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2014年9月13日 (土)

読んで下さるお友達の皆様へ

ちょっと悲しい思いをし、浮世絵でごまかそうと思ったのですが、いま他にもかかえていることがあって、この悲しみが消えません。
最近は、直接自分の思いをこちらに綴ることはしていませんでした。
それを綴らせていただきます。

私を直接ご存じのかたにはいまさら申し上げるまでもないことですが、私は十年近く前に仕事上のいきづまり感から鬱を患い、そのリハビリにと思ってブログを始めました。
最初はぽつりぽつりでしたが、鬱で職場にもまともに行けませんから時間がありました。それで、
「これを綴りたいときは何を聴いたり読んだりしたらいいかな」
を 考え、とくに私が興味をもつようなことについての資料は普通の図書館にはありませんから、これもリハビリを兼ねて書店古書店を探しまわる習慣をつけ、探し 歩いては見つけ、ノートなりパソコンなりにメモをとり、下書きをまとめながら記事にまとめるクセがつき、必然的に文章も細かく長くなって行きました。この 習慣は、鬱の治ったいまも変わりません。子供たちが成長して、定時後まっすぐ帰る必要もだんだんに減って来ましたので、本屋に立ち寄れる時間も増えました し、ネットショップもブログを始めた頃に比べ格段に品揃えが良くなり、研究なさるかたの論文もwebで見つけられるようになり、嬉しくなって手元資料を増 やして、おかげで膨らむようになった記事は、最近では数回に分かれることもあります。

ブログを始めて数ヶ月、お医者さまに「もうそろそろ大丈夫だよ」とお墨付きを頂けたのでしたが、妻が喜んでくれたのも束の間、今度はその妻が心臓の病いで急死しました。
そ れで鬱を引きずる結果にもなりましたが、まだ子供たちも義務教育のさなかでしたので、お医者さまに頼み込んで「完治」したことにしていただき、職場の皆さ んの暖かい目にも恵まれて、ときおり放心状態が訪れるにもかかわらず勤務を続けることも、子供たちを無事進学させることも出来、いま、みなさんに感謝の 日々を送っております。

サラリーマンですが勉強は大好きで、かつ家庭の金銭的な事情からあきらめた、もっと先までの勉強への興味、クラシック系の音楽への愛着は深く、それ を軸にしてブログを綴って来たのでしたが、わりと長い期間は「感じること」・「調べたこと」との違いを見つけると「目くじらを立て」、そのせいで記事を炎 上させて、心配した方に大変お叱りを受けたこともありましたが(今日これも叱られるかも知れません)、マニアックに勉強するということにも幸いはあるもの で、興味を持って下さって、こんなブログを通じて、専門的なものの見方をきちんと教えて下さるお友達にも恵まれるようになりました。
そういう大切なお友達に、ものの見方、聴き方について貴重なご示唆を頂きながら、私自身、ものの見方、聞こえ方がどんどん変化しても行き、「目くじらを立て」ることの誤りもたくさん思い知らされ、いまなおその途上です。
古典芸能や、洋楽が日本にどう入って来たかに関心を持つことも大好きですから、話はその関連にまで飛躍します。

資料へのヒントは頂きますが、必ず目を通します。目を通せなかった場合はその旨は記事に盛り込むようにしてきました。
記事は帰宅後子供たちとの食事を終えてから数日試行錯誤して綴ります。当初、毎日綴らなければという変な義務感のようなものがあって、プランを複数かかえながら下書で徹夜するバカをやったりしていましたが、最近はしません。
素晴らしいお友達は何人もいらっしゃいますが、記事を綴る途中で「これでいいでしょうか?」みたいな類いの相談も一切しません。世の中みんな忙しいのですから、そんなところまで付き合えるような人は、なんぼ親しくたっていません。

そうやって目を開かれた喜びを綴ったにすぎないある特定の記事に対し、それに頂いたコメントに本気で寝込むほど一晩悩んでおかえししたコメントに対 し、あるいは記事の話題の広がりに対し、なぜお願いした「勉強の理性的な結果としてのかさねてのご返事」の代わりに執拗な怒りと疑いしか返って来なかった り、複数の書き手がいるのではないかとの疑念を抱かれたり、果ては危険だとどこかで・・・教えて下さった方がいるのですが、私は直接拝読はしていません し、今後も(なんとおっしゃられても)拝読するつもりはありません・・・言われなければならないのか、理解に苦しみます。

なんのおおおやけでもない一個人が、一シロウトが、お金のためにでもなんでもなく、試行錯誤を楽しみつつ自分を元気づけるために、そしてまたそれ が、こんな駄文ばかりでもいっしょに喜んで下さるお友達のいらっしゃることを信じつつやっていることが、見ず知らずの人にけなされ、お応えが遅くては申し 訳ない、と、なんとか速く出来る方法と短い時間を見つけて対応すればその行為すら奇妙だと疑われ、私の人格まで否定されなければならないのでしょうか?

いや、そう思っていただけることは、あるいはこんなもんでも世の中に少しでも影響力がある、と、ふんぞりかえっていい、ということなのでしょうか?

どう考えたって、あとのようなことはありえません。
世の中のひとが、好きなことを、自分の好きであるかたちのように好きである。
私もそんな例外であるはずがなく、その点ではどこまでいってもこんな場所でのメッセージは、たくさんの「個々」の中の1「個」に過ぎない。
そう信じております。

これでもなおいろいろお疑いになったり批難をなさりたいことがあるのでしたら、それは致し方ありませんが、どうぞ、各自の場でなさって下さいますよう、伏してお願い申し上げます。

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コメント

今更ながら拝読しました。
音楽というもののは、理論と名の付くものがある割にはむしろ科学ではなくエンジニアリングだなぁと、僅かながらも齧った立場として思っています。
例えば管弦楽法でのオーボエとヴァイオリンのユニゾンについては、手許のたかが2,3冊の本ですら見解が異なります。ある本では止めろと言い、また別の本では必要に応じて使うべしともいう。
それだけに、答えが必ず一つに収束する世界とは違う難しさがあると思います。それが面白さの一つでもあります。
また、適当にスルーしてしまうのも、ひとつの意思表示の方法かと思います。

投稿: D | 2015年1月11日 (日) 01時35分

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