« 毎年同じ景色でも | トップページ | とうちゃんは、だんだん追いつかなくなって来ている。 »

2013年5月22日 (水)

しあわせはどこにあるのか

幸せはどこにあるのか、なんて、考えてみたら、考えたことがなかった。

ひがむことなら、たくさんある。

ウチに帰っても、喜びがない。
だからといって、よそに行っても誰が100%受け入れてくれるわけではない。・・・ほんの少しの間だけ、そんな経験は出来たころもあったので、過去の幻を引きずっているだけなのか。
それでもなんで、真面目にウチに帰るのか。
どこかや誰かが好きだ、と思うことをやめないのか。

おれはバカじゃないか、と、そう感じることばかりだ。

が、ひがむことが出来るあいだは、ひがむゆとりがあるということだ。

なんの感情ももたなくなったら、不幸せということをも、自分は思うことなどなくなるだろう。・・・そしてそうなったら、外からの目はやっと残らず、
「あの人は不幸せだね」
と囁きあうに違いない。

不幸せだ、とも感じられなくなることが最大の不幸せなのだとすれば、その不幸せに自分の「不幸せ感情」を付き合わせてみて初めて、幸せのありかも見えてくるんじゃないだろうか。

心に起伏があること、つらいことをつらいと思えること、悲しいことを悲しめること、つまらないことをつまらないと退屈できること・・・そういうあれこれを感じられるからこそ、苦もないこと、よろこばしいこと、面白いこと、それぞれの大切さもまた、感じられるのだ、と、いやでもそのように、信じられるものなら信じてみたい。

幸せは、どこかにころがっている、絶対的な何か、ではないのかも知れない。

いっそ、どこかにころがっていたら拾ってすませたくはあるのだけれど。

半分は自分への説教で、半分はなんとかなりたくての自己暗示。

|

« 毎年同じ景色でも | トップページ | とうちゃんは、だんだん追いつかなくなって来ている。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/95716/51734845

この記事へのトラックバック一覧です: しあわせはどこにあるのか:

« 毎年同じ景色でも | トップページ | とうちゃんは、だんだん追いつかなくなって来ている。 »