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2008年11月16日 (日)

見当たらない「なぜ勉強するか」の基本を綴った書籍:最近の記事

昨晩は、「アジアオストミー協会」のお招きでの演奏に参加して深夜帰宅、今日はオケのパート練習で自分が当番でしたので、フツウは出掛けない夜の練習に行って来て先ほど帰宅、と、夜11時過ぎ(昨日は午前様)に帰る、ということを、家内の死後初めて、しかも2日連続で体験しました。その間のことは娘と息子の二人でやりくりしてくれていました。食事の支度もお風呂も、自分たちで済ませている。2年の歳月はまだそれほど長いものではないのに、子供たちは確実に、あっという間に、生活力を付けて来て暮れているのですね。ホンネで、驚きもし、感激もしました。
ただ、勉強は、親の目がないとサボりますしね。お役目はまだ終わりというわけには行きませんね。学校のテストの方は姉も弟も散々な結果でした。アタマが痛いところです。
少なくとも、息子は夏休みに宿題をサボったツケで1週間さんざん苦労した甲斐があって、家庭学習の習慣だけは付いたのですが・・・

今回は
「点数は問わない、この前は答案用紙を半分しか埋められなかったんだから、分からないところはとばしてでも答案用紙の最後まで一旦たどりついて、分からないところはあとからやれ」
というミッションを与えたら、それは果たしてくれました・・・が、点数は下がっちゃってました。

先生との三者面談で、
「まあ、しかし、父との約束は果たしたので今回は親としては<合格>と見てやります」
と見えは切って来ましたが。次の目標は各科目点数20点アップ。・・・まあ、無理だろな。

娘は一夜漬けが多いからなあ。数学の「基本」を楽しく書いてある本をやっとの思いで見つけて買い帰りましたら、こっちはこっちで目を輝かして
「読む!」
と私の手から本をもぎ取って言ってはくれました。・・・効果があるかどうかは、定かではありません。

いえ、点数のことは、最終的には子供たちそれぞれの「点数をとる能力はここまでだ」と見極めがつきさえすれば、それはそれでいいのです。

一番の問題は、この子たちがもし
「でもさあ、どうして勉強なんかしなくちゃいけないの?」
と問いかけて来た時に、どう答えてやるか、なのです。

科目それぞれの意義はそれぞれの特徴から、実生活のこういうことに役立つのだ、という説明は簡単に出来ます。
ところが、科目の境目を超えて、あるいは目先の<実用・実利>を超えて「勉強」の必要性・重要性を伝える、となると、これは一転して、なかなかに難しいことになります。

科目が「国語」であれ「英語」であれ「数学」であれ、他のどの科目であれ、それを貫く「人間の積み重ねて来た知恵」の結晶です。そして本来、知恵としては源はひとつでもあります。科目に別れているのは便宜的な理由からに過ぎません。

では、ある科目とある科目はどんな理由から別れているのか。

それをどのように説明したら、その大切さをきちんと伝えてやれるでしょう?

たとえば
「国語は日本の、英語はイギリスやアメリカの言葉で、それぞれの違いが分かると人間のものの考え方が国や地域によっては違うんだ、ってことも感じられるようになる」
と話したところで、全てを伝えられたことにはならない。英語には、現代では便宜上世界の共通語の役割もある、ということや、じゃあ何故そうなってしまったのか、については抜け落ちています。それを埋めたとして、さらに、なんで住む地域が違ったら言葉が全然違ったものになってしまったのか、使われる文字もどうして違うのか、文字だけでも統一したらいいのではないか・・・いや、統一してしまうと不便なことも増えるのだ、と、問題は限りないものになります。

さらには
「数学は言語を超えても数や形の関係が変わらない<言葉>なんだ」
という言い方をしてしまったら最後、数学だけ勉強すれば世界共通のコミュニケーションが出来てしまうような錯覚を子供に持たせてしまうままになってしまう。たしかに、ユークリッドの公理に従うことのみを万国共通の原則にしてしまえばユークリッド幾何学の閉じた世界だけは成立しますが、非ユ−クリッド幾何学の世界は別のもの、ということになってしまう。公理系を変えれば違う数学の世界がある、すなわち、数学だって単独の言葉ではない、ということまでを子供たちに伝えられない。かつ、数学には含み得ない「言葉の表現」というものも豊かにあるんだよ、ということを理解させるのが、大変になってしまう。

人間が「考える」おおもとにある論理の世界にしても、多様なものです。しかも、論理で証明できる「正しさ」は、必ずしも、「正しい」と証明したいことがらの正しさを保証するものではない(この辺は私ごときの理解力ではうまく説明できませんが、議論がデタラメでも論理的には正しい、ということはありえる。論理学は検証の仕方が正しいかどうかについてしか扱わないので、これはほんとうに「正しい」のかどうか、については論理学以外の範疇からアプローチしなければなりません)などということもあります。

裏返せば、人間の知恵の積み重ねと言うのは一筋縄ではいかない。
「科目」は、本来ひとつながりの「人間の知恵」を、誰もが理解しやすいように、似たもの同士をまとめたのだから、どれも同じ重さで大事なんだ、ということくらいまでしかいえない。

せめて、そこまででいいから、「勉強はなぜ大切か」をまとめて書いてくれている本はないかなあ、と、ずいぶん一生懸命さがしましたが、いまのところ全く見つけられずにいます。

人間にとっての「キホンのキ」の本が、実は、世の中には存在しない。

そのことに驚かされましたが、こうやって考えてみると、無理もないのかな、と思ってしまいます。

でも、やっぱり、だれか書いてくれないかなあ。名前が売れている人が、そんな本を、中身はお願いだからまっとうに、余計な話は交えず、出してくれないかしら。

長くなりました。すみません。


今週綴った記事(昨日になってしまった今日までを含む、日付逆順)
※「好きな曲」という副題のものは全部、音楽そのものを聴いて頂けます。
※今週は、このカテゴリの記事ばかりになってしまっています。明日もかな。
 1記事の曲が5分程度ですから、9曲で45分・・・
まとめ読み(いや、文は読まないで頂いても結構です、まとめ聴き)するには
こちら・・・
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/cat20780550/index.html

・「アルルの女」第1組曲から<カリオン>(ビゼー):好きな曲009
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/009-386e.html

・吹奏楽のための組曲第1番から「シャコンヌ」(ホルスト):好きな曲008
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/008-f69f.html

・プロメテウスの創造物(ベートーヴェン):好きな曲007
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/007-f85e.html

・スラヴ舞曲第10番(ドヴォルジャーク):好きな曲006
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/10006-574d.html

・菩提樹(シューベルト):好きな曲005
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/005-ec93.html

・トロイメライ(シューマン):好きな曲004
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/004-f191.html

・「わたしの苦悩は誰もしらない」(黒人霊歌):好きな曲003
 http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/003-eb3c.html


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