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2009年12月29日 (火)

よいお年をお迎え下さい

家内の急死から3年経ちまして、年賀状はまだあまり積極的に書く気持ちが起こらないところへ、メインにしていたパソコンのハードディスクがクラッシュして、住所録を作成したソフトもなくしてしまい、住所録が読めなくなりました。いずれにせよ、家内の友人筋からはぱったり音信もなくなりましたし、自分も人付き合いは消極的になったのかもしれず、ウチに出入りして下さっていたクリーニング屋さんも2年前にはご病気でお仕事を辞められ、職場で親しかった方は定年やらご逝去やらでほとんどいなくなり、リアルな雑談相手が減りまして、ネット井戸端会議に走っている今日この頃です。

3年経って、それでも久々に、家のドアにささやかな正月飾りをしました。

住まいの近辺は空き地、草っ原の多いところで、道も入り組んでいましたのに、家内の死んだあと、嘘のように急に建て込み、区画の整然とした道路が出来上がり、そのぶん野鳥の姿も見かけることが減って、これはこれで寂しい気がしております。

ネット井戸端会議が誰にでも簡単にできるようになった分、会社というところもそういう「便利」なものには目ざとくて、会社PCで閲覧してよいサイト・いけないサイトを厳しく峻別して監視下に置いたり、内勤者は在室をIDで監視したり、と、せせこましい社会に墜してしまいました。唯一残っていた年末の簡単な食事の上での会食も、正月初日の挨拶回りやお社詣でも、省かれていく一方です。職場で話してもいいなあ、と感じる相手が、あまりいなくなりました。

窮屈な慣習がよかった、とは思いませんが、なにかパサパサしていく風潮には、世の中がどこか変わりつつある気配を感じずにはおられません。人間が人間らしく「発想する」環境が遠のいていくのは日本だけでしょうか? ダリのこんな言葉をいまこの国で実践したら、まず、会社員世界でまともにお給料はいただけませんしね。

「いちばん惨めな典型がロダンの『考える人』だ。どういうことかというと、予め何か考えていると自覚しているときの頭のなかには、実は何もないのである。『絵を描いているときは、いつだって別のことを考えている』と言ったのはラファエロだ。この真実はまるで神殿のようにそびえ立っている。」(ダリ「私の50の秘伝」訳書p.43、株式会社マール社 2009/12/20)

新年がなぜ祝われるか、ということについては以前下記に綴りました。そもそもは、正月なんか祝ったって楽しかないのに、それでもおいらは祝わないといけないのか、とのひがみ根性から綴ったのでしたが、これを綴ってから1年経とうとしている今は、せめて1月1日の何たるか、に籠められてきた長いあいだの人の心を大切にする世の中に、少しは戻っていかないものかな、と感じております。

http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-231d.html

どうぞ、よいお年をお迎え下さい。

最近綴った記事(一部)
・東京ムジークフロー年内最後の練習に参加して
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-c278.html

・バイエルじゃいかんの?:「いちからピアノ」1
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-9ceb.html

・音楽の色を消すもの
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-42fb.html

・「そんな程度のもん」なのか?
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-a337.html

・彩りを「聴き」、響きを「見る」
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-4fa6.html

・コユンババ
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-48e0.html

・Adios Nonino
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/adios-nonino.html

・文化の大切さを見直す:19世紀初頭ウィーン、オーケストラ事情と対比して
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/19-fb74.html

・ウィーン古典派のシンフォニストたち
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-ff18.html

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2009年12月22日 (火)

PC故障につき

メインで使っているPCが故障しており、修理に時間がかかる見込みで、頂いたコメントへのお返事がままならなくなっております。

深くお詫び申し上げます。

うれしく拝読させておりますので、公開はなるべく早めに対応する所存です。

また、御礼のお返事は少しの間ご猶予下さいませ。

今後とも素人談義に楽しくお付き合いくださいますことを心よりお願い申し上げます。

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2009年12月11日 (金)

浅草不思議空間

先日、浅草に出向いたときの日記です。


午後3時半ごろ浅草に着いて、休憩を挟んで浅草寺周辺を二週半くらいし、8時頃最寄駅についてから娘にマフラーを、息子にはやつの大好きなビートたけしのCDを買ってやって、さっき帰宅した。

明るいうちと暗くなってからの浅草を見比べる、という経験を、初めてした。

新仲見世通りから入って仲見世通りを右に曲がれば浅草寺の正面が近い。が、このルートは人間がぎゅう詰めでもある。だからと言うのではないが、曲がるかどの手前の老舗、すき焼きの今半が美味い。晩飯はここにしたい、と、はやばや娘が決めてしまった。息子は隣のフグ屋に入りたかったのだけれど、店頭の水槽であおむけになっちゃってるトラフグを目撃して三人とも
「・・・やめとこ」
ということになった。

仲見世通りを入ってすぐのところで揚げ饅頭1個80円、娘だけゴマ1個100円を買って食す。ここの揚げ饅頭は、他に2軒ある揚げ饅頭の店よりも品が小振りで、食べ易い。
見上げたら、もう、「賀正」の絵馬が下がっていた。柄は、丸っこくて可愛らしい寅さん。フーテンの、ではなくて。だって、柴又じゃないもん。
通りに人は溢れるほどいるのに、人形焼き屋さんの前にはお客がまったくいない。店の全員が渋い顔をしていた。
それを横目に、まず本堂にお参り。平成の大修理というやつで、柱から屋根まですっぽりと囲いに覆われている。新年のお参りをするときもまだこのままだろう。
西側におりると1616年に作られた石橋があって、そのさらに先に一言不動尊がいらっしゃる。何でも一言だけ祈れば、その願いが必ず叶うという霊験あらたかなお不動さま。子供たちは先を争ってお参り。拝んだあとは出店のたこ焼きを立ち食いした。

花やしき通りに抜けて行ったら、あずまっくすが何かの番組の撮影に来ていた。
そこからロック通りに行く。映画館の前でコップ酒を手にした爺さん婆さんが談笑。そのあいだをズケズケ抜けて映画のポスター(「緋牡丹お龍」に「フーテンの寅さん」)を見に行ったら、息子はおずおずついて来て、二人ともすぐに娘に通りへ引っぱり戻された。
反対側には黒山の人だかり。なんだろうか、と思ったら、競馬の中継をやっているのだった。
南に歩くと東洋館、だったかな、フランス座の跡が演芸場になってるところがあって、呼び込みをやっているのだがいっこうに客が入る気配はなかった。

そこからまた北の方へ斜めに戻って行く。閑散とした通り。ずんずんもどって観音様のところから仲見世通りをさっきとは逆に行ったら、ヒマだった人形焼き屋さんの前に少しだけ行列ができ、さっき渋い顔をしていた店員さんの誰もが笑顔になっていた。

どこの通りだったか、伝法院通りだと思うんだけど、焼き栗というのを売っているお店があって、売っているお姉さんがとっても美人だった。どう美人だったか、というのを言葉に出来ないのが口惜しい。もし自分が浅草の住人だったら通い詰めてもいいくらいの美人さんだったの。・・・あ、どちらかのあなたさまに、化けて出られるか???

くじらを売ってる(丸ごと、じゃないけど)店とか刀の店とかいろいろながめて、日が傾いたところで、雷門の一本西の通り角のスターバックスで休憩。ここの店員さんがまた好男子に美女たち、ときたから、へえ、浅草って美人が多いんだ、と、はじめて気がついて身震いしてしまった!

一服して、暗くなった浅草を、さっきと同じルートでもう一周。
ここからが、オドロキだった。

一般のお店は、とにかく店仕舞いが早い。5時半で、もうほとんどシャッターが下りていた。明るいうちはごったがえしていた場所が、どこもかしこも嘘みたいに静かになっていた。酔っぱらいの姿も消えていた。
で、閑散としていた斜めの通りが、こんどは不夜城の明るさになっている。右も左も、行けども行けども赤ちょうちん。天気もいいからか、空いている居酒屋・立ち飲み屋は一軒もなかった。「千と千尋の神隠し」をリアルにしたような世界。
伝法院通りの方へ戻ったら、人力車の行列。薄暗がりの中で、狐の嫁入りのように見えた。これが、さっき不景気を決め込んでいた東洋館だかの、宵の6時半からの公演の宣伝なのだった。でも、「来て下さい」とは一切声高にいうことはなく、しずしずと通り過ぎて行った。すれちがうひとはみんな、立ち止まって見惚れていた。

で、6時になったのを確かめて、すき焼きの今半に入る。息子がまだカカアのお腹にいるときに、カカアと娘と三人でいちど来たことがあったのだけれど、娘の記憶にはない。
おいしい店で有名なのに、予約客は別として、一般客はボクたちの他には二人連れ一組しかいなかったので、ちょっと意表を突かれた。
でも、お店の人は以前と変わらずあったかくて親切。テーブルを二つくっつけてくれ、おかげで三人とも久しぶりにゆったり肉をたべられて、食後にはお腹が出口につっかえて出られなくなってしまった。。。うそピョン。このお店の壁には芸能人の色紙がたくさん貼ってあるのだが、元祖林家三平師匠のもあるのであるのである。これは額に入っている。そのうち「たおぽん両師匠」の色紙も貼られるかもしれない。(知る人ぞ知る、である。)

・・・とまあ、綴り尽くせないけれど、子供たち曰く、
「楽しかっただヨ」



ここんとこ綴った記事

・感覚と技術(ベルリオーズ『音楽のグロテスク』から)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-7276.html

・見つめなおす方法
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-a639.html

・惚れ込む、という感覚
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-6d31.html

・第九のシーズンです:中高生オーケストラによる演奏があります
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-6c65.html

・モーツァルト:ポストホルンセレナーデと関連行進曲
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-e120.html

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2009年12月 5日 (土)

これ以上、下手にならない。

どなたも、お変わりなくおすごしでしょうか?

先日、日本を代表する画家、平山郁夫さんが亡くなったのはご承知の通りかと存じます。

平山画伯のお人柄に接したおふたかたのお綴りになった文は、それぞれに胸打たれるものでした。
私には、それらを前にして、何の駄弁を弄する術も持ちません。

ひとつは、JIROさんのブログでして、これはどなたも直接お読みになれますし、転載・引用等のお許しを得ていませんから、リンクを載せておきます。

http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2009/12/30-e8b7.html

溢れる思いを、押さえようとしながら押さえ切れない、でもやっぱり押さえなくては、とお感じになりながら綴られたのではないかと受け止めております。

もうお一方のものは、ミクシイをご利用の方でないと全文が覗けませんので、引用させて頂きます。



(以下、引用)

 早すぎるご逝去に言葉を失いました。何歳であっても、本当に残念です。
平山画伯が、うんとお若い時、チラリとお目に掛かったことがあります。
数十年も昔、神戸・三宮で画商の方の講演が有り、それを聴きに行きました。
講演は絵画関連の集会で、日頃、聞けないようなお話が多く、興味津々でした。

 画商の仕事は、絵を売るだけじゃなく有能な画家を探し育て上げることだそうです。何人、世に送り出したか、それも大きな使命と聞き、感心・納得しました。

 その講演が終わったとき、画商さんは、小柄で若い大人しそうな男性を招き演壇の右横に立たせ、「彼は平山郁夫といいます。今、駆け出しですが、とてもいい素質を持っている。応援してやって下さい。」と仰ったのです。

 若い青年は緊張している風で、固いお辞儀をしました。後年、方々で平山さんは業績を伸ばし有名になって行かれました。あの同じ会場にいた平山さんが逝き、私は何もなくただ生きています。神様が平山さんを呼んだのでしょうね。

 新聞各紙が、コラムで平山さんを取り上げています。朝日新聞の《天声人語》に心惹かれたので、転載します。ご覧下さい。


★ 2009年12月4日(金) 天声人語
 戦後すぐ、意気揚々と東京美術学校(現東京芸大)に入学した150人に、校長は訓示を垂れた。「諸君らのうち宝石はたった一粒です。その一粒を見つけるために君らを集めた。他は石にすぎません」。亡くなった平山郁夫さんの回想である▼自分は「石」だと思っていたそうだ。3年生のとき、ついに見切りをつける。だが新任の先生に「君の絵はこれ以上、下手にならない。おおらかにやりなさい」と言われ、続けることにした。この一言がなかったら、膨大な画業の一切を、私たちは目にできなかったかもしれない▼大河を思わせる画業の原点には、広島での被爆があった。だが15歳で見た地獄は、画家の筆を凍りつかせもした。描きたいのは「平和」だったが、原爆の絵は心の傷口を広げるのが怖くて描けない。悩み抜いてたどり着いたのが仏教だった▼「怒りではなく『平和への祈り』こそが私のテーマだとやっと気づいた」と、のちに語っている。以来、出世作の「仏教伝来」からシルクロードをめぐる作品まで、その活躍に詳しい説明は要るまい▼20年ばかり前、中国西域の砂漠の街カシュガルの民家で、平山さんの絵を見た。小さな複製をウイグル人一家が粗末な額に飾っていた。娘さんの言葉が良かった。「この絵のような砂漠が好きです」▼厳しい光景も、平山さんの内面を通るうちに浄化され、静謐(せいひつ)な叙情となって画布に現れる。それが砂漠の民も魅了したのだろう。娘さんは自分も描きたいと盛んに言っていた。一粒の宝石に、今ごろなっているだろうか。
http://www.asahi.com/paper/column20091204.html?ref=any

------------------------- 転載 終わり -------------------------

(引用、以上)


「君の絵はこれ以上、下手にならない。おおらかにやりなさい」

・・・いい言葉です。


最近綴った記事

・「小松亮太とタンゴへ行こう」(書籍ご紹介)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-de3a.html

・中学4教科愚問集
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-b7f1.html

・数(すう)としての音楽
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-7b02.html

・のだめ23巻
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/23-aa12.html

・マーラー「さすらう若人の歌」から:好きな曲028
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/028-020b.html

・「松下真一」という作曲家
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-f3d1.html

どなたも、お風邪など召されませんよう。

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