われてしまうこともあるのだけれど、じゃあ他のやり方をしてこれたのだろうか、と改めて考えると、僕には他にはどうすることも出来なかったとしか言えない。
苦しいと思っても、僕に幸せをくれたのは子供たちが生まれてきてくれたことだったし、僕が崩れ落ちなかったのも、子供たちがいたからだった。

そうは言っても、子供たちには離陸のタイミングを見つけてやらなければならない、とは、ずっと思っていながら、自分にはまたどうやればこちらから準備の踏切が出来るのか、これまたずっと頭を抱えていることではある。
いい間合いで、いいチャンスがあって、そこから緩やかにものごとが進みますように!
そう祈る気持ち。

今日は午後から息子の高校で4月に入学して来る子たちと親御さんへの説明会があり、そこでPTAの説明と、一部、役員さんをやってくれそうな人にはお願いしてしまう、というお仕事があるので、こっちも今きりきり舞いしている職場の仕事を午前中でぶん投げて、高校へ向った。
急にかなり暖かくなったので、駅から学校まで歩40分の道のりで大汗をかいた。 家の周りはほころび始めたので桜を期待したのだけれど、学校では咲いている様子が全く無かった。
PTA役員も、父親はこんなことでもやらなければ、井戸端会議にも混じれないから、子供たちの過ごす環境を知っておくために、と、娘の高校入学のときから始めたのだったけれど、娘の大学はともかく、娘の高校も、息子の高校も、やってよかったなぁ、とつくづく感じている。ただし、ほとんどなんの役にも立っていないので、周りのかたには心苦しい限りである。

明日はつかの間のフル休養日。 でもまた要望で買い物とかクレープ食いに行くとか、娘の年金関係の手続きを調べるとか、やっぱり盛り沢山で・・・盛り沢山のうちが花なんだ、とでも思っていないとやってられない。 (><)

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2013年1月13日 (日)

娘、成人式。

いよいよ当日となりました。
この場にて、支えて下さった皆様に、深く御礼申し上げます。

小さい頃からお世話になっている美容院さんに、朝8時到着。9時50分にはきれいに着付けも終わり、10時半に親友と待ち合わせて会場の中学校へ出掛けて行きました。

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今日まで、七転八倒の日々でした。まだ続くのですけれど、とりあえず、一息ついた気がします。娘の親友のお母様に、
「奥さんお喜びですね。あとは二人分楽しまなくちゃ叱られますよ」
と仰って頂きました。

音楽系の高校に入りたい、と悶えられての先生探しに始まり、トロンボーンで入学するも2年のとき
「やっぱり歌がやりたい」
と泣かれてまたまた先生探し。
3年になりたての頃は学校がイヤになりかけた危機があって、決心して娘も学校を無理に休ませ、自分も仕事を休んで、鎌倉二人旅(日帰りだったけれど)。
途中、息子のほうの中学の部活でのいじめられ事件やら高価オルゴール買っちゃった事件もはさんで、大学は大学で音楽だと目の玉が飛び出るような学費で、私にとっては逃げたくなることばかりでした。

いかんせん、この子の親は私一人でありました。

「ほんとうに大変になるのは、これからですけれどね・・・」
とは、やはり先のお母さんと、ささやきあったことではありました。
全部を自分の責任で背負って行く人生が始まります。

それを思いやると、きりがありません。
私は、ここまで何とかたどり着かせてやれたことで良しとしたいと思います。

成人式の式典の後、娘がどうするのかは分かりません。
着物が窮屈で脱ぎたいときだけ、一度連絡が来ることになっています。
あとは、近所の広い居酒屋さんで、中学時代のお友達がたくさん集まる中で、遅くまでどんちゃん騒ぎをするようです。

どなたも、ほんとうに、ありがとうございました。

「成人の日」そのものは明日ですから、明日式典をなさるかたもいらっしゃると思います。
成人を迎えられた皆様にも、併せて御祝申し上げます。「おとな」と認められた皆様が、月並みながら「花も嵐もふみこえて」素晴らしいご奮闘できれいに輝いて行かれることを、心からお祈りしております。

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2012年12月16日 (日)

娘の成人

いま、住まいの集合住宅が大規模修繕で、我が家は配管工事で足の踏み場も無く、工事中は水回りがまったく使えない。
でも夜は使えるように仮復旧してもらえる。日曜は工事が休みである。それで、今朝だけは洗濯物を干せる。
くたびれていて遅く起きたのだけれど、夕べのうちに洗濯機を回しておいたし、快晴なのに気づいて、慌てて干した。

それから、初選挙の娘と、見学する息子を連れて投票へ。
出向いた投票所に行列が出来ていたのは、初めて見た。・・・でも夜になって投票率のニュースを調べたら、事前の報道の予想通りで、低かったらしい。

帰ってすぐ息子も着替えさせ、自分もスーツを着て、少し早めに昼食をとりに。
それから、娘を美容院に連れて行った。
成人式の着物を着て、写真を撮るのである。

2時間はかかりますから、と言われて、息子と僕は、ひとまず近所のホームセンターへ。
工事をきっかけに、工事場所以外も、しばらく手が付けられずにいたところを暮れから徐々に片付けたいと思っているので、壊れて散らかりの元になったプラスチックの収納に代わる木製や金属製の収納を下見しておきたかったから、ちょうど良かった。
・・・が、45分も見れば充分である。どうしようか、ということになって、そこからまた少し行ったところにあるマクドナルドに入って飲み物で時間をつぶした。

ほんとうに2時間後にようやく娘から「あとは化粧だけ」とメールが来て、迎えに行った。着いたらすっかり着物姿になっていて、鏡に向ってお化粧してもらっているところだった。

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美容院さんは、娘が母親に連れられて小さい時からお世話になってきたところで、
「ねぇ、お母さんにそっくりになってきて・・・見せたかったねぇ」
と仰って下さった。
ちょっと、うるうるしてしまったかもしれない。

写真屋さんは、これまた娘が3歳の時に七五三の写真を撮って頂いたところである。
でも、間があいているから、こちらは覚えているはずが無い。
間口の狭いお店ではあるので、中に入って
「車の置き場所ありますか?」
と聞いたら、脇に入れられると答えてくれて、それから
「運転してた女の人はお母さんかな? なかに入ってもらって!」
と言われたので、
「運転してきたのは僕ですが」
と答えて・・・あれまぁ、今日は家内も一緒に来ているのかな、と、ふと思ったりした。

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1時間かけて丁寧に撮って頂いて、選ぶために仮焼きした写真はあとで全部下さった。

娘は、慣れないので、写真撮影だけで着物は脱ぐことになって、また美容院さんへとんぼ返り。

なんだか、着物を来ていたあいだはこちらは目の錯覚を起こしていたんじゃないか、と思ってしまうくらい、あっけないみものではあった。

今日は本当のお祝いではないので、夕飯は普通にファミレスへ。
それでもいちおう、娘はフォアグラののっかったステーキ、息子もステーキ丼、と、わりとごちそうを食ったのである。

親としてしてあげなければならないことが、またひとつ終わって、カレンダーに標をつけられるなぁ、と、ひととき胸を撫で下ろした。

ちょっとドライヴして帰宅。

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2012年11月28日 (水)

親をやってて

夕方、娘といっしょの電車になって、そのまま晩御飯を食べさせに行った。
娘は、山盛りのウニ。僕が頼んだ方には、牡蠣が3つしか入っていなかった。(涙)

娘には、あとはケーキを食わせて別れ、1時間ほど本屋で潰して、9時半から、息子の塾で面談だった。出来具合は、想像通りマダマダだが、数学全然ダメダメだったところでお願いしはじめて3ヶ月、期待は超える成果ではあって、有り難くもあり、安堵もした。

親に出来るのは、種を蒔いてやるところまでだ。それも、家内が元気だったら、僕はどれだけやっただろう?

今日、まだ若い演奏家であるMさんのお父様が亡くなった由を、そのかたの日記で知った。
MさんがSNSの日記にお父様のご病気について記されてから、時々拝読して、Mさんの向こうに、いつもお父様を透かして拝見する思いだった。
僭越は言えないものの、Mさんのために、この種も蒔いておこう、あの種も蒔いておこう、そうしたら、自分がいなくなっても、Mさんは立派に世間に羽ばたくだろう、と考えていらっしゃるに違いない、と、想像し続けてきた。それは、僕にとって、同じようには出来ないと感じるだけに、大きな指針でもあった。

Mさんは立派に成果を上げ、お父様は見届けて逝去なさった。親としては・・・いつになっても「これをあともうちょっと」はあるのだが、どこかで親自身の見切りをつけなければならないから・・・本懐をお遂げになった、と申し上げられるだろう。素晴らしいことだ。

心から、ご冥福を祈りたい。

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2012年9月26日 (水)

息子がいないと

息子がいないと、息子の部屋以外が、汗臭くない。
息子がいないと、なんとなく散らからない。
息子がいないと、余計な話をしてこられないからほっとする。

ほっとしすぎたのと、昨日は飲み会でしたたか飲んだのと、で、息子がやっていった洗濯物が洗濯機の中に放置されているのに、さっきまで気がつかなかった。

息子が洗濯物を干すと、しわしわでくちゃくちゃになる。
箪笥の引き出しが溢れ出る。
まだおいらが干した方が、しわしわにはならない・・・と思う。

が、最近はすっかり息子がやってくれていたので、干し方も忘れていた。

(><)

夕方、娘に
「晩飯どうする〜?」
ってメールしたが、あんまり腹が減ってない、ときた。
朝は、ん〜、作るかもしれない、って言ってたんだけどな。
作る気も出なかったらしい。
ふたりで長崎チャンポン食いにいったけれど、スモールで満腹だった。
猫店長のいるコンビニまでドライブしたけれど、店長は留守だった。
それから、川沿いの道をぐるっと遠回りして、本屋によって、僕が好きな本を手に取ったら、娘が音楽雑誌とイタリア語の読物を持って来たので、自分の本は買うのを諦めた。・・・じつはもう、帰り際に勤め先近くで2冊買っちゃってたからなんだが。

あさって、息子が修学旅行から帰って来たら、またあれこれやかましくて仕方ないんだろうなぁ。

きのうといい今日といい、夜がホントに静かである。

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2012年8月25日 (土)

和歌山2泊3日

8月22日から2泊3日で、高等学校PTA連合会の全国大会、という行事で、和歌山市に行きました。

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昼は行事のメインイベントの他は、市内数ヶ所を見学して回りました。

宿では、子供たちの自立心の育ち方、であれこれ雑談、で夜が更けました。
「自分たちのことをかえりみたってさぁ、結局、働かなくちゃあ分からないんだよね。しかも、働きはじめても最初の1年はね・・・」
なんてところに話が落ち着きました。

そんな雑談の中で、私はタダで、親としてのカウンセリングを受けたことになるのでしょう。2日話して、少し肩が軽くなった気がしています。

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最終日は昼まで、発表を割り振られた学校のお父さんお母さんの話を拝聴。
和歌山ラーメンを食ってから帰路につき、夜8時過ぎに自宅に戻りました。

和歌山では、うつぼの干物をよく食べるのだそうです。2日目会場まで世話になった若い運転手さんが、
「だ、だまされたと思って、い、いちど食ってみて下さい」
と言うので、2日目に見つけて買いましたが、硬くはなく、濃い味ながら美味しくて、食べさせてみたメンバーのお母さんも、あとで探して来て買っていました。

お酒は、最終日の会場に連れて行ってくれた年配の運転手さんが酒造関係の仕事をしていたとのことで、
「梅酒は<黒牛>のもの、日本酒も<黒牛>。ただし寒山というのは今の季節は熟成していないので、すぐ飲むなら碧山がいいです」
と教えてくれたので、それを仕入れました。
<黒牛>は和歌山入りしたときからよさそうで、初日の夜に小瓶で味見をして確かめて、メンバーにも好評だったので、我が意を得たり、なのでもありました。

初日、駅から乗せてもらったタクシーのじいちゃん運転手さんが、きつい和歌山なまりで
「そりゃあんた、ちょ~きゅ~だなぁ」
と言ったので目を皿にして<長久>なる酒を探したのですが、見付かりません。
そうしたら最終日の今日、<黒牛>を買いに行ったお店で見つけました。
高級でお値段もかなりいいのでした。手が出ませんでした。
これの一般向けは、「紀伊国屋文左衛門」とかいう名前で出ているのだそうです。
それを教えてもらったのは、黒牛を買っちまった後でした。

山用のリュックで出掛けたので、酒瓶2本、息子へのおみやげのみかんジュースとジンジャーエール(ほんとうのショウガが入っている、と和歌山市長が売り込んでいましたので)の小瓶を背負って帰路についたのでした。

人口は、特急ができてからかえって減少してしまって30万人、県全体でも100万人とのことでした。

もったいない。

とてもいいところでした。

「老後に住むにはええとこなんやけどね」
と、2日目に展望台に連れて行ってくれた運転手さんが寂しそうに笑っていました。

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2012年7月28日 (土)

忘れられず・思い出せず

親である、と、自覚してそうだったことは、無いような気がする。そこに我が子がいたから、相対的に親だった。カカアが急に死んじまったので、必然的に、自分ひとりが、この子らの親であることに責任を持たなければならなかった。
自分を支えるだけでもやっとこさだったし、子供らが受験なるものを乗りきれば、山は過ぎて、その後は自分で見つけた支えを心の杖にすれば、自分は成り立つものだと信じていた。

そうは問屋が卸さない。

とりあえず経済的なことを別にすれば、今日も娘は友達の発表会を聴きに行くのであって、僕らと離れて食事までしてくる日の割合は増えてきている。去年までのように、下着売場にまで一緒をさせられて面食らうことは希になった。・・・ただし、化粧品はまだ時々同行がある。

息子は結局大学に行きたいと言い出して、今度はこれで面食らっている。実業高校の中では進学割合が飛び抜けて高い学校に行ってはいるけれど、勉強 はからきしダメである。中学で部活を続けなかった穴埋めはギターの先生が助けて下さって、なんとか心を病まずに高校生になったけれど、音高・音大、と進み たい方向が決まればレールを敷きやすかった娘と同じようにはいかない。とりあえず来週オープンキャンパスに行って刺激を受ける予定だが、果たして、そこに 入学するための努力が普通高校並みではないことまで理解してくれるかどうか。
ああ、また、娘のときのように、こっちも根比べをさせられるのか、と思うと、最近多少衰えを感じる体力でもつのかどうか、心配になってしまう。

高校については、娘の音高進学前のほうが大変な手間だった。
なにせ、行きたい、とだけはカカアとグルで決心を固めていたものの、必要な勉強をしていなかった。通っていた音楽教室の先生に教材を持ち込んで、 教えてくれるように頼んだが、当時の先生には素養がなかった。これはダメだ、と思って、ツテを頼って、今でも教わりに行っている先生を見つけた。娘はどう いうツテでその先生が見つかったのかはずっと知らず、去年チャンスがあって初めてお礼をした。

その、音高の説明会の前に、僕はどんな原因だったか忘れたが、歩けないくらいに足を痛めてしまった。
困ってしまって、
「かわいそうだが、おまえひとりで説明会に行けないかい?」
と言ったら、さすがに、うぇーん、と泣かれた。
仕方がないから、足より3回りくらいおおきなサンダルをなんとか見つけて買って、当日、足を引き摺り引き摺り、説明会に同行した。
(振り返って調べたら、これは入学が決まって、その準備のための説明会のときだった。2008年3月18日だった。)

子供らと学校周りした中では、あれがいちばん忘れられない。
そのくせ、あのときそれじゃ、どんだけ足が痛かったのか、どうやってサンダルを見つけたのか、は、なんぼ頑張っても、ちっとも思い出せないのである。

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おもいだすこと

いじめのニュースの真偽云々はする気はまったくないけれど(野次馬が学校に文句の電話をかけまくる、とかは、毎度ながら笑止である)、ある程度機械的な事務仕事だけだったので、今日は職場のPCにニュースをいくつか表示させては読んでいた。

息子が中学の部活でいじめられたときのことが、あれこれ思い浮かんでは、被さってくる。

息子は、旅行先で家内と夜遅くまで卓球をしていたのが母との最後で最大の思い出だったから、卓球部に入った。
中学に上がる半年前に、娘の音高進学準備の段取りがようやく終わって、つかの間だが息子にも柔道を習わせた。そこで出来た友達と中学でも部活が一緒なら安心だ、と考えていたのだけれど、息子が自分で決めたのだから、と、卓球部入部に反対できなかった。

そこでいじめにあった。

見かねて学校に相談に行ったら、部活の顧問の先生の背中に
「がんばって」
と小声で呼び掛けた女教師がいた。
1年前まで家内の同僚だった教師である。

腹がたったが、僕はあの日、文句は一言も言わなかった。

息子は2年生にあがるとき部活をやめた。

いまでも、くやしい。

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2011年12月18日 (日)

「世界はひとつ」ではない・・・と思う話

息子とふたりで、いつもの喫茶店に寄った時の会話。
記憶によるものを変えているから喋った通りではないし、言ったのがどちらかの割り振りも少し変えている。

Ponkikki

「おとうさん、インターネットの世界、ってどうなってるの?」

「世界って?」
「うーん、世界って、なんだろうね、ボクにも分からないなぁ」
「インターネットは、いろんなコンピュータが、人の決めた約束の仕組みで繋がってるだけだよ」
「どういうことなんだろう」
「ひとつひとつが、人の決めたネットの言葉で住所を決めてもらって、それぞれを訪ねあえるようにしているんだよ」
「どうやってまとまってるのかなぁ」
「まとまってるわけじゃないよ。ひとつひとつは、あくまで別々のものなんだ。住所があるから、お互いどこにいるかが分かるだけだよ」
「じゃあ、どうやって世界になってるの?」
「世界って、まとまりだとおもってる?」
「そうじゃないの?」
「違うと思うよ。ひとつひとつのコンピュータの中にはそれぞれのデータがありはするけれど、それを覗きたければ覗ける、ってだけがインターネット な訳だ。じゃあ、よそはどうなっているのか、っていうのは、こっちのコンピュータからは、あてずっぽうの呪文を唱えてみて、その呪文で訪ね当てた住所の中 の<世界>しか見ることが出来ない。その<世界>って全体はどうなってるのか、ってのはさ、あんたの頭の中で想像して、見えないところを補うわけだ」
「ふうん、むずかしいな」
「補っているその想像の<世界>は、想像している人の頭の中に、想像している人の数だけあるんだよな」
「んじゃ、<世界はひとつ>じゃないんだね」
「うん、ひとつ、じゃあないと思うよ。だから、素敵な世界を何人かの誰かと一緒に作りたい、と思っても、そこで出来る世界も、たぶんひとつじゃな い。みかけが同じだけで、本当は、人数分だけ別の世界があるのを、お互いの約束を決めて、お互いの想像を崩さないようにしているだけなんだと思うよ。だか ら、お母さんが生きていたときお母さんの中に持っていた世界は、僕たちにはないわけだ」
「そうだよねぇ、お母さんの思ってたことの一部分しか、ボクたちは覚えていないわけだもんね」
「じいちゃんばあちゃんから見たお母さんの世界は、<自分たちが育てたからこうだったはずだ>ってとこでお母さん自身のものとは違ってるんだし、 君らは育ててもらう時にお母さんがこうしていたああしていた、っていうところから想像しているものだから、やっぱりお母さんの<世界>そのものじゃあな い」
「なんだかますます分かんないなぁ」
「大切なのは、だからといってどれかがどれかより価値が低いってことは全然ないことなんだよ。それがもう、お母さんそのものの<世界>ではなく なってしまっていても、インターネットが繋がっていれば他所が覗けて、そこから持って来たデータを保存しているみたいに、間違いなく、生きていたお母さん の<世界>を同じ重さで受け継いでいる。それはじいちゃんばあちゃんの<世界>の一部になってしまってたり、あんたらの<世界>の一部になっていたりして いるだけでも大きな意味をずっと持ち続けてくわけだ。」
「誰がどうお母さんを思っていて、それが別の誰かが思っているのと違って見えても、それはお互いにどこかで繋がってる、みたいなことなのかな」
「そうだと思うよ。世界は世界を想像する人の数だけある。でも、全く別々にあるわけじゃなくて、共通に接点のあった人から受け継いだ何かを、同じ 重さで持っている。その共通のところを見つけあいながら、お互いに違うところをもきちんと正面から見つめあって、違いをお互いに大切にしあいながら繋がり あっていかなくちゃあならない。・・・それがもっとも難しいことなんだ。繋がりあうには、自分は自分の<世界>に、すぐがんじがらめにされるからね。おと うちゃんは、そういうところが本当にへたくそだし、失格だと、自分をそう思っているよ。頑張ってちょ。頼むよ」
「サッパリ分かんないけど、まあいいや。頑張るよ」

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