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2018年12月 4日 (火)

皇帝ネロの過ち

「人を感動させたいなんて、
 それはおもしろくない発想。
 それよりも、
 自分が感動したい。
 人を感動させるという行為はない、
 ただそう思い込んでいるだけである。」

17歳で、エレキギター練習中に感電して亡くなった、山田かまちの、わりと有名な詩だ。
表現を作り上げるまでは、これでいい。表現者でも何でもない自分だが、共感する。
しかし、表現を「演じる」ときに、自分が自分に「感動した」、で、果して良いのかどうか。この詩には、四行目までと、あとのニ行に、実は根深い乖離があるように思う。

感動とは、ある意味、誰とも分ちがたいものだ。なぜなら、それはあくまで内的なものだからだ。
人を感動させるという行為はない、ただそう思い込んでいるだけだ、との、詩の後半二行は、だから、真理だと感じられる。

だとすると、ひとり、あるいは仲間うちでなく、他の不特定多数を招いて「演じる」のは何のためか、が、人に見せ・聴かせるパフォーマンスの上では、様々に問われることとなる。
「自分が感動したい」からだ、となると、そこには謎が生じるのではないだろうか?
お客をとってまで演じる時に、仮にそこに一時的な高揚から来る共感でお客が捉えられたとして、場を離れて帰路を逍遙しながら、演じ手であった者ではない、別の「自分」に気がつくお客の煩悶は、どうなるのか。いや、それは、もし共演者がいるのであれば、その共演者の「感動する自分」とは、果してなんなのだろうか?

答えの模索に直結はしないし、いま答えを求めきるつもりもないのだが、僕に思い出されるのは、古代ローマ皇帝ネロの行状である。

芸能好きだったと伝えられるネロは、17世紀と18世紀のオペラの登場人物でもある。オペラで歌手が自身に扮しているのを見たら、ネロは草葉の陰で大喜びするのだろうか。ただし、そららの中で、ネロは歌狂いとしては描かれていない。
ヘンデルのオペラ『アグリッピーナ』(1709)のタイトルは、ネロの母の名前だ。夫クラウディウスを貶めて、我が連れ子ネロを皇帝につかせるまでの陰謀話が、オペラの主眼である。
その一世紀前に書かれたモンテヴェルディの『ポッペーアの戴冠』も、ネロその人よりは、現皇后を陥れ、現夫を捨てて、ネロの后の地位をまんまと手に入れるに至る女性ポッペーアをめぐる、様々な人間の相克を描いたものだ。

※『ポッペーアの戴冠』については、前に綴りました。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/okiraku/2014/05/post-64d4.html

これらに素材を与えた古代の著作、タキトゥスの『年代記』を読むと、ようやく歌狂いのネロに巡り会える。

「ネロは日に日に強く、公の舞台に立ちたいという欲望にかりたてられていた。このころまで、青年祭のときに、自分の館や庭園内で、歌をうたっていたにすぎない。『そんな場所は、たくさんの聴衆を収めきれないし、第一、自分ほどの大きな声量には狭すぎる』とぼやき、いつも軽蔑していた。さりとてローマで初舞台を踏む勇気はなく、『ナポリはギリシアの町だ』と言いわけして、この町を選んだのである。『あそこできっかけを作ろう。次にギリシアに渡る。そして由緒ある神聖な月桂冠を獲得し、偉大な名声を樹立して、ローマ市民を刺激し熱狂させてやろう。』」(國原吉之助訳『年代記(下)」岩波文庫 p.261-262)
このときは、前評判や追従から、劇場は幸いにも満員御礼となった。
民衆は最初、まだネロに好感を持っていた。

しかし、ネロの意向に反する者たちは、ネロがローマ市民を熱狂させようという野心を抱いた頃から、立て続けに処刑の手にかかり始める。
折柄ローマは大火にみまわれた。市域の大半が焼き尽くされた。
この大火の時に、歌狂いのネロに、よからぬ噂が立った。
「ネロは都が燃えさかっている最中に、館内の私舞台に立ち、目の前の火災を見ながら、これを太古の不幸になぞらえて『トロイアの陥落』を歌っていた。」(訳書p.206-207)。
宮廷内で悪政が兆していたこともあっただろうが、悪い噂はじわりじわりと、大火よりも消しがたく延焼していった。
「ネロは新しく都を建てなおし、それに自分の名前をつけようという野心を、日頃から抱いていた。」(p.266)
悪評が広がっていくにも関わらず、ネロは血なまぐさい処刑の手を緩めない。
残っているタキトゥスの『年代記』は、ネロが重ねた多くの処刑の記載までを分厚く記し、そこまでで散逸してしまっている。

それでも、ネロの末路は、他の史料から分かっている。
ネロに愛想をつかして、次々と蜂起する反乱者たちから、彼はついに遁れ得なかった。
最後は数少ない供と逃走した果てに、騎兵に追いつかれ、惨めな逡巡のあと、ようやく自決する。遺骸はもの凄い目つきをしていたそうである。
周囲に覚悟を決めるよう勧められてなお、ネロは泣いてこう繰り返したそうだ。
「ああ、世間はなんと惜しい芸術家を失うことか」(p.345)

ネロは、実際、音楽家としては一流だったようだ。
劇場で自作の詩を朗唱したネロに向かって、聴衆は「あなたの芸をみんなに披露して下さい」と懇願した、と、タキトゥスは書いている(p.304-305)。
「そこでネロは今度は芸人として劇場に入る。彼は専門の竪琴弾きの作法を完璧に守る。疲れてもすわらない。汗が出ても、身にまとった衣装以外では拭こうともしない。唾やくしゃみはいっさい観客に見せない。終わると彼は、あの俗衆に膝を折り曲げ、身振りで敬意を表する。」
処刑者であった彼と、音楽家であった彼のこの俗衆に媚びる姿には、なんと大きな乖離があることか。

自らの歌に酔い、竪琴に酔い、熱狂してくれる俗衆に酔い、ネロは何かを見失っていた。自らに酔いしれる自らの行為こそが「人を感動させる」と、まさに「ただそう思い込んで」いただけだった。

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