2008年3月17日 (月)

多「民族」・多「個人」・多「感情」

このブログは時事問題やそれに対する意見を述べるためには作っておりません。
綴っているのは、クラシックをメインとした西欧音楽のこと、そこから発展した好奇心に基づく、世界中の音楽の「歴史化」のささやかな試み(そして、それは時系列には行かないのだなあ、ということへの実感)・・・そういうことで気を紛らわしながら、私の個人的な感情を述べるブログです。

「なのに、今回のこのタイトルは何なの?」
と、難じられるかもしれません。

折しも、海外ニュースでは一向に沈静化しない「チベット暴動」が採り上げられ、国内政治経済ニュースでは「決まらない日銀総裁・・・ところが一方で米国証券市場への不安からの円高・・・不況への予感」が、ほぼ絶えることなく報じられています。
また、ニュースになっていることではありませんが、とある「カリスマ化」された(確かにそれだけ大きな存在だった)作家に対する、おそらく書籍としては国内初と言ってもいい<原点に帰って見直しをはかる試み>をした尊敬すべき研究に対し、研究者ご当人に「感情的な反発」が直接返されている、というお話も承りました(今日は敢てリンクを貼りませんが、前々日の記事で私の指している書籍が何かはお分かり頂けます。正式には読了後にご紹介します)。
会社生活の中でも、私のような万年平社員が直接どうということはないんですが、ある程度「職権」を持っている人が独断専行でコスト無視・周囲無視で勝手にコトを進めるような事態も目につきますし、かと思うと一生懸命頑張って来た生真面目な重役さんたちが、部下の不祥事、自分の過去の小さな不祥事などを理由に社内の力関係でどんどん経営の背景に追いやられて行く、などということも耳にします(あ、職場関係の人が読んでいないはずですので、ここまで綴っています)。

それらを眺めた結果でこんなタイトルにしたのではありますが、私はやはり、それぞれの事象について意見を述べたい、というのではありません。・・・違うのです。

先日アフィリを貼った、「きょとんチャン」というコミックがあります。
自分のために買ったのに、むごい娘に取り上げられて、いま、どこに隠したものか、直接参照することが出来ません。
ただ、このコミック、何が気に入ったか、というより、何が私を救ってくれたか、と言いますと、主人公が、アセッタさんという、いつも焦っている同僚に、
「ねえ、いちど、いろいろ考えるのやめてみよう。頭をのんびりさせよう。」
そんな意味のことを語りかけ続けていることでした。



この先を申し上げるには、しかし、やはり具体的な事例がいりそうですね。
あくまで、私がこのブログを綴りながら感じて来たことを軸にして綴りますね。

「音楽」という事象は、音楽学者よりも文化人類学者さんのほうが、そのルーツには本質を突いたアプローチをしていまして(最近ご紹介頂いて読み始めた「芸能の人類学」で、初めてきちんと思い知らされた気がしますが)、どうも「呪術起源」もしくは「信仰起源」らしいのですが・・・このブログの「曲解音楽史」というカテゴリでは、あえてそれより遡ってみる主観的な暴挙を冒しています。

で、これを時間という河の流れのままにまかせて下って行くと、これが相当な大河である上に、支流や湾曲が沢山あって、そこを流れる水の質が変わったり、淀んで動かなくなったりして、一筋縄では行かない。それぞれの支流や湾曲で、人々が音楽を掬い上げると、その音楽は「掬い上げた場所」によって内容が全然違うのです。
その多様性を一度に俯瞰出来るのは神様だけでしょう。
俯瞰した時に、
「どの音楽が正であり、どの音楽が誤である」
ということは、しかも、神様には断言ができないでしょう。

ましてや、私たちは、少なくとも同じ澱みで音楽を拾い上げると「これこそ正しい音楽だ」と信じたくもあり、他の澱みで拾った音楽をそこへもって来られたら「なんだそりゃ!」と文句も言いたくなる、狭い了見しかありません。集団においてさえこうです。
もし、たった一人、他の人とは違う「音楽」を拾い上げたとしたら、それだけを特別な宝物だと思ってすがりつきたくもなる。

出来ましたら、世界地図を開いてみて下さい。
現代のものだけ、ではダメです。百年前のもの、さらにその百年前のもの・・・という具合に、せめて10枚から20枚を並べてみて下さい。
完全版は手に入らないはず(高校の世界史の教材にはそれに近いものはあります)ですから、「きょとんチャン」にならって、いっぺん頭をのんびりさせて、時間をかけて、ご自分で描いてみて下さい。

民族音楽も知りたい私には、やはり直視も必要ですから、あえて引き合いに出します。
チベットを論じるなら、その地図の上でチベット人の占める領域の流動性だけでなく、周囲にも目を配ってみて下さい。・・・現在の「自治区」を見るだけでも、その位置は現在の国家で言えば、中国・インド・ブータン・ミャンマーといった多様な国に囲まれていることが分かります。では、周辺にある中国(チベット自治区は現在その一部とされているわけですが)・インド・ブータン・ミャンマーは、百年前は果たして今と同じ位置にあり、チベットと同じ境の接しかたをしていたでしょうか? その前に、チベットと言う領域は、今と同じだったでしょうか? それを確かめたら、また百年、もう百年、と遡ってみて下さい。・・・その流動性の激しさには、ちょっと「きょとん」とは出来ないでしょう!



多くの「民族」、多くの「個人」がいるなかでの、多くの当事者たちの「感情」は、もちろん大切です。ですが、それを<私>がもし外側から見るとき、その特定の何かにだけ感情移入するのか、特定の何かの感情だけを否定するのか・・・そもそも、そんなことが許されるのか? そんなマネをして近年大きな過ちを犯した大国が、どこぞになかったでしょうか?

味方になること・敵になることは、どんなにスケールの小さい場面でも、簡単に、勝手に出来ることです。
でも、味方になる前に、敵になる前に、「争ってしまってお互いに辛い思いをしている」はずの当事者に向かって
「ちょっと頭をゆっくりさせようよ」
とは、誰も言えないのでしょうか?
言えないのでしょうね。
なぜなら、口で言うのは簡単ですが、言うためには、自分の生命に対しても、自分自身が「きょとん」と出来なければならないから。



文学に限らず、最近は音楽でも、
「従来の研究者や愛好家が築き上げて来た<ある種の偏り>を是正してみよう」
という試みが盛んで、スタートはもう3、40年前に兆し始めているのですけれど、書籍になるところまで認知されるようになったのは、ごく最近ではないかと思います。
それでもまだ、冒頭に述べたような事態が起きている。
あるいは、口先で「研究者に心酔」している、と連携した企画を組みながら、結局は「研究者」そのかたではなく、表に出る自分自身をいかに売り込むかに腐心している人がいたりする。

悲しいです。

たとえば、大崎滋生という音楽学者さんがいて、ハイドンのエステルハージ時代の交響曲は、演奏に際してチェンバロが用いられようがなかったはずだ、ということを(書籍には載せていませんが)膨大なデータの裏付けをとり、エステルハージ家のオーケストラの規模から割り出している(もっとも、これは各論のひとつに過ぎず、大崎さんの視点の一小部分に過ぎません)。
大崎さんはこう仰っています。

「(前略)『見る』とは見たい角度から見る、ということでもあり、そして得心はその視野の中で完結してしまう。(中略)そして、見ることができたもののなかから、すなわち、そのときどき手にし得た資料だけで、音楽史は創られてきた。(中略)作成された楽譜集は音楽史資料を充実させることになったが、しかし当然のことながら、そこにはその運動の推進者たちの意識せざる隠された意図によってバイアスがかかった。(中略)過去の一分だけがメディア化されて”音楽鑑賞メニュー”となって、社会に共有されるという点にひとつの歪みがある。なぜそれが選ばれてメディア化されたのかという、メディア化された目的と、それは過去に於いて何であったのかという、メディア化されたものの往時における機能を、分析してみなければならない。するとしばしば、後世がそれを取りあげた目的と、それが往時に果たしていた機能との、ズレが浮き彫りになるだろう。後世の行為は後世の必要によって決定されるからである。」(大崎滋生「音楽史の形成とメディア」47〜48頁、平凡社 2003)

クラシック音楽の研究分野では、こうした「ものの見方」が認知されている(しかし、演奏者が本当にこの言葉を認知しているかどうかには・・・大崎さんと連携、と称したレクチャーコンサートなるものを初めて聴いた時にはなんとなく「いいな」と瞬時は感じながら、結局は比較対象とすべきものの呈示がなかったし、今後も企画されることがなさそうであることに失望と疑念とを抱いているので、私の中では留保がつきます)。それなのに、一方でカリスマ化された作家の研究については未だに「認知の幅」が広がっていないらしい、という事態は、遺憾です。・・・もっとも、私の念頭にある其の研究への評価は、これからなされて行くものですし、時間がかかるほど練り上げられたよい評価が受けられると信じております。

「多」を付すことの出来る語彙は、おそらく、人類滅亡のその日まで、「一(いち)」に収斂されることはないのかもしれません。

ですけれど、なるべくそこへ近づくためには、目先の「多」の、あまり美しくない万華鏡を覗いて
「なんだこりゃ! 作り直しだ!」
と大騒ぎする前に、いったんその万華鏡を目から離し、手に持つことをやめ、
「頭をゆっくりさせようよ」
と我が身に言い聞かせることも、必要なのではなかろうか、と思う今日この頃です。

なお、昨日あげた「ベートーヴェン第5」の幾つかの例は、いちばん最初のかたちはたどり得ませんから仕方ないとして、掲載したものはすべて「バイアス」のかかりかたの時代差を現している、と言ったら、再度ご覧頂くヒントになるでしょうか?
・・・たった百年にも満たない間に、これだけの種類の「バイアス」がある、というのも、また興味深いことですし、大崎さんや、私のいちばんお気に入りの作家論とは別方向に進まなければならないのかもしれませんが(或いは同じ方向なのかも知れませんが)、「ではなぜ、このようなバイアスがかかったのか」を考えるには、ひとつの面白いサンプルだと思っております。

・・・毎度、屁理屈でした。

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2008年3月 6日 (木)

空転の使者だった?NewYorkフィル

Maazel533

NY-webを数日眺め、最近、「音楽の享受される環境」について興味深い本をご紹介頂いたものを読みながら考えてみて、つくづく感じました。

で、以下の内容を政治向きの記述にしてしまったところで無意味です。

ニューヨークフィルの北朝鮮訪問は、旧弊な呼び方でいえば「西側」にあたる連中が事前に期待したような「北朝鮮への使者」たる使命は果たせなかったようです。
それに失望して真面目なことを綴った方もいらっしゃいましたけれど、結局これで終わってしまったのは、単純に、「何か転機をもたらすのではないか」という、北朝鮮の一部の政治屋さんの抱いた思惑が・・・アメリカに対してはインパクトを持ち得たものの、諸事情を総合的に勘案した時に、
「音楽は外交に使えない」
と、北朝鮮の首脳陣が最終判断した、ということを表しているにすぎないと思われます。

そう言う意味では、がっかりしてもしかたのないことです。

「音楽」は、「音楽」として純粋に楽しまれるためには、その音楽の性質に合った「純粋」な環境が整っていることが最小限の条件なのでしょうね。

・・・ヨーロピアンクラシックでは、北朝鮮にその環境を求めるのが無理だった、ということだけ、なのではないでしょうか?

彼らを取り囲んだ現地の記者数は少なく、中国とロシアの記者の方が「やや多かった」ということだけが、記事の本文に書かれていました。ロシアはもちろん、19世紀後半にはヨーロッパ音楽の強力な一翼をになっていました。中国には、ヨーロッパの音楽を取り入れたことが、間接的にではありますけれど、こんにちの上海などの経済成長に刺激を与えた実績もあります。ですので、この両国の記者が北朝鮮でのニューヨークフィルに興味津々だった・・・あるいは、自国も北朝鮮という(アメリカにとってよりは身近でありながらもなお)「異境」との間に新たな接点を見いだす糸口を掴める可能性に期待を抱いたかも知れないのは、自然な成り行きです。

結果的に、アメリカがどうだったかは別として、北朝鮮は、そうした中国やロシアにも肩すかしを食わせた恰好をとった。・・・「音楽は世界の共通語」なんかじゃない、ということを示してみせることで、自分たちの対面を守ることのほうを大切にした。
国際世論がどうであろうと、それがあの国の人たちの選択したことです。
その結果に対して責任を負っているのも、あの国の人たちです。

寂しいけれど。

NY-webには、マゼールが指揮した北朝鮮の国立オーケストラのワーグナー「マイスタージンガー」前奏曲の音も入っていました。これを聴くと、彼らは彼らなりに、実はすでに西欧音楽の何たるかを理解はしていることが伺えます。・・・エンディングがいかにも東洋調、であることを除けば、音程も、表情付けも、少なくとも日本人が理解している「クラシック」と大きな差はなく、音程はむしろ、日本人よりずっといい。
でも、音の上に掲載されている写真での、マゼールの表情は、厳しくて暗いものでした。演奏しているかの国の人たちの表情には、音楽の喜びがありません。かつ、いちおう黒系のスーツで服装を統一しようとしたあとは伺えますが、違う色のスーツの人ももちろんいますし、ネクタイとなると、全く統一感がありません。

そこから、しかし、私たちは何を察することができると言うのでしょう?・・・メディアによる、ごく僅かな断面からは、まだ真相は見えない。

かの記事から「音楽の無力」を知るべきなのか、ゆっくりと進むであろう何らかの希望を読み取るべきなのか、すべてはまだまだヴェールの向こう側です。
Pyongreception

以下、どれくらいの期限で残るかどうか分かりませんが、関連記事へのリンク。

New York Philharmonic in Asia: After the Big Event, Off to Seoul

New York Philharmonic in Asia: Maazel Conducts the State Symphony

New York Philharmonic in Asia: Random Observations

New York Philharmonic in Asia: A Rare Outsider’s Glimpse of North Korea

New York Philharmonic in Asia: English Lessons in Pyongyang

New York Philharmonic in Asia: Let Us Now Praise Minders — and Great Men

New York Philharmonic in Asia: A Reception in Sounds

New York Philharmonic in Asia: Messengers of Sound
 ※この記事に付帯したインタヴューに答えているNYPHのメンバーの話している内容が、
   決して否定的ではないところには、正直な「耳」で受けとめてよいものがあるとは思っ
   ております。

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2007年11月 6日 (火)

うちの街の「音楽」祭

・・・なるものがあったわけではありません。

が、この前の土曜日には小学校のバザーで、息子が金管バンドでトランペットを吹いて参加しました。

今日は、「市民合唱祭」で、娘のクラスが選んで頂いて、やはり歌いました。

ささやかな家族の記録です。
したがいまして、音楽に厳しい方にとって出来は宜しくはございませんでしょうが、またも親バカで、お聴きいただければと存じます。

子供たちが元気でやっていて、どんどん「羽ばたき」に向けて自分なりに頑張っていることを、大変幸せにも感じ、・・・一方では「とうちゃん、そのうち見捨てられるな」という寂しさも覚える、今日この頃です。
(叱るネタを見つけるのが私の道楽になっちゃってますから。。。)


1)息子たちのバンドの、バザーでの演目



2)娘たちのクラスの合唱

お世話になった先生方、ご父兄の皆様、本当にありがとうございました。
(って、皆様には、ブログのこと、お知らせしていないんですよね・・・もしお読みになったら、ということで、御礼はこの場でさせて頂きます。申し訳ございません。)


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2007年7月24日 (火)

幽霊としての音:「音世界」はヴァ−チャルか?

目下、
・藤原定家と後鳥羽の出会い
・唐・宋の頃の中国と日本の音楽関係
なんてあたりを読み漁り聴き漁り(といっても、読み出し、聴き出すと殆ど眠っている!)しているはず・・・なんですが、いつ記事に出来るか分かりません。

モーツァルト先生は都度の進行です。(ランスロットさんがまた面白い曲を取り上げています!)

で、当面は、その日その日目に付いたものから題材を拾ってみたいと思っております。


「明治の音」(内藤高 著、中公新書 1791 2005年)

という本があって、読みさしでずっと放り出したままだったのですが、これはじつはいい本でして、明治に日本を訪れた外国人が、日本の(音楽に限らない)音風景をどう捉えたか、を、
「新書によく収まったもんだなあ」
と感心させられるほど網羅している。




明治の音―西洋人が聴いた近代日本


Book

明治の音―西洋人が聴いた近代日本


著者:内藤 高

販売元:中央公論新社

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序章で幕末の音風景を概観したあと、第1章ではイザベラ・バードとモースの、第2章ではピエール・ロチ(私は知らない存在でした)の、第3章はラフカディオ・ハーンの、第4章ではポール・クローデルの「視点」からの明治初年の音風景を詳述しています。終章がまた、コクトーを引いたりしながら、これからの日本の音風景への展望も覗かせてくれる、という構成です。

そのなかの、第3章に、目が止まりました。
ハーンを扱った章です。

言うまでもなく、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、『怪談』の作者として日本中に知られている『外国人』(本当は外国生まれの人、というべきでしょう)です。
そのハーンの描く「日本の音世界」は、著者によれば
<幽霊としての音>
だという。
「(前略)実態を留め得ないという点で、音そのものが本来『幻影』を出現させるもの、一つの幽霊ともいえる(後略)」(134頁)
それが、ハーンの中のある「日本の音世界」だ、ということを、著者はハーンの様々な文、あるいは『怪談』創作時、とくに「耳なし芳一」を作っている最中、部屋を真っ暗にして自身が芳一になりきっていたというエピソードなどを通じて例証しています。
このあたりは、実際には読みやすいのですが、適切な引用をするのが困難なほど緊密な文体で書かれていますので、詳しくは是非、内藤さんの原文をお読みになって下さい。
ハーンの捉えた世界についての内藤氏の言葉で、さらに重要なのは
「諸存在の間の共鳴と言う現象が日本滞在後期のハーンの耳を特徴づけている。(中略)最晩年のハーンは小さなものから、さらにそれを超えて「極小のもの(infinitesimal)」へと大きく傾斜していった。それはある意味ではそれぞれの存在を巨大な無の中に解消していくことである。」(151〜152頁)
ハーンの捉えた日本の音世界を内藤氏がなぜ<幽霊の音>と表現したかは134頁の方の言葉で分かりますが、では、その幽霊とは何か、を表しているのが、151頁の方の言葉なのです。

してみると、<幽霊>というのは、「実体の無いもの」ではなく、「実体が解消していったもの」だ、ということが分かります。

同書に、「耳無し芳一」とオルフェウス神話を対比させた牧野陽子氏の研究があるのが紹介されていますが、それを踏まえ、双方の相違点について、内藤氏はさらに次のように整理しています。
「(前略)ハーンは音楽について語り始める。海の声よりもずっと深く、私たちを動かす音がある。『それは他でもない、楽の音----音楽なのだ』。(中略)音楽、それはいわば荒海の人間の中への内在化である。(中略)ハーンにとってのこの音楽は、荒海の声と呼応する激しい情念の音楽、芳一の音楽であり、波を鎮めるオルフェウスの音楽ではない。それは死者たちの魂を再び解き放つもの、『呪術』であり、『降神術』である。」

視覚には捉えられることのない、「荒ぶる神」・・・それこそが「日本の音世界」の支配者であることを、ハーンは見抜いていた、というところでしょうか。

ですが、音世界が「幽霊」だと言ってしまうと、とくにハーンからの連想では「暗い」イメージに沈潜しがちです。
内藤氏の著書『明治の音』の意図するところも、当時の日本の音世界に漂っていた独特の、「暗い」とはいわずとも「沈黙の世界から沸き上がってくるもの」を明らかにするところにあったのかも知れません。

日本においては・・・少なくとも明治期より前までは・・・それだけ分かれば充分なのかも知れません。
とはいえ、このような「音世界」は日本だけに特異なものだったのかどうか。

音世界とは「実体の解消していったもの」なのだとすれば、この「解消した実体」とは、私たちが現在「ヴァーチャル」と呼び慣らし、その「存在」になじみつつある世界と、重なり合う性質を持っているのではないか

このことについて、さらに機会を設けて、日本の外の世界へも一歩ずつ踏み込んでみるのも、悪くないかもしれない・・・そんな思いが私の中に湧いてきました。

この先、しかし、どうやって観察し、思考したら、「音世界」の何たるかをつかむことが出来るでしょう?

ああ、自分向けに余計な、手に負いきれない宿題を作っちゃったかもしれない。

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2007年7月22日 (日)

ラブ・チャップリン(CD紹介)

「作曲家としてのチャップリン」については、前に述べました

見つけておいて知らんぷりしていたのですが、とうとう息子に発見され、チャップリンの作品集のCDを買うはめに陥りました。

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ラブ・チャップリン
Music ラブ・チャップリン

アーティスト:映画主題歌,チャールズ・チャップリン,ザ・フューリーズ

販売元:ビクターエンタテインメント

発売日:2003/05/21

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「モダン・タイムス」から2曲、「ライムライト」から4曲、「ニューヨークの王様」から3曲、「サーカス」と「伯爵夫人」からそれぞれ1曲の他、音楽としてはあと3曲の14曲を収録。他には「独裁者」と「殺人狂時代」の、各々の最後を飾る演説を収録しています。

チャップリンの音楽を「クラシック」としてとりあげていることは、いまのところまず有りませんが、私は彼の音楽は、ある意味でドビュッシーらにも比肩しうる「アンチ・ワーグナー」だと信じています。
が、そのことでへりくつをこねるには、映像と音楽の兼ね合いをいじくりまわして綴らなければなりませんので、そういう機会があることを祈りつつ、今日はやめておきます。

また、「街の灯」に出てくる有名なボクシングシーンに影響されて、息子はテレビにつないでトレーニングするボクシングに凝っているのですが(機材代が1万円しないので、安いから買ってやりました)・・・これは言ってみればヴァーチャル世界でのスポーツでして。
この「ヴァーチャル」という、一見新しく出来上がりつつ有る世界は、実は音楽は発祥した時点で既に有していた世界だった、という「珍説」も、私は・・・これまで音楽史を「曲解」してきて・・・持ちつつあります。
このことも同じように喋りたくて仕方がないけれど、しばらく我慢します。

ということで、機会があったら、ほんとうに、チャップリンの音楽世界も覗いてみて下さい。

いいですヨ!

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2007年7月16日 (月)

家内のクラリネット

自分はヴァイオリンしか出来ませんし、それもたいした腕ではありません。
それでも、女房の弾くヴィオラよりは遥かにマシ、ではありました。
女房がヴィオラを弾く姿を見るのは、好きではありませんでした。
女房の演奏姿は、まるでロボットで、弓を上下させるたび、ヴィオラの音よりも体のあちこちの「ネジ」がギシ、ギシと鳴る音が聞こえる、という具合でした。
そうなんです、不死身のロボットのはずだった。。。

そのギシギシは、歩く時も同じで、いつも体がビッと枠にはまった感じで、足の動きも直線的で、しかも、<超速>ってな具合で・・・むしろそれが、なんだかいつも、かえってはかなく見えて、心配で、私がウツで休む羽目になってからは特に、でしたが、新婚当時、未だ土曜出勤だった彼女を見送る時も、その姿が無事に元気なまま視界に捉えきれなくなるまで、ずっと見ていなければ気が済みませんでした。

歌は、絶品でした。それは、前にも綴ったかも知れません。
プロポーズした前々日の晩がクリスマスコンサートで、彼女の背中から透き通って聞こえてきた「聖しこの夜」の声に、まるで磁石に引っ張られる釘のように、私はくっついて行ってしまったのでした。

ですが、彼女のヴィオラ演奏姿を見るのを嫌ったせいかどうか、もう一つやっていたはずの楽器、クラリネットは、とうとうその吹くところを見せてくれませんでした。
私も楽器があるのはずっと知っていましたが、遺品を整理するまで開けてもみませんでした。

「自分の全然分かっていない木管楽器を知らなければ!」
前回の演奏会の練習で思い知り、何をやろうとなった時、考えて、自然に選んだのがクラリネットでした。
そのときは、家内のクラリネットの存在は全く忘れたままでした。

仲間が教えてくれると言うので、下準備していて、
「もしかして、家内の楽器が使えるかも」
と思い、キーの塗装もはがれてしまっているようなその楽器を取り出して、鳴らしてみました。
無事に鳴ってくれました。
その結果、クラリネットの基本は、家内の楽器で教わって行くことになりました。

ま〜だ、指を一本も当てないで「ボー」と音を伸ばすだけ(開放音)です。
ヴァイオリンも、開放弦がきちんと鳴るところから練習を始めなければなりませんから、
「ああ、全く同じ方法で練習が進むんだな」
ということを初めて知りました。

ブラスバンドの顧問をしていても、自分の学校のバンドが賞をとることなんかより、響きが美しくなることを最優先に指導してきたのが、私の家内です。
新婚当初と、死去の数ヶ月前を含め、数度聴きに行きましたが、いい指導をしているなあ、と感心したものです。
だったら、クラリネットは、ヴィオラと違って巧く吹けていたのかもしれない。

真相は、僕を迎えにきてくれてからあとでないと分かりません。
寂しがりの僕が耐えきれなくって、他の人を見つけようなんてしたりしても、迎えにきてくれるかしらね。
(あてもないくせにこんなことを思っているのでは、しょうもないですけど。我が子たちより子供じみて寂しがりの僕には、「連れ」のいないこと以上につらいことはありません。かといって家内が生き返ってきたら・・・ちょっとコワい。)

ヤツにヴィオラの仇を取られないように、いい音が出せるようになりたいけれど、まずしばらくの間・・・下手すると一年くらいは、開放音を「ボー」と鳴らし続けるしか、僕には能がないかも知れません。

さあ、今日もこれから、「ボー」に取り組むこととするか。

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2007年5月 1日 (火)

音楽の内と外

前から感じていたことをあらためて考えています。
音楽には内と外があるのではないか?

内とは、すなわち心の中に築かれるもの。
外とは、社会との関わりに即して形成されるもの。

音楽を起源から問い直そう、と思ったきっかけ自体が、特に演奏という行為、鑑賞という方法の多様さに、個人の視野では捉え切れない、大きな渦のようなものがあって、小さい存在ながらも、自分なりに、その渦の正体に迫ってみたいと思ったからでした。
今、昼のパンをかじりながら、キリスト教会史を読みつつ、思いを新たにしているところです。
キリスト教会が、ローマの国家宗教となったとたんに、十戒のなかの、汝殺すなかれ、を無条件に守れなくなっていく。
この時、聖職者たちは何を悩み、どう決断したのか。。。
そのことまでには触れないでおきますが、例えばこうした事象は世間の音楽のありかたにも大きく作用していく。

作品成立のより正確な事情が分かればいいのではない。誤解が常識化したのであれば、どうして誤解のままで人々が良しとしてきたのか。

・・・そんな果てしないことまで、私に分かるだろうか?

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2007年4月 7日 (土)

『象さんの子守歌』:井上直幸

611死を目の前に、人はどんなものを残せるでしょうか?

幼児時代の私を可愛がってくれたオバサンは、3人いたお子さんのうち娘と次男を早くに失い、信心深くなっていました。不幸の後も、仏さんそのままの優しい人柄でした。老いて足は衰えましたが、健康も何とか保って生き続けていました。そんなオバサンが、でも、どういう理由からか、臨終のときには
「早く死なせてくれ、早く死なせてくれ」
と連呼したそうです。何故だったのか。分かりません。

肉体の生命力が、死を停めた有名な例は、ベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」だろうかと思います。これは、彼の精神を蘇らせたという意味では素晴らしい<事件>ではありました。が、文面そのものは、読み様によっては自己への苦渋と嫌悪に満ちたもの、かつ、肉親への愛憎もむき出しであって、はなから「死」を迎えるための遺書では無かった、と見るべきでしょう。

モーツァルトは遺作として「レクイエム」を残しました。いまでも「死」を考え、(キリスト教用語ではないので不適切ではありますが)供養を願う人びとに広く訴えかける、偉大な遺作です。けれどこれも、生への執着を如何に絶つか、という難題と葛藤を繰り広げるからこそ説得力を持つのです。
R.シュトラウスの有名な作品は、人間が「死」によってもたらしてもらえるものに対する期待をそのままタイトルともし、音楽の内容ともしています。「死と浄化(変容)」。・・・ですが、これは別段、作者自身が死に瀕した際の作品ではありません。R.シュトラウスの音楽上の死は奇しくもやはり「メタモルフォーゼン(変容)」のタイトルを持ちますが、これはベートーヴェンのエロイカの葬送行進曲を引用して、悲しみのうちに幕を閉じます。
同じくベートーヴェンの「月光」ソナタの主題を、こちらは空虚に引用して曲を終えるのが、ショスタコーヴィチの実質的な遺言的作品であるヴィオラソナタであることも、よく知られています。

昨年暮れ、家内の死の直前、私がようやく探し当てたCDが1枚、あります。
ピアニスト、井上直幸さんが、やはり「死」を目前に控え、自分の「死」を見つめながら残した録音です。
見つけてすぐ、自分の家内の死にあってしまったため、私には今日までこのCDの封を切る力がありませんでした。いや、今日も、決してあった訳ではありませんでした。

聴き終えた今、開封して本当によかった、と、しんみり思っております。

「象さんの子守歌」カメラータトウキョウCMCD-25010 (2,625円)

という、このCDが残されたいきさつは、ライナーノートにも勿論載っていますが、以前ご紹介した井阪紘著「一枚のディスクに」にも記されているところです。井阪さんは、このCDのプロデュースを、井上さんから引き受けた人物でもあります。
引用します。

彼から、三月中旬に「会いたいんだ。もう幾許もない人生かもしれないが、最後に遺したい仕事があるんだ。相談にのってよ!」
(中略)
「ボクは何とかもう一度力を振りしぼって、ボクの音楽のメッセージを遺したいんだ。もうすぐ一切になる孫が、こんなになってもボクのピアノを一生懸命聴いてくれるんだよ。それに勇気を授けられたのかな、そんなCDを一枚自宅のピアノで録りたいんだ。(略)」

こうしたきっかけから録音され、出来上がったCDの選曲内容は、以下の通りです。
どれも、今まで聴いたどんな名演奏の数々よりも澄み切って聞こえたのは、私自身の今の精神状態の所為なのかどうか・・・
あとで家内の仏前に供えます。

(曲目)
モーツァルト:メヌエットK.1・K.2、K.5、アレグロK.3
同:「ロンドン音楽帳」よりK.15a,K.15b,K.15d,K.15hh,K.15ii,プレスト変ロ長調K.15ll
J.S.バッハ:「アンナ・マグダレーナの音楽帳第2巻」より3曲およびエマヌエルバッハのメヌエット
シューベルト:「初めてのワルツ集」D.365より1,2,3,15,16番(井上氏編)
同:エコセーズD.511、「8つのエコセーズ」D.977より第8番
シューマン:「子供のためのアルバム」作品68より10曲(「楽しき農夫」を含む)
ドビュッシー:「子供の領分」より「象さんの子守歌」

2003年3月23、31日録音。井上氏逝去は同年4月22日。享年63歳。

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2007年1月 8日 (月)

ウイーン・リングアンサンブル in 松伏

2007年1月7日、埼玉県松伏町の田園ホールエローラで、素晴らしいニューイヤーコンサートを聴くことが出来ました。
演奏者は「ウイーン・リング・アンサンブル」。9人の変則的な編成から成る団体です。時々臨時に結成されるのか、主催の松伏町に意図があって大々的な宣伝を控えたのか、大変重要なことが、プログラムには記載されていませんでした。
このアンサンブル、全員が実はウィーン・フィルのトップクラス奏者です。楽器別に、ウィーン・フィルでの略歴を記すと、以下の通りです。

第1ヴァイオリン:ライナー・キュッヘル~1950生、1971入団。首席コンサートマスター
第2ヴァイオリン:エクハルト・ザイフェルト~1952生、1976入団、第1violin奏者(良く2プルト目で弾いていらっしゃいます)
ヴィオラ:ハインリヒ・コル~1951生、1983入団。ヴィオラ首席奏者
チェロ:ゲアハルト・イベラー~1958生、1988入団。キュッヘル氏、ザイフェルト氏、コル氏と共にウイーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団のメンバーとなっている。
コントラバス:アロイス・ポーシュ~1959生、1981入団。リスト上ではコントラバスパートの筆頭にお名前が記載されています。
フルート:ヴォルフガング・シュルツ~1946生、1973入団。リスト上ではフルートパートの筆頭にお名前が記載されています。
クラリネット:ペーター・シュミードル~1941生、1968入団。リスト上ではクラリネットパートの筆頭にお名前が記載されています。
クラリネット:ヨハン・ヒントラー~この方だけ、詳細を把握していませんが、同じパートにハンス・ヒントラーという方がいらっしゃり、その縁者かも知れません。
ホルン:ギュンター・ヘーグナー~1943生、1971入団。ホルン吹きの方には良く名前が知られているはずです。

コンサートは、
「ホールも楽器なんだなあ」
ということをよくよく感じさせてくれる、面白い立ち上がりでした。最初は、鳴りがこなれず、音が籠って響きが充分に拡がらない。それが、あまり立たないうちに曲中で次第に、まずはメンバー同士が共鳴し始め、次にメンバー全員を覆う紫雲のように漂い、そんな過程を経て初めて、客席まで音楽が伸びて届いてくるのです。これは、奏者がホールといかに付き合うか、を身につけようとしたら、恰好のヒントではあります。
次に嬉しかったのは、9人という選抜メンバーでありながら、ちゃーんとウィーン・フィルの音色がしたことでしょう。技術さえしっかりしていれば、厳密なアンサンブルをしようと無理な努力をする必要がない。ウイーン・フィルはそれを体現したオーケストラです。何十人いても、たった9人でも、同じ技術力、同じ精神で音楽をしているから、何も変わらない。したがって、批判的に物理的に聴けば、アインザッツなんかしょっちゅうズレます。が、実際問題として、音楽として聴く上では、ズレには何も支障が無いばかりでなく、むしろ響きに暖かみさえ加える点で歓迎すべきものでもあります。・・・みっともない、非音楽的なズレ、は、彼らのように音楽がすっかりしみ込んだ人達は絶対に起こしませんから。
もうひとつ、特筆すべきは、ここ25年ほどのフルオケでの正規のニューイヤーコンサートと違い、リングアンサンブルのニューイヤーコンサートには、ボスコフスキー時代のユーモアが随所に生きていたことです。
「ハンガリー万歳」でのラストの掛け声。
「観光列車」で車掌の帽子を被っておどけるフルート。
ワルツ「水彩画」に挟み込んだ、力強い足の踏み音。
アンコール2曲目の「ラデツキーマーチ」、トリオではフルートとクラリネットが、どちらかがヒマだと相手にちょっかいを出し合う。・・・近年のニューイヤーコンサートでは、絶えて見られなくなった光景です。これをみることの出来た人は、最高に幸せなはずです。

弦楽器が伴奏に回る際のキザミのリラックスしきった奏法は、日本の弦楽器奏者すべてに是非見せたい。日本のオケマンのキザミは、プロもアマも問わず、手首を固め、肘を固くしているので、響きが拡がりません。この点は一流奏者でもしばしば見せる欠点です。ウイーンの連中に学ぶ謙虚さが必要なのではないでしょうか?
弦とのバランスに、もう条件反射的に楽々と自分を抑えたり主張したりする感覚を備えている管楽器陣、またコントラバスも見事でした。ホルンは、「ウイーンの森の物語」で、たった一人で、ですよ! 近くで鳴る角笛が、だんだん遠くへコダマとして消えていく有り様を見事に描ききった吹きぶりでした。・・・ああ、こういうのを、いつも身近で聴くことが出来たら、奏者たちはもっと工夫をするんだろうなあ。。。

プログラムは以下の通り。
「こうもり」序曲
「芸術家の生涯」
ポルカ「アリス」(J.シュトラウス1世)
「ハンガリー万歳」
「ウイーンの森の物語」
ポルカ・シュネル「観光列車」
(休憩)
「天国と地獄」序曲(オッフェンバック)
「パニッツァ・グルーヴ!」(藤倉大)
「トリッチ・トラッチ・ポルカ」
ワルツ「水彩画」(ヨーゼフ・シュトラウス)
ワルツ「人生の電鈴」(ランナー):ヴァイオリン2、ヴィオラ、コントラバス
オペレッタ「ほほえみの国」メドレー(レハール)
「天国と地獄」~カンカン(オッフェンバック)
(アンコール)
「青きドナウ」
「ラデツキー行進曲」

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2006年12月12日 (火)

雑感:「違法阻止」だけでいいの? 著作権

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恥ずかしながら、一進一退の「ウツ」で、今日は欠勤。
朝のニュースで「著作権」のことが話題になっていたような気がしましたが、薬の関係でそのまま爆睡。
昼に目覚めて、喫茶店へ昼食をとりに行って、ボンヤリとシューベルトのことなんか考えていました。

「未完成交響楽」という映画のワンシーンです。

記憶の世界なので間違っているかも知れませんが、シーンは、シューベルトが長屋街の真ん中にある井戸端に行くと(って、もうこの時点で記憶が日本の時代劇になってます。チョンマゲを結ったシューベルト。)、水を汲むお姉ちゃんたちが
「わーらーべーはーみーたーりー、」
なんて、どっかで聴いたような歌を歌っている。
「あ、この歌・・・ボク、まだ出版していないのに!」
なんでみんなもう知ってるんだ? 
「あなたの作った歌って、楽しくってすぐ覚えちゃうのよ」
と、シューベルトに惚れてる町娘。
といったようなお話。

これ自体フィクションですし、かたいことを言えば、今の世の中で言う「著作権」とは異質なんですが、「歌」というものは、人間がそれを生み出して以来、すでに
「この歌はオレらの種族しか歌えない」
「この神様を信じていないものが歌ったら天罰が下る」
とかいった発想は、どうも、あったらしいのです。

ですが、そのことは、無視。

権利がどうの、って言われたって、流行る歌ってのは口伝えで広まりますよね。
「大きなのっぽの古時計/おじいさんの時計」
とかね。
一方で、今のまじめな作曲家がせっかく素敵な曲を作っていても、そしてそれが決して難しくない作品だったとしても、なかなか世に知られない。

で、シューベルトのシーンの次に頭に浮かんだのが、「Piano」臨時増刊「のだめ号」にある、服部隆之さんの言葉。
「曲は世に送り出したらひとり歩きを始めるものだから。」(43頁)

思い出した瞬間、私の脳内イメージは、早退した昨日、ガックリきながら乗った電車で目にしたポスター。
「音楽の違法ダウンロードは著作権侵害です!ゼッタイにやめましょう!」
みたいな文句。正確には思い出せませんでした。
(ついでながら「違法ダウンロード」という言い方だけでは、何が違法だか分かりませんよネ。なんか、ニセの印籠でも三葉葵が入っていれば水戸黄門、みたいな。。。)

(CD業界は、あいかわらず売上減にあえぎ苦しんでいるのか・・・)
そんなことを漠然と思っただけで眺めたポスターでしたが。
(でも、あまりに通り一遍じゃない? 工夫が無いよ!)
同時にそう感じたことも思い出しました。

ネット配信が伸びてきたとはいっても、あるいはCD屋さんに行っても、ユーザーとしては試聴出来る機会もサンプルも、まだまだ決して多いとは言えないのが実情ではないでしょうか。
そのときに、「違法行為」禁止だけを声高に訴えても、音楽を産業として捉えた場合には、自分で自分の首を絞めていることにしかならないのでは?
そのことが、とても気になります。

法律の文章は、私たち一般庶民には大変読みにくい。意味がわかりにくい。
その上、あいかわらずわたしたちは時代劇そのままの気風で生きているのでありまして、
お代官様:「法律で禁止じゃ!」
百姓たち:「(一同平伏)うへ、へへェ!」
お代官様:「ときに、五左衛門」
五左衛門:「う、・・・」
。。。と、ここで五左衛門、突然立ち上がって、逃げようとする。
。。。お代官様の配下たちが五左衛門を取り囲む。
お代官様:「この、まっしろいCDじゃがな、おぬしのものに間違いなかろう。」
五左衛門:「な、何かの間違えでごぜえますだ、お代官様!」
お代官様:「(ほくそ笑んで)ムフ。。まあ、話は後でゆっくり聞かせてもらおう。」
五左衛門:「わしには、何の覚えも・・・!」
お代官様:「それ、ひっ立てい!」
配下たち:「かしこまって候」
てな具合なわけです。

音楽普及道、此れにて絶たれたり。

ブログを始めるとき、「音」をアップロードするのはどこまで可能かな、と著作権法を調べましたが、結論は
「個人運用、かつ引用であれば可」
というものでした。ただし、個人運用というのは法律そのままの言葉ではないし、「引用」というのにも気をつけなければならない制約がありますから、充分な注意は必要です。
でも、どこかで
「口コミで拡がる音楽の輪」
があってもいい。その材料としてのブログがあってもいい。それで結果的に日本のたくさんの素敵な音楽家が潤って、より素敵になっていってくれれば、本望だ、とも思うのです。

著作権協会の方、業界の方には、そんな口コミを拡げるための
「正しい引用の仕方・・・音楽振興のために」
なんていう積極策も望みたいナ。

と、私には全く似合わない話題を綴ってしまいましたが。
もし業界の方がお目に留めて下さるようでしたら(って、いつも言いますがマイナーブログですから、可能性には殆ど期待していませんけれど)意をお酌み頂ければ幸いです。

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