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2009年4月25日 (土)

コップってどんなかたち?

「コップってどんなかたち?」

ワイングラスなどのようなものではなく、日本の居酒屋さんで普通に見る、水やビールを注ぐ、いかにも値段の安そうなコップについてのみ考えましょう。

「上から見れば丸だろう? 横から見たら長四角」

そうなのだよ、上からも横からもモノを見るようにしなければならない、とは、最近はどうか分かりませんが、以前なら子供たちが説教を受けるときの定番でもありました。

まあ、いろんな角度から見る、というそのこと自体は、確かによろしかろうと思います。

ここからが問題です。
斜めから見たら・・・そのかたちを、私たちは言葉に出来るでしょうか?

「図には描けるがな・・・まあ、円筒形だわな」

さて、最初の問題。
本当に、コップは円筒形でしょか?

大抵の場合、コップは、飲み口となる上の円より、そこの円の方が小さいですよね。
そのことは、でも、言われてみて初めて
「ああ、そうだよ。分かってるんだけど、ちょうどいい言葉がないからな」
「じゃあ、円筒、って言葉は、きびしくみたら、間違い?」
「・・・うーむむむ!」

幾何学的に言えば、大抵のコップは、とてつもなく長い円錐を途中で切り取ったかたちなのでしょうから、きびしくみたら<円錐を切り取った一部>という言い方がふさわしいかのように思えます。
そこで、このときには、先ほど、大人が子供に向かって言った
「横から見たら長四角」
は誤りだった、ということになります。幾何学的に正しいのは、「台形」となるわけです。

斜めから見た図を描けるということは、それを円錐の切れはしという一つの言葉でしか表わせない、などというはずはないことをも示唆します。そう、コップは、斜めから見たら、「上下に楕円の半分を台形に組み合わせた図形」もしくは「縦の二辺はだんだんに間隔の狭まっていく直線、横の二辺はお互いに相似形にある楕円の半分」(寝かせた場合には縦と横は入れ代わりますが)と表現できるでしょう・・・しちめんどくさいけれど。

ここで、二番目の問題です。
そう言う厳密さは、果たして望ましいのでしょうか?

幾何学的な「円筒」は「ズンドウ」な筒だけを表す言葉ですけれど、言葉そのものが意味を持たされたところにまで遡ると、そこまできっちりと限定されたのは「数学だとこうだ」という決めごとが出来てから後のことだったはずです。

「いいじゃないか、下がすぼんでいったって、筒は筒なんだから!」

こういう言い方でも、言葉の使い方としては間違いではないはずです。むしろ、分かり易い。

さて、最初の幾何学的なこまやかな言い方と、大ざっぱな言い方とは、日常生活の中で、果たして両立し得るものでしょうか?
これが第三の問題です。

無意識のうちに、私たちは、これらを両立させて使っているのが実態なのではないでしょうか?
手早く物事を伝えたい時には、
「コップとって来てくれい! え? コップって知らない? あそこの、丸い筒みたいな入れもんだよ!」
まさかこんなことを言わなければならない局面はよっぽどでないと考えられないでしょうが、すぐにでもビールが飲みたくて、目の前にはビンがある(ビンビール、っていう限定を、ここではしていることになりますね)ときに、コップがどんなものか分からないヤツに
「円錐形を切り取ったかたちの入れもんだよ」
と言ってしまったら、円錐ってどんなものかを知らなければそこから説明しなければならず、甚だ面倒なことになります。
一方で、コップを効率よく整理する時には、場合によってはその横の線が横から見た時には平行線ではなく、飲み口側から見ればしたに向かって間隔が狭まっていくということを利用して、コップの大きさなどの条件によっては、全部をフツウに飲み口を上に並べるよりも、あいだに逆さまにひっくり返したコップを挟み込んで行った方がいい場合もあり得ることになります。
この時には、暗黙のうちに、コップが幾何学的には「円筒」ではなく「円錐」であることを利用するのです。このことに携わる素人さんを相手にしてはじめて、
「ほら、コップの横って、下のほうがだんだんすぼんでいくでしょう? だから、そのまんま並べたら隙間が出来る。この大きさのコップだったら、そのあいだに、逆さにしたコップを挟み込んじゃった方が、箱にたくさん入れられるんだよ」
と、ちょっとはこまやかに説明することになる。

くどくどした話になってしまいましたが、要するに、手早く用事を済ませたい時には、厳密でなくても手早く相手に理解させられる言葉を使うのが良さそうであり、結果をよりいいものにしたい作業をする時には作業に応じたこまかさを持つ言葉を使うのが良さそうである気がします。

この使い分けが健康に出来ているうちは、私たちの心も健康なのだ、と思います。

しかるに、日常の中では、手っとり早く済ませたいことにほど、はやく成果を出したいが為に、こまごましたくどい言葉を使いがちであり、相手がちゃんと真相を知りたい場合には・・・真相を知りたい、というのが大概は野次馬根性から来るものだ、ということも手伝ってでしょうか、相手を性悪説で観察してしまうがために・・・あまりに大雑把な言葉で応答を済ませてしまうことが、多くはないだろうか?
飯の種か否かを問わず、課された仕事に携わるにあたって、言葉を使う「私」は、そういう逆転をおかしてはいないだろうか?

そいうことが、ときに大変心配になることがあります。

こんな心配をすること自体、ちょっと神経質に過ぎるでしょうか?

いえ、人の言葉を受け止める時にも、相手の言葉の中に全てを求めるのではなく、私が人に話すときになすべきことと同じ反省をしながら「言葉の奥」を読むべきなのではなかろうか、と、ときどき思うようになりました。

上っ面な言葉だけを使っておきながら、人様がそれを理解できなければ
「あちらさんが愚かなのだ」
ともし私が思うようでしたら、それはただの傲慢でしょう。

同様に、ちまたにあふれる簡単明瞭な、であるがゆえに分かり易いと錯覚を起こさせる皮相な「見出し」言葉だけで、その背景にある事実に対するイメージを固定してしまい、事実の善悪を簡単に断定するようなことを日々やっているのだとすれば、あまりにもお人好しだ、ということになるでしょう。

いずれにしても愚かなことではないか、だからこそ日々、自分をよくよく戒めなければならないのではないか、とは、懲りない私がいちにちを振り返るとき
「ああ、またやっちまったよ!」
と叫んでしまうほど、おそらくは残りの一生、迫り続けなければならない反省なのかも知れない、と、たまには感じる今日この頃です。

今週ブログに綴った記事

・C.Brown 第1章:理論上のアクセント(拍節)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/cbrown-7640.html

・ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲」:好きな曲026
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/026-7cf2.html

・モーツァルト:レシタティーヴォとアリア(シェーナ) K.316およびK.368
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/k316k368-0eac.html

・シューベルト「ザ・グレート」二つのライヴ 付:能の謡の音域
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-998c.html

・TMF:4月18日練習記録(全体)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-f185.html

・TMF:4月18日練習記録(弦分奏のみ)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-f668.html

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2009年4月18日 (土)

花から若葉へ

遅い満開だなあ、と思っていた桜も、あっというまに、花から葉っぱに変わりました。
すると次は、ウチのあたりは花ミズキの番です。
ピンクの花をつけるもの、白い花をつけるもの、と、2色だけなのですが、これだけでも不思議なもので、道がはなやかに彩られるような錯覚をしてしまいます。この花は、東北では見かけず、私はずっと名前を知りませんでした。教えてくれたのは、新婚早々の頃の家内でした。

花は、いっときです。

この花ミズキが散ると、花をつけるのは、また別の種類の木です。

それでも、
「また来年も咲くから」
と、大好きな花が散ってしまうことを、不思議に明るい気持ちで諦める。
そんなことを毎年繰り返しているのですね。

来年咲く花は、今年咲いた花とは、ほんとうは同じではないのです。
ひとつの花のいのちは、散ったらおしまいです。

それでも、明るい気持ちでそれを受け入れることが出来るのは、いのちのおおもとである木が枯れないうちは新しいいのちが続くことを安心して信じられるからなのでしょうね。

それにまた、花は一瞬であっても、いのちは葉となって初々しい薄緑で生え始めます。
葉の方は、生えて来て当たり前、と思われてしまう損な立場にあるかもしれません。
しかも、生えてくるや、だんだんに埃で黒ずみ、肉も厚くなり、ふてぶてしい濃緑色に変じていきます。

そんな葉っぱたちも、秋になれば花にも劣らない鮮やかな赤や黄に身を染めて、自分たちのいのちの最後を飾ります。

それをみて、
「ああ、もみじも、また来年だな」
これまた、明るい気持ちで諦める。

木、という、おおもとのいのちがあればこそ、のことなのだなあ、と、しみじみ思いながら、私は、まだ産毛のような若葉の方をも、咲く花と同じように愛でてやりたい、と思っているところです。

今週綴った記事

・ハイドン伝(ガイリンガーによる):1(1732-1740)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/1732-1740-40ab.html

・騙されちゃいけません!・・・ある「美響」の求めかた
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-578a.html
 ※ ノリントンの映像に興奮して、浮かれたことを綴りました。
   その後続けて幾つか見て、感じ方が変わって来ていることも多くあります。
   彼の堅実な練習、楽員さんの明るい表情は、彼への先入観を払ってくれます。

・Schubert "The Great" の映像:第1楽章(YouTube)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/schubert-the-gr.html

・C.Brown "CLASSICAL & ROMANTIC PERFORMING PRACTICE 1750-1900" Intriduction
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/cbrown-classica.html
 ※ 読めてもいないのに、洋書のご紹介。継続していきます。

・モーツァルト:1779年作品概観
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/1779-90be.html

・LOVE LEGEND
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/love-legend.html
 ※ 妹に連れられて一家で見たミュージカル歌手のコンサート。
   ミュージカル界に疎いので、印象記としてはかえって純かも知れません。

・4月11日練習記録(TMF:弦分奏)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-1056.html

この一週間もまた、どなたもお健やかに過ごされますよう。

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2009年4月11日 (土)

アマチュアだから・・・

齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。



思えば、四年間、なんで、こんなに夢中で綴ったかな・・・と、奇妙な気がします。

四年、という時間は、私の自己喪失、途中までの自己回復に当てられていた、という、極めて個人的なものですのに、そうなのです、こうした場に綴り続けるというのは、みっともない自分を、あえて晒しものにしていたことなのだなあ、と、いま、つくづく感じます。そして、そんなわがままを黙ってご許容下さっている沢山のお友達が、いまでは私にはいて下さる、ということを、しみじみ幸せに思います(勝手に浸ってゴメンナサイ)。

今はもういなくなりましたけれど、新宿駅の東口に、
「私の志」
と書いたおっきなカードを首から下げて、自家製の本を売っている子がいました。

ブログなんてものは、それと全く同じだと思います。

大きな本屋さんに置いてもらえるような書き物じゃない限りは、やがて泡沫となって消えて行くのです。

泡沫だ、と信じ込んでいたので、平気でさらけ出して来れたのだとも思います。

ところが、使っているプロバイダさんは、ブログを出版してあげる、だなんて商売も始めちゃって、
「???」
が脳ミソに点滅し出しているところです。

生活面や心情をブログにダイレクトに綴ることは、インターネットというものの性質が、どうやら私が始めた頃とは大きく変わってしまったために、パーソナルなものは閉じた世界の中にしまい込んでおかないとネット上では生存していけないという具合になって来ているらしく、そんなこともありますのでだいぶ減らしましたが、残る記事は、みんな、音楽を中心とした
「素人の好奇心のかたまり」
だけでして、これは絶対に本職さんのように真っ当な内容ではない。何故なら、私には専門のかたのように資料を駆使する環境もありませんし、仮にあったとしても、駆使の仕方の訓練を受けたわけではありませんから、ただ主観で好き勝手に綴って来ただけです。

ですが、熱心に読んで下さったかたの中には、だんだんに、あたかも、私の綴った中身が
「真っ当な」
ものであるかのように思って下さり(それ自体は感謝申し上げなければならないことです)、
「間違いはいつでもご指摘下さい」
とお断りしていても、なんだか、ブログ上の文字の塊が、塊として存在するだけで、私の気持ちとは反対に、なにか、心と心が直接触れ合う上では「壁」になってしまっていることもあるんじゃないかな、と・・・例を上げるほどにはその輪郭をつかんでいないのですが・・・そんなことを、最近は不審に思うようになって来ました。

これ、多分、自分が「血迷う思い」から抜け出しつつある、いい兆候なのかな、と、捉えてはいます。

知っている本では、たった一例、『ソクラテスの弁明』というやつだけが、
「あれまあ、ソクラテスさん、わざわざ自分が死ぬためにこんなこと言ってる!」
と、何回読んでもちっとも難しい理屈は理解できないままでいながら、この一事だけを強烈に訴えて来ます。
(ただし、虚構なのですが。)
他の本は、ご著者が「生きていく」ために書かれたものが殆どで、それらは人の価値観によって、読者にとっても「良い」ものであるか、「悪い」ものか、に二分されるのではないかと思います。

ブログは、泡沫です。やっぱり、本とは違うと思います。

毒にも薬にもならない。

ただ、閉じたコミュニティの中でだけ意味を持っている。
だから、そのなかで、限られた「私」が命を救われるだけのものです。
かつ、それで充分なものでもあります。
悲しいかな、開発者の意図とは違って、「双方向」的な享受のされかたは、日本では育ちませんでしたが。

それはともかく、本来、ブログなんちゅうものは、私の捉え得ている読者のかたが、私の骨を拾い切ってくれたら、あとにはきれいさっぱり、何も残らない。(もし他人様の骨を途中で拾ったら、それは限定的な、ブログの記事の綴り手である私という泡が存在し続けるうちは、それだけは一緒に存在し続ける・・・それとて、綴り手がいなくなれば消えるのでして、有り体に言えば、いいご供養なのだと思います。)

そうです、再び思えば、ずいぶんわがままをお許し頂いて来たし、これからも
「あたしゃ所詮アワですから!」
とわがままをしていくだけです、ゴメンナサイ。
(あ、オケの練習記録だけは、財産だと思っています・・・こいつはいつかはキチンと整理し直さなければいけません。)

ずっと前に

「アマチュアという言葉」
http://ken-hongou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/amateur_0ef7.html

というのを綴りましたが、私はどこまで行っても何をやってもアマチュアです。
ですから、アマチュアであることを、もっと楽しめなければ、と、思っております。
それには、「わがまま」の仕方も、少し方向転換しなければつまらないよな、と、秘かに企む今日この頃ですが・・・もともとアイディアが貧弱なので、代わり映えしたことはちっとも思いつかず、ちと頭打ちです。

楽しまずんばこれ如何、ですよね。

泡の出る入浴剤をたっぷり入れて、泡がたたなくなるまで、おもろくするにはどうしたらいいか、今後ともお知恵をお貸し頂ければ、この上ない幸いです。

・・・しまった、思ったより長くなっちゃった。

重ねてまたまた、ゴメンナサイ。。。 (T_T)


今週綴った記事

・ヴェルディ「運命の力」:序曲と劇の関係
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-dd0a.html
 ※ 途中から漫談になっていますがお許し下さい。

・学習? 勉強? 自主的な楽しみ?
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-ff32.html
 ※ 楽しむための必須条件を考えてみました。
   ・・・考える能力がないのに!

・間に合わせネタです・・・楽譜を買えないときに!
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-2430.html
 ※ 前から存在は知っていたものの、プロさんに
   「ここに貴重な楽譜もアップされている」
   と教えて頂くまで利用をしていなかったんです。。。
   びっくり仰天でしたので、元ネタは自分の楽しみにとっておいて、
   ただ使い方だけをご紹介するというタチの悪い記事。

・ボケられてツッコメない・・・
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-9d7e.html
 ※ 大井浩明さん「フーガの技法」CDのご紹介

・ハイドン伝(ガイリンガーによる):0
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-70de.html
 ※ 私、英語も日本語もチャンと読めていないのに、
   この先を続けていけるのでしょうか?

・4月4日練習記録(TMF)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/tmf-ee5d.html

以上

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2009年4月 4日 (土)

足踏み桜、やっと満開直前ですか。

蕾が開き始めたのはけっこう早かったのですが、そのあとが寒かったですね。
一昨日まで、ウチの近くの桜並木も
「いつになったら花が開くのだろう?」
という感じでした。

昨日陽が照って、ようやく、まってました、とばかりに、いっせいに開きました。
明日あたり、一気に満開でしょうか?

我が家、というより、私たち夫婦のの合言葉だった
「人間万事塞翁が馬」
ですが、今年の桜にも共有してもらえそうな気がして、ちょっと嬉しいのです。
そう、おとといは関東は強風で、電車のダイヤが軒並み乱れました。
もし、おとといのうちに花が相当開いてしまっていたら、今年は
「満開の桜」
なんてあり得なかったかも知れないですから。

娘が
「じゃあ、明日はお弁当をもって、あそこの公園でお花見だね」
と張り切っています。
「じゃあ、弁当はつくるのかい?」
「うーん、コンビニかなあ」
「・・・」
そのくせ、なんでだか、大量に調理用器具を買わされた今日の昼下がりでした。


今週綴った記事
・パキスタンにて(またもや私じゃありませんが)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-4314.html
 ※ 下の"Swallows"を読んで、私の大切なお友達のお一人が
   「わたしにはこんな経験が」
   と教えて下さった記録。なかなかに面白くて味わい深いです。

・メンデルスゾーン:初期の弦楽交響曲群(2)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-dbd8.html
 ※ 11作+単独楽章2つ、のうちの、7番以降を聴いてみました。

・モーツァルト:パリを去る。
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-4d90.html
 ※ タイトルに相違して、パリ滞在中のモーツァルト作品で未読だったもの

・Swallows
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/swallows.html
 ※ 昔お世話になった方が転送して下さった写真と英文です。
   小鳥に心がある、と、あなたは考えますか、考えませんか?

・わたしたちは一様ではない
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-afb6.html
 ※ 杓子定規発想はやめたいなあ、という慨嘆と反省、でしょうか・・・

・回復する力
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-d667.html
 ※ 浅田真央選手と大道芸人さんを同列に引き合いに出していますが、
   私たちもまた同列かもしれません。誰にでもある「力」ですが、
   どう出すかは、自分自身で考えなければならないのですね。

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