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2012年3月14日 (水)

えん。

今日は円周率の日なんだそうである。

故・矢野健太郎さんが講談社現代新書から出されていた本で、アルキメデス(古代のシチリアにいた有名な【今のことばで言えば】科学者、ローマ軍が シチリアを征服したその日にローマ軍の兵に誤殺されたそうだ)が円周率の近似値を円に内側から接する多角形と外側から接する多角形のそれぞれの辺の長さの 差から求めていった方法が、分かりやすく、しかもたくさんのページ数を費やしているのを読んで、とても感激したことを思い出した。
息子に読ませたくて古本で買ったはずだが、やさがししても見当たらなかった。
矢野さんの本にはそこまで載っていなかったが、のちのち知ったアルキメデスという人の凄さは、こういう円周率を求めるようなものを含む幾何学的な 問題を、別段円や多角形を正確に作図することで解いたのではなかったことだった。後年オークションに出されたアルキメデスの数学書に載っていた図が、問題 に対して正確な図ではなかったことから、こういうことが判明している。ほかの古代ギリシアの優れた数学者たち(放物線だとか楕円といった、いわゆる円錐曲 線の仕組みを見つけ出したアポロニウスなどがいる)はどうしていたか、は僕は目にしていない。でも、アルキメデスの例だけで、驚くには充分である。

小学生の教科書で「円周率は3」と整数で割り切ってしまったことが大きな問題になったことがあった。でも、問題の根源はそこにはない。何故なら、 古代エジプト人にとっても円周率は3だったからだ。アルキメデスの出した円周率は3.14ではない。小数に直せばそうなるはずの分数・・・割り切れるはず の数だった。今知られているように、円周率は整数同士の割り算で割り切れる数ではない(すなわち有理数ではない)。けれど、人間はそれをπという記号に置き換えることで、割り切れない数だということをまったく問題にしないで利用することが出来ている。日常の中で円周率がさほど目立たないのは、πが謎の数だ と人間が考えないでも済むからである。音の世界・電気の世界・・・およそ、かたちをきれいに整えればきれいな「波」になるものの基本の計算には、πがそれとなく、姿を隠したまま使われている。だから、ほんとうは問題の根源は、

「なぜ、人間にとってどんなに<割り切れない(割り算だけの意味ではなくなるかもしれない)>数であっても、あるいはそれなしには説明できない事柄であっても、人間はそれを巧みに利用できるようになってきたか」

の知恵を、子供がではなく、大人と呼ばれる人たちが、もういちど根っこから感じなおして みる努力を、ややもすると怠るところにある。「大人」は、自分のちっぽけな、たった50年そこらの人生から、自分だけで紡ぎ出した自分だけの法則(常識) からものごとを判断している。そのことを、僕らはどれだけ自覚しているだろう?

うちは父親がこんなことを綴るような非常識だから、子供たちも非常識な人生を送るかもしれない。
それでも、どんな非常識でも、結局は、ちっぽけな自分がちっぽけな人生の積み重ねから、たかだか砂場に作った程度の山を、他から壊されないように両手で守るのに精一杯で、あっというまに人生は終わりに向かうのである。

アルキメデスは、兵士がその足元を蹂躙した時、彼が地面に書いた図が消えそうになったのを慌てて遮って、
「その円を消すんじゃない!」
と叫んで凶刃に倒れた、という話は有名だ。
後世に大きな業績を残した人物にして、人生の終わりはこのようだった。
それが、僕らのあいだに、小さな円をいくつも書きながら、経巡っている。
人生だ、人生だ、と騒ぐといかにも大きく見えるが、小さな円の経巡りが続くうちは、大きな目で見た人間の生は、心配するほど大変なものではないのではなかろうか。

荒川洋治さんの、ちょっと面白い詩。

大井町

大井町というところを
はじめて歩いた
七つ
八つ
とさがしたが
彼女の家は見付からず

町のあかりに
ずぶずぶ
ぬれながら
二本の足を
跳ねあげている

叔父はこのあたりに
一人の女をかこっていた
やがて
大きな円を
描いて果てている

円の形は
どの町も同じである
夏の日は
水を私らの体に与える
明るくもあり暗くもある
あたりは円い
一人ずつ
毒をのむように
冷えてゆく

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