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2013年6月22日 (土)

集会所【こどものころ(7)】

【集会所】

「うえの公園」の端っこにある集会場は木造平屋の、二十畳くらいの板の間敷きで、玄関が少し立派で、天井の高い建物でした。安普請だったのかも知れませんが、しっかりした印象があります。建築事務所ではなく大工さんが木造の建物を一手に作っていた時代です。大工さんは設計図では無しに、板に点を打って、なにやら渋い顔で考えていて、それをガキ共が固唾をのんで見守っていると、そのうち
「ふん」
と鼻息で周りを蹴散らすようにしてから、点と点を曲尺(カネジャク)で結んで、どうだい、というふうにガキ共をにらみつけるのでした。それで、大工さんはガキ共のあこがれの的でした。

昭和四十年代までだったかな、家が上棟すると「たてまえ」と称して、施主と大工さんたちが紅白の餅や小銭を屋根の上から撒く習慣がありました。その日は大人も子供も「たてまえ」の家に大勢集まって、餅を拾うのです。それが楽しみで、今度はどこに家がたつのか、情報交換のひそひそ話が絶えませんでした。餅は紙などには包まず、そのまま撒くのでした。拾った餅を持ち帰って、焼いたり焼かなかったりして醤油をつけて食うのが美味かった。いつからか、餅が紙に包まれ、包装はそのうちビニール袋に変わって、まもなく「たてまえ」はやらなくなったように思います。餅を撒く習慣は一部の地域でそこの民俗行事扱いで今でも残っていますが、もとは日本全国どこでもやっていたのではないかな。調べてみないと分かりません。

で、集会所に話が戻ります。
ここは基本は大人の場所でした。町内会なんかをやっていました。子供が入れるのはどんなときだったか、記憶がはっきりしませんが、今で言う講演会みたいなことをやるときだったのでしょうか。このあたりの地名は「燕沢」と言って、燕がたくさん来るからだ、とみんなは言っていましたが、集会所で・・・誰が話したのか、顔も声も思い出せないのですけれど・・・聞かされたのは
「もとは<血跳ね沢>だったのです。このあたりまで落ちのびて来たモウコの兵隊が、向こうの善応寺の前で首を刎ねられたからです」
などという恐ろしい伝説なのでありました。少し難しい本も読めるようになってから調べたら、仙台の地名の考証の中にこの話も載っていましたが、
「善応寺境内の蒙古の碑に由来する話で、碑は普通の人には読めない字で書いてあったから出来た伝説だったのだろう。碑を調査したところが、今日の一字一字を書いた石を埋めた石を下に埋めた一種の経典供養塔であって、蒙古の残党がここまで来たということはない」
みたいな説明でした。改めて見直したわけではないので、正確ではないですけれど。

集会所ではそろばん教室をやっていて、教室の生徒になれば子供は毎週木曜日に集会所に入ることが出来ました。
僕は小学校2年生になっても
「いちたすいちは、えっと」
と指を折らないと分からなかったので、見かねたおふくろが
「級なんかとれなくてもいいです、数が人並みに数えられるようになれば」
と頼み込んで、かよわせ始めたのです。
入ると、近所の悪ガキばっかりですので、年下の僕はこそこそ呼びつけられて
「おい、アイス買って来い」
と小銭をわんさか渡されるのでした。
「へい、がってん」
とかなんとか返事をして、僕はおばちゃん先生の目を盗んで外に出るのでした。
でも、たぶん、先生は分かってたんでしょうね。時々困った顔をなさっていた記憶が、ちょっとだけあります。お説教されても穏やかなものでした。
先生が寛容だったからでしょう、悪ガキはみんな勝手に表に出て、公園でボール遊びだのかくれんぼをするのでした。
柔らかいボールを使った三角ベースの野球もどきの遊びは「ろくもんす」と言って、打ったら三角ベースを六周しないと点が入らないのでした。
「エス合戦」というのは、地面に大きなS字を描いて、Sの中にいる連中を、外の鬼がSの切れている隙間から侵入して捕まえる鬼ごっこで、鬼は何故かS字の外を片足けんけんで回らなければならず、もう片方の足を地面についてしまったら最初からやりなおしで、スタート地点に戻るのでした。
「缶蹴り」というのは、鬼が縦長の空き缶を蹴られないように守りながら、隠れている連中を探すもので、かくれんぼと鬼ごっこが混じった遊びでした。隠れた連中をせっかく見つけても、探すために離れているうち缶が蹴られてしまえば、またいちからやりなおし、で、鬼は走るのが遅いと惨めな思いをしました。
日の短い季節は、遊んでいる僕らの頭上を、コウモリがばたばた飛び回って虫をとっていたのでした。

そろばん教室以外で子供が集会所に入れるのは、子供会の上級生になったときで、五年生六年生は、夏のお祭のときに路地に飾るあんどんに絵の具で好きな絵が描けるのでしたが、その絵は集会所で描かせてもらえるのでした。上級生たちが集まって黙々と絵を描くのを眺めていると、どこか厳粛で、大人へのあこがれのようなものを感じさせられました。
やっと五年生になって、どういうつもりだったんだか、僕は鎧武者の絵を描きました。それが公園の入口近くの電柱にかかった時には、灯が入って武者絵が映えて見えるのがむしょうに嬉しくて、お祭の中に行かずに、あんどんばっかり眺めていました。
小六になるとこの町から少し離れた新興住宅街に引っ越さなければならなかったために、僕があんどんの絵を描けたのは、このとき限りでした。

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