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2011年12月 1日 (木)

ともしび

夕べ雪雲だと思ったら、北日本はあにはからんや積もったようだった。
朝は、テレビに横殴りの降雪が映し出されるのを横目で見てウチを出た。

こういう季節になると、きまって思い出すのが、ラーゲルレーヴという人の書いた『キリスト伝説集』。ラーゲルレーヴは『ニルスの不思議な旅』の作者で、『キリスト伝説集』は仮名書き運動家だったイシガオサムなるひとの訳だった。イシガと言う人については、何も知らない。が、訳は独特の文体で、やわらかく胸の中に入ってくるような気がしたものだった。
出勤途上に最寄りのドトールでコーヒーを飲んでて、そういえば岩波文庫で出ていたこの本、何冊も買っては誰かにあげちゃって、自分のはないんだったな、と気がついた。
珍しくフルに仕事があった昼間、作業をしながらずっとそのことが頭から離れなくて、帰り際に近くでいちばん大きな本屋に寄って探してみた。今は重版が出ていないのか、とうとう見つけられなかった。

『キリスト』をタイトルにもってきていながら、この『伝説集』はちっとも聖書にはのっとっていなくて、キリスト教徒のかたたちが言う<異教的>な筆致で幾つかの 短編が集まっている。イエスの誕生のときを羊飼いの目線から捉えた最初の小品がとても美しくて、いまだに絵になって浮かぶのだけれど、それはもう魔法の世界だ。羊の番をしていた犬たちがスローモーションで吠え、吠え声から星がきらめいてくるような感じである。それはストーリーとはまるで違う印象なのだけど。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の釈迦をそのままペテロに置き換えたような物語は、話の東西への伝播だとか起源だとかに思いを馳せさせてくれたもんだったが、おそらく専門の道に進まないと辿る材料は手に出来ない類のもので、探し歩いてもとうとう資料が見つけられなかった。
ヴェロニカのハンカチについてのちょっと長い、でも一気に読める話があったりして、最後に置かれた中篇が「ともしび」という、僕のいちばん好きな作品だった。

『ともしび』の主人公は、たしかラニエロというひとで、乱暴者で一直線な性格故に、愛してくれるひとを悲しませてばかりいた。それが十字軍に参加して手柄を立てて、エルサレムで天狗になっているところを、ピエロに馬鹿にされて、
「なんぼお前のような剛の者でもエルサレムに灯った火をローマまで消さずに持って帰ることは出来るまい」
と言われ、もうただの衝動と意地で、ロウソクに心もとなく灯った火をローマまで運ぶ、というのが大体のストーリーである。
意固地は、ものごとによっては、ひとの心を純にするものなんだなぁ、とは、この話から思い知ったことだった。か細い灯を夢中で守るうち、「(たしか)ラニエロ 」さんの心はどんどん濾過されて、ローマに着く頃には、ひとのうちがわにある優しさが、ひとでなしの彼の内側からも間違いなく滲み出てくるようになっていたのだった。
こうまとめると簡潔で分かりやすい、まるで教訓譚のようなのだけれど、まとめるからそうなるのであって、ほんとうはラーゲルレーヴの語り口はこの「ともしび」に限らず、どこまでも淡々とおとぎばなしを語るおかあさんでしかない。
もう一度手に取りたいとも思うが、こうやって自分の中に残っているイメージを大切にして行けばいいのかな、とも思う。迷うところである。

随分前の日記で、釈迦が臨終のとき
「これからどうしたらいいのでしょうか」
と悲嘆にくれる弟子・・・というより、たぶん釈迦の目からしたら愛すべき後輩、つきつめればあくまでも自分と同等な人間だったのだろう・・・に答えるのに
「自らを灯(ひかり)とせよ。(それが出来ないなら)法【誰か先輩が見つけてくれた世の中の法則のようなもの】をひかりとせよ」
と言ったのに魅かれている、と綴ったことがある。
今でもそれは変わらない。
何故かと言ったら、僕には僕を灯に出来るだけの自信もなく、自分の人生で最も遺憾であることに、先輩が見つけてくれた法則、というものにも常に疑いの目ばかり向けてきてしまったから、なんとかこの臨終の言葉に近づきたい、と渇望して来たからなのではないかと思う。
でも、がつがつしていると、たぶんこの言葉からはどんどん遠ざかるだけなのだ、とは、ごく最近やっと思うようになったばかりだ。ほんの1、2ヶ月のことじゃないかなぁ、と思う。
でもって、鶏頭、チキン君の僕のことだから、これも今の時期だけ「ともしび」の話とともに思い出して、年が明けたらまたその年が暮れるまで忘れてしまうのではないかと思う。
延暦寺の法灯みたいなものを守るお役目は、こういう輩には決して出来ないだろう、とも思う。
灯火ではないけれど、民家でも囲炉裏の火を鎌倉時代から絶やさず守っているところがあるのを子供たちが見ていたテレビで知って、驚いた。

心の灯火は見えないから、守っていなくても自覚も出来にくい。

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コメント

イシガオサムについては、下記をご覧ください。
http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/hansen/isiga.html

投稿: gothit | 2011年12月24日 (土) 22時15分

gothitさん、情報に心から感謝致します!!!

投稿: ken | 2011年12月25日 (日) 23時09分

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