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2009年10月 2日 (金)

季節ってなんなんでしょうね

季節の変わり目ですね。
ついこないだまでは、いつまでもしつこく地平線の上に粘っていたお日様が、ここんとこは急に、ぽとん、と沈みます。

ウチの前の桜の木々は、いちはやく葉っぱをだいぶ落としてしまいました。まだそんなに冷え込んだりしないのに。

生き物、とくにちっこいやつらは、こんなふうにうつろっていく光や空気や水の中を、けなげに生きていますね。
いいえ、ちっこいやつらだけじゃなくって、動かないから分かりにくいけれど、大きな木たちも同じように生きていますね。

実がなる前に倒れる命があります。
実をなんとかみのらせたものの、そこまでで力つきる命があります。
実がならずに枯れていく命があります。
永遠の命、なんてものは、みあたりそうにありません。
春、夏、秋、冬を何度も繰り返して味わえる命、というのは、それほど多くはありません。
太陽が天空の星星の間を一巡することが、これまでに何度繰り返されて来たか、これから何度繰り返すのかを思いやると、それぞれの命の、なんと短いことでしょう。

だからこそ、そのなかで精一杯生きている、ということは、尊いのでしょうね。

私の家内は、自分の人生の季節の、せいぜい秋の入口までをしか生きませんでした。
それまで私自身はこんなことにあまり敏感ではありませんでしたが、身近でそういう命のあり方を目の当たりにした後、
「ああ、この命も家内と同じようだ」
「この命はあまりにも・・・まだ春の入口にも立たなかったのに」
などと、ちょっと過敏になっていたかもしれません。

そういうときは、いくつもある花の蕾の中で無事に開けるものが、果たしてどれくらいあるかを見つめることを忘れていたかもしれません。
あるいは、開いたものの、やがてしっかり実を結ぶところまで至ったかどうか、ということを、見ようとしていなかったかもしれません。

たった1秒の命でも、千年の命ほどに重い。
だから、どちらがより「はかない」だなんてことは、本当は断言出来っこないのではなかろうか、と、近ごろ思い始めたところです。
・・・ただし、それを納得している、というところまで行っているわけではありません。

ふとしたきっかけで、あるひとつの交響曲ばかりに1ヶ月近く熱中していました。
この作品、前から知らなかったわけではないのに、その意味が分からずにいたのだ、と気づいたら、それを知りたくて仕方なくなってしまったのでした。

正直言って、未だに分かりません。

ただ感じたのは、この作品を書いた人は、この作品を書いた時には、もう人生の「冬」の前で、体を自在に動かすこともままならなかったのかも知れないなあ、ということです。

窓から外を眺めると、自分が活き活き出来る場所が見つかりそうだ・・・自分は老いてしまったけれど、まだ何か、素晴らしい実を付けることが出来るに違いない、そう信じて、倒れてはまた胸を希望でいっぱいにし、希望が溢れれば溢れるほど、動かない体に精一杯の力をみなぎらせてみる。諦めることを知らないから、やめて欲しくなるほどに苦しげだけれど、その不器用さが、だんだんにむしろ、虹のように光ってさえ見えてくる。

このひとはいったんは、秋祭りかなんかに出掛けていって・・・もともとかっこうのいい人ではないので・・・、短い足を精一杯動かして、このひとなりの「いっぱいいっぱい」で、きれいに踊ってみようと試してみるのですが、疲れ切ってしまいまして、たぶん昏倒したのでしょう。

気づいた時にはベッドで横になっていたのでした。すると、なんだか神々しい光が見えてくるのです。それが「天国」なのかどうかは分からない。
「いや、まだ自分はこの世にいる。だからあれはこの世の栄光なのだ」
起き上がって、このひとはそれをつかみ取ってみようとするのですが、心ははっきり目覚めても、体はもう起き上がれない。
窓には霜がこびりついていて、表の景色はもうはっきりとは見えません。目もかすんでいます。「栄光」とみえたものは、衰えた瞳にうつった暖炉の火に過ぎなかったりするのです。

とうとう、このひとは実を得ることは出来なかった。うつつに、という意味では、なにものも手中に出来なかったのです。
だけれど、自然は確実に次の春を用意している。この人が枯れてしまっても。
そう信じることができた時、たぶん、このひと、本当ならありえるはずもない「永遠の命」っていうやつを、しっかりと見たのかも知れない。

彼は最後まで、自分の見た「永遠の命」を何とか書きとめておこうと、心の中では葛藤し続けました。
でも、とうとう、それはなりませんでした。
ですから、この交響曲は、最後まで完成されることがありませんでした。

・・・長ーい音楽作品も所詮は刹那なのですね。それだから、美しいのかもしれません。


今週綴った記事

・「グールドを聴く」ということ・・・映像リンクのみ
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-ac04.html
 ※ これにくっつける本文を考え中ですが、難題です。
   やめときゃよかった!!!

・音楽の愛し方10:「音楽」を聴くのか、「演奏」を聴くのか
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/10-a2c8.html
 ※ へりくつ。


・「ピーターと狼」:音楽を聴こう1
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-1bba.html
 ※ ディズニーの昔のアニメです。

・オーケストラ映像のどこを見るか:音楽の愛し方 番外2
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-29f0.html
 ※ 私なりに感じる勘所です。「指揮者」を見るのではなく。


・ブルックナー「第九」チェリビダッケとヴァント:音楽の愛し方番外1
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-bddf.html
 ※ 私のつまらん長話のネタは、この交響曲です。


・「千住家にストラディヴァリウスが来た日」
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-3189.html
 ※ 文庫になりました。思いの外、いい本でした。

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