2014年12月20日 (土)

無料です【12月23日】東京ムジークフロー演奏会(大田区民プラザ)

とってもぎりぎりではありますが、所属するアマチュアオーケストラの演奏会のご案内です。
入場無料ですのでお気軽にお越し頂けましたら幸いです。

日時:2014年12月23日(火:祝日)

開場:13:30 開演:14:00
入場無料(全席自由席)
場所:大田区民プラザ
・東急多摩川線下丸子駅下車約1分  (蒲田から3駅)
・東急池上線千鳥町駅下車徒歩約7分 (同上)

Ts_unoki_2

http://www5f.biglobe.ne.jp/~orc/tmf/concert.html

【指揮】菊地 俊一
【曲目】
  ・ベルリオーズ:ローマの謝肉祭
  ・ミヨー:プロヴァンス組曲
  ・メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」

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2010年9月12日 (日)

プロとアマの差、は歴然と存在します。

ヨーロッパ在住の非常に優れた古楽奏者阿部千春さん(Vn.コンチェルト・ケルン等で活躍)による「バロックヴァイオリンコンサート」は10月8日(金)新高円寺のスタジオSKで。



日本人作曲家の作品を集中的に紹介する大井浩明さん《Portraits of Composers》(POC)は、2010年9月23日(祝)、2010年10月16日(土)、010年11月13日(土)、2010年12月15日(水)、2011年1月23日(土)です。1回券はローチケ(ローソンチケット)で(入手法まとめました)・3回パスポート・5回パスポートはopus55にて入手出来ます。

上記の阿部千春さん・大井浩明さんによる「モーツァルト:作品2」、昨年大好評の作品1に続きより充実の響きです。10月13日。(リンクでは大井さんの師カニーノとアッカルドの演奏引用で曲のサワリをご承知頂けます。)

プロとアマの差、は歴然と存在します。アマは責任を取らずに済みますが、プロはそうはいきません。それを知らずにプロなさってる方は、どんなご職業だろうと、アマに転向なさったほうが宜しいです。

モラル的「責任」ならアマチュアでやっている事でもさんざんとらされて参りましたが、泣いてもそれで命に困ったことはないです。本気の<職>なら一つの「過ち」でも絶命です。故意に「過つ」覚悟がいる場面もあります。

エピソード3の1)ある出稼ぎ大工さん、歌が上手い。仲間曰く「こいつデビューしてレコード出したことあるんだ、千枚も売れんかったけどなぁ」本人「むふふ〜、本職やるにはいろいろ覚悟がいるけんのう、あはは〜」

エピソード3の2)あるアマチュアオケ、演奏旅行に行きましたとさ。明けてビックリ、メンバー50人に対してお客は5人。でも「大成功だったね〜」と打ち上げで主催者のお金でしこたま飲み食いして帰りましたとさ。

エピソード3の3)「黒字出したい」「あと何人入ったらええんですの?」 「○人」・・・演奏家さん、夜中の3時まで必死で宣伝メール。翌朝8時には出掛けて、特殊楽器なのでスタジオで夕方のステリハまで自己練習。この行動がなければ赤字だったかもしれなかたところ、が大入りかつ非常にウケた演奏会になりました。

こういう切迫感の違い、分かります?・・・世界が違っても、いっしょです。技術云々、ハート云々なんてぬるま湯ん中でプロさんが

「プロとアマの差?そんなもん無いんじゃない。出来る人はできるし、できない人は出来ないし。」

なんて安易な発言はするべきではない。アマにどんな責任を負わせるおつもりか?



野村誠さん・片岡祐介さん「音楽ってどうやるの」「即興演奏ってどうやるの」、もっと早く知っていたかった好著でした。ご一読を強くお勧め致します。

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2009年2月20日 (金)

「正しい」という言葉への、ふとした思い

文章力がないため長文になりますので、咲きにこの1週間綴った記事のリストを掲載しておきます。

・「正しい」という言葉への、ふとした思い
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-1757.html
 ※ 今日の本文と同じです。
   ただし、リンク等、こちらでは貼っていないもの、
   文字の色を変えたところなどがあります

・曲解音楽史55)多様化するイタリアバロック
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/55-e145.html

・プロオケの財政(大阪センチュリー助成金問題を振り返って)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-ec7f.html

・モーツァルト:レ・プティ・リアンK.Anh.10(299b)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/kanh1299b-ce06.html

・2月14日練習記録(弦分奏):TMF
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/tmf-66fd.html



ふりかえってみれば、「うつ」になった自分が、「何かを見つけなおそう」と思ってブログを始めてから、早3年半が経ちました。
思いがけないことに・・・それは本当に、未だに残酷な夢のようで、私に追い討ちをかけ、いちばん信じられずにいつづけていることなのですが、
「お医者さんの話だと、ようやく、薬がやめられそうだよ」
「そう、よかったね!」
と、いちばん喜んでくれた家内が、ブログを始めてたった7ヶ月後、こんな会話をした本の数日後に、急死してしまいました。

それが、私をいっそう、ブログなんぞを綴ることにのめりこませたいちばんの要因です。
で、様々ありまして、最初綴っていた私的なことは、ブログのサーバの業者さんの仕様変更に伴ってこちらを新設しなければならないという事情が発生してから、こちらでは殆ど綴らなくなっていました。
またちらちらと綴り始めたのは、「好きな曲」として分けたカテゴリの中でであることが殆どで、併せて旧ブログには、週1回、オーケストラ仲間の皆さんへお出ししているメール(みんなさぞ迷惑していることでしょうね!)を少しだけ手直しして載せるようになりました。

家事もあるのですが、それでも殆ど休まず続けてこれたのは、まだまだ学業半ばの子供たちがだんだんに家事分担も手際よくこなせるようになってきてくれたこともありますけれど(感謝)、何よりも、心のどこかに
「そうだ、綴りつづけることを、やめてはいけないんだよ!」
という、誰からでもない言葉が聞こえてくる気がするからです。
「なぜなら、お前には、学ばなければならないことがまだまだあるから」
・・・そして、学ぶということは、一生続くものだから、という声です。



初めは粗々でしたし、いまでもパッと飛びついた本や音楽や映像には動物的に
「あ、これはいい! これはいかん!」
と思うとまず何も顧みないで所感を述べてしまったりする軽率さは・・・生来の性格なのでしょう・・・やっぱり抜けずにおります。

が、それでも、とくに家内を亡くしてからは、「意味を<読む>」大切さを、つくづくと感じながら、一度飛びついたものを見直してみる精神も、ちょっとは自分の中に芽生えてきたような気がしています。

これはひとえに、まだ家内の生前からブログ上でお付き合いを始めさせていただいたガメラさん(改めイワンさん)、JIROさん、仙丈さんを初めとする皆さんが都度ヒントを下さったおかげですし、直接ご本名を挙げて恐縮ですが、文学にからきし疎い私が、杉山欣也さんのご著書『三島由紀夫の誕生』を拝読して徹底して思い知らされた、「分析的にものを見るプロセスの大変さ、それでもそれを可能な限り<客観的にまとめ上げる>努力の継続の重要さ」が、たかが一介のサラリーマンの趣味であっても、可能な限りはただの娯楽に済ませず、予算と機会に限りはあっても可能な限りの調査は肯定的なもの・否定的なもの両面からなされなければならず、「では、本質のありかはどこか?」を見極めなおさなければならない、との思いを私に強く持たせてくださったおかげです。(ついでに言えば、杉山さんの客観的態度は、「三島由紀夫」と併行して「小林多喜二」も観察できてしまう・・・とくにご年配のかたにはこんな併存は信じられないでしょうが、いずれの作家・作品に対しても、「温かい目」を失わずに客観性も保つ、という目が備わっています。「温かい目」というのも、あまりに軽率に熱に走る著作が、今の日本には分野を問わず新発刊され続けている事実を前にしたとき、非常に重要な、取り戻すべき本質のひとつであると思います。)



きちんと理解できていないので恐縮ですが、杉山さんの「方法」は、およそ<三島由紀夫>と称するようになった一作家が、現在の既成の価値観で「右かどうか」などという結果から見た勝手な主観で判断されることを白紙に戻すことからスタートしている点で、衝撃的でした。

それまでめぐりあったいろいろな書物、とくに音楽の「演奏法」とか「解釈」を建前とする書物などは、きちんとした定義を全く明示しないままに、筆者の中には出来上がっているだろう「定義」が独走しているケースばかりでして、それを振り返ってみると、本当の意味の「良書」は、少なくとも私にとっては、ブログ中で夢中になって誉めてしまったものはあるにはありますが、読み返すと「あれ? これ、分かんねえや」というものが多いのです。(訳書でしか読んでおりませんが、これは、クヴァンツやレオポルト・モーツァルトの時代のヨーロッパの著作では初歩から入って彼らの考える本質までを順序立てて述べているという点で、遥かに優れています。)
それでも生涯で今でも「これはいい」と思っている本は2つあります。ただし、そのひとつである諸井三郎さんが書いた音楽理論の入門書はもう手に入りません。
もうひとつは、近衛秀麿著『オーケストラを聞く人へ』で、これはこんにちでも入手可能です。本当に初めてオーケストラというものを聴く読者に向けて、これ以上懇切丁寧に、分かりやすく、しかも極力筆者像を前面に出さないで述べた書籍は、以後全く発行されていません。音楽なんて誰が作ったものでも、心を捉えてしまえばそれは神様からの贈り物だ、とでもいった趣旨の、とあるささやかなエピソードに始まり、楽器の紹介、管弦楽法(オーケストレーション)の基礎にまで言及し、(ここ以降はもはや歴史的記録になってしまいましたが)欧米の名ホールの音響がどうしていいかの説明があり、名指揮者の紹介があり・・・近衛さん自身の音楽に対する「価値観」などは、表面上、みじんも現れない書籍です。・・・たとえ近衛さんがNHK交響楽団の自立の上では障害となった面もあった、という伝記的事実があるにしても、この「記述の客観性」は、完全にそんな「俗な」近衛さんの人格を超越しています。
「なぜ、このような記述方法に倣う書籍が、音楽には現れないのだろう」
日本の近衛氏やヨーロッパ18世紀の音楽家たちの著作と対比しつつ、つくづく顧みるに、それだけ音楽というものは人の主観・感情に直接訴えかけるから主観性が強くなりがちなのかもしれません。

客観的であろうとすると、とかく「作品はこうあるべきだ」・「演奏はこうあるべきだ」・「聴かれ方はこうあるべきだ」という<主義>が、ご著者にとっての<主観的音楽>から脱しないままになされがちだからなのではないかと思います。・・・たとえ、記述の前提が楽譜への回帰を訴える「原典主義」、その校訂の是非を問う「作曲の原点主義」であっても、残念ながらそれだけでは、音楽全体を「客観的に」捉えたことにはならない。なぜなら、そこには「批判される素材ありき」での話の進行があるからです。・・・「白紙」に戻っていない。
資料を提示しているから「白紙」の証拠、というふうには、ならないのですが、そこのところが著述をなさるにあたってご著者が理解なさっていないのではないでしょうか? 振り返って見ると。最近読んだ日本人の著述は、話の順番が「論が先、証拠は中出し、論の再強調」であるものばかりでした。

これがいかに「こんにちの一般的な日本の出版物」に見られる偏った傾向であるかは、人類の「理性的な著述」の出発点であるプラトンの対話編(短いものでいいのです)や・・・このような「読み」をするのはご信仰のある方には切ない面もあるかも知れませんが・・・旧約聖書の『創世記』、あるいはまるきり文学作品であり、より新しく、一見筋が通っているのかどうか分からないカフカの諸編などを読み込んでみても、それらに共通する著述態度から日本の最近の書物が大きくずれていることをよくよくお読み取り頂ければ、その異常事態ぶりには気づいていただけるものと思います。



およそ最近の私の方針からはずれたことを述べてしまいました。それでも、本当は話題を書物に限らないところまで拡げたかったのですが、本日も長くなりましたので、他を省略して、今回の文を綴るにあたって考えたことを、いきなり、まとめてしまいます。

「<正しいのはこれだ>という言葉が自分の心を支配したら、そのことはいったん白紙に戻さなければならない・・・その上で、自分をもう一度、自分に出来るだけのいろいろな角度から眺め直さなければならない。それがひとりでは出来ないことだったら、聞きにくいことを言う人の言葉にも耳を傾け、その言葉に嫌悪を感じるのなら、その嫌悪の正体はなんなのかをも見極めなければならない。好意ある言葉の中にも、有頂天にならずに、その好意がなぜ寄せられたかを、やはりもう一度自分に戻して見直してみなければならない。・・・<まだ見落としていること、誤解していること>が、必ず残っている・・・私が人間であるならば、必ず。」



でもって、ここで本来の自分に戻って、音楽の話で締めましょう。

本来は「歌詞」のない器楽に、ベートーヴェンは最後の弦楽四重奏曲の最後の楽章で、言葉を与えました。
"Muss es sein?"(しかあらねばならぬのか?)
"Es muss sein!" (しかあらねばならぬのだ!)


スメタナ弦楽四重奏団(1968) 日本コロンビア 25CO-2547

この厳しい言葉が愉快な音調で「語られている」ことから、ベートーヴェンが思考を「愉しんだ」ことが伺われます。
では、これは彼の人生の総決算の言葉として、日本流に言えば「悟りの境地」に達したからこそ発し得た音楽の言葉なのでしょうか?
・・・そうであるとも言えるでしょう?
・・・でも、ほんとうに、そんな一面的なものに過ぎないのでしょうか?

この四重奏曲は、甥カルルの自殺未遂事件が一段落したあとのベートーヴェンが作ったものです(カールの自殺未遂は1826年7月30日。ベートーヴェンの本四重奏曲への着手は7月中、完成は10月13日)。
傷からの回復過程で、カルルはベートーヴェンに「軍人になりたい」と・・・ホンネだったかどうかは伺う由はありませんが、とにかく、音楽家以外のものになりたいと・・・打ち明けており、議論の末だとベートーヴェンは記していますが、結局のところカルルの意志を認め、そのために骨を折ったり、今までの反省を踏まえてカールの心を傷つけないよう配慮しているさまが、この頃残した書簡の言葉の端々から伺えます。
その間、私は目に出来ないのですが手帳の方にはあるのかもしれず、本作についてなにも語っていないかどうかは断言できないのですが、書簡上では10月13日付けのもので触れられているのが本作かどうか明確ではありませんが、そうだとしても、それまでの創作過程についてはなにも綴り残されていません。
ただ、先立つ9月22日頃の書簡の末尾(追伸の前)には、果たして戯れからだったのでしょうか、死を象徴する十字マークを記したりしています。

いろいろなことが考えられます。

"Muss es sein?"(しかあらねばならぬのか?)
"Es muss sein!" (しかあらねばならぬのだ!)

は、ひとつには、「我が子」カルルが父ベートーヴェンの意志にも関わらず「自分なりの道」を見出そうとしていることを認めなければならないのだ、という心情かも知れませんし、作曲中に綴った書簡の中で死を象徴したマークを記したりしているからには、「この現実は私の<願い>の死滅を意味するけれど、それは従容と受け入れなければならないのだ」という決心のようでもありますし、とにかく複合した心理から発せられた言葉ではないのか、というような、推測。
でも、とにかくベートーヴェン自身が、この言葉に時分のどんな心情を込めたのかについては、なにも述べていませんから、真実はベートーヴェンと共に墓に葬り去られたのです。
ロマン・ロランあたりなら、これを人道的に解釈した文章を残しているかも知れませんが、私は読んでいないか、あったのが目に入ったことがあったとしても、全く記憶していません。

ですが、記憶していたところで、何の意味があるでしょう?

私たちはただ、ベートーヴェンがこの言葉を付して書き残した動機を、なぜ今聴けるようなかたちの音楽に仕上げたかを、私たち個々の経験に照らし合わせながら、しかし、個人のうちに留まらない、人間の生き方としての何かに、静かに耳を傾けなければならないのです。

肖像画でイメージされる彼の顔も、忘れておくことが必要です。

この作品でのベートーヴェンは、心底、済んだ「笑み」を、そしてときにもうすこし明確な「笑い」を響かせています。・・・それらの「笑み」・「笑い」が、私たちの「笑み」・「笑い」と一体になったとき、それがたとえベートーヴェン自身の生前の「ほんとうの」意図と一致はしていないとしても、<心の真理>としては、幾何学模様として必ず「合同」なのです。つまりは、一体になったときには、「合同」図形を描いた筆記用具がベートーヴェンでは実際に彼が使った筆記用具、なのではありませんし、私たちがそれを心に描く時に用いる筆記用具なのでもないのです。

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2009年2月 6日 (金)

ことば

この夏(8月2日)、ある志をお持ちの方が、私の地元、埼玉県越谷市で、チャリティコンサートを開きます。曲目はモーツァルトが2曲なのですが、メインは「レクイエム」です。
私も出演しますし、とくに弦楽器メンバーをお願いする方にはまたあらためてお願いのし直しも必要で、そろそろ動き出さなければいけないのですが、大変恐縮なことに、サボっております。
ですが、トロンボーンだけは娘の恩師とそのお知り合いの二人の「プロ」にご依頼が済んでおり、その気にもなって頂いております。
娘も、そのあおりで出演することになりました。
今日、師匠から3番トロンボーンのパート譜の写しを渡され、
「コピーを取ったら、音符の下に曲の<言葉>を書いておいて。スコアあります? あ、お父さんが持ってる。じゃあ、借りて、チャンと写してね。トロンボーン奏者には鉄則だから」
とお話を受けていました。

言葉のついた曲では、本来、伴奏を受け持つ器楽奏者は娘の師匠の仰る通りのことをしなければなりません。
ですが・・・私も反省ですけれど・・・殆どしていませんね。

言葉のない曲でも、旋律には必ずセリフがあるはずです。それを大切にすれば、音楽の持っている「メッセージ」は、キチンと汲み取れるはずです。
ところが、アマチュアオーケストラで、とくにエキストラで来られる方の場合、このメッセージを出先のアマチュアオーケストラがどう捉えているのかを理解せぬままでいることが多く(先般の「仮面舞踏会」でも、今だから正直に申し上げますが面食らった箇所がいくつかありました)、お手伝い頂くからにはそれを団員がきちんと伝えられることは非常に大切なのではないかと思っております。
・・・プロの世界で、エキストラの人がそんな「汲み取り不足」をやったりしたら、その人は二度と、エキストラに呼んでもらえないでしょう。
本来のプロの世界はそれだけ厳しいものです。
アマチュア相手だからいいや、程度の人を、ですから「プロ」と見なしてはいけません。本物のプロ根性をお持ちの方だったら、私たちを、お仕事の時とまるきり同等に扱って下さるし、だからこそ厳しい指摘も仰ってくれますが、過去の経験から言えば、そう言う方ほど、一緒にお酒を飲んだりすると優しいものです。

話は全く違いますが、昨日、母から、はがきが来ました。
「あんた(幼時だった私のこと)をおとうさんが作った箱ゾリに乗せて雪の上をずっと引っ張って歩いていた頃がいちばん幸せだったかも知れない」
と書かれてありました。
これは、上のケースとは正反対の、「ことばいらず」の幸せの記憶です。当時の私はまだ3歳だったはずですが、私自身、鮮明に記憶に残っているのは、「ことばいらず」に母の幸せが、ことばもろくろく知らない幼児にも充分伝わることの証拠の一つですね。

その場その場で、「ことば」の有無、必要性は変わるかもしれません。
ですが、究極は、「ことば」を理解して「思い」を感じ、「ことば」を超えていくところにあるのでしょうね。


今週綴った記事
・音楽美の認知(11):音の「受容野」
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/11-5f0f.html

・マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲:好きな曲022
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/022-0ac9.html

・クヴァンツの言葉から
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-c1eb.html

・「作品98」・・・作品番号の意味するもの:聴き手のための楽典005
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/98005-c401.html

・DVD「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2009」
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/dvd2009-01a9.html

・1月31日練習記録(東京ムジークフロー)
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/131-8ae4.html

・モーツァルト:フルート協奏曲 およびオーボエ協奏曲断片
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-9185.html

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2009年1月23日 (金)

ねこは猫の夢を見る

タイトルは今週綴った記事の一つと同じものにしました。

夢というのは、基本的には、眠りのあいだに精神が肉体の運動に集中することから離れてリフレッシュするための、いわば巣とれる解消の目的で今日一日の自分をリハビリするために見るもの、であるのが本来の役目です。

ですから、出来れば、朝目覚めた時には覚えていない方がいい。

ですが、私は、学生時代の専門の関係でもあり、いまは遺憾ながら「ウツ」デあることも関係しているのでしょうか、見た夢を比較的長時間覚えています。・・・ほんとうは、良くないのですヨ!

でも、覚えている夢が面白い、ヘンテコなものだったら、まあ、楽しめます。

このあいだはペンギンが群れを作って
「ペンギンだぞー」
と叫びながら砂浜の上空を通り過ぎて行く夢を見ました。

なんでペンギンが空を飛んでいたのでしょうね?

このメールの標題と同じタイトルの記事には、吉行理恵さんの詩を引用しました。
お読み頂くと、不思議な詩、だという印象をお受けになるかもしれません。
読み方によっては、楽しい詩でもあります。

ですが、私にとっては、ちょっとほろりとさせられる詩でありました。

その他、今週は日本の古典からの「歌」を中心とした記事ばかりになり、週の半分は音楽から離れました。
・・・ブログの読者も、さすがに離れました!
素人が、こむずかしいもんに触れるモンじゃあない!

ただ、綴りながら、「言葉の不思議さ」に、あらためて引き込まれるのを強く感じました。
私の綴る言葉はヘタクソですが、先人が大切にして来た「言葉」は、ほんとうに、たからものです。


今週綴った記事

・書籍紹介:玉木宏樹『クラシック埋蔵金』(多様な曲に出会いたいときに)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-0619.html

・千五百番歌合4:判者の価値観(2)専門歌人—六条家
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-8de3.html

・千五百番歌合3:判者の価値観(1)為政者の場合
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-61ff.html

・ねこは猫の夢を見る。ニーノ・ロータ「山猫」から:好きな曲021
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/021-e7ba.html

・千五百番歌合2:成立事情と当時の世情
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-4c10.html

・藤原定家:千五百番歌合1)作者と新古今・新勅撰への入集数
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-160b.html

・ハイフェッツの基礎練習
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-51f2.html

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2009年1月16日 (金)

寒さ厳しく

93cfea46d9796538・・・日本海側は強烈な寒波で大雪。
・・・太平洋側も強烈な木枯らしが吹いたりしています。

どなたも、お風邪などお引きになったりなさっていませんか?

年輩の方たちには、今年の寒さは、景気の動向も相まっていつにも増して堪えるようです。
知り合いの人の、七十代後半のお父上は正月を過ぎたとたんに倒れられて、まだ意識がハッキリしないとのこと。お母様も看病疲れで熱をお出しになり、その知り合いも疲れきっていました。

その他にも何人か、同年輩のかたがたが入院しただの、歩けなくなっただのという話を小耳に挟んでおります。

天気も、人の健康も・・・私は信心深くはありませんが・・・しかし所詮は神様なり仏様なりがお決めになるもの。

大変な思いをなさって「大変だ」と思ってしまうのがフツウですし、私自身はたぶん、すぐに気持ちが萎えてしまうでしょう。

でも、体の具合の悪い皆様が、こころは少しでも和やかにお過ごし下さいますことを、心から願っております。

縁起でもない話、とおイヤでしたら読み跳ばして下さい。瀬戸内寂聴さんが書かれていたエピソードを、記憶で再現したものですから、寂聴さんのお話とはずれているかもしれませんが。

釈尊(シャカ)の在世中、誰よりも模範的に修行するほどおのれには厳しく、周りに対しては人一倍やさしい尼僧がいました。あるとき、寺院に強盗が入り、この尼僧は体中をめった切りにされ、むごたらしい最期を遂げました。
「なんで、あれほど素晴らしい方が!」
と嘆く弟子に、釈尊の曰く、
「いかに良い生き方をするか、は、その死に方とは関係がない。」

言い古された、
「良く生きることは良く死ぬことだ」
という格言はどなたが言い出しっぺか分かりませんが、論理としても倫理としても、私はシャカのほうが正解だと思っております。

家内のことを思い返せば、それは、未だにいろいろと動揺します。
ですが・・・こだわる「こころ」の姿勢は、おそらくはシャカの言った通り、間違いなのだと信じます。

いま、どう生きるか、を考えましょう。
考えてばかりでも疲れますから、今週最後に掲載したダニー・ケイの記事の映像で、頭もこころも休めて頂ければ、望外の幸せです。


今週綴った記事
・どんな巨匠よりダニー・ケイ
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-cfb6.html
 ※ 風邪やインフルエンザで寝込んでいらっしゃる方は
   どうぞノートパソコンでこれをご覧になった和んで下さいませ。
   記事中には記しませんでしたが、道具の使い方にも注目!

・曲解音楽史51)西欧の太平洋進出とラテンアメリカ・フィリピン
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/51-4005.html
 ※ 音楽の例はペルーの1例しか上げられませんでした。
   フォルクローレ・ラテン等の原点が17世紀に合ったことが確認
   できる貴重なものではあります。

・「好きな曲」これまでのリスト
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-683f.html
 ※ 疲れで手抜きしました・・・ゴメンナサイ。

・モーツァルト:3つのコンサートアリア(1778)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/1778-19e6.html
 ※ 音もサンプルで上げるべきだったかな・・・

・祝 成人
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-f2d8.html

・ガスマンの弦楽四重奏曲から :好きな曲-番外
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/--aa70.html
 ※ ハイドンの四重奏曲に触れた際、重要作家だが作品を聴けない
   と名前を挙げたガスマン。CDを偶然見つけました!

・「めんどり」:東京ムジークフロー12月27日演奏会の音3
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/1227-c42a.html
 ※ 結局、最後は、自己批判・自己反省です。。。
   プロだろうがアマチュアだろうが、「コンマスとはなにか」を
   お知りになりたかったら、先のダニー・ケイのPart 6-7を
   どうぞご覧下さい。

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2009年1月10日 (土)

あっというまに仕事始め

あっというまに仕事始めですね!

例年ですと、職場は新年初日はみんなで初詣に行っていたのですが、ご時世がご時世だからでしょうか、妙なことに、私を含めメンバーの誰もが初日から終わらないほどの仕事をかかえていて、初詣や新年会どころではありませんでした。
一般企業は欧米式の四半期決算が定着して久しく、初日がこうだと、あとは決算処理で正月どころではない、ということになり、新年会もお預けです。
・・・「豊かに見え過ぎる文明は、かえって貧しい」
そんなことを、今日、テレビでどこかのおじさんがコメントしていましたが、そのとおりではないかと思います。

思えば、祖母までは手作りだったおせちも、働いていた母は退職してやっと作る勉強を始め、なんとかまともに出来るようになるまで5年かかりました。だいぶ祖母に近づいたのですが、七十歳を超えた今でも、「何か」一味たりません。

家内はとうとう、おせちは出来合いのものを買ってくることまでしか出来ませんでした。
料理は嫌いじゃなかったんですけどね。

慌ただしい時代なのは、どうしてなのでしょうね?

不況も、冷静に見れば特定業種に端を発したもので、投機筋が冷静に戻ればなんとか落ち着かせることが出来るのに、発想の転換が出来ないばかりに波紋を広げ、中小企業や派遣労働の人たちから、どんどんその波に飲み込まれていくようで・・・気の毒だ、と思いつつ、明日は我が身か、との危機感も背中を押すような日々です。

講談社現代新書に「東インド会社」(浅田實、2008)というのがありまして(あくまで南米の犠牲の上に始まった事業であったはずですがそのことの記載はありません)、堅実な事業が「投機熱」で崩れていくさま、それがいわゆる「帝国主義的国家運営」に向けて発展的解消を遂げていくさまが、くっきりと描かれています。

今朝のテレビでは松下幸之助氏の言葉が聞ける1975年のドキュメントも放映していましたが、中でこの経営の神様は
「高度経済成長は日本人自らがやったものではない。外国人の援助があって出来たんだ。政府も安定したいた。今の不況は、そうではない。政府も安定していない。3兆円の赤字だから、赤字国債出すとか言っているんでしょ。どうしょうもないわな。自力でなんとかしないと回復しない。」
と発言していました。
なんと、いまの時代と似ていることか。驚きながら見入ってしまいました。

どうにか、こころが豊かな年になってくれるといいですね。

この1週間綴った記事は以下のとおりです。本年も宜しくお願い致します。


・シューマン「交響曲第4番」:東京ムジークフロー12月27日演奏会の音2
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/1227-34c6.html

・「マイスタージンガー」:東京ムジークフロー12月27日演奏会の音1
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/1227-167a.html

・弦楽四重奏の父もハイドンだ!:好きな曲020
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/020-e309.html

・ハイドン「告別」:ウィーンフィルニューイヤーコンサート2009
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/winer-philhermo.html

・ヒラリー・ハーン再び!
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-1a71.html

・胃が痛くなる「調」の話(音名・固定ド・移動ド):聴き手のための楽典004
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/004-6630.html

・偉大さを偲ぼう! 没後200年はハイドン、同250年はヘンデル
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/200250-ab99.html

・もっと広く! 祝メンデルスゾーン生誕200年
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/200-c518.html

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2009年1月 1日 (木)

新年おめでとうございます

200901010051000旧年中は大変お世話になりました。まだ年賀状を書ける気分になれないのがいかんなあ、と思いつつ、今年も書かずにいたら、頂く枚数も自然に減りました。これくらいなら、明日手書きで出せるかな、と、ちょっと考え直しているところです。

本日、すなわち元旦早暁に、親子3人で浅草寺へ初詣に行って参りました。紅白歌合戦が終わる前に家を出、浅草に0:30につきましたが、本堂へは1時間の行列でした。それでも、昼になってからよりはラクだったようです。明けないうちの初詣は子供たちは初体験。お参りしたあとで、広場に並ぶ出店に目を輝かせていました。
昼からは、娘の作ってくれたあんころ餅と雑煮で、正月を堪能しました。

皆様、健康第一で今年一年をまたお過ごし下さいますよう。



この1週間綴った記事

・新年はなぜ祝われるのか
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-231d.html
 ※ 1月1日って、どうやって決まるの?
   ・・・生まれて初めて考え、調べました。

・ベートーヴェンの主題によるロンディーノ:好きな曲019
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/019-3171.html
 ※ 年末最後の記事でした。江藤俊哉さんを偲んで。

・みんな人生「ドン=キホーテ」:好きな曲018
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/018-b1d4.html

・全国高等学校選抜オーケストラフェスタ
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-fbf6.html
 ※ 東京ムジークフローと同日に日本青年館で行なわれていた
   日本全国の高校のオーケストラ部活動の祭典のご紹介です。
   プログラムにURLの記載されている高校はそれを掲載しました。

・ありがとうございました:TMF演奏会
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/tmf-caa5.html
 ※ お客様への御礼

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2008年12月26日 (金)

家内命日:この1週間の記事

家内が死んで丸2年経ちました。

その直後から春先にかけて感情が乱れたまま綴った記事を大幅に削除したため、ブログ上では家内の登場は減ってしまったのですが、思い出となる記事は5月にリンクを貼りまくった記事を掲載していました。

http://ken-hongou.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_24df.html


個人的に、思いを深くして綴ったのは
「雪景色・・・ラフマニノフ」
http://ken-hongou.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_56b1.html

という文章です。

この2年、いろいろな葛藤あり、反面喜びあり、と、ドタバタ過ぎましたが、とくに子供たちの成長振りが発揮された喜びの場では
「カカアも見てるかなあ」
という思いを常に持ち続けていました。先日、三回忌供養を済ませて、なんとか自分も自分自身を振り返られるようになってきたかな、と感じるようになり始めたところです。

何よりも思い知ったことは、

「人というものは、一人一人が(表面的な言動の有無に関わりなく)<信じる>ものを持っているのだな」

「それは(自分も含めて、ですが)無意識に各々の心の底にこびりついているものであって、人と接するときには、まずこちらの<信じる>ことは捨てる覚悟で・・・「踏絵」を踏むことも辞さず、そのことで蔑まされることもやむなしとし・・・相手が何を信じているかを汲み取らなければならないのだな」

「それでもなお、相手のかたを含め、すべての人が満足や幸せを得ることは出来ないのだな」

ということどもでした。
それぞれについて、もっと言葉にしたいこともあるのですが、そうでなくても私は饒舌ですので、やめておきます。

上のようなことを思い知り、ひとつひとつの課題をクリアしていく中で、当面の最後に残ったのが、
「自分自身をどう支えたらいいのか」
で、これには迷いました。ですが、それも助けを得て、職場に迷惑をかけがちだった業務中の体調・精神不安定からも、だいぶ開放されました。

おかげさまで、私と子供たち二人、日々「漫才」のようなやり取りだらけで過ごしており、家内の生前からの「お笑い一家」方針は崩れずに守られております!

なお、JIROさんがご自身のブログに、家内のために音楽集をアップしてくださいました。心から御礼申し上げます。
http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2008/12/26ken-8024.html


今週綴った記事

・TMF演奏会お越し下さい/ヘタクソ自作クリスマス/ヤモメ3周年
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-5f62.html
 ※ 後半部は本記事とほぼ同文です。

・ハイドンほど大胆ではない:TMF演奏会を前に-3
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/tmf-3-6c5a.html
 ※ 標題はブラームスの言葉(の省略形)です。

・クリスマスイヴですので・・・駄作を掲載します
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-0a48.html
 ※ 聞くと耳が腐るかも!・・・「蛙の歌」をクリスマス祝典風に!

・ワーグナーの場合:TMF演奏会を前に-2
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/tmf-2-3ca6.html
 ※ 前日記事と共に、フルトヴェングラー『音と言葉』からのまとめ

・フルトヴェングラーの語ったロマン派:TMF演奏会を前に-1
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/tmf--accc.html

・曲解音楽史50)エリザベス女王の時代
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/50-8e98.html

・衝撃のモーツァルト演奏:好きな曲017
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/017-83e6.html
 ※ 本文は大学オケ時代を振り返ったものですが回想ではありません。

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2008年12月20日 (土)

「夢」をあばかれたらたまらない!(この1週間の記事)

先日、
「視神経から脳に伝えられた像をモニターに映す技術の開発に成功した」
というニュース映像に、ああ、そんなことまでできるようになったか、と、それ自体は<悪くない>ニュースだと思いながら眺めていました。
ですが、
「どんな応用分野が考えられるでしょうか」
とインタヴューを受けた開発者の答えの中に
「眠っている人の夢の像を映し出して精神問題の解決に役立てたい」
なんて言葉が出た時には、つい
「やめてくれよ!」
と思っちゃいました。

だって、将来像とかいう意味でのではなく、実際に「見る」夢というのは、古典になってしまいましたけれど、フロイトの『夢判断』を読めば、自分自身が
「負担だ・捨てたい」
思いだったり、
「こうだったらいいのになあ」
という願望の(フロイト流であれば極めて露骨な)実現だったりするわけで、そういう意味では確かに精神疾患の人のためには治癒のための材料として(ちょっとは)有益であるとはいえなくはないのですけれど、心の中身の鍵の一部を覗かれるのは、普通はあんまり気持ちがいいモンじゃあないでしょう。(念のためですが、私は「脳=心のありか」だとは決して考えてはいません。)

かつ、実は、夢というのは、まず「視覚像」に限っても、起きている時とは違って、一度にひとつの「世界」だけを見ているわけではありません。
かなり疲れますからおすすめはしませんが、寝起きの間際(夢はこの瞬間にいちばんよく覚えています)に1ヶ月くらい、自分の見た夢を記録してみると分かることがあります。
「夢」って、同時に3つないし5つ、という、結構予想外に沢山の「世界」を、同じ時間の中で見ているんですよね。ユングが夢の分析をした際の記述が神秘的なのは、患者さんの夢についての記述を元にしたために、その重なり合いに気づけなかった、という側面もあります。(ただ、実際に夢には神秘的なものがあるのはまちがいないと私も思ってはいますし、明恵上人の「夢の記」などを読むといっそうその思いを強くしたりもします。明恵については白洲正子さん、河合隼雄さんの優れた著作があります。)

加えて、夢というのは目だけが見るものではありません。耳も、口や舌も、手足などの触覚も夢を「見ます」。夢の中で言葉や音楽を聴く、という経験は、振り返ってみたらどなたにもおありなのではないでしょうか?

それでも、突出して「夢」のなんたるかをはっきりさせるのは「視覚像」であることは間違いないので、やっぱりその像が機械の上に映されるようになったら、なんだか気持ちよくないですね。。。
それに、一度に幾つも見ているとしたら、どれが映るんでしょう? あるいは乱れた像しか映らないのではないでしょうか?


今週綴った記事

・12月27日、東京ムジークフロー演奏会のご案内
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/1227-22d9.html

・グルック「アウリスのイフゲニア」序曲:好きな曲016
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/016-e04b.html

・もうやめましょうよ、こういうの・・・(批評書に感じること)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-3986.html
   
・音楽美の認知【番外】:「プラトン問題」・「イデア」・「普遍」
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-303c.html

・健闘! 大宮光陵高校第23回定期演奏会
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/23-3616.html

・コレルリ「クリスマス協奏曲」:好きな曲015
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/015-8194.html

こんなところでした。

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