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2012年6月29日 (金)

ちいさん

ちい散歩「こういう時代だから」

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20120629-974972.html

地井武男さんの訃報では、ホントに涙が止まらなかった。

家庭を包んでいたものが突然に崩れはじめて、かたっぱしからあらゆる支えが無くなって、どこかに見つけなければ、と血眼になってふらついて、なんとかなるだろうか、と思った矢先に、娘が高三で自分の方向を見失いかけたとき、
「せっかくだから、娘に学校を休ませて、一緒に歩いてみよう」
とふと考えた、そのヒントは、ちいさんの看板番組「ちい散歩」があったからこそ湧いたものだった。 それでふたりで鎌倉を散歩して来た。娘は即座に立ち直った。

ただし、僕はテレビっ子ではないので、たまたま知っていたこの番組以外に出ていたちいさんの姿は知らない。「太陽にほえろ」も「北の国から」も知らない。

以後、子どもたちとドライブすると、結構な頻度でラジオから地井さんの声が流れて来た。根の真面目さがにじみ出るような、素朴な話し振りには、ぺらぺら喋っていた子どもたちも黙って聴き入ることがあった。文化放送の「地井武男の音楽旅行」という番組だったが、およそ音楽番組らしくなかった印象がある。
そのラジオで、
「おれ病気になっちゃってさ」
と話したのを聞いたのが、2月だったかどうだったか。

直接お顔をみたこともなければやりとりしたこともない地井さんに、少々思い入れがあるのは、地井さんが奥さんに先立たれた人だったからかも知れない。

とてもさびしい。

70歳は今の時代では「まだ早すぎる」と言われる年齢だ。
が、地井さんの訃報に接してみると、自分はその年齢まで生きるのだろうかどうなのだろうか、と考えてしまう。
日々のくたびれは、ああくたびれた、との思いにとらわれると、半端ではない。
今の状況になって2年目にはもう、子供らと出掛けていると、途中でもう立っていられなくなって、お店の端っこで座り込んでは、守衛さんに
「大丈夫ですか?」
と声を掛けられたことが数度あった。

でもあのころはまだ序の口だったと思う。

子供らが十代後半になって、このところのようにだんだんスケジュールが合わなくなって、それでもなんやかやで一緒に行動せざるを得ない平日を過ごすとなってから、アマチュア楽隊もPTAもクソ忙しくなって、これで座り込んだりするどころか何とかやりくりつけているのは、気が張っているからではある。

これが、解放されて気が抜けたその瞬間が来た時、自分にどんな状況をもたらすのか、を想像することが出来ない。いま感じるのは、先に待ち構えているのがブラックホールなのではないか、という恐怖感の方なのである。

とくに今週は、体がくたびれていても、昼休みに行くドトールだの、始発でゆっくり座る帰りの電車だのでは、このあいだまでのように眠ることが出来ない。

血圧は薬のおかげもあってか平常値。
けれども、体がパンパンに張っていて、ちっともくつろがない。

どんな場所でもいいから熟睡したいなぁ、と思う。

・・・脱線してしまった。

地井さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。

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2012年6月20日 (水)

人間とは

人間とは・・・
と、ここでいったん考えてしまうが、どこの国でもそうなのか日本だけがそうなのか分からないから、そのままいってみよう。
多少、いや、多々、極言であるのは承知している。

人間とは奇妙な動物で、はじめは便利でよりよい社会を目ざすために自分が作り出したはずの法律だの貨幣だのというものを、いつのまにか祭壇にうや うやしく飾って覆いまでかけて崇め奉って、生きているいのちよりも作り物の方がずっと大事になってきて、祭壇の偶像の前に生け贄を捧げずにはいられなくな る習性があるんじゃないだろうか。

まだ勉強だけしていた若年の頃は、法が全てを公平に決済出来るのだろう、相場は「科学的」な法則で変動するものなのだろう、と夢想していた。

暮らしとは何か、の実感を持って生活するようになってからは、法律なんていくらでも抜け穴があったり不公平だったり、不必要な罰があるかと思えば必要な罰が欠けているのも思い知った。
為替も株も、法則なんかではない、扱う市場にいる限られたトレーダーの恣意で日々ふらふらと変動するのだ、とも知った。かといって、これを固定に してしまうと、そこから権益みたいなものが何故だか湧いて出て来たりして、今度は権益の方に慾の虫(これも人間の姿恰好をしている)が群がるのである。
だから、人間の社会には、普遍の善なるルールなんて永遠に生まれない。万国共通通貨なんてものを空想するのは共通言語を組み立てようと試みるより遥かに、ずっと遥かに愚の骨頂である。
それどころか、僕らはまた、永遠に、お隣さんとは本当の家族にはなれない。お隣さんは袖触れ合っても永遠にお隣さんなのだ。
こうした宿命は、なにも人間に限ったことではない。
地球に生を受けたもののうちで、人間だけが、こんな当たり前のことが分かっていなくて、せっかく手中にしたはずの「筋道を絵や字に書いて思考することができる」能力を思い出すこともしない。
そんな道具もない生き物たちのほうが粛々とルールに従いながらも伸び伸びと生きていることにも、また永遠に叶わないのかも知れない。

追い討ちをかけるように、どこへ行っても合い言葉のようにきかされるのが、本来経済活動の用語であるはずの
「コストダウン」
である。

たとえば企業の従業員の互助会的な組織でさえもがそれを言う。PTAの役員さんたちがそれを言う。・・・不自然なのではないか?

コストダウン、とは、あくまで全体的な企業経営の中の話なのであって、それが職場生活やでの生活の中にまで延長された思考になってしまっては、戦争中の町内会や封建時代の隣組と同じことである。

世の趨勢としてどうもそんなことが目立って来ていて、たいへんに危惧の念を抱いている。

どうも、人間社会は矮小化する方へと一直線に進んでいる気がしてならない。


追伸・・・「お隣さんは永遠にお隣さん」は、別に悪いことではないと思っております。そうであることをきちんと認めて大切にしあうのが良い、と、切に思っています。家族と違うのは、互いに泥仕合をしてはいけない、というところが最たるものだと考えています。

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2012年6月10日 (日)

インカ展を見に上野へ

娘は今日明日、ガブリエリの合唱曲の講習会。学校の中のものではなく、トロンボーンの先生のご好意で古楽系のかたたちがなさる会に参加させて頂くのである。

で、娘が7時半前には出掛けて、さて少しは片付けを、と思ったら、息子が思いがけずすぐ起きた。一緒に上野に行く約束をしていたのが楽しみだったのかどうか。
夕べ息子が煮てくれたカレーの残りで朝飯を、と思ったら、休みの日の常で、飯を炊いていなかった。コンビニまで、レンジ用のご飯を買いに行ったが、セブンイレブンではどこの棚に置いてあるか分からず、もうちょっと離れたローソンまで足を伸ばしてやっと見つけた。

梅雨入りとのことで、明け方はまだ弱かった雨が、出掛ける頃にはけっこう強くなりはじめて、終日そうだった。

Raindrop


http://www.kahaku.go.jp/

ついたときには入口はまだ空いていた。中はもうかなり人が渋滞していて、息子に何度も
「前に割り込んで行って見ていいんだよ」
と声をかけた。係の人も、
「並んでみて頂くようには致しておりません」
と繰り返していた。
でも、いったん出来てしまった列はどうしようもなくて、結局は並ばないとじっくり見ることが出来ない。
インカの研究はやっぱりミイラだとかミイラだとかミイラに依存することが多いので、最大の見物はミイラだった。ただし撮影禁止だった。
ほかには大きな見物はさほどない。小物ばかりではあった。それでもやっぱり僕らは旧大陸の人間なのだろう、目新しい小物が多くてたいへんに興味を引かれた。
感動したのはマチュピチュの3D映像だった。
撮影した映像だけでなく、小さな積み石一つまでがきちんと描き込まれたコンピュータグラフィックで、遺跡を一巡してくれる。こんなけわしいところには、時間が取れるときがきても、僕はもう実際には訪ねられないだろうな、と思いつつ眺めると、感慨深いものがあった。

見終わって、常設展にも足を伸ばそうか、と息子に訊いた。そっちには息子の好きな類の展示品が豊富にある。が、腹も減っていて、館内のレストランのメニューを見たら
「これじゃとてもたりないし・・・見てけっこう疲れたよ」
とのことだったので、表に出ることにした。
3時頃だったが、これから入館する人で行列ができていた。
「早めに着いて本当に良かったねぇ」
と息子が目を丸くした。

西洋美術館の前をすり抜けて、雨の中を池之端の方へ向かった。

カカアにプロポーズしたのは上野だった。そのとき二人で言った中華屋さんはまだあるだろうか、あそこはあの日、カカアがさんざん大食いをした店だ、息子の腹減りにも耐えるだろう、と思いついて、その店の記憶の方へと歩いて行ってみた。
お店はあったし、中のたたずまいも、流行っていなそうなムードも、何も変わっていなかったが、記憶と違って奥の間があった。本当にここだったろうか、と思ったのだが、このあたりに中華屋さんはここしかないし、ウィンドウを確かめても記憶と似ている。
いや、もう少し立派なのがもう一軒あったはずなんだけれど、きっと潰れたんだろう、と信じてみたりした。・・・でもたぶん、間違いがない。店の表側は、覚えている色や見栄えとまったく同じなのだから。

あの日二人で瓶ビールを飲んだのを思い出して・・・飲んだのだっけ? まあいいや、ということで、今日は晩飯のときは運転手かもしれないので、中ジョッキ1杯にしたが、ビールを飲んだ。

満腹になった。

帰宅して、娘が帰って来たのに安心して、テレビを眺めていたら、つい2時間ほどうたた寝してしまった。

気づいたら、娘が気でも触れたかのように歌いまくっている。明日のために練習しているのだった。
で、9時過ぎに晩ご飯に出掛けた。

モンテヴェルディのDVDを見たかったのだけれど、明日7時起きなので断念する。

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2012年6月 6日 (水)

ヴァイオリンの弓

先日、ひとの弓選びのつきあいで、K先生のお宅にお邪魔するのだった。
先生はM音大の楽器博物館の創設に深く関わったかたで、とくに弦楽器の弓には造詣が深い。以前はそれで本を書きたいとも仰っていたのだが、現在のところ果たせていない。是非書いて頂きたいと思っているのだけれど。

先生のお宅にお邪魔するのは何年ぶりだか、僕はここ数年こころの時計が止まってしまったようで、思い出せなかった。でも、駅がすっかり様変わりしたのが全く記憶になかったから、6、7年は経っているのだろう。それでもお宅までの道は覚えているのだから、妙なもんだなぁ、と思った。

お邪魔して、最初は弓を選ぶ当人がいろいろ試すのを極力黙って眺めていたのだが、途中で先生が僕に
「弾いてみな」
と振ってこられて、結局最後まで僕の方が弓選びのテスターになったのだった。
延べで10本以上試させられたと思うが、10を超えたところから数えられていない。15本までは行かなかったと思うが、行ったかも知れない。

前に楽器屋で試したときと違って、基本的なところで弓の出来にばらつきはない。それで、ただ弾く分には差がつかない、ただしこれは中立的に全体安定、これは強くて太い音になるがやや鈍い、等々の旨を言ったら(前者はイギリス弓、後者はドイツ弓だった、他のそれぞれの国製の弓と性質が共通してい る)、
「いや、でも僕(=K先生)だったら付ける値段が全く変わるんだよ」
とのお答えで、あっ、と目から鱗が落ちた。
今例に挙げた2本でも、鈍い方は僕が安く買った弓と反応がほぼ同じなのである。ということは、値段はそこまで安くなるわけだ。
1本1本、まず根元と先を弦に当てたとき・・・とくに元が分かりやすい・・・の反応が個性的に違い、その反応の善し悪しが音の輪郭の明確さ不明確さとほぼ比例するのは、初めての経験ではないけれど、年の功か新鮮に感じられて、たいへんに勉強になった。
ついでに、K先生のお弟子さん(ご本人はチェロとガンバの弾き手なのに、合奏の指導をなさっていたので、ヴァイオリンのお弟子もいる)でソリスト級にまでのびた人たちがかつて使った弓も先生があれこれ面白がって取り出しては持たせてくれる。ああなるほど、あの人の個性だからこれが合ったのか、と思 い当たりつつ試すとたいへんに面白くもあったのだが、ふと気がつくと、結局おいらはモルモットで、弓の反応を先生と弓選び人が見て聴いて楽しむためのマネキンになったに過ぎなかったのだ。

試奏に使ったヴァイオリンがまたユニークで、表板がやたらと古い顔をしているのに、裏板とネックは新しめの感じがする。でも自信がないので黙っていたら、先生が
「問題。これはいつ頃の楽器だと思う?」
と意地悪く笑う。当然僕は答えられない。ふたを開けてみたら、表板は18世紀のイタリア、裏板は19世紀(これは伺わなかったがたぶん末だろう) のフランス、ネックは20世紀のドイツ、というキマイラ楽器だった。なんだ、正直に感じたままで良かったんだ、と半ば苦笑する思いだったが、これはやっぱ りそうそう分かるもんではない。さらに、この組み立てをなさったのが故人になられたMさんだというので、深く強く納得した。Mさんは、いちど訪問させて頂いたとき、ヴァイオリンがいかにきちんと寸法の定まった楽器であるかということを、どうも僕が相当物好きに見えたらしく、手取り足取り教えて下さった思い出のかたである。楽器の調整のたいへんな名人でいらした。こういうかたちでずっと生きていらっしゃるのだ、ということを非常に嬉しく思った。

弓の作り出す音の色や輪郭の違いはたいへん明白なのだけれど、これはいまの「科学」では量れないのだろうな、ということを、考え続けた。音色の違い、立ち上がりの違いは、声紋分析で出来る程度の精度では明確になるのだろうけれど、持った瞬間に感じる木の密度感(濃かったり薄かったり、決してそれは あり得ないのだが空洞のようにぺこっとしたりする・・・ぺこっとするヤツには今日ペコちゃん弓と名前をつけた)は触覚と同様にパラメータをとる方法がない だろう。で、この触覚の印象はまた音質に密接に結びついているのだけれど、これがまた測る術がないのではなかろうか、と思うのである。

それからちょっと昭和音楽史的な雑談で話に花が咲いて、つい長尻してしまった。楽しかった。

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