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2008年5月25日 (日)

モーツァルト:等閑視されて来た傑作〜「タモス、エジプトの王」K.345

ラ・プティット・バンド at つくば(6月1日)、是非お出掛けになってみて下さい!(リンクしてあります。)



私の所属するアマチュアオーケストラ、東京ムジークフローの名オーボエ奏者だったHさんの一周忌に寄せて駄文を綴りました。

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

この週末は文化史上興味深い事件が相次ぎました。「ベルリンのフィルハーモニーが火災」・「万葉歌が木簡に書かれていることが判明!」の2つはブログに記事を引用しましたが、今朝までに、さらに「行方不明になっていた正倉院宝物の荘園絵図(19枚あったうちから持ち出されて行方不明になっていた1枚)が富山で発見された」というものもありました。荘園については、私はざっとしか知りませんので(音楽だの和歌だのも本当はろくろく知らない厚顔無恥で記事を綴っているのですが)掲載しません。

トドメが、「後期ウィーン時代のモーツァルト作品とおぼしき3作の<筆写譜>、チェコ郊外で発見」というニュースなのでした。・・・が、これは朋友が時事通信のニュースで見つけた以上のものがないか、検索しましたけれど、まだ他には出ていません(080525、14時現在)。「写譜」というところと、モーツァルトはウィーン時代には自作カタログを作っているのですけれど、かつニュースを読むかぎり学者さんは少なくともそこまでは照合を行なったかと推測されますけれど、該当作が見当たらない、というところに引っかかりを感じますが、どんな結果になるでしょう?(バッハについても真作新発見のニュースがあったばかりで・・・これについての私の最終結論は、数日中に綴ります。)



「モーツァルト唯一の」とされている劇音楽「タモス、エジプトの王」K.345は、西田氏(やコンラート)の作品表によると、2つある合唱曲の初稿が1773年、その改訂作ともうひとつの合唱曲および4曲の幕間音楽が、コンラートの推定では1776〜9年ごろ(幕間音楽は77年)、アイゼン説では1779〜80年頃、とされています。
後で見て行きますように、私の素人推測では、早い方の1777年でも、モーツァルトはこの音楽を完成させるには充分な実力は持っていたと思っております。ただ、公式には1779年説が有力なのかな、との印象を受けております(NMAの解説【1956】は79年補作を前提として書かれいています。それは、第4曲の合唱が、モーツァルトが78年にマンハイムで強く印象付けられたベンダ作曲「メデア」の影響を受けていることが最大の論拠であるようですが・・・私は「メデア」を聴くチャンスに恵まれず、確認のとりようがありません)。

「タモス」は、この推定作曲年代の幅の広さから窺われるように、(音楽のことはさておいても)ロングラン上演された「フリーメーソン」演劇だったようです。エジプトが舞台であり、フリーメーソンの参入儀礼で重視された「死」の象徴的な意味を劇のクライマックスに持って来る(このあと、「タモス」の音楽の中で最も劇的で美しい第7曲が演奏され、大団円を迎えます)構成となっていることからも、また、第2幕への間奏曲である第2曲冒頭が主和音3回の上昇して行く響き(『魔笛』序曲と同じ。ただし、『魔笛』が長調の和音であるのに対し、『タモス』は短調の和音です)が用いられていることからも、この作品が「フリーメーソン」劇であったことが音楽面から裏付けられていると言っていいでしょう。
劇の作者はトビアス・ヨハン・フライフェルン・フォン・ゲブラー男爵(1726-1786)という人物(アインシュタインによれば、ボヘミア宮内省の枢密顧問官兼副長官だったそうです)。
ゲブラーは当初、この劇への音楽をザットラーという人物(不詳)に作らせ、グルックに吟味を依頼しだのですが満足がいかず、最終的にモーツァルトにお鉢が回って来たもの、ということになっています。アインシュタインはこのように述べているのですが、確かめ得なかったものの、この話の出所はオットー・ヤーンのようです。
これまた出所の分からない話ですが、アインシュタインによれば、ゲブラーはモーツァルトの作った音楽に大変満足し、73年12月13日に、初演の地ウィーンからベルリンの文学者フリードリッヒ・ニコラーイに手紙でこう書き送っているそうです。
「先日モーツァルト氏という人が作曲したばかりの、タモスの音楽を・・・同封致します。それは同氏自身の構想によるもので、第1の合唱は実に美しい曲です。」
この書簡については、ドイッチュとアイブルのまとめた「ドキュメンタリー モーツァルトの生涯」には収録されていません。
最終的な改作は、他のモーツァルト作品の劇音楽上演にも貢献したベーム一座のために行なわれた(79年と推定)とされ、その際に第3の合唱曲が追加された、とアインシュタインは述べています。

モーツァルト自身、「タモス」の音楽には自信を持っていたと思われますが、作品は報いられず、1783年2月15日のウィーンから父に宛てた書簡の中で、こう述べています。
「タモスのための音楽を利用出来ないだろうということは残念でなりません!・・・この作品は当地では気に入られなかったので、もう演奏されることのない見捨てられた作品の仲間入りをしています。・・・ただ音楽だけのために演奏されるとすれば別問題ですが・・・その見込みもまずありますまい。・・・実に残念です。」(アインシュタイン著所載のものから、浅井真男訳)



初稿が残っているのは、ゲブラーも書簡で触れているという(幕開けの)第1の合唱曲(最終稿より5小節短い)と、第5幕冒頭で用いられる第6曲の途中まで(121小節)です。NMAではさらに、登場人物のなかの悪玉フェロンがカミナリに打たれる場面の音楽(第7曲a)が、これらの初稿と共に、全体とは別に切り離された「付録」の部に収められていますが、これは自筆譜に抹消線が引いてあることによります。ただし、録音される場合は、7aは第7曲に先立って演奏されるのが通例化しているかと思われます。


「タモス」の音楽については、不思議と、劇の進行との兼ね合いについての記述を見受けません。NMAのスコアには台本部分も印刷されていますし、後述するように、第3曲はタモスの舞台上での演技におそらく密接に関わっていたでしょうし、第4曲は、やはり登場人物のひとりザイースが音楽のどの部分でどの台詞を喋るのかについての注意書きまで入っています。音楽の印象が素晴らしいから劇の進行との関係は無視して鑑賞し得る、というのが常識化しているのでしょうか? 劇の再演自体が今日的意味合いを全く持たないのは、劇の方は忘却されているのですからやむを得ないとしても、劇本体の筋と音楽がどう言う接点を持っているかが不明確であることは、一方で音楽の方の演奏機会をも減らすことに繋がっているような気がして、モーツァルトの
「・・・ただ音楽だけのために演奏されるとすれば別問題ですが・・・」
というはかない希望も未だにかなっていない状況は、寂しいかぎりです。


劇は5幕ものですが、基本的に1幕あたり8場となっており、登場人物の短い独白を2〜3場目と後半の1ヶ所に置くことでドラマにアクセントを付ける工夫がなされています。
登場人物は、
・タモス(陰謀にたけた故・父ラメセスとは対照的な、人徳豊かな若いエジプト新王)
・ザイース(実はタルジス、陰謀で死んだとされる先王メネスの娘、タモスと恋仲)
・ゼートス(実は、タモスの父ラメセスの陰謀で死んだと思われていた先王、メネス)
・フェロン(王位継承権を持つ、エジプト王室の重臣)
・ミルツァ(フェロンのおば)
・ハモン(ゼートスを密かに救った高僧)
・ミリス(ザイースの親友)
・ファネス:宮宰
といったところに、合唱要員として、舞台となる「太陽の神殿」に仕える男女の神官の集団が加わります。


恥ずかしながら、私にはドイツ語の読解力はさほどありません。文学的なものとなると、なおさらです。・・・ですので、誤りを多分に孕んでしまうかとは思いますが、以下、曲の構成を、私に出来るかぎり、劇の進行と結びつけてご紹介したいと思います。以下、お読みになりづらいかも知れず、恐縮の至りですが、「タモス」の音楽の魅力の由来がどこにあるかのヒントとして少しでもお役に立てるようでしたら幸いです。

なお、管弦楽の編成はフルート、オーボエ、ファゴット、ホルン、トランペット各2本、トロンボーン3本(宗教曲とは違い、合唱をなぞるため、ではなく、独立して和音を構成するという用いられかたになっています)、ティンパニ、弦五部、という、当時ではおよそ考えうる最大級のもので、合唱をクラリネットを含めて割り振り直して管弦楽曲に編曲し直したい誘惑に駆られるほどです。音楽も「モーツァルトは軽やかな奏法で!」とこだわる演奏者にとってはおそらくびっくり仰天の、むしろ固い音で演奏することが似合う、部分的にはベートーヴェンを先取りした作風を示していることをも、申し添えておきます。

第1幕:第1曲と共に幕を開けます。
第1曲=合唱曲、ハ長調。新王タモスへの期待を込めたもの。2/2、Maestoso。208小節。
・・・合唱の後、第8場までの劇が一気に進行しますが、ここでは早くもゼートスが先王メネスであることが(ハモンの台詞を通じ観客にだけ)明らかになり、幕の最後ではフェロンとミルツァの間に、タモスを亡き者として王位を簒奪しようという陰謀の芽生えがほのめかされます。

第2幕:先立って、間奏曲として激しい第2曲が演奏されます。
第2曲=フルート、トロンボーンなし。ハ短調、4/4、Allegro、128小節。
     冒頭部の3つの和音がフリーメーソン的であることは先述しました。
     主和音・属和音の跳躍、シンコペーションの多用は73年の交響曲第25番と共通です。
     第5曲と共に、半音階的進行が有効に活かされている点も要注目です。
     途中(48小節から)のc-f-g-cという巧みな転調も(これが73年作なら)画期的です。
・・・間奏曲の終了後、ザイースが友ミリスと、タモスへの恋心を屈託なく語るところから始まりますが、フェロンのおばミルツァがすぐに参入して来て、タモスがいかに悪人か、とのあらぬ吹聴をしてザイースの心を乱します。そうとは知らぬタモスは、ひたすら無心に、ザイースへの思いにふけります。
第3曲=Andante、3/4、変ホ長調。具体的にどんな演出だったのかは分かりませんが、タモスがザイースに抱いている純粋な思いを「動作」として表している背景で鳴り響く音楽ですから、第3幕への間奏曲とだけ見なすのは適切ではないと思われます。ピチカートによる伴奏は、本来の恋の歌としてのセレナーデを彷彿とさせます。

第3幕:音楽を伴いませんが、緊迫した幕です。フェロンが、タモス、ゼートスのそれぞれに個別に追従し、とくにゼートスに対してはその清廉潔白さを利用しつつ陰謀に丸め込むべく、ミルツァと組んで執拗に「タモスの排除」をもちかけます。

第4幕:第1場は音楽を背景にザイースが台詞を語る、ということが音楽(第4曲)の方に明記されており、この点、劇の「単純な」背景音楽ではありません。台詞の変わり目と一致した音楽のテンポ変化に注目してみましょう。
第4曲=29小節までAllegr、3/4、ト短調。30小節よりAllegretto、2/4、変ロ長調。35小節よりAndante、43小節からザイースの台詞が始まり、53、70小節目にも対応すべきザイースの台詞が記されています。63小節よりPiu andante、73小節よりPiu Adagio、80小節よりAllegretto、85小節よりAdagioで、73、80、85小節はテンポ変化と共に語られるべきザイースの台詞が明記され、90小節で第1場の終了と共に曲を終えます。不安のうちに始まった台詞が、ザイースの、タモスを信じる心へと移り変わって行くのを、巧みに表現した音楽です。
以降、ザイースはタモスと簡単な会話をして去り、ついでゼートスがタモスの善良な人間性を確認し、ハモンと打ち合わせの上、フェロンの示した陰謀に「嵌る」ふりをします。第9場まであります。

第5曲は=終幕へ向けての激しい間奏曲です。ニ短調で4/4、Allegro vivace assai、第2曲と同編成で、やはり交響曲第25番に通ずる書法で作曲されています。さらに、半音階進行(10-15、73-79、115-118)の多用も第2曲と共通しています。

第5幕:263小節という長大な合唱曲で幕を開けますので、台本は第3場までしかありませんが、終曲が大きく3部に分かれています。最初の合唱曲(第6曲)がやはり大きく3部構成となっていますので、最初の3場この曲が受け持っていると受けとめれば、全体が8場の構成となり、他の幕と均衡がとれていることが分かります。
第6曲=1小節目からは、ニ長調、Adagio、4/4。13小節目からは、それまでを前奏とするAllegro vivace。69小節目よりイ長調のAllegretto、3/4で男声・女性の独唱がそれぞれなされたあと、四重唱となります。143小節目から、同じ調性で再び合唱となります。185小節からは再びニ長調に戻り、Allegro vivaceですが、ベートーヴェン「荘厳ミサ」の先駆けを思わせる壮麗で重厚な音楽である点、これまでのモーツァルト作品とは一線を画しています。267小節からテンポを落とし、moderatoの指示となって284小節で曲を閉じます。
物語は、フェロンの陰謀が行なわれるはずのタモス戴冠式の場を迎えます。ここで、水戸黄門の印籠宜しく、ザイースが先王メネスであり、タモスの正義を支持していることが、(お客はとっくに知っていたわけですが)フェロンとミルツァの前では初めて明らかになります。切羽詰まったミルツァは自害し、なおも悪事を貫こうと粘るフェロンはカミナリに打たれて死にます(第7a曲、ニ短調、75小節)。
第7曲=劇はこの曲で荘厳に締めくくられますが、最初の部分の音楽が「ドン・ジョヴァンニ」に通ずる雰囲気を持っていることには、なぜ注目されて来なかったのか、不思議で仕方ありません。
1小節目から、ニ短調、Andante moderato、弦楽器上声部はミュート装着、下声部(低音)はピチカート。力強いバスの独唱で始まりますが、これがまさに「ドン・ジョヴァンニ」の騎士長のようです。それに続く合唱は、神秘的な静けさを讃えています。33小節目からニ長調に転じ、祝祭的な場面への転換を予告します。46小節以降はフィナーレです。ニ長調のAllegro、3/4と、舞曲的なリズムなのも特徴的です。191小節で曲と、演劇全体を輝かしい雰囲気のうちに閉じます。

長くなりました。これくらいで。

タワーレコードでの、CDの一覧をリンクしておきます。

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コメント

「タモス」の詳しい解説ありがとうございます。勉強になります。小生は、アーノンクール:コンセルトヘボウにて聴いております。

投稿: ランスロット | 2008年5月27日 (火) 00時14分

ランスロットさん、いつもありがとうございます。
私もアーノンクール盤がメインです。フィリップスの輸入盤の方の全集も聴いています。ベルリンシュターツカペレの演奏で、第7曲をテオ・アダムが歌っています。両方ともいい演奏だと思いますが、単独盤で出ていないのが残念ですね。

投稿: ken | 2008年5月27日 (火) 06時07分

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