« ともしび | トップページ | 「世界はひとつ」ではない・・・と思う話 »

2011年12月10日 (土)

まんまるの虹

おすすめいただいた小説を読むのに時間を食っている。だいたい本は、どんなぶあつい理屈っぽいものより、薄手でも味のありそうなものが先に進めない。いい 小説は、そこに理屈がないからなのだろう。160頁程度のものに、もう2週間かかっている。面白くないんじゃなくて、むしろ大好きな文体なのである。ん じゃ読み終わったら「感想文」でも綴れるのか、となると、これはむずかしそうである。小説の中身にも実体がない。読んでいるときの自分にも実体がない。実 体がない同士の不思議な一体感が、ほっとさせてくれさえする。そういうものの「感想文」は、たぶん、専門家さんの「書評」なるものにまかせればいいのだ。

夕方、最初の電車では座れて眠り惚け、乗り継いだ電車でそれをまたちびりちびり読みながら駅まで帰り着いて、ウチにメールしてみても、娘からの返信がちっともない。困ったなぁ、と思って、今度は電話にしてみたが、30回コールしても出ない。息子もまた然りである。
これは熟睡かな、昨日ボーリング大会で、たぶんさんざんはしゃいだんだろう、くたびれて帰って来ていたからなぁ、と、また外食を覚悟して、
「でも明日は必然的に娘のレッスンの後だし、金土は僕には珍しく忘年会の連続だし(もう数年断り続けて、去年ようやく職場のヤツに1回出たきりだったのに)、日曜は練習が夜間だから、ぞれまでずっと外食なんだよな・・・また体重が元の木阿弥になってきてるしな」
と、侘しい気持ちでウチまで辿り着いたら、娘が起き出して
「野菜を鍋で煮る」
と言い出した。
味付けも何もない野菜が大鍋いっぱいに煮込まれ、それをポン酢につけて食うことになった。まだ野菜が煮られている途中、
「でも肉類がない」
ときたので、
「だから前もって電話したのに、ちっともでないんだもの!」
と少しプリプリして応じ、それでもなんか買って来なくちゃいけないな、と、スーパーまで走ってチキンステーキなるものを買った。

こんな調子でも、子供らは現状に「家庭」を感じてくれてはいるのだろう。
飯の後はテレビを見てガハハと笑っているし、今になって娘は何だか分けの分からん今の流行歌を地声で・・・イントロも間奏も・・・聴いてて恥ずかしくなるような大声で歌っている。
息子は息子で、今日撮ってきた猫たちやら虹やらの写真を見せてくれようとしたりして、盛んに話しかけてくる。
父ちゃんは辟易するのだが、子供たちがこの歳になっても目の前でお気楽にやってくれたり話しかけてもらえたりするのは、半ばは奇跡が起きている思いもする。
子供たちがまだ小さい頃には、
「やつらが高校生を過ぎたら、父ちゃんなんか鬱陶しがるんだろうな」
とぼやいたりべそをかいたりしてはカカアに笑われたものだったから。

一方で、でもよその子より幼かったりはしないのかな、と、ふと心配になることもかなりある。

娘が飯の準備をしてくれることもさせることも、息子が洗濯物を進んでやってくれることも、そして二人とも、子供としては至極当然ながら、毎日の習 慣にはなかなか根付かずに忘れてしまうことがままあるのも、日々こちらの胸をキュンとさせたりぐらぐらさせたりするのだけれど、これまたいつもいいきかせ なおすことだが、あとちょっとのことなのだ。

で、あとちょっと、と思うとこれまた・・・う~ん、自分がどう思っているのかが自分でも分からなくなる。

息子が撮ってきた写真をアップロードしようとしたら、ファイルが大き過ぎるせいだろうか、上手く行かないので中断した。
今日は空の上に半円形の虹がかかっていたんだという。
虹の両端は地面にはついていない。中のどこかに足をぶらぶらさせているようだった。
「こういう虹が完璧に出ていたら、虹は半分じゃなくてほんとうのまんまるになるんだよ」
と息子に言って感心されたものの、僕はまんまるの虹は、実は一度も見たことがない。

|

« ともしび | トップページ | 「世界はひとつ」ではない・・・と思う話 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/95716/43320889

この記事へのトラックバック一覧です: まんまるの虹:

« ともしび | トップページ | 「世界はひとつ」ではない・・・と思う話 »