« 曲解音楽史31-32補遺:スマトラ島の音楽 | トップページ | BWV1128について (バッハ新発見オルガン曲)追記 »

2008年5月13日 (火)

クラシックで「アピール」するということ

あるアマチュア楽団の練習風景です。

演奏する曲は、20世紀の作曲家の手になるものですが、素材はその作曲家の故国に古くから伝わる民謡です。

民謡、という言葉から、私たちは普段「唄」しか連想しませんが、世界各地の研究家がどう言おうが、本来は、
「民謡は舞踊と切り離せない」
ことが多い。日本で言っても、たとえば<田植唄>と称するものなどは、田植えという労働をする時に唄われるものだ、と思われがちですが・・・実際に田植えをやりながら唄おうと試してみて下さい、とっても唄えるものではありません。
屁理屈を言えば、<田植唄>は平安期にはすでに記録の見える<田楽>と密接に関係のあるものです。その後の日本芸能史を追いかけてみれば分かることですが、<田楽>は元来は動きの激しい踊りを伴ったものと想像し得ます。しかも、それは「田植」という労働に際して、ではなく、あくまで「豊穣の神を楽しませて豊作を得るために」、ムラが大きく発達すると、さらに芸能化して「人間自身が普段のストレスを発散するために」、さらに都市が成立すると(といっても、日本の場合は京だけでしたが)「農民以外の階層を抱腹絶倒させるために」唄われ、同時に踊られ続けたものです。
(「田楽」から、純芸術的な「能楽」が発展したのは特殊なことですが、そう言う特殊化はどんな国にも見られることです。ですから、「能」の仕舞の落ち着いた舞いぶりに「田楽」の名残を見ることは誤りでしょう。)

思わず余談から入ってしまいましたが、最初に戻りましょう。

このアマチュア楽団が練習していたのはフランスの民謡です。
民謡である以上、本来、「舞踊」を伴っていたはずです。
そう思って音楽を感じ取り直してみれば、話はごく簡単に分かります。
この民謡、「ジーグ」のリズムを持っています。
クラシック音楽がお好きな方なら、「ジーグ(ジグ)」というのが舞曲のひとつであることは端からご承知でしょう。イギリス由来で、ルイ14世時代にフランス王室を中心に洗練されたものではありますが、リズムの躍動性から言えば、決して、上品でおとなしい舞曲ではありません。(また話をそらして恐縮ですが、そんな<粗野な>舞曲であったからこそ、西欧のバロック期の音楽家たちは、ダンス用の組曲のいちばん最後で会場のみんなに「それまでの窮屈な踊りのストレス解消」をさせてあげるために、ジーグを終曲に持って来たに違いない、と、私は想像しております。)

ところが、指揮者が楽団にこの曲を演奏させてみると、ちっとも躍動感が出ません。
・・・そりゃそうだ、アマチュアで、しかもクラシックの楽団なんかにはいる人は、照れ屋さんが多い。ヒップホップやブレイクダンスがもってのほかなのは、まあ、当然だとしても、およそダンスなんて名の付くものを踊ろうと思うだけでもどぎまぎしちゃう。社交ダンスでも、異性と手をつなぐと思うととたんにダメ。いいおっさんメンバーの中には、バーでママとチークダンス、なんてことにでもなろうものなら、ママに抱きつかれたとたん卒倒するほど、内気だったりする人も少なくないかも知れないのです(・・・いや、まさか!)。

(うーん、どうしたら、彼奴らを踊らせることができるのか・・・)
思い悩んだ指揮者さんが打った手は、こんなものでした。

「チェロ以外は、みんな立って! 楽器を演奏しながら、リズムに乗って体を動かしてご覧!」

楽器さえ手にしていれば、みんな、ほんとうは自分の中の躍動感を引き出す魔法の杖を持っているのと同じです。・・・でも、ここの人たちは、じっと坐っていただけでは魔法は使えないんだな・・・どうやれば魔法を使えるかに気が付かせればいいんだな。

いい思いつきです。

あとは、
「魔法も、使いすぎたらやばいからね・・・自分にまでかかってしまって、元に戻らなくなる」
・・・そうなんです、魔法の掛け方を覚えるまでは出来たとして、魔法からいかに「ごく自然に抜け出せるか」には、また別の方法をマスターしなければなりません。
でも、そんなのは、まだ先のことでいい。
まずは、魔法の杖の、本当に効き目のある一振りを覚えることが大切なのです。
音楽で使う魔法の杖は、自分を損なってしまうような悪い魔法をかけることは出来ないようになっています。人にお聴かせするのでさえなければ、まずは「魔法を掛ける」までの使い方を、存分にマスターした方がいい。

ところで、ここで、あるメンバーが言い出しました。
「なぜ、20世紀の人が書いたジーグじゃなきゃ行けないんですか? なぜ、17世紀や18世紀や19世紀じゃいけないんですか?」

「それはね・・・」
正体は魔術師である指揮者さんは言いました。
「あなたたちがまずマスターしやすいのは、近い時代の魔法だから。自分の見たことの無い時代が<見える>魔法を使えるところまで身につけてくれれば、あたしゃ別に時代は問いませんよ!」

優しいようで、厳しい答えでした。
だいたい、照れ屋さんのアマチュア楽団のみんなは、今ここでやっと魔法の使い方・・・すなわち、ここでは<20世紀なりの>ジーグを自分の心の底から<踊り>に変える魔法を、やっと手にしたばかりなのです。それも、
「これで本当に20世紀なりの踊りかたになっているのか?」
みんな、アタマの片隅に「??????」が無限に続いたままなのです。
謎を抱えたままで、かつ、内気なままで、この先、時代を遡るタイムトラベルをして、その時代の人たちまで巻き込んで楽しく踊りまくる魔法を、果たしてマスター出来るのでしょうか?

童話的で、ある意味では抽象的な「例え話」になってしまいましたけれど。
この先は各位にご思索頂ければ幸いに存じます。

本日は、雑談でした。失礼しました。

|

« 曲解音楽史31-32補遺:スマトラ島の音楽 | トップページ | BWV1128について (バッハ新発見オルガン曲)追記 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/95716/20938478

この記事へのトラックバック一覧です: クラシックで「アピール」するということ:

« 曲解音楽史31-32補遺:スマトラ島の音楽 | トップページ | BWV1128について (バッハ新発見オルガン曲)追記 »