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2011年1月24日 (月)

今日息子にした身の上話

娘が留守なので、息子と夕飯に行った。

息子がこんなことを言い出した。
「僕は人間の友達が少ない、って、まわりに言われるけれど、どうなのかな?」
と聞くから、逆に、どうなんだい、と聞き返したら、
「放課後に人が少なくなると、マジメに話しかけて来たり、こっちも話す友達が何人かいるんだ」
そうである。
「そう出来る相手がいるってことはさあ、他のヤツに比べたら、お前のほうがホントの友達が多いってことなんじゃない?」
なる話から、僕の経験談を少し喋った。

僕の大学進学は、夢の挫折の代替行為だったようなところがあって、どうせ地元にしか行けなそうだったし、高校時分からへたくそアマオケにいたし、 地元の大学には地元の当時のプロオケより技術も真っ当なオーケストラがあったので、そこで勉強して、元からいたアマオケの連中にも上手くなってもらえる方法を見つけられればいい、と、3分の2くらいはそれが目当てて大学を選んだ。
そこの大学でオーケストラで挫折したWというやつをかばって、古巣のオケに入れてやったのが、仇になった。
自分はヘタクソアマオケでコンマスやってる、自分の技術の低さがたまらんから、大学のオケラで勉強させてもらうつもりでいた。向上したいとなると、やっぱり相対的に質がいいところで打ち込む割合が高くなる。ヘタクソアマオケには月2回程度しか行かなくなっていた。
その虚をつかれて、Wと当時の指揮者が、事前通告もなく、僕を(周りにも正式な話は何もせずに)除籍扱いにしていた。
ある日突然、出向いたヘタクソオケには僕の座る場所は最後列にも無くなっていた。
コンマスの席にはWが座っていた。
「もう来なくていいよ」
と、指揮者に言われた。
当然、行かなくなった。
周りの子たちから、
「どうして来なくなったんですか? いっしょにやりましょうよ〜」
と、たくさん連絡をもらった。
真相をも、みんなが尊敬している指揮者の悪口を言うわけにもいかなかった。
で、ある日、重い腰を上げて出向いた。
「なんで来たんだ?」
と、指揮者とWに目くじらを立てられて、それでもう二度と行かなかった。
当時の身内には、この話はしたことがない。
で、後年、もうWもそのときの指揮者もいなくなったこのオケの、その後の活動ぶりをネットで見て嬉しくなって、数少ない顔見知りにメールを入れたら、
「あんたはここのオケを見捨てたヤツだから」
と返事に帰って来た。

・・・人を見る目は、早めに養っておくべきである。

だいたい、そんな話をしたけれど、どのくらい通じたのかは、まだまだ分からないなぁ。

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2011年1月 7日 (金)

感・不感、信・不信。

20代の頃、当時の職場の朝礼で、
「弁慶がいろんな長刀を集めたみたいに、心にたくさんの種類の物差しを持てるように、人から盗み取りたい」
などと、大それたことを喋った記憶がある。
リハビリのため、と5年前に最初に始めたこちらのブログのほうにも、その後カカアが死んでから、思い出したように、似たようなことを綴ったこともあったと思う。
・・・恥ずかしいから、読み返さない。

現実はどうか。

子供の頃から漠然と感じていたことではあるけれど、見えるもの聞こえるものは所詮自分の目耳から伝わってくるもの以外にはないし、さらに振り返れば、自分の目で自分の顔は見えず、自分の耳で自分の声を聞くことは出来ない。自分の顔が目に見えるのは鏡を通した裏返しの「虚像(光学的にそうなのであって、別に比喩ではない)」でしかなく、自分の声が耳に聞こえるのは骨を通したものと壁に跳ね返った響きの混じりあった曲がりくねったもので、鼓膜に真っ直ぐ届くものではない。

これは、誰でもそうである。

「感じる」ことは、だから、常に自己中心的であると言っていい。
「感じる」ことには、切り離された複数の異なる目盛りを持つことは出来ない。自分の外に自分の感覚を置くことは出来ない。そんなものは、決して「感じられる」ことはない。

で、さらに、
「感じる」
ものを(確実な世界として)信じるかどうか、は、
「アタイはジブンをシンジる!」
なんて安直であっていいのか、となると、難しい。
信じかたが頑固に自己中心的であると、もっと広く「感じる」ことが可能な世界への道を、自ら閉ざすことになるのではないか?

しばしば、愛想良く、いろんな世界、いろんな人の感性に向かって
「アタイはアナタをシンジてますから!」
みたいな笑顔を向けてみるけれど、そんな「アナタ」のほうからの応えが、「ジブン」が期待するような態度で返って来ない時、不愉快な気持ちに成る。
実は、これは「ジブン」が「ジブン」の思っている以上に頑固に、
「アタイはジブンをシンジる!」
なる意識を持ち続けている現れなのではなかろうか?

ある人の表面の性格から、その人が、そんなコダワリを持っていると断定することは出来ない。
「アタイはジブンをシンジる!」
的発言を日常的にしている人であっても、絡んでみると思いのほか、こちらの勝手な言い分に聴く耳を持ったりしている。
・・・このあたりは、狭い自分がその人を心から「鏡」とするに足るかどうか判別する上で大きな鍵になるように思っている。鏡に出来るのなら、虚像(これは比喩)ではあっても、その人からこちら自身の「何か」を新たに見いださせて貰う恩恵に預かれる。

逆に、会話する分には感じなかった不信を、突然持ったり持たれたりするのは、「ジブン」と「ジブン」がつまらないぶつかり合いをした状態を、その時のお互い、またはどちらか一方が、なんらかのかたちで創り出してしまっているからに他ならないだろう。

もともと入りは甘いくせに、おいらは猜疑心が強いほうではある。カカアがクッションになっているうちはそれで目をつぶれたりつぶってもらえたりしたことも多かったのだと思う。なので、男所帯で子供たちをダシに人と接することになってみてから、よけいにそんな思いが強くなって来ている。

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2011年1月 1日 (土)

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

去年一昨年のいまごろ何を宣ってたかな、と振り返ったら、まあちんまりしたもんだったなあ。前に綴ったものを読み返すと、なんかヘン。

というわけで、前だけ向いたほうが良いかもしれない。

小さな小さな世界の中でしたけれど、自分が自分が、としゃしゃりでるところから、子供たちの受験が口実とはいえ、ようやく一歩退く時間を持って、かえって物事の面白さが見えて来たのかなぁ、と思っています。まして、何事に秀でているわけでもありませんので、「いいもの」の見分け聞き分けがせめてもの分であると知ると、硬い引用になりますが、世阿弥のこんな言葉がいいなあ、と思われてきます。そんなふうに、子供たちをはじめ夢を追いかける人たちを、そしてもちろん、円熟の境地にあるかたをも、種類を問わず、精一杯応援できるようになっていければ、もっともっと面白かろう、と感じる年の明けです。

少年にてし出だす所の二曲の間に、舞にてもあれ、音曲にてもあれ、生得、舞へば面白く、謡へば感のあらんは、はや「苗」なるべし。苗をば何と育つるものやらん。ただ田水をたたえて、おのれと育つるばかりなり、と見えたり。さて、早苗ふしだちて、植田になりて、次第々々に本付く時分に、草を取り、水を入れて、雨を待ちて、やうやく稲葉になる頃は、肥立つ時なり。また、「稔る」とは、はや色づきて、日ごろ待ちつる雨水をも、今は厭ひて、日を待ち、陽気に曝して、これをもて扱ふは、稔らせむとなり。(世阿弥の「遊楽習道風見」という文)

いまのことばに直したもの
少年期に演ずる歌曲・舞曲のどちらでも、舞でもいいし歌でもいいのだけれど、生まれつきの素質で、舞えばおもしろく歌えば感心されるというのが、すでに「苗(なえ)」というのだろう。その苗をどんなふうに育てるか。ただ田を水でたっぷりにしておけば、苗自身で育つのだ、とおもわれる。さて、初々しかった苗も節が見えるように成熟して来たら、あらためて田に植えて、根が付いてくるころに雑草を取りのけ、あらためて水を入れて、降雨を待つ。ようやく稲葉になるころが(その苗だったものが)成熟に至り始める時なのだ。また、「稔る」とは、すでに、こがねに色づいて、それまでは欲しがった雨水をも今では必要としなくなるところからはじまるものなので、世話するほうとしては、日光を待ってそれにさらして、この稔って行く稲葉の面倒をみるのは、たくさん実が入るようにとするためなのである。(小西甚一訳をもとに改変)

まあ、ほんとに、この言葉がわかるくらいに、自分自身がもののよく見えるヤツになれれば、ということ自体が高望みかもしれませんが。

本年もよろしくお願い申し上げます。

ぼんやりいちにち過ごすつもりだったのに、娘が「外に行きたい」とうるさい。

あ〜あ。

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