« BWV1128について (バッハ新発見オルガン曲)追記 | トップページ | バルトークが試したかったこと〜「ミクロコスモス」第1巻からだけでもみてみましょう »

2008年5月15日 (木)

あるべき「問い方・答え方」?

日常考えていることから派生してきた、ささやかな疑問です。

音楽はどう発生し、どう受け入れられてきたのだろうか、ということ(すなわち、一口で言えば音楽史)を考え、調べるようになって、中世にまで達したところで、はた、と手が止まる思いがしました。

単に「音楽」の観察からだけではなく、今の世の中をその観察と重ね合わせてみたとき、地域によっての思潮の傾向の落差は、どうも5,6百年前に根ざし、現代にまで引き継がれているのではなかろうか、との印象がぬぐえなくなってきました。
このことについては、これから観察していくことですから、
「結論はこうだ」
と断言できるお話は、一切ありません。

いつもの通り、「時事」の話ではありません・・・と先に申し上げても無効なのは、ゴールデンウィーク前に重々承知はしておりますが、「時事」の「時」は「(今の)時」という限定が入り、それだけ主観的要素にも左右されやすくなります。
もともと極めて主観的な人間である私は、「『時事』の話ではない」とお断りしておかないと、どう暴走するか分かりませんので、これによって自分自身に足枷を嵌めているのだ、とご了解下さい。(手かせまで嵌めちゃうとキーボードが打てなくなるので、そこまではしておりません、ハイ。)

先に、こんな疑問を抱いた背景には、このところ立て続けに起こった、東・東南アジアでの大地震と、その救援についての世界各地の申し出方の姿勢・それを受け入れる側のそれぞれの政府の姿勢があります。なおかつ、私の中で悶々とくすぶっているチベット問題もなくはないのですが、こちらにまで範囲を広げますと、現代だけでもイスラム問題やパレスチナ問題にまで話が広がってしまう上に、それぞれの問題の起源を遡って行けば行くほど、それらについて何かを語る資格は私にはないと思っておりますから、「地震」の例だけを出発点に据えます。(それだけでも、採り上げない問題についてどう考えていくべきかのヒントは得られるのではないか、とも思っております。)



最初に事例を挙げますが、これは本論ではありません。

まずミャンマーで、続いて中国四川省で起きた地震は、日本で最近最大規模だった阪神淡路大震災の4〜5倍に及ぶ被害を引き起こしました。
大陸部では「地震」という経験自体が殆どなく(これは発生メカニズムの関係で、海溝から隔たった陸地では地震が起きる確率が非常に小さいことによるのでして、過去も地震での大被害は大陸内部が圧倒的に多いはずです)、建築物に耐震性など求める習慣がもともと存在しないためであり、まず「被害の大きさ」自体には、それぞれの国あるいはその国の住民の方には何の責任もない、ということは認識しておくべきでしょう。

被害が起きてしまった・・・その先の、(これは国家単位でしか考えられないところがイタイのですが)ミャンマー、中国に対する他国からの救援支援の申し出を受けた側の「答え方」、さらにそれに対する、申し出た国の「問いかけの仕方」を、ちょっと見ておきましょう。

中国については、まず、援助を臨機応変に受け入れるのはやぶさかではないという姿勢で、紛糾する点がまったくありませんでしたね。これは(民族問題は災害よりも後回しでよい、という、「人命尊重」の基本的な優先順位にはかなっているためにでしょうか)中国が「経済成長政策」に転じて以降、国家運営のバックボーンとなる「基本思想・主義主張」を引っ込めてでも他国への門戸を開いておいた方が良い、との判断をしてきたことが、救援を申し出た側から見れば「実を結んだ」ものでして、中国側から見ても、外国資本を取り入れても自国に経済損失はなかった、むしろ大トクをしたという実績を築いたうえでの自信が、受け入れ申し出に特段拒絶する必要を感じなくなったという、この国の、ここ四半世紀ほどの「変質」が大きく関与している点は、(当事者側の中国はどう考えているかは分かりませんが)他国側はほとんど意識していないものと思われます。
(16日付記:この記述、私自身世の中に疎いので、中国が必ずしも「援助受け入れ」に積極的ではない・・・四川省はチベット系を含む少数民族も多く、事情はそう簡単ではない、という点について認識漏れがあるようですが、ミャンマーとの対比の上ではそれでも「緩い」事情は間違いではなさそうなのでこのままとします。)

一方のミャンマーは、各国の救援の申し出をかたくなに拒絶したことで、現在の国家運営責任者である軍事政権は、手始めにフランスという、地理的にはるか遠くにある国からケチョンケチョンに非難され(すなわち「なぜ受け入れないのか」とキツい口調で問いかけられ)、その他の諸国もほぼその非難に同調している状況です。結果的にミャンマーの軍事政権は、「親善国」であるタイ・インド・バングラデシュ・中国からのみ支援を受け入れる、と表明しました。これは、他の国から受けた非難に屈したからでしょうか? そうではないでしょう。
「国家」という単位でなければ、現状、ミャンマーは日本のNPO法人からの支援などを受け、現地の人たち自体も支援を受けるにあたって、拒否的ではなく親善的な態度で臨んでいるとのことでもあります。
ですから、軍事政権の「拒否」は「国家対国家」という(正体としてはヴァーチャルな)視点での話に過ぎず、人と人、という対話の上に決定されたものではない、というのは、案外、盲点になっているのではないでしょうか?
軍事政権でなければ、民主国家を標榜する政府になっていれば、ミャンマーは他国全ての「救援」申し入れを受け入れたのでしょうか?・・・軍事政権以前にもミャンマー(ビルマ)が非常に長期間にわたって鎖国を続けていた理由は、ここでは等閑視されています。

「今」に目を奪われると、そこに至ったプロセスは等閑視される。
今回はほぼ同時期に起こった地震による甚大な被害に対し、それぞれの「国」がどう対応したかで、それぞれの「国」が辿って来た過去のプロセスの差異や本質も浮き彫りにされた、という点を、本来は他国は<接し方をより深く考えるために>注目して然るべきかと思われますのに、そういう視点からの報道ないしコメントは、少なくとも私の耳目にし得る限りの狭い世界では全く見当たらない、というのが・・・長くなりましたが・・・私の「疑問」の出発点です。



隣近所との交流、というのは、別に現代でも、いちいち記録される習慣は存在しません。
これが、離れた土地同士の複数人の交流、となると・・・文字に書きとめられるようになるのは、その必要性を人々が感じるようになって初めてのことですから、いつから始まったか、を特定することは困難です。すなわち、こちらについても、もともと記録する習慣はなかった。

話題が逸れるようですが、中世後期から、音楽は、おおまかには東洋では無記名のままで、西洋では記名性をもって作曲ないし演奏される、という区分が生じてきます。
これは、私の身近でルネサンス以降の音楽にもお詳しいかたに言わせれば
「文字文化と印刷文化が西欧では発展した、そのことによる影響が大きいのだそうですよ」
とのことでしたが、そのお話を伺ったときに私の方から言ったのは、
「いや、西欧では音楽家も宮廷の支配者の<ステータスシンボル>としての価値を持つようになったからなんじゃないでしょうかねえ」
という、やはり素朴な疑問でした。
いま、そのことの真偽を調べたい、と思って読書を続けております。

関連して、薄手ながら興味深い本を読みました。未知だった異文化圏との交流に関する、ヨーロッパでも早い時期に属する記録のひとつだと見なしてよいものではありますが、標題が、驚愕モノです。
「インディアスの破壊についての簡潔な報告」(ラス・カサス著 柴田秀雄訳 岩波文庫)
という書名で、コロンブスの中南米<発見>以後、現地に赴いたスペイン民間人が、その地のインディオたちを如何に謀略にはめ、隷属させ、殺戮の限りを尽くしたか、を、同じ中南米に赴いたスペインのカトリック司教が国王に対して告発した文書です。(ついでながら、インディオの殺戮の不当を訴えたこの司教も、黒人奴隷については是認していたらしい痕跡がある、とのことですが、アフリカの黒人達をヨーロッパ人が奴隷として使役するようになった起源についての明確な記録は、私は目にしていません。)

この本からは、自分たちの目から見れば未開である民が、無尽蔵のお宝を有する土地でその価値にも気づかず暮らしていたことが、「征服者」にとっていかに好都合であったか、を読み取ることが出来ます。その目を蔽うばかりの残酷な記述は「偽りであって欲しい」と祈りたくなるものですけれど、現実に、それまで南米に存続していた「帝国」は、征服者に太刀打ちできる外交について全く未経験であったためもあるのでしょう、この本が書かれた頃には風前の灯となり、まもなく滅亡してしまっています。

かつ、この本のその後の経歴も、解説で知られる限り数奇な運命をたどっており、17世紀にはフランドル地方の独立のために「スペイン人とはこれほど残虐なのだ」というプロパガンダ構築に利用され、19世紀には、今度は南米に移住した白人の子孫により、同様に先祖の国の束縛を逃れるために、支配者スペインの冷徹さを裏付ける史料として用いられたのでした。

本来は、「このような憂うべき事実を、スペインの国王に阻止してもらいたい」との主旨で書かれた本書は、当初、スペイン国王(実際に着手したのはカルロス1世=神聖ローマ皇帝カルル5世)が自国民の南米での無謀を阻止するために・・・時既に遅しではありましたが・・・活かされたのでした。「事実」を為政者が確認し、「事実」に対処するために、という、元来の目的に答えて欲しいが為に本書は書かれ、それなりに効果も発揮したのです。
ところが、時を経ると、こんどは本書の救済の目的であったインディオとは全く別の集団が、彼らの都合のいいように本書を解釈し、利用するようになったのですから・・・それによってもたらされた結果の良し悪しは別として・・・実に皮肉なものです。



日本の高等学校の「世界史」教科書がいまなおそうなのかは知りませんが、私の高校時代の教科書では、「インディアスの破壊・・・」の書かれた時代は、<大航海時代>と<ルネサンス>という二つの定型句によって、西欧の最も輝かしい時期であった、と称揚されるだけでした。おかげでインディオの帝国が滅亡した、などという側面には、ひとこと程度しか触れていませんでした(ひとことあっただけでも幸いだったのでしょうかね)。東側に目を向ければ、西欧が<大航海時代>なるものを迎える以前に、すでにイスラム商人の活発な活動でインド洋諸国は交流を深めており、しかもこの時代にはインドにはムガル、中国には元〜明という強力な帝国が存在したこと、かつ、これらの帝国は(幾度もの争乱は避けられなかったものの)近隣の小王国に対してはそれを滅亡させる、というまでの発想はなかったこと、かつ行き来した商人の主流もイスラム教徒だったとは言っても、相手国の宗教に対しては干渉しなかったことなどもあって、インド洋諸国の交流は西欧の介入後に比べると、ずっと平和なものだったのです。


「財宝を我が物に」
に最大の価値観を置く点では、西洋・東洋の差は、それまではなかったと感じております。

「財産家には名誉を」
というふうに集約してしまっていいのかどうか分かりませんが、早期に絶対王権(帝権)を確立していた東洋世界では、個人に特定された名誉というものは助長されようがありませんでした。

西欧の<大航海時代>は、それまでの芯であった「ローマ帝国」が、まず西、その千年後に東、と崩壊しており、とくに東ローマ帝国滅亡後は「神聖ローマ帝国」という抽象的な理念の元で誰が<帝国>を再構築するのか、に最大の関心が払い始められ、同時並行で<いまさら、帝国よりも、我々自身の富・名誉だ>という、まずは富者中心の<個人主義>が蠕動し始めた時期でもありました。
それが、西欧の活動が東は既存のインド洋貿易、西は未開の中南米征服というかたちで外向けに展開されたとき、これは良心的に解釈して、ではありますが、大帝国未確立の状況下では自らのステータスシンボルの新たな獲得と明示を急務とせざるを得なかったため、自分たちの故地ヨーロッパで「名を売る」ことに熱中した結果、自分たちでも思いもよらなかったほどの残虐さを発揮する結果をもたらしたのではないか、と、およそ今時点での私には、そのようなヴィジョンが脳裡に浮かんできて、抑えようがありません。

かつ、このように考えると、この時代以後、東洋世界が西洋世界に対し順次「鎖国的」政策をとるようになって行ったプロセスも明確になるのではないか、という<妄想>さえ抱いております。(さらには、日本が「開国」後、なぜ無反省に西洋世界の「帝国主義」を受容したのか、まで筋道をつけて見通せる気さえしているのですが、そこまで話を拡大するのはやめておきましょう。)
音楽においても、このような文脈の中で「高い名声を誇る音楽家」個人がステータスシンボル足りえる価値を獲得したが為に、以後、作曲活動も演奏活動も、先ずは宮廷の、続いては資産階級の「特にふさわしい地位を示す財産」となることを前提に、「記名性」が重要視されたものへと変貌していくことになったのではないか?

ここまで記述してきたことは、最近起こった事実から、私が連想し、私が私に問い、私に仮説としての答えを出してみたものです。

これが「あるべき『問い方・答え方』」に成りえているのかどうか・・・さらに慎重な検討が必要なのではないか、とも感じ、考えている最中です。



ここで、16世紀の西欧人の手になるものですが、こんな私に熟考を促す恰好の著作物があります。
著者をエラスムス、書名を『痴愚神礼讃』といいます。
<愚かさを司る神を礼賛する>という書名にも関わらず、内容は古代ギリシア・ローマの古典を豊富に典拠として引用し、比喩に用いているため、私たち(いや、これではどなたにも失礼なので、私だけ、と言っちゃって構わないのですが)には適切な注釈なしには読解することが出来ません。
そのためでしょうか、ずっと以前には文庫本化もされていたのですが、今では新訳で読むことが出来ません。(中央公論新社から、渡辺一夫氏の旧訳が再発刊されています。)
それでも、この書物、インディアスを破滅に追いやっている同国人を告発した人物と同じ、いや、それ以上の精神で、国家レベルから個人レベルに至るまでの「人間の愚かさ」について、典拠をもって白日の下にさらしていく、外野として読む分には痛快な、自身のものと捕らえて読むには非常に酷なエッセイです。
中に、このような言葉があります。

「善い法律というものは、疑う余地もなく悪い風俗があってこそ生まれるものですからね。」(渡辺一夫 訳)

これに、今、はた、と考え込まされているところです。

煩雑な文にお付き合いさせてしまい、恐縮でした。

インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)Bookインディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)


著者:染田 秀藤,ラス・カサス

販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

痴愚神礼讃 (中公クラシックス)Book痴愚神礼讃 (中公クラシックス)


著者:エラスムス

販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


|

« BWV1128について (バッハ新発見オルガン曲)追記 | トップページ | バルトークが試したかったこと〜「ミクロコスモス」第1巻からだけでもみてみましょう »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/95716/20970132

この記事へのトラックバック一覧です: あるべき「問い方・答え方」?:

« BWV1128について (バッハ新発見オルガン曲)追記 | トップページ | バルトークが試したかったこと〜「ミクロコスモス」第1巻からだけでもみてみましょう »