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2013年1月25日 (金)

アルジェリア組曲

私たちは、充たされていると・・・充たすものが幸せであろうと、「不満」と書く充満物だろうと、あるいは不幸せであろうとも・・・他所の大きな幸せ不幸せに、つい、自分なりの口出しをしたくなります。

それはその人あの人たちの喜びや悲しみであるのに、幸せか不幸せかというおもて面だけ見て、こちらの勝手な思い込みで、幸せや不幸せの価値を決めつける。そのときは決して、人を見つめてなんかいないのです。

ほんとうは、自分をからっぽにして眺めるのでなければ、「幸せなその人、不幸せなあの人」は、見えない。

ふと、それに気付くと、胸がぎゅっと詰まります。

黙って喜び、黙って悲しむしかないのか?

お釈迦さんの出した答えは、実はそうなのでした。神秘をとう問いには沈黙で答えた、とはよく説明されていますけれど、つまるところは、感覚に正直である以上に説明を求めることの奇妙さを雄弁に拒否する「沈黙」だった。

お釈迦さんのところでは、こんなこともありました。
たくさんの人に優しくし、たくさんの人に慕われた尼さんが、盗賊に惨殺されたのでした。
そのとき、みんなは憤って、
「なんであんなに徳の高いかたが、そんな死に方をしなければならないのか」
と、釈迦に詰めよりました。
「徳の大きさと、どんな死を迎えるか、には、なんの関係もない」
釈迦の答えは、そういうものでした。
(瀬戸内寂聴さんが著書で採り上げている話でもあり、原典の翻訳で読んだこともありま したが、出典をいま思い出せません。生前は国際的な作曲家として日本でも高名だったものの鋭すぎる毒舌で死後も恨まれ一般にはなかなかかえりみられずにい る作曲家、松下眞一の「シンフォニア・サンガ」第2楽章が、この原典を題材にしていたはずです。)

アルジェリアの事件をめぐっては、たくさんのかたが、いろんな感情を抱かれたり抱いたりなさったかと思います。
いま、それを私なりに語りたいと思っても、なんのことばも持ち合わせません。それは、お釈迦さんの示した積極的な沈黙でもなく(現に、こんなにお 喋りです)、世間並みな感情をお釈迦さんのように超越したものでもありません。ただ、勤め人の端くれとしての私の感慨は、日揮の広報の部長さんが
「大変残念な結果だが、全員の確認ができて……大変よかった」
と声を絞り出した,とネット新聞の記事にあるのを拝読して、切なくなったことに、つきている気がしています。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2405W_U3A120C1CC1000/

私は、いまだに外国をじかに知らない、今の世間では化石のような人間です。
アルジェリアは、カミュの小説「異邦人」から、気候の穏やかな地だということを教えられているに過ぎません。

いまは、手元に「異邦人」がありません。

ついさきおととし、自分たちの素人楽隊でやったサン=サーンス「アルジェリア組曲」の、そんなに上手いわけでもない演奏をききながら、見たこともないアルジェリアの夕景色の柔らかい静けさを、宙に描くばかりです。

(夕べの幻想 プリダにて)

なんにせよ、うまく言えません。

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