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2008年6月30日 (月)

「ウソ」に真実はない

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村治奏一リサイタル at つくばノバホール 是非足をお運び下さい! 7月6日(日)午後3時から。
私は別に特定の政党や主義を支持する人間ではありません。いわゆる「無党派層」とでもいうのでしょうか?

政治への関心を前面に押し出すべきだ、とお考えのかたから見れば、
「はなはだ無責任」
な層の一人です。

ですが、世の中、よく言ったもので、
「政治的でない人間はいない」

<人を「測って」いた私>という記事に綴りましたとおり、私は人に話し掛けながら、あるいは人から話し掛けられながら、相手がどんな人物かを「測る」習慣が、この1年半ほどみに染み入っていました。
・・・このような行為だって、充分に「政治的だ」と言ったら語弊があると思われてしまうでしょうか? 私自身はそうは思っていないのですが。
しかも、現実には日常のことから先々のことまで、あるいは新聞やテレビで騒ぐような事件にまで、全く無関心、ということでもありません。
ただ、そうでなくても個人というものは「特定の価値観にとらわれ」たり、「安直に集団や世間に合意ないし反発をしたり」というのは、自分も例外ではないだけに、出来るだけ避けたい、と思っているだけです。

自分が非常に主観的な人間だ、ということは、思い知っているつもりです。

ですから、これから述べることも、そんな「非常な主観から」述べることです。

ただし、それは、これから「批判」しようと思っている特定の個人さんの、特定の著作に対してのものではない・・・ということは前提としてご理解いただければ、と、ワガママながら前置きしておきます。

かつ、今日の題材は、最近見られるいろいろな事象のうちで気にかかっているものの中の、ほんのひとつに過ぎず、そういう点では「私の主観」の「ほんの入り口」に過ぎないことをも、おことわりしておきます。



私達の国の、おばさまたちに大変人気のあった、しかしながらご自身は離婚して独身を貫いていらっしゃる、某元首相がお書きになった、クラシック関係の新書が、書評でもAMAZONのレヴューあたりでも、わりに好評なのには、ちょっと意外な感を受けておりました。

なぜなら、その書物のタスキに、
「『真実のうそ』は感動的だ」
と、述べられているからです。

・・・これは、私からすれば、それこそとんでもない大嘘です。

この人が、一国の宰相でありながら、自分の服は自分で洗濯したり、ホテルで床にお湯だったかをこぼしたときに、誰にも任せず自分で拭き取って後始末をした、という姿には、評判の如何に関わらず、この人の人柄のよさを好感を持って受け止めさせられてもいます。
しかし、人柄のことと、その人の発想とは切り離して観察しなければなりません。

客観的にこの本を読んだら、どうか。

やはり、この本の最大のいやらしさは、繰り返しますが、タスキにある

「『真実のうそ』は感動的だ」

という言葉です。

文中、筆者が本当に「うそ」の良さを語る部分は、93頁からの、ほんのわずかな箇所に過ぎません。
ですが、タスキから印象づけられる「うそ」と、筆者が注目している「うそ」には、大きなズレがあります。
「映画や歌舞伎の『忠臣蔵』でも私は『うそ』の場面が好きだ。」
・・・ほら、やっぱり、と思って先を読み進むと、筆者は「うそ」の場面が「うそ」だとは、ひとことも言っていない。南部坂の場面(内蔵助が雪の降りしきる中を内匠頭未亡人に面会に行き、「討ち入りですか? そんな無駄なことを、いまさら」と平然と言って帰るシーンです)について、こう述べている。
「この場面に感動するのは、批判に耐えてあえてうそをつくところだ。」

せいぜいこんな具合で、筆者は
「音楽は虚構の世界だ」
あるいは
「ウソを描いたものだ」
とは一言も述べていません。

他の部分は、ある意味で、クラシック音楽についての、徹底的に素人としての雑談です。

この人物がとった政策は、私はある意味で今の日本を苦境に追いやる結果をもたらした、としか思っておりません。(世間の仕組みには音痴なので、本当に筋を通してみたらどうなのか、までは分かりません。ただ、感情的には賛成出来ないことが多々ありました。・・・そのての批評は、でも、適切な人が適切なところでやっているものも沢山ありますので、ここでは触れません。)
ですから、そういう「元首相」が書いた本、として読んでしまったら、好きだ、とはとても言えません。
かつ、素人談義にしては、ちょっと「ツウ」みたいなコメントを挟んだりしていて、その部分も好きではありません。

ですが、内容だけとるならば、これは某有名脳科学者が「本格的に通ぶって」書いた本に比べれば、遥かに素直で、間違っていない・・・音楽の本質を体で捉えている・・・と理解出来る部分があります。
小見出しから拾ってみます。
・音楽の好みは押しつけないほうがいい
・「音学」より「音楽」を(補足すれば,演奏家は「音学」をもっとするべきです)
・(オペラの)読み替え演出はやらないほうがいい
・歌と踊りは世界共通(これも補足すれば、内容は共通ではありません。が、音楽する行為としては,世界共通であることは確かです。そこから「違うもの」に対する共感が生まれるのだ、と私は感じています。)

要するに。
・・・これを、この本を褒めた記事だとは思わないで下さい。値段も、内容の薄い新書にしては高過ぎ。
・・・私たちが,純粋に素人として音楽を素直に捉えるとはどういうことか、のヒントにはなる。でも、完全に純ではない。ただし、これは人の常だ、というのが、私の本書の読後感です。

そうは言っても、批評家の本に比べたら、こういう素直さは、私は遥かに好きです。

小泉純一郎著『音楽遍歴』

著者の経歴とタスキと値段が罪深い本のご紹介でした。
書物の名前(昔風にいえば名と字【あざな】、この本の場合はタイトルが名であるとすれば、あざなに当たるタスキは非常に罪深い)は、このような付け方をされるべきではありません。そこに対する配慮がたんに主情的だったり、マーケット狙いであるという「フロー経済的」なものであるだけで(さらに値段までそうだとあっては)、もはや罪です。なぜなら、書物とは「知恵」という<財産>を提供すべきものだからです。

リンクは、ですので、アフィリエイトにはしておりません。(著者をお好きなかたには、ごめんなさい。)



これは、じつは、いま「流行している」とN○Kの朝のニュースでも採り上げられた某小説に対して、過去に繰り返されて来たのと変わらぬ「浅い」読みで「批評」を掲載した記事にネット上で出会い、今回の本とは逆の意味での「誤読」に繋がりかねない、それは社会に本来プラスの影響を与えるだけの力を持った作品なのに,そう「皮相に」読まれては身も蓋もない・・・一歩間違うと再び「反動的な世界」に支配されるのではないか(現に、近年の立法は規定が弱者保護には不充分であるばかりでなく、むしろ縛りが厳しいばかり、という現実がありますし)という危惧がきっかけで考えはじめたあれこれが、まだまとめられないがために綴った文であることを付記しておきます。

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コメント

> いま「流行している」とN○Kの朝のニュースでも採り上げられた某小説に対して、…

そんなkenさんのブレイン・ストーミングの場を拙ブログにこしらえました。メモにご使用下さい。

http://daikokukinkin.blog59.fc2.com/blog-entry-270.html

投稿: キンキン@ダイコク堂 | 2008年7月 2日 (水) 09時58分

さっそくにありがとうございます!

鉄は熱い内に、とは言いますが、慎重な勉強も必要かと思っておりました。
とはいえ「ヘンテコ」と思われる本も続々出ています。小ブログで<何が出来るか!>というのもあるんですけれど、まだ多少の誤りを含んでしまっても、、自分の出来ることは少しは早めに進めたいと思っております。

むしろ、ちょっと「変種」的なものになるかもしれませんが。

今職場で閲覧できないのが残念ですが、帰宅したら早速拝読します。

重ねて御礼申し上げます。これだけはしておきたいので、職場の禁をあえて侵しました!

投稿: ken | 2008年7月 2日 (水) 11時42分

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