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2014年7月 9日 (水)

菜の葉にとまる蝶の話(4)

(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)


(*数字 とあるのは、文中に資料名を入れると面倒なので末尾に載せた印です。)


【菜の花、菜畑3】

『類船集』というものを見つけましたら、「胡蝶」のところに、しっかり「菜の葉」と書いてあるのでした。

Ruisensyu

胡蝶(見出し語) かすみの籬 霞む外面 
         菊 花園 春雨の跡 やまふき
         藤 ぼたん 閑なる朝日 源氏の巻
         猫 夢 軒ばの梅 松虫 菜の葉
         瓶子 (以下、略 *1)

これは、いったいどういう書物なのでしょう?
初期の俳諧集や『芭蕉七部集』などでも、句は一人一人が独立して五七五を詠んでいるのではなくて、前の句への連想をしながら次の七七が原則別の人によって詠まれています。そしたまた連想によって次の五七五がまた別の人によって詠まれる、という具合に続いて行きます。続け方について細かくはいろんなルールがあるんだそうですが、そのことは省きます(*2)。こういうやりかたを「付合(つけあい)」というのだそうです(*3)。
『類船集』は延宝五【1677】年刊行の、高瀬梅盛(たかのせ ばいせい 1619~1702?)という人が編んだ、この付合の手引です。いろは順に並んだ見出し語の下に、その見出し語と付け合わせるのにふさわしい語を並べ、そのあとに説明を加えているものです(*4)。
いまの私たちの常識ですと俳句には季語が付き物なのですが、『類船集』には季節による語の分類がありません。
これを『はなひ草』(森川昭蔵 寛永十三年 *2所収)という誹諧式目集(誹諧のルールブック)と比べてみますと、『はなひ草』では前半がやはり特別に分類はされないで見出し語がいろは順にならんでいます。けれどもそのあとに『はなひ草』は句を連ねて詠むときのルールを手短にまとめ、次いで「四季乃詞」として月々(1月~12月)をあらわすのにふさわしい語を並べ立てています。『類船集』は『はなひ草』の前半部分を独立させ詳しくしたようなものだ、と理解すればいいのでしょうが(*5)、ちょっと性質は違います。
『はなひ草』は最初は
「い」 岩船 水辺にあらず。天津神駕し給ふ舟也。舟の字には五句嫌。
というぐあいに始まっていろは順に詞が並んでおり、その使い方が述べられ、その後ルールの補足があって、次いで四季之詞となります。付合については記されていません。このあたりは書物の目指すところの違いですね。

さてしかし、蝶は春を表すのではなかったのでしょうか? 『類船集』では松虫と付け合うことにもなっているのが気になります。
菜の葉も春のものではないのでしょうか。
こちらはしかし、たったひとつ見つけた『芭蕉七部集』中の曠野巻之五 の句は

  水棚の菜の葉に見たる氷かな

で、冬のものでした(前回参照)。

『はなひ草』には蝶も菜の葉や菜の花も見当たりません。
『誹諧初学抄』(*2)というのにも手を伸ばしてみて見ると、中春のところに「上羽(アゲハ)の蝶」とあります。
季節のことばを主眼にして編まれた『増山井(ぞうやまのい)』(北村季吟 寛文七【1667】年 *2)でも春のことばとして蝶があげられています(蝶~胡蝶。黄蝶、俳。蝶々、同。あけはのてふ、同。)。ただしまた別に、秋の胡蝶(てふに霧を結ひても【秋也、を略】)。ああ、これで『類船集』の胡蝶のところに松虫が付け合わされていても不思議ではない理由がなんとなくわかりました。

この『増山井』では末尾に「増山井非季詞」として特定の季節を表さない神祇、釈教、天象、名所、生類、植物のことばがならべられています。
その植物のところに、「菜種(まくは秋也)」「菜畠」があります。

菜種、は春の季語ではなかったのか?
そう、そうではなかったんですね!

『類船集』も『はなひ草』も『誹諧初学抄』も『増山井』も、芭蕉の登場に先立つ貞門誹諧と呼ばれる人たちの手になる書物ですが、季節を示す詞のほとんどは和歌の伝統的な季題によっています。これらは芭蕉門下たちの時代になると「竪(たての)題」と呼ばれ、そうでないものは「横(よこの)題」と呼ばれることになったそうです(*6 25頁)。
芭蕉以後の蕉風誹諧になると、芭蕉がとりいれた新たな横題が積極的に使われるようになります。研究をまとめた書籍は古書でも高価で手が出ませんのでしっかり確認は出来ませんでしたが、菜の葉ではなく「菜の花」は、この新たな横題のひとつだったのでした(*6 200頁 付録)。
こんなところにも、菜の花やその畑は近世の新たな風物であったことがうかがえると思います。
そしてまた当然のことではありますが、花は春であっても、その葉や茎や、植えてある畑は存在が春に限定されるわけではありません。こちらは俳句~俳諧の世界でも現実的に反映されているのですね。やはり曠野の巻之五にある

  はる近く榾つみかゆる菜畑

もまた冬の句です。

俳句を通じてですが、これで菜の花や菜畑の景色が日本にみられるようになったのは江戸時代以降と考えて間違いなさそうだといえるようになりました。それが『増山井』や『類船集』の出た1670年前後までさかのぼれたわけです。

では、俳句の世界で菜種(アブラナ)、菜の花、菜の葉が蝶と結びついたのはその実景によるものだったのでしょうか?

元禄五年【1692】年の『椎の葉』にあった

  舞蝶に飛ついて折るナタネかな

の句は、意味からして間違いなく実景に基づくものです。

しかし、これ以外は一茶が詠んだ1813年まで、見た限りの俳句の世界には菜種と蝶の結びつきはあらわれません。
狭い範囲を眺めただけですから仕方ないのではありますが、江戸期の菜の花の実景をたどるには絶好の素材だった俳句を、蝶と菜種の関係を日本人がとらえた時期の推測に用い続けることは、どうやら無理そうです。

すると、この関係を早く書き留めた『類船集』(1677年)は、なにをもって胡蝶~菜の葉を結びつけたのか、を考えなければなりません。

俳諧は、人々がいまこのときを鋭敏にとらえるおかしみを許容したからこそ、松永貞徳以後、人々の間に爆発的に普及することとなったのでした。
そうした俳諧の題材の中には、・・・「古い小歌」といっているのがちょっと気になりますけれど(*7)・・小歌も積極的に採り入れられたらしいことが分かっています。
最初に見た
「蝶々とまれや菜の葉にとまれ」
が清元だの地歌だのによって普及していたことからすると、この結びつきは当時の歌謡に由来するものではないのかなあ、と思われてきます。『類船集』が実体験に基づいて結びつけた、とは考えにくいような気がします。

そこで、あらためて「蝶々とまれや菜の葉にとまれ」・・・これを小さな歌謡と推測して、仮に「菜の葉の小歌」と呼びます・・・のほうに戻って見直してみますと、この菜の葉の小歌が意外とあちこちでマイナーロングセラーになっていたもののようです。
見つけたなかでいちばん古いのが(1)で載せた『山家鳥虫歌』であるのは目下変わりありませんが、これは大和すなわち今の奈良県のものとされていたのでした。しかしこれは、たまたま採集されたのが大和だったというのに過ぎないのかも知れません。
時代がやや下りますけれど、19世紀初頭には、江戸でも大阪でも、「菜の葉の小歌」は根付いていたらしく見えるのです。また、良寛さんの遺墨の中にも、これを書き留めたものがあるそうです(*8)。

19世紀の『童謡古謡』(文政三【1820】年)というのが当時の江戸に残っていたわらべうたなどを集めたものなのですが、ここに

 蝶々とまれや菜の葉にとまれ 菜の葉がいやなら手にとまれ

と載っています。

新古典文学大系でこの江戸の童謡に付けられた注に、興味を引かれました(*9)。

「蝶に向かって言う唱言。傍書にもあるように本来は恋の流行小歌であろう。近松の浄瑠璃・津国女夫池(中略)などに同形あり。」
そうですか、近松門左衛門にありますか。そうだとすると、『山家鳥虫歌』より確実に古いですね。

江戸絡みでもう少しあさってみると、豊富な考証をまとめた『嬉遊笑覧』(文政十三【1830】年)巻之六 下(*10)に
「今もある蝶々とまれといふもの(中略)蝶々も明和よりありしか。」
と、これはなんと子供のおもちゃをさすことばとして「蝶々とまれ」がでてくるので、またびっくり仰天!
そしてこのあとに続くのは

『宗因が句』に、「世の中は蝶々とまれかくもあれ」といへるは(中略)柳亭子云、「京師八坂の茶屋の事をかけるものに蝶々とまれ云々、の小歌見えたり。宗因これをとりたる句也」といへり(「菜の葉に止まれ」といふはむかしの小歌なり。下総佐原辺にて、「蝶々とまらんかのめ飛すがらんかのめ」とうたひて踊る、これもおなじたぐひとみゆ)。

という説明。あら、菜の花を最初に季語に使った西山宗因さんが、また登場します!

 世の中やてふてふとまれかくもあれ

と、「菜の葉」はなくて、「蝶々とまれ」のところに「菜の葉の小歌」が部分的に使われているというのです。
宗因は大坂で晩年を過ごした人。近松門左衛門も大坂で活躍した人です。
うむ、「菜の葉の小歌」は何か大坂に縁があるのでしょうか?
ただし、宗因がこれをとったと言われている八坂は、八坂だけに京の祇園です。

おもちゃの「蝶々とまれ」のほうは、ネットで写真を見つけることが出来ました(*11)。

二十三番狂歌合(江戸時代・19世紀のものの由)

Chouchoutomare

載せて下さっていた人は

手元の筒を下に向けると、紙でつくった蝶々が、飛び出し、上に向けると筒先にちょこんと止まるような仕組みのおもちゃだったらしい。
 絵の右側に書かれた売り声は、「てふてふとまれよ、なのはにとまれ」(写真では上の方が切れてしまった)のようだが、もしかして、みんなが知っている「蝶々」の歌詞は、江戸時代の売り声にインスパイアされていた???

と仰っています。私と似たようなことを感じてらしたのね。(切れてしまった、とする写真のことばは、大丈夫しっかり読めます。)

さらに、出久根達郎『春本を愉しむ』に次のような文がある由。
え? 春本ですか(*12)。

幕末安政に公刊された人情本「真情春雨衣」のなかで、「深編笠の男女の胡蝶売りが」「篠竹に紙の蝶を糸で結んだ幼児玩具」を、「胡蝶とまれや菜の葉へとまれ、菜の葉いやなら葭(よし)の先へとまれ」と歌いながら売っていたそうです。

おっと・・・これはまた(1)で見た清元「玉屋」前半とほぼ同じではありませんか!

蝶々とまれ、は、やはり子供の素朴な歌ではなくて大人の恋歌、それもなにか色街絡みなのでしょうか?

うーむ、ドキドキですが、そのへんのこと、大坂のことは、またこの次に。


*1:『誹諧類船集』京都大学国語学国文学研究室内 近世文学研究会(昭和30年 非売品)を参照。ガリ版刷りを製本したものだったのでしょうか、分担した人によって字の読みやすさがまちまちです。同じ梅盛が先行してまとめた『便船集』はネット上で昔の金沢大の方がまとめたものが読めますが、途中までなので残念です。こちらだと四季之詞だとか神祇、釈教だの恋だのが別にまとめられているようなのですが。

*2:斎藤徳元『誹諧初学抄』や松永貞徳『天水抄』など(古典俳文学大系2『貞門俳諧集 二』所収 昭和46年 集英社)

*3:世界大百科事典 第2版の解説 http://kotobank.jp/word/%E4%BB%98%E5%90%88
つけあい【付合】 連歌・俳諧用語。〈寄合(よりあい)〉と同義に用いることもあるが,普通には17音節(5・7・5)の長句と14音節(7・7)の短句を,ことば,意味,情趣などを契機として付け合わせたもの,また交互に付け連ねることをいう。付合の集積によって成立した連句文芸では,発句(ほつく)以外の句をすべて付句(つけく)と呼ぶが,2句一章の最小単位では,付けられる句を前句,付ける句を付句と称する。前句が長句,付句が短句の付合は短歌に似るが,前句が独立しつつも蓋然性に富む意味内容をもち,その判断を付句の作者の読みにゆだねるという点で,短歌とはまったく異なる。

*4:http://kotobank.jp/word/%E9%A1%9E%E8%88%B9%E9%9B%86
   http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai2002/014.html

*5:四季のことば、すなわちこんにちの季語と、季語以外のことばとが誹諧にあるのは和歌の伝統を意識してのことなのですけれど、いまは誹諧がテーマではないし、私が詳しいわけでもないので、そのあたりの事情については省きます。作品の配列を通じた具体例は『芭蕉七部集』でもうかがえます。
なお、有名な『毛吹草』は『はなひ草』より構成が拡大していて、四季之詞なり付合なりのことばが大変充実しています。巻第一「指合」・巻第二「誹諧四季之詞・非季詞・連歌四季之詞・誹諧恋之詞・連歌恋之詞・世話 付古語」・巻第三「付合」・巻第四「名物(当時の各地の名産品です)」で、あとは発句集となっています。岩波文庫 1943年

*6:宮坂静生『季語の誕生』 岩波新書1214 2009年
ちなみに小学館『日本古典文学全集 近世和歌集』に載った江戸期の和歌1106首の中には一首も菜の花や菜種、菜畑を歌ったものはありません。かわりにとりあげられているのはスズナです。江戸時代後期に滝沢馬琴が編んだ歳時記では、菜の花はスズナのことだとありますが、こちらは和歌の教養が邪魔したものでしょうか?

*7:寛文十二【1672】年刊行の『時勢粧(いまやうすがた)』、古典俳文学大系2『貞門俳諧集 二』所収、p.86 また続く句の分類参照→*2

*8:https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&cad=rja&uact=8&ved=0CB4QFjAA&url=https%3A%2F%2Fir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp%2Fdspace%2Fbitstream%2F123456789%2F4715%2F1%2FGA44053.pdf&ei=OEi9U6jEEIi68gW3n4HACg&usg=AFQjCNHm7-XuPxAoImEz8eiuvTPSqDw2cw&sig2=dvPjo79c4QsLmgidxouRuA

*9:新日本古典文学大系62 岩波書店 1997年、356頁

*10:喜多村節信『嬉遊笑覧』(三) 岩波文庫  2004年 358頁。(五)巻末の索引では誤って368頁にある、としています。

*11:http://nora-pp.at.webry.info/201212/article_1.html

*12:http://2.suk2.tok2.com/user/68bi51/?y=2009&m=12&d=16&all=0

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