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2008年5月16日 (金)

バルトークが試したかったこと〜「ミクロコスモス」第1巻からだけでもみてみましょう

打ち明け話から。

昨日の記事は、自分でも何が言いたいのかよくわからずに終わりました。
・・・頭の中は、5月2日に綴った「古代のカルタゴ=今の日本?(時事ネタにあらず)」に、思いがけず<ズバリ本質>的なコメントを頂戴してしまったところから、右往左往を始めていました。その5月2日の記事の末尾に綴った通り、「古代のカルタゴ=今の日本?(時事ネタにあらず)」を綴ったこと自体は、バルトークの音楽論集を再読し、(その時は述べませんでしたが)彼の記述の上に、自分がこれまで観察して来た音楽の歴史が重なり合い、<どうしても綴りたくて仕方がない>ところまで、何かに追い込まれたような気持ちになったからなのでした。
そもそも、なぜまた、バルトークに啓発されることになったか、から述べましょう。

娘が今度高校から音楽を専攻することになり、そう決まったことで、じつは
「これは、自分もいつかは初歩的な曲くらい娘の伴奏ができるような程度にはピアノを覚えたいな」
と、つまらぬことを考えてしまったのが、今思えば運の尽きでした。

そこで独習用に選んでしまった教材のひとつが、あろうことか、「ミクロコスモス」であったことが、極端に思われてしまうかもしれませんが、
「そもそも音楽にはどんな意義があるのだろうか」
という問いに結びつき、それがストレートに音楽への問い、というところに収斂するのがどうも不可能だ、ということに気づき、
「であれば、音楽が奏でられているこの世界、というのは、どんな成り立ちをしているのか」
と、そちらの方向へ顔を向けざるを得なくなった。
すると、話の筋は、どうしても「ご時世」というものを無視しては通り過ぎられないのです。
ですので、
「時事問題にはあらず」
と逃げを打ちながら、記事をしたためました。

ところが・・・後になればなるほど納得がいくのですが・・・はからずも
「コメントなんか入りゃあしないだろう」
と思っていたこの記事に、最も信頼するかたたちから、揃いも揃って、
「Ken、逃げるな!」
みたいに直裁なコメントを頂いてしまった。

いちおう、意図的ではなかったとはいえ、読み返すと「無難な」お礼を綴って、そこはそれで収まりました。

が、そのお礼にも記した通り、音楽史の観察を続けつつ、お礼の後にさらにその地理的範囲を広げて行きはじめましたら、また「5月2日の壁」の前に立ち戻されている自分に気づかされました。
それを整理しきれずに、昨日の記事に至った次第です。(ここで採り上げた中世から近世の過渡期については、昨日の記述でもかなり限定された局面についてしか言い及んでいません。ですので、もう悪あがきはやめて、音楽史のひとつひとつのトピックとして観察するという原点に立ち戻りましょう。)

歴史の脈絡を追いかけると、「音楽」は、どうしても、少なくともその音楽が作られた当時の「時事」と無縁には、「音楽なりの世界」を形作ってはいない。
私が、仕方なく「現在」を引き合いにしながらも、できるかぎり興味のゼンマイを「過去の確認」にまで巻き戻してしまっても、今日読み返すと、趣旨がまとまっていません。

やはり、私の過ごしている時間はどこまでいっても「今」なのであって、「過去」の「事実」を(今目にしうるものだけで)評価は出来ても、「過去」の時間の中でそれをしていない。「過去の時間」に自分の身を置き直す、ということ自体が、幻想に過ぎないのです。

バルトークを再読すればするほど、それを思い知らされます。



前に綴ったことがあった気もしますし、そうでなくても、ご存知の通り、バルトークはコダーイと共に東欧圏、さらにアラブ世界までの民謡を精力的に収集した人物です。
そうしたフィールドワークを経て、バルトークは、実に重要な発言を、いくつかしています。
(すべて、岩城肇 編訳「バルトーク音楽論集」【お茶の水書房】から引用)

・・・私たちの芸術音楽にも、民俗音楽に根を下ろす権利があるのではないでしょうか? 芸術における主題の発明ということを、かくも重要なことと考える考え方というものは、実は十九世紀に流行しだしたもので、それはすべてにおいて個別性を追求しなければならないという、現実にはありえない考え方に過ぎません。(46頁)

ところで、民俗音楽が他のいかなるものによっても補いえないほどの重要性と役割を発揮するのは、主として、他の音楽の伝統がほとんどないような国においてか、あるいは、そのようなことがあったとしても、全然問題にならないような国においてです。東欧および南欧の大部分がまさにこうした国に該当し、ハンガリーも当然その中に含まれます。(47頁)

(綴り手註:そうしたことから民謡を収集してみた結果が極めて豊富な成果をもたらしたことから)
私が問題にしている東欧各国が、領土的には取るに足りないほど狭いものである(全人口を総計しても4、5千万)ことを考えるとき、民俗音楽のこの多様性は全く驚嘆に値するものです。・・・十分な資料がそろえられた時、ようやく解答が与えられました。その後、これら各民族の民俗音楽を比較することによって、東欧では多くの曲が絶えず交換され続けているということ、つまり、異種交配および再交配が絶えず繰り返されているということが明らかになりました。
 ところで、ここでたいへん重要なことを強調しておかなければなりません。それは、この種の異種交配が、多くの人が考えるほど単純なことではないということです。
(296〜297頁)
 
それぞれに性質の異なった音楽相互の接触は、ただ単に曲の異種交配をもたらしただけではなく、それにもましていっそう重要なことですが、新しい音楽様式の誕生を促進しました。もちろん、同時に、それまでの古い様式も生き続け、こうして、それらが音楽の豊かな富をもたらしたのです。(298頁)

音楽教育がどうあるべきか、という問題についても、創作と同様の重きをおいて考え続けたバルトークは、こうして彼の中に積み上がった民俗音楽と伝統音楽の「歴史」を、実用を通して生徒に知らしめるために「ミクロコスモス」全6巻を完成させたのではないでしょうか?



・・・と、ここでいきなり、私の頭を悩ませる発端となったこの優れた教本を持ってくるのはせっかちに過ぎますので、「ミクロコスモス」の構成について簡単にまとめますと、

・全6巻が1年から2年で習得出来ることを目標にまとめられており(でも私は10年かかるかも知れない!)
・第1〜3巻で、対位法までを含めたピアノ奏法の基礎技法と音楽の基礎語法をマスター出来、
・第4巻で、基礎技法・語法が「芸術作品」として昇華し得るための応用が身に付き
・第5、6巻で作品の仕上げ方を体得出来る(とくに第6巻は最後の6曲を「ブルガリアのリズムによる舞曲」の、いわば組曲として仕上げ、通常のピアノ教本と違い、<音楽の教本>であったことを明示して締めくくっている)

極めて大雑把にいうと、こんな構成になってます。
「ミクロコスモス」ならではの個性が誰にでもはっきり分かるようになるのは第2巻以降で、それは各課題曲に付けられたタイトルによるところがもっぱらなのですが・・・

実は、タイトルに目くらましをされなければ、第2巻以降の課題の基礎は、すでに第1巻の、しかも第1曲から、周到に準備されていることが分かります。

先日、あるかたが、思い出話に、
「音大でピアノ専攻の子が、つくことになった先生に『ミクロコスモス』第1巻から取り組むよう指示され、それに屈辱を感じて先生と大喧嘩になってしまった」
と教えて下さいました。
たしかに、第1巻第1曲からしばらくは、私でも初見で弾ける程度の「簡単な」ものです。なんの説明もなしに「それから始めろ」といわれたら、それなりにキャリアを積んできたと自負している学生さんは腹を立ててしまっても、致し方ないと思います。

ですが、このところ立て続けに出た「ミクロコスモス」の解釈あるいは指導法の書籍は、第1巻第1曲について、必ず「大切なスタートだ」と重んじて述べています。
譜例は掲げませんが、第1巻は、21番までが「調号なし」(つまり、世の中にもし長旋法と短旋法しかなかったとしたら、ハ長調とイ短調だけ)の、しかも右手と左手が同じ音(高さは1、2オクターブ違いますけれど)あるいは並行した音を、左右同じ動きで弾くだけの曲です。
ところが、ここまでにバルトークが音楽史の「エッセンス」を盛り沢山にしている事実が、たとえば山崎孝「バルトーク ミクロコスモス 演奏と解釈」(春秋社2007)で明らかにされています。バルトークの無二の友人コダーイの弟子であったフランク・オスカーも、わざわざこの第1曲について、レガート奏法や休符の役割、フレーズの認識についての重要な教材であり、なおかつすでに、バルトークの重んじた黄金分割の構成において作り上げられていることに、筆を費やしています。以後、第21番までのあいだに、歴史的に鍵盤楽器の技法として重要であり続けて来た「鏡影進行(対位法の基礎)」やフレーズごとの対照的な語法、フレージングについての認識の強化が企てられている点を、山崎氏の著書ではひとつひとつ丁寧に説明してくれています。22番以降については・・・従来の教本とは違い、かつバッハとも違い、極めて初歩的なところから・・・対位法への取り組みが始まります。

第2巻以降では「ハンガリー風」だの「ユーゴスラヴィア風」だの、さらには「バッハを讃えて」とか「シューマンを讃えて」なるタイトルが現れ、(ついでながら、日本の古謡・童謡も3曲現れます!)学ぶ生徒はいっそう興味をひかれるようになっているのですが、第1巻においてすでに、長短2種ではなく、(エオリアを含み、ロクリアは含まない)教会旋法、すなわちある意味で過去から連綿と東欧世界の人、いや、それにかぎらずどころではない、世界各国の人がその要素で歌って来た多様な旋法が取り入れられ、たとえば「これはリディア旋法だよ」と言った具合に、タイトルと音階で練習曲の前に明示してあることにも注目しなければなりません。

これがまた曲者(くせもの)で、33番などはエオリアとフリギアの2つの旋法を用いているのを明示しているので、まだ「そうなのか」と納得しやすいのですけれど、22番が「ドリア旋法だよーん!」と示されたとたん、さっそく
「え、なんで?」
とツボにはまります。
ドリア旋法は、階名称では「レミファソラシドレ」にあたり、22番の左手は調号なしで素直にそう読めるんですが、右手はそれではしっくりきません。・・・じつは、左手よりも終止音を五度上げたドリア旋法になっているのです。これは、試しに22番の右手を五度下に移調して弾いてみると、はっきり分かります。
これと同じことを、いろいろな旋法でやっているのが、26番、29番、30番です。(こういう類いのことは、本には書いてありませんから、自分で試して発見するしかありません。肯定的にいえば、自分で発見出来る楽しみが残されているところもまた、「ミクロコスモス」の魅力なのです。)

また、リズム面でも、第1曲のヴァリエーションから、練習する生徒は(真面目すぎると)戸惑わされることになりますが・・・これは実際に楽譜をお手にとられる方のお楽しみ、です。

25番の調号の位置も、ビックリネタです。#は1個の場合、「F」の位置に付くのがロマン派までの常識ですが、バルトークは「Cis」の位置に付けています!・・・これで旋法を「長・短」いずれでもないものに変貌させてしまっています。
第1巻の最後の2曲も興味深い作りです。
35番の「コラール」は4拍子で書かれていながら、じつは3拍子を内蔵しています。山崎氏によれば、それは演奏者は認識しておかなければならないが、聴衆の耳にはそう聴かせてはならないものだそうです。
36番の自由なカノンは、上声始まりで下声が追随、という部分と、その逆とを、最終的には巧みに入れ替えますが、それまでに2回、フェイントプレーをしていたりします。

・・・いずれにせよ、これは音譜が読めないと無理だという制限がありますが、「ミクロコスモス」は、最初から「聴いて」ではなく「弾いて」楽しむように作られていますから、是非、この際、お手にとってみて頂ければと思います。



「ミクロコスモス」のことばかり長くなりましたが、これはバルトークが試みたかったことのうちのなかの一例に過ぎないとはいえ、彼が「音楽」を熟考した上で
「なにをしてみたいか、何をして行くべきか」
を明確に示してくれる貴重な作品であることは間違いありません。

で、それを目にした私がそこから受けとめた、「バルトークが試したかったこと」というのは、

<音楽とは、決して単純に「世界の共通語」なんかじゃない。所変われば個性が違う。それが当然なのだ。言語と同じなのだ・・・だが、音楽によって知覚される対象は、幸いにして「音」のみであって、語彙が理解出来なくても意思を伝えるには充分、である可能性は非常に高い。それを列挙し、違いを感じてもらうことはもちろん、それでもなおかつ人間として心に残る共通の深いメッセージがあることを明示出来るのであれば、そのようなことを実現させてみたい>

というものなのではなかったのかな・・・と、これはまた勝手な妄想ですが、斯様に感じた次第です。
(バルトーク自身は考えても見なかったでしょうが、私はふと、現代のコンサートのあり方に新機軸をもたらすヒントが、こうした彼の発想の中から派生して来るように感じているところです・・・余談。)

バルトークが試したかった、と私の推測した音楽のあり方は、私たちの「今」とは絶対に切り離し得ない性質を持ったものだ、ということにも気づかされました。・・・戯言を続けてしまったのは、このことで受けた大きなショックによるものでして、あらためて深くお詫び申し上げます。

まだまだ整理しきれませんけれど・・・一応、本日はここまで。

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・・・「ミクロコスモス」の最も良い校訂譜は春秋社版のものかと思いますが、他に音楽之友社版もあります。ただ、ピアノにお詳しくないと、どちらもある意味、とっつきにくいところがあります。
最も価格が安く上がるのがドレミ楽譜出版のものですが、編訳者の清川美也子さんがひとつひとつの課題に注釈をつけている親切な楽譜でもあり、「入門用」としては最も優れていると思います。(独学の素人には巻末注や校訂報告より、楽譜の脇に簡潔に適切なアドヴァイスがあった方が助かりますから、私はこれを選びました。Ⅰ〜3巻と4〜6巻という、良い区切りでの分冊になっている点でもあり難いと思っております。)

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コメント

ピアノのレッスンで、来月から半年振りにバルトーク復活!となり、3巻に入ります。

「となり」と言っても、実質的には先生に「お願いします!」と頼みました。昨年の後半で2巻をひたすらやっていたのですが、最後にはうんざりしたあの音やリズムを”予想通り”また体験したくなったこともありますが、もう一つ重要な動機は、kenさんの記事や弊ブログへのコメントに促されて、『バルトーク音楽論集』を読み直したりなどして、以前にもまして、俄然興味が湧いて来たからです。これは本当に御礼尽くせないもので、ブログをはじめて良かったなとつくづく思っております。

と、ここで、もしご存知でしたら!コダーイやバルトークが録音した民俗音楽はCDなどで手に入るのでしょうか?彼等の手にならなくても、”出来うる限り生”の民俗音楽として録音されていれば構わない思うのですが、どう探してよいものやらと、、、

投稿: sergejo | 2008年5月17日 (土) 03時00分

バルトーク、コダーイたちの採集した音自体は(当時はフォノグラムすなわちSPの前身による)録音再生技術がようやく実用段階に着たばかりのものでして、おそらくそれをSPないしLPやCDに落とす試みは、資料の膨大さ、時間の膨大さ、コストの膨大さを考えると、もう誰にも手が付けられないで、原盤だけが眠て散る状況なのではないかと思われます。・・・推測だけで済みません。

なおかつ、じゃあ、彼らが採集したものに近い音が聴けるかというと、これも大変です。CDで出ている民俗音楽は、わざわざ録音のために「演じられた」ものが圧倒的に多く、純な録音がしにくい状況はバルトークの報告した当時の様子とさほど変わらないと思われます。

かろうじて、東欧圏のもので真っ当かなあ、と思ったのは
「ブルガリアの音楽---バルカン・大地の歌」King KICW1096
"Wild Sounds from Transylbania, Allachia & Moldavia" WORLD NETWORK 28.300
ですが、後者はバルトークやコダーイが対象としたものとは別種の音楽です。

アジアでもなかなか「まっとうな」民俗音楽の録音を探すのは難儀ですが、入手しやすいだけまだマシで、ヨーロッパものとなると辛うじて南欧系・東欧系に若干入手可能なものがありましたけれど、西欧・北欧・純ロシアとなると、もう絶望的です・・・
こればっかりは真っ当かどうかは封を切るまで分かりません!
ただ、比較的「当たり」が出るのは、
・パッケージに書いてある解説から内容がなるべく具体的に想像出来るもの
 (ただし、その地域の音楽についてほんの少しは予備知識がこちらにあること)
・解説なしのパッケージでしたら、其の写真が素朴な演奏風景であるもの
というところですかね。。。

なかなかに、むずかしいです。

投稿: ken | 2008年5月17日 (土) 11時16分

早速のご回答&ご推薦ありがとうございました!

しかし、そういったものが手に入り難いというのも、折角の先人の
努力をなんなのだ、、、確かに売れなければ仕方がないとは言え、
世界中なら、結構、買い手がつくような気もしますのに、、、

バルトーク好きが興味もって買うよりも、結構、作曲の勉強されている
方や図書館に相応の需要がありそうな。。。

まさか原盤を現代のテープなり何なりに落としてないなんてことは
ないのか、、、とちょっと心配になります。

投稿: sergejo | 2008年5月17日 (土) 12時12分

>バルトーク好きが興味もって買うよりも、結構、作曲の勉強されている
方や図書館に相応の需要がありそうな。。。

よくよく考え直してみますと、これは、存在する「可能性」は充分ああるのではないかと思えて来ました。・・・が、存在・公開状況は調べていません。
全体があるかとなると、それはさすがに難しいかもしれませんから、本家本元(おそらくハンガリー)と他大学の間での貸し借りでやり取りすることにはなるのでしょうし、複製も財政が許すかぎりではしてあるかもしれません。

ただ、収集時期とその後のハンガリー情勢は、必ずしも平坦なものではありませんでしたから、(コダーイの第2次大戦後の活躍を考えると、多分元資料は大事に扱われているはずだと推測されるのですが)、維持保管に努力した人たちの苦労を思ってしまいますね。

また、「市販」の可能性は、まずない、ということも、同時に思っております。
楽しみで音楽を楽しむ現代人のためには音源として古すぎますし、「楽しむ」ポイントは雲をつかむようなものになるはずですから、マーケットに出回る価値はないのかな、と。
大事なのは、それでかえって、原資料が「人類の共有財産」としての意味を重く持つようになることではないのかなあ、とも思います。

投稿: ken | 2008年5月17日 (土) 21時31分

>本家本元(おそらくハンガリー)と他大学の間での貸し借りでやり取り
>することにはなるのでしょうし、複製も財政が許すかぎりではしてある
>かもしれません。

をヒントにいろいろグーグルしてみました。

そのものズバリでは、トルコの音楽はバルトークの集めた音源集なるものありました
http://www.amazon.co.jp/Turkish-Folk-Music-Collection-Bartok/dp/B00000307T/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=music&qid=1211083184&sr=1-1

ハンガリーの施設では、ブダペストの民族学博物館が一番ちゃんとしているようで、
バルトーク、コダーイ他の原資料を補完しているのも、同博物館曰くここだそうです。
http://www.neprajz.hu/english/gyujtemenyek/nepzene.html

その博物館の資料が活用されている、市販化された研究者向け民俗音楽は、 Új Pátriaシリーズ、英語でNew Patria Seriesというものだそうで、Fonoレーベルから発売。

全18巻のようですが、http://www.fono.hu/自身四種類ほどの在庫しかなし。各国Amazonもそういう状態で、見たところ、http://www.passiondiscs.co.uk/hungarian%2002/hungarian_folk_music_02.htmでは、それなりに多少の在庫切れがある程度。

こうなると、私のように「ちょっと聴きたい!」という程度のミーハーな興味の持ち主は、一つ二つ買ってみるか、大きな大学図書館で保有しているか探す・・・のが良いのでしょう。

投稿: sergejo | 2008年5月18日 (日) 13時24分

さすがsergejoさん!

ビックリしてしまいました! よくお調べで!

トルコ音楽のコレクションの経緯は「バルトーク音楽論集」にも載っている通り、特別なケースですから、これはもしかしたらトルコ側にあった音源からCD化したんでしょうかね・・・ハンガリー側で保管していたものでしょうかね?

民俗音楽のコレクションは、結構種類があるようなのですが、狙いがあって聴く場合にはまずシリーズで集めるのが適切かどうか(バルトーク自身のものもそうですが、聴く立場としては狙いにそぐわないものまでいっしょくたに聴くと目的を見失いますから)もあり、シリーズそのものの全体を揃えること自体が困難だったり、大量な素材ではあっても収集出来ている地域が限定されていたり、で、それなりに時間を割けないとデメリットもあり・・・悩むところです。
集中してトルコの民族音楽を聴けるもの自体が稀なので、これ、魅力的なのですが・・・喉から出た手を、いま、一生懸命押えています。
・・・だって、 sergejoさん、超お得なバッハのカンタータ全曲集を紹介なんかなさるから!
・・・ああ、3ヶ月後、また破産だ!

貴重な検索をありがとうございました!

投稿: | 2008年5月18日 (日) 23時02分

いえいえ、お役に立てて何よりです!

一つ前のコメント、同じもの二つ入れてしまって申し訳ございません。

しかし、こういろいろ見てみると、

・極普通の音楽好きが
・あまり深いこと考えずに(私みたいに考えるの意図的に棚上げしつつ)
・ほんものの民俗音楽を聴きたい

という、本で言えば、できのよい新書程度のものって少ないんですね。。。

上述の博物館に直接メールで聴いてみようかしら、、、などと思っています。

投稿: sergejo | 2008年5月18日 (日) 23時34分

>できのよい

・・・となると判断基準がさまざまでむずかしいかもしれませんが、

>新書程度のもの

ということでしたら、普通の方が思っているよりは結構数はあります。

ただ、やっぱり、まず興味が無ければ、そう目にしやすいところにはおかれていませんからね。。。

でも、興味さえあれば、録音そのものを入手しなくてもサイト上で聴けるケースがだいぶ多くなりました。
活用するまでには至っていないのですが、その数の豊富さには驚いた記憶があります。
個人サイトですと、音をアップしているものは意外なほど多く存在します。
博物館によってはwebで公開しているケースもあるのではないでしょうか?

(音楽ではないのですが、東京国立博物館は、収蔵品のマイクロフィルム一般人にもweb上で閲覧可能にしていたりしますから。)

ああ、もうちょっと、時間があればなあ・・・

それから、重複したコメントはこちらで削除出来ますので、ご心配なく。(みなさん、経験ありますよね。)

投稿: ken | 2008年5月18日 (日) 23時55分

>博物館によってはwebで公開しているケースもあるのでは

東欧に限らずで言うと、結構、ありそうですね、確かに。
暇を見つけて探してみまっす。

投稿: sergejo | 2008年5月19日 (月) 01時02分

単純な質問。
「ミクロコスモス」のいい演奏CDはありますか?

投稿: イワン | 2008年5月19日 (月) 12時29分

自分では聞いていないのですが、
バルトーク:ミクロコスモス ゾルタン・コチシュ
ユニバーサル ミュージック PHCP11159

http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=878504

がよろしいかと思います。バルトークについては良く調べ尽くしている人だったと記憶していますから。

後半の「難しい」曲になると、バルトーク自身による演奏の録音も残っていますが、CDは複数の種類で出ていますので、どれを選ばれてもいいかとは思います。

で、「ミクロコスモス」については、楽譜を手にしながらお聴きになることを(ほぼ絶対に!)おすすめします。

音符が読めなくてもいいのです。

音楽が「思索」するかたちは、音に聞こえない部分に示されていて、シューマンなどは「弾かれない音」までを楽譜に書いたりしているのです。・・・弾かれないのですから、当然、音として捉えることは、楽譜無しには出来ません。

その点、バルトークの「ミクロコスモス」は1~3巻は非常にとっつきやすいのです。

楽譜が読めなくても、楽譜の上に記された点(音符)を、(2行でワンセットですから)上の行は赤い線で、下の行はそれと同じような形をしていそうなところを青い線で結んでみるのです。
すると、これはもう、単純な「線の並び・かたち」として楽譜を「見る」ことができるようになります。

第1巻の21番までは、上も下も同じかたちで退屈かもしれませんが、この退屈なかたちが
「ヨーロッパ中世までの」人間が考えていた音楽です。22番からは、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった面々までが考えていた「音楽」を表現しています。

こうした点を考慮すると、
・「読めない」楽譜でも「絵として見る」ということが理解していただけますし、
・絵として見たとき、そこには、「強調・反発・寄り添い・離別」が巧みに盛り込まれていることも分かってきます。

まずお聴きになってみて、
「これは」
と思ったナンバーがありましたら、お知らせいただければその分だけPDFで作ってお送りしますヨ!

余計なことまで!
ごめんなさい。

投稿: ken | 2008年5月19日 (月) 14時04分

アドバイスありがとうございます。お礼が遅くなりましてごめんなさい。
楽譜を見ながら音楽を聞くというのは、ずっと前にバッハの平均律クラヴィーア曲集で試みて、あっさり挫折したことがあります。でも「ミクロコスモス」1~3巻ならなんとかなるかもしれませんね。まずはCDを聞いてみます!

投稿: イワン | 2008年5月21日 (水) 07時22分

最初の方は、お聴きになると退屈なさるかも・・・
そうでない演奏だといいのですが・・・

(私が簡単な曲でもつっかえつっかえ弾いてうなり声をあげている録音でも、してお贈りした方が、笑えていいかもしれません!)

投稿: ken | 2008年5月21日 (水) 20時22分

もうずいぶん古い記事にコメントするのもなんですが、ハンガリーの民俗音楽の録音を聴きたいなら音楽研究所のサイトからどうぞ
http://db.zti.hu/

英語。バルトークによる「ハンガリー民俗音楽」のデータベースです。
http://db.zti.hu/nza/br_en.asp

これは出版された民俗音楽のデータベースです。もちろん録音を聴くこともできます。
http://db.zti.hu/24ora/dalok.asp

投稿: mag | 2012年10月26日 (金) 07時26分

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