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2010年5月15日 (土)

「正しい」ってどんなこと?

自分のことを顧みても、死の前の家内が言っていたことを思い起こしても、つくづく思うのは、
「病い(広い意味にお考え下さい)とは極めて内的なもので、その正体は自分にさえ分からない」
ということです。

データで病気のすべてを言い尽くすことが出来ないのは、誰にでも分かります。
ですが、
「いま、私はこういう状態だ」
ということは、自分自身でさえ<言葉で正確に>語ることは出来ません。

家内は、自分の身内に心臓が弱い人がいたので、最初とっさに
「あ、心臓かもしれない」
と思ったのでしたが、検査で否定されて自分自身わけがわからなくなりました。あとは最後まで、もしかしたら胃が変なのかもしれない、と思い込んだのでした。

僕の「うつ」も大同小異で、自分は「うつ」だからひとつのことに集中出来ないのだ、と、家内の生前から通算5年、思い込み続けてきました。ただし、うつだから自殺願望がある、というのは、少なくとも自分には当てはまらず、うつを理解されないからいっそう治らない、との発想もありません。思い込みだけが、病気の正体を直視することから自分を遠ざけていたのだなあ、とは、やっと感じ始めたところです。
症状として、そのときの表面的な気分に関係なく「喉が締め付けられるように感じる」とか、「薬が切れると動悸が激しくなり、場合によって不眠になる」という、単純に物理的生理的な状態だけが、つきつめていったときに病気の状態なのであって、それに伴うあれこれはそんな基礎的な状態から誘発される副次的なものにすぎないようです。以上が、ひとつめです。

断言しないのは、
「本当にそれで正しいのか?」
が検証しきれないからです。

ふたつめですが、きわめて屈辱的な思いをしたのは、昨年、とある私的プロジェクト(演奏家さんのコンサートのセッティング)の途中で、組んだ相手に逃げられて、なんでかといぶかしく思っていたら、
「ウツは感染するから避けたんです」
などと言われたことでした。

感染、という言葉が、ほんとうは非常にあいまいな概念でしか、世間には捉えられていないのだ、とも思い知りました。

つまり、ちょっと面倒なまとめになりますが、
「うつる」
とか、
「うつらない」
というときに、そこに細菌なりウィルスが媒介するなる発想は医学的には正かもしれませんが、言語として使われる際には
「確率として、その病気の症状を持つ人間のそばにいると同じ病気になる度合いが高ければフラグ1(感染する)し、低ければフラグ0(感染しない)」
との発想からしか用いられていないのです。医学的な正かどうかは、問われない。
この発言をした人物は、哲学なんかに非常に詳しいのでした。

・・・ヒトは、発想のズレを埋め合わせる手だてを、それがある分野では正しくないのを承知していても、敢えて見つけなければ、共生出来ないようです。

息子と一昨日会話したのは、おしぼりの袋に
「障害者が作りました」
と書いてあるのを息子が見つけたところから始まりました。
「僕はさあ、障害者の人を馬鹿にするような連中がいるのは許せないなあ」
「じゃあ、法律で<馬鹿にしちゃいけない>って決めるのがいいの?」
「そう思う」
「僕は反対だな。自分の良心の中で<許せない>と思い、態度に表すのはいいかもしれない。でも、法律で護ってしまったら、護られた<障害者>さんは、もう<強く生きよう>って思わない気がするんだ」
まとめ過ぎくらいにまとめると、そんな話をしたのでした。
息子の言い分と僕の言い分と、さて、どちらを「正しい」と言えるでしょうか?

かく言う自分自身が、息子の年頃の頃に、知的障害者の人たちに交じって、おしぼりの袋詰めの仕事を体験したことがあります。彼らは1ヶ月200円という、常識では信じられない給与で、涙を流して・・・喜んだんです。これで、お父さんの好きなタバコを買ってやれる、って。

・・・ああ、勝てない、と、子供心に思いました。

うまくまとまっていないので、またアタマを整理し直します。

失礼しましたっ!

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