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2010年4月 4日 (日)

泣く

Takashi

義太夫の竹本住大夫さんの「文楽のこころを語る」(文春文庫)は、まだ立ち読みなのですが、いずれじっくり読まなくちゃならんと思っています。いい言葉にあふれているからです。

なかに、こんな意味のことを仰っていたのがいちばん心に残っています。

「(義太夫の台本を)読みながら、たくさん泣きました。読む時は、泣きます。でも、演じる時は、自分は泣いてはいけない。お客さんを泣かせなければいけないのだから。」

勤めている会社の朝礼では、みんなで社訓みたいなのを唱えていましたが、最近はやらなくなりました。その中にはこんな言葉がありました。

「次工程はお客様」
・・・仕事のうちで自分が担った流れの次の部分をやってくれる人は「お客様」だと思って、自分のやる部分の「流れ」を大切にしなさい、という意味が籠められています。

夕方、息子と二人、出かけた先のまちを歩きました。
今の住まいのあるところからはなくなってしまったイトーヨーカドーが、そのまちにはあるんです。
で、息子が行ってみたいと言いだしたのでした。

とくに桜の木もないのですが、丁寧に植えられた芝生の若草の香りが春めいていましたから、それで充分でした。

目的のヨーカドーは、ちょっとしたショッピングモールをトンネルをくぐるようにして行った先にありました。

Aremokoremosugamo

入るなり、息子が言いだしました。
「あ、なつかしい匂いがするね」
たしかに、お店の場所は違っても、子供たちが小さい頃からよく通った店舗とおんなじ匂いがする気がしました。
「流してる音楽も同じだよ」
ってんで、ふと気が付いたら、その通りなのでした。
「ビートルズだったっけ?」
「ん~、おとうさん、覚えてないや」
こっちのお店は、無くなってしまった地元のお店より大きいのですけれど、中のものの並び方なんかは似ています。
匂いにせよ音にせよ売り場にせよ、よそから来ても、ここが「ヨーカドーだ」と思って訪ねてきた人が分かりやすい・・・そういう配慮を本当にしているのかどうかは分かりませんが、ああ、よくしたもんだ、と思いました。

特段買い物に入ったわけではないので、見るもの見るもの、昔と同じものは何一つないのに、息子は
「懐かしい、懐かしい」
の連発でした。
最後に、小さい頃大好きだったミニカーを探したら、やっぱり売っていました。
「おお、これだあ!」
と、記憶にあるものをひとつひとつ手にとっては、息子は目をキラキラさせていました。

ずっと隣を歩いていて、あるいは一緒に立ち止まって、私の方は、どうにも「泣けてくる」ような気持ちになって、困りました。
息子の背は、もう私を追い越しています。
でも、
「懐かしい」
を連発している息子は、小さいときに私が手を引いて歩いた、そのときのままの息子でした。
こういうときは二度と来ないのだな、と、特別でもなんでもないことを思って、でも、子供たちが小さい頃の「しあわせ」が、昔とおんなじ匂い・音・空間の中でよみがえってきて、ここを離れたらまたそれは消え失せてしまうのだ、と感じたから、泣けそうになったのかもしれません。

確かにそうだ、とは、いえないのですけれど。

Kokoronoboss

表に出たら、店のまわりを、子供用の機関車が巡回していました。小さいお客様たちが、これまた目をキラキラさせながら乗っていました。
「僕さあ、いまでもまあだ、こういうのが好きなんだ」
と、照れくさそうに息子が言いました。
「でも、乗ったらもう、なんだか恥ずかしいもんね。だから乗らないよ」

こないだ、落語の『死神』の元になった話~ヨーロッパの伝説~の数々を書き留めた本を読んでいたら、こういうのがあったのを思い出しました。

主人公が死神に連れて行かれるときに、
「もういっぺんだけ、元の世界に帰りたい」
と願って死神にきいてもらう。
戻ってみると、そこは数百年後の「故郷」で、自分の知っている人も、自分を知っている人も、どっちも全然いない。
それでも主人公は懐かしさについ喜びの声を上げて、それがきっかけで新しく生まれ変わるのです。
浦島太郎の方に似ています。でも、浦島太郎より明るい。
・・・いや、話の筋は、私の都合のいいように記憶が変わっているのかも知れないなあ。

思い出したら、考え直しました。
「次工程」の息子の前で、おらあ泣いたらいかんのだよな。
「泣く」ことは、いままでさんざんやってきた。
その記憶を見つめ直して、息子が、それからこの場は一緒ではなかったのですけれど、娘が、
「生を豊かに<泣ける>ように」
私という本を読みきかせられるだけの演者になれなかったら、親という「流れ」の詰めのところで、世間様に対して恥じ入らなければならないような醜態しか残せないのかも知れないな、と、ふと思いました。

私は、ちっぽけな、塵芥にもならないような、それでもいちおう数学の教科書が扱う「大きさのない点」ではなくって、かすかなりに「大きさがある点」です。

世の中が「偉い」と認めたあるお人は仰りました。

「諸君、喝采したまえ、喜劇は終わった」

ちっぽけな私は言いましょう。

「あ、そこなおかた、泣いて笑って楽しくなりませぬか? ヘタな芝居を始めますによって」

・・・うーむ。ちゃんとそう言えるのか???

朝が来たら、子供たちと、上野にお花見にでも行こうかと思っておりまする。

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