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2009年6月13日 (土)

囚われる「わたし」

Yamatouchiharu蓮見岳人・阿部千春デュオリサイタル(バロックリュート&バロックヴァイオリン、ケルン在住)是非お出掛け下さい。
千歳(7月12日)・天理(7月18日)・京都(7月19日)・名古屋(7月21日)静岡(7月22日)・東京(7月23日)です。
総合連絡先:スパティウム・ハルモニエ(電話050-5539-8845、mail:duo@angel.nifty.jp
HP:http://abe.hasumi.de/


阿部千春さんとフォルテピアノ奏者大井浩明さん共演のリサイタル(7月25日)
~若き天才作曲家が世に問うた「作品1」~
《モーツァルト:パリ・ソナタ集 作品1(全六曲)K.301-306》
(護国寺:同仁キリスト教会にて、18時開演)はリンク先、この演奏会への私の期待については「サヨナラ『古楽』」をご覧下さい。
連絡先:オフィス・アドック(電話:050-5532-5562、mail:office.adhoc@gmail.com
blog:http://ooipiano.exblog.jp/11686543/
アマチュアオーケストラ、東京ムジークフロー定期演奏会は6月28日(日)です。
ピースフル・コンサート越谷 ’09は、8月5日です。
「いい人ぶりたくありません」 と、ことさらに口にする人がいます。

いや、他人事ではなくて、自分だって、なにかにつけ、それと似た類いの言葉を口にしがちです。
ポーズもとります。

そんなことを、はなからしなくて済む人は、幸せです。
でも、日本人には少ないかもしれません。
日本人の価値観って、わりと、「いい人」か「そうでない人」かを分けて人間を観察しがちな気がします。
だから、しなくて済んでいる人は、強い人です。

ただし、コンタクト・コミュニケーションという意味では、「いい人」なんて規定とは全く別に、
「ああ、この相手は、こちらを良く思ってくれている」
「この人はこちらをよくは思っていないかも知れないけれど、こちらはこの人にいい思いを持っている」
どちらかがあれば、そういう相手のために何かできることはないだろうか、なんてことを、私たちは日常の中で思っていることが多いのではないかと思います。

「いい人」であることと、「いいという印象を持つ」ということとは、根っ子の部分では、本来まったく別のものであるはずだ、ということが、こんな単純な事実からあぶり出されます。

「いい人」というのは、人を評価する時・自分を評価する時に、自分の内側に固定してしまった「モノサシ」で人格を計る行為に由来する表現ではないのでしょうか?

一方で、「いい」という言葉そのものだけを眺めると、これはもっと単純な、感覚的なものに過ぎないことに気づきます。

抽象的な物言いで恐縮ですが、ふと、自分を振返ったとき、この区分がちゃんとできておらず、

「いい人ではなくてもいいから、<いい>感じは大切にして生きていきたい」

だなんて思い込んできたことの尊大さに、ふと立ち止まらされる、今日この頃の「わたし」です。

わたしが「わたし」というものに囚われるというのは、「わたし」もひとりの人である以上、どうあがいても宿命ではあるのですが。

・・・うーん、そろそろ、気が狂い始めたかな?

今週綴った記事(今後はこんくらいのペースかも。)
・吉田美里さん ヴァイオリン演奏会
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-cbc7.html
 ※ とっても素敵なお人柄なんですよ!

・知ったかぶりのおっかなさ!
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-f783.html
 ※ あたくしの「知ったかぶり」が垣間見えます・・・(T_T)

・音楽を笑うな
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-2711.html
 ※ ・・・人を笑うな。

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