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2011年11月30日 (水)

生きた感覚は、大切だ。

先週久しぶりに調子が大きく崩れたら、日曜にお風呂屋さんに出向いたときを境に体重が落ちず、むしろ増え始めた。不調で運動量が減ったはずなので土日にけっこう歩いたつもりだった。ちょっとショックを受けた。で、娘と飯を食って一休みした後、子供らに飲み物とおやつを買ってやるのを口実に、近所を徘徊してきた。帰り着く手前で、胃が動くのを感じた。体調が崩れていたあいだは消化も進みが悪かったのかもしれないと思った。食う量は日々そんなに変わっていないのだから、食い物が胃腸にとどまっている時間が長いと、栄養もそれだけ余分に取り込まれた、のだろうということにしておく(医学的に間違っていて指摘をうけてもシカトしよう)。

職場では、このところよく、表計算ソフトでの作業簡便化のために自動処理出来るツール作りを頼まれる。作るのは構わないが、自動と言っても手作業がどう進むかを体で知らなければ妙なものにしか仕上がらない。頼んでくる人が男性だと、たいていしかし、手作業のときは何を思ってどう作業を進めているか、気合いとムードでしか把握していないから、用心して念入りに作る。念入りにすると、今度は使い始めたとき何か勝手が違って困るらしくて、それはこっちも困るので、並行してマニュアルも作ってしまうようにしている。そうしておくと、あとで「何でこうなるのか?」なる説明は求められないので、必須である。

だいたい、コンピュータを使う人のほうは、ある数字を別の場所に移す時に、その数字がもともとどこにあって、どういう理由から場所を移すことにしたのか、なんて、絶対と断言出来るほどに、意識しない。機械のほうは機械のほうでやっぱり、何の意識もなしに、人が手を加える通りに数字の場所を移すだけである。ただし、機械のほうは、数字が動くその瞬間から、ソフトの仕組みで保たれているあいだは「絶対的なこの場所から、絶対的なあの場所へ」という「記憶」を持っている。この絶対的な場所の記憶は、人のランダムな記憶とは性質が正反対だ。「A地点からB地点へ」を「アという場所から右にいくつ左にいくつ上にいくつ下にいくつ垂直にいくつ水平にいくつ」と置き換えてさせるのだって、表面では絶対的と見えずとも、実のところは「絶対」の世界で指示なのだ。こうしてやらなければ、どんな単純作業だろうと、機械は一つも自力でこなすことは出来ない。

ネットでの交流の中で、写真の心得のある人は、とらえた風景を、カメラのレンズまかせだけじゃなくて、ご自身の経験の裏打ちを通じてさらに僕らの感覚にもどう訴えるかをそれぞれのご流儀で練っていらしたりする。そうまでしないにしても、自身が心魅かれたり胸打たれた瞬間を巧まずに捉えた写真もまた、ただのレンズまかせではないのを感じて、嬉しくなってしまう。いや、レンズがないと写真がうつらないだけであって、そこにあるのは、こんな尊敬すべきかたたちの、間違いなく体にくっついている実物の目そのものが捉えた、人としての気持ちなんだなぁ、と、その前で呆然とさせられるのが幸せに感じられるのだと思う。そして、本職の画家のかたの絵は、さらにそんな感覚が目を超えて把握しているはずのものに、お仕事としてじっくり向き合っていらっしゃる結晶なのだ。

音楽の本もさまざまに関心を移しながら読んでみているところだけれど、東ヨーロッパの音楽でさえも五線譜に落とされた時点で見失われたものがいっぱいある、との視点から書かれたものに昨日巡り会った。先に読んでおきたい雅楽系の本があるので、そちらはまだ保留であるが、読むのが楽しみである。雅楽のほうの本も楽家の人がお書きになったもので、先に読んだ(これは何年も何回も読んでいた本だった)洋楽系の、雅楽も実際に履修された人の著書にあったようなことに対して、やんわりと異論が述べられていて、特定の譜表(五線譜であったり文字譜であったり)や統率(指揮の類・・・雅楽には絶対的な指揮権者はいない旨が述べられている)にとらわれる危険をさりげなく語っておられるのには爽やかさを覚えている。
日本の音楽だからヨーロッパの音楽だから、ということでは、全く無い。洋楽にしたって、とくに小さな合奏を豊富に経験した人なら、楽譜だけでは如何ともし難い息の合わせ方について何かしら思うところはあるだろうし、独奏を常にする人でもやっぱり、音符や記号では書き表されていない気の流れは誰かからきちんと学んだもの、でなければ無手勝流でも人間としての感覚(感情、ではだめなのだ)を正直に捉え、適切に再現出来るようでなければ話にならないことは痛感しているんじゃないだろうか?

写真や絵や音楽は例えに出しやすいだけなのであって、世の中のことみんなが同じなんだと、今日はコンピュータとにらみ合いをしながら、ずっと考え続けてみたりしていたかもしれない。

ほんとうに、生きた感覚は大切だ。
それを大切に出来ないかったら、自分というものは、生きていないも同然だ。

なんだ・・・また訳の分からん饒舌になってるなぁ。

おっさん、もう寝たほうがいいよ。

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