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2009年3月30日 (月)

転載:香川県議会、修復腎移植推進を決議

ネットのお知り合いで、腎移植推進のためにガンバっていらっしゃるかたがいらっしゃいます。
私には、なにもご支援できる力がありませんので、お許しを得て、こちらにそのかたの記事を転載可能となりましたので、お読み頂ければ幸いに存じます。
なお、たいへん恐縮ですが、本記事につきましては、コメントはお寄せ頂けなくなっております。こういう「頑張り」をなさっている方がいらっしゃる、というご紹介が趣旨ですので、何卒ご了承下さいませ。



表題の件で、先日、山陽新聞に出た陳情予定の記事を日記 に書きましたが、
今日は、徳洲新聞(09年3/30)NO.665に出ましたので、貼ります。

【香川県議会、修復腎移植推進を決議】

 香川県議会は、3月19日、修復腎移植について臨床研究の積極的な推進などを国に求める意見書を採択した。地方議会の決議としては初めてのこと。

 香川労災病院(香川県丸亀市)は、腎がん、尿管がんの腎臓摘出4件を実施しており、同院の調査委員会は「摘出は妥当だった」と結論づけている。この腎臓の提供を受け移植を行った患者さんは全員、元気で生活を続けている。

 同院の西光雄医師は、昨年10月に県議会議員の勉強会に出席。「生存率、生着率とも死体腎移植に劣らない」とその有用性を訴え、「移植への理解を求める会」(向田陽二代表)の香川支部(長谷川博支部長)も今年2月、県議会に対し修復腎移植推進を陳情している。

 今回の決議はこうした動きを受けたもの。向田代表は「とにかく多くの人たちに修復腎移植の本当の情報を知っていただくことが重要。当初、悪い情報だけが流されてしまい、元に戻すのが本当に大変だった。今後もさまざまなところでこの問題を取り上げていただきたい」とコメント、愛媛県議会にも同様の働きかけをする可能性もあるとしている。
http://www.tokushukai.jp/media/rt/665.html

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《雑感》
★ 病腎移植を、國が禁止したのは、妥当だったのか。
 問題は、先ず、そこから考えてみましょう。

西光雄先生の場合、こう↓なっています。
> 香川労災病院は、腎がん、尿管がんの腎臓摘出4件を実施しており、同院の
> 調査委員会は「摘出は妥当だった」と結論づけている。この腎臓の提供を
> 受け移植を行った患者さんは全員、元気で生活を続けている

 
光畑先生も西先生も、処罰は有りませんでした。
万波先生の方は、保険事務所が容認しておいてXと主張、宙に浮いた儘です。
これで、全國の医師に対し、病腎移植を禁止すべきだったのでしょうか。

 禁止は、また新たな問題をはらんでいます。その禁止で、生体腎移植をする
ドナーの腎臓に癌が見つかった場合、それも使わせないということになります。

 ICも手順も全て正常に行なわれ、あと、癌を切除して植えるだけなのに、
捨てさせるのです。家族のレシピエントがリスクも受けると言っても、です。

 捨てなければ、医師は5年間の保険医停止、病院も保険医指定を取消され
これでは病院経営は成り立たず、周辺の住民は路頭に迷います。

 これほど人権を無視したことが、國の病腎移植禁止でもあるのです。
日本移植学会は《病腎移植の全てに妥当性がない》とする調査書を出し、それを
丸ごと受けて厚労省は禁止。臨床研究はOKと言い乍らする気配もありません。

 香川労災病院の西光雄医師は、昨年10月、県議会議員の勉強会で「生存率
生着率とも死体腎移植に劣らない」とその有用性を訴え、「移植への理解を
求める会」香川支部も今年2月、県議会に修復腎移植推進を陳情しています。

 これでも、厚労省が全国の医師に禁止命令を出す腎移植でしょうか。
生体腎移植で、担癌腎の移植を断られ、捨てられた腎臓は取り戻せません。
厚労省は裁判になり敗訴した場合、どうやって弁償するのでしょう。禁止を
決めた人達が腎臓を提供しても、それくらいで追いつくでしょうか。

病腎移植の問題は、大雑把に言えば二つです。
一つは、ICの有無など様々な不備。後一つは、担癌臓器移植の是非です。

不備は正せば済むことで、國が全国に禁止するものではないでしょう。
問題は、担癌臓器移植の是非ですが、成功例が国外で次々報告されています。

徳洲会が臨床研究をするそうですが、データが出る度、ポコポコ叩かれる
可能性もあり、それでは、いつまで経っても透析患者は救われません。

臨床研修に委ねるべきと言うなら、何処までどんなデータを出したらいいのか
厚労省や日本移植学会は、その指標を示すべきではないでしょうか。

今の日本では、亡くなられた方からの献体が激増する状況にはないようです。
透析患者は、毎年平均一万人増え続けています。保険財政はどうなるでしょう。

昨年、國は、献腎を増やすと称し、生体腎移植の報酬を一挙に47%削減しま
した。一年で献じんはどれだけ増えたのでしょう。透析では移植より余命が
平均半分と言われ、待ったナシです。禁止した國に打つ手は有るのでしょうか。

★ 病腎移植を、國が禁止したのは、妥当だったのか。
 生体腎移植で担癌腎の場合、ドナーの腎臓を捨てさせ、見殺しにするのか。
身内にドナーがゴロゴロいる訳ではない。掛け替えのないドナーです。
問題は、その答えを問うところからも考えるべきでしょう。

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2009年3月28日 (土)

今週の雑談:春告げ花火

昨日の金曜日(3月17日)から明日の日曜日までは寒波が勢いを盛り返しているそうで、咲きかけた桜も足を止めて様子見をしています。
それでも、数時間は陽の照った今日、うちの前の、桜に囲まれたテニスコートでは、近所の皆さんがお花見をしていました。五分咲き程度には花も開いていますし、この時間だけは少し暖かかったのです。

夜になったら、ベランダの向こうでなにやらバンバン音がします。
息子が出てみて、
「あ、花火だ!」
と大声を上げました。
隣の市あたりのどこかの、たぶんささやかな川沿いでしょう、小玉程度ではありますが、花火を連発で上げていました。

あえて病休を2週間とってみて、復帰してからも2週間経ちました。
出掛けているあいだは予想していたほどひどくは気鬱にも悩まされず、無事に勤めおおせて、安堵したこの夕方から、また少し気分が沈みかけた矢先でしたので、
「ほら、大丈夫だよ、春がもう来たんだから!」
威勢はいいけれど、花火はこっちにむかって優しく楽しく声をかけてくれているのかな、と思ったら、嬉しくなりまして、しばし見とれていた次第です。

暖かいあしたが、どなたの上にも訪れてくれますように!

今週綴った記事
・曲解音楽史57)大衆バロック? イギリス
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/57-4d9c.html

・ベートーヴェン、命日。
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-c89d.html

・「心」までは買えない
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-87a8.html
 ※ ご紹介頂いたベートーヴェン関連書籍を手にしての感慨です。

・スウィトナー「オランダ人」リハーサル
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-5fbb.html
 ※ 日本人には馴染みの深かったこの名指揮者の現在をご存知ですか?

・「ソナタ形式」って何?:聴き手のための楽典006
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/006-e6bd.html

・3月23日
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-9329.html
 ※ 家内の誕生日でした。

・大井浩明 "Beethoven Sonatas for Fortepiano V"
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/beethoven-sonat.html
 ※ 京都在住の「フォルテピアノ」演奏家。レパートリーも広いですが
   演奏が素晴らしいので、興味のわいた方です。

・「チェンジリング」:私は誰とたたかうのか?
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/movies/2009/03/post-09e2.html
 ※ 映画の方も久々に記事を綴りました。先月、娘と見に行ったものです。

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2009年3月21日 (土)

歳をとらない誕生日

心臓移植への応援の願いサイト「大樹君を救う会」
http://savedm.web.fc2.com/
・・・是非、お目通し下さい。



齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。

書籍「金沢城のヒキガエル」、記事をお読みになってお気が向くようでしたら、どうぞご一読下さい。

「生誕○年」・「没後○年」で回想される人々は、作家か音楽家、というのが圧倒的に多い気がします。
私の唯一の趣味であるクラシック音楽では、今年は有名どころではメンデルスゾーンの生誕200年、ハイドンの没後200年、ヘンデルの没後250年、といったところです。

文学やポピュラー系音楽でこうした記念年を迎える人物は、調べていないので分かりません。それぞれをお好きな方には、でも、こちらの方が、ご自身の思い出と密接に関わっている小説や詩や歌を身近に懐かしむことができているかもしれません。それが、懐かしんだり祝ったりすることにおいては、より自然なことでもあると思われます。

クラシック音楽系は、ちょっと特異で、常識はずれかもしれません。
200年以上も前に生まれたり死んだりした人を懐かしむ理由なんて、私たちには全くありません。人間の一世代が30年(人生を60年と見て、25歳くらいから55歳くらいまでが活躍の盛期である、と仮定します)とすると、200年前に生まれた人の活躍期は、祖父の父親の祖父、くらいの関係で、こう綴っただけで、普通のお宅ならば「ありゃ、なんだか実感ねえや、顔も逸話も残ってないしな」というくらい、遠い存在になってしまいます。

では、何のために「生誕○年・没後○年」を云々するのか、となると、これは(下衆の勘ぐりに当たるようなことは、わざと無視をして述べますが)、名前の知れたそういう人たち、その音楽を通じて、その当時の人の営みの中に私たち自身をも時間を超えさせ得る「タイムマシン」に乗せてもらえる、そんな遊園地に楽しみに行った気分にさせてもらえるからだと思います。
世代が遠ければ遠いほど、実生活とはかけ離れるので良さそうに考えてしまいますが、あまりに遠いと「タイムマシン」から何となく降り損ねてしまう。・・・どうしてか、というと、あまり古い時代にさかのぼってしまわれると、今度は、降りたとしても、その時代が遡れば遡るほど、当時の人と私たちとは直接にお話をするのが大変難しくなるからでしょう。日本の例でも、たかだか200年前の江戸時代の人たちを前にして会話しようと思ったら、まず江戸弁が通じる範囲、あるいは西鶴や近松から推測できるその頃の大阪弁をばっちり身につけたとしても、もし薩摩(鹿児島)や津軽なんかで降ろされちゃったら、たぶん外国人同士が顔を合わせたみたいになって、へたに言葉を交わしたりしてしまったら、
「あやつは夷狄(野蛮人)じゃ!」
だなんてことになって、斬り殺されかねないかも知れないですから。

・・・まあ、それでも少なくとも江戸時代は江戸言葉はある程度は浸透していたでしょうから、タイムマシンで行けるのはこのあたりまでが限度かな、という感じなのでしょう。
クラシック音楽で一般に親しまれる音楽も(相当に凝り性の人でなければ)200年から300年前あたりまでのものが限度で、そこから先になると、ちかごろではだいぶ身近になったモンテヴェルディやパレストリーナあたりまでがなんとかすんなり耳に入る、というところで(これでもまだ日本の「関ヶ原の合戦」頃です)、鎌倉時代に相当する頃の音楽となると、世界が全く違うため、「親しむ」のはなかなか難しいことではなかろうかと、私などは感じます。

先ほどの「一世代30年」という尺度をもとにしてみた時、人間が全世界的に「歴史」なるものを記し始めた時(西暦1000年頃に出揃います)から数えても、私たちはせいぜい30世代を経たに過ぎず、最も古く歴史を記した特定の地域の人間からみても150世代、ホモサピエンスの営みが始まったのが100万年程度前だとしても、3万世代という、思いのほか浅い積み重ねを経て来たに過ぎません。
ところが、私たちの記憶力というと、寿命の関係からいってもせいぜい、「歴史」の出揃った時期の10分の1未満、人間始まって以来の1万分の1、という、まことにわずかな「実感」以上には持ち得ないのでして、そこから先をなんとなく推測できるとして、明瞭な記憶時間はせいぜい倍に延びるのがいいところなわけです。

・・・なんと、ちっこくてわずかであることか!

それでも、その実感のわかない世界に思いを馳せることは、楽しい。実感がわかなければわかないほど、楽しい。



「祖父の父の祖父」あたりまでは会話できるとして、そこではやや、楽しさは「無条件」とはいかなくなります。
この時期の歴史的人物については往々にして感情の交じった議論が・・・ときには大きな喧嘩にまで発展するようなものが・・・生まれてくるのは、漠然とでも、まだ会話が可能である「祖父の父の祖父」の人生の輪郭には、私たちは思い入れ無しに接することが出来ないからかもしれません。

それでも、時の経った、直接出会ったことの無い「ご先祖様」に対しては、「感情まじり」で接することはあっても、そこに「感傷」までは混じることは無いでしょう。「ご先祖様」は、私たちの心の中で歳をとらないままであることが、私たちにとってはごく自然に「当然」なことなのですから。

それが、祖父母、父母、友人、我が子、伴侶、と身近になればなるほど、私たちは今度は感傷無しには接し得ないようになって行きます。
何故なら、この人たちはまぎれも無く、「私」と同じ時代を、(それが今のようにネットを通じての接触だけである相手の場合であっても)共に「生きていた・生きている」のであって、祖父母が連れて行ってくれた遊園地、父母を拝み倒して買わせた品々、また自分が親となってつい甘い顔をして与えた品々、友と共有した趣味や利害を争った仕事、くじけた時に黙って差し伸べてくれた伴侶の手、という「もの・てざわり」を通した実感として、いつもありありと私たちの心に浮かんでくる人々であるからにほかなりません。

それが、いつまでも、いや、そう欲張らず、せめて「私」の目の黒いうちは存在し続けてくれるのなら、いい。
ですが、それぞれのいのちは、それぞれに与えられたものであって、そこには生活の上でいくら深い繋がりを求め、強い絆が生まれたとしても、いのちそのものまでを結び合うことは、自然の法則が許さない。



いつの日にか、私たちは、誰もが「歳をとらない誕生日」を迎え、だんだんに、遠いご先祖様の、顔も思い浮かべられない「その他大勢」の中に組み込まれて行くのです。いま有名な「過去の人物」でも、おなじことはやがて避けられなくなる日が来るのです。

明後日3月23日は、私の家内が、3回目の「歳をとらない誕生日」を迎えます。
そして、その5ヶ月後に、
「ああ、50歳になんか、絶対なりたくない!」
と始終口にしていた家内は永遠にならずに済んだ、その年齢になる誕生日を、私が迎えます。

・・・かあちゃん、あんたは、幸せなヤツだよなあ。



今週綴った記事(昨日まで)
・「モーツァルト・レクイエムの悲劇」:書籍紹介
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-b58b.html
 ※ 日本での翻訳は2年前の出版ですが、肩が凝らずに読めます。


・ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」:好きな曲025
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/025-3ca9.html
 ※ 自作自演の演奏で第1楽章をお聴き頂けます。


・金沢城のヒキガエル
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-2b0c.html
 ※ 読んで「ヒキガエルになりたい」と思って下さったら嬉しい本。
   最近読んだ本の中では、もっとも素晴らしいものでした。


・「響き」で大切なこと(オーケストラの場合)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-8cfb.html
 ※ 長〜い屁理屈ですから、ご興味があれば。


・モーツァルト:「パリ」交響曲 (K.297【300a】)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-9b0f.html
 ※ いろいろ研究されている作品で、私には太刀打ちできないのですが・・・
   これからも補足を綴ることになると思います。


・3月15日練習記録(TMF)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/15tmf-5651.html


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2009年3月14日 (土)

職場復帰一週間

本14日は、体調及び準備不十分で、新規記事の掲載は諦めました。
・・・今日は午前中も夕方からも、ちょっと寝込んでしまいましたし。

前夜から午前中にかけて凄い風が吹いていましたね。
息子は、土曜日ではありましたが、卒業式の日でもあり、朝から学校の卒業生を見送るために登校しました。
息子達、下級生はほんのちょっとの登校で帰って来たのでまだいいのですが、今日卒業式を迎えたお子さんたち、ご父兄のかた、先生方は、さぞや大変なことだったろう、と、お察し申し上げます。
一方で、こんな嵐の中での卒業式は、必ず強く心に残って、卒業したお子さんたちには一生の思い出になる。
そう思うと、嵐の中の記念行事も、悪いことではないのかもしれません。

2週間休職をしていまして、月曜日から新たな気持ちでの出社、のつもりでしたが、サラリーマン社会の中への回帰はさほど新たな刺激もないだけでなく、病休明けで行ってみたら、事前にその仕事をやるために休み初めの日も終える日も決めていたのに、上司からひとこと、
「ああ、あれ、僕なりにやってしまったから。・・・で、マニュアル作ってくれるかなあ、別の人に引き継ぐから」
・・・と、ご本人は私の負担を軽減するつもりからだったのでしょうが(休む前に、いざという時に備えて仕事の手順などはこの上司に一通り説明しておいたのです。ただ、あくまで、もし予定通りに復帰できなかったら、というときのためだ、という前提を「共通理解」したうえで、の説明のはずでした。実際、内容は結構負荷のかかるものではあります)、その宣告から初日が始まるという、ガッカリモンのスタートでした。
私にとっては唯一、出先で行なう業務でもありましたので、職場に縛られる日々の中で、ある意味で貴重な息抜きでもあったのですが・・・

余計な思いやりは、こんな具合に、いっぱいしてもらえるものなんですよね。
肝心の、理解して欲しいことは理解されることは無い。

裏返せば、自分が人を見る目も、たぶんそんなふう。
人を思いやる、といったって、たぶん、ずれてる。

いい教訓を得た、と思いながら、これから残り10年間のサラリーマン生活をおくろうと思います。

とにかく、無我夢中で、
「手があいてしまったらどうやってごまかそうか?」
を考え続けて職場に通った一週間でしたが、ひとつ、涙が出るほど嬉しかったのは、隣の職場の友人が、私だけでなく、子供達のためにも、特別なお守りをわざわざ用意して、手渡してくれたことです。

温かい心に触れられる一瞬ほど、何もかも忘れられる至福のときはありませんね。

・・・あまりに何もかも忘れ過ぎていて、しまった、朝にやった洗濯物を、まだ干していない!


この1週間の記事
・ヘンデル:「王宮の花火の音楽」のスコアを読む
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-066c.html
 ※ オーケストラをやる上でスコアを読むことのむずかしさ

・フォーレ「シシリエンヌ」:好きな曲024
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/024-15eb.html
 ※ 家族の思い出話付きでございます

・メンデルスゾーン:初期の弦楽交響曲群(1)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-03a3.html
 ※ メンデルスゾーンを単純に「ロマン派前期」作曲家とみてしまうのは
   この作品群をよく味わうことで、視点を変えなければなりません。
   彼はウィーン古典派からではなく、「前古典派」とこんにち呼ばれる
   プロイセン系の音楽をストレートに受け継いでいます。

・3月8日練習記録(TMF)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/tmf-a6fa.html
 ※ 参考に、演奏姿の3例を動画をリンクしました。
   力んだ演奏とそうでない演奏を見分けるには、管・弦を問わず、
   奏者の肩と口元をご覧下さい。
   この部分の力みが音に反映しているのをご理解頂ければ
   ありがたく存じます。

・ルネサンス仮説の見直し:曲解音楽史番外
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-c3af.html

・齋藤友美賀 ヴァイオリンリサイタル
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-b5cc.html

・曲解音楽史56)ドイツ圏での音楽ジャンル規定
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/56-653d.html

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2009年3月 6日 (金)

スキーに行って来ました

実は、2週間、休職していました。2月13日にちょっと記したことですが、その後のカウンセラーさんの判断が
「少し休んで、寝るべきです」
というものだったからです。
いちばん状態の悪かったときからみると、体が勤務に堪えるだけの状態に戻ったとの確信を深めていく一方、心が体の回復についていっておりませんでした。

毎日、朝夕は子供達のことと、不器用で万全とはいかない家事とで頭がいっぱいでしたし(それでいてよく、こうも毎日こんな駄文はブログに綴り続けていられるんだから、いい加減なものですが)、その分、職場に行くと、突然、それまで集中していた作業などの手が止まり、何も考えられなくなる、という状態に悩み続けていました。悩み、というより、「どうしても手につかない」ということへの恐怖心が慢性化して、自分の手を止めてしまっていたのかもしれません。

そのぶん、ほんとは、ブログも休み休み綴ればよかったのかも知れない。今後は少し、それも考えます。
いままでは、自分の気持ちのアースをどこかに作らないと、どうしても不安だったのかもしれません。
そうすると、今はもう、家内の三回忌も終えて気が抜けている分、結局のところ、記事の中身にも、どこかに体と不整合になった心のほころびが入り込んでしまって、とても「純真な」内容にはならない。どこか、自分の狙いたいもの、アマチュアとして貫きたい(純粋とまではいかなくとも、なるべく混じりけのない)精神から、ズレていくんですね。

先週お知らせした通り、2月28日から3月1日は子供達と泊まりがけでスキーに行きましたので、これが良い転機になったかな、と思っております。

仕事のことも、それ以外の義務も、忘れさせてもらって、ただし、カウンセラーの先生の言うことは聞かずに、遠出こそさほどしなかったものの、なるべく外出したり、子供達と話せる時間があればそれを大切にして過ごしているうちに、これもこれまで悩まされていた、(恥ずかしながら)時々起こしてしまうヒステリーから、やっと開放された気がします。

勤務の方は、おかげさまで、月曜日から無事復帰が決まりました。
今度休んだことで、パニック気味だった自分がリセットできたと信じて、日々なんとか勤めおおせるように・・・まずは呑気に構えるよう心がけていきたいと存じます。


※ 今週は、上記の通り休職、かつ期間中に子供達と泊まりがけでスキーに行ったりしていたので、記事は4つだけです。

・曲解音楽史:総合リスト
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-1afd.html
 ※ 今日乗せようと思っていた記事の下書きが間に合わなかったし
   音楽史関係のインデックスは作っておきたかったので、
   ここにまとめました。

・プラトーン『国家』:(古代ギリシアの音楽観2)曲解音楽史番外
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-8378.html
 ※ 古代ギリシアの「楽典」が、この本から垣間見出来るのは
   ご存知でしたか?

・3月1日練習記録(TMF)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/tmf-5baf.html
 ※ 参加できませんでしたので、送って頂けました。感謝しております。

・『オーケストラを聞く人へ』近衛秀麿著(書籍紹介)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-8e53.html
 ※ 中学時代にボロボロになるまで読んだ本を、娘に読ませたくて
   古書で入手しました。
   まず自分が夢中で読みふけってしまいました。

今週は、以上です。

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