« 2011年11月 | トップページ | 2012年2月 »

2011年12月21日 (水)

「コリント人への第1の手紙」から。

共に育てなければならない誰かがいる途上で伴侶を亡くす、というのは、じわじわきいてくるものだなぁ、というのが、この春以降の自分の本当の思いだったかも知れない。

昨日は、年末の休みを返上して家内の葬儀を手伝ってくれた会社の同期とばったり顔を合わせたとき
「何年になったかなぁ」
と訊かれたので、
「五年だよ」
と答えた。
「そうか~早いなぁ」
・・・過ぎてみれば、早かったのである。

伴侶と死別することは、誰にとっても大変な悲しみだ。自分についてはそれは家内だったのだけれど、そしてここでもさんざんわめいたことがあるけれど、とにかく埋葬が片付いてさらに1年くらいは、
「おいらは子供がいなかったら死んでただろう」
状態だった。調べたら家内の死ぬ7年前だったそうだが、密かに尊敬していた江藤淳氏が奥さんを亡くしたあと自殺してしまったことも常々気の毒に思っていたのに、まさか自分が同じ思いをするとは想像したこともなかった。
もめた埋葬が片付いて、それまで身辺を良くも悪くもにぎやかにしていた人達も、あるいは病気をなさったり、あるいは転居をなさったり、あるいはは なから家内としか繋がりを感じていなかったりして、ぱたりぱたりとおとづれもなくなったりして、城山三郎さんが綴っていらした『そうか、もう君はいないのか』が本屋に並んでいるのを、ぽつんとした気持ちで立ち読みしては、買おうかどうかためらってばかりいたものだった。
その本屋も、いまは無くなってしまった。

そんな、ぽつりとした気分でいられたうちは、かたっぽうでは子供らを「どうするか」・・・子供らが「どうなるか」ではなく・・・に必死だったりし て、そのためにも自分の気持ちから抜け落ちてしまったものをなんとか補おうということにも同じように血眼になれたし、それがいま稔っている面もあって、も しかしたらまだ「ゆとり」もあったからこそ生まれた方向性があったのかも知れない。

この春以降は、どうも勝手が違った。
最近までずっと、それは娘の卒業式の当日に、故郷方面で、天災と人災の入り交じった巨大すぎる災害が起きたショックが尾を引いたのだろう、そこから脱出すればまた変わるのだろう、と信じていた。が、秋がきてみると、風向きが怪しくなった。

子供が育つ途上でのことだったからだろう、僕は江藤さんや城山さんとは別の課題を抱えたのだけれど、それにはちゃんと気付いていなかったらしい。

いまはまだ、学校や習い事の費用も負担してやったり、あれがないこれがないと言われれば慌てて調達に走ったり、と、やっぱり子供は子供、で、これは過去4年とあまり変わっていない。
この事態のもとで、子供たちがだんだんに僕から自立して行くこと、が、目ざす課題だと思い込んでいた。子供を自立させる、という、「親目線」からの課題だけが、解決させるべきものだと思い込んでいた。

どうも、それは違うような気がしてきている。

まだ像がぼんやりとしか立ちあらわれてこないのだけれど、こんなことなのだろうか?

「子供の自立」は単純に一方向に決まっているものではない。
自立、の前には、とくに親との接点がどうであるか、なることが大きく関わってくる・・・それはただ「子供自身が目標を持って針路を決める」という単純なベクトル1つで考えることは出来ないものである気がして仕方がない。
僕自身がまた、単純に「子供たちの親」であることから何らかの変化を遂げなければならないらしい。
それは当たり前のことながら、子供たちを置き去りにすることではないはずである。
では、何をどうするのか、とは、考え始めると、とてつもなく大きな問題がありそうで、ちょっと怖くなってくる。

やっと一個の人間になって行く子供たちに、僕もまた一個の人間としてしっかり対峙して、しかも理不尽ではないよう充分意を尽くして「付き合い」をしていけるようでないと、ここから先は奴らの大切な将来に傷を付けるような愚を犯さないとも限らないのだろう。これに思い当たって、真面目な話で、背筋が震えた。

この局面に来て、生きて子供らと対峙するのが自分ひとりであるというのは、かなり、痛い。今になって気付いたから余計なのであって、これこそが、「伴侶を失ってじわじわ効いて来たこと」の、どうやら正体であるらしい。

それでも、漠然と感じ始めているこのことに、新しい年には、少しでも僕自身の方向付けが出来るようにしたい。

気付くことの遅さ、自分の鈍かったことを反省し、よい新年に繋げて行きたい。

気が早いけれど、週末からはもうバタバタしてしまうので、これで今年の心の締めくくりに・・・出来るんだったら有り難い。

自分はキリスト教徒ではないのだけれど、新約聖書のパウロの言葉が、自ずと染み入ってくる。独身時代に辛い時、掲げるのとは別の訳(やく)で、当時は暗誦までしていた。それが、いまではもうすっかり忘れている。

たとい私が人間と天使の言葉を話しても、愛がなければ(鐘のように)鳴る青銅と響き渡 る銅鑼に等しい。たとい私が預言のたまものを持ち、すべての奥義とすべての知識に通じ、山を動かすほど満ちた信仰を持っていても、愛がなければ無に等し い。たとい私がすべての財を施し、この体を焼かれるために与えても、愛がなければなんの益にもならない。愛は寛容で、愛は慈悲に富む。愛は妬まず、誇ら ず、たかぶらない。非礼をせず、自分の利を求めず、憤らず、悪を気にせず、不正を喜ばず、真理を喜び、すべてをゆるし、すべてを信じ、すべてを耐え忍ぶ。 愛はいつまでも絶えることはない。だが預言ならば廃れ、異語ならば止み、知識ならば滅びる。私たちの知識は不完全であり、私たちの預言も不完全である。完全なものが来るとき不完全なものは滅びる。私が子供のころは子供らしく話し、子供らしく考え、子供らしく理屈をこねたが、大人になってからは子供らしさを捨てた。いま私たちは(古代の銅鏡のように像のはっきり映らない)鏡を見るようにぼんやりと見ている。だが来るべき時には(自らが出来る限り、神と)顔と 顔を合わせて見るだろう。いま私は不完全に(だけ)知っている。だが来るべき時には私が(神に)知られている通りに知るだろう。今あるものは信仰と希望と愛の三つである。そのうちでもっとも偉大なものは、愛である。
(「コリント人への第1の手紙」第13章・・・フェデリコ・バルバロ訳。語彙・言い回しを自分なりに改変)

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011年12月18日 (日)

「世界はひとつ」ではない・・・と思う話

息子とふたりで、いつもの喫茶店に寄った時の会話。
記憶によるものを変えているから喋った通りではないし、言ったのがどちらかの割り振りも少し変えている。

Ponkikki

「おとうさん、インターネットの世界、ってどうなってるの?」

「世界って?」
「うーん、世界って、なんだろうね、ボクにも分からないなぁ」
「インターネットは、いろんなコンピュータが、人の決めた約束の仕組みで繋がってるだけだよ」
「どういうことなんだろう」
「ひとつひとつが、人の決めたネットの言葉で住所を決めてもらって、それぞれを訪ねあえるようにしているんだよ」
「どうやってまとまってるのかなぁ」
「まとまってるわけじゃないよ。ひとつひとつは、あくまで別々のものなんだ。住所があるから、お互いどこにいるかが分かるだけだよ」
「じゃあ、どうやって世界になってるの?」
「世界って、まとまりだとおもってる?」
「そうじゃないの?」
「違うと思うよ。ひとつひとつのコンピュータの中にはそれぞれのデータがありはするけれど、それを覗きたければ覗ける、ってだけがインターネット な訳だ。じゃあ、よそはどうなっているのか、っていうのは、こっちのコンピュータからは、あてずっぽうの呪文を唱えてみて、その呪文で訪ね当てた住所の中 の<世界>しか見ることが出来ない。その<世界>って全体はどうなってるのか、ってのはさ、あんたの頭の中で想像して、見えないところを補うわけだ」
「ふうん、むずかしいな」
「補っているその想像の<世界>は、想像している人の頭の中に、想像している人の数だけあるんだよな」
「んじゃ、<世界はひとつ>じゃないんだね」
「うん、ひとつ、じゃあないと思うよ。だから、素敵な世界を何人かの誰かと一緒に作りたい、と思っても、そこで出来る世界も、たぶんひとつじゃな い。みかけが同じだけで、本当は、人数分だけ別の世界があるのを、お互いの約束を決めて、お互いの想像を崩さないようにしているだけなんだと思うよ。だか ら、お母さんが生きていたときお母さんの中に持っていた世界は、僕たちにはないわけだ」
「そうだよねぇ、お母さんの思ってたことの一部分しか、ボクたちは覚えていないわけだもんね」
「じいちゃんばあちゃんから見たお母さんの世界は、<自分たちが育てたからこうだったはずだ>ってとこでお母さん自身のものとは違ってるんだし、 君らは育ててもらう時にお母さんがこうしていたああしていた、っていうところから想像しているものだから、やっぱりお母さんの<世界>そのものじゃあな い」
「なんだかますます分かんないなぁ」
「大切なのは、だからといってどれかがどれかより価値が低いってことは全然ないことなんだよ。それがもう、お母さんそのものの<世界>ではなく なってしまっていても、インターネットが繋がっていれば他所が覗けて、そこから持って来たデータを保存しているみたいに、間違いなく、生きていたお母さん の<世界>を同じ重さで受け継いでいる。それはじいちゃんばあちゃんの<世界>の一部になってしまってたり、あんたらの<世界>の一部になっていたりして いるだけでも大きな意味をずっと持ち続けてくわけだ。」
「誰がどうお母さんを思っていて、それが別の誰かが思っているのと違って見えても、それはお互いにどこかで繋がってる、みたいなことなのかな」
「そうだと思うよ。世界は世界を想像する人の数だけある。でも、全く別々にあるわけじゃなくて、共通に接点のあった人から受け継いだ何かを、同じ 重さで持っている。その共通のところを見つけあいながら、お互いに違うところをもきちんと正面から見つめあって、違いをお互いに大切にしあいながら繋がり あっていかなくちゃあならない。・・・それがもっとも難しいことなんだ。繋がりあうには、自分は自分の<世界>に、すぐがんじがらめにされるからね。おと うちゃんは、そういうところが本当にへたくそだし、失格だと、自分をそう思っているよ。頑張ってちょ。頼むよ」
「サッパリ分かんないけど、まあいいや。頑張るよ」

2011121716310000

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月10日 (土)

まんまるの虹

おすすめいただいた小説を読むのに時間を食っている。だいたい本は、どんなぶあつい理屈っぽいものより、薄手でも味のありそうなものが先に進めない。いい 小説は、そこに理屈がないからなのだろう。160頁程度のものに、もう2週間かかっている。面白くないんじゃなくて、むしろ大好きな文体なのである。ん じゃ読み終わったら「感想文」でも綴れるのか、となると、これはむずかしそうである。小説の中身にも実体がない。読んでいるときの自分にも実体がない。実 体がない同士の不思議な一体感が、ほっとさせてくれさえする。そういうものの「感想文」は、たぶん、専門家さんの「書評」なるものにまかせればいいのだ。

夕方、最初の電車では座れて眠り惚け、乗り継いだ電車でそれをまたちびりちびり読みながら駅まで帰り着いて、ウチにメールしてみても、娘からの返信がちっともない。困ったなぁ、と思って、今度は電話にしてみたが、30回コールしても出ない。息子もまた然りである。
これは熟睡かな、昨日ボーリング大会で、たぶんさんざんはしゃいだんだろう、くたびれて帰って来ていたからなぁ、と、また外食を覚悟して、
「でも明日は必然的に娘のレッスンの後だし、金土は僕には珍しく忘年会の連続だし(もう数年断り続けて、去年ようやく職場のヤツに1回出たきりだったのに)、日曜は練習が夜間だから、ぞれまでずっと外食なんだよな・・・また体重が元の木阿弥になってきてるしな」
と、侘しい気持ちでウチまで辿り着いたら、娘が起き出して
「野菜を鍋で煮る」
と言い出した。
味付けも何もない野菜が大鍋いっぱいに煮込まれ、それをポン酢につけて食うことになった。まだ野菜が煮られている途中、
「でも肉類がない」
ときたので、
「だから前もって電話したのに、ちっともでないんだもの!」
と少しプリプリして応じ、それでもなんか買って来なくちゃいけないな、と、スーパーまで走ってチキンステーキなるものを買った。

こんな調子でも、子供らは現状に「家庭」を感じてくれてはいるのだろう。
飯の後はテレビを見てガハハと笑っているし、今になって娘は何だか分けの分からん今の流行歌を地声で・・・イントロも間奏も・・・聴いてて恥ずかしくなるような大声で歌っている。
息子は息子で、今日撮ってきた猫たちやら虹やらの写真を見せてくれようとしたりして、盛んに話しかけてくる。
父ちゃんは辟易するのだが、子供たちがこの歳になっても目の前でお気楽にやってくれたり話しかけてもらえたりするのは、半ばは奇跡が起きている思いもする。
子供たちがまだ小さい頃には、
「やつらが高校生を過ぎたら、父ちゃんなんか鬱陶しがるんだろうな」
とぼやいたりべそをかいたりしてはカカアに笑われたものだったから。

一方で、でもよその子より幼かったりはしないのかな、と、ふと心配になることもかなりある。

娘が飯の準備をしてくれることもさせることも、息子が洗濯物を進んでやってくれることも、そして二人とも、子供としては至極当然ながら、毎日の習 慣にはなかなか根付かずに忘れてしまうことがままあるのも、日々こちらの胸をキュンとさせたりぐらぐらさせたりするのだけれど、これまたいつもいいきかせ なおすことだが、あとちょっとのことなのだ。

で、あとちょっと、と思うとこれまた・・・う~ん、自分がどう思っているのかが自分でも分からなくなる。

息子が撮ってきた写真をアップロードしようとしたら、ファイルが大き過ぎるせいだろうか、上手く行かないので中断した。
今日は空の上に半円形の虹がかかっていたんだという。
虹の両端は地面にはついていない。中のどこかに足をぶらぶらさせているようだった。
「こういう虹が完璧に出ていたら、虹は半分じゃなくてほんとうのまんまるになるんだよ」
と息子に言って感心されたものの、僕はまんまるの虹は、実は一度も見たことがない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月 1日 (木)

ともしび

夕べ雪雲だと思ったら、北日本はあにはからんや積もったようだった。
朝は、テレビに横殴りの降雪が映し出されるのを横目で見てウチを出た。

こういう季節になると、きまって思い出すのが、ラーゲルレーヴという人の書いた『キリスト伝説集』。ラーゲルレーヴは『ニルスの不思議な旅』の作者で、『キリスト伝説集』は仮名書き運動家だったイシガオサムなるひとの訳だった。イシガと言う人については、何も知らない。が、訳は独特の文体で、やわらかく胸の中に入ってくるような気がしたものだった。
出勤途上に最寄りのドトールでコーヒーを飲んでて、そういえば岩波文庫で出ていたこの本、何冊も買っては誰かにあげちゃって、自分のはないんだったな、と気がついた。
珍しくフルに仕事があった昼間、作業をしながらずっとそのことが頭から離れなくて、帰り際に近くでいちばん大きな本屋に寄って探してみた。今は重版が出ていないのか、とうとう見つけられなかった。

『キリスト』をタイトルにもってきていながら、この『伝説集』はちっとも聖書にはのっとっていなくて、キリスト教徒のかたたちが言う<異教的>な筆致で幾つかの 短編が集まっている。イエスの誕生のときを羊飼いの目線から捉えた最初の小品がとても美しくて、いまだに絵になって浮かぶのだけれど、それはもう魔法の世界だ。羊の番をしていた犬たちがスローモーションで吠え、吠え声から星がきらめいてくるような感じである。それはストーリーとはまるで違う印象なのだけど。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の釈迦をそのままペテロに置き換えたような物語は、話の東西への伝播だとか起源だとかに思いを馳せさせてくれたもんだったが、おそらく専門の道に進まないと辿る材料は手に出来ない類のもので、探し歩いてもとうとう資料が見つけられなかった。
ヴェロニカのハンカチについてのちょっと長い、でも一気に読める話があったりして、最後に置かれた中篇が「ともしび」という、僕のいちばん好きな作品だった。

『ともしび』の主人公は、たしかラニエロというひとで、乱暴者で一直線な性格故に、愛してくれるひとを悲しませてばかりいた。それが十字軍に参加して手柄を立てて、エルサレムで天狗になっているところを、ピエロに馬鹿にされて、
「なんぼお前のような剛の者でもエルサレムに灯った火をローマまで消さずに持って帰ることは出来るまい」
と言われ、もうただの衝動と意地で、ロウソクに心もとなく灯った火をローマまで運ぶ、というのが大体のストーリーである。
意固地は、ものごとによっては、ひとの心を純にするものなんだなぁ、とは、この話から思い知ったことだった。か細い灯を夢中で守るうち、「(たしか)ラニエロ 」さんの心はどんどん濾過されて、ローマに着く頃には、ひとのうちがわにある優しさが、ひとでなしの彼の内側からも間違いなく滲み出てくるようになっていたのだった。
こうまとめると簡潔で分かりやすい、まるで教訓譚のようなのだけれど、まとめるからそうなるのであって、ほんとうはラーゲルレーヴの語り口はこの「ともしび」に限らず、どこまでも淡々とおとぎばなしを語るおかあさんでしかない。
もう一度手に取りたいとも思うが、こうやって自分の中に残っているイメージを大切にして行けばいいのかな、とも思う。迷うところである。

随分前の日記で、釈迦が臨終のとき
「これからどうしたらいいのでしょうか」
と悲嘆にくれる弟子・・・というより、たぶん釈迦の目からしたら愛すべき後輩、つきつめればあくまでも自分と同等な人間だったのだろう・・・に答えるのに
「自らを灯(ひかり)とせよ。(それが出来ないなら)法【誰か先輩が見つけてくれた世の中の法則のようなもの】をひかりとせよ」
と言ったのに魅かれている、と綴ったことがある。
今でもそれは変わらない。
何故かと言ったら、僕には僕を灯に出来るだけの自信もなく、自分の人生で最も遺憾であることに、先輩が見つけてくれた法則、というものにも常に疑いの目ばかり向けてきてしまったから、なんとかこの臨終の言葉に近づきたい、と渇望して来たからなのではないかと思う。
でも、がつがつしていると、たぶんこの言葉からはどんどん遠ざかるだけなのだ、とは、ごく最近やっと思うようになったばかりだ。ほんの1、2ヶ月のことじゃないかなぁ、と思う。
でもって、鶏頭、チキン君の僕のことだから、これも今の時期だけ「ともしび」の話とともに思い出して、年が明けたらまたその年が暮れるまで忘れてしまうのではないかと思う。
延暦寺の法灯みたいなものを守るお役目は、こういう輩には決して出来ないだろう、とも思う。
灯火ではないけれど、民家でも囲炉裏の火を鎌倉時代から絶やさず守っているところがあるのを子供たちが見ていたテレビで知って、驚いた。

心の灯火は見えないから、守っていなくても自覚も出来にくい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2011年11月 | トップページ | 2012年2月 »