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2008年6月23日 (月)

「愛」ということば:定期演奏会反省のために

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先に。
往年の名ホルン奏者、千葉馨さんの訃報に接しました。21日ご逝去の由。関連記事が過去JIROさんのブログに記載されていました。取り急ぎリンクしておきます。


ずれた角度から始めますが・・・わざと、です。

日本語での「愛」には、西洋的なものと比べたときだけでなく、大陸部アジアの同義語(どんなものがそれに当たるかまでは実は知らないのですが)との間でも、その意味に邪魔者が入り込んでいる気がします。

角川必携国語辞典(初版)にある意味づけを列挙しますと、字の説明そのものに、こうあります。
1)(前半略)胸がいっぱいになるほど切ない、好きだ、大事にしたいと思う気持ち
2)おしむ
3)神仏のめぐみ

小学館新選漢和辞典(第五版)では、また違います。
1)いつくしむ。かわいがる。このむ。
2)異性をしたう
3)<め・でる(と読んで)>1)に同じ
4)惜しがる「-・惜」
5)かわいらしい。あいらしい。

では、ヨーロッパ語の殆どの祖先であるラテン語ではどうか? 研究社羅和辞典"amo"の項。
1)愛する、好む、気に入る/うぬぼれる、自ら満足する、利己的である
2)(ある者を)愛している、恋愛している(alqm)
3)好んでする、常にすることになっている
4は省略(熟語の説明であるため)
5)(ある事についてある人に)恩義を感じる、おかげを蒙る
名詞としての"amor"は、どうでしょうか?
1)愛(・・・そのまんまかよ!<--あ、これは辞書には書いていません、念のため。)
2)恋愛関係
3)愛の対象、愛人
4)情、欲望、色情
5)恋愛の神
6)(5の複数形)

注意しなければならないのは、漢和辞典は中国語の辞典ではないことで、とくに「惜しむ」という意味を「愛」の一字に込めてしまうことは、おそらくは中国語にはないという点です(チャンと辞典を引かなければ!)。
すると、この「惜しむ」という意味が「愛」にくっついているかどうか、というところが、日本語固有らしく、漢字本来の意味もヨーロッパの言葉でも、「愛」に込められた意味が、もっとストレート(直裁)であるのは大変に面白い。


漢訳仏典(要は「お経」)では「愛」は妄執を代表するものとし、悟りに至るためには人間がその思いから解き放たれなければならないものの最大の一つとされています。・・・その仏教の教えが色濃く染み付いた平安後期以降、昭和20年代に至るまで、日本では「恋愛結婚」というものは実質上例外的なものと見なされて来ましたし、そこへ儒教の価値観が重なって、江戸期には「夫を失った妻は再婚をしたら白眼視される」なんてこともありました。
これはカトリック世界のヨーロッパでも同様で、教義の基本が再婚禁止であるため、特に女性に不利だったのですが、寡婦が再婚を認められるのは特権階級に限られていました。・・・ただし、そこでは日本仏教と異なり、「愛」と離れることの強要からではなく、「神の愛」を受けることにに専心しなさい、というものだった点に違いがあります。
でも、以下に見るように、元来の意味付けがこれほどの差を持っていても、実際に人の行為となると、実行に移す過程がどのように人の目に映るかが非常に似てくる。・・・ここが、肝です。


私は妻と死別しましたが、それでよく聞かれるのは
「奥様を、いつまでも愛していらっしゃるのでしょう?」
という言葉です。答えは、
「はい、愛しています。もちろんですとも!」
です。
お聞きになって下さった相手は、
「じゃあ、この人は死ぬまで奥様に<執着>するのだろう」
と期待します。
ところが、こんなに美男の(!・・・ウソ。もう白髪が目だちはじめたデブオヤジです)、私なんぞに惚れてくれる相手に運良く再び巡り会って、仮に周りの期待を裏切って、私が再婚出来てしまったとしましょう・・・残念ながらモテないうえに、一番手と金のかかる時期の子持ちですので、どうも期待ははずれっぱなしで終わりそうで・・・実際の、ではなくて映像に現れるチャップリンを地で生きているようなていたらくですが・・・。
すると、私はきっと「不貞」の輩と見なされ、死後の行き先は<地獄>でしかなくなる。
亡妻とのあいだに子供たちだっていますから、結婚した結果、子供たちが気まずい思いをしてしまうようだったら、なおさらです。
地獄の中でも最大の罪人が堕ちるべき地獄へ堕ちることは必定です。いや、生きているあいだから、親族姻族から総スカン、という地獄に堕ちるのでしょう。

日本仏教とカトリックとの違いを前提にすれば、それは日本的には「惜しむ」愛を持たない軽率さからですし、ヨーロッパ的には「神の愛よりも、正しい信仰が生まれる以前の、第1義的な、自足と自惚れの<愛>を優先させたからだ」ということになります。

現代でも、(要領のよろしい方は例外ですが)、まあ、「愛」という価値観は、こんなものです。
「愛」の対象は、単数でなければならない。。。
(これ以上、とりあえず余計なことは言わんでおこうっと。)


さて、昨日の定期演奏会です。
ここからは、「私たち」という、複数形で考えましょう。

私たちは、どのように音楽を「愛して」、昨日の演奏会を迎えたか?

プログラムを拝読しましたが、代表挨拶・指揮者紹介は内容が一新され、記述内容が素晴らしい変貌を遂げました。
代表者「ごあいさつ」から、すみませんが、抜粋させて頂きます。

日々の練習の中でメンバーを充実させ、アンサンブルを楽しみ、納得したプロセスを経て(下線は私が引きました)、本日のような演奏会を持ちたい。

これは大変に嬉しい文でした。
各曲の解説文(と言いながら、私の担当した<悲愴>の文は生硬で、ちょっと評価に値しません)も日本語としては1)、漢語としても1)の「愛」の溢れた、心豊かな文章です(手前味噌ですみません)。

では、実際に、代表者がおそらく理念と感じて下さっている、抜粋部分の「納得したプロセスを経て」という部分が充分だったかどうか・・・今回の実際の演奏会で出た音を私自身が冷静に評価するまでにはまだ思考が固まっていないのですが・・・ということについて、終わってみて、メンバーがどれだけ省みているか、が次への大事な踏切台になりますから、メンバー各位に置かれましては、その点をもういちどお考え頂きたく存じます。

ですので、打ち上げ最後の乾杯の際に、音頭をとられた方が(盛り上げなければならない、という責任感もおありだったのでしょうが!)
「とにかく、満足しています!」
という発声をなさったのは、私は「宜しくありませんね」と申し上げておきたいと存じます。
「最高でした!」
とは仰っていなかった(のか、少なくとも私の耳には届かなかった)のは良かったですけれど。

少なくとも、直前の練習まで「納得したプロセス」を経たかどうかとなると、一人一人が胸に手を当てたとき、
「いやあ・・・そうじゃあなかったなあ」
と思って下さることが最も素晴らしいのです。そうあって下さったら嬉しいな、と思います。

私個人のミスのいちばん大きなものは、昨日綴った通りで、あらためてお詫び致します。

チューニングでは、湿気も考慮し、だいぶ特別なことをやりました。
ステージチューニングの際には、おそらく、弦楽器は管楽器に対して、前半では2Hzほど、後半は1.5Hzほど高めにして臨みましたので、「いつもとやり方が違うな」ということでメンバー各位を戸惑わせたかもしれません。これも併せてお詫び致します。

ところが、そういうチューニングをしていて、結果的に演奏が始まると管と弦でピッチが殆どきちんと合っていた。

このことが何を意味するか、を、ちょっと考えてみて下さい。

一般論でいえば、弦楽器は湿気の多いときはピッチがどんどん下がって行きます。ですから、高めにチューニングしておけば演奏中の調整はしないで済むことになります。
管楽器については、湿度の一般論より、ひとり1パートの原則がネックになります。とくに、木管およびトランペット(後期ロマン派以後)はファーストを吹くことが必然的に旋律を吹くことに繋がります。旋律をよく聞かせるためには、(これは意識出来てやっているのでしたら解消が簡単なのですが)通常の和声のための音を出している時よりピッチが上がるのです。・・・この点は、カラオケで「上手く歌う人」と「万年耳栓が欲しくなるような歌い方をするオッサン」の歌のピッチを聞き比べるのに慣れて頂くとよくわかります。

ということで、各曲各所の問題点がどうだったか、という「後ろ向きな」反省ではなく、こんなピッチの仕掛けの上で今回の演奏会がなされたのだ、ということを、ちょっと念頭に置いて頂けると有り難いなあ、と思っております。
要するに。
いままでこうして来たから、と「惜しむ」愛は、いっぺん片隅に追いやってみて下さったらいい。

そう、「地獄墜ち」をしてもいい、と腹を括った方が、ものごと、良く見えるようになります。
(地獄に堕ちてもいいのは演奏に関してだけですヨ!人生はそうであってはいけません!・・・私はどっちも落ちても構わないけどな。。。)

なお、ファーストヴァイオリンにつきましては・・・緊急事態もあったからではありますが・・・席順は、実は前の晩、考えるのに半徹夜で悩みました。
思った通りに行っていたかどうかは、こんど皆さんからご感想・ご教示を頂ければありがたく存じますし、またとくにアマチュアにおいては弦楽器パート内での並び方が非常に重い意味を持つ(初心者だからいちばん後ろに坐ってもらう、という発想や、普段からの仲良しさん同士だからそのまま一緒に組ませれば上手くいく、という考えは捨てなければ・・・とくに「好きだから、弾けないけれど入って来ました」というメンバーに哀しい思いをさせるだけでなく、響きとしてもアンバランスを生じさせる原因になり、結果的に管楽器打楽器にも大きな迷惑をかける)という点は、是非肝に銘じて頂きたいことです。

少なくとも、こちらに関してさえも「愛が単数でなければ」と見られてしまうと・・・私の人生は、そこでもうおしまいですねー。(T_T)


なお、長年当オケでティンパニを叩き、女性客のアイドルだったMさんが、ヴィオラの奥様共々、今回で退団なさるとのことです。奥様が「新しく学びたいことがある」と向学心を抱かれたことにつき、ご主人も協力する、とのご決意だから、と承っております。
Mさんは、私が当団に入るおおきなきっかけを作って下さった方のお一人で(「入団しないと給料止めるぞ!」と言われました・・・)、たいへん寂しく思っておりますが、またのご復帰も願いつつ、まずはお企ての実り多からんことを祈って、1曲捧げてお餞別代わりとさせて頂きます。

ちょっと珍しいものですが、打楽器の曲でなくてすみません。

・ブラームス (「11のコラール変奏曲」第8曲)
  オルガン:クリストフ・アルブレヒト KING RECORDS KICC 9526)
  ※ 恐縮ですが、モノラル化してあります。


バナーをご提供下さったsergejOさんが、当日の感想を記事にして下さいました
こちらも是非、というより、こっちの方こそ是非、読んでご覧になってみて下さい。

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