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2008年4月25日 (金)

自立していく、離れていく

昨日の記事は楽譜を参照できない状態で記憶上のテキトーな「読み」を記してしまっており、家庭内での持ち時間の関係上、そのまま掲載していました。修正しましたので、お読み直し頂ければありがたく存じます。申し訳ございませんでした。



息子は、卓球部に入部しました。

小学校のクラブでも卓球をやっていました・・・その話を家で僕に聞かせてくれたことはなかったけれど。
母親との最後の旅行で、夜遅くまで楽しく卓球をした思い出もありました。これは、勿論、一緒に出かけたのだから、私もはっきり覚えています。でも、なぜ息子が「卓球部に入りたい」と言い出したのか、とは、なかなか結びつきませんでした。夢中で部活動の決め方の話をしあった後、ふらりと買い物に出て、頭がそれそのものから解き放たれたときに、初めて気がつかされたのでした。

それでも、私はホンネでは、母の意を汲んでくれるのならば吹奏楽部を、私が息子に願っていた将来像をたどる道筋を得てもらうには柔道部を、と、最後まで期待してしまっていました。
完全に、私の過ちです。

息子が、息子の意志で決めたことを、今は誉めてあげなければならないのかも知れません。
感情的に、なかなかそれが出来ずにいます。
小学校の卓球クラブに入ったとき(これは抽選で決まったのでしたが)
「どうせやるなら」
というので、DVD付きの入門書を買い与えてありました。
「まだちゃんと持ってるか」
「あるよ」
息子はすぐに取り出してきました。
夕べは娘のピアノのレッスンでしたが、息子は留守番している、というので、
「じゃあ、留守番している間に、しっかりこの本を読んで、上手になれるよう準備しなさい」
と言い置いて出かけました。
帰宅したとき、息子はまじめに、その卓球の入門書を読んでいました。

ここまでは、まだ私の意思が、息子を支配していました。

でも、ここからは、息子の意思が息子を支配していくようになるのでしょう。
私から自立し、私から離れていくのです。

私自身の「自立」の過程に比べれば、息子の方が、母親を失ったにも関わらず、ここまでは私よりはるかにまっとうです・・・私自身のことを記すと恥の上塗りになりますので、隠しておきますが!



「自立」という言葉は、聞こえはいいのですが、おとなになったかたにはお分かりいただけるとおり、いろいろと複雑な要素を孕んでいます。話をややこしくして恐縮ですが、大括りに整理すると、

・誰から、どの程度自立しているのか
・その自立は社会的通念に沿ったものか、自立者に固有のものか

少なくとも、この2つの問いに対する答えが用意されなければなりません。
そして、答えの内容によっては、「自立者」は親から、家族から、親族から、所属組織から、社会から・・・あるレベルで「離れていく」ということも、同時に経験することになるのです。

で、毎度のことですが、「クラシック音楽」・・・それ以外に、私の個人的な感情ものっけてしまっていますけれど、それはこの際無視させていただきまして・・・、「クラシック音楽」の例で、このテーマについてどんなフォローをしていけるかの展望と、これまで記してきたこととの関係を、少し記しておきたいと思います。

*「人格の成長」と自立の関係
これについては、偶然始めたことではありますが、モーツァルトの全作品を追いかけながら、伝記・エピソードの類いはあくまで参考にすることにして、なるべく音楽作品そのものから、あるいは何故そのような音楽作品が求められたかという社会的背景から、これからもフォローしていきたいと思っております。完璧を期せるものではありませんが、少なくとも、伝記に鵜呑みにされていること(大司教コロレードが一方的に悪者にされがちであったり、まだこれから触れていくことですが、ウィーンの皇室やオペラ界になかなか食い込めない苦労は周囲の妨害のせいだったとされていたりすること)への疑問などを、少しでも解消することにより、翻って「じゃあ、自分の社会生活はこれでいいのか、子供達への自立支援の発想はこれでいいのか、の反省まで出来ればいいなあ、と思っております。

*「音楽の歴史」と作品の自立の関係
どうしても「西欧音楽史」中心だった(学校教育では今なおそうではないかと思いますが)「音楽史」を、ちっとも「音楽史」的に、ではありませんが、東洋や中東・東アジア・南北アメリカ・ミクロネシアまで視野において、可能な限り
<各地で、音楽は現在何故このようなあり方で人々に享受されるようになったのか>
の淵源を見出したいと思い、「曲解音楽史」「音楽と話す」という2つのカテゴリを設けて追いかけてみています。そのなかで、これまでに感じたところを、まだ一度もまとめたことはないのですが、いちばん強く印象付けられつつあるのは、たどりついた「中世期」までは、音楽は労働と結びついたり、祭典・式典の装飾品だったり、宴会の添え物として歌われ、演奏されるもので、自立した作品として存在したものではなかったし、かつ「無名性」を保って存続してきた「芸能」だった、ということです。そして、それは舞台向けのものを除き、こんにちでも世界の大多数の国々においてはなお同じ性質を持っている。もしかしたら、音楽の原点は、こうした「非自立」・「無記名性」にあるのではないか、という思いが、私のなかに芽生えてきています。すると、問題になるのは、「非自立」で「無記名」な音楽が、人間の「自立」を阻止する性質も併せ持っているのではないか、という疑問です。仮の結論としては、「いや、そうではないのだ」というものを持ってはいるのですが、慌てず、気長に・・・でも、子供達が完全に私から離れれば私は世の中に用はなくなるかもしれませんから、それまでには間に合うように・・・観察し、考えていく所存です。

*ではなぜ、「クラシック音楽」は「記名性」を重要視するのか
・・・というところが、今後明らかになっていくはずですが、ルネサンス以降の西欧音楽が宗教の場から脱して宮廷に入り込み、宮廷の主の「名誉」の証しとされていく過程で、音楽が「自立化」され、作曲者が誰であるかも非常に重要な要素となっていくことと大きなかかわりがあるようです。それが、貴族文化の崩壊と市民社会の台頭という西欧(また、やや遅れて東欧やロシア、ずっと遅れて他の世界の一部)の歴史構造のなかで、連綿と引き継がれていくことになる。あまりに大きなヴィジョンで見なければならないことでして、個人の素人ごときにはとても手に負える代物ではないのですが、このあたりの「真実あるいはそれに限りなく近い正体」を見極めることは、「クラシック音楽」というものが果たして存続に値するのかどうかを問う上で、私個人にとっても、またこうも願うのですが、世界にとっても、もしかしたら、たとえばカントが幻想したような「世界の永遠の平和」なるものを求める上で意義深いヒントを与えてくれるのではなかろうか、とも感じている次第です。
なお、この範疇に限っては、
・「作品と生涯との関連性」からはモーツァルトを引き続きテーマとし
・文化としての音楽については別途、時代時代に新機軸を開いたと認められる作曲者を選定し
検討していこうと、漠然と計画しております。
たとえばバロックならばモンテヴェルディ、孤立した存在としてのバッハ、古典派ではハイドン、ロマン派はブラームス、近現代ではバルトークあたりは軸になり得るように思っております。もちろん、その他多数の作曲家の作品や創作論・演奏論にも注目していきたいと思っております。



大袈裟ながら、こうしたことを考えるのは、家内亡き後の私にとっては、これから私はどうしていくべきか、を自問する上で、併せて子供たちをどうしていってやるべきか、あるいはどう手放していってやるべきか、に答えを見出すためには、不器用ゆえに他には持ち合わせない、唯一の手段でもあります。

そんなことでこの先も綴ってまいりますが、お付き合いいただけるかたには、今後とも適切なアドヴァイスを、心からお願い申し上げる所存でございます。



目的がどうあれ、我が子たちは私から自立し、作家・研究者のかたからは作品や論文が自立し、演芸者からは演じる技能が自立し、それぞれ「おのれから離れて」行きます。

それに耐え得る自己をいかに確立するか、は、本来、万人にとって、「自立から独立への発展」なり「閉鎖された環境からの離脱」に向けて真剣に考えなければならない、究極の問題なのではないか、と、一人考える今日この頃です。

タイトルからはご想像もつかない文になってしまったかもしれません。
深くお詫び申し上げます。



・・・ということで、今日の記事は前振りでして、実は先日「美化」の記事でちらっと名前を挙げたバルトークの音楽理論を、きわめてざっと(誤認していることも含め)御紹介するにあたっての前提となっております。(なんて綴っておいて、まとめられるかなあ?)
少なくとも、バルトークの理論を理解して頂くためには、最低限の「五線譜の読み方」は知って頂かなければなりませんので、先に「音楽と話す」で続けている<楽譜さんとの対話>の続きから始めるつもりでおります。
さて、楽譜さんと、上手にお話できますかどうか・・・

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