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2008年5月19日 (月)

悪印象な「タスキ」は<お粗末本>の印?

昨日、本を買う時に、ちょっと引っかかったことがあったので。

良さそうな本だから、といって、あっさりネット上で買ってしまうと、中身がはずれた時にがっかりしますので、古書で評価の定まっているもの・洋書(これは、出掛けられる範囲の書店では必要なものは殆ど手に入れられませんから)以外は、なるべく手にとってみないと気が済みません。

ですが、私が本屋を覗けるのは、

・昼休み、体力に余力がある時
・帰宅後に子供の用事がない時
・休日に子供が一緒に出掛けている時

に限られます。最後の一つ以外は、20分程度しか時間が取れませんから、それこそ、狙いを定めて、なるべく大きな、その本がおいていそうな店に行きます。

あれば一発で決まり・・・10分も斜め読みすれば、とりあえず
「今の自分の必要としていることが書かれているか、または書かれている可能性があるか」
の判断はつきます。
無い時には・・・せっかく出来た時間ですから、勿体ないので、
「代わりになる価値のある本は無いか」
と、血眼になります。

タスキがついている本ですと、大体、そこに謳われた文句に惹かれて手を出してしまいます。
キンキンさん(杉山欣也先生)が、ご自身が本を出された時には、本のタイトルやカバーのデザインはもちろん、それに合う「タスキ」の色調や謳い文句に相当気をお使いだった、と承ったようにも記憶しています(「『三島由紀夫』の誕生」)・・・これは、私は店頭で衝動的に購入したのではないので、タスキのインパクトを云々する資格はないのですが、少なくともまずその白いカバーにあしらわれた百合と、赤い四角をポイントに入れた漆黒のタスキのバランスの良さが鮮烈で、
「ああ、たしかに、タスキの印象は大事だな」
と思わされました。

大抵の場合、そうは言いながら、私はいったん買ってしまうと、タスキは折り畳んで注釈の箇所に栞として挟んで使ってしまうので、タスキの印象は買ったその瞬間までにしか効力を持たないことが多いのです(今見直したら、数冊の例外を除いて、キンキンさんの本だけですね、珍しくそのまんまにしてあるのは)。

キンキンさんの本のような専門領域のものは、それでもまだ、お値段がお値段ですので、清水の舞台から飛び降りる決心がついたらすかさず、内容の濃さへの期待が消えないうちに購入を決意することになります。
で、専門書のタスキの魅力は(キンキンさんのは本当に珍しく凝った、美術的価値の高いものでして、型破りなのですが、それでも次の基本をはずしていません)、小説の単行本によくあるような、権威者あるいは有名人の安直な献辞が書き並べられているということは稀である、というところにあります。

音楽の本で最近手にした、タスキ付きの「専門書」2冊は、一方は地味なものでした。
「古代劇や叙情詩の表現には欠かせないギリシア音楽を体系的に理論づけた作品。西洋音楽論の古典的名著。」(アリストクセノス/プトレマイオス『古代音楽論集』山本建郎訳 京都大学学術出版会)・・・たったこれだけ。でも、私は長いこと目にしたかったものがすぐそこにあるのを、この地味な売り言葉だけで強く感じてしまい、予算外なのに手を出してしまいました。3,600円も!
罰当たりだなあ。

もう1冊の方も、決して安価ではないのに同じような理由で衝動買いしてしまったのですが、こちらの文句は強烈な一発にころりと来てしまい・・・このときは少し時間のゆとりがありましたので、2、3章分中身を読んで価値を感じ、まだ17章は残っているので、買うしかないと意を決したのですけれど、
「もっと自由な、バッハへ。」(バドゥーラ=スコダ「バッハ 演奏法と解釈」、とっても言いにくいけれど、7,500円。。。)

以上は、よい子はマネをしてはいけません。
ただ、こうやって手を出してしまっても後悔しないで済むのは、専門書の場合、タスキにのせる言葉がその本の中身を著者の立場から適切に示していて、余計な外野が口出ししていないからです。

薄手の単行本でも、価値ある中身だったら、2千円までは衝動買いOK、だとしましょう。
ところが、値段が下がるせいでしょうか、タスキの性質は、専門書とは一変します。
このランクの本には、なぜだか、著名人の「推薦の辞」が羅列されている場合が多い気がします。
統計を取ってみるほどサンプルはありませんし、それ以前に、私はそういうタスキを見ただけで嫌悪感からその本を手にとることさえしなくなってしまいますので・・・いっそ、世の中の本が全部、「推薦の辞」だらけのタスキをかけられていればいいのにな、とさえ思ってしまいます。もしこの思いがかなうなら、私の財布の紐がきゅっと締まるので、浪費癖を直すことができるからです。

で、昨日、そういう幻滅を感じさせるタスキに巡り会ってしまいました。
有名な音楽評論家の本でした。
私の大事なお友達にはこの評論家さんを尊敬している人もいらっしゃるので、あんまり言っちゃいけないのかな、と気が引けているのですが、私はこの評論家さんがモーツァルトの交響曲第39番第1楽章主部のホルンの「ドミソ」とヨハン・シュトラウスの「青きドナウ」のホルンの「ドミソ」をわざわざ並べて
「モーツァルトのほうが耳が良かった」
なることを綴っているのを読んだ子供時代から、実は印象がことごとく良くありません。
その評論家さんのエッセイ集でした。
まあ、好きじゃない人の本だから、買ってしまう心配はもともと無かったのですが、そのタスキに、某オーストリア国の某ウィーン国立歌劇場で大変名誉なご活躍をなさっている指揮者某O氏が
「Y先生は、私にとって最も厳しい先生でした」
なる献辞を載せていることで、(ある地域の音楽活動の隆盛にも力を尽くすなど、その「暖かい」人間性に惹かれていらっしゃるだろう、非常に沢山のファンのかたには大変申し訳ないことながら)・・・吐き気を覚えてしまったのでした。

実際、食欲が失せて、そのあととるつもりでいた昼食を抜いてしまいました。。。

”Takemitsu”の隣にいたことがあるっていうだけで、何の実績も自分では作らず、人様への批判だけで食って来た人が「厳しい先生」だなんて、ちゃんちゃらおかしい、と思う私は、その人が好きではないためその人の功績を公平に評価していないわけで、これはまったく客観的な・合理的な・理知的な話になっていないのは重々承知です。

でも、同じような生業をなさっていても(音楽評論家の類いは古くはハンスリックを含め大嫌いなのですが、それでもハンスリックの美学なんかは非常にいいとはアタマは下がっているのです・・・あ、あまり脱線してはいけない!)、いちおうご自身も棒なんか振り回してみて、人様の批判を甘んじて受けているUさんの方が、じっさい書き物の中身も(真っ当かどうかは別として・・・ひとつだけ、ビックリするくらい真っ当なのがありましたが、極めて短文だったのが幸いしたのだと思います)人間としての暖かみもあるし・・・こちらさんの方は、人様の本のタスキには讃辞を贈っても、ご自分の本には人から献辞を貰って載せることはしていなかった、というだけで、まだ私には受け入れられます。

・・・あ、「受け入れられる」方の話をするんじゃなかった。

今日の狙いは、本の世界が私の財布の紐を固くしてくれるところにあるのでした。

ですから、世の中の本はすべて
「有名人の献辞を明示したタスキなしには出版出来ない」
という検閲を受けるような仕組みになってくれないもんでしょうか?

そうじゃなくても、ウチはヤモメ家庭ですから、父ちゃんに無駄遣いさせることは世の中がうまく抑制してくれないと、困ってしまって「ワン!」なのであります。

値段がまたワンランク下がって「新書」となると、これはこれで、また魅力的なタスキがわんさかですから。新書のタスキの殺し文句には参らされることがありますねー。

あーあ。綴っちゃった。

知ーらね、っと。

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コメント

これは面白い考察ですね。アドラー「本を読む本」(講談社学術文庫)に、「帯タスキの文面はその本の本質を言い当てている場合が多いのでよく見ておけ」といった感じの文章がありました。なぜなら、帯タスキの文面は著者本人か、共同作業をしている編集者が知恵を絞って作ったエッセンスだから、というのです。

で、これホントです。その割に図書館等では帯は最初に捨てられてしまうんですが。

私の場合、帯のデザイン(黒字に赤い四角)は画家の藤田氏、帯文は私自身が書きました。多少インパクトも考えて「!」なんて付けちゃったりしてます。裏面の文面は本文の一節です。最初もっといい加減なのを書いたんですが、校正時に「あ、この部分だな」と思って直しました。

Y氏の帯文に「世界のO」氏(王監督ではない)が文を寄せていること、そしてまあどうでもいいような文であることは私も目にしました。くやしいくらい本屋にいっぱい並んでますね。これに限らず、最近は著名人、それもタレントさんの推薦文が多くなりました。「世界の中心で愛を叫ぶ」が「泣きながら一気に最後まで読みました」という柴崎コウさんの推薦文に掛け替えてから一気に売れ行きが伸び、大ベストセラーになったということが影響しているのでしょうか。出版業界はひとつ当たりが出るといろんなところがその手法を真似して、もはや誰も気にしなくなり有ってもなくても同じ、という風になってしまうまで、徹底して真似し続けるのが凄いと思います。

最近おもしろいと思っているのは講談社現代新書で、新書の2/3に及ぶ帯に、カバーと同じ四角を付け、それに肖像画を飾ってあったりして、本の個性と新書としての統一性を両立させていますね。

CD(LP)ジャケットの帯文もなかなか味がありますね。昔のLPは帯も大きかったので、なかなか面白い帯文があったように思います。「そのときタクトは火を噴いた!」とか「これ以上なにをお望みですか?」とか。CDの帯文は日本だけの文化のような気がします。

投稿: 杉山欣也 | 2008年5月21日 (水) 12時01分

コメント拝読してから、野次馬根性で、また本屋を確かめに行って来ましたけれど・・・じつは講談社現代新書のタスキには最近気に入ったものが多くて、これはボツになりました(ある日から消えました)が、五嶋節さんの「アホンダラ神童、クソッタレ天才」(逆だったかも)は、発案者が節さん(みどり、龍姉弟のおかあさん)だっただけに・・・ボツになったときは悔しかったなあ。「甲骨文字の読み方」って、買っただけで中身を読んでいないのですが、「この文字が読めますか?」とある脇に甲骨文字が並んでるだけで、思わず手が出てしまった・・・。デザインがシンプルになったから、なんでもあり、というところもあって、なかなか楽しいタスキですけれど、現代新書全部がそうではないんですよね。新しいほど統一されて来たのかな?

CDは、LPの時に比べるとインパクトが弱くなった気もしないではありませんが、地味だけれど好きなのが「むすんでひらいての謎」というCDの帯の、「『むすんでひらいて』の謎を追う三世紀にわたる世界の旅」てやつですかね。タイトルとだぶるのが玉に瑕、ではあるのですが。ケースそのものにある謳い文句がいいのは、DVD「新 日本の放浪芸」でして、「〜訪ねて韓国・インドまで〜」って、韓国までずいぶん遠くにあるような錯覚を覚えてしまいました。
本に比べると、CD・DVDに「献辞」みたいなものを載せられるのは評論家氏だけですから、まだましなのかな?

投稿: ken | 2008年5月21日 (水) 20時18分

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