「疲れた」と言える幸せ
・・・カカアにもらっていた、いちばんの幸せは、「疲れた」と言えば無理にでも休ませてくれたことかなぁ、と、最近思う。
もっとも、カカアのほうが先に寝ることも少なくなかった。それが多少不満だったが、子供たちにとって親が自分独りになってみると、そうでもしなかったら体がもたなかったのが、よく分かる。
いまも幸いにして、「疲れた」と言えば聞いてくれる友はいる。言わせてもらうと、じつにスッキリする。
でも、ウチに帰れば、子供たちは、まだまだ容赦ない。日によっては、こちらが「疲れた」なんて口にしたらアウトってこともある。のんきそうでも、やつらは自分自身に夢中で生きている真っ最中だから、こちらが一方的に緩むのを許さない。
「疲れた」と言えるときは、まだ自分にゆとりがあるのかも知れない。緊張が続くあいだは、自分が疲れていることにすら気付かないだろう。
みんなの緊張が、ほんとうにほどける日の、いちにちも早いことのみ、ただ祈る。
もっとも、カカアのほうが先に寝ることも少なくなかった。それが多少不満だったが、子供たちにとって親が自分独りになってみると、そうでもしなかったら体がもたなかったのが、よく分かる。
いまも幸いにして、「疲れた」と言えば聞いてくれる友はいる。言わせてもらうと、じつにスッキリする。
でも、ウチに帰れば、子供たちは、まだまだ容赦ない。日によっては、こちらが「疲れた」なんて口にしたらアウトってこともある。のんきそうでも、やつらは自分自身に夢中で生きている真っ最中だから、こちらが一方的に緩むのを許さない。
「疲れた」と言えるときは、まだ自分にゆとりがあるのかも知れない。緊張が続くあいだは、自分が疲れていることにすら気付かないだろう。
みんなの緊張が、ほんとうにほどける日の、いちにちも早いことのみ、ただ祈る。
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