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2008年5月 9日 (金)

曲解音楽史:34)マルコ帰着(コンスタンチノープル)

前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世 29)宋・元時代の「中国」
    30)日本の「オラショ」 31)ヴェトナム伝統音楽 32)インドネシア 33)東アフリカ



マルコ・ポーロも、とうとうヨーロッパに帰着します。
ですが、彼がヴェネチアに帰る前に、私たちは彼とお別れしましょう・・・彼の今後の健康を祈りながら。
どこでお別れするか?
ヨーロッパの玄関口、コンスタンチノープル(コーンスタンティノポリス、現イスタンブール)です。

コンスタンチノープルを首都とする東ローマ帝国は、マルコの時代まではよく勢力を保ちましたが、既にイスラームに対する劣勢は否めず、縮小の勢いは加速的に増していき、陥落直前の領域は、コンスタンチノープルそのものだけに限られてしまっていた、と言っていいほど狭まっていました。
それでも海上貿易の重要拠点だっただけに、華やかな文化は衰えることがなかった、との印象があります。

歴史上の東ローマ帝国の盛衰についてはしかるべき史書もありますし、悲劇的なコンスタンチノープルの陥落については、それをトピックに取り扱った研究書のほかに、塩野七生さんの小説でも生々しく(もちろん、フィクションを交えて、ではありますが・・・征服した側のメフメト(マホメット)2世の器の大きさも髣髴とさせてくれる点で歴史書にはない魅力があります)描かれています。
・・・なお、このオスマントルコの帝王を主人公にした歌劇を19世紀のロッシーニが作曲しているのは興味深いことです。地中海圏では、ホスロー1世と共に、ながいあいだ忘れ難い恐怖を与え続けた人物だったのでしょうか?

目をもっと西に転じると、しかし、一方ではイスラーム勢力はほぼ同時期にイベリア半島から退却を余儀なくされています。
(コンスタンチノープルの陥落は1453年、グラナダ陥落は1492年です。)

マルコの当時は勿論、それまでのほぼ2百年間は、地中海周辺の音楽は、イスラーム的なものと南ヨーロッパ的なものが入り混じった、一種独特な・・・というより、ヨーロッパ内陸部の吟遊詩人だとかグレゴリオ聖歌だとか、やや固定化しつつあった類いの歌に比べると、多様な展開を見せていたと思われます。

惜しいことに、その復元の試みは、決して多くなされているようではありません。

ただ、数少ない復元演奏をざっと眺めただけでも、

・ユダヤ系の歌唱がユダヤ教徒に限らず広範囲に行き渡っていたであろうこと
 (26でご紹介した「セファラド」〜そちらで述べましたように、スペインを表す言葉ですが、そこで採り上げた曲のタイトルを見て頂ければ分かりますように、このユダヤ系の歌唱は東欧圏にまで広がっていたようです。こちらにご紹介したブルガリアの歌唱も、再度お聴きになってみて下さい)

ペルシア系の古典音楽も、地中海世界の西端にまで達していたであろうこと
(今回はそれをお聴きいただくつもりですが、おそらく何らかの形で記譜されたか、口承で伝わっていたものが後年採譜されたか、で、これも27でご紹介した本来のペルシア古典よりも自由度の低い、すなわち演奏者による違いの少ないものに変化してはいます。)

という、2つの大きい潮流は確認出来ます。

マルコが家族との再会に胸を躍らせながらコンスタンチノープルの港を出発した頃には、この港では、上記のような、東西世界のあい混じった響きの世界が、彼の背中を見送ったのではなかろうか、と想像しております。

「セファラド」でご紹介したのとは別の復元演奏で、その名も「コンスタンチノープル」という団体の録音から、どうぞお聴き下さい。(ATMA classique ACD 2 2314

ちょっとだけで恐縮ですが。


  〜ペルシア発祥の「ラディーフ」が固定化した様子がうかがえます。


  〜これは、ルネサンス期のものとされるヨーロッパの舞曲に繋がっていくことが明らかですね。
   スペインを経由し,フランドル地方に潜伏したもののようです。(「テレプしコーレ」など。)
   さらに言えば,「コプト聖歌」のなどを参考にしたとき,この系統の音楽は、
   エジプトやチュニジアあたりに起源を発するリズムを持っている気がしないでもありません。

この系列の音楽は、しかし、メフメト2世のコンスタンチノープル攻略とともに、イスラーム世界、ヨーロッパ世界双方で、以後、影の存在(別の言い方をすれば地下化した存在)となってしまい、芽生えだした「芸術音楽」は東西に分離していくこととなります。
それでも、音楽世界はユーラシアでは本来「ひとつ」だった、と言いうる鉱脈が、各地方の民族音楽に、こんにちまで保たれる結果をももたらしたのは、15世紀中葉までの音楽が、およそ「芸術音楽」などという「ステータスシンボルに付随するもの」にならずに、民衆という地下世界の中に深く潜っていてくれたおかげでもあるのかもしれません。

そのあたりは、また引き続き観察してみましょう。

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