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2012年11月28日 (水)

親をやってて

夕方、娘といっしょの電車になって、そのまま晩御飯を食べさせに行った。
娘は、山盛りのウニ。僕が頼んだ方には、牡蠣が3つしか入っていなかった。(涙)

娘には、あとはケーキを食わせて別れ、1時間ほど本屋で潰して、9時半から、息子の塾で面談だった。出来具合は、想像通りマダマダだが、数学全然ダメダメだったところでお願いしはじめて3ヶ月、期待は超える成果ではあって、有り難くもあり、安堵もした。

親に出来るのは、種を蒔いてやるところまでだ。それも、家内が元気だったら、僕はどれだけやっただろう?

今日、まだ若い演奏家であるMさんのお父様が亡くなった由を、そのかたの日記で知った。
MさんがSNSの日記にお父様のご病気について記されてから、時々拝読して、Mさんの向こうに、いつもお父様を透かして拝見する思いだった。
僭越は言えないものの、Mさんのために、この種も蒔いておこう、あの種も蒔いておこう、そうしたら、自分がいなくなっても、Mさんは立派に世間に羽ばたくだろう、と考えていらっしゃるに違いない、と、想像し続けてきた。それは、僕にとって、同じようには出来ないと感じるだけに、大きな指針でもあった。

Mさんは立派に成果を上げ、お父様は見届けて逝去なさった。親としては・・・いつになっても「これをあともうちょっと」はあるのだが、どこかで親自身の見切りをつけなければならないから・・・本懐をお遂げになった、と申し上げられるだろう。素晴らしいことだ。

心から、ご冥福を祈りたい。

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