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2014年7月 5日 (土)

菜の葉にとまる蝶の話(3)

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(*数字 とあるのは、文中に資料名を入れると面倒なので末尾に載せた印です。)


【菜の花、菜畑2】

菜種油の生産については初期の歴史が分かりにくいのですけれど、見つけたかぎりを整理すると

・・・「菜種は古くは戦国時代の頃に既に栽培されていたが、それはその茎や葉が食用として用いられるためであって、まだ油の原料としては利用されるに至らなかった。」(八尾市史(近代)本文篇 *1)
1612年【慶長17】遠里小野の油茶屋で菜種油の値段が1升75文だとの記載が日記類にある由(『搾油濫觴』から *2)
1643年【寛永20】(幕府)郷村御触「田畑共ニ油の用として菜種作申間敷事」(前回参照
1698年【元禄11】(幕府)油種・油買〆禁止(*3 以下、断りがないかぎり同じ)
1713年【正徳 3】(幕府)菜種買〆禁止
1723年【享保 8】(幕府)油価格引下を命令
1726年【享保11】(幕府)問屋以外の種物取引請禁止
1729年【享保14】幕府が菜種油価格を下げる目的から菜種の増産奨励に初めて乗り出した由(八尾市史による)
1743年【寛保 3】(幕府)在地絞油屋の油直積・他国種物買入禁止
1759年【宝暦 9】(幕府)油の江戸直積、種物の道買・道売・隠蔽の禁止
1770年【明和 7】(幕府)油方仕法改正・・・在地油稼株の認可と原料購入圏指定
1791年【寛政 3】(幕府)兵庫に菜種引請問屋設置 等
1797年【寛政 9】(幕府)(再)種物の道買・道売・隠蔽の禁止 等

『芭蕉七部集』、新古典文学大系の『初期俳諧集』・『元禄俳諧集』・『天明俳諧集』(蕪村周辺のものがほとんど)に限っての散策ではありますが、目立つほどの菜種栽培を物語る菜の花が俳句(の発句や付句)に現れるのは、下記の通りです。
・元禄期以前には菜の花や菜畑の語がまったく見当たりませんでした。
・句集によって編纂の特徴もありますし、手拾いですので落ちもあるかと思われますが、割合に関しては若干の拾い漏れがあっても大勢に影響はありません。

『芭蕉七部集』
(菜の花等出現率0.28% 3570句中10句)
(菜の花等の出現率は、曠野集までに限ると0.48%、7句)

曠野 元禄二【1689】
曠野集 巻之二
 麦の葉に菜のはなかゝる嵐哉 不悔
 菜の花や杉菜の土手のあい/\に 長虹
 なの花の座敷にうつる日影哉 傘下
 菜の花の畦うち残すながめ哉 清洞
曠野集 巻之五   
 水棚の菜の葉に見たる氷かな 勝吉〜菜の葉(冬)
 はる近く榾つみかゆる菜畑哉 亀洞〜(冬)
曠野集員外
 菜畑ふむなとよばりかけたり 兮

猿蓑 元禄四【1691】
猿蓑集 巻之三
 菜畠や二葉の中の虫の声尚月

続猿蓑 元禄十一【1698】
続猿蓑集 巻之下            
 伏見かと菜種の上の桃の花 雪芝〜菜種
 居りよさに河原鶸来る小菜畠 支考
*岩波文庫でも読みましたが上記はデジタルデータを写し取りました。
http://www.j-texts.com/kinsei/h7buah.html

『新撰 都曲(みやこぶり)』元禄三年【1690】
 273 尼寺よ只菜の花の散径(こみち) 言水

『卯辰集』元禄四【1691】金沢の句集(菜の花出現率0.61% 全652句中4句)
 105 里の昼菜の花深し鶏の声     牧童
 106 なの花や幾野かがやく朝日影   拾葉
 107 菜の花に虻しづか也朧月     其糟
 108 梨一木菜の花二間四方かな    春幾

『椎の葉』元禄五年【1692】二月の旅     
 舞蝶に飛ついて折芝種(ナタネ)哉

『其雪影』明和九【1772】(菜の花出現率0.2% 全434句中1句)・・・ナタネ
 022 麦あをあをと菜種まばゆき    几董

『あけ烏』安永二【1773】(菜の花出現率0.34% 全296句中1句)
 187 菜の花の一反ばかり盛かな    東走

『続明烏』安永五【1776】(菜の花出現率0.4% 全756句中3句)         
 183 菜の花に雨の近づくにほひ哉   士巧
 184 菜の花やよし野下り来る向ふ山  太祇
 185 菜の花や月は東に日は西に    蕪村

『仮日記』安永六【1775】(菜の花出現率1.2% 春の句174句中)
 006 菜の華や朱雀までなる老の旅    其梢
 102 菜の花や牛よけた手につかまるる  茶合

見た本で元禄と天明のあいだが抜けていたために、この間のことは分かりませんが、元禄期から天明期に引き継がれる状況と大差はなかったものと推測します。
で、菜の花や菜畑のことばは、元禄期にいったん登場してからは人が千句詠む中に3、4句は詠まれるのが普通になったことがうかがわれます。
ためしに芭蕉の句全部の中での菜の花・菜畑出現率をみますと0.2%くらい(全981句に菜の花等2 *4)、蕪村の死後編まれた『蕪村句集』では0.5%くらい(全868句中4句)、同じく『蕪村遺稿』で0.7%くらい(全580句中4句)です(*5)。上記『仮日記』も春の句のみでの割合ですから、四季で単純に4倍の句数としますと0.3%程度に薄まります。
一茶の『七番日記』には8074ほどの句がありますが、菜の花や菜畑の句は27首ほどですから、これも0.3%程度の出現率です(*6)。

最初の年表を見ますと、菜種油の普及は元禄期頃から広まったと読み取れます。元禄期以降の俳句へのその登場割合が安定しているところから、菜種油の普及に伴う菜畑の広がりは、元禄期には定着した景色になっていたと見て差し支えがなさそうです。

菜種は米の裏作として栽培することが出来、たびたび価格や販路統制が出ていることから推しはかれるように搾油の需要も多く、関西を中心に栽培が定着したのだそうです。
関西中心、ということについて特別な裏付けは見つけられませんでしたが、関連して面白いのは『芭蕉七部集』で、全体では10句ほどある菜の花・菜畑の句のうち7つまでが、名古屋でまとめられた曠野(員外まで。)に入っており、のこり3つ(猿蓑、続猿蓑)の詠まれた地もしくは読み手も近江・伊賀上野・美濃出身という具合になっていて、当時の菜種栽培は少なくとも関西の方が盛んだったことをうかがわせてくれます。
興味深いのは金沢の句集である『卯辰集』(元禄4)での菜の花出現率の高さで、京への物流至便だったこのあたりでは早くに菜種栽培がなされていたかのように見えます。実際に石川県野々市市の子供向けサイトには江戸時代から野々市周辺での菜種栽培が盛んだったことが述べられています。残念ながらこれは詳しい年代までは窺えませんでした(*7)。『卯辰集』の句では「菜の花二間四方かな(108番)」ですので、元禄期はそれほど大規模とは言えなかったのかな。

蕪村のころの関西での広々した菜畑風景は『続明烏』掲載の有名な句にもっとも良く描かれていますが、それが播磨方面の海沿いであったことは

  菜の花やもよらず暮れぬ (『蕪村句集』211番)
  なの花や昼ひとしきりの音 (『蕪村遺稿』32番)

のほうではっきりします。これらの菜畑は六甲の摩耶山のふもとだそうですけれど、裏作で菜種を作っていた花熊村(現 神戸市)の農家の変遷史が新保博著『封建的小農民の分解過程』(*3)にまとめられていて、菜種農家が経済的には必ずしも菜種からの恩恵を受けていなかった姿が詳しく研究されています。こうした生活についても、蕪村の

  菜の花や油乏しき小家がち(『蕪村遺稿』18)

に見事に絵画化されています。

これが関西での18世紀後半の風景ですが、関東と信州を行き来した一茶の『七番日記』にさかんに菜の花・菜畑と現れるようになりますので、19世紀には関東でも普通になっていたのでしょうか。蕪村の名句といい勝負である

  なの花のとつぱずれなり富士の山

は、文化九年(1812年)2月のおしまいの方に書き入れられています。このころの一茶の滞在先は西日暮里の本行寺もしくはその近辺のようですから、これは武蔵野の風景です。

このように元禄期以降、菜の花はごくあたりまえに俳句に出て来るようになったかと見えます。菜畑は耕すのが冬なので冬の句に出てきますが、菜の花は春です。
その菜の花に蝶が戯れる様子も・・・蝶は春の季語だといういまの常識からすると季がダブるにもかかわらず・・・一茶の『七番日記』文化十年正月に描かれています。

  よ梅よがてんてん舞をまふ
  麦ににてんてん舞の小てふ

それより前の年代にはかろうじて1句を見つけただけですが、1692【元禄五】年ですから、菜の花と蝶の結び付きは菜種栽培の広がると同時にはもう人の目に普通にとまっていたことが分かります。これは、上にもあげた『椎の葉』中の句です。

  舞に飛ついて折芝種(ナタネ)哉

これが載せられた『椎の葉』は才麿という人が記した2月の紀行文で、「芝種(ナタネ)」とありますけれど、季節的にもこれは菜の花だと読めます。

さて、菜の花と蝶はこうして俳句でも結び付きが書かれていること、それが17世紀末までは遡れること、が分かりました。

しかし、菜の「葉」となると、俳句には曠野集のひとつ以外には、一向に現れません。

ふうむ、「葉」は「花」じゃないだけにハナがないからか・・・とつまらんシャレを頭に浮かべてぼんやりしつつ、もういちど

  舞蝶に飛ついて折るナタネかな

の句が載ったページの下の注釈に目をやったら、・・・え? なんだって? と、瞬間、のけぞってしまいました。

注釈によれば、この句の読解は「芝種(ナタネ)」は菜の「花」ではないのでした。

「舞い飛ぶ蝶を掴もうと飛びついて足もとのナタネの茎を折ってしまった。・・・

そりゃそうだ。蝶に「飛びつい」たのはこの句を詠んだ「私」以外にありえないので、蝶と菜の花の結び付きに気をとられて意味をちゃんととっていなかったのでした。

さらにこの注に、
「蝶−菜の葉(類船集)」
と書かれています。それで「類船集」なるものを探したら、幸いにしてデジタル化されていました(*8)。

・・・で、見てみると、、、

Ruisensyu

・・・「胡蝶」の下4行目。

・・・なんだこれは!?!? 「菜の葉」だ!(草書で書かれています)

・・・蝶と結びついてるじゃありませんか!

・・・続く、と思う。


*1:八尾市史は公的にPDF化されていて、こちらから読めるんですね。 http://web-lib.city.yao.osaka.jp/yao/yao-archive/

*2:『搾油濫觴』事態は目にしませんでした。こちらのサイトにまとめて下さっているのを拝見しました。 http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den009.htm

*3:新保博『封建的小農民の分解過程』306頁の年表による。新生社 1967年

*4:今榮藏『芭蕉年譜大成』でナンバリングされている数によった。角川書店 平成17年新装版

*5:尾形仂校注『蕪村句集』岩波文庫 1989年

*6:丸山一彦校注『一茶 七番日記』岩波文庫 上・下 2003年

*7:http://www.city.nonoichi.lg.jp/rekishitabi/rekishi_2_11.html

*8:国文学研究資料館 電子資料館 http://www.nijl.ac.jp/pages/database/
   『類船集』胡蝶〜http://t.co/SGrKM7D15x 

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