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2018年10月21日 (日)

お金の話のようでお金の話ではないかも知れない

ハロウィン宝くじのCMで、侍、役所広司さんが
「当たれば五億」
というのをやっている。侍が娘と問答して、
侍「年に一千万使っても」
娘「五十年」
侍「二千万使っても」
娘「二十五年」
侍「よーし、(と、売り場に行って)・・・頼もう!」
となる。

そんな金額に比べたら雀の涙だが、サラリーマンは、定年が近づくと、六十五歳までは退職金をなるべくちんまり使って年金支給までの場を繋ぐしかない、どうしようか、と、考え込んでしまう。
「年に一千万使ったら」
「・・・そのはるか前に破産」
である。
六十歳で支給になっていた親世代までを恨めしく思ったりもする。

日本人は、いつから余生を金で測るしかなくなったのか。

いや、余生でなくても金で測るには違いないが、持ち金そのものだけでは測れないことも、あるらしい。
ある住宅メーカーの営業さんが若かりしころ、ご自分で商売をやっている人に家を建て替えてもらうよう売り込んだそうな。商売人さんは何でだか営業さんをいたく気に入って、即契約してくれることになった。が、ローンを組まないと資金が足りない。足りない分を借り入れられるだけの充分な年収があるはずだった。
ところが、すぐに連絡が来て、
「それがさ、ローン借りられねぇんだってさ」
「あれまあ、どうしてですか」
「任意団体に申告頼んでたんだけど、それで申告してた所得が小さすぎなんだとよ」
過少申告というやつではなかった由。
なんでまた、こういうことになったんだろう。
ともあれ、商売人さんは
「オレはあそこにだまされた」
と言い、営業さんは以後その任意団体名を聞くと暗い気分になるのだそうだ。

戦争じゃない世の中でも、お金をめぐる気遣いは絶えない。
戦争の頃の話だと、社会がどうだった、とかいうカタいものではないけれど、太宰治に『貨幣』という小説がある。百円札が自分から喋る趣向のつくりになっている。お金がどうの、と頭がぐるぐるし出したとき、そんなのがあったな、と思い出して、青空文庫で読んでみた(*1)。

七七八五一と番号を振られた百円紙幣が、自分の来歴から話し始めて、最初に若い大工の手に渡ってから、その奥さんの質草と引き換えに質屋に渡り、質屋で顕微鏡と引き換えに医学生が所持主となり、医学生が向かった瀬戸内の旅館で帳場の引出しに入れられ、そこからさらに転々とするうち時代も変わり、お札ながらに人情の暗い機微も知り尽くし、そのうち戦争になり・・・みたいに物語る。
おしまいのほうで、そのとき所持主だった軍人が泥酔して助けられながら空襲の中を逃げる時、それを助けた女の人、「人間の職業の中で、最も下等な商売をしているといわれているこの蒼黒く痩せこけた」婦人、
「私の暗い一生涯において一ばん尊く輝かしく見え」
たような、そんな酌婦の抱えた赤ちゃんの肌着の下に押し込まれて
「こんないいところはほかにないわ。あたしたちは仕合せだわ。いつまでもここにいて、この赤ちゃんの背中をあたため、ふとらせてあげたいわ」
と、百円札は言うのである。

この小説の中に二百円札が出て来て、そういえば二千円札ってどうなったのかな、いや、それよりも、二百円札ってのを見たことがないな、と、にわかに興味が湧いて、ふらっと、日本銀行別館の貨幣博物館に出掛けた。

行って目撃してみれば、お札は何円札でもお札である。
特別なことは、何もない。

そういえば最近、お金の話で面白かったのは、古代ローマの貨幣のことだった。
『貨幣が語るローマ帝国史』(*2)という本が中公新書で出ていたので、貨幣が歴史を喋ったりするのか、どんなふうに喋るんだろう、と、野次馬根性で読んでみていたのだった。こちらはお札ではなくて、コインが喋るのである。
この本で分かるのは、古代ローマのコインは、その誕生期から老衰期に至るまで、人の名前や、その造幣者の目論みの図像を、表裏に描いたものだったことである。その名前や人の役割、図像の変遷をたどることで、たしかに古代ローマのモラル観と政治史を鮮やかに知ることが出来るのだから、驚きだ。太宰の小説の紙幣のようにセリフを与えられるのではなくても、コインそのものが自発的に喋るのだ。
コインのお喋りは、確かに大変興味深かったのだけれど、それとは別に目が引かれたのは、古代ローマのコインが正しい円形になっていないことだった。形が歪んでいるだけでなく、輪郭線っぽい線から、コインのふちがはみ出している。
おや、と思って、古代中国のほうのコインの図像を当たってみると、こちらは古代からずっと、正しい円形になっている。
なんでこんな違いが起こっているのか、が知りたくもなっていた。
こちらを、貨幣博物館で探してみた。

目で見てしまえば話は簡単、中国のコインは・・・そしてその技術を引き継いで作られた東アジア各国や日本のコインも・・・、溶かした銅を型に流し込んで作られた。銅がかたまると、ふちは綺麗にやすりをかけられた。だから、きちんとまん丸い。
ローマのほうは、金属を叩いて作ったコインなのだった。
だから、横から見たら、中国や東洋のコインは平べったくて、ローマのコインはふっくりしていた。
量感は、普通は写真ではやっぱり分からないもんなのだなあ、と思った。

ちなみに前漢時代の中国にも、金餅という、黄金を叩いたコインがあった。訓読みすると「かねもち」である。
中国ではさらに、布や帛(絹)も、けっこう後の時代まで、貨幣の役割を担っていたそうな。(*3)
日本は奈良時代にこそコインを鋳造して流通させる努力もしたが、すぐに使われなくなって、鎌倉時代前後からは中国のコイン(銭)を輸入したものを使っていた。日本がまともに銭を鋳造するようになるのは、江戸時代になってからのようだ。
銭が使われていない時期の日本ではどうしていたのか、が分かる有名な例は、今昔物語にもある「わらしべ長者」の話だろう。
今昔物語だと第十六巻の「長谷にまゐりし男、観音の助けによりて富を得たること 第二十八」だから、本朝仏法部で、観音様の霊験譚である。
天涯孤独のすっからかん男が、観音様にさずかったわらしべにアブを縛り付けて持っていたら、それを面白がった身分の高い女性にミカン三個と取り替えられ、それがまた喉の乾いた男に布三段と取り替えられ、その布三段がさらに瀕死の馬と取り替えられ、瀕死の馬が元気に息を吹き返したおかげで、それを売って、布が欲しかったところを田んぼとコメで示談され、それを人に任せて耕作するうちに、いつのまにか富裕になっていた、という、皆様ご存知的なお話だ。
この話の中で、布が貨幣として使われている様子がうかがえる。

ああ、布が貨幣になったのか。

ぼろになって、古着にも出せない布地なら、いま、うちに山ほどあるんだがな。
布が貨幣として使えるんだったら、我が老後も、どんだけラクになるんだろう。

観音様、うちもなんとか恵んで下さい。

*1:https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/276_45435.html
*2:比佐 篤『貨幣が語るローマ帝国史』 中公新書2508 2018年9月
*3:柿沼陽平『中国古代の貨幣』 吉川弘文館 歴史文化ライブラリー395 2015年 〜手軽に経済史として読める、良い本だと思います。

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