2008年6月26日 (木)

モーツァルト:弦楽三重奏のためのアダージョとメヌエットK.266

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ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。
つまらん長文続きですみませんでした。 ・・・でも、別記事でまた長くなりますので。

今回は、モーツァルトの小さな作品の、ささやかなご紹介です。

というのも、ささやか、とする以外にご紹介の手だてがないからです。
・・・ささやか、と言いながら、それでもこのところの長文の半分にはなるのですが。

そのかわり、これもザルツブルクどっぷり時代の最後を飾る「隠れた名作」の一つ、かつ、演奏も容易ですから、できるだけ多くのかたに、実際にかなででみてもいただきたいな、と思っています。

併せて疑作のコントルダンスも取り上げるべきかな、と一瞬考えましたが、大き目の例外を除き、いまのところは疑作は素通りを決め込んでいますので、すみませんが、今回もそのように致します(疑作K.269bは量としても3分の1しか残っていません。)



先に申し上げますと、オリジナルの編成はヴァイオリン2本にチェロですが、次のような組み合わせで演奏するのも面白いかと思います。(但し、ヴァイオリンパートには重音【和音で演奏しなければならないところ】)があるので、管楽器だけを使用する場合は5本必要になり、ヴァイオリン1パートを二人ずつで吹くことになります。

・ヴァイオリン2またはヴァイオリン1にヴィオラ1、チェロがいなければファゴットもしくはヴィオラ
 (チェロ代わりのヴィオラはオクターヴ上で演奏する・・・響きがアンバランスになりますが。)
*ヴァイオリンの代わりにフルート、は音域的に厳しいので編曲が、かつ、原音域で吹くとなるとアルトフルートが必要。また、次のオーボエと似た意味での編曲の考慮の余地あり)
・オーボエ2、クラリネット2(但し、オーボエの音域の関係から編曲が必要)、ファゴット(オーケストラの木管奏者向け)
・クラリネット4、ホルンかユーフォニアムかチューバあたりを1(ブラスバンドの室内楽練習向け)
・サキソフォン5(低音パートをテナーあるいはバリトンサックスで吹く以外は任意、同上)
・ヴァイオリンかフルート一人にピアノ(ピアノはファーストヴァイオリンパートとチェロパートを弾く・・・そのほうが、モーツァルトの書いたいわゆる「ヴァイオリンソナタ」の様式にあう気がします。セカンドヴァイオリンが、往々にしてファーストヴァイオリンよりも高い音域を演奏しているからです。)
・ヴァイオリン2人またはヴァイオリン・ヴィオラ各1にピアノ(・・・通奏低音風に和音をつけるのも面白そうですが、その場合にはバスライン以外は控えめに!)


1777年の春先に作られたことが分かっているだけの、演奏された機会も判明しない、ささやかなものです。家庭演奏のためにでも作られたのでしょうか? 作風も、弦楽器で室内楽の初級段階でよく教材にされる、この年よりも前に完成された弦楽四重奏曲にくらべて、さらにいっそう簡潔になっている、といえます。

前回見た「第2ロドロン」ナハトムジークが後年の大傑作群であるハイドンセット(6曲の弦楽四重奏曲)の域に足を突っ込んでいたのに、見ただけだと「後退したのかな」と一瞬目を疑うようなシンプルさです。

ですので、「モーツァルト演奏入門」には恰好の材料となるわけです。

が、見た目にごまかされてはいけません。

この三重奏、実に愛くるしい美人さんです。
内面的なお化粧を、決して怠っていない。ただし、そのお化粧は、とてもさりげない。だからこそ、美しい。

三重奏でありながら、先に「管楽器だけでやるためには5本必要です」と言ったことでピンと来て下さった方もいるのではないかと思いますが、モーツァルトは、とくに最初のAdagioを作るに当たっては、和声として安定する「四声」を明確に意識しています(Adagio終結部などは五つの音が必要ですが、セカンドヴァイオリンの下の音、もしくはファーストヴァイオリンの下の音を省略出来ます)。冒頭部からして、ファーストヴァイオリンには2音からなる和音を演奏させています。
もちろん、三声だけの部分が大きな割合を占める(これは彼の初期のクラヴィアソナタ、とくにト長調の冒頭楽章と似ています)のですけれど、まず第1にはセカンドヴァイオリンが決して伴奏一方に回るのではなく、ファーストヴァイオリンと交代で「歌う」ことにより、第2には難易度こそ低いものの跳躍音型を多用することにより、「そこには書かれていない」第四の音が常に存在するかのように聞こえる効果が得られています(こうした工夫は、この先も、たとえばヴァイオリンとヴィオラのための二重奏や、有名な「弦楽三重奏のためのディヴェルティメント」でもなされていくこととなります)。・・・ヴァイオリニストでなくても、同じ楽器の組み合わせで、二人のプレイヤーがいれば音色も2つになるのが普通ですから、これは勘ぐりすぎですが、そこまで計算したかも知れませんね。

メヌエットの方は、Adagioの延長でホモフォニック(旋律に和音の伴奏ををつけただけ・・・Adagioの方も、この点ではそこまで単純ではないのですが)に作られているのではないか、と思うと、さにあらず。単純な手法ながら、バスラインは四声体の根音(ドミソなら「ド」の音)を意識しつつ、単純な転回型を逸脱しない程度に動くだけなのですけれど、セカンドヴァイオリンがなかなか曲者です。ファーストヴァイオリンを相手に対位法上のルールではありえない平行三度で動く、と見せかけながら、キモとなる個所では二声の対位法の禁則を守って「古風」な味付けをする、という<目立たない>離れ業をやっていたりします。

(第1楽章のためと思われる数小節のハ長調の異稿もありますが、ファーストヴァイオリンが12小節記入されているだけです。)

B Dur
1.Adagio3/4,77小節
2.MENUETTO Allegretto 41小節 & Trio 20小節

フランスの名ヴァイオリニスト、グリュミオーが、仲間と組んだトリオとデュオの2枚組の全集に、美しい録音を残しています。

演奏譜は店頭売りはなかなか見かけませんが、輸入楽譜販売サイトでいいものを探せばよろしいかと思います。
NMA(新モーツァルト全集)(PDFで見られるサイトにリンクを貼ってあります)では第18分冊に収録されています(18/779頁から)。

擦弦楽器奏者ではないかたでも、是非、いちど接してごらんになってみて下さい。

モーツァルト : 弦楽三重奏曲、二重奏曲集Musicモーツァルト : 弦楽三重奏曲、二重奏曲集


アーティスト:グリュミオー・トリオ

販売元:マーキュリー・ミュージックエンタテインメント

発売日:1998/06/17
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2008年6月15日 (日)

モーツァルト:1777年のディヴェルティメント

Tokiomusikfroh

来たる6月22日は、私共のアマチュアオーケストラ、東京ムジークフローの定期演奏会です。詳しくはバナーをクリック下さい!20名様(ペア換算10組)まで無料ご招待申し上げます。ご希望の方は本ブログのプロフィールページから、記事掲載者宛メール下さい。・・・バナーは、sergejOさんがご好意で作って下さったものです。



ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

この年の室内楽は、ディヴェルティメント系のもの・舞曲系のもの(疑作含む)・フルート四重奏曲群(ただし、翌年作説あり)の3系統ありますが、フルート四重奏曲以外は前年のこの手の作品の延長線上にあり、ザルツブルクで書かれています。

そのうちのディヴェルティメント2作を見ておきましょう。



1つはK.270、変ロ長調の、管楽だけのディヴェルティメント(1月作、2オーボエ、2ホルン、2ファゴット)です。
こちらは、前年の管楽ディヴェルティメント群、とくにK.242、K.252と同じともいえる編成・構成で、いわばザルツブルクでの管楽ディヴェルティメントの卒業作品とでもいうべきものです。形式的には非常に整った印象を与えてくれ、「明るい」モーツァルトの典型例とでもいうべきものです。その分、演奏をする人には素直に楽しめるのではなかろうかと思います。・・・ですが、作品として取り立てて個性的な特徴はなく、<無難>を心がけて仕上げなければならない何らかの制約があった可能性はあります。
この作品の終楽章は、作品中では速いロンドですが、そのメロディは後年、<フィガロの結婚>の有名な美しい小二重唱(第21曲、スザンナと伯爵夫人のもの、第3幕第9場)で応用されることになります。(二重唱の方ではAllegrettoの6/8拍子になっています。)

第1楽章:Allegro molto,4/4(118小節)ソナタ形式、展開部52〜、再現部66〜、コーダなし
第2楽章:Andantino,2/4(46小節)ヘ長調。A-B-A-B'-A(coda)
第3楽章:Menuetto,moderato(22小節)&Trio(20小節、半音上行を取り入れた柔らかい味わい)
第4楽章:Presto,3/4(132小節)A-B-A-C-A-B-A-codaのロンド形式です。各主題は初出の時に反復記号がついています。



もうひとつはK.287の通称「第2ロドロンセレナーデ」(第1のときと同様、もとのドイツ語ではナハトムジークとなっています)で、これは第1の際に述べました通り、愛称とは異なって、明確に「ディヴェルティメント」と称することができる構成になっています。
この作品はアルフレート・アインシュタインも絶賛しているもので、ミヒャエル・ハイドン弦楽五重奏からの影響について言及しながらも(どう言う影響かは私には把握出来る材料がありません)、「唯一無二の傑作である」とまで言っています。
ただ、
「夏でなく冬の作品だから、当然入場と退場の行進曲はない」(訳書279頁)とも言っています。行進曲の有無と「セレナードかディヴェルティメントか」の呼称の関連性等も考量する必要があるのではないか、という疑問は、アインシュタインは持っていません(私は持っています)し、アインシュタインの著述当時は2月と考えられていたこの作品は、現在、アイゼンの説では6月とされています。全集版のスコアにも「6月」と記されています。第2次大戦後の自筆譜の研究により判明したことで、この作品がロドロン伯爵夫人の命名祝日である6月13日のために用意された蓋然性が高くなった、と全集版(NMA)の緒言に記されてます。

すなわち、以前疑問として呈示したものが解決しないうちに断言してはならないかもしれませんが、この作品に行進曲がないのは、「第2ロドロンセレナーデ」はセレナードではなく、全集の分類通り、ディヴェルティメントだからなのだ、と私は思います。

傑作である最大の理由は、弦楽部の扱いにあるか、と思われます。
2本のホルンにヴァイオリン2つ、ヴィオラ、バス(チェロ、とは書かれていません)という編成ですが、弦楽声部に注目すると、ヴィオラが独立して、あるいは他声部と明確な対照を示しながら動く場面の割合が、前年までの作品に比べ圧倒的に高くなっているのが分かります。・・・楽譜上で見ると、前年までのヴィオラは、2ndヴァイオリンにくっついてみたり、低音側にくっついてみたり、と、依存先を探して大忙し、でも汗をかいたそぶりは絶対に見せてはならない、という書法なのですが、K.287のヴィオラパートは、それにくらべて何と伸び伸びとした線を描いていることでしょう!・・・ごれは、楽譜を絵画的に見た場合、感動的でさえあります。
このヴィオラの独立は、確実に「ハイドンセット(1782〜85の、彼にとって最も重要な6曲の弦楽四重奏曲)」に道を開いています。

主調は、変ロ長調です。ディヴェルティメントに番号が付けられた旧称では第4番ということになっています。

第1楽章:Allegro(3/4), 334小節, ソナタ形式
第2楽章:Andante grazioso con Variationi  ヘ長調(属調ですので明るさが増します。16小節の主題を6つの変奏に仕立てています。第3変奏は、ホルンで始まる書法をとっています。また、最終変奏の第2ヴァイオリン以下の弦楽器はピチカートで、本来的な意味での「セレナータ」的な雰囲気を醸し出しています。最終変奏には6小節のコーダがつきます。)
第3楽章:MENUETTO(28) & Trio(36)
第4楽章:Adagio(4/4), 51小節、変ホ長調
第5楽章:MENUETTO(40) & Trio(24) 弦楽のみですが、非常に色彩豊かです。
第6楽章:序奏Andante(4/4、14小節)&主部Allegro molto(3/8)。全440小節。

いずれも収録されているのはこれしかありませんが・・・
ディヴェルティメント&管楽のためのセレナード全集 マリナー&ASMF(11CD)

探すとK.270は管楽アンサンブルのCD1枚ものに、K.287にも新旧様々なディスクが見つかると思います。
困ったときにはsegejOさんの検索サイトをご利用になってみてください。便利です!(バナーをクリックして下さい。)
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総譜は、NMAでは第17分冊に収録されています。

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2008年5月25日 (日)

モーツァルト:等閑視されて来た傑作〜「タモス、エジプトの王」K.345

ラ・プティット・バンド at つくば(6月1日)、是非お出掛けになってみて下さい!(リンクしてあります。)



私の所属するアマチュアオーケストラ、東京ムジークフローの名オーボエ奏者だったHさんの一周忌に寄せて駄文を綴りました。

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

この週末は文化史上興味深い事件が相次ぎました。「ベルリンのフィルハーモニーが火災」・「万葉歌が木簡に書かれていることが判明!」の2つはブログに記事を引用しましたが、今朝までに、さらに「行方不明になっていた正倉院宝物の荘園絵図(19枚あったうちから持ち出されて行方不明になっていた1枚)が富山で発見された」というものもありました。荘園については、私はざっとしか知りませんので(音楽だの和歌だのも本当はろくろく知らない厚顔無恥で記事を綴っているのですが)掲載しません。

トドメが、「後期ウィーン時代のモーツァルト作品とおぼしき3作の<筆写譜>、チェコ郊外で発見」というニュースなのでした。・・・が、これは朋友が時事通信のニュースで見つけた以上のものがないか、検索しましたけれど、まだ他には出ていません(080525、14時現在)。「写譜」というところと、モーツァルトはウィーン時代には自作カタログを作っているのですけれど、かつニュースを読むかぎり学者さんは少なくともそこまでは照合を行なったかと推測されますけれど、該当作が見当たらない、というところに引っかかりを感じますが、どんな結果になるでしょう?(バッハについても真作新発見のニュースがあったばかりで・・・これについての私の最終結論は、数日中に綴ります。)



「モーツァルト唯一の」とされている劇音楽「タモス、エジプトの王」K.345は、西田氏(やコンラート)の作品表によると、2つある合唱曲の初稿が1773年、その改訂作ともうひとつの合唱曲および4曲の幕間音楽が、コンラートの推定では1776〜9年ごろ(幕間音楽は77年)、アイゼン説では1779〜80年頃、とされています。
後で見て行きますように、私の素人推測では、早い方の1777年でも、モーツァルトはこの音楽を完成させるには充分な実力は持っていたと思っております。ただ、公式には1779年説が有力なのかな、との印象を受けております(NMAの解説【1956】は79年補作を前提として書かれいています。それは、第4曲の合唱が、モーツァルトが78年にマンハイムで強く印象付けられたベンダ作曲「メデア」の影響を受けていることが最大の論拠であるようですが・・・私は「メデア」を聴くチャンスに恵まれず、確認のとりようがありません)。

「タモス」は、この推定作曲年代の幅の広さから窺われるように、(音楽のことはさておいても)ロングラン上演された「フリーメーソン」演劇だったようです。エジプトが舞台であり、フリーメーソンの参入儀礼で重視された「死」の象徴的な意味を劇のクライマックスに持って来る(このあと、「タモス」の音楽の中で最も劇的で美しい第7曲が演奏され、大団円を迎えます)構成となっていることからも、また、第2幕への間奏曲である第2曲冒頭が主和音3回の上昇して行く響き(『魔笛』序曲と同じ。ただし、『魔笛』が長調の和音であるのに対し、『タモス』は短調の和音です)が用いられていることからも、この作品が「フリーメーソン」劇であったことが音楽面から裏付けられていると言っていいでしょう。
劇の作者はトビアス・ヨハン・フライフェルン・フォン・ゲブラー男爵(1726-1786)という人物(アインシュタインによれば、ボヘミア宮内省の枢密顧問官兼副長官だったそうです)。
ゲブラーは当初、この劇への音楽をザットラーという人物(不詳)に作らせ、グルックに吟味を依頼しだのですが満足がいかず、最終的にモーツァルトにお鉢が回って来たもの、ということになっています。アインシュタインはこのように述べているのですが、確かめ得なかったものの、この話の出所はオットー・ヤーンのようです。
これまた出所の分からない話ですが、アインシュタインによれば、ゲブラーはモーツァルトの作った音楽に大変満足し、73年12月13日に、初演の地ウィーンからベルリンの文学者フリードリッヒ・ニコラーイに手紙でこう書き送っているそうです。
「先日モーツァルト氏という人が作曲したばかりの、タモスの音楽を・・・同封致します。それは同氏自身の構想によるもので、第1の合唱は実に美しい曲です。」
この書簡については、ドイッチュとアイブルのまとめた「ドキュメンタリー モーツァルトの生涯」には収録されていません。
最終的な改作は、他のモーツァルト作品の劇音楽上演にも貢献したベーム一座のために行なわれた(79年と推定)とされ、その際に第3の合唱曲が追加された、とアインシュタインは述べています。

モーツァルト自身、「タモス」の音楽には自信を持っていたと思われますが、作品は報いられず、1783年2月15日のウィーンから父に宛てた書簡の中で、こう述べています。
「タモスのための音楽を利用出来ないだろうということは残念でなりません!・・・この作品は当地では気に入られなかったので、もう演奏されることのない見捨てられた作品の仲間入りをしています。・・・ただ音楽だけのために演奏されるとすれば別問題ですが・・・その見込みもまずありますまい。・・・実に残念です。」(アインシュタイン著所載のものから、浅井真男訳)



初稿が残っているのは、ゲブラーも書簡で触れているという(幕開けの)第1の合唱曲(最終稿より5小節短い)と、第5幕冒頭で用いられる第6曲の途中まで(121小節)です。NMAではさらに、登場人物のなかの悪玉フェロンがカミナリに打たれる場面の音楽(第7曲a)が、これらの初稿と共に、全体とは別に切り離された「付録」の部に収められていますが、これは自筆譜に抹消線が引いてあることによります。ただし、録音される場合は、7aは第7曲に先立って演奏されるのが通例化しているかと思われます。


「タモス」の音楽については、不思議と、劇の進行との兼ね合いについての記述を見受けません。NMAのスコアには台本部分も印刷されていますし、後述するように、第3曲はタモスの舞台上での演技におそらく密接に関わっていたでしょうし、第4曲は、やはり登場人物のひとりザイースが音楽のどの部分でどの台詞を喋るのかについての注意書きまで入っています。音楽の印象が素晴らしいから劇の進行との関係は無視して鑑賞し得る、というのが常識化しているのでしょうか? 劇の再演自体が今日的意味合いを全く持たないのは、劇の方は忘却されているのですからやむを得ないとしても、劇本体の筋と音楽がどう言う接点を持っているかが不明確であることは、一方で音楽の方の演奏機会をも減らすことに繋がっているような気がして、モーツァルトの
「・・・ただ音楽だけのために演奏されるとすれば別問題ですが・・・」
というはかない希望も未だにかなっていない状況は、寂しいかぎりです。


劇は5幕ものですが、基本的に1幕あたり8場となっており、登場人物の短い独白を2〜3場目と後半の1ヶ所に置くことでドラマにアクセントを付ける工夫がなされています。
登場人物は、
・タモス(陰謀にたけた故・父ラメセスとは対照的な、人徳豊かな若いエジプト新王)
・ザイース(実はタルジス、陰謀で死んだとされる先王メネスの娘、タモスと恋仲)
・ゼートス(実は、タモスの父ラメセスの陰謀で死んだと思われていた先王、メネス)
・フェロン(王位継承権を持つ、エジプト王室の重臣)
・ミルツァ(フェロンのおば)
・ハモン(ゼートスを密かに救った高僧)
・ミリス(ザイースの親友)
・ファネス:宮宰
といったところに、合唱要員として、舞台となる「太陽の神殿」に仕える男女の神官の集団が加わります。


恥ずかしながら、私にはドイツ語の読解力はさほどありません。文学的なものとなると、なおさらです。・・・ですので、誤りを多分に孕んでしまうかとは思いますが、以下、曲の構成を、私に出来るかぎり、劇の進行と結びつけてご紹介したいと思います。以下、お読みになりづらいかも知れず、恐縮の至りですが、「タモス」の音楽の魅力の由来がどこにあるかのヒントとして少しでもお役に立てるようでしたら幸いです。

なお、管弦楽の編成はフルート、オーボエ、ファゴット、ホルン、トランペット各2本、トロンボーン3本(宗教曲とは違い、合唱をなぞるため、ではなく、独立して和音を構成するという用いられかたになっています)、ティンパニ、弦五部、という、当時ではおよそ考えうる最大級のもので、合唱をクラリネットを含めて割り振り直して管弦楽曲に編曲し直したい誘惑に駆られるほどです。音楽も「モーツァルトは軽やかな奏法で!」とこだわる演奏者にとってはおそらくびっくり仰天の、むしろ固い音で演奏することが似合う、部分的にはベートーヴェンを先取りした作風を示していることをも、申し添えておきます。

第1幕:第1曲と共に幕を開けます。
第1曲=合唱曲、ハ長調。新王タモスへの期待を込めたもの。2/2、Maestoso。208小節。
・・・合唱の後、第8場までの劇が一気に進行しますが、ここでは早くもゼートスが先王メネスであることが(ハモンの台詞を通じ観客にだけ)明らかになり、幕の最後ではフェロンとミルツァの間に、タモスを亡き者として王位を簒奪しようという陰謀の芽生えがほのめかされます。

第2幕:先立って、間奏曲として激しい第2曲が演奏されます。
第2曲=フルート、トロンボーンなし。ハ短調、4/4、Allegro、128小節。
     冒頭部の3つの和音がフリーメーソン的であることは先述しました。
     主和音・属和音の跳躍、シンコペーションの多用は73年の交響曲第25番と共通です。
     第5曲と共に、半音階的進行が有効に活かされている点も要注目です。
     途中(48小節から)のc-f-g-cという巧みな転調も(これが73年作なら)画期的です。
・・・間奏曲の終了後、ザイースが友ミリスと、タモスへの恋心を屈託なく語るところから始まりますが、フェロンのおばミルツァがすぐに参入して来て、タモスがいかに悪人か、とのあらぬ吹聴をしてザイースの心を乱します。そうとは知らぬタモスは、ひたすら無心に、ザイースへの思いにふけります。
第3曲=Andante、3/4、変ホ長調。具体的にどんな演出だったのかは分かりませんが、タモスがザイースに抱いている純粋な思いを「動作」として表している背景で鳴り響く音楽ですから、第3幕への間奏曲とだけ見なすのは適切ではないと思われます。ピチカートによる伴奏は、本来の恋の歌としてのセレナーデを彷彿とさせます。

第3幕:音楽を伴いませんが、緊迫した幕です。フェロンが、タモス、ゼートスのそれぞれに個別に追従し、とくにゼートスに対してはその清廉潔白さを利用しつつ陰謀に丸め込むべく、ミルツァと組んで執拗に「タモスの排除」をもちかけます。

第4幕:第1場は音楽を背景にザイースが台詞を語る、ということが音楽(第4曲)の方に明記されており、この点、劇の「単純な」背景音楽ではありません。台詞の変わり目と一致した音楽のテンポ変化に注目してみましょう。
第4曲=29小節までAllegr、3/4、ト短調。30小節よりAllegretto、2/4、変ロ長調。35小節よりAndante、43小節からザイースの台詞が始まり、53、70小節目にも対応すべきザイースの台詞が記されています。63小節よりPiu andante、73小節よりPiu Adagio、80小節よりAllegretto、85小節よりAdagioで、73、80、85小節はテンポ変化と共に語られるべきザイースの台詞が明記され、90小節で第1場の終了と共に曲を終えます。不安のうちに始まった台詞が、ザイースの、タモスを信じる心へと移り変わって行くのを、巧みに表現した音楽です。
以降、ザイースはタモスと簡単な会話をして去り、ついでゼートスがタモスの善良な人間性を確認し、ハモンと打ち合わせの上、フェロンの示した陰謀に「嵌る」ふりをします。第9場まであります。

第5曲は=終幕へ向けての激しい間奏曲です。ニ短調で4/4、Allegro vivace assai、第2曲と同編成で、やはり交響曲第25番に通ずる書法で作曲されています。さらに、半音階進行(10-15、73-79、115-118)の多用も第2曲と共通しています。

第5幕:263小節という長大な合唱曲で幕を開けますので、台本は第3場までしかありませんが、終曲が大きく3部に分かれています。最初の合唱曲(第6曲)がやはり大きく3部構成となっていますので、最初の3場この曲が受け持っていると受けとめれば、全体が8場の構成となり、他の幕と均衡がとれていることが分かります。
第6曲=1小節目からは、ニ長調、Adagio、4/4。13小節目からは、それまでを前奏とするAllegro vivace。69小節目よりイ長調のAllegretto、3/4で男声・女性の独唱がそれぞれなされたあと、四重唱となります。143小節目から、同じ調性で再び合唱となります。185小節からは再びニ長調に戻り、Allegro vivaceですが、ベートーヴェン「荘厳ミサ」の先駆けを思わせる壮麗で重厚な音楽である点、これまでのモーツァルト作品とは一線を画しています。267小節からテンポを落とし、moderatoの指示となって284小節で曲を閉じます。
物語は、フェロンの陰謀が行なわれるはずのタモス戴冠式の場を迎えます。ここで、水戸黄門の印籠宜しく、ザイースが先王メネスであり、タモスの正義を支持していることが、(お客はとっくに知っていたわけですが)フェロンとミルツァの前では初めて明らかになります。切羽詰まったミルツァは自害し、なおも悪事を貫こうと粘るフェロンはカミナリに打たれて死にます(第7a曲、ニ短調、75小節)。
第7曲=劇はこの曲で荘厳に締めくくられますが、最初の部分の音楽が「ドン・ジョヴァンニ」に通ずる雰囲気を持っていることには、なぜ注目されて来なかったのか、不思議で仕方ありません。
1小節目から、ニ短調、Andante moderato、弦楽器上声部はミュート装着、下声部(低音)はピチカート。力強いバスの独唱で始まりますが、これがまさに「ドン・ジョヴァンニ」の騎士長のようです。それに続く合唱は、神秘的な静けさを讃えています。33小節目からニ長調に転じ、祝祭的な場面への転換を予告します。46小節以降はフィナーレです。ニ長調のAllegro、3/4と、舞曲的なリズムなのも特徴的です。191小節で曲と、演劇全体を輝かしい雰囲気のうちに閉じます。

長くなりました。これくらいで。

タワーレコードでの、CDの一覧をリンクしておきます。

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2008年5月 8日 (木)

モーツァルト:やっぱり他人作? ヴァイオリン協奏曲第7番

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ヨーロッパの、中世までの文献には、「偽プラトン」だの「偽デメトゥリオス」だの(名前は適当に付けているので、本当にそんな呼び方でよかったのかどうか記憶していませんが)、別に「偽」がついても、現代の研究者にとって重要なものも少なくない、と伺っております。
音楽にしたって、その頃までは作者がどうであっても、あんまり気にされず、「美しければいい」ということで享受されています(こちらは文献の世界に比べると、ずいぶん最近になって芽生えた傾向ですが)。

けれども、近代音楽になると、作曲者の真偽が大きく問われることになる。
19世紀に入って、作曲家全集が盛んに刊行されるようになると、
「果たしてこの作曲家の<全集>におさめていいものかどうか」
ということが検討され、次第次第に許容範囲も狭まって、「偽作・疑作」はどんどん除外されて行くようになります。

その中でも、ハイドン作とされた「セレナード」四重奏曲や、小品のなかでは「モーツァルトの子守唄」・「シューベルトの子守唄」なんてのは、辛うじて出版楽譜としても録音としても、コンサートナンバーとしても生き残っています。
が・・・大多数は、「偽作」すなわち「ニセモノ」であることが分かった時点で、楽譜として出版も演奏もされなくなり、それがさらに「疑作」すなわち「アヤシイ」となっただけでも同じ運命をたどるところまで拡大されて行く。・・・あんまり新しい話でなくて恐縮ですが、ベートーヴェン生誕200年のころ、「もしかしたらベートーヴェン若年時のものではないか」と話題を呼んだ交響曲があったことをご存知ですか? あるいは覚えていらっしゃいますか?
「イエーナ交響曲」と称されたその作品、今のようにCD化が早い時代だったらもっと広まるチャンスもあったのでしょうけれど、CD時代が到来する前に「偽作」だと判明したため、とうとう私たち素人の耳に届くことは(FMで放送されたものをしっかり録音していた人以外には)ありませんでした。・・・でも、騒がれたくらいだから、決して「駄作」ではなかったんですけれどね・・・

モーツァルトの第6番、第7番と称されていたヴァイオリン協奏曲も、前者は「偽作」として、後者は「疑作」として、演奏されなくなってしまったもののひとつです。



モーツァルト関係の「偽作」や「疑作」も、決して少なくありませんが、
「あ、これってモーツァルトじゃないの!」
って分かったり怪しまれたりしたとたん、それまで大事に弾かれていたものが急に顧みられなくなるのは、なんだか寂しいですね。
それがたとえ真性でないにしても優れた作品かも知れないし、優れていないにしても美しかったら、「ニセ」であること、「アヤシイ」ことが分かった上で、その美しさを大事にする、というのが本来の音楽の愛されかただと思うのですが・・・人間の愛情と同じで、チャップリンの<街の灯>で、相手の女性が目が見えないうちはチャップリンは聴覚だけで彼女に「金持紳士」だと信じ込ませるのに成功し、愛されていたのに、彼が必死に集めた手術資金で彼女の目が開いたとたん・・・チャップリンは「放浪紳士」としての正体を知られてしまう。ただし、それが大きな悲劇ではないことに、人間として救いを感じますけれど。

第6番(K.268)についてはまた別途触れることになるかどうか分かりません。ただ、言えることは、これは確かにモーツァルトの作品ではないでしょう。それでも、明らかに1780年代前半のウィーンで流行だったスタイルに敏感、かつ熟練した腕の持ち主の作品だということまでは、耳にするとはっきり感じ取れます。本来は、楽譜を参照し、スタイルをきちんと検証して述べるべきですから、聞いただけの印象で述べるのは誤りなのですが・・・



1777年に限って、ということで、この年7月に完成されたとするヴァイオリン協奏曲第7番K.271aについて、第6番よりやや突っ込んで、しかしやはり簡単に触れるに留めます。

アルフレート・アインシュタインは、第7番について、次のように述べています。

(第7番が少なくとも)モーツァルトが書き下ろしたときの姿で保存されていないことは絶対に確実である・・・それも彼が仮の総譜の草案以上のものを書き下ろしたとしての話である。

さらに、第7番(第6番とカップリング)は、疑作や偽作としては幸いにして、演奏の録音が入手しやすいので、そうしたなかのジャン=ジャック・カントロフのCDにあるライナーノートから、これも少し引用しましょう。

・・・写譜と称するものが二つある。ひとつはオーストリア、ウィーンの資料蒐集家アロイス・フックスが1840年頃に写譜したとされる総譜であり、他はフランスの指揮者、作曲家でヴァイオリン奏者でもあったフランソア・アブネック(私註:ベートーヴェンの第九を、1stViolinのパート譜だけでフランスで初演した人物)。原譜のパート譜にはモーツァルトの自筆で「ヴァイオリン協奏曲、ザルツブルク、1777年7月16日」と記されていたという。

「パート譜に自筆で」というところに、ひとつひっかかりがありますね。パート譜は通常は写譜の担当者が作成した(と私は理解しています)ので、モーツァルト自身がパート譜を作成し、そこに署名をした、ということは、ちょっと信じ難い。いかがでしょうか?

さらに、作品のスタイルを検討してみます。
第1楽章のアレグロ(ソナタ形式ですが、あとで述べるように、この時期のモーツァルトでは考えられないスタイルの作りになっています)は、楽譜がないので、呈示部についてのみ耳でカウントしてみたのですが、まずオーケストラ総奏が52小節あるのに対し、ソロヴァイオリンの第1主題呈示が45小節あります。最初のオーケストラ総奏は、古典派の協奏曲では第2主題が現れても原調(この作品ではニ長調)に留まるのが通常ですが、それに対しソロが登場すると、第2主題に入る遥か前であっても、なるべく早めに属調(この作品ではイ長調)に転調するのが常套手段です。で、転調するまでに、あまり長い間を・・・これはきちんと統計的に見なくては行けませんから、こんな直感だけで言ってしまってはいけないのですが・・・長い間を置くことはない。ですのに、この作品では延々と45小節も原調のニ長調に留まるのです。これは、第5協奏曲まででさまざまに斬新な様式をトライしたモーツァルトの、彼自身が明言している「作曲の名人」であるという自覚と矜持からは全く信じられない<安易さ>です。当然ながら、作品の印象も単調になります。

第3楽章のロンドが、やはり先行する第2から第5までの工夫の積み重ねの痕跡が全く見られない(協奏曲ではありませんが、せいぜいK.136〜K.138の通称ザルツブルクシンフォニー【ディヴェルティメント】程度のウィットを延々と引き延ばすことでつまらないものに陥れてしまってさえいる)ような平板なものであることも、モーツァルトの真作ではないことを確信させます。

では、誰の、とまでは言わずとも、どんな人の作品か、ということを推定する上で、3つのヒントがあります。

ひとつ目は、第1楽章の展開部が、呈示部で示された第1主題、第2主題とは全く別種の、第3主題とでも呼ぶべきものを持っている点で、これはクリスチャン・バッハのシンフォニアなどにもみられるものですが、イタリア系の(かつ、面白いことに、ベートーヴェンが「エロイカ」で復活させた)古式な「ソナタ形式」です。

ふたつ目は、第2楽章のピチカート伴奏。これも、本当はモーツァルトと同時代のヴァイオリン協奏曲と比較したいところですが、有名な例ではヴィヴァルディ「四季」冬の中間楽章に見られるように、やはりイタリアの系譜を示しているものです。

3つ目は、全曲を通じて、ソロヴァイオリンのパッセージが、モーツァルトのしたように、ではなく、ごく普通のヴァイオリン名人がいかにも考えつきそうな、「主題に変形を加えないまま高音域に持って行くことで華やかさを演出したり、旋律の原型が崩れない程度の装飾を定型的に繰り返す手法」で書かれているところです。

以上から、「第7番」は、やはり残念ながらモーツァルト自身の作だとは、私にも思えません。
イタリア在住であった保証はありませんし、そう考える必要もありませんが、最低限オーストリアに進出して来ていた人物だとしても、かつ、それがモーツァルトに近い人物であったとしても、おそらく純正の<イタリア人ヴィルトォーゾ>の手に成ったものなのではないでしょうか?

ただ、素人ヴァイオリンを弾く一人として、だからといって私たちの耳から遠ざかった作品になってしまうのは甚だ残念です。
すくなくとも、Viottiの協奏曲に比べれば、ずっと面白い気がするからです。

・・・あまり、モーツァルトの生涯そのものには直結しない観察になってしまいました。
・・・アブネックが見たと言うパート譜の日付があてになるかどうか分からない以上、モーツァルトのこの時期の環境と結びつけることにも、あまり意味がないと考えたからです。

こんなところで、ご容赦下さい。

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番・第7番Musicモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番・第7番


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2008年5月 1日 (木)

モーツァルト:楽器を知りつくしたオーボエ協奏曲(ハ長調K.314)

昨日の記事もお読み頂ければ幸いです。



ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

・・・まるきり感慨から綴り始めて恐縮ですが、この作品のスコアを見て
「管楽器はうらやましいなあ・・・」
と思ってしまいました。

管楽器なりの難しさを承知しての上で、ですので、ご容赦下さい。
でも、この協奏曲のソロ・オーボエパートは、ヴァイオリンだったら、比較的ラクに弾けるんですよね。
だから、
「オーボエ奏者は(四重奏は大変ですが、この協奏曲については)モーツァルトの距離が近くて、いいなあ・・・」
そんなふうに僻(ひが)んでしまいます。

実は、これが僻みである証拠に、最高音のDを伸び伸び吹くには、オーボエのかたは、相当きちんと基礎ができていなければダメなはずです。
それでもなお、協奏曲全体の長さも、よく演奏されるヴァイオリン協奏曲第3番以降に比べて短いですから、
「やっぱり羨ましい」
・・・ピアノ奏者に比べれば、こんな僻みは贅沢なんですけれどね。ピアノ協奏曲は、ずっと長くて、難しい。



構成を先に見ましょう。

オーボエ協奏曲 ハ長調 K.314
第1楽章:Allegro aperto,4/4,188小節(ソナタ形式)
第2楽章:Adagio non troppo, 3/4(F),90小節(二部形式)
第3楽章:RONDO Allegro, 2/4,285小節(これは第4ヴァイオリン協奏曲の終楽章よりは小節数は多いです。)

大変いい曲だと思いますし、もともと有名な上に、「のだめカンタービレ」でもテレビドラマでは第8話(原作コミックでも第8巻だったっけ)で採り上げられましたから、モーツァルト作品としては認知度も高いと言えるでしょう。ただし、形式上に際立った特徴は無いため、お詳しいかたにとって目新しいことは綴れません。敢て特筆すべきことがあるとすれば、第2楽章が前半部と後半部で全く同じ主題(複数の要素があるためサイクルが長い)を用いながらも、単調になるどころか素晴らしいアリアを聴くような出来に仕上がっている点でしょう。声楽作曲家としての成熟度が、そのままオーボエの音域を有効活用する面でも活かされている事実に注目しておきたいと思います。

と言いつつ、またも個人的感情で申し上げますと、私にとっては、この協奏曲は、必ずしも好きな作品ではありません。
アマチュアでありながら、過去2回か3回、伴奏に参加しました。ひとつ以外は忘れましたが、覚えているその1回のときのソリストは、ある町のアマチュアオーケストラの仲間内で「腕のいいオーボエ奏者」と自他共に認めていた人でした。・・・でも、最高音がキツくて、なんぼアマチュアとはいえ
「これじゃあなあ」
と思った記憶があります。
で、打ち上げの席で、私ではなく、彼に身近だった誰かがそのことを指摘したら、真っ赤になって怒ったのでした。品がなかった。
このときの印象が尾を引いているのでしょう。
なおかつ、日本のプロ奏者のソロないしは伴奏でも、「これならいいなあ!」と感激できる演奏に巡り会ったことがありません。あるソリストは歌い込み過ぎだし、あるソリストは解釈に一貫しがなかったり。伴奏は、どちらも、別に一流ではないヨーロッパのオーケストラに比べても、どことなくモーツァルトの演奏らしくなかった。・・・「のだめ」で(映像に出てくる役者さんに成り代わって音声だけで登場なさったのですが)お吹きになった、某女性ソリストの「ソロ」が、日本人の演奏としては、これまででいちばんいいものを耳にしたような気がします。・・・ただし、このときの伴奏には、どうも物足りない印象が残っています。
まあ、自分たちがやったら、もっと悲惨になるのも目に見えるようですから、いっそう、この曲には日本人としてコンプレックスのようなものを感じてしまうのです。



無駄話はともかく。

この作品、長い間、フルート協奏曲(ニ長調)として演奏され続けて来たことは、年輩のかたほどご記憶かと思います。
アルフレート・アインシュタインが「モーツァルト その人間と作品」(1945年)で既に言及しているにも関わらず、私の子供時分(1970年代前半)には、少なくとも日本で手に出来るレコードで、この作品をオーボエで演奏したものはひとつもなかったと思います(事実を調べたわけではないので、「いや、その当時に、もうあったよ」という情報があれば、是非お知らせ下さい)。

K.314が本来オーボエ協奏曲であることが判明したのは、ザルツブルクにオーボエ独奏パートの筆写譜が存在するのが確認されたためで(NMA第14分冊に写真版がⅠ葉だけ掲載されています)、それによると、同じ曲(調は違う)のフルート協奏曲の「作曲日付」が1778年の1月ないし2月(マンハイム滞在中)とされているよりもさらに1年早い、1777年4月1日作ということになるので、「オーボエ協奏曲」の方がオリジナルだ、と判定された経緯があるようです(NMAの解説やアインシュタインの記述では、これ以上詳しい経緯は分かりませんでした)。
ザルツブルクでソロを吹いたと想像されているのは、ジュセッペ・フェルレンディスという人物です。
翌年フルート協奏曲に編曲された経緯は、アインシュタインが記述した当時も、モーツァルトに幾つかのフルート作品を注文したド・シャンという人物に急かされての苦肉の策だった、とされていましたが、現在はこの話は怪しまれています。海老澤敏さんの近著「モーツァルトの回廊」(立読みしかしてません、ゴメンナサイ)では、「仮説」とまでお考えではないのでしょうが、「(マンハイムに行ったモーツァルトがべた惚れしてしまった)アロイジアの気を引きたくて編曲したのではないか」なる、実に気になる推測がなされています。かつ、海老澤氏は、モーツァルトがフルート嫌いだたt、という通説をも否定しています。これは、モーツァルトが、ト長調協奏曲(K.313)だけでなく、交響曲や室内楽に魅力的なフルートパートを書き続けたことからして、充分説得力のある見解です。私たちは、モーツァルトが書簡で父に
「あのいまいましい楽器(=フルート)のために作曲しなければならないなんて!」
と書いていることに惑わされ続けて来たと言えるでしょう。これについては、管楽器にお詳しいかたが、べつのところで、「フルート奏者にはピッチを正しくとれる名人が少なかった」と述べることで、海老澤氏の見解を先取りしていましたが・・・こちらは当時、とくに協奏曲を演奏するのであれば宮廷音楽家でしたでしょうし、宮廷に採用される楽員は(もともと供給過多の中から厳選されたのですから)、あまり安易に首肯していい意見だとは言えないでしょう。



もうひとつ、モーツァルトのオーボエ協奏曲には、未完で終わっているヘ長調の第1楽章の草稿がのこされていまして(K.293)、1778年11月にマンハイムで手がけ、何らかの事情で中断してしまったもののようですが、楽譜を見るかぎり(NMA第14分冊695頁、Serie V "Konzete" werkgruppe14の付録、167頁)、主題は「ハ長調協奏曲」より柔らかめでありながら構想が「ハ長調協奏曲」と似ていること・でありながら、充分に独自性を持っていることが窺われ、未完であるのが非常に惜しまれます。オーケストラ呈示部の48小節までは出来上がっており、49小節からのソロが(62、63小節に補助的に第1ヴァイオリンをはさみ記している部分を加え)70小節の1拍目まで書かれています。
・・・これは、補作して仕上げられるシロモノでは無いでしょう。残念です。

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2008年4月21日 (月)

モーツァルト:新機軸!(ピアノ協奏曲<ジェナミ>K.271)

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



本当は「エジプトの王タモス」から始めたのかったのですが、関連資料を見ても作曲事情などが錯綜していてまとめきれませんでしたので、先送りします。

じつは、この「エジプトの王タモス」じたいは1773年から79年にかけて作られたものなのですが(改めて触れることになると思います)、コンラートの作品表でも、西川「モーツァルト」の作品表でも幕間音楽は「1777年頃?」と記されたままです。筆跡鑑定では幕間音楽は既に「1779年作でほぼ間違いない」とされているとのことなのですが(これは西川氏のまとめた作品表に注記してあります)、77年という年代がなぜ作品表上完全に否定されていないのか、という経緯については分かりません。

で、この「エジプトの王タモス」幕間音楽には、2つの素晴らしい短調作品が含まれているのです。
その旨を中心に記したかったのですが、これらの短調作品が劇中のどんな場面で演奏されたのか、が非常に重要なことだと思われるにも関わらず、音楽だけについて捉えた説明では、劇との関連性にまで言及しているものは見当たりませんでした(もっとも、日本語文献をあたりきっておりませんし、劇の台本はNMAに載っているものの、私の読解力不足でまだ読み切れておりません・・・お恥ずかしい限りです)。

そこで、「タモス」については先延べすることにしました。

先延べしてもいいだけの、素晴らしい短調作品が77年1月にザルツブルクで作曲されていますから、そちらから記事にしてもバチはあたるまい、と思ったためでもあります。

その短調作品、「単独の」短調作品ではなく、ピアノ協奏曲第9番(K.271)の第2楽章です。
ハ短調の、三部形式の音楽ですが、調性といい、拍子(4分の3拍子)といい、1779年(もしくは80年)の、有名な「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 K.364」第2楽章を先取りしています。

実際にどれだけ深い味わいをもっているかにご興味がある場合は、実演なり録音なりで確かめて頂くしかありませんが、モーツァルトのピアノ協奏曲としては初期後半に属するこの作品は、作曲された時期の割には演奏される機会も多いので、耳にしやすいと思います。最後にCD(DVD)の例をリンクしますので、是非一度お聴きになってみて下さい。

さて、この協奏曲、長い間、愛称を「ジュノーム(ジュノム)」と呼ばれていました。初演した女性ピアニストがそういう名前だと伝えられてきたからです。
ですが、2003年、実像の分からなかったこのピアニストについて、ローレンツと言う人によって素性が明らかになったのだそうです(西川「モーツァルト」238頁)。西川氏の記述から引用させて頂きます。

彼女は高名な舞踏家ノヴェールの娘で、正しい名はルイーズ・ヴィクトワール・ジュナミ(Louise Victoire Jemamy)であるという。ヴィクトワールはノヴェールの末子として1749年1月にストラスブールに生まれ、父がヴィーン宮廷に雇われたのにともない、1767年夏にヴィーンに移住。翌1768年9月に富裕な商人のジョーゼフ・ジェナミと結婚し、1812年9月に63歳で亡くなっている。モーツァルトは遅くとも1773年の第3回ヴィーン旅行のときに、ノヴェール父娘と知り合い、ヴィクトワールのクラヴィーア演奏を聴いたと推測されている。当時の新聞記事によるとヴィクトワールの演奏はかなり優れたものだったらしいが、彼女がプロの演奏化だったかどうかは分かっていない。ヴィクトワールは76年末か、77年初頭に、ヴィーンからパリに向かう途中でザルツブルクに立ち寄り、変ホ長調協奏曲(注:今回採り上げるピアノ協奏曲第9番)を受け取ったと考えられる。モーツァルトは1778年のパリ滞在中にヴィクトワールと再会し、父のノヴェールの依頼で<『レ・プチ・リアン』のためのバレエ音楽>(K.Anh10/299b)を作曲している。

以上の記述からすると、演奏者とモーツァルトの縁は浅からぬものがあったようです。
浅からぬ縁をかたちづくった大きな要素となったのが、この「ジュノム」と呼ばれてきた<ジェナミ>協奏曲の、すぐれた出来映えであったのではないでしょうか?

味わい深いハ短調の中間楽章をもつ、というだけでなく、この協奏曲には、従来のピアノ協奏曲にはなかった新機軸が取り入れられてもいます。
それは、オーケストラが冒頭1小節を慣らしたすぐあとに、早くもピアノの独奏が登場する、という<創り>です。・・・こうした創りは、(知られている限りでは)そののちベートーヴェンがピアノ協奏曲第4番で冒頭からピアノ独奏で曲を開始する、というアイディアを取り入れるまで、最も斬新、かつ誰にも真似されなかった創意でした。
さらに面白いのは、ソナタ形式である第1楽章の中で、冒頭ではオーケストラの1小節とピアノの2小節、という関係だったのが、ときにはピアノ1小節でオーケストラ2小節、そしてまたときには冒頭と同じ順番、と言う具合に入れ替わることで、聴衆の耳を巧みに引きつけることです。
ドー・どみそそそ、という分かりやすい動機なので、
「最初に聴いたあのメロディだ!」
ということが聴き手に鮮烈に印象づけられるため、ピアノとオーケストラの入れ替わりが気軽に、存分に楽しめるというわけです。

もうひとつの新機軸は、終楽章に含まれます。
終楽章は急速なテンポをもつロンド形式で、このテーマもピアノのパート上は8分音符の羅列であるにも関わらず(ドソミソドソレシ)、「ドーーーレシ」とメロディックに聞こえるという、主要主題の書法自体も非常に巧妙なものであり、それだけでも興味深いのですが、後半部に差し掛かったところで突然、優雅なメヌエットが挿入されるのです。・・・これは2年前のヴァイオリン協奏曲第5番(トルコ風、K.215)の終楽章の趣向を逆転しただけ、のようにも見えます。が、内容としては「トルコ風」の方は完全に三部形式の中間部に別の形式を差し挟んだのが明らかで、一般的な作曲ルールを逸脱していませんでした。「ジェナミ」の方でのメヌエットの現れかたは、「トルコ風」とは違い、ロンド形式の中で<唐突に>現れるので、聴衆を一瞬戸惑わせます。困った顔の聴衆を横目で見て、演奏者がにやりと笑う・・・そんなイジワルなニュアンスを持っています。

モーツァルトは、このK.271を含め、第6番K.238、第8番「リュツオウ」K.246の3曲を、パリで出版する意図を持っていました(1778年9月11日の父宛書簡、ベーレンライターの書簡全集第2巻、書簡No.487、136〜137行参照)。しかしながら、この試みは失敗します。何故か?
アルフレート・アインシュタインによりますと、
「買い手はおそらく他の二つのコンチェルトならば喜んだであろうが、この最後のもの(=<ジェナミ>)を拒絶したにちがいないからである。モーツァルトの創作のなかで、これは孤立したものであると同時に、人を驚愕させるものである」
からだ、とのことですが、上で観察したような第1楽章冒頭部や終楽章のメヌエットの登場の仕方を考えますと、アインシュタインの記述は卓見であるといっていいでしょう。

作品の構成は、以下のとおり。

第1楽章:Allegro,4/4(308小節)
 *オーケストラ呈示部=1〜63
 *ソロ呈示部=64〜134
 *展開部=135〜195
 *再現部=196〜281(ここでピアノとオーケストラの逆転が見られます)
 *コーダ=282〜308(カデンツァは2種類残されています)

第2楽章:Andantino,3/4(ハ短調)3部形式

第3楽章:Rondeau Presto 467小節
 *233小節から303小節までがメヌエットになっています。
 *カデンツァも、長大なものが149小節と303小節、と、2度挟まれます。
 *さらに、232小節に小さなカデンツァが挟まれています。
すなわち、終楽章のロンドは、メヌエットの前後をカデンツァで区切る、という点で独自性を出しているわけです。

総譜はNMAでは第15分冊に含まれています。

CDは、こちらで「ジュノム」で検索されることもお勧めします!
http://look4wieck.com/asearch.php

自分でいちばん聴いてみたいのは、ラヴェルの弟子だったペルルミュテールの演奏したこちらにリンクしたCDですが・・・今はゆとりがありません。
ペルルミュテールは、最近では忘れ去られそうになっていますが、もっと知られてよいピアニストです。ラヴェルの演奏はもちろんですが、ショパンはこの人の録音で初めて聴いて以来、他にそれを超える演奏を聴いたことがない気がします。



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2008年4月 2日 (水)

モーツァルト:1777年作品概観

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



いよいよ、モーツァルトの「自立」に向けて、最初に動きがあった年までたどりつきました。
ただし、以下のように多彩な曲種を創作していますが、それは9月23日に彼が母と共に旅に出るよりも以前に、ザルツブルクで仕上げられたものがほとんどです。
ですから、作品そのものは前年までの延長で観察すべきものが圧倒的に多い状態が続きます。


さて、「自立」とは、しかしどんな状態を指し、どんなことでその状態に達したと証明されるのでしょうか?
いずれ「子供を自立させなければならない」親としては、私には気になるところです。この年の段階では、モーツァルトはまだ母と行動を共にしていますし、同行できなかった父とは書簡でのやり取りを欠かしていません。自分ひとりの手で自分の「職」を獲得する、という意志までは見えません。それが見え出すのは、翌年、アロイジア・ヴェーバーに首っ丈になってからのことです。
・・・自立を促進するのは、はなれた土地でしてしまう、異性への「恋」、すなわち、「足枷のない状況下で、肉親や地縁にとらわれないで<愛する(と錯覚する)>異性に巡り会い、心を占有されてしまうこと」、なのでしょうか?
私自身が、故郷をはなれてから起こした「錯覚」(それはことごとく、恥ずべき、惨めな結果に終わりましたが)によって、初めて心が肉親や地縁から離れる、という経験をしました。
そのことからの類推に過ぎませんから、あんまりあてになるものではありませんが。


モーツァルト母子の旅程は、出発の翌日、9月24日に、ミュンヘン着。ここで就職運動に失敗し、10月11日に父の故郷であるアウグスブルクに着(ここで、従妹のベーズレ【アンナ・マリア・テークラ】と意気投合します)。同月30日にマンハイムに着きます。

旅に出てからの作品は、下のリストでは2つの歌曲と1つのクラヴィア用カプリッチョに限って現存していることになります。
ただし・・・歌曲が10月30日に完成されていたかどうか、となると、怪しいかもしれませんね。マンハイムに着いた当日には出来ていた、とは思えないのですけれど、それはあらためて検証してみましょう。



<宗教曲>
Missa brevis in B K.275(9.23以降、ザルツブルク)
グラドゥアーレ「サンクタ・マリア・マーテル・デイ」K.273(9.9 ザルツブルク)
「Alma Dei creatoris」 K.277

教会ソナタト長調K.274、ハ長調K.278(3.4)、K.328(7.9)・・・以上、ザルツブルク

<劇音楽>
「エジプトの王タモス」幕間音楽(79年説あり。初稿1773年)

<声楽曲>
ソプラノ用レシタティーヴォとアリア・カヴァティーナK.272(8月、ザルツブルク)
歌曲「鳥たちよ、毎年」K.307(10.30 or 78.3.13、マンハイム)
歌曲「寂しく暗い森で」K.308(同上)

<室内楽>
弦楽器と管楽器のためのディヴェルティメントK.287(第2ロドロンセレナーデ)6月?
管楽ディヴェルティメントK.270(1月、ザルツブルク)、疑作K.289
コントルダンス疑作K.269b・・・12曲中4曲のみ現存
フルート四重奏曲ニ長調K.285、ト長調K.285a(78.1〜2月説、疑作説あり。真性資料なし)
弦楽三重奏のためのアダージョとメヌエット変ロ長調K.266(春、ザルツブルク)

<協奏曲>
クラヴィア協奏曲第9番「ジェナミ(ジュノム)」K.271(1月、ザルツブルク)
ヴァイオリン協奏曲第7番K2.271a(疑作、7.16?)
オーボエ協奏曲K.271(散佚、またはK.314と同一か?)、ハ長調K.314(春、ザルツブルク)

<器楽曲>
クラヴィアのためのカプリッチョ(3つのプレリュード)ハ長調K.395(10.10頃、ミュンヘン)

<編曲>C.カンナビヒのバレエ音楽編曲(散佚、12.6付書簡で言及、マンハイム)



なお、1772年分から始めた、毎年の作品の概観には、そのあとで「読んだ」レポートへのリンクを這っていませんでした。
これは片手落ちなので、リンクを貼り始めました。1775年76年分はとりあえず作業を終えましたので・・・自己満足ですが・・・お使いになれるようでしたらご利用下さい。

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2008年3月26日 (水)

モーツァルト:2つの管弦楽ディヴェルティメント(1776)

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「管弦楽」と言ってしまうのは不適切で、西川「モーツァルト」(音楽之友社)の作品表(表29頁)にあるとおり、「弦楽器と管楽器のためのディヴェルティメント」と呼ぶ方が正しい作品です・・・弦楽器は独奏で演奏されますから(根拠は、スコア上に、たとえばヴァイオリンは合奏であればVioliniと複数型で表示されますけれども、これらの作品群ではViolinoと単数標記になっています)。

1776年には2作の「弦楽器と管楽器のためのディヴェルティメント」が作られています。
6月にはK.247ヘ長調(K.248の行進曲を前に置いて演奏される/ホルン2本と弦楽四重奏)、7月にはK.251ニ長調(オーボエ1、ホルン2と弦楽四重奏)が完成しています。

問題は、
・K.247はマーチを前奏にもち、通称は「第1ロドロンセレナード(但し、ドイツ語では「セレナード」の部分は「ナハトムジーク」)」となっている
・K.251は前回みた管楽ディヴェルティメントに類似した構造となっている
ところにあります。

先に、構成を比べて頂きましょう。

K.248&K.247
*Marche(64小節)
I. Allegro(4/4、182小節)
II. Andante grazioso(3/4、50小節、ハ長調
III. Menuetto(36小節&Trio(32小節)
IV. Adagio(2/2、81小節)変ロ長調
V. Menuetto(32小節)& Trio(26小節)
VI. Andante(16小節+1拍) - Allegro assai(1拍+243小節)、2/2

K.251
I. Molto Allegro(4/4、112小節)
II. Menuetto(32小節)& Trio(22小節)
III. Andantino(69小節) - Adagio (2小節、リタルダンド代わり)- Allegretto(16小節)イ長調
IV.Menuetto (Tema con variazioni)変奏は3つ。24小節×5(主部にダ・カーポするため)
V. Rondeau(Allegro assai - Adagio - Allegro assai、全259小節。Adagioはリタルダンド代わり、1小節のみ)
VI. Marcia alla francese(42小節)

「・・・え? どっちにも2つメヌエットがあるし、あとはマーチが最初にあるか最後にあるかの違いだけなんじゃないの?」
と、素朴にそれだけ疑問に思って頂いても一向に差し支えありませんし、これから綴ることも
「だからなんなのヨ」
と仰られてしまえばそれまでなのですが、ことはそんなに単純ではない、というのが、私のいつものひねくれ根性から来る観察です。



ご存知の通りかも知れませんが、セーレナード(セレナータ、セレナ−デ)とディヴェルティメントは元々区分の曖昧な曲種で、私の目にした狭い範囲の音楽史や音楽事典の類いでも、たとえば
「・・・17/18世紀におおよそ同じような意味で<娯楽音楽>(<食卓の音楽>も含む)をさしていた概念」(「図解音楽事典」白水社 147頁)
なんて具合に説明されています。

ですが、前回、モーツァルトの管楽ディヴェルティメントをハイドンのものと比べて眺めているうちに、
「・・・いやさ、事典で言うところの<おおよそ同じような意味で>って、結構クセモンじゃねえか?」
そんな捻れた感情が、胸の奥に広がってきました・・・肺ガンよりたちの悪い腫瘍かもしれない!

同じ事典の説明のすぐ下に、「セレナード(セレナータ)」はイタリア語の「晩」と「晴れた空の下で・野外で」が組み合わさった言葉であることが示されており、それに対してディヴェルティメントのほうは「気晴らし」・「娯楽」を意味している、とも記されています。

すると、前回に比較材料として見た、類似した性格のハイドンとサリエリの音楽は、サリエリが用いた「セレナータ」の方が音楽の内容に即したネーミングだったことになる、というのが一点目。
では、根本の造りが同じなのにハイドンの方は「ディヴェルティメント」とされているのは何故? というのが2点目。
で、前回述べていることではありませんが、モーツァルトについて言えば、彼の「セレナード」は屋外向けとは思えない大規模なものが大多数を占めていて、言葉の意味と音楽のあり方が逆転している、というのが3点目。
基本として、この3つの疑問が私の胸の「腫瘍」をかたちづくっています。

ベートーヴェンになると、小編成作品では「セレナード」と名付けられたものが1作(作品25)見当たるだけで、他はその作品の楽器編成によって括られるようになってしまっており、ディヴェルティメントという呼称はいっさい用いられていません。
本来なら、ハイドンより先行した人たちの作品表や、ディッタースドルフ、シュポアあたりも観察したいところですが、サボっています・・・ですので、以下の話は一般化出来ませんが、それを承知で多少暴走してみます。



まず面白いのは、ハイドンやモーツァルトと同時代の人の記録には、ディヴェルティメントやセレナードが「屋外で」演奏された、という明確な記録はあまり見当たりません。
「ハフナーセレナード」は屋外で演奏されたことは明らかですので、第3点目の疑問は現在の評価がンと言うフィルタからの印象に過ぎない、ということだけは、まず明確です。
それでも一方では、ハイドンの管楽「ディヴェルティメント」に現存作はないのですが、失われた彼の最初期の管楽アンサンブルは、ハイドンの無名時代には屋外・・・窓の下で演奏された旨が記されているのが普通です。
屋内で演奏されたか屋外で演奏されたかは深入りしても、あまり意味がないかも知れません。
それでも、モーツァルトに立ち戻りますと、管楽だけの「ディヴェルティメント」のほうが作品数としては弦楽器の加わらないものに比べ圧倒的に多く、創作された期間も長い(1768頃から1783頃まで)のです。管弦楽として明確にセレナードと称されているものはザルツブルク時代の終焉(1779)と共に二度と作られていません・・・少なくとも、特定の貴族をお得意様としていたあいだにしか、モーツァルトは「セレナード」には縁もなければ用もなかったわけです。(管楽合奏による「ナハトムジーク」K.388、弦楽の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のナハトムジークは、そのままイタリア語に置き換えればセレナードですけれども、今回は深入りしません。作曲された背景がザルツブルク時代とは異なるので、タイトル付けの要因は別に探らなければならないでしょうから。)

1点目と2点目は、単純に解消してしまう話かも知れません。
サリエリはイタリア人ですから、曲の性格にそぐう「セレナータ」という呼称を用いたまでのことで、ドイツ・オーストリア系の作曲家にとっては、この時期にはむしろ、管楽アンサンブルは「ディヴェルティメント」と呼ぶ方がしっくりきていたのではなかろうか、というだけです。モーツァルトがサリエリと同時期のウィーンで作った、サリエリとの類似作品は、管楽「ディヴェルティメント」なのです。

で、さっきの話だけでは私の中の胸のつかえが解消しきれない3点目が、腫瘍の最たる根っ子です。これは、
「1点目・2点目が上のような理解で合っているのだったら、<セレナード>と<ディヴェルティメント>には、何らかの相違点がはっきりと認識されていたのではないか」
という、大袈裟に言えば<セレナード/ディヴェルティメント別種説>を唱えたい衝動を私に押え難いものにさせてしまうのですから、とてつもなく悪性です。

管楽ディヴェルティメントを観察した際に「基準」とした、ハイドンの構成を、ここでもう一度見ておきましょう。
それは、次のような5楽章のつくりでした。
・速い楽章
・第1メヌエット
・ゆっくりの楽章
・第2メヌエット
・速いフィナーレ

では、ここでモーツァルトの「弦楽器と管楽器のための」K.251の構成を、もう一度。
I. Molto Allegro
II. Menuetto
III. Andantino - Adagio - Allegretto
IV.Menuetto (Tema con variazioni)
V. Rondeau(Allegro assai - Adagio - Allegro assai)
VI. Marcia alla francese

・・・メヌエットの位置が合っていますし、第5楽章まではハイドンの構成と軸は一致しています。ただし、ハイドンよりも少々凝っていることが読み取れ、そのために崩れた均衡を補うために(ただし、これは音楽の要件上の話であって、演奏されるべき場に合わせた想定から敢てこのように設計したという点は考慮しなければなりませんが)第6楽章に安定的なマーチを、しかも、あえて「フランス風」だなんて、「フツウジャナイノヨ、コノまーち」と、舌をぺろっと出しながら補完のために置いている。

K.247の方はどうでしょう?
I. Allegro
II. Andante grazioso
III. Menuetto
IV. Adagio
V. Menuetto
VI. Andante - Allegro assai

・・・メヌエットの位置が合っていませんね。第2楽章に余分にひとつ、ゆっくりした楽章を置いているのが直接の原因です。
ですが、これと同じようなことを、モーツァルトは「ハフナーセレナード」でやっています。
I. Allegro maestoso〜Allegro molto
II.Andante
III. Menuetto&Trio
IV. RONDEAU
V.Menuetto galante
VI.Andante
VII.Menuetto& Trio I & Trio II
VIII.Adagio〜Allegro assai

・・・こっちのほうが、K.247と似ています。K.247の第6楽章が、さらにもうひとつの第3メヌエットを挟んで拡大されているだけで、基本設計は「ハフナーセレナード」と合致しています。

「比べてみるとこんな具合ですから、行進曲の前奏をもつK.247は本当はセレナードが正しくて、K.251はディヴェルティメントでいいのです」
そう結論づけられればすっきりするのです。
でも、歯切れが悪くて恐縮ですが、この件についてはまだ問題点の追求を終えてはいけないのだろうな、と思っています。



思いとしては、セレナードとディヴェルティメントには、1770年頃にはドイツ・オーストリア圏ではある種の区分けの基準が、少なくとも作曲家の頭の中には存在したのではないか、という仮説を立てるに留め、
・モーツァルトの以前の作品をも再度振り返り
・比較対照する他者の作品を増やし
・ウィーン移住後のモーツァルトの意識をも作品から読み取らなければならない

これだけの課題を、K.247とK.251の2作から呈示されている、という確認で、今回はおしまいにしておきます。
(翌年作の「第2ロドロンセレナード」と称されるK.287は、むしろスコアの標題のままのディヴェルティメントとしての構造を持っていますし、管楽でも「セレナーデ」と明確に称されている1781年のK.375【ただしウィーンでの作品】も同様だったり、と、「課題」に答えるには難関となる事実も存在することを、あらかじめ申し上げておかなければなりません。)

K.247&248は下記CDに収録されており、名演です。

ウィーン室内合奏団の芸術Musicウィーン室内合奏団の芸術


アーティスト:ウィーン室内合奏団

販売元:コロムビアミュージックエンタテインメント

発売日:2007/08/29
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K.251は、この演奏あたり、面白いかも知れません。

モーツァルト:弦楽と管楽のためのディヴェルティメント集Musicモーツァルト:弦楽と管楽のためのディヴェルティメント集


アーティスト:ゼフィロ ベルナルディーニ(アルフレード)

販売元:BMG JAPAN

発売日:2008/01/23
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2008年3月 9日 (日)

モーツァルト:管楽ディヴェルティメント考(1776)

    川も、泉も、せせらぎも
    奇麗な揃いのお仕着せか、
    水滴の銀の細工を身にまとい、
    誰もが衣を改める。
    季節(とき)がマントを脱ぎ捨てた。

    ----ロンドー(シャルル・ドルエアン)安藤元雄訳----



ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

あいかわらず1年分を数ヶ月もかかってでないと読みこなせずにいる(・・・いや、読めているかどうか定かではない)モーツァルトの作品ですが、1776年の作品もやっとこさ、残すところディヴェルティメント5曲となりました。

ですが、これらは、管弦楽のもの2曲と管楽だけのもの3曲に分けて観察したいと思います。

今回は、後者、すなわち管楽のためのディヴェルティメントを読んで(観察して)みます。



モーツァルトの作品を味わう上で今でも最大の価値を失っていない、アルフレート・アインシュタインの『モーツァルト その人間と作品』は、
「モーツァルトが生まれた時代には、室内楽とシンフォニーのあいだ、一方には劇場用音楽と教会堂音楽とのあいだ、他方には音楽堂用および宮廷用音楽と庭園用音楽のあいだに、1800年ごろのようなはっきりした境界線が引かれていなかったのである。」(273頁、白水社)
と記述しています。
そのあとに彼が並べている例を待つまでもなく、これまで見て来たモーツァルトの作品でも、
1)セレナードとシンフォニーの境界が不明確なもの
2)セレナードともディヴェルティメントとも呼び得るかもしれないもの
3)屋外用か屋内用かが不明確なもの
等々が存在する事が確認出来ています。
ただし、第1のものについてはリンク先の記事に記した通り「シンフォニー」と「シンフォニア(=イタリアオペラの序曲)」が未分化だった過渡的な形態、第2のものについては記事中には記しませんでしたが、行進曲が付帯していたら「セレナード」と呼ぶのが適切かどうか(この点は難しいのですが)といったことも含め、ディヴェルティメントとは何らかの差があるはずの構成から判定し得るのではないかとの感触を持ち始めています。
第3はまさに今回と同じ「管楽ディヴェルティメント」なのですが、アインシュタインは管楽だと言うだけで「われわれは、これら管楽器のためのディヴェルティメントを一つ一つ扱う必要は無い。それらは純粋に庭園音楽であり・・・気難しい案出も緊張も無い、形式の遊びである。」(アインシュタイン281頁)と決めつけています。ということは、宮廷用音楽と庭園用音楽」については区分があった事を、じつはアインシュタインは認めていた、ということが明らかです。

第2の内容については遡って再検討が必要かもしれず、これは今回は保留しておく「管弦楽ディヴェルティメント」を読んでみる際に再考する事とします。

第1の問題についてはリンク先の記述で解決済みであると思っておりますが、全体像はやはり、その際の結論に基づいて再整理する必要はあるでしょう。ただし、当面は行ないません。

なお、「劇場用音楽と教会同音楽のあいだ」には、これまで見直して来たところでは明らかに区別があり、これはアインシュタインの錯誤(おそらくは大バッハが教会用カンタータを数多く世俗用カンタータに転用している【パロディ手法】のと似て、モーツァルトも「ハ短調ミサ」をオラトリオに転用している事などが起因していると思われますが、モーツァルトの場合は<教会用>に適していたかどうかは別として、宗教音楽としての性質まで変容させたものではありません)ではないかと思っております。



本題ですが、まずはモーツァルト作品には直接触れません。あとで対比するための材料を並べてみます。
なお、管楽ディヴェルティメントが「屋外用」であることは否定しようとは思いません(雨天で演奏中止、などという記録があれば完全に「肯定します」と言い切るのですが)。けれども、屋内用ではないとの保証もないことは確認しておきます。

もっと本質的な問題は、管楽ディヴェルティメントは果たしてアインシュタインが述べているように「一つ一つ扱う必要は無い」と言ってよいかどうか、という点です。

同時代作曲家の例を見てみましょう。

ヨーゼフ・ハイドンの例を見ると(エステルハージ家に奉公する直前の1760年前後に集中してこのジャンルを手がけているのですが)、編成はオーボエ2本、ホルン2本、ファゴット2本と決まっており、疑作の1つを除き、楽章の構成も次のように5楽章に定型化されています。
・速い楽章
・第1メヌエット
・ゆっくりの楽章
・第2メヌエット
・速いフィナーレ

・・・ハイドンのこの例は、アインシュタインの述べている原則に当てはまっている、と言ってもいいのでしょうね。

もう一人の同時代作曲家、サリエリの場合はどうでしょう?
残念ながら、水谷さんの力作伝記「サリエーリ」では詳細が明らかではありませんが、彼にはディヴェルティメントと銘打った作品は、水谷さんのまとめた作品表を見る限り、ひとつもありません。ただし、これは「作品名の表記には文献間に異同があり・・・」という事情が絡んでいるようです。で、標準的に採用されている、ハイドンの場合と類似した形態の作品群は「セレナータ」の呼称を持っています。
タイトル上では例外的な「夜の神殿のためのアルモーニア」(1794?)は単一楽章として演奏されます。編成はハイドンのものにクラリネット2本が加わっています。
他のセレナータについても、ハイドンの編成を基本にはしているように見えますが、必ず他の楽器が加わっています。
・ハ長調とヘ長調のセレナータには2本のフルートが加わり、低音部はファゴット2本ではなく、ファゴットとヴィオローネ。楽章構成についての資料は見いだしておりません。
・変ロ長調のセレナータは大小2作ありますが(水谷さんの作品表に掲載はありません)、
※小セレナータ(1778)の編成はハイドンの上記の管楽ディヴェルティメントと同じ。第1楽章Allegretto、第2楽章Larghetto、第3楽章がメヌエットで、フィナーレがプレストです。
※大セレナータ(同年?)も同編成。ただし、楽章構成は6つで、その中にメヌエットはひとつ(第2楽章)しか含まれていません。速い楽章〜メヌエット〜遅い楽章〜速い楽章〜遅い楽章〜速い楽章、という造りです。
もう1曲、ト短調のセレナータ(これも水谷さんの作品表にはありません)は二楽章形式で、メヌエット〜速い楽章、となっています。
ハイドンに比べて特徴的なのは、ハイドンは各曲の構成が同じである事も手伝って一曲一曲の際をあまり大きく感じることは無いのですが、サリエリの場合はひとつひとつが「個性的」です。
・・・ひとつひとつが「違っている」ことと「セレナータ」という呼び名のあいだに関連性があるかどうかは、モーツァルトの管弦楽用ディヴェルティメントとの対比で再考しましょう。



さて、1776年のモーツァルトの管楽ディヴェルティメントです。
編成と構成、規模を見てみましょう。

K.240(変ロ長調)1月作曲
オーボエ2、ホルン2、ファゴット2
第1楽章:Allegro,3/4(105小節)
第2楽章:Andante grazioso,2/4(64小節)変ホ長調
第3楽章:Menuetto(24小節)&Trio(16小節、ト短調)
第4楽章:Contradanse en Rondeau(Molto allegro),2/4(162小節)

K.252(変ホ長調)1月(8月?)作曲
オーボエ2、ホルン2、ファゴット2
第1楽章:Andante,6/8(43小節)
第2楽章:Menuetto(28小節)&Trio(16小節、変イ長調)
第3楽章:Polonaise(Andante、40小節)変ロ長調
第4楽章:Presto assai,2/4(76小節)

K.253(へ長調)8月作曲
オーボエ2、ホルン2、ファゴット2
第1楽章:Andante,2/4(126小節)
 18小節のテーマと6つの変奏(第5変奏はAdagio,最終変奏はAllegretto)
第2楽章:Menuetto(28小節)&Trio(20小節、変ロ長調)
第3楽章:Allegro assai,2/4(83小節)

・・・編成については、ハイドンの1760年のものと全く同じで、この演奏は管楽ディヴェルティメントのひとつの型だったことが伺われます。(1773年の3曲のうち、編成は大きいが曲の規模は小さいK.188だけがまったく違っていますけれど、他2曲はこの編成にイングリッシュホルン2本を加えたもの、かつ5楽章編成でした。)

一方で、一曲一曲に違った特徴が見られます。
先に共通点を述べますと、3曲ともメヌエットはハイドンより1つ減らしています。(K.240は第1メヌエットを、K.252は第2メヌエットを省いた、と見なし得ます。)

K.240とK.252は、メヌエット以外の舞曲を含んでいます・・・ここで、お客が踊るのを見込んでいるかのようです。・・・実は、この点についてはハイドンのエステルハージ時代の宮廷への音楽の提供の仕方:これは「宮廷の生活」というものは決して庶民に対しクローズではなかった、従って、出版事情だけでハイドン作品の享受法がどうだったかを推測する手法には錯誤があるのではないかと思われる事を示す重要な示唆とも関係があるのですが、この話は別の機会に譲らなければなりません。)

K.253は最初に変奏曲を持って来ています。

各曲に凝らされた「転調」の趣向にも興味深いものがあります。これはハイドンやサリエリの前掲作には原則として登場しないものです(ウィットとしての部分的な転調は取り入れていますが、モーツァルトは楽章の部分全体のムードを変えて演奏場面のお客の心情により永続的な変化をもたらす事を意図しているかのようです)。

以上のように見てきますと、少なくともハイドン(兄)との対比の上では、アインシュタインの「管楽器のためのディヴェルティメントを一つ一つ扱う必要は無い」という見解には疑問を表明しておくべきかと思います。

また、サリエリが「セレナータ」一作ごとに変化をつけたのと似た「時代の精神」が(サリエリの方が一層モーツァルトと同世代に近いからでしょうか)、モーツァルトには伺われる、ということも言えるかと思います。

なお、NMAの緒言には1月、8月という作曲時期にも(他の年の同種の作品と併せて考察した時に)何らかの意味がありそうだ、と述べていますが、これについては私は確認が取りきれておりません。もう少し理解を深めてから見直しを期したいと思います。

長々失礼しました。

CD)
・Philips COMPLETE MOZART EDITION 3 "Divertimenti" Disc9(Holliger Wind Ensemble)
・Teldec MOZART Divertimento for Wind Instruments CD3
  (Chamber Orchestra Of Europa Wind Soloists)

サリエーリ―モーツァルトに消された宮廷楽長Bookサリエーリ―モーツァルトに消された宮廷楽長


著者:水谷 彰良

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2008年3月 3日 (月)

モーツァルト:「技量」を読み取る確かな目(K.255,K.256,K.261)

    永遠がついに「その人自身」に彼を変えるような
    詩人は、抜き身の剣をかざして呼び起こすのだ
    あの奇妙な声の中では死が勝利していたことを
    知らなかったことに驚いている彼の世紀を!

    ----マラルメ、渋沢孝輔 訳----


ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。
人が人を見定める、というのは、実に複雑で困難なことです。 感情をもって相手を見つめれば、「あばたもえくぼ」か「花よりダンゴ」で、当面の欲や好悪に目がごまかされる。・・・で、そのままその好悪の情にのめり込むのは、どんなに素晴らしい人物でも例外ではないようで、古くは名君になるはずだったローマ帝国の皇帝ネロも、ポッペイアの妖艶さに目がくらみ、芸能に酔い、治世の何たるかを見失い、悲喜劇的な最期を遂げてしまった(タキトゥス「年代記」に詳しいです)。

モーツァルトも、少なくともマンハイムに行ってアロイジアに首っ丈になってしまったときは、ネロ同然だった。そしてついに、母の死とアロイジアへの失恋をときをほぼ同じくして味わい、こんな他人の綴っている言葉では決して言い尽くせない、深い傷を負うのです。

・・・でも、比較対照として的確ではなかったかも知れませんが、ネロとモーツァルトの決定的な違いは、
「モーツァルトは客観的に人の音楽的な<技量>を捉える確かな目を持っていた」
ところではないかと思います。

前2回が「セレナード(セレナーデ)」に着目してきましたので、本来ならばディヴェルティメントへ進むべきなのでしょうが、上記がどのようなかたちで現れているかの例を見るためにも、やはり名人芸的な要素を豊富に含んでいた「ハフナー・セレナード」からのつながりで行くと、ここで一旦、別の作品群に注目しなければならないかな、と思います。

それは、1776年に単発で作られたヴァイオリン協奏曲のための単独楽章と、2つのアリアです。
・・・さほど突っ込んだことまでは綴りませんが。



ヴァイオリン協奏曲のための単独楽章、Adagioホ長調K.261(年末頃作曲?)は、「トルコ風」のニックネームを持つ第5番の緩徐楽章の代替品であることは有名です。しかも、オリジナル楽章に比べ小規模で、旋律に音の跳躍が少なく、演奏が容易になるよう配慮されています。
これは、この年ザルツブルク宮廷オーケストラの新コンサートマスターとなったブルネッティに配慮してのものだ、とされています。・・・とすると、技術的に演奏が容易だ、ということは、ブルネッティはヴァイオリンの腕前が若干劣っていた、ということなのでしょうか?
これは判断が難しい話であるような気がします。腕前が劣っていたら、そもそも、より高度な技術を要する第1楽章、第3楽章は、ブルネッティには演奏できなかったとしか考えられないのです。
奏法上のテクニカルな面にだけ着目して、この代替楽章を評価してよいのかどうか。
別の面から見ますと、オリジナルの緩徐楽章は「オペラアリア的」であるのに対し、代替楽章であるこの作品は、より「歌謡的」である、と言えはしないかな、と思っております。
であれば、モーツァルトは、ブルネッティのヴァイオリンの音色に、技巧派的なものよりも、
「豊かで、しかもより庶民的な歌を持った演奏者だな」
という判断を下した可能性も無くはないのではないか。
・・・なんとも言えませんが、少なくとも前後の楽章は書き換え無しでブルネッティにより演奏された、という事実があったのなら、ブルネッティのそうした側面を強調してやろう、という思いやりから中間楽章だけを新たに用意した・・・そんな思いやりをモーツァルトが示した、と考えてみるのも、面白い気がします。
事実、父レオポルトが、息子がこの楽章を作曲するにあたって、こんな言葉を残しているそうです(アインシュタイン 訳書382頁による)。
「(第5協奏曲の中間楽章は)彼にとって気取ったものでありすぎたので。」


9月に作曲された2つのアリアも、それぞれにかなり特徴的です。
とくに、声楽分野では、モーツァルトはオペラのアリアを歌手の技量や要求に合わせて作ることには、13歳の時にはすでに習熟していたことが、過去の経緯から明らかです。(「見てくれの馬鹿娘」K.51「ミトリダーテ」K.87の作曲経緯を振り返ってみて下さい。)

「幸いの蔭よ--私はおまえを引き止めない」K.255は、現在では「アルトのための」ということになっていますが、本来はカストラート歌手(初演者はミュンヘンの宮廷から来訪していたカストラート歌手、フランチェスコ・フォルティーニ。ピエトロ・ローザと言う人に率いられた旅一座の一員に加わっていた由)のためのもので、最低音のインパクトの強さが、この本来の目的を明確に示しています。かつ、作りは意外にシンプルで、技巧的な動きは少ないながら、アリア部分はテンポが何度も入れ替わることで歌手の音楽性・表現力を最大限に引き出すよう配慮されていて、これも、モーツァルトがこの作品を歌うか主の特質を良く見極めていたことを物語っている特長ではないかと言う気がします。
なお、1783年にはモーツァルト自身がこの作品を「アルトのための」と言ういい方で書簡中で触れており、カストラート歌手が9年後のウィーンでは既に殆どいなかったのではないか、という歴史の断面も伺え、興味深く思われます。

アリア、というよりはシェーナ、と呼ぶ方がふさわしいそうである「愛しのクラリーチェを私の妻に」K.256は、ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」の中の「私は町の何でも屋」を先取りするような、三連符の連続する滑稽な歌で、短いながら、歌ったテナー歌手が大喝采を浴びた様子が目に見えるようです。初演歌手はこの頃ザルツブルクに滞在した旅一座の中の歌手、アントニオ・パルミーニ。(実は私は、アリアとシェーナの違いは分かっていません。どなたか教えて下さいね。)
・・・アインシュタインは、この作品を、同じ「セビリアの理髪師」でもバジリオの「中傷のアリア」というのに例えています。・・・ツウは、違うんだなあ。。。これは、「レコード芸術」誌2006年6月号の解説にある通り、新全集(NMA)第10分冊にスケッチも記載されていて、作曲家庭が分かる貴重な作品でもあります。また、こう言うスケッチの存在があることからも、モーツァルトが「ひらめいたままに音楽を作った」のではなかったことも明らかになるわけです。

簡単でしたが。
作品実例は、全集ものでないと手軽に触れられないのは残念ですけれど、今回採り上げた3曲は、あくまでモーツァルトの職人芸の「サンプル」ですので、ご興味を強く引かれたら聴く、ということでよろしいのではないでしょうか?

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