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2009年2月28日 (土)

最悪の「権力」は自分の内に存在する

明日明後日、娘と息子と3人で、スキーに行って来ます。
(ですので、新ブログの方にもこの2日間は新しい記事は綴りません。)
TMFのかたには毎度申し訳ありませんが、練習はお休みさせて頂きます。

スキーの宿は、家内の生前、4人で泊ったところにしました。
小さかったけれど、あったかい感じがしたのを覚えていて、確認したら空いていたので、救われた気がしました。

明日明後日という予定にしたのは、ちょうど高校受験期で、娘の学校も受験生に乗っ取られますので、昨日から月曜日まで休みだからです。

で、いま、まだ、明日出掛けるための準備をみんなで「呑気に」やっているところです。

前に行った時にゴーグルやグローヴは買ったはずだ、でもカアチャンが死んだあと、どこにしまったっけな、ということで、手分けして探したら、息子が見つけて来ました。中に、家内の使っていたグローヴとゴーグル(これはスキー場で買ったのでみんなお揃いです)と帽子も入っていました。
で、これを、私のリュックの底に入れて、いっしょに連れて行くことにしました。

スキーのこととは話が変わりますが、休み中の娘が、映画を見たいと言い出したので、今日は「映画好き」の息子の方と、ではなく(息子は普通に学校に行きましたし)、娘と二人で映画を見に行きました。

「チェンジリング」という、クリント・イーストウッドが監督した映画です。

ご存知のかたも多いようですが、私は娘が行きたいと言うまで知りませんでした。
1928年にロサンジェルスで起こった史実を元にした作品だそうですね。
で、その内容が、行方不明になった子供の捜索願いを出したシングルマザーの元に、「見つかった」と警察がつれて来た子供が全くの別人だった、にもかかわらず、その旨を警察にいくら言っても取り合ってもらえず、しまいにはこの母親は警察の勝手な措置で精神病院に入れられてしまう・・・という、ちょっと恐ろしい内容です。この映画の主人公も、私も、片親ですので。
ですから、初め、私はためらって
「別の映画にしないか?」
と娘に持ちかけたのですが、すぐに考えを変えて、やっぱりこの映画を見る決心をして出掛けてきました。

史実の通りでは「物語」になりませんので、もちろん創作という手段でエピソードが繋がれているのですが、こんなに自然な繋がりで、しかも事件の重大さにも関わらず場面の転換を淡々としていくだけというシンプルな脚本が、脚本の特徴をそのまま活かした非常に素晴らしい映画を生み出したのには、初めてお目にかかりましたし、だからこそ感動もひとしおでした。
映画の方もブログを設けているので、今日はこの映画のことを綴っておこうか、とも思ったのですが、映画のことを綴るのは、不慣れでもあるためでしょうけれど、非常に難しいですね。で、他日を期すことにしました。

作品のこの先の展開をご紹介出来ないのは残念ですが、是非(出来れば映画館のスクリーンで)ご覧になり、かつ予算がお許しになるのでしたらパンフレットをお買い求め下さい。
とある映画監督以外の感想以外には読むべきことがあります。

それらに共通するのは
「この映画は、不健全な公権力と戦って勝利を収めたひとりの女性の、精神の強さを描いた作品だ」
というスタンスであり、これは映画を素直に見ればもちろん正しいのですが、ほんとうはこの映画はそんな言葉では尽くせない深さを持っている、ということは、(一監督を除けば)エッセイを寄せた誰もが知っているのです。

そこには、いくつかの重要なメッセージがありました。
・「こっちのほうが正しい」と主張するだけでは勝てない「悪」がある。
・それは、必ずしも、「悪」が大きな存在であるということを意味しない。
・ただし、「権力」への執着が「悪」を生み出すという点では、「権力」の大小に関わらない問題である
そこから導き出される「モラル」は、この映画の範囲外のことではあるのですが、
・最悪の「権力」は、油断すればいつでも、まず自分の内に芽吹き、自分自身を支配する
ということでもあります。

(私も含め)自分以外の人にたいしてだけ、「権力による悪」を批判しがちな日常をおくりがちですけれど、この映画の中で、主人公の母親が(それは彼女自身にとっては一番幸せな結果を持って来てくれたものではありませんでしたが)「権力」に執着する市当局や警察に対して、ただ無心に「私は、私の本当の子供がどこにいるか知りたいだけなの」と繰り返すことで周りの人々の力を彼女の元に吸い寄せ、「周りの人たちのための」勝利を獲得した姿には、たとえどんな小さなものでも、「地位」だとか「名誉」だとか「権威」を獲得しようと欲を出したとたんフイになるであろう、素直であるときの人間本来の力というものが、いかに大きくて代え難いものであるかを教えられた気がします。


今週綴った記事
・モーツァルト:イ短調ピアノソナタ冒頭の響き(平均率でも中全律でも)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-fef5.html
 ※ 次記事に含めたかったことをも述べています。


・2月8日練習記録(TMF)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/tmf-a645.html


・オーケストラの規模(メモ)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-e2c0.html
 ※ 19世紀を中心にオーケストラ規模の変遷を数字にしました。


・2月21日練習記録(TMF)
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/tmf-bad2.html

以上でした。

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