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2008年5月 5日 (月)

TMF:合宿の「感傷的」総括

前回記事へのコメントあらためて申し上げます。
御礼文は整理中ですので今しばらくご容赦下さい。



TMF(東京ムジークフロー)の今年の定期演奏会は6月22日(日)14時からです。
場所は品川区の「きゅりあん大ホール」(京浜東北線、東急大井町線「大井町」駅からすぐ)です。
またあらためてご案内申し上げます。是非お越し下さい。


ここから、団内の人向け・・・でもない、2008年5月3〜5日の合宿の記録です。

感傷的な「総括」としたのは、今回については練習内容のまとめは必要がないほど、団員の皆さんが、参加中にいろいろお考えになっていたことが明確でしたし、それに重ねて(とくに誤ったことを)綴ってしまう必要はないだろう、というのが理由です。

むしろ、個人的な過去の回想と、親は練習ばかりでほったらかしにされるのが分かりきっていてなお、私の合宿参加につきあってくれた子供たちの今回を眺めていての感慨から、自分の気持ちを綴ってしまうことになるでしょう。



練習が一段落しての、2日目の宴会で、幹事さんが「家族の近況報告」コーナーを設けて下さったことに、まず深く感謝申し上げます。
長い1年4ヶ月でしたが、おかげさまで、上の席上で申し上げました通り、今の私は
「幸せです」
と、心から思っております。
家内の口癖が「万事塞翁が馬」だったことは、過去何回か綴ったことがあるかと存じます。
家内が倒れて、そのまま1日も経ずして急死したことは痛恨の極みでしたが、仮にあのとき名医さんに巡り会えて生き延びたとしても、子供たちの胸の中に残っている「明るいおかあさん」で彼女が生き続けられていたかというと、必ずしもそうではないのだ、ということに、最近ようやく思い至りました。心臓の病気ですから、一命を取り留めても仕事は継続できたかどうか分からず、ペースメーカーなんかを入れて、辛い気持ちで日々を過ごすことになってしまっていた確率の方が高い。
仕事の現場で、自分の挟持を最後まで保って倒れ、苦しむ時間も短く、現職できれいさっぱりと命を終えられたことは、死に方としては幸せだったか知れない。
そのおかげで、子供たちの中ではこれからもずっと「明るいおかあさん」で通せるのだ、ということも、家内と子供たちの両方にとって幸せなのかも知れない。
かつ、家内を失ったことで・・・団外の、とくにネットを通じてそっと私を支えてくれた大切な方達を含めて、になりますが・・・私が楽器を弾き続けられるように、こんなにたくさんの団の皆様が陰で支え続けて下さり続けて下さっているのだということを悟らせて頂けたことも、いまさらながら、日常を普通に過ごしていたら気が付けなかった幸福です。
本当に、
「塞翁が馬」
なのだなあ、ということが、自分なりに理解でき始めたところです。

1日目、2日目と、多くのメンバーの方にとんでもないお遊び(1日目はろくろく練習もできていない上に元々センスがないのを省みず協奏曲の伴奏をして頂き、2日目は持参したオーケストラ曲1曲をまるまる演奏して下さった)におつきあい頂けて・・・こちらの思惑では「みんなに楽しんでもらえれば」と知恵を絞って持って行った企画のつもりでしたが、やってみると、実は「みんなが僕に<楽しい>という感覚を思い出させて下さったのでした。途中駆けつけてくれたY嬢(素晴らしいヴァイオリニストです)のおかげもあって、最後は菊地先生を交え、私はヴィオラを弾かせてもらって、もう十年以上ぶりに弦楽四重奏も「楽しませて」頂きました。先日まで「所詮四重奏はもう無理かな」と思い込んでいた(こちらの記事に理由を綴っていました)私には、偶然の僥倖とでもいうべき出来事でした。

ベテランのメンバーとは、楽器の種別を選ばず、適切な楽器奏法とはどんなものかを気さくに話し合うことが出来、若手が前向きな姿勢でご自身達で計画した弦楽四重奏の練習では、アンサンブルがきれいに響くコツ(という内容でのお話になっていたかどうかは確信を持てませんが)をめぐってしばし考えてもらえる場面も持たせて頂けましたし、中堅メンバーとは思い出話に花が咲きました。すべてが「楽しく」って、つい、お酒も度を過ごし、二日連続3時間睡眠の二日酔い(ということは実質三日酔い)に陥るというていたらく。



2日目のお昼に、宿の人におにぎりを握ってもらって、大勢で宿の下を流れる川の岸辺でお昼を食べられたことも嬉しゅうございました。
先輩のお子さん達も、我が家の子供たちも、この川辺でビショビショになるほど遊びまくって、育ってきましたから・・・子供たちのことも含め、自分自身も、原点に帰らせて頂いたように感じております。


帰宅してからしばらくして、娘がベソをかき出しました。理由は訊きませんでした。元気な母親に見守られながらのびのび過ごした、以前の合宿を思い出したのだな、ということがすぐにわかりましたから。
でも、泣き止んでから、娘は言いました。
「ああ、帰って来たくなかったな。楽しいときって、どうしてこんなに早く過ぎちゃうのかな。後3日は帰りたくなかった」
父親が放っておいている間、娘も息子も、他の子供たちと思う存分、遊びたい放題、好き放題だったようです。
「だけどな」
と、私は言いました。
「大人だって同じ気持ちなんだぜ。ポツンとしたお休みの日が続くのだったら辛いけれど、ここへ来たら、練習は厳しくても、仲間とホンネで過ごし合えることがとっても楽しいって思ってるんだ。」
そう言う場所がない人たちから見れば、どの大人たちも<自分たちは幸せだ>、って思わなくちゃいけないんだろうけれど、わざわざそんなことを考える必要もなく、自然に「幸せに浸れる」から、ここで健康を回復して、また普段の生活に帰って行ける。明日からまた訪れてくる「業務」という荒波を、苦痛に感じないですむ活力を取り戻して帰って行ける。

私の大事な、団内の皆様が、そしてネットを通じ、あるいは顔見知りにもなって頂いた皆様が、私の心に活力を取り戻させて下さったことへの有り難さを、あらためて実感して戻りました。



ですから、私の大事な皆様が、一人残らず、私に下さっているだけの大きな幸せを、ご自身にも持ち続けて(あるいは回復して)頂けますように、心から祈っております。

ちっとも、タイトルにそぐっていませんね。

でも・・・ありがとうございました。
これからも、宜しくおつきあいのほどを!

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