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2015年2月28日 (土)

【やじうま古文02】『無名抄』散歩2

Chomeiden

長明さんは19歳か20歳の頃お父さんを亡くしています。庶民の感覚だと、昔の人ならそんな遅くはなかったのでは、と思うのですけれど、長明さんは下鴨神 社の高級神官さん(禰宜)の家の生まれ育ちで有力な親族もいましたから、まだ生活力もついていないうちに大切な庇護者のお父さんが死んでしまったのは、 やっぱり早すぎたのですね。
けれども長明さんはお父さんがまだ生きている間に、お父さんが主催した歌会を目の当たりにしたり、琵琶の腕を磨いたりして、和歌と音楽でそこそこやっていけるようには育ててもらえていたらしく、鎌倉時代史の第一人者である五味文彦さんは
「(長明の父の)長継は兄の早世により禰宜の職が転がり込んだことから、次の禰宜は我が子(=長明)ではなく、(早世した)兄の子季平を考えていたのかもしれない。そのため長明には和歌や管絃を学ぶ環境を整えたのだろう。」
と仰り、そうだったからこそお父さんの長継さんは
「若い長明の才を買い、色々と勉学の手配をしたのであろう。」
と推測なさっています(『鴨長明伝』p.49 山川出版社 2013年)。

きわめて若いうちにお父さんを亡くしたことで長明さんは世間から「みなしご」と言われたようで、のちに後鳥羽院の和歌所で同僚となった源家長にも 「この長明みなし子になりて」と書き残されています(『源家長日記』三七ウ)。それでも『無名抄』の文面にはこうした境遇からくる鬱屈はほとんど感じられ ません。素直な人だったのでしょう、長明さんはおそらくお父さんの親友だった歌人の勝命や、若いときからの琵琶の先生の中原有安から受けたアドヴァイスを 『無名抄』でまっすぐに書き留めています。

中でも琵琶の有安先生は歌人生活の実態にも詳しく、その助言は長明さんの生き方に大きな影響を与えたようです。

あなかしこ、あなかしこ、歌詠みな立て給ひそ。歌はよく心すべき道なり。我がごとく、あるべきほど 定まりぬる者は、いかなる振舞をすれども、それによりて、身のはふるることはなし。そこなどは、重代の家に生まれて、早くみなし子になれり。人こそ用ゐず とも、心ばかりは思ふ所ありて、身を立てんと骨張るべきなり。(中略)そこたちのやうなる人は、いと人にも知られずして、さし出づる所には『誰(たれ)そ』など問はるるやうにて、心にくく思はれたるがよきなり。(以下略)」(13)
決 して決して、歌人だと表立てにしないように。歌はよく注意しなくてはならない道だ。私たちのように、身の振り方が決まってしまった者は、どんなふるまいを しても、それで身の落ちぶれることはない。でもあなたなどは重代の家に生まれて、早く孤児になってしまった。他人こそ用いてくれなくても、心だけは思いを しっかり持って、身を立てようと頑張るべきです。(中略)あなたたちのような人は、よく人にも知られないで、出席したところでは「あなただあれ?」などと 訊かれるようでいて、もっと知りたいと思われるのが良いのだ。(角川文庫の久保田淳訳をもとにしました。)

こんな訓戒を大事にしていたからでしょう、三十代のとき勅撰の『千載和歌集』に歌一首が採用され、長明さんはほんとうにまっすぐに喜んで、有安先生にその心の態度を誉められます。
(一 首くらい採られてみて、長明くんは)別になんてことないさ、みたいに言うのかと思っていたら、本心から喜んでいるんだねえ、歌の道で必ず報いられる(神様 が守って下さる)人だよ、と、先生はすっかり感心した様子で、このときさらに長明さんに大切なことを言ってきかせます。

道を貴ぶには、まづ心をうるはしく使ふにあるなり。今の世の人は、皆しかあらず。身のほども知らず。心高く驕り、かまびすしき憤りを結びて、事に触れて誤り多かり。今、思ひ合はせられよ」(12)
道を貴ぶには、まず精神を清らかにはたらかせるのが大切だ。今の世の人は、みんなそうしていない。身の程も知らず、プライドが高く驕慢で、ぴいちくぱあちく憤懣ばっかり口にして、なににつけても誤りが多い。いまこれを考えあわせておきなさい。

先生のこの言葉をまた大切に感じ、後人のために書き留めておかなければならない、と、長明さんはきっと強く思ったのでしょうね。書き留めた末尾に
「古き人の言へること、必ずゆゑあり。」(12)
と付け加えています。

「(数字)」は、角川文庫版(久保田淳 訳注)での章段のナンバー。底本の章段分けに沿っている由

角川文庫『無名抄』
http://www.amazon.co.jp/dp/4044001111

『無名抄』の電子テキスト(やた管ブログ)
~角川文庫版の底本と同じ「梅沢本」をテキストファイルに落としてあります。
http://blog.livedoor.jp/yatanavi/archives/53157957.html

e国宝
http://www.emuseum.jp/detail/100410?d_lang=ja&s_lang=ja&word=&class=2&title=&c_e=&region=&era=&cptype=&owner=&pos=177&num=4&mode=detail&century=

ここのブログに12段の話がとりあげられています。
http://invitrocafe.blog.fc2.com/blog-entry-187.html

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2015年2月20日 (金)

【やじうま古文01】『無名抄』散歩1

Mumyosyo1

最古写本の第1ページ(鎌倉時代 14世紀)「e国宝」から

和歌のことはわかりません(洒落じゃなく)が、鴨長明が和歌の詠み方をめぐって書いたこの本が、好きです。

鴨長明と言えば、私らシロウトには何といっても『方丈記』で、かつ、平家物語の舞台となった時期の京都の大きな天災人災を生々しく描いた『方丈記』 前半部、長明さんの挫折だらけ(と見えがち)な履歴、それらをめぐってなされているいろんな解説文から、暗くて偏屈な性格の、人生の落伍者みたいなイメージ を抱きがちです。
でもこの『無名抄(むみょうしょう)』を読んでいると、長明さんは自分を静かに静かに見つめようと努めながら、外の世界にも柔らかな視線を注いでいた人なのではないか、と思えてきます。

和歌の作りかたについてとはいえ、人の批判を受けることに謙虚で、歌人デヴューの頃に先達から受けた注意(5や13)、先生に受けた指導(41、 47や50など)、歌合せで誉められた自作歌が名人定家に受けた批評(74)をみんな長明さん納得、といった風情で淡々と記しています。けれど自慢もさり げなくしていて(11、35、40など)、決して卑屈ではありません。自慢にしても、楽しく誇らしい経験を縷々と述べたしめくくりに、自分の歌が新古今集 に十首入集したことがとても嬉しかった、と言ってすぐ「あはれ無益のことどもかな(こんなのならべたてたってなんてこたないさ)」(11)と肩をすぼめて みせるあたり、うぬぼれない人だなあ、と微笑ましく感じさせてくれます。

まわりで歌を詠んでいた人たちに対する目のあたたかさも、いくつかの章段に垣間みることが出来ますが、そのなかのひとつに、こんなものがあります。

「長守語りていはく、「述懐の歌どもあまた詠み侍りし中に、ざれごと歌に、
  火おこさぬ夏の炭櫃(すびつ)の心地して人もすさめずすさまじの身や
と詠めるを、十二になる女子の、これを聞きて、『冬の炭櫃こそ火の無きは今少しすさまじけれ。など、さは詠み給はぬぞ』と申し侍りしに、難ぜられて述ぶる方なく」など語りしこそ、をかしかりしか。」
(53)

長明さんの兄弟(兄か弟かは不明)鴨長守さんが長明さんに「自分の不遇をたくさん歌に詠んだんだけどさ、ジョークで ”火をおこさない夏の炭櫃みた いな気持ちだよ どんな人も相手にしてくれない、つまんないやつなんだよおいらは” なんて詠んだらさ、十二歳の女の子がこれを聞いててさ、『寒いさなか の冬の炭櫃だったらもうちょっとしょうもない感じが出るのにさあ、なんでこんなふうに夏の炭櫃だなんて詠んだのよ』って言いやがってさ、こんな文句つけられちゃって、ボク絶句しちゃったのよ」と話して聞かせてくれたので、長明さん、可笑しくてたまらなかったんだそうです。

他にも、長明さんの先生のお父さんだった源俊頼さんの和歌を、俊頼さんが出仕していたおおやけの席で傀儡たちが神歌ということで歌ったので、俊頼さんが「おれも名人の域に達したと言うことか」と誇らしげにしていた、と、そんな噂を聞いて、他の人がうらやましくなって琵琶法師を買収して自分の歌をあちこちで 歌ってもらったり、敦頼という歌好きのおじさんがまたこれをうらやんだのはいいけれど、金品もとらせずに琵琶法師たちに「おれの歌を歌え、歌え」と無理強 いして世間の失笑をかった、などという話もあって(28)、『無名抄』は生真面目な中にも意外にほのぼの暖かかったりするのです。

「(数字)」は、角川文庫版(久保田淳 訳注)での章段のナンバー。底本の章段分けに沿っている由

角川文庫『無名抄』
http://www.amazon.co.jp/dp/4044001111

『無名抄』の電子テキスト(やた管ブログ)
〜角川文庫版の底本と同じ「梅沢本」をテキストファイルに落としてあります。
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e国宝
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2015年2月15日 (日)

【古典ひとこと00】『江戸端唄集』〜なぜ古典に触れるのか

Edohauta

サラリーマンの私には、時事や流行の一端を知っていることはたまに必要ですが、世の中で「古典」と呼ばれるものに何の縁がなくても生活に支障はありませ ん。「古典」は大好きですけれど、専門知識もありませんから、いろいろお詳しいかたと違い、満足なことは何も分かりません。誤解もいっぱいしています。
では、なぜこんな、当座の用などない「古典」が好きで夢中になるのか。
「古典」には人間の得て来たこと・失ったものを書きとめ描きとめてあって、その重さに惹き付けられるからかも知れません。
ひとりひとりの人間は死ねば意識も消え、世間の記憶からもあっというまに消え失せます。生きているあいだでさえ、自分の成功も失敗も明日には忘れてしまっています。そんなですから、どうしても目先の「いま」に溺れます。
「いま」を泳ぐとき、「いま」にしか視線が向いていないと浮輪の在処が分かりません。けれども浮輪をまだ見えない未来に求めることも出来ません。どうしたらよいのか。
占術や未来科学に目を向けるかたもいるのでしょう。
で も私にとっては、昔の人が描いたままに自身も忘れてしまっていただろう事柄や記述のなかに人間らしい苦悶やそれを繰り返さないための知恵や、どうにもなら なかった諦めを読みとる方がずっと魅力に感じられます。自分より前の人たちはどうやって浮輪を見出して浮かび、あるいは見出せずに沈んでいったか。その喜 びや悲哀や後悔をかえりみるほか、自分の運を確かに占う手だてもなさそうに感じるのです。
人の一世代を二十五年程度と考えますと百年で四世代。祖 父母が生きていれば百歳超なので、これくらいの幅が適当なようです。すると、千年前の「古典」に触れても実はせいぜい四十世代前をかえりみられるに過ぎな い。こんなわずかな世代の営みの中で、人間という生き物は、いかに多くのことを忘れてきたことか。
その忘れて来たことがまた繰り返されているのか、再び思い出されずにいるのか、ある日突然また記憶に呼び起こされるのか。
みずからの愚かさを思い知るのに、これを見つめるくらい厚みがあって、日々のおのれの小ささを笑いとばすために頼れる行動指針もない、と、このごろしみじみ思うのです。

そんなことで、今年はちょっと、いくつかに色分けして「古典」の手短な散歩をしてみたいと考えているのですが、こんな企ては日本なら江戸時代の終わり頃の「棚のだるまさん」という端唄に

あまり しんきくささに たなのだるまさんを ちょいとおろし
はちまきさせたり 転がしてもみたり

(『江戸端唄集』岩波文庫30-283-1)

とあるようなことをいまさらやるのに過ぎないのでしょうね。
どうなりますことやら。

岩波書店『江戸端唄集』紹介ページでは、この本に収められた端唄から10例ほどを実際に歌ったものが聴けます(ことばに違うところがあるのも面白いです)。どうぞ覗いてみてくださいね。
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/3028310/top.html

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