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2013年3月19日 (火)

苦しくても子はなぜかわいいか

自分がかつてそうだったのは、別の話。
子供らも高校生以上になって来ると、トサカが生えて来て、親と衝突はあたりまえになる。 娘がまだ生まれたばかりのときから、そういう時期が来るのが恐ろしかった。 家内と一緒なら乗り切れるだろう、と、あくまで家内のいてくれることが頼りだった。
現実は、ひとりでぽつんと置いて行かれた。 無意識に、誰かの助けを求め続けてきたけれど、とうとう助けはなかった。それでガムシャラに拍車がかかった。
息子ともとっくみあいを少なくとも3回はやって、力がついてきた息子のパンチを受けて顔を腫らしたこともある。 娘は女の子だからと遠慮があったのがいけなくて、遠慮のつもりがかえって息子のほうばかり贔屓しているように映っていたらしくて、おとといとうとうぶつかって、思いがけずふっとばして手首に打ち身を負わせてしまって、愕然となってしまった。それで娘に謝り、娘の方も謝ってきてくれて、それで少し、つかえが降りた感じがする。

とくに息子の学校に行くと、他のお家のかたも、先生も、高校生くらいの子は 「口もきいてくれない」 と仰る。 そこまでになってしまうものなのか・・・と振り返ると、17、8の僕はたしかに親父とは口もきかなかった。そのかわり、多分そのころいちばん精神的につらかったのだろう、外のお店で酔いつぶれているのを、迎えに行っておぶってタクシーに乗ったことが何度かある。

・・・飯のこともかりかり心配しっ放しだし、娘のレッスンの送り迎えからは解放されていないし、そんなこんなで今、ウチの子たちは、いくつかは持っていてくれる隠し事があるにしても、そうでないことは、僕が何かやっていようがおかまい無しに
「ああでもない、こうでもない、そうだろうか」
とうるさいくらいに話しかけて来る。
よく知る人に子供のことで愚痴ると、
「過保護だからだよ」
と言われてしまうこともあるのだけれど、じゃあ他のやり方をしてこれたのだろうか、と改めて考えると、僕には他にはどうすることも出来なかったとしか言えない。
苦しいと思っても、僕に幸せをくれたのは子供たちが生まれてきてくれたことだったし、僕が崩れ落ちなかったのも、子供たちがいたからだった。

そうは言っても、子供たちには離陸のタイミングを見つけてやらなければならない、とは、ずっと思っていながら、自分にはまたどうやればこちらから準備の踏切が出来るのか、これまたずっと頭を抱えていることではある。
いい間合いで、いいチャンスがあって、そこから緩やかにものごとが進みますように!
そう祈る気持ち。

今日は午後から息子の高校で4月に入学して来る子たちと親御さんへの説明会があり、そこでPTAの説明と、一部、役員さんをやってくれそうな人にはお願いしてしまう、というお仕事があるので、こっちも今きりきり舞いしている職場の仕事を午前中でぶん投げて、高校へ向った。
急にかなり暖かくなったので、駅から学校まで歩40分の道のりで大汗をかいた。 家の周りはほころび始めたので桜を期待したのだけれど、学校では咲いている様子が全く無かった。
PTA役員も、父親はこんなことでもやらなければ、井戸端会議にも混じれないから、子供たちの過ごす環境を知っておくために、と、娘の高校入学のときから始めたのだったけれど、娘の大学はともかく、娘の高校も、息子の高校も、やってよかったなぁ、とつくづく感じている。ただし、ほとんどなんの役にも立っていないので、周りのかたには心苦しい限りである。

明日はつかの間のフル休養日。 でもまた要望で買い物とかクレープ食いに行くとか、娘の年金関係の手続きを調べるとか、やっぱり盛り沢山で・・・盛り沢山のうちが花なんだ、とでも思っていないとやってられない。 (><)

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