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2008年6月12日 (木)

曲解音楽史37)カール5世の時代:1-スペイン宮廷とフランドル

Tokiomusikfroh
来たる6月22日は、私共のアマチュアオーケストラ、東京ムジークフローの定期演奏会です。詳しくはバナーをクリック下さい!20名様(ペア換算10組)まで無料ご招待申し上げます。ご希望の方は本ブログのプロフィールページから、記事掲載者宛メール下さい。・・・バナーは、sergejOさんがご好意で作って下さったものです。

前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世 29)宋・元時代の「中国」
    30)日本の「オラショ」 31)ヴェトナム伝統音楽 32)インドネシア 33)東アフリカ
    34)イスラムと西欧の融合 35)ルネサンス? 36)フランドル楽派


ヨーロッパの<音楽史>にとって、果たして「ルネサンス」は存在したかどうか、という問いに対する答えの鍵を握るのは、神聖ローマ帝国皇帝カール5世(スペイン方面の王としてはカール1世)の生きた時代でしょうか。

高校時代に世界史を履修したかたなら、この人物の名前は割合覚えていらっしゃるのではないかと思います。
彼の王位・帝位継承および治世については、教科書には出て来ない数奇な運命が良きにつけ悪しきにつけ付きまとうのですが、それは、その後も名前だけは重んじられていく「神聖ローマ帝国」の実在を、現実には「最後に」信じて疑わず生きた皇帝だったこととも深いかかわりがあるようです。
ローマ法皇から直接戴冠を受けた「神聖ローマ帝国」皇帝も、この人物が最後です。
暴飲暴食で有名であったにもかかわらず、また、その一生はヨーロッパ各地の思惑に翻弄されたものであったにもかかわらず、カール5世は、生涯を閉じる頃には、少なくとも周囲の人々からは高潔な帝王として大きな尊敬をはらわれたひとでした。その政治顧問の中には、カール5世こそ、
「シャルルマーニュ【カール】大帝(フランク王国によりヨーロッパにかつてな偉大版図を築いたのはご承知の通りです)以来はじめて、ヨーロッパを支配する資格を持つ皇帝なのです」
と持ち上げる者もいました。
しかし、カール5世は、版図のため、よりは、キリスト教(カトリック)のモラルをもってヨーロッパの精神的統一を成し遂げたい、という、むしろ精神的に高い理想を掲げた人物だったように見えます。

版図で言えば・・・それは統一されたものからは程遠かったのが実情でしたけれども・・・カール5世の威令のもとにあった地域は、ヨーロッパ大陸だけで見ると、東はハンガリーから、チェコ、オーストリア、ドイツ圏、フランドル圏を経て、西はスペイン地方(これはこの王をもってしても統一には至らず、アラゴン地方とカスティリア地方に分断されたままでした)にまで至る、非常に広いものでした。その間にフランスが、イタリアへの野心を秘めながら挟まれていた、というのが、ヨーロッパ大陸側の当時のだいたいの政治勢力図です。
更に、カール5世の即位以前に、スペイン人たちは中南米へと進出し、植民地化しています。
一方で、アジア側からはオスマン帝国がスレイマン1世の強力な統制の元にヨーロッパへ圧力をかけつづけ、フランスがオスマン帝国と密かに連繋することによって、その圧力はアフリカ北岸を通じてイベリア半島南部にまで及んでいました。
カール5世が心を砕かなければならない地域の広さは、想像を絶する規模だった、と言えるでしょう。

地域の広さだけならまだしも、彼の時代は、「教会の支配」が崩壊に差し掛かり、宗教革命のあらしが吹き荒れ、誰の心にも共有される「モラル」というものが喪失してしまってもいました。

その中で、一方ではライヴァルのフランスとの戦いに先頭を切って指揮をとる勇敢な武人でもあり、もう一方ではルターら宗教改革派とローマ教皇を軸とするカトリックとの調停に、晩年まで諦めずに取り組んだ「徳の人」でもあったカール5世は、まさにそうした行動が象徴するように、それまでの伝統に固執することによって自らが時代遅れになってしまった、「歴史の犠牲者」であったのかも知れません。

歴史上の事実はさまざまな史書(手軽なものから専門書まで豊富にあるでしょうね)に委ねることとして、
では、カール5世の時代、音楽はどのような「位置づけ」を持っていたのかを、彼が関わった諸領域を経巡りながら観察してみましょう。

・・・となると、西は中南米のインディオのものから、東は現在の東欧諸国まで見ていく必要に迫られるのですが、全てを尽くすことは、もしかしたら最終的には私の手には負いかねるかも知れませんので、あらかじめご了承下さい。



カール5世自身は、スペイン王に即位するまでは、ブルゴーニュ伯でした。
ブルゴーニュ地方は、この頃にはフランス領になっており、伯、といってもブルゴーニュの統治には関与できず、彼は拠点をフランドル地方に置いていました。
したがって、カールの周りで流れていた音楽は、商業の盛んなこの地域が育んだ「フランドル楽派」のものだったかと思われます。
それ以前にスペイン宮廷で奏でられていた音楽はイスラムの影響をまだ残したものでしたが、カールがスペイン王に即位するのに伴って(・・・と、史実はそう単純ではないのですが、ご存知のかた、このあたりは目をつぶってくださいませ)、スペイン音楽もフランドル楽派の「支配下」に置かれることになります。


「音楽」は、学問として中世の主要な科目の一つに加えられていたこともご承知かと思いますが、学問としての「音楽」と実作としての音楽は、中世においては全く別々のものであったことを、ついでですから理解しておきましょう。

学問としての「音楽」は、パリ大学を中心に発展した「神学」の一環として、また「数学」の一環として観察した方がよいものです。
中世当時に教科書として用いられた肝心の理論書そのものは、私は残念ながら目に出来ていないのですが、そのもととなった(ローマ時代にも継承されている)ギリシアの音楽理論書の代表的な一つ、「ハルモニア論」は、天動説を確立したプトレマイオスその人の著作です。読んでいただければ分かりますとおり、「ハルモニア論」は終始一貫して「数理哲学的」なものです。ピュタゴラス派の「音程理論」をアリストテレスの手法(代表的なモデルは「形而上学」でしょうか・・・アホな私には読み解けなかった本なのですが、かすかに覚えている用語からすると間違いないと信じております)を用いて論証・あるいは反証し、結論部はプラトン的な宇宙観を、自ら天動説で表明した見解を敷衍して展開するという、およそ「演奏そのもの」とはかけ離れた内容をもっています。
こうした音楽理論の構成は、実はその輪郭は、18世紀末のキルンベルガー(大バッハの弟子)にまで引き継がれているのですから、両方を読み比べると、日本人である私たちの西欧音楽に対する感覚には大切なものが欠落しているのに気づかされます。・・・が、この話は本論から離れますので、これだけにします。

演奏家は、神学や数学とともに「音楽」を学んでいたにしても、実作上では学問としての音楽はあくまでも「創作」の背景にあるべき規律に過ぎず、しかも、それはのちに「二部形式」とか「三部形式」とかと称されるようになる音楽の形式論とは全く切り離されたものでした。

実用としての音楽は、従って、学問としての「音楽」とはあくまで区分して観察しなければならないのでしょう。・・・その中に、「学問音楽」がどのように反映されているか、は、皇帝カールの為に奏でられた音楽がどのようなものであったかを耳にしつつ、できるだけ当時の感覚に想像をめぐらして、新たに体験しなおさなければなりません。

実用に供される音楽は、学問としての音楽とは別物でした。
カトリックの支持者としては、ライヴァルであったフランスと、宗教に対する姿勢は元来はそう違いませんでしたが、スペインの音楽は、「学問」との隔たりは大きく、<ノートルダム楽派>を擁したフランスに比べると世俗性が強かったもののようです。
カール5世の即位前にも、ブルゴーニュ楽派(フランドル楽派)の強力な師弟、オケゲムピエール・ド・ラ=リューが、おそらく別々の年にスペインの宮廷を訪ねていますが、宮廷では、彼らの高潔な響きよりは、むしろ世俗的な舞曲が流れていたらしく思われます。

・ペーザロ:
  MUSIC FOR THE SPANISH KINGS(EMI veritasX2 7243 5 61875 2 8)

この舞曲、イスラムの面影も残しているのが、この地方独特のものです。これがある意味で完全に西欧化されたとき、今ではフランス起源と考えられている「クーラント」になっていきます。(「クーラント」も、通説ではフランス語でドイツ風を意味する「アルマンド」の変容したものとして扱われているようですが、15世紀のスペインに既にこのようなタイトルでこのような作品があることから見直すべきではないかと思います。・・・ただし、私はあくまで専門外ですから、まっとうな学者さんにきちんとお調べ願えればありがたいのですが。。。)

カール5世がスペイン(正しくはカスティリヤ)の王となったのは1516年ですが、最初は狂女王として有名な母ファナとの共同統治の形をとっていました。神聖ローマ帝国皇帝を正当に受け継ぐには、教皇庁との複雑な関係もあってなお年数を要しましたが、1520年にはドイツの選挙候たちの支持で「ローマ王」としての戴冠をしており、カール王に年金に関する請願をするためネーデルラントに赴いたデューラーも目撃しています。

彼がスペイン本土で過ごした実質的な年数は、即位から退位(1556年)までの40年のうち16年に過ぎなかったそうですが、それでもスペイン語の習得に努力し、スペインの王としての自覚を失うことはなく、自分の終焉の地もスペインに求めたのでした。

カール5世時代のスペインを訪れた有力な音楽家は、ジョスカンやラ=リューの次世代に当たるゴンベールでした。ただし、前世代のフランドル楽派の人々同様、彼のスペイン滞在も一時的なものだったと想像されます(カール5世に採用されたのは1526年ですが、活動したのが明らかになっている地域はブルゴーニュ及びフランドル方面です)。

話は逸れますが、オケゲムを引き継いだジョスカンやラ=リューは、カノンの高度化やフーガに繋がっていく「通模倣」という技法を用いたことで知られています。
Wikipediaでは「通模倣」の確立者はジョスカンだ、とされているようですが、萌芽はオケゲムにあり、それを後年のフーガにつながる方向へと発展させたのがでジョスカンあり(したがって、ジョスカンの作品は動機【ここでは<主題>と同義と思っておいて頂いて結構です】の登場が独立的で明快であり、それに伴って曲も明るめに響いて聞こえます)、カノンの高度化に向けて展開させたのがラ=リューであると理解して頂いた方が、私は適切だと思っております。ただ、この点、ある程度楽譜資料を集めないと、断言まではし得ません。・・・このことを記しておこうと思ったきっかけですが、実は、先日、このブログをよく読んで下さるランスロットさんの奥様がラ=リューのミサ曲を合唱なさったそうで・・・それだけ伺ったときには「でも、私ごときの概観ばっかりの音楽史ではラ=リューに触れる余地はないな、と思っていました。ですが、「通模倣」についてジョスカンだけが際立った扱いを受けているとなると、話が違います。師オケゲムの作風を素直に継承した度合いはラ=リューの方が高く、雰囲気の敬虔さもラ=リューはジョスカンに優るという点は、もっと評価されてもいいのかな、という気がします。せっかくですからサンプルをお聴きいただきますが、彼が採った「通模倣」技法が、決してジョスカンに引けを取らないものであることは、彼の作品の中では比較的分かりやすいと思われるこの曲【数作あるマニフィカトの中の、ほんの1作の、さらにほんの1曲に過ぎませんけれど)よく聞き取れるかと思います。

・ラ=リュー:
  NAXOS "The Complete Magnificats, Three Salve Reginas" 8.557896-97

で、ゴンベール、です。
この人物の作風については、すみませんが、私は自身の耳目では確認しきっていません。
彼の宗教曲はパレストリーナに繋がる非常に重要な、高度な要素を豊富に持ち合わせているそうですが、残念ながら、いま手元にサンプルを持ち合わせません。
一方で、彼は大先輩ジョスカンに優るとも劣らない世俗的歌曲を残しており、私の持っている唯一のサンプルがその一つでもありますので、参考までにお聴き頂いておきましょう。

・ゴンベール:
  MUSIC FOR THE SPANISH KINGS(EMI veritasX2 7243 5 61875 2 8)


これら、一時的に滞在したフランドル楽派の大家達よりも、カール5世当時に本当にスペインで重んじられた作曲家はカベゾンAntonio de Cabezon (1510 −March 26, 1566)という盲目のオルガニストでした。経歴については残念ながら私には把握できませんでしたが、彼が残したオルガン作品は多数残存しており、オルガン音楽の先駆と見なされています。 サンプルは、編曲ものばかりしか手に出来ておりませんが、お聴きになってみて下さい。

・カベゾン:
  MUSIC FOR THE SPANISH KINGS(EMI veritasX2 7243 5 61875 2 8)

彼の作風もまたフランドル楽派の影響を大きく被っているのが分かりますけれど、一方で、最初にお聴き頂いた舞曲と共通する、イスラム的な要素も持ち合わせた、独特のものになっていることも、同時に聞き取ることができるかと思います。さらには、フランドル楽派よりも直裁な、モンテヴェルディ的な音楽への指向も感じられるというのは、意識過剰でしょうか?

スペイン本国(アラゴン・カスティリヤ)で耳にされたであろう音楽は、だいたいこんなところです。

なお、それぞれの曲は「作曲者」が明らかですけれど、彼らは私達が認識するような「作曲家」としてではなく、あくまで宮仕えの「楽士長」として認識されていたし、おそらく自意識上もそうであったことは忘れてはならないでしょう。
ごく最近、石井宏さんがレオポルド・モーツァルトの伝記をお出しになりましたが、石井さんが適切にも仰っているとおり、レオポルト(もしくはその息子であるヴォルフガング)の時代になってもなお、私の知る限りでは、独立した都市を拠点としたモンテヴェルディやテレマンといった少数例以外の音楽家は、現代的な意味での「作曲家」としての「個」を確立していたわけではなく、世の中で「最低の」ランクの仕事である「楽士」という身分の中で、まさに、生き延びるために、名声の獲得へと躍起になっていたという内面、だからこそパトロンを求め歩いたのだという事実は、現代人が考える「個」と彼らの時代の「個」の違いを見定める上で、もっと重視されるべき課題ではないか、と思っております。
(先日採り上げた岡田暁生氏『西洋音楽史』がマショーに作曲家としての「個」の萌芽を見出していることに、同書を採り上げた記事中で軽く反駁しましたが、さらに「マショーが何故例外だったか」を裏打ちするためには、マショーは詩人であったこと、その点では、もっと古い時代の吟遊詩人たちも、たとえばヴァルター・フォン・デア・フォーゲルワイデのように「詩集によって名前が残っていた」ことと齟齬しないことを言い添えておかなければならないでしょう。詩人は中世末期までには騎士階級にまで昇格していました。騎士階級にもなりえなかった「詩人ではない」音楽家達の名前が残るようになったのは、彼ら自身の意思からであるよりは、宮廷もしくは貴族達が、その人格ではなく、その創作に価値を認め、日記や書簡等に音楽家の名を書き留めるようになったからです。・・・もちろん、このことには、もっときちんとした裏打ちと考証が必要ではあるでしょうが、基本的にはこれで間違いない、と考えます。「作曲者」の名前が何故残ったか、という、ヨーロッパ固有の問題については、また機会をあらためて考えましょう。)

次回の音楽史トピックは、いったんヨーロッパを離れて、スペインが乗り出していった中南米の状況を見ていきたいと思っております。

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コメント

ラ・リューの件でわざわざ記載していただきありがとうございます。かみさんも喜んでいると思います。

投稿: ランスロット | 2008年6月17日 (火) 14時09分

・・・いえいえ、そんな、恐縮してしまいます。単なる物好きですから・・・

投稿: ken | 2008年6月17日 (火) 20時08分

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