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2013年6月26日 (水)

乗り物【こどものころ(9)】

【乗り物】

庶民の足は路線バスでした。薄青緑の市営バスは顔の長い犬のようなボンネットの車両で、女の車掌さんが切符にハサミを入れていました。それがいつのまにか四角いバスに変わり、間もなく車掌さんもいなくなりました。いつごろだったのかをはっきりは覚えていません。
ほかに赤白の宮城バス、ピンクの山形交通バスがありましたが、山形交通バスはウチのあたりでは走っておらず、宮城バスは本数がとても少ないのでした。
どうしても赤白のバスに乗りたくて、一度せがんで乗せてもらったのでしたが、停留所を2つ3つ行った先でおしっこが我慢出来なくなって降ろしてもらったきり、あとは乗るチャンスがもうありませんでした。

タクシーは初乗り50円じゃなかったかな? 小学生低学年の頃、いちどだけひとりで乗せられたとき、50円玉を握っていたように思うのです。
旧市街は道の真中を市電が走っていて、親戚のいる八幡神社(大崎八幡宮)のほうや、正反対の方向の長町に行く時にも便利でした。なにせ真中を走っているので、自家用車が増えると渋滞の元だと目のカタキにされて、廃止になりました。昭和51年、1976年のことだったようです。

父が自家用車を買ったのは、僕が小3か小4の時でした。
電線をはる仕事をしていたので、長靴ばきで作業着を着て、黄色いバイクでも黄色いトラックでも運転していて、よく乗って帰って来ては僕をのっけてくれたりしていましたが、車庫がないので、また夜勤のために現場まで乗って行ってしまうのでした。そういう場所ですから、買ったのは小振りなクルマでした。スズキフロンテの初代です。これでも、近所では五本の指に入るくらい早くに自家用車を持ったのでした。サダノリちゃんにうらやましがられたっけな。
この小さい4人乗りの車で、僕が小4の年に、父は母と僕と6つ下の妹とを乗せて、暮れ正月をまたぐ7日間で、国道六号線をトコトコと、福島県の平(いわき市)〜東京(赤坂プリンス泊)〜鎌倉に立ち寄って静岡県三島市の大叔母の家へ、と連れて行ってくれたのでした。僕の東京初体験でした。
東京の年末年始はえらく閑散としていて、道路はまだ盛んに地下鉄工事をやっていて風景もさほどきれいではなくて、ただ貿易センタービルが出来たばかりで、印象に残ったことと言えば、ホテルの人が
「あれが霞ヶ関ビルを超えていま日本でいちばん高いビルなんですよ」
と教えてくれたことくらいでした。
その他にも、この車ではずいぶんと蔵王の麓の遠刈田温泉へ泊まりがけで出掛けました。

鉄道はどうだったか。
ウチからは東北本線の東仙台駅までは、そんなに遠くありませんでした。それで、赤ん坊の頃から、祖父が僕を乳母車だとか手をつないでとかして、線路の方まで連れて行ってくれて、汽車をよく見ました。あの真っ黒で大きな車輪が大好きでした。汽車に乗ることは、でもそんなにたくさんはありませんでしたから、煙の方の記憶はさほどありません。列車に乗るのは遠出をする感触を伴っていました。高校生くらいになると友達同士で仙山線で山形の方まで数度出掛けたのでしたが、そのころにはもうとっくに汽車ではなくディーゼル車になっていました。客車と客車のつなぎ目は、こういうローカル線では完全には塞がっていなくて、列車が動いていても、車両のつなぎ目のところに二人くらいで腰かけて足をぶらぶらさせていました。それで誰に叱られることもありませんでした。

飛行機には、縁がありませんでした。
飛行機に乗るような用事がありませんでした。
ものごころついたばかりのころ、仙台空港の訓練飛行場に連れて行ってもらい、実際に飛行機を操縦している人が、まだ訳の分かっていない僕をだっこして、小さい操縦席にひょい、と入れてくれようとしました。とたんに僕はなんだか怖くなって、ずいぶんと大声で泣いてわめいて暴れたのでした。以後、仕事の必要が出るまで、飛行機に乗ろうと思ったことは全くありませんでした。
船も、松島の遊覧船に乗ったことがあったくらいでした。一度だけ、母が「なかよし学園」という職場で保母として世話していた(当時で言う知恵遅れの)子たちのリクレーションで、釣り船に乗ったことがあります。ハコフグがいっぱい釣れるのに夢中だったので、その時の海の様子も、船に乗った感触も、いまひとつはっきりしません。
知恵遅れ、と言われた人たちのことは、また別の機会におしゃべりします。

子供に身近な乗り物は、なんと言っても自転車です。
ところがこれが僕はさっぱり乗れませんでした。
補助輪をつけていた間は猛スピードで突っ走っていたのですが、
「そろそろもういいな」
とおふくろに外されてからは、乗ろうとしても転ぶばっかりで面白くも何ともないので、ちっとも練習せず、自転車は物置行きになりました。
「うえの公園」と「したの公園」をまたぐ橋の向こうに、マスザワ君という友達がいました。
長方形の顔に角刈りの、子供フランケンみたいで、いつも鼻水を垂らしていたマスザワ君は、自転車が大好きで、小学校から帰ると自転車に乗って
「ぶーん、ぶるるん」
と声に出して唸りながら自転車をバイクのようにすっ飛ばしていました。
それを見ているうちに、なにくそ、とでも感じたんでしょうかしら、僕は物置に眠っていた自転車を引っぱり出して、「したの公園」で急に練習を始めたのでした。始めたらなんてことはあない、その日のうちに乗れるようになってしまいました。
それで、得意になって、でも、ぶーんぶるるんなんて口で言うのはかっこわるいから、かわりに
「ヒューン!」
かなんか叫びながら乗っていたら、前に車が止まっていました。
ブレーキはまだマスターしていませんでした。
そのまま車に激突。
持ち主のおじさんがかんかんになって怒って
「おまえのうちはどこだ!」
とついて来るので、仕方なくウチまで一緒に行きましたら、
「なんだ、あなたの息子か・・・じゃあ怒れないなぁ」
と、おふくろの顔を見て、おじさんはすごすご帰って行ったのでした。
おじさんは、おふくろの中学時代の同級生でした。
おじさんにはこれで勘弁してもらえましたが、僕はこのあと正座させられ、1時間説教されたのでした。

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