« トランペットのKさんご逝去の報に接して | トップページ | もうすこし »

2010年8月 5日 (木)

鎌倉俄遍路記

第1日

電車の乗り継ぎが良く、事前に予定していた昼には、最初の目的地の大船観音に到着。
ここには息子の思い入れがある。
場所はまったく違う、福島県相馬市に、百尺観音なる土製の大きな半身観音像があって、家族でクルマで帰省したときに立ち寄り、小学校低学年で喘息に苦しんでいた息子の回復を、カカアが(たぶん、「自分が身代わりになっても」くらいの思いで)その観音様にお祈りした。息子にはその記憶自体は薄いのだけど、カカアが死んだ翌年に、僕が子供たちを大船観音に連れて行ってこの話を聞かせたのが、印象に残ったらしい。
丘のてっぺんにある真っ白なこの観音様のところまで上ったら、地べたとは違って、風が涼しかった。
駅のホームで、抱き合ってる若い二人を横目にアイスをかじりながら電車を待ち、ひと駅先の北鎌倉に向かう。
Enkakujiまずは、降りてすぐの円覚寺に参詣。僕は修学旅行以来35年ぶりに舎利殿を拝んだ。円覚寺が駅の目の前なのは、軍が寺域を無理矢理突っ切って三浦半島までの鉄道を敷設したからである。円覚寺の南東高台に、北条氏最後の得宗高時の父、貞時の建てた弁天堂がある。堂そのものはあとで・・・造りを見ると、多分、昭和しかも戦後・・・なおしたもののようだった。脇にある鐘のほうが、国宝である。
降りたら外人オバサン三人組に話しかけられた。何を喋っているのか正直言ってちゃんと分からなかったのだが、
「のぼる甲斐があるか?」
ということらしい。最初がイタリア語だったので、よけい分かんなかったのだった。通じないとみて英語に切り替えてくれたので、やっと「そーいうことか」と悟って、但し外国語まったくダメダメなおいらなので、デタラメに英単語をならべて、
「鐘だけはいい・・・あ、眺めもいいけど」
と、あとは犬がハアハア息を切らす真似をして笑ってもらった。

そこから建長寺まで歩き、拝観。ちなみに、拝観料は円覚寺も建長寺も、大人三百円、中学生以下百円。
建長寺のメイン境内自体は平場なのだけれど、奧の院に行くとなると、ちょっとした山登りだ。内勤ひとすじ八十年、ではないが、先をとっとと登っていく息子を恨めしく眺めて息を切らしながら、出掛けない仕事になったこの八年くらいで、自分の足が相当衰えたのを実感した。
奧の院じたいは古くからあるわけではなく、明治に権現さんをまつったので、上に着いてそれを知ったら、ますますガックリきた。

建長寺から巨福呂坂を下ると鶴岡八幡宮の北側にたどりつく。一遍上人絵伝に描かれた場所でもあり、それより昔に実朝の首を持って公暁が逃げた方向でもあり、当時の切り通しの面影を残した旧道もあるのだが、入口に民家が建っていて抜けられない(このことは旅行ガイドブックの類には書いてなくて、歴史案内みたいなのを重箱の隅をつつくように読まないと事前には分からない)。残念だが、新道を下る。
下りの途中に遅い昼飯をとった「たむら」という蕎麦屋さんを、息子がいたく気に入って、
「僕、大人になったら、お父さんじゃない誰かとまた来たいな」
だと。
・・・思春期なのね、キミも。

八幡宮は、キャピキャピの若い女性軍か、若いペアが溢れていて、ちとうんざりで素通り。大銀杏は倒れた半分を脇に植え直して、新しい銀杏を元の場所に植えてしめ縄で囲ってあった。

ホテルは、若宮大路沿いの小さなビルの三階。ツインで二泊で二万一千円。
着くなりベッドに倒れ伏し、二時間近く眠り、夕食に出たら、通りはもう人も少なく、店もほとんど閉まっていた。まだ7時だった。レストランはデート向けみたいなところがほとんど。やっと入った店も、僕ら親子には似合わない上品さだったが、感じはとてもよかった。

宿泊する旅行者にとって鎌倉中心街の困ったところは、風呂屋がないこと。


第二日

Daibutsu
息子はゆうべ、いろいろなことを考えて眠れなかったのだそうだ。何を考えたのかは分からない。で、窓を開けて夜空を眺めたら、動く光をふたつ見たんだという。人工衛星だろう、なる結論。
そんなこともあり、僕がへばってしまったのもあり、朝は遅めの出発。江ノ電1日乗車券を使って、長谷と江ノ島に向かう。
長谷で降りたときには、日差しがもうかなり強くて、歩いているあいだに、汗っかきの息子の服は、汗でみるみるびしょ濡れになった。
大仏さんに向かったが、鎌倉大仏の大きさでは息子は驚くほどではなかった。これで今日最初のもくろみがはずれた。
それから駅の方へ戻り、途中を横に入って長谷観音さんに詣で、そばのオルゴール屋さんで息子自身用のオルゴールを買い、江ノ島に向かう。
水族館に向かったら、イルカショーの時間が迫っていたので、息子に見せたくてショーに走ったが、これがあまり息子の興味を惹かなかった。娘を連れてきたときと違って夏休みで、子供たちがかなり賑やかだったのと、出番のこないイルカたちが待機する水槽の傍に陣取ったら中に傷を負ったゴンドウクジラがいて、それが気になってしかたなかったからだった。
水族館を一通り見学したところで僕はスタミナ切れだったが、せっかくなので橋を渡って江ノ島の展望台に立ち寄った。
人がぶつかり合ってもゴメンなさいを言いかわさない江ノ島の雰囲気は、どうも僕にはしっくり来なかったが、息子は展望台からの景色を無邪気に楽しんでくれたようだ。・・・ただし、息子も江ノ島の雰囲気はしっくりこず、相談して、鎌倉に戻ってから夕飯をとった。


第三日

Enofuji夕べは日記を付けたあと熟睡出来、朝は爽やかに目覚めるも、息子の方が起きられず、朝食はパス。
ホテルのベランダに出ると若宮大路が目の前。昨日も、だったが、10時ごろまでは人通りが殆んどない。10時を過ぎると、急に人もクルマも増えだすのである。
鎌倉は、室町時代に衰えてからは、明治までは寒村で、大仏さんと観音さんを擁する長谷のあたりのほうが先に観光で栄えたので、長谷には立派な古旅館もある。鎌倉中心街の宿のほうがチンケなうえに、ビジネスホテルとしても半端な感じだった。お掃除の人たちに挨拶しても挨拶が返ってこない、なる経験は、初めてした。若宮大路の人の動きを見ていると、こんなことも、鎌倉の街の性格から来ているんじゃなかろうか、と感じる。
息子が起きて、食事はまだいい、と言うので、段葛を通って八幡宮に向かい、まず国宝館に入る。こどもも仏像に親しめるように、との特別展示だった。スペースはさほどではないが、充実した展示物をゆったり並べ、分かりやすい説明を付けてあった。あんまり興味がない息子も、さすがに熱心に見ていた。北条時頼像にもお目にかかれたが、像から漂ってくる気迫は、写真では分からないものだった。弁天像の美しさにもため息が出たが、弁天様、どの角度から拝しても、目を合わせてくれない。
出て若宮参拝をしたあと、立て続けに近代美術館で渡辺豊重展を見る。存じ上げない画家さんだったが、非常に面白かった。この人の絵は「抽象画」ではない、と、はっきり感じる。記号化された「鬼」が、子供をからかったり・・・いや、子供にからかわれたり、美人さんにくらっときたり、迷うたくさんの仲間を救えるかどうかと苦しんだり、と、ストーリー性が明快で、ある意味では正当な「漫画」なのだった。
美術館の前の蓮池に珍しい鳥がいて、息子は今日はこいつに夢中になった。アオサギだった。

人の少ない裏口・・・美術館にとっては本来の正門・・・から出て、小町通りに向かったが、息子は娘と違って、買い食いが好きではない。脇の細い通りの方に関心があるようなので、ちょっと入って行って見せた。僕らが子供の頃には、どこにもあたりまえにあった生活の道だが、消防法の絡みで、いまの住まいのあたりには見当たらない。鎌倉はお金持ちの街なんだろう、立派な家が多かった。
本通りに戻って食事に入った焼きそば屋、自分たちでそばを焼かなければならないのだが、説明もおそまつで、店員がふざけあっている声も筒抜けで、今日唯一の不愉快を味わった。
食事のあと駅前の本屋さんに寄ったら、エアコンが故障していて、汗かき息子はまたびしょ濡れになった。が、店員さんが息子に
「ごめんなさいね」
と言ってくれたんだそうである。

他へ行く気力も萎えていたが、どこかまだ寄りたいところはないか、と息子に聞いたら、
「また大船に寄りたい」
そうなので、大船に行く。観音様をまた拝んで、帰路に着いた。
帰宅したら、とりあえず着ていったものを洗濯機に突っ込み、自宅近くの風呂屋さんでゆったりしよう、ということになった。

|

« トランペットのKさんご逝去の報に接して | トップページ | もうすこし »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/95716/36046246

この記事へのトラックバック一覧です: 鎌倉俄遍路記:

« トランペットのKさんご逝去の報に接して | トップページ | もうすこし »