« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

2008年4月30日 (水)

「黒蜥蜴」で美輪明宏さん愛用〜「仮面舞踏会」

今日はすこぶる手短ですが・・・

本日、キンキンさん(だなんて気安く呼んじゃっていますが、近代文学の素晴らしい研究家でいらっしゃいます。後ほど再度正式にご紹介します。)が、東京ムジークフローの定期演奏会の記事に下さったコメントによりますと、

こんど東京ムジークフローが定期演奏会でとりあげる「仮面舞踏会」は、<黒蜥蜴>の演技で絶賛を浴びている、あの美輪明宏さんが、劇中で愛用なさっている作品!

なんですって!

<黒蜥蜴>は江戸川乱歩の小説を三島由紀夫が戯曲化した上に、三輪さんを説得、起用したこと、さらに、三輪さん以外には主役を演じられないとまで評される素晴らしい舞台をロングランで続けていらっしゃることで有名です。

私はチャンスが無くて舞台を拝見できていないのですが、妹に連れられて見に行った娘によると
「・・・凄かった!」
と、絶句状態でした。

その三輪さんの演技を彷彿とさせることができるかどうかはさておいて、<黒蜥蜴>で三輪さんが愛用している曲をやるのだ、というのが、また痛快ではありませんか!

ちなみに、三輪さんは、三島オリジナルの舞台作品<卒塔婆小町>でも「仮面舞踏会」を使っていらっしゃるとのことです。
「仮面舞踏会」の雰囲気もともかく、作曲家ハチャトリャンが、実はあのワルツを「戦時下の苦悶のうちに」書いたのだと知って頂けるなら、なおさらピンときませんか?



で、情報を下さったキンキンさん。
ご本名を、杉山欣也さんとおっしゃいます。
最近出されたご著書に記された経歴でご紹介しますと、金沢大学を経て、筑波大学大学院博士課程文芸・言語研究科修了。茨城県立中央看護専門学校、大東文化大、中央学院大、筑波大、日本橋学館大、仏教大学通信教育部で教鞭をとられています。最近は日大からもお声がかかりました。(ここまで詳しく綴っちゃっていいのかなあ・・・まずかったら仰って下さいね!)

最近のご著書に付いては、私は大変気に入り、購入させて頂きました。

で、ブログ中でもご紹介しました。ブログの頁の左側にもリンクを貼っています。

「『三島由紀夫 』の誕生」
(すみません、リンク先は私の綴ったヘタなご紹介文なのですが)

という、専門書なので、気さくに読める類いの本ではないかもしれませんが、だからこそ是非、たくさんの方に読んで頂きたい本です。
(杉山さんは、三島作品をもとにした映画『春の雪』の製作にも・・・大きくはお名前は出て来ないようですが・・・すみません、見よう見ようと思ってまだ見ていないので本当のところまでは分かりません・・・考証などの関係で携わっていらっしゃいます。この映画、大変美しいので評判になりました。それだけは、何故か、見ていない私でも覚えています!)



私の子供時代は、(地方だったからでしょうか)親や学校が「読んではいけない本とその作者」(子供禁書)リストみたいなものを暗黙のうちに持っていまして、たとえば太宰治は
「自殺したからダメ」
「え? だって、芥川龍之介だって自殺したじゃないか」
「太宰は奥さんじゃない女の人を道連れにしたからダメ!」
っていう具合で、私の反抗期は太宰治を読むことで形成されました(そのくせ、内容はちっとも覚えていません)。
三島については、三島事件を境に、リストに加わったように記憶しています。
が、もともと文体が難解なので、図書館にあった三島作品も「金閣寺」と「潮騒」くらいで、私自身はどちらもとうとう手にしませんでした。・・・別に、三島事件のせいではありません。ただ、まわりに
「三島は読むな!」
という雰囲気が、いっとき支配的になったのは、うっすらと覚えています。

杉山さんのご著書は、こうした「三島事件」のヴェールを初めて取り払い、三島文学を、純粋に作品として捉えるため、読者に
<視点をこう変えてみたらいいのですよ!>
と根気づよく訴えかけるべく、きわめて合理的に論の準備がなされ、本文が展開していきます。

別の本で、筆者の名前が売れているので文庫化までされましたけれど、
<所詮は「三島事件」の三島なんて知らない、それどころか三島なんて作家自体知らない、ただその作品をもってこの作家を哀悼する>
みたいな、批評者がこんな無責任な書き方ではいけないんじゃないの、と思えるほどあまりにひどい三島論を展開したものとは大違いです。・・・こっちは絶対お勧め出来ません!(同じ筆写の「桃尻誤訳枕草子』はお勧めしてもいいけれど・・・あれも私にいわせれば、とっかかりとしてはいいけれど、味わうための本では、決してありません。)

著者ご本人にとってもおおげさな比喩になってしまいますけれど、「『三島由紀夫』の誕生」は、ルネサンス期ヨーロッパの画期的な思想家であり、それゆえに「ユマニスト(ヒューマニスト)」としては現代では高い評価を確立していながら、カトリックでは未だに異端視されている、エラスムスの記述を読むようです。

また、杉山さんは、つくばでクラシックコンサートのスタッフもなさっていて、コンサートの運営方法などにも常々問題意識を持って臨んでいる情熱家でもあります。
それでいながら、とても飄々としたお人柄で、これがまた魅力的なのですけれど。
(あ、これも。「こんなこと綴るなよー」って場合は仰って下さいね。綴り手が削る気がある場合のみ削ります!)

ご著書は、専門書故に気軽に手には出来ないかもしれませんが、それでもAmazonの三島由起夫の本のランキングで1週間以上2位を占めたほど、たくさんの人の関心を呼んでもいます。
(発売してすぐに100位以内に入り、長く30位台を保った後のことでした。いまは40位代前半なのがちょっと悔しいけれど、『専門書』でこのランキングは、他の種類の本でもなかなかないことです。快挙と言えるでしょう!)

まだの方、一般書店ではジュンク堂系では手にしやすいようですが、
「手にして試し読み」
するまでもなく、扱っている内容からでもなく、
<人間、筋を通して考えるには此れだけの準備をし、これだけ冷静に観察し、然る後に考察するのだ>
という見事な方法論の規範として、非常に存在価値の高い本です。

ブログのプロフィールを通じメールを頂ければ、定価より少しお安めにご提供できる(かな?)と思いますので、私へも是非お問い合わせのメールを下さいね!
(あくまで私の独断での宣伝で、ご著者のご了解を得ていませんが・・・)

こんなコマーシャルしちゃいました。許して頂けます?

追伸)ご著者がお許し下さったので、送料込みきっかり4,000円でお手元にお届けできます!
   蛇足ながら、商売っけはありませんからね!
   (商売っけからでしたら、アフィリをクリックして頂く方をお勧めしちゃいますから。)
   いい本を、是非読んで頂きたい一心です!
   21世紀の「思想史」に残ってもいいだけの価値がある本です!
   (あ、また余計なことを、って、ご著者に叱られるかも。)

Book「三島由紀夫」の誕生


著者:杉山 欣也

販売元:翰林書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

春の雪DVD春の雪


販売元:東宝

発売日:2006/04/28
Amazon.co.jpで詳細を確認する




手短・・・じゃなくなっちゃった。。。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年4月29日 (火)

楽譜の読み方3(調・旋法・音階)

さて、
1回目では五線譜の主な記号の意味、それによって示される「音の高さ」を
2回目では音符に棒や点(ホクロ)が付くことで示される「音の長さ」を
すっごーくかいつまんで記してみました。

いわば公式集みたいなものですから、分かりにくいでしょうか?
でも、市販の「楽譜はこうしたら読める」という本に比べれば、面倒なことに立ち入っていない分、
「ドレミファソラシド」と唱ってみて頂けるだけで、感覚的には掴みやすいのではないか、と思っております。

・・・いや、ここまではしょると、かえって分からないかなあ・・・不安。

でも、とりあえず、「楽譜(正しくは<五線譜>が読める)」最小限については、綴り尽くしました。
あとは本当に理屈を突っ込みたくなったときに突っ込めばいい話ばかりだ、と、私は思いこんでおります。



「読み方」の話は、とりあえず今回で締めくくりますが、前の2回とは毛色が変わります。
最初から、ちょっと面倒なお話ですが、理解しておいて頂ければありがたく存じます。

前2回では、「長調=長旋法、短調=短旋法」という言い方をしましたが、どうしてそんな言い方をしたのかは、あえて突っ込みませんでした。

実は、(いろんな本でいろんな言い方をしていますが、それらの主旨にある通り)「調=旋法」ではありません。

これも歴史的な背景を述べると面倒ですが、
・「調」という場合には「絶対的な音の高さ」を基準としています。
・「旋法」という場合には、「唱われる音の相対的関係」を表しています。

音楽は本来「唱われる」ものですから、一般人には「旋法」のほうが大切です。
ところが、もともとは奏楽の専門家が学ぶべき音楽理論の用語である「調」の方が、いつの間にか、「旋法」よりも普通に使われるようになり、西欧音楽では「旋法」が17世紀後半あたりには「長旋法」と「短旋法」の2つきりに集約してしまったために、「調」と「旋法」が混同されてしまいました。

(ちょっと面倒な注釈:バッハの有名な「トッカータとフーガニ短調」は「ドリア調」というニックネームを持ちますが、実態はドリア「旋法」ではなく、短旋法が使われています。)

西欧に限らず、ヨーロッパに流布していた「唱い方」は、グレゴリオ聖歌の普及と共に神学者さんたちによって整理され、「教会旋法」と呼ばれる4種類の旋法にまとめられました。図示しませんでしたが、これはさらに「正格」と「変格」の二つに分けられましたので、実際には8つの「旋法」がまとめられました。それを音階として示したのが、下の図です。「変格旋法」については終止音のみを赤で描きましたが、たとえば「正格」のドリア旋法の<終止音>が「レ」、でしたら、「変格」は呼び名のアタマに「ヒポ」と付けて「ヒポドリア」と呼び、終止音を下から5つ目の音(=正格旋法の吟唱音・・・2回目の話の後半参照)に持ってきます。

(クリックすると拡大します。)

Gakuhusetsunei3


図の最下段に例として<グリースリーヴス>のメロディを書いてみました。
いま普及している読み方ですと、この楽譜は「イ短調」ということになりますが、唱い始めがレであり(これは教会音楽のルールだと「ド・レ」として始まるべきものなのですが、最初の「ド」が歌の性質上欠落したものと見なし得ます)、2番目の音は変格旋法の吟唱音である「ファ」で、かつバツ印を付けた音が半音下げになっていないことから、ヒポドリア(変格ドリア)旋法であることが確認出来ます。

(またもやちょっと面倒な注釈:始まりの音から想定されるのは「シ」の音が半音下げになること、かつニ短調になること、なのです。「イ短調」ならば「ミ」で始まるのが、短旋法としては正しい・・・これはしかし、この旋律では考えられないことです。最初の「レ」や、3小節目・・・あ、前に説明していませんでしたが、小節からはみ出た短い音からメロディが始まる場合、その短い音は「弱起」といって、小節としては数えません。ですから、3小節目は「ファーレレードレ」とある小節になります。・・・3小節目が前の小節から「ファ」の音へと引っ張って来られるのを見れば、吟唱音が「ファ」だという事実が歴然とするからです。すなわち、短旋法を前提として<グリースリーヴス>のメロディを読むと、ニ短調とイ短調が入り乱れていることになってしまい、複雑です。まさに、バツ印をつけなかった「シ」の音の存在が、『このメロディは短旋法ではない』ことを示しているのです。)

20世紀に入って「教会旋法」と称して用いられるようになったものには、ほかに3つ(イオニア、エオリア、ロクリア。ただし、イオニア旋法は長旋法と同じもの)あります。

ですが、起源の古いヨーロッパの歌は、中世の理論でまとめられた4旋法の正格・変格いずれかに当てはまってしまいます。(それが民謡収集のかたちで初めて明らかになったのは、なんと20世紀に入ってからでして、発見者はバルトークとコダーイなのです。発見した旋法を活かして書かれたバルトークの「ミクロコスモス」は、1〜4巻は初歩のピアニストのための教本の一種と見なされていますが、実はそれ以上に、17世紀以降に「宮廷化・ブルジョア化・市民化」されていった音楽の中で見失われてしまっていた、本当に古くからのヨーロッパ音楽の原点を一から学び直す意図を持って編まれており、まさに「音符だけで学ぶ音楽史」といった側面をも併せ持っているのです。)

ちなみに、アジアやアラブの音楽は「五音音階」だといわれますが、どの世界にも「音階」上の音しか使っていない音楽、というものはありません。日本も、まず理論的には(中国からの輸入ですが)7音音階を構成できるだけの音を「認識」しています。ただ、一般的に歌われる歌が、たとえばいわゆる「都節」だの「田舎節」だのと呼ばれるような音からのみで成り立っていることが圧倒的に多い、ということで、それを考慮すると、

・まず、「旋法」を「唱い方」と定義したとする
・すると、上図は「旋法」を「音階」に集約したものであって、「旋法」そのものではない
・「音階」とは、従って、「旋法=唱い方」を抽象化したものに過ぎない

ということがわかります。
かつ、実際の歌の中では、旋法を抽象化した「音階」には含まれない音も現れます。

上図では、参考までに、日本の「都節」がフリギア旋法であること、「田舎節」がミクソリディア旋法であることをも示しておきました。
日本の「都節」は、上向型と下向型で構成音が違う(上から2番目の音が、上向型ではレ、下向型ではド)とされていますが、上向だろうが下向きだろうがレである場合もあり、ドである場合もあり、旋法を「音階」に抽象化するときには、本当ならもっと気をつけるべきだ、ということは併せて申し上げておかなければならないでしょう。

小難しい屁理屈話になって済みませんでした。

ですが、これが、20世紀にとって「調」とは、「旋法」とは何だったかを考える上で、もっとも簡単な入り口のお話です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月28日 (月)

楽譜の読み方2(音の長さ)

<楽譜の読み方1>と称して、いま一般的に出回っている五線譜の読み方の、おおもとの決まりについて記しました。世間に出回っている本にくらべると、かなりかいつまんだ説明になっていますので、とっかかりにくいと思いますが、図にしたことを「暗記」して頂いてしまえば、後は面倒な説明を読む必要はないはずです。

でも、こんな会話が起こりそうですね。
「まだこんだけじゃあ、読めないよ」
「どうして」
「だってさあ、前の説明で音の高さは分かったとして、長さが分からない。結局、はじめて楽譜で見たメロディはどう言うものだか、わかんねーヨ」
・・・そう言われてみりゃ、そうですね。



ですので、音の長さを楽譜からどう読み取るか、の補足をしておきます。


ヘタクソで恐縮ですが、説明用に、図の楽譜のようなメロディを作りました。
(右クリックで別ウィンドウで聴けます。)
です。

で、説明図。(クリックすると拡大します)
Gakuhusetsunei2

いちばん上のA'としたのが、元々の楽譜です。
最初の4小節は、音がどのような目印で長さを示すのかを分かりやすくしてみました。
最初にある4/4は分数みたいですが、これは<拍子記号>といいます。ここでは
「白丸だけの音符ひとつを4つ分として、その4つ分で1小節(線で区切られた箱1つ)を書いてありますよ」
ということを示しています。算数で習う分数とは意味が似て非なるものです・・・が、完全に違うともいえません。このことについてあんまり喋ると泥沼にハマるので、これはこれくらいにしておきます。

で、楽譜の下の丸数字2に記しました通り、
・白丸音符に縦棒がつくと、もともと4つ分の長さだった白丸の長さが半分になります。
・縦棒のついた白丸の中身を黒く塗りつぶすと、さらに半分になります。
・縦棒に旗をつけると、またまたさらに半分になります。
・・・以下、旗の数が2つになればさらに半分、3つになればまたその半分、という具合になっていきます。

さらに、どの種類の音符でも、其の右隣に「ホクロ」がついていたら、長さが1.5倍になります。2つ以上ついたらどうなるか、・・・それこそ「泣きボクロ」が出来るくらい私は悩んでしまいますから、長さの説明はここまでにしておかせて下さい。

この楽譜、前回の図3・4と比べて頂くと、「ハ長調」もしくは「イ短調」であることが分かります。
ですが、先に音を聴いてお分かりになって頂けたかと思いますが、これは「ハ長調」です。
じゃあ、音が聴けないで楽譜だけ見た時には、
「ハ長調なのか、イ短調なのか、それが問題だ」
ということになります。
これは、丸数字の1に戻りますが、(少なくとも19世紀までの音楽では9割9分)「ハ長調」ならばおしまいの音が「音名(覚えて頂いていますか?)」で「C(は)」になっていて、かつメロディの最初のト音記号の隣には「#」とか「b」が一切ついていません。
したがって、今回のメロディはどうかを観察しますと、
・最初のト音記号の右隣には「#」も「b」もついてないな!
・お、メロディは「C(は)」で終わっているな!
ということで、「ハ長調」と判定できるわけです。

普通、「楽典」なる音楽の教科書には、この「音階の最初の音」の呼び名を<主音>としているので、この<主音>という呼び方も覚えておいても構わない・・・世渡りのためには覚えておいた方がいい・・・のですけれど、それは、調(旋法)が長調と短調に絞られてしまって後の呼び方で、ヨーロッパ音楽の長い歴史の中では、
「曲の終わりを示す音」
という意味で<終止音>と呼びます。



以下、おまけの面倒な話です。これもまた、前回同様読み飛ばして頂いて結構です。

中世ヨーロッパの聖歌理論では、<終止音(フィナリスあるいはフィナーリス)>の他に、唱い出しの音として<発唱部>というセクション(曲頭部)、あるいは歌の中で芯となる役割を果たす音としての<吟唱音>というものが、旋法によって決まっていました。決まっていた、というよりは、たくさんの歌が、そのような構造をもつものとして結晶化されたのですね。<吟唱音>はイタリア語でcorda di recitaと呼ばれましたが、同時にまた<ドミナント>dominante salmodicaとも呼ばれました。
和声の初歩をやると、
・トニカ=ドミソ
・ドミナント=ソシレ
・サブドミナント=ファラド
というのが出てくるのですが、この近代和声学でいうドミナントと、中世の理論上のドミナントとは意味が違ってきます。
楽譜の読み方を覚えたいとなると、どうしても「和音」のことまで欲張って知りたくなるのですが、これは16世紀から19世紀前半までと、過渡期である19世紀後半から20世紀初頭、また現在進行形である現代和声の、まだ決着を見ていない和声学の考え方それぞれで違いがあり、上記の初歩的な和声を覚えておくことは、逆に音楽を考えるアタマを「固く」してしまう恐れもあります。
「いまピアノが弾けないんだけど、手っ取り早く伴奏だけはしてやらなくちゃいけないんだ!」
という差し迫った事情がない限り、当面、和声のことについては触れないのが賢明でしょう。
・・・まあ、そんな事情で差し迫ることは、まずないかもしれませんが、幼稚園や小学校の先生では、全く考えられないことではありません。そうした場合には、

・中田喜直 著『新版 実用和声学』音楽之友社

をお勧め致します。

難しかったですか?
今回の話題までは、学校の勉強の暗記ものと同じです。

あ、譜例に『転調』を取り入れていたのですが、それについては長くなりすぎるといけないので、今回は説明を省きます。
図からある程度イメージできると思いますが・・・イメージ出来なくても、いまは構いません。

無責任だなあ・・・

実用和声学―旋律に美しい和音をつけるためにBook実用和声学―旋律に美しい和音をつけるために


著者:中田 喜直

販売元:音楽之友社
Amazon.co.jpで詳細を確認する



・つづきはこちら。(わけわかんなくなるかもしれません!)
・前回分はこちら

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月27日 (日)

CM音楽もやります!:TMF定期演奏会

今度の私共「東京ムジークフロー」定期演奏会の宣伝チラシが今日完成しましたので、ご披露申し上げます。

(クリックすると大きくなりますので、詳細はクリックしてご覧下さい。)
Tmf080622曲目だけだと、チャイコフスキー<悲愴>が目だちますが・・・

今回は、実は、CMミュージックもやります!

キリンビールのコマーシャルで使っている音楽です。
ハチャトゥリアン「仮面舞踏会」組曲の第1曲がそれです。

というわけで、お聞きになったことのないタイトルでも分かりやすい作品ばかりです。
是非お越し下さい。

またあらためて宣伝申し上げます。



で、団員の皆様へは、今日の練習のかいつまんだ記録を(あまり細かいところまでは・・・スタミナ切れして帰宅しましたので、触れないことにしました!)。

<悲愴>第1楽章
・序奏部:ファゴットはコントラバスから最初の音程をとって。コントラバスはファゴットのために音の変化をはっきり聴かせてやって下さい。ファゴットの2、3小節目の2分音符についたクレッシェンドは不要。また、無理してノンブレスで吹く必要も無し。フレーズごとにブレスをとっても支障ない。
・序奏部ヴィオラ:「重い」弓で弾き始め、ディミヌエンドは「嘆き」を効かせて。13小節目の入りはしっかり。
・練習記号B:ファゴット始まりでフルート・ホルンの動きまで、でワンセット。58小節目からも(フルートの動きはオーボエに移るが)同様。
・74小節からの弦:スラーのついた3音で速くなって前のめりにならないように。
・Andante:最初のFisを長くしない。音価通り、テンポ通り。そんなに遅くない。
・121小節からの弦:テヌートがついているが、べったり延ばすのではなく、自然な程度に。
・練習記号Lの管:2小節ずつ、どんなメロディであるかを見越して。最後(220以降)はⅡグァクごとに終止形が来る。
・練習記号Qの前3小節はカウントを正確に。

<仮面舞踏会>第1曲
・リズムセクション(はじめはクラリネット、ホルン、打楽器、セカンドヴァイオリン、チェロ、バス)は拍子感をきちんと連携させて(・・・って、そう言う言葉ではありませんでしたけれど)。曲全体を通じてそれが大切。
・3小節目にピークがきて4小節目でいったん引く、という構造の連続。

<仮面舞踏会>第5曲
・・・(すみません、実はこのあたりで、本日の気力が尽きておりまして、殆ど記憶にございません。)

お粗末!

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2008年4月26日 (土)

楽譜の読み方1(五線譜の初歩)

「楽譜さんと話す」とか、歴史的経緯をたどっていると、かえって混乱してしまいますので、楽譜の中で、いま最も一般的な五線譜の読みかたについて、極めて手っ取り早く説明してしまうよう試みます。

(五線譜を読めるようにしておいて頂くと、これから実際必要になるかどうかまで見通してはいませんけれど、まずはバルトークがアタマに描いたことを読み取って頂くサンプルを、主観的な「音声」ではなく、楽譜から客観的につかんで頂けるかもしれませんので、念のため、でもあります。)

まずは、「ト音記号」と「ヘ音記号」がなぜあんなかたちをしているか、について。

図の1と2を見て下さい。

Gakuhusetsunei11

姿の変化が歴史的に正確かどうかは問わないで下さい。
ト音記号は、Gの字が修飾されたもの、ヘ音記号はFの字が修飾されたものです。
で、それぞれ、
・「G」の鍵になっているところ(曲線の底と曲がった直線)の間に書かれた音符が英語で「G」の名前をもつ音を示している・・・アルファベットの順番でGは7番目なので、日本語訳は「いろはにほへと」の「と」となる・・・ので、「G=と」の音を示すこの記号を「ト音記号」と呼ぶ。
・「F」の二つの横棒のあいだに書かれた音符が英語で「F(日本語訳では、イロハの6番目の<へ>)」を表すので「ヘ音記号」と呼ぶ。

で「G」は音名、その下に記した「ソ」は階名、最下段のひらがなは「日本音名(音名を日本語訳したもの)」です。(「階名」はグレゴリオ聖歌の「聖ヨハネ誕生の祝日の為の讃歌」に由来するもので、「音名」よりも後から出来上がったものですが、現在は、音の名前としては、これがいちばんなじまれています。)

それぞれの記号の名前の由来と、それが示す意味は以上の通りです。
ここでは、記号の意味の他に、
・西欧音楽では、日本では音に3つの名前、すなわち「音名」・「階名」・「日本語訳の音名」がある
ということを覚えて置いて下さい。



続いて、図の3と4を見て下さい。

Gakuhusetsunei12

ヘ音記号とト音記号を繋いで二行にした五線譜を「大譜表」と呼びますけれど、わざとそれで書いてみました。
ふつう、日本の高校までの、音楽を専門としない人が接する音楽には、2つの「調(旋法)」しかありません。
・長調(長旋法)
・短調(短旋法)
です。
(いま、わざと「調」という言葉と「旋法」という言葉を併記しましたが、とりあえずは気にしないで下さい。)
階名で読むと、
・長調=ドレミファソラシド
・短調=ラシドレミファソラ
です。
ト音記号やヘ音記号の右隣に何の記号(#やb)も付けられていない場合、それぞれ、
・長調は(調の)最初の音が「C(は)」になるので、「ハ長調」
・短調は(調の)最初の音が「A(い)」になるので、「イ短調」
と呼ばれることになります。

このとき、ド=Cなのが、感覚的には不自然なのですが、ラのほうがAとなっているのは古代ギリシア人が決めてしまったものであり、中世ヨーロッパの人たちは古代ギリシア人の音名をひきついだので、こういうことが起こったわけです。



今回の最後にいってみましょ!

図の5と6を見て下さい。

Gakuhusetsunei13

今度は、ト音記号の右脇に、なにやら記号がついています。
「#」がひとつついたものと「b」がひとつついたものの「長調(長旋法)」です。

これを、先ほどの、記号のない「階名」で読んで唱う方法を「固定ド」唱法と言いますが、これだと、同じ長調でも、記号がついていないときには「ドレミファソラシド」だったものが、

・#1個ついたら「ソラシドレミファソ」と読むことになり、かつ、「ファ」は記号のないときより音を高めて読まないと不自然、すなわち「長調」に聞こえなくなる。
・b1個ついたら「ファソラシドレミファ」と読むことになり、かつ、「シ」は記号のないときより音を低くして読まないと不自然、すなわち「長調」に聞こえなくなる。

ということが起こります。

で、記号がついたときの最初の音を長調では「ド」、短調では「ラ」という「階名」で読んで唱うようにする方法を「移動ド」唱法、と言います。
これだと、記号が幾つに増えても、調の始まりの音を長調なら「ド」、短調なら「ラ」で読めばいいので、「固定ド」唱法の階名唱より分かりやすくなります。
で、
・「#」が幾つついても、最後についた「#」の位置にある音が「シ」
・「b」が幾つついても、最後についた「b」の位置にある音が「ファ」
なのだと覚えてしまえば、読み替えが簡単です。
#、bのそれぞれが二つになったらどうなるかをいちばんしたに書いてみましたので、確かめて下さい!



以上を頭に叩き込んでしまえば、移動ドで唱うことはとても簡単になります。
ですから、ピアノなどの鍵盤楽器以外を演奏する場合には「移動ド」唱法の方が音楽のイメージを把握しやすく、便利です。(ピアノでも、曲の構造を理解してミスタッチを防ぐには、移動ドを頭の中で併用できるようにしておいた方がラクになります・・・って、ほとんど弾けない私が言うのも変な話ですが・・・)
とはいえ、「移動ド」唱法は曲の途中で調が変わった時に、少し入り組んだ曲ではよくあることですが、
・よっぽど慣れていないと絶対的な音の高さを見失う
・あるいは、調の最初の音が途中で変わったことに気づかないと、「固定ド」と同じ結果しかもたらさない
という側面もあります。また、<無調音楽>の楽譜を読む場合には階名唱法を採用できません。
ですので、五線譜の読み方を覚えたてのうちに訓練しないと、移動ド読みにはなかなかなじめないことになります。
覚えてしまい、<無調音楽>では使わない、ということさえルール化してしまえば、歴史的にも「移動ド」唱法の方が自然ですし、まちがいなく便利です。


以下は、少しだけ面倒な話なので、読み飛ばして頂いても結構です。

現在の日本では専門家も、専門家の卵を指導するにあたってさえも「固定ド」唱法を使用していますが、じつは、「旋法」という用語を併記したのには以下のような意味があります。

・「固定ド」唱法では「調の途中での変化」を気にしなくて済む

というメリットはあるものの、それが欠点にもなって、

・曲の途中で、たとえばト長調からニ長調に変わる箇所がどこか、を把握できない音楽家を育ててしまいもする

というデメリットも抱えています。

普通に「ハ長調」とか「ト長調」と呼ばれている「長調」は、本来は「長旋法」とでも呼ばれるべきもので、「長旋法」は「ドレミファソラシド」に決まっています。
実際、「長調(=長旋法)」の前に音名を付す習慣は、だいたい16世紀後半以降に合奏が発達すると共に始まったもので、これは楽器の種類が違う時に、それぞれの楽器を「絶対的な音」で揃えて演奏する必要に迫られた為に起こったことです。
それまでは、中世に楽譜が発明された当初は、集まった人がいちばん揃えやすい高さを、任意に自由に「最初の音」にすれば良かったので、絶対的な音の高さとしての「ABC・・・」だなんてことを気にせずに済みましたので、「C major(ハ長調)」だの「F major(ヘ長調)」だのと、絶対的な音高を指定する必要がありませんでした。
ただ、まだ「階名=ドレミファソラシド」は定着していた訳ではありませんでしたから、
・長調(長旋法)はCDEFGABC
(実際には中世には長調、短調ではなくて、ドリア調とかフリギア調とか、別の「調(旋法)」概念があったのですけれど)
を決めごとにしていましたので、その「相対的な」音の位置を「階名」ではなく「音名」で捉えていましたから、歌を揃える必要上、Cの位置、Fの位置を明示しておくことで、唱う人が楽譜を見た時に「旋法」を理解する助けとしたのが、今回触れなかったハ音記号とヘ音記号の起源となったのです。

こうした入り組んだ事情が、合奏で絶対的な音高がどうしても必要となってしまった際に、「固定ド」と「移動ド」というふた通りの読みの可能性、悪く言えば混乱のもと、を生み出す結果を(他の国ではどうなのか知りませんが)、五線譜が近代日本に輸入された際、同時にもたらしてしまったわけです。(これにはヨーロッパ人の旋法・調意識と日本の旋法・調意識の差異も影響していて、日本の場合は基本的に雅楽が音楽理論の原型をかたち作ったのですが、これが最初から純器楽合奏をふくむ音楽であったために、絶対音高を基本としていたのです。もしかしたら、「固定ド」だの「移動ド」だのということが問題になるのは日本固有のことなのではないかしら? そうなのかそうでないのか、ご存知のかたがいらしたら、どうぞ、教えて下さいね!)

ハ音記号、ト音記号、ヘ音記号が元来は絶対的な音高を示すためのものではなかった、という点は、理解をしておいて頂けましたら幸いです。

・・・つづきは、こちら

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月25日 (金)

自立していく、離れていく

昨日の記事は楽譜を参照できない状態で記憶上のテキトーな「読み」を記してしまっており、家庭内での持ち時間の関係上、そのまま掲載していました。修正しましたので、お読み直し頂ければありがたく存じます。申し訳ございませんでした。



息子は、卓球部に入部しました。

小学校のクラブでも卓球をやっていました・・・その話を家で僕に聞かせてくれたことはなかったけれど。
母親との最後の旅行で、夜遅くまで楽しく卓球をした思い出もありました。これは、勿論、一緒に出かけたのだから、私もはっきり覚えています。でも、なぜ息子が「卓球部に入りたい」と言い出したのか、とは、なかなか結びつきませんでした。夢中で部活動の決め方の話をしあった後、ふらりと買い物に出て、頭がそれそのものから解き放たれたときに、初めて気がつかされたのでした。

それでも、私はホンネでは、母の意を汲んでくれるのならば吹奏楽部を、私が息子に願っていた将来像をたどる道筋を得てもらうには柔道部を、と、最後まで期待してしまっていました。
完全に、私の過ちです。

息子が、息子の意志で決めたことを、今は誉めてあげなければならないのかも知れません。
感情的に、なかなかそれが出来ずにいます。
小学校の卓球クラブに入ったとき(これは抽選で決まったのでしたが)
「どうせやるなら」
というので、DVD付きの入門書を買い与えてありました。
「まだちゃんと持ってるか」
「あるよ」
息子はすぐに取り出してきました。
夕べは娘のピアノのレッスンでしたが、息子は留守番している、というので、
「じゃあ、留守番している間に、しっかりこの本を読んで、上手になれるよう準備しなさい」
と言い置いて出かけました。
帰宅したとき、息子はまじめに、その卓球の入門書を読んでいました。

ここまでは、まだ私の意思が、息子を支配していました。

でも、ここからは、息子の意思が息子を支配していくようになるのでしょう。
私から自立し、私から離れていくのです。

私自身の「自立」の過程に比べれば、息子の方が、母親を失ったにも関わらず、ここまでは私よりはるかにまっとうです・・・私自身のことを記すと恥の上塗りになりますので、隠しておきますが!



「自立」という言葉は、聞こえはいいのですが、おとなになったかたにはお分かりいただけるとおり、いろいろと複雑な要素を孕んでいます。話をややこしくして恐縮ですが、大括りに整理すると、

・誰から、どの程度自立しているのか
・その自立は社会的通念に沿ったものか、自立者に固有のものか

少なくとも、この2つの問いに対する答えが用意されなければなりません。
そして、答えの内容によっては、「自立者」は親から、家族から、親族から、所属組織から、社会から・・・あるレベルで「離れていく」ということも、同時に経験することになるのです。

で、毎度のことですが、「クラシック音楽」・・・それ以外に、私の個人的な感情ものっけてしまっていますけれど、それはこの際無視させていただきまして・・・、「クラシック音楽」の例で、このテーマについてどんなフォローをしていけるかの展望と、これまで記してきたこととの関係を、少し記しておきたいと思います。

*「人格の成長」と自立の関係
これについては、偶然始めたことではありますが、モーツァルトの全作品を追いかけながら、伝記・エピソードの類いはあくまで参考にすることにして、なるべく音楽作品そのものから、あるいは何故そのような音楽作品が求められたかという社会的背景から、これからもフォローしていきたいと思っております。完璧を期せるものではありませんが、少なくとも、伝記に鵜呑みにされていること(大司教コロレードが一方的に悪者にされがちであったり、まだこれから触れていくことですが、ウィーンの皇室やオペラ界になかなか食い込めない苦労は周囲の妨害のせいだったとされていたりすること)への疑問などを、少しでも解消することにより、翻って「じゃあ、自分の社会生活はこれでいいのか、子供達への自立支援の発想はこれでいいのか、の反省まで出来ればいいなあ、と思っております。

*「音楽の歴史」と作品の自立の関係
どうしても「西欧音楽史」中心だった(学校教育では今なおそうではないかと思いますが)「音楽史」を、ちっとも「音楽史」的に、ではありませんが、東洋や中東・東アジア・南北アメリカ・ミクロネシアまで視野において、可能な限り
<各地で、音楽は現在何故このようなあり方で人々に享受されるようになったのか>
の淵源を見出したいと思い、「曲解音楽史」「音楽と話す」という2つのカテゴリを設けて追いかけてみています。そのなかで、これまでに感じたところを、まだ一度もまとめたことはないのですが、いちばん強く印象付けられつつあるのは、たどりついた「中世期」までは、音楽は労働と結びついたり、祭典・式典の装飾品だったり、宴会の添え物として歌われ、演奏されるもので、自立した作品として存在したものではなかったし、かつ「無名性」を保って存続してきた「芸能」だった、ということです。そして、それは舞台向けのものを除き、こんにちでも世界の大多数の国々においてはなお同じ性質を持っている。もしかしたら、音楽の原点は、こうした「非自立」・「無記名性」にあるのではないか、という思いが、私のなかに芽生えてきています。すると、問題になるのは、「非自立」で「無記名」な音楽が、人間の「自立」を阻止する性質も併せ持っているのではないか、という疑問です。仮の結論としては、「いや、そうではないのだ」というものを持ってはいるのですが、慌てず、気長に・・・でも、子供達が完全に私から離れれば私は世の中に用はなくなるかもしれませんから、それまでには間に合うように・・・観察し、考えていく所存です。

*ではなぜ、「クラシック音楽」は「記名性」を重要視するのか
・・・というところが、今後明らかになっていくはずですが、ルネサンス以降の西欧音楽が宗教の場から脱して宮廷に入り込み、宮廷の主の「名誉」の証しとされていく過程で、音楽が「自立化」され、作曲者が誰であるかも非常に重要な要素となっていくことと大きなかかわりがあるようです。それが、貴族文化の崩壊と市民社会の台頭という西欧(また、やや遅れて東欧やロシア、ずっと遅れて他の世界の一部)の歴史構造のなかで、連綿と引き継がれていくことになる。あまりに大きなヴィジョンで見なければならないことでして、個人の素人ごときにはとても手に負える代物ではないのですが、このあたりの「真実あるいはそれに限りなく近い正体」を見極めることは、「クラシック音楽」というものが果たして存続に値するのかどうかを問う上で、私個人にとっても、またこうも願うのですが、世界にとっても、もしかしたら、たとえばカントが幻想したような「世界の永遠の平和」なるものを求める上で意義深いヒントを与えてくれるのではなかろうか、とも感じている次第です。
なお、この範疇に限っては、
・「作品と生涯との関連性」からはモーツァルトを引き続きテーマとし
・文化としての音楽については別途、時代時代に新機軸を開いたと認められる作曲者を選定し
検討していこうと、漠然と計画しております。
たとえばバロックならばモンテヴェルディ、孤立した存在としてのバッハ、古典派ではハイドン、ロマン派はブラームス、近現代ではバルトークあたりは軸になり得るように思っております。もちろん、その他多数の作曲家の作品や創作論・演奏論にも注目していきたいと思っております。



大袈裟ながら、こうしたことを考えるのは、家内亡き後の私にとっては、これから私はどうしていくべきか、を自問する上で、併せて子供たちをどうしていってやるべきか、あるいはどう手放していってやるべきか、に答えを見出すためには、不器用ゆえに他には持ち合わせない、唯一の手段でもあります。

そんなことでこの先も綴ってまいりますが、お付き合いいただけるかたには、今後とも適切なアドヴァイスを、心からお願い申し上げる所存でございます。



目的がどうあれ、我が子たちは私から自立し、作家・研究者のかたからは作品や論文が自立し、演芸者からは演じる技能が自立し、それぞれ「おのれから離れて」行きます。

それに耐え得る自己をいかに確立するか、は、本来、万人にとって、「自立から独立への発展」なり「閉鎖された環境からの離脱」に向けて真剣に考えなければならない、究極の問題なのではないか、と、一人考える今日この頃です。

タイトルからはご想像もつかない文になってしまったかもしれません。
深くお詫び申し上げます。



・・・ということで、今日の記事は前振りでして、実は先日「美化」の記事でちらっと名前を挙げたバルトークの音楽理論を、きわめてざっと(誤認していることも含め)御紹介するにあたっての前提となっております。(なんて綴っておいて、まとめられるかなあ?)
少なくとも、バルトークの理論を理解して頂くためには、最低限の「五線譜の読み方」は知って頂かなければなりませんので、先に「音楽と話す」で続けている<楽譜さんとの対話>の続きから始めるつもりでおります。
さて、楽譜さんと、上手にお話できますかどうか・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月24日 (木)

バッハ(J.S)新発見オルガン曲BWV1128について

先日、バッハのオルガン作品の大ファン、かつオルガンと言う楽器そのものにも精通しておられる(かつ、ご専門柄でしょう、中世アイルランドについて非常にお詳しい・・・聖ブレンダン伝説のサイトへのリンクを左下に貼ってあるので、是非ご覧下さい)curraghさんのブログ記事で、

「バッハのコラールファンタジー、新発見」

のニュースを拝読しました。

このオルガンコラール、断片は研究者には知られていて、果たしてバッハの真作か偽作かが議論されていたものだそうですが、上記ニュースを知った後で調べた限りでは、こちらのサイトhttp://www.jsbach.org/complete.html以外(こちらのブログ記事で知らせて頂きました)には、私のような一般人が手に出来るものでは最も詳しかろう、と思われる作品表にも記載がありませんでした。詳細情報はhttp://www.jsbach.org/bwvanh71.htmlに記載されています。

この作品の素材となっているコラールについては、同じものを用いてカンタータBWV178を作曲しており、少なくとも、このコラールが存在していることをバッハが把握していたことは間違いありません。

以上を確認した上で、リンクを辿り辿りして、発見されたという作品の筆者譜(筆写したのはバッハより1世紀後にライプツィヒのトマス・カントール、かつ旧『バッハ全集』の指導的校訂者でもあったヴィルヘルム・ルスト)画像をこちらのハレ大学のサイトで入手しました。(ハレはヘンデルゆかりの地です。筆写の経緯等はcurraghさんの記事、ならびにその記事上のリンク先をご参照下さい。)

入手できた楽譜は、おそらく曲の第1頁と最終頁だと思いますが、非常に綺麗な筆跡ですので、読むのも容易でしたから、夕べ我が家の安物DTMソフトで、内臓ソフトウェアシンセサイザーの音色もきちんと選択せず(単純にChurchOrganにしてしまいました)、楽譜の途中が抜けているのも承知の上で、連続で音声化してみました。これだけでもよく繋がるもんだ、と感心しちゃいました!
なお、実際の演奏ならばなされるだろうテンポの変化(早めたり、遅くしたり)も全く考慮しませんでした。ただ書かれている通りを音にしただけです。

雰囲気の把握だけ、のおつもりでお聴き下さい。
(ここを右クリックで、別ウィンドウで聴けます。)

・参考にした、 (1724年作)
"Bach・75 Kantaten vol.4" ARCHIV 439 368-2

・・・私の作ったオルガン音声に強弱がところどころあるのはソフトウェアの問題であって、私は何の加工も加えていません。ベタ打ちです。

テンポは、古めではありますが、上に併せて掲載したリヒター/ミュンヘンバッハの演奏によるカンタータのものを参考にし、
「大バッハは速めのテンポで演奏するのを好んだ」
という証言(バドゥラ=スコダ著書引用のものによります)も考慮して、ただし、あまり速くなり過ぎない程度に、ということで四分音符60(1秒間に四分音符1個が鳴る)よりやや速めた程度で設定してみました。

いかがでしょうか?(響きがお粗末でしたら、加工した私の非でございます。ただし、これだけ動きの少ないコラール旋律の第1詩節目でいきなり始まっている点・最終頁のコーダの延々と続く十六分音符が「あんまり工夫がない」気がする点は、「なんとなくバッハらしくないなあ」と感じました。とはいえ、バッハのオルガン作品には詳しくありませんから、他にもそういう作品があるのかも知れず、また、楽譜が部分的すぎるために「この部分だけが物足りない」感じなのかも知れず、私の印象は真贋を議論する上ではとりあえず役に立ちません。:5月27日付記~コラール旋律で始まるからバッハらしくない、という見解が誤りであることについては、5月14日に追記として綴りました。また、十六分音符部分については根本的に読み直し、5月26日に分析譜とともに言及しました。)

(5月7日追記)
以下の記述は、Curraghさんに頂いたご教示(コメント参照)を考慮し、
・私の知っている狭い範囲でのバッハからの類推でしか綴っていない
・楽譜を慌てて読んでいるため、読解のの可能性についての誤認と考慮不足がある
との、大きく二つの問題点があったため、訂正を検討しました。
が、読解の部分について別に記事を綴りましたので、誤認部分の削除と、削除したために生ずる齟齬の補正に留めることにしました。
読解の詳細は該当記事(5月26日掲載)をご覧下さい。

Curraghさんほど幅広いオルガン音楽知識がありませんので、なお妥当性に欠ける見方になっているかもしれませんが、私の限界ということでご容赦頂きますとともに、なおご指摘・ご指導等頂ければ幸いに存じます。

素材のコラールは本来7詩節から成っています。音声化したもの、すなわち入手できた楽譜を読んだ限りでは、パッと見だけでは最初の2詩節分までしか含まれていません。かつ、コラール旋律はまず鍵盤部(上声)に1節ずつ示され、続いてペダル部でその節を再度響かせる、という手法で作られています。したがって、単純に見ただけですと、完全版全ての楽譜は、演奏時間が今回音声化した分(約1分30秒)の3.5倍から4倍程度になるものと思われます。
最上声部に細かい下降音型が現れるところからが最終頁の分であり、この部分にはコラール旋律が全く現れていませんから、ここ以降はじつは曲のコーダ(終結部)となっていることが分かり、かつ、今回音声化したうちの約3分の1がこのコーダで占められています。
このことを考慮しただけですと、第1頁(16小節)でコラール部分の4割ですから、残り6割程度としてコラール部分と間奏を併せてあと22ないし24小節、それに最終頁が9小節ですから、全体で40小節前後と推測され、今回音声化したものに対し、本来の演奏時間は1.6倍程度。それだと2分30秒で終わってしまいます。
研究者の発表では7分程度、となっていうようですから、もっと複雑な要素もあるのかと思われます。
(5月27日追記)ただし、後日掲載しました通り、講評された範囲内では、私の目にはどうしても「バッハの真作」だとは考えにくい特徴があります。

真作なのであれば、研究者の推定では、1705〜10年ごろの作品だ、と判定されたそうです。
見た目でも、音声化してみたところでも、私には、有名な「トッカータとフーガニ短調」BWV565のうちのトッカータ部分と非常に似て感じられます。かつ、作品中で多用されている「・タタタ|ター」という動機も、同じのフーガの主要動機です。
この「トッカータとフーガニ短調」も研究者の推定した時期と概ね同じ頃(1704年説あり)に作曲されたというのが最近の見解ですから、私としては研究者の判断は妥当なものであると考えております。

なお、楽譜はここにリンクしたサイトで画像を見ることが出来、ダウンロードも出来ます。
印刷時に適切な設定をしないと、第1頁のほうは最下段が2段しかないように見えますが、ちゃんと3段あり、ペダル声部が抜け落ちずにかかれていることも分かります。
第1ページの最初には第1段二行目(鍵盤下声部)に"Piano"、第2段1行目(鍵盤上声部)に"Forte"の記入がありますが、私はバッハ自筆のオルガンの譜例を知りませんから断言は出来ないものの、これは筆写者がオルガンのストップをどう設定するかのための備忘のために付記したのではないか、という印象を受けました。どんなもんでしょうか?(これについては、Curraghさんに示唆を頂きましたが、写譜した人物が加えたのではないか、とのことです。詳細はこの記事に寄せていただいたコメントをご参照下さい。オルガンの双方に関する興味深い内容まで言及いただいており、大変参考になります。記事下部の「コメント」というところをクリックして頂ければ読むことが出来ます。)

なお、リンク先の説明(ドイツ語)では、年代の判定はBWV718(1703年とされています)を参考としたもののようです。
BWV718はコラール「キリストは死の絆につきたまえり(Christ lag in Todesbanden)」のオルガン用編曲です。これとの関連性も深い、ということなのでしょう。作りは似ていると言えなくもありませんが、こちらはコラール旋律では始まっていません。
新発見のBWV1128についてはブクステフーデの影響について云々されています。
この点は、BWV565も同様ですから、ちゃんとご研究なさったかたの仰ることに間違いはないのだろう、と信たいところです。(ただし、BWV1128が真作であるためには、今回見ることの出来なかった間の部分にかなりの充実が認められなければならないはずです。少なくとも、最終頁はBWV565終結部の緊張感には遥かに及びませんが、それはコラールファンタジーだから「より軽くて当たり前」で済む話ではない気もします。)

上にリンクした以外の、日本の関連記事【新聞ニュースは含まず】)
2008-04-21 - 現代古楽の基礎知識
新発見の曲を、早速ピアノで (Bach with Piano)

画像)クリックすると拡大します。
第1頁
Bach_bwv1128

最終頁
Bach_bwv11282

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年4月23日 (水)

シューベルトとサリエリ(ラ・フォル・ジュルネ・ジャパンを前に)

この春のラ・フォル・ジュルネ・ジャパンは、シューベルトとそれを巡る人々(恩師、同時代者、音楽的後継者)の特集ですね。

豪華演奏家陣が集まるので、例年魅力を感じながらも、残念ながら同時期に自分の所属する楽隊の合宿なので、聴きに行くことが出来ません。
とくに、歌曲では日本人大ベテランで、モーツァルトのミサ曲の録音などでドイツでも高く評価されている白井光子さんが「冬の旅」を歌うプログラムもあり、
「ああ、行きたかったなあ・・・(すでに心の中では過去形)」
と思っております。

シューベルトのドイツ舞曲とヨハン・シュトラウス二世のワルツを組み合わせて演奏する試みなども、一度は聴いてみたいものでした。ウェーベルンもシューベルトのドイツ舞曲を管弦楽に編曲し、かつ自分で指揮した録音を残しています。この「無調音楽の旗手」にして編曲をさせる意欲を湧かせたほどに、シューベルトのドイツ舞曲はウィーンのその後のダンス音楽(といってしまって言いのでしょうか)、ひいてはウィーン人気質そのものに、強い影響力を持ち続けたのでした。実際、そのオリジナルの室内楽版を演奏するのも、大変に気分のよいものです。

ウィーン以外の作曲家としてロッシーニも登場するのが、また面白いところです。ロッシーニはシューベルトが脂の乗り切った頃、ウィーンを来訪し、たしかにシューベルトに大きな影響を残しています。

その他、モーツァルト、ベートーヴェン、またシューベルトのものに限らず先輩作曲家たちの作品をピアのように編曲し、当時の音楽愛好者に多大な貢献をしたリスト(彼そのものの作品ではなく、当然、シューベルト作品を編曲したものの方が取り上げられるのですが)、また室内楽ではそれぞれ響き作りの先輩、後輩とも言えるウェーバーやメンデルスゾーンの作品も登場するのが、大変興味深く感じられます。


ひとつ、残念なのが、全日程の中で、シューベルトの最大の恩師と言っていいサリエリ(サリエーリ)の作品が2つしか取り上げられないことで、これは出版事情や普及度、サリエリ自身の作品に歌劇以外のものが極端に少ないことを考慮すると、やむを得ないのかな、とは思います。

前にも記したことがあったかも知れませんが、ウィーン宮廷で活躍中は栄光に輝いていたにも関わらず、妻にも先立たれて寂しい晩年を送り、モーツァルト暗殺というありえない嫌疑をかけられたままでヒッソリと息を引き取り、さらに死後はプーシキンの戯曲で「モーツァルト毒殺者」としてのレッテルを完全に貼られてしまい、20世紀後半にはそのイメージを映画『アマデウス』(映画中では毒殺はしませんでしたが)で世界的に広められてしまった・・・サリエリとは、そんな、気の毒な人物です。

ですが、生前の彼は貧しい育ちから宮廷に拾い上げてもらった恩義をずっと忘れずにいたと思われ、貧乏な弟子からはレッスン代を取らずに、それでも懇切丁寧な指導をし、若い後輩達から非常な尊敬を受けていましたし、かつ、サリエリが「毒殺」したと言われることになった当のモーツァルトとの関係では母コンスタンツェの、おそらくはその将来を保証してもらえるため、等の多大な期待を背負って、其の子息がサリエリの弟子となっていたのでした。モーツァルトジュニアは、作曲家としては成功しませんでしたが、ピアニストとしては大成し、彼の弾く父の「ピアノ協奏曲ニ短調」は相当な評判を勝ち得ていたようです(海老澤敏『超越の響き』に記載があったと思います)。

有名な弟子は、ベートーヴェンを初め、当時のウィーンを荷うことになる優秀な音楽家達が名前を連ねています。サリエリは、そんな弟子達の催す慈善演奏会で、コンサートの性質上、さほどの収入は期待できなかったであろうにも関わらず、しばしば出演を依頼され、引き受けていたようです。ベートーヴェンの第7・第8交響曲初演時の演奏に副指揮者として加わっていた、というエピソードが、最も有名でしょうね。
あるいは、多くの慈善演奏会で、ハイドンやベートーヴェンののオラトリオの指揮をしたりもしていました。

そんななかで、シューベルトは、「謝礼を免除されて」サリエリの弟子の一員に加わっていたのでした。

このことも、前に記したことと重複するかも知れませんが、ラ・フォル・ジュルネ・ジャパンのプログラムに取り入れられなかったのが惜しく思われますので、正式に(というほどのものではありませんが)ご紹介しておきたい作品があります。

まだサリエリにモーツァルト暗殺嫌疑の噂が立つ以前、1816年に、サリエリのウィ−ン生活50年を祝う会が、大々的に催されました。
シューベルトは、この会にあたって、サリエリに捧げる祝典カンタータを作っています。
この歌の詞は、サリエリの人徳を称えてやまないものなのですが、決して「おべっか」だとは感じられません。歌詞の内容にふさわしいだけの人的・社会的貢献を、サリエリが積んできたことは、上に記した彼の活動の大雑把な輪郭だけでも、よくご理解いただけるのではないかと思います。

以下、このとき作られたシューベルトのカンタータの詞を、水谷彰良著『サリエーリ』に引用されている、實吉晴夫氏の訳でご紹介します。

<サリエリ氏の50年祝賀に寄せて>(D407)
やさしい人よ、よい人よ!
賢い人よ、偉大な人よ!
私に涙のあるかぎり、
そして芸術に浴みするかぎり、
あなたに二つとも捧げよう、
あなたは二つをこの私に恵んでくれたその人だから。
善意と知恵があなたから、
噴水のように奔る、
あなたは優しい神の似姿!
地に降りたった天使のような、
あなたの御恩は忘れません。
私たちすべての偉大な父よ、どうかいつまでもお元気で!

カンタータそのものも、お聴きになってみて下さい。


AN 1816 SHUBERTUAD (The Hyperion Schubert Edition) CDJ33032



サリエーリ―モーツァルトに消された宮廷楽長 Book サリエーリ―モーツァルトに消された宮廷楽長

著者:水谷 彰良

販売元:音楽之友社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月22日 (火)

「ありのまま」と「美化」

「ありのまま」をそのままに、というものには、なかなかに巡り会えないものです。
子供たちを家内任せに出来なくなって、いっそう、それを感じるようになりました。

子供たちのほうには、そんな頓着は、ありません。
日々、自分の感情のままに生活している。自分の周りにあるもの、自分に接してくるもの、それらすべての相手は、相手の「ありのまま」で自分のほうを向いているんだ、と信じて疑わないようです。

昨日の、晩飯をめぐってのやり取り。
娘は夕方からレッスンなので、帰りが遅い。で、前の晩から弟に指示を出していました。
「おつゆを作っておいたから、それにうどんを入れて煮て、食べとくんだよ!」
「うん、分かった」
ノンキな弟君のほうは、でも、姉貴のこの指示をすっかり忘れていました。
夕方早目に帰宅した私が、台所の鍋を見て、留守番していた息子に訊きました。
「この汁でうどん煮るんだったよな」
「うーん、どうだったっけな」
「覚えてないの?」
「どうだろうな」
で、娘の方のケータイにメールを入れました。
「鍋の汁でうどん煮ればよかったんだっけ」
「昨日言ったじゃない!」
「お父さんは脳ミソすりへってるし、弟君は人の話聞いてないのが常識だからさ」
「家族のために一生懸命作ったのに!!」
・・・怒りの返信。
「まあ、分かったから、気をつけて帰ってきな、大事な娘!」
おべんちゃらの返信でお茶を濁す悪い大人。
でも、素直な感情をぶつけてもらえるのは、本人には大迷惑だったでしょうが、私には幸せなものでした。

息子君は、あさってまでに中学校でどんな部活動に入らなければならないかを決めなければなりません。
「吹奏楽部がいいかな?」
「あ、あれは、やめときな、ひどいから。顧問好みの演歌しかやらないし!」
とは、自分が部長だったくせに威張って阻止しようとする姉の言い草。
(実際には、演歌はやってません。)
「それなら、卓球部かな?」
「あ、暗いから、だめ」
「じゃあ、美術部だ」
「あんた、絵のセンスあるの? まあ、描くのは好きだからいいけどね」
姉弟の会話ですヨ。で、弟君は姉の言葉になんの「企み」も感じていない。いわれたそのままが、部活動の「ありのまま」らしい、と思い込んでいる様子。
さほど悩んでいるわけではないけれど、私に
「せっかく続けてた柔道があるじゃないか!」
と駄目押しされて、頭の中は混乱。
「まあ、でも、3年間頑張って続けられるものを自分の意思で決めるなら、任せる」
そこまででいったん、話はおしまい。
息子君のケースの方には、姉の価値観による部活動の反「美化」があります。
そうなると、たぶん、弟としては、自分の中でどれかひとつを「美化」しなければ、選択の決断が出来ない。卓球部だって「あの早い動きがしてみたいんだ」とか、吹奏楽部だって「僕なりに満足できるように吹ければいいんだ」とか、美術部なら「自分らしい絵が描ければ、人がなんと言おうと充分じゃないか」とか・・・思いに「割り切り」という結晶を作らなければ、という重圧がかかる。
(「柔道」になんとなく拒否的になったのは、小学校最後の頃に、通っていた道場に、あまりにも勧誘熱心なおかあちゃんがいたので、なんとなく分かる気がするんです。)
・・・これはちょっと、姉の「うどんのつゆ」とはまた別の形で失礼しちゃったのかな、と、反省しています。

今朝、
「あんたの中にいるおかあさんと、よく話し合ってきてごらん」
そういって送り出したのが、せめてもの償いでした。

素直な気持ちで、余計な思いをもたないで、「これがいい」と選ぶのが、息子にとってはいちばんいいのかも知れない。
どうせなら上手くなる、とか、キレイに出来る、とか、余計なことを考え始めると、むしろ心が害されていくのかも知れない。

話のついでですから、

・上手く
・キレイに

という意図が、果たしてプラスに働いているかどうかを、音楽の例で、判定してみて頂きましょうか。
(右クリックで、別ウィンドウで聴けます。)

まずは、ブルガリアン・ポリフォニー。

 「西アジア・東欧の旅」JVC VICG-60576
 「ブルガリアの音楽」KING KICW1096

前者は、実は20世紀になって舞台芸術化されて以降に構築されるようになった響きです。

続いて、ルーマニアの音楽。

 "ROUMANIA:WILD SOUNDS FROM TRANSYLVANIA" WDR BEST.-NR.:28.300
 "Bartok Orchestral Works" BRILLIANT 6488

バルトークがコダーイと共に、トランシルバニア地方の民謡を収集したことは、つとに知られています。
上でお聴きいただいた作品も、伝統的なものに比べ、旋律にはよく原型を保持していることが窺われます。
それでも、これは「美化」された響きです。

バルトークは、なにを目指して、こうした「美化」を行なったのでしょうね?
突き止めるためには、彼の記した「音楽論」を参照しなければなりませんが、今回はそれはあえてせずにおきます。

「素朴」と「美化」のあいだに、どんな相違があるか、それぞれ「素朴であること」、「美化されること」にはどんな意味や精神がこめられているか、は、簡単に結論付けられる話でもありません。
私も、まずはゼロから考えてみようかと思っております。
一緒にお考えいただけるようでしたら、このうえない幸いです。

世界音楽紀行 西アジア・東欧の旅Music世界音楽紀行 西アジア・東欧の旅


アーティスト:民族音楽,ファーティマ・バエージー・パリーサー,メスティアの男声合唱団,ツィナンダリ男声合唱団,ユスフ・ゲブゼリ,フィリップ・クーテフ・ブルガリア国立合唱団,ナダカ・カラジョバ,ギリシャ正教会

販売元:ビクターエンタテインメント

発売日:2005/11/02
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ブルガリアの音楽 バルカン・大地の歌Musicブルガリアの音楽 バルカン・大地の歌


アーティスト:民族音楽,ネヴェナ・ミルチヴァ,バシルカ・トドロバ,トライカ・コレーヴァ,ゲナ・チェコヴァ・ステファノヴァ,ペーテル・イワーノフ・テーノフ,イヴァンカ・ツヴェターノヴァ

販売元:キング

発売日:1999/08/06
Amazon.co.jpで詳細を確認する




追伸:杉山欣也著「『三島由紀夫』の誕生」、引き続き宜しくお願いします! 名著です!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月21日 (月)

モーツァルト:新機軸!(ピアノ協奏曲<ジェナミ>K.271)

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



本当は「エジプトの王タモス」から始めたのかったのですが、関連資料を見ても作曲事情などが錯綜していてまとめきれませんでしたので、先送りします。

じつは、この「エジプトの王タモス」じたいは1773年から79年にかけて作られたものなのですが(改めて触れることになると思います)、コンラートの作品表でも、西川「モーツァルト」の作品表でも幕間音楽は「1777年頃?」と記されたままです。筆跡鑑定では幕間音楽は既に「1779年作でほぼ間違いない」とされているとのことなのですが(これは西川氏のまとめた作品表に注記してあります)、77年という年代がなぜ作品表上完全に否定されていないのか、という経緯については分かりません。

で、この「エジプトの王タモス」幕間音楽には、2つの素晴らしい短調作品が含まれているのです。
その旨を中心に記したかったのですが、これらの短調作品が劇中のどんな場面で演奏されたのか、が非常に重要なことだと思われるにも関わらず、音楽だけについて捉えた説明では、劇との関連性にまで言及しているものは見当たりませんでした(もっとも、日本語文献をあたりきっておりませんし、劇の台本はNMAに載っているものの、私の読解力不足でまだ読み切れておりません・・・お恥ずかしい限りです)。

そこで、「タモス」については先延べすることにしました。

先延べしてもいいだけの、素晴らしい短調作品が77年1月にザルツブルクで作曲されていますから、そちらから記事にしてもバチはあたるまい、と思ったためでもあります。

その短調作品、「単独の」短調作品ではなく、ピアノ協奏曲第9番(K.271)の第2楽章です。
ハ短調の、三部形式の音楽ですが、調性といい、拍子(4分の3拍子)といい、1779年(もしくは80年)の、有名な「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 K.364」第2楽章を先取りしています。

実際にどれだけ深い味わいをもっているかにご興味がある場合は、実演なり録音なりで確かめて頂くしかありませんが、モーツァルトのピアノ協奏曲としては初期後半に属するこの作品は、作曲された時期の割には演奏される機会も多いので、耳にしやすいと思います。最後にCD(DVD)の例をリンクしますので、是非一度お聴きになってみて下さい。

さて、この協奏曲、長い間、愛称を「ジュノーム(ジュノム)」と呼ばれていました。初演した女性ピアニストがそういう名前だと伝えられてきたからです。
ですが、2003年、実像の分からなかったこのピアニストについて、ローレンツと言う人によって素性が明らかになったのだそうです(西川「モーツァルト」238頁)。西川氏の記述から引用させて頂きます。

彼女は高名な舞踏家ノヴェールの娘で、正しい名はルイーズ・ヴィクトワール・ジュナミ(Louise Victoire Jemamy)であるという。ヴィクトワールはノヴェールの末子として1749年1月にストラスブールに生まれ、父がヴィーン宮廷に雇われたのにともない、1767年夏にヴィーンに移住。翌1768年9月に富裕な商人のジョーゼフ・ジェナミと結婚し、1812年9月に63歳で亡くなっている。モーツァルトは遅くとも1773年の第3回ヴィーン旅行のときに、ノヴェール父娘と知り合い、ヴィクトワールのクラヴィーア演奏を聴いたと推測されている。当時の新聞記事によるとヴィクトワールの演奏はかなり優れたものだったらしいが、彼女がプロの演奏化だったかどうかは分かっていない。ヴィクトワールは76年末か、77年初頭に、ヴィーンからパリに向かう途中でザルツブルクに立ち寄り、変ホ長調協奏曲(注:今回採り上げるピアノ協奏曲第9番)を受け取ったと考えられる。モーツァルトは1778年のパリ滞在中にヴィクトワールと再会し、父のノヴェールの依頼で<『レ・プチ・リアン』のためのバレエ音楽>(K.Anh10/299b)を作曲している。

以上の記述からすると、演奏者とモーツァルトの縁は浅からぬものがあったようです。
浅からぬ縁をかたちづくった大きな要素となったのが、この「ジュノム」と呼ばれてきた<ジェナミ>協奏曲の、すぐれた出来映えであったのではないでしょうか?

味わい深いハ短調の中間楽章をもつ、というだけでなく、この協奏曲には、従来のピアノ協奏曲にはなかった新機軸が取り入れられてもいます。
それは、オーケストラが冒頭1小節を慣らしたすぐあとに、早くもピアノの独奏が登場する、という<創り>です。・・・こうした創りは、(知られている限りでは)そののちベートーヴェンがピアノ協奏曲第4番で冒頭からピアノ独奏で曲を開始する、というアイディアを取り入れるまで、最も斬新、かつ誰にも真似されなかった創意でした。
さらに面白いのは、ソナタ形式である第1楽章の中で、冒頭ではオーケストラの1小節とピアノの2小節、という関係だったのが、ときにはピアノ1小節でオーケストラ2小節、そしてまたときには冒頭と同じ順番、と言う具合に入れ替わることで、聴衆の耳を巧みに引きつけることです。
ドー・どみそそそ、という分かりやすい動機なので、
「最初に聴いたあのメロディだ!」
ということが聴き手に鮮烈に印象づけられるため、ピアノとオーケストラの入れ替わりが気軽に、存分に楽しめるというわけです。

もうひとつの新機軸は、終楽章に含まれます。
終楽章は急速なテンポをもつロンド形式で、このテーマもピアノのパート上は8分音符の羅列であるにも関わらず(ドソミソドソレシ)、「ドーーーレシ」とメロディックに聞こえるという、主要主題の書法自体も非常に巧妙なものであり、それだけでも興味深いのですが、後半部に差し掛かったところで突然、優雅なメヌエットが挿入されるのです。・・・これは2年前のヴァイオリン協奏曲第5番(トルコ風、K.215)の終楽章の趣向を逆転しただけ、のようにも見えます。が、内容としては「トルコ風」の方は完全に三部形式の中間部に別の形式を差し挟んだのが明らかで、一般的な作曲ルールを逸脱していませんでした。「ジェナミ」の方でのメヌエットの現れかたは、「トルコ風」とは違い、ロンド形式の中で<唐突に>現れるので、聴衆を一瞬戸惑わせます。困った顔の聴衆を横目で見て、演奏者がにやりと笑う・・・そんなイジワルなニュアンスを持っています。

モーツァルトは、このK.271を含め、第6番K.238、第8番「リュツオウ」K.246の3曲を、パリで出版する意図を持っていました(1778年9月11日の父宛書簡、ベーレンライターの書簡全集第2巻、書簡No.487、136〜137行参照)。しかしながら、この試みは失敗します。何故か?
アルフレート・アインシュタインによりますと、
「買い手はおそらく他の二つのコンチェルトならば喜んだであろうが、この最後のもの(=<ジェナミ>)を拒絶したにちがいないからである。モーツァルトの創作のなかで、これは孤立したものであると同時に、人を驚愕させるものである」
からだ、とのことですが、上で観察したような第1楽章冒頭部や終楽章のメヌエットの登場の仕方を考えますと、アインシュタインの記述は卓見であるといっていいでしょう。

作品の構成は、以下のとおり。

第1楽章:Allegro,4/4(308小節)
 *オーケストラ呈示部=1〜63
 *ソロ呈示部=64〜134
 *展開部=135〜195
 *再現部=196〜281(ここでピアノとオーケストラの逆転が見られます)
 *コーダ=282〜308(カデンツァは2種類残されています)

第2楽章:Andantino,3/4(ハ短調)3部形式

第3楽章:Rondeau Presto 467小節
 *233小節から303小節までがメヌエットになっています。
 *カデンツァも、長大なものが149小節と303小節、と、2度挟まれます。
 *さらに、232小節に小さなカデンツァが挟まれています。
すなわち、終楽章のロンドは、メヌエットの前後をカデンツァで区切る、という点で独自性を出しているわけです。

総譜はNMAでは第15分冊に含まれています。

CDは、こちらで「ジュノム」で検索されることもお勧めします!
http://look4wieck.com/asearch.php

自分でいちばん聴いてみたいのは、ラヴェルの弟子だったペルルミュテールの演奏したこちらにリンクしたCDですが・・・今はゆとりがありません。
ペルルミュテールは、最近では忘れ去られそうになっていますが、もっと知られてよいピアニストです。ラヴェルの演奏はもちろんですが、ショパンはこの人の録音で初めて聴いて以来、他にそれを超える演奏を聴いたことがない気がします。



モーツァルト: ピアノ協奏曲第9番 ジュノームMusicモーツァルト: ピアノ協奏曲第9番 ジュノーム


アーティスト:ブレンデル(アルフレッド)

販売元:ユニバーサル ミュージック クラシック

発売日:2002/03/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番&第23番Musicモーツァルト:ピアノ協奏曲第9番&第23番


アーティスト:ハスキル(クララ)

販売元:ユニバーサル ミュージック クラシック

発売日:2007/01/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

旅路のモーツァルト・ピアノ協奏曲集 3DVD旅路のモーツァルト・ピアノ協奏曲集 3


販売元:ジェネオン エンタテインメント

発売日:2006/12/06
Amazon.co.jpで詳細を確認する

作曲家 人と作品 モーツァルト (作曲家 人と作品)Book作曲家 人と作品 モーツァルト (作曲家 人と作品)


著者:西川 尚生

販売元:音楽之友社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年4月20日 (日)

4月20日弦分奏記録

管楽器の方は管楽器のかたでまとめておかれることをお勧めします。

<悲愴>の第4楽章、第1楽章から取り出して、技術的な問題をクローズアップして(というつもりで)練習しました。

ファーストは最終的に4人(うち一人は本来セカンドのエキストラ、しかも今回初出席なのですが、バランス上お願いして入っていただきました)、セカンドは5人、ヴィオラは5人、チェロは4人(お一人は咳が止まらなくなって欠席の由)、コントラバスは3人、というご出席状況でした。

第4楽章
・まず、練習記号Gのところを4小節間弾いて頂きました。冒頭部は、書かれかたが違いますが、耳に聞こえる音はこのGの部分と同じになるはずですので、音を覚えて頂くためです。
・その後に、冒頭部を弾いて頂きました。・・・Gと同じに聞こえない。理由を考えて頂きました。
 *ファースト、セカンドヴァイオリンは、最も上のメロディを構成する音のほうを心持ち大きく弾く
 *ヴィオラ、チェロは、最も下のメロディとなる音を、ヴァイオリン同様に考える。
・このとき、1小節目(3小節目)も、最後の16分音符を、長めに大事に弾くようにしないと、次の小節に繋がっていきません。くれぐれも最後の16分音符を大切に。

・19小節目、難しいですが、冒頭部の応用です。

・最後の部分(練習記号N)は、確認だけしました。

第1楽章
・練習記号Iの2小節目(184小節)4拍目からは、トリッキーですが、この4拍目を第1拍とする書法がとられています。それを理解すると音の変わり目が「分からなくなる」ことを避けられます。(本当はヴァイオリンのフィンガリングのことまでお話できれば良かったのですが、そこまでは出来ませんでした。)

・練習記録Kのところは、ヴァイオリンは次のチェロに渡さなければなりませんから、切り上げが早くてはおかしいです。チェロは、ヴァイオリンが終わって受け継ぐ時に、「あ、終わった」と耳で確認してから入ると、聴覚の性質上、必ず遅れます。(ヴィオラは弾きっぱなしです。)〜全パートが、せめて8分音符単位できちんと「カウント」:し続け、カウントに乗って、焦らずに弾くことが、第1番目に大事です。先に終わる方が、ですから、慌ててさっさと切り上げてしまう不正確さを犯さないことが、次に重要です。最後に入るパート(ここではチェロ)は、(カウントされているテンポがみんな出そろっていることが大前提ですが)あらかじめ入りを予測しておいて、テンポに乗ってカウントし、入るべきところで適切なブレスをとって入れば、間が空くというみっともない事態が避けられます。これが、三番目に大切なことです。コントラバスは、チェロが正確に入ってしまえば、苦労せずに乗れてしまいます。

・206小節以降、練習上は、チェロ・バスはひとつひとつの三連符の頭にアクセントを付けて、カウントを上声パートに分かりやすく示してやってみて下さい。ヴィオラ以上のパートは、休符のあとに入る音符は明瞭な輪郭で(アクセントをしっかりつけて)入るようにして下さい。休符は「矯め(タメ)」の役割をになっていますから、ボンヤリ入っては休符の意味がなくなってしまいます。・・・以上のようにしておくと、211小節から始まるシンコペーションで、タイミングを見失わずに演奏を続けることが出来ます。223小節アウフタクト以降は二分音符を挟みますのでごまかされないようにいっそう用心が必要です。

以上で時間切れとなりました!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月19日 (土)

<悲愴>記事リンク総括、他

手抜きです。
某資料を読みきれないため、次に綴るつもりだった記事がつづれません・・・(T_T)



1)吉川吹奏楽団第18回定期演奏会〜4月20日です!

2)チャイコフスキー:交響曲第6番<悲愴>記事総括
   ・前提
   ・全体像
   ・第1楽章
   ・第2楽章
   ・第3楽章
   ・第4楽章

3)杉山欣也著「『三島由紀夫』の誕生」ご紹介
  ・・・従来の三島観を覆す!、ということだけでなく、
     「事実を読む」方法論に目を洗われる思いがする本です。
     AMAZONの三島由紀夫のランクで最高2位の実績と注目度!
     是非お読み下さい!

・・・てなとこです。
・・・バレバレの手抜きだな。。。


ひとつだけ付け足し。 先日、クラシック音楽演奏会での拍手のタイミングだのコンサートへ行くときの服装を云々した本への批判的意見を綴りました。 そのご著者、Mさんは、今では知名度の高い人ですが、その音楽の青春をヨーロッパで過ごしたはずです。そして、現場でヨーロッパというものの実情を切実な目で(もし本当にそれだけの感性をお持ちだったのでしたら)ご覧になったはずです。 今日、たまたま子供と買い物に出て、古本屋に立ち寄り、1960年代後半のヨーロッパを心身で深く味わって来た人物の著書に出会いました。

西尾幹二「ヨーロッパ像の転換」(新潮選書、1969)

です。西尾氏は手塚富雄氏の弟子でした。

この本の中にある一節を引用して、M氏への、というより、クラシックのコンサートへ行く際のマナー云々を(それは西欧でも時代遅れのものです)、あたかも
「洋食ではライスはフォークの背にのせて食べるのよ」
式に捉えたがるかたがたへの批判を重ねさせて頂きます。

ヨーロッパ滞在に日が浅いころ、私はたしかに、古さを守ろうとするヨーロッパ人の保守感情のつよさの方に感嘆したし、誰でも観光気分でいるときは、古いものを見る方が面白いことは言うまでもない。劇場を訪れる女性観客の服装にしても、北ドイツでは平常着とさほど変りはないのだが、ミュンヘンやウィーンでは裾の長い、薄ものをひらひらさせた大時代的な夜会服が劇場を一面に埋めるので、最初の印象は、まるで祝祭日の広場のようである。(中略)だが、そういう服装は・・・西ベルリンやパリの劇場にはほとんどみられない現象なのである。
(中略)
私はこの土地のひとびとの過去の文化への守旧的情熱が何であるのかだんだん分からなくなってきた。そこにはなにかこわばりが感じられるからである。
はじめ観光客気分でいた間は、私にはそんな疑問はまったく浮かばなかったし、ただただ華麗にして豊富な過去の遺産の累積する層の厚さに感心するばかりだった。だが、この種の遺産墨守が、日常の市民生活にみられる彼らの徹底して無駄のない合理的な生き方とはあまりにも矛盾しているように思いはじめたとき、結局、文化に関する単純な未来主義と、極端な過去崇拝とは、同じひとつの事柄の二面であって、文化を追い求めるべき意識的な目標として考えるという目的論的文化観の、方向の異なる二つの側面ではないかという気がしてきたのだった。
(後略)128〜130ページから引用。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月18日 (金)

自分の音をまるで見えるように

「自分の音を、まるで見えるように聴いてなくちゃいけないよ」

若き日のアルド・チッコリーニが、エリザベス・シュヴァルツコップからアドヴァイスされた言葉です。



今晩、娘のトロンボーンのレッスンにつきあって、待っているあいだに、そのあたりにある本を読んでいました。
いつものことです。

この間はバドゥラ=スコダの「バッハ 演奏法と解釈」、併せてメシアン夫妻共著(実際は日本語訳者による編著)の「メシアンによるラヴェル楽曲分析」という大きなメッケものをしたのですが、今日読んだこの本もメッケものでした。・・・ただし、今日は財布の関係で購入しませんで、レッスン場の外にあるテーブルに、印象に残った箇所をこっそり書き抜いてきました!(出版社の敵!)

・「アルド・チッコリーニ わが人生」(全音楽譜出版社)

Bookアルド・チッコリーニ わが人生 ピアノ演奏の秘密


著者:パスカル・ル・コール

販売元:全音楽譜出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

が、その本です。

チッコリーニは、知る人ぞ知る、フランスピアノ音楽作品の演奏の大家です。
イタリア人でありながらなぜ、フランスに移住し、フランスに自分の音楽人生を掛けたのかは、本文に手短ながら充分に記されている通りです。彼の経歴にご興味のある方には、この部分は単に自伝の要素を超えて、チッコリーニの音楽観がいかに形成されたかを知る上で非常に意味深いものですから、是非お手にとってみて下さい。

この本でチッコリーニが語っている中で、意義深く思われたのは、冒頭に記した、彼がシュヴァルツコップからもらった言葉の他には、(内容的に身近なものから、ということで並べ替えてみますと)以下の3つです。

「ミスなく音を弾かなければならない、という正確を求める強制は、しばしばミスタッチに対する恐怖を引き起こします。(中略)しかしながら、はじめにミスタッチを避けようとすることだけ専念する音楽家は、どこか間違っています。」(p.66)

彼は初めフランス国籍を持っていませんでしたので、それを惜しんだ当時のフランスの文相の援助でフランス国籍を獲得し、コンセルバトワールで教鞭をとることになります。初めて教鞭をとりに出向いた時に、彼が口にしたのは、次のようなことだった由。
「私はあなた方に(注:ピアノの弾き方を)教えにやっては来ません。あなた方に、まず音楽を愛することを教えに来たのです。」(p.64)
この発言には、彼が幼い日から経て来た、自身の演奏体験・・・ピアノを愛すること、音楽を愛することを熱望し、謙虚にそれらに取り組み続け、1937年に父を亡くした直後から始まった第2次世界大戦で公的な演奏の場所を失い、カフェバーで「お客に無視されながら」弾き続けてお金を稼ぎ家族を養いつつも、そこで彼の音楽への愛を素直に感じ取ってくれたお客に出会った思い出など・・・が、深く刻み込まれています。また、作曲までを学びながら、なぜ作曲家への道を、ではなくピアニストの道を選んだかについての謙虚な言及が本書の前半部にありますが、それとこの言葉を照らし合わせると、「音楽を愛すること」を深く考えたときに<あなたならどうしますか?>という問いかけが、こちらにかえってくるのを、強く感じます。・・・Mさんに読んで欲しい!

そんな彼の、今の世の中に対する観察は、次のようなものです。
「・・・今日では、もうその事情(注:第2次大戦前にはフランスに残っていた、芸術諸分野の連携による創造力の豊かさが達成されやすい状況)にないことを、私は嘆きます。アーティスト達は、それぞれが自分の領域で仕事をし、あたかも運動選手がスポーツ競争に立ち向かうように自分のキャリアに取り組んでいます。我々の時代に、芸術の水準はこんなにも低下してしまいました。シュワルツコップやティボー、コルトー、ミトロプーロスのような筋金入りの音楽家を見つけることがより難しくなった理由は、この芸術家の孤独が原因だと私は見ています。」(p.62)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月17日 (木)

曲解音楽史:33)マルコの帰路に沿って-4(東アフリカ)

前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世 29)宋・元時代の「中国」
    30)日本の「オラショ」 31)ヴェトナム伝統音楽 32)インドネシア



東南アジアを通過したマルコ・ポーロは、セイロン(スリランカ)を経由し、南インドから西インドに寄港しつつ、ホラズムに至ります。
マルコが「東方見聞録」に豊富に記事を綴っているスリランカに関しては、当時の文化は「東方見聞録」と「ムガル帝国誌」の照合で何とはなしに妥当性の度合いを測れますが、音楽についての記述はなく、現在の民族音楽の音源についても、私の現状やショップでも入手が困難であり、残念ながら、その独自性を実際に推測することは出来ませんでした。
南から西インドにかけては、インドの中世そのものについて以前ちょっとした考察をしました。また、ホラズムの所在するイラン(ペルシア)音楽についても同様です。
したがって、スリランカからペルシアにかけては、省略します。

「東方見聞録」から窺えるのは、当時の商人たちの地理的知識が思いのほか広範囲について把握していたものだった、ということで、マルコの記述中には、北はシベリア、ロシア、北欧方面に至るものまでが含まれています。ただし、それぞれが相当に荒唐無稽な内容であることからすると、実際に足を踏み入れたアラブ人・西欧人の数は、かなり限られてはいたのでしょう。

マルコの帰路は、13世紀のインド洋貿易のルートに乗ったもので、その主導権を握っていたのはイスラム文化圏の人々でした。
そこから分かる面白い事実は、イスラム圏の人々によるインド洋貿易は、東アフリカまでを包括していた、という点です。
その影響で、マルコは、ザンジバル(現タンザニア領の諸島)やマダガスカル島をも「インド」に含めています。
当時の地図のうち、イブン・ハルドゥーンによるもの(を分かりやすく地名比定して訳者が作成したもの)を岩波文庫『歴史序説』(第1巻巻頭)から掲載しておきます。見づらいですが、13〜14世紀にイスラム圏の人々が把握していた地理上の知識が集約されていて非常に興味深いものがありますので、地図上の番号と、それに対応する地名を、どうぞじっくりご覧になってみて下さい。(クリックすると拡大します。)

World


この地図から分かるのは、広範な活動をしたいスラム商人たちでも、このころにはまだ、南アフリカ(赤道以南)については「熱暑で人が住めない」と思い込んでおり、したがって、その方面の知識は持ち合わせていなかったことです。
また、インドや東南アジアの形状、中国との分離具合についても、把握がされていません。これは、中央アジアからチベットにかけての「陸路」とインド洋側の諸国を遮る峻険な地形(砂漠やヒマラヤ山系など、およびヴェトナム・チベット・中国を分け隔てる高原)の存在により、ユーラシアの大陸北部と南部の関係も、東西の関係も、地理的視点からの融合がなしえなかったためではないか、と推測しております。

インド洋沿岸部の正確な地形は、ヴァスコ・ダ・ガマのインド洋遠征でも把握されえず、それからさらに半世紀を経て、ポルトガル人によって測量されたことから、ようやく明確になったのでした(『世界地図の誕生』参照)。

そうしたことはさておいて、マルコの情報などをもとにヨーロッパ人がイスラム圏を介さない、すなわち、イスラム圏という1次・2次問屋に利益を持っていかれないで稼げる、直接的な「インド洋貿易」に乗り出すまでの間に、ヨーロッパ人でも把握していなかった広範な地理的知識に基づいて交易を進めていたイスラム商人の逞しさには、ただ目を見張る思いがします。

マルコは直接でかけていませんから、ザンジバルやマダガスカルについては伝聞による知識を語ったものと思われますが、これら東アフリカ地域も、インド洋貿易の中では香辛料の供給などに非常に重要な役割を果たしていたことを、私たちは念頭に置かなければならないでしょう。

アフリカは、かつてカルタゴが栄えたりエジプトやモロッコ王国が存続したり、さらにはイスラムが直接支配した北アフリカ方面を除き、中世でもまだ、他地域からはその歴史を垣間見るチャンスがない場所でした。それがなおかつ、いわゆる「大航海時代」・「帝国主義時代」を通じ、主にヨーロッパ人によって、この大陸のほぼ全土が植民地化されてしまったが為に、20世紀までには、アフリカ各国で独自にあまれていたはずの歴史記録は散逸してしまい、20世紀末期になってようやく、その再構築作業が少しずつ軌道に乗り始めたばかりだとのことです。
決して、他の大陸に劣る未開地だったわけではないのは、南アメリカや南太平洋諸国と同様です。

そうした次第で、中世に起源を求める出来るものではありませんが、マルコに縁があった場所のもの、ということで、今回はマダガスカルの音楽を1曲お聴き頂いておきましょう。


  「アフリカの音楽」ビクター VICG-41140所収

<COLEZO!>アフリカの音楽/オムニバス[CD]

この他、有名なピグミー族のポリフォニーや、おそらく由来が古いであろう西アフリカの仮面劇の音楽などもあるのですが、これらについては別に触れる機会を設けるべく、少し私も勉強を進めておこうと思います。

Bookアフリカ史の意味 (世界史リブレット)


著者:宇佐美 久美子

販売元:山川出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「世界地図」の誕生 (地図は語る)Book「世界地図」の誕生 (地図は語る)


著者:応地 利明

販売元:日本経済新聞出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月16日 (水)

「勉強好き」にする本を見つけるむずかしさ

モーツァルト記事、音楽史記事、腹案はあるのですが、資料をまだこなしていませんので、今日は別の話でお茶を濁します。



娘が高校に無事合格してひと安心・・・と思いながらも、基礎学力を考えると、つい余計な心配が涌いてきます。

勉強、っていうと・・・私自身も、娘も、じつは「受験勉強」というものはしなかったのです。ですから、志望校に合格できた、というのは「偶然」なのかな、まあ、運だから、いいんじゃないの、としか思っていません。とはいっても・・・中学生までは、殆どの子が「テストのための勉強」でしかないんですよね。

英語教育で奮闘なさっている(しかも、それとは全く関係なく私にとっては家内死後の最大の命の恩人の)柳瀬陽介先生(広島大学教育学部準教授、英語教育専攻・・・間違ってたらゴメンなさいね! でも、どこの学校の先生だろうが柳瀬さんは柳瀬さんであって、とても魅力的なかただ、ということにはかわりがありません。だから、肩書きなんか記さなくてもよかったかな)が、先頃ご自身のブログに
「もっと勉強しよう!」
という記事を掲載なさっていて、さらにそこにリンクを貼ってある
梅田望夫「日本を体質改善するための5つの提言」
梅田望夫「僕はこんな言葉に未来を見てきた」
というのが、また、大変に面白いのです。

梅田さんの方の記事の内容は、昨日の記事中で採り上げた「芸術の売り方」という本の内容などと併せ読んでも興味ぶかいし、「ビジネス」という目をお持ちのかたには非常に読みやすいと思います。
そして、梅田さんのお話の中にも、<根本>が溢れかえるほどに頻出しているのですが、それはご興味を持ってリンクをクリックして下さることで価値を見いだして頂いた方が宜しかろうと思います。

で、柳瀬さんの、「もっと勉強しよう!」の記事に「友人の言葉」として記載されているのは、赤面ものながら、どうも私があるところで柳瀬さんのお話に賛同して申し上げたことを、整理して載せて下さったもののようなのです。私自身はこれほど文の整理能力が無いので、恥じ入っている次第です。
けれども、春休みの間、娘に「どう勉強させようか」と考え続け、いまは息子にも「どうしたら勉強というものに興味を持ってもらえるだろうか」と気に病み続けている最大の理由を、とてもすっきり整理して下さっていますので、自分自身のためにも、載せて下さった「自分自身の意見」を引用させて頂きます。

本質を追究する精神と、そのための方法を身につけるための勉強は重要だし、そういった勉強は、通常の場合、学校教育抜きでは不可能だ。それなのに、すべてを記憶するのが勉強、という誤解が解消していない。

・・・だったら学校はどう言う勉強の場であるべきか、は、柳瀬さんが私のこの意見に対して上記リンクの記事でひとつのお答えをも記して下さっています。これについては、是非リンクをクリックしてお読み頂ければと存じます。併せて、トップページから最新記事の数々も読んで頂ければ、得るものが多々あります。



では、親の方はドシタライーノカ?

柳瀬さんが英語の先生だから、まずは英語の例で、私が娘にどう対処しようとし、いかにあまりにも成功しなかったか、でもいまだにどんな悪あがきをしているか、を述べましょう。

「英語の文法とか、復習問題なんかやらなくてもいいから、せめて、英語の本を読めるようにしろ!」
最初に娘にそう言って、実践したのは、4コママンガ「いじわるばあさん」の英日対訳本を渡したことでした。マンガの吹き出し部分には英語しか書いていませんで、日本語はマスの外に小さく書いてあるから選んだのですが、これは読ませることに成功しました。
「英語の方で読んだか?」
「うん、英語の方しか読まなかった」
「それで分かったの?」
「うん、まあね」
・・・これはしめた、と思い、次に与えたのは、難しいフレーズの上にだけ日本語訳のついた「くまのプーさん」でしたが、これは結局読んでくれませんでした。
春休み中に何とか10冊英語の本を読ませておきたい、という試みは徒労に終わりました。
じゃあ、娘は音楽専攻ですから、音楽関係で読みやすい本があったら、英語だけでも、辞書を引かなくたって読めるんじゃないか、と、休みが明けてから、必死でそうした本を探しました。
・・・もっとあってもいいはずなのに、新宿南口の紀伊国屋で、やっと1冊見つけたきりでした。

Ben Kingsley "THE YOUNG PERSON'S GUIDE TO THE ORCHESTRA"(出版社、どこだあ?)

という本で、オーケストラの楽器や指揮者について、また音楽史についても、ごくかいつまんで、文脈を類推すれば初歩的な英語の知識だけで読める本です。
娘はまだ読んでくれませんが、カバンに入れて持ち歩いてはくれています。
・・・いつか、気が向いた時に、パラパラとでもめくってくれれば・・・そうやって、英語そのものを、理屈で、ではなく、自然な言葉として「読んでくれる」習慣がつく第1歩になってくれれば、と、いま、私はこの本を「すがる藁」にしています。

文法が先に立つ「読解」というのは、例えば日本の古典であっても同じで、「読むこと」そのものから興味を遠ざけます。まず、自然に読んでみる。そうしてみて初めて、
「あれ、この文の書き方、どうしてこういう順番なんだろう?」
という、もっと原理的なことに対する疑問が生まれ(そのためには読み手が「受け身」でしかものを読まない、というのではダメなのですが)、<思考する>大切さに、徐々に気が付いてくれるのではないか?

なんとかそうあってほしい、というのが、私の、子供たちがこの先「勉強をして行く」にあたって望む唯一のことです。

英語と日本の古典を上げたついでに、数学についても春休み中の苦闘を愚痴らせて頂きますと、これはもう、「10日で終わる中1数学」という問題集をやらせるしか手がなかったし、中2分まで用意したのですが、娘はそっちまではやってくれませんでした。

私の中学時代には、数学については、印象に残る本が2つありました。
ひとつめは、矢野健太郎さんが書いた「数学物語」(角川文庫)でした。そんなに厚手ではない本で、数学を築き上げて来た人々のエピソードを幾つか並べてあるだけのものでしたが、その配列が見事で、
「数学って言ったって、人間が生み出し、考えて来たものなのよ」
と、親しみ深く知らせてくれました。
もうひとつはアメリカで有名だった数学教育者のソーヤーという人が書いた「代数の再発見」(上下2巻、講談社ブルーバックス)でした。これは、小学校から中学校にかけての理科の問題を例にして代数を考えて行く、という、読み間違えれば「数学の本」ではなくて「理科の本」だと勘違いするような内容でしたが、記述に欲張ったところが無く、一章一章ゆっくりていねいに話を進めているので、よく理解できました。(リンクの他、AMAZONでも扱っているのを見つけました。1巻の方にリンクを貼りました。)
実のところ、中学のテストでは数学はいつも20点代だった私ですが、受験の3ヶ月前にこの本にであっただけで、他に問題集なんか何もやらなかったのに、なんと、「理数科」というものに合格してしまった、まさに「奇跡の本」でした。

子供にまず興味を引き起こさせ、疑問をもたらし、それを懇切丁寧に説明し、応用問題は自分の手で解かせる・・・今度、娘や息子のために、そうした本を探してみたのですが、英語で先のような本をやっと見つけた以外には、昔あったはずの親しみやすい数学史の本もなければ、他の教科との兼ね合いを示すいかなる本も探すだけ無駄に終わってしまい、
「無念!」
と思っております。

「教育」と大上段に構えるか、18世紀に戻って「啓蒙」主義的になるか、そんな類いの副読本(ということになるのでしょうね)ばかりが目につきます。

どなたか、本当に「面白い」、興味を引き立て、疑問を心に湧き上がらせて楽しませてくれる、中高生向けのご本をお出しになって下さるか、発見して下さいませんでしょうか?

いい本のご紹介は、いつでも喜んで承ります。

飲んだくれたくてものんだくれられない環境に陥ってしまった、ベートーヴェンの父のような教育オヤジの、ささやか、でもない愚痴でした。

Book数学物語 (角川ソフィア文庫)


著者:矢野 健太郎

販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2008年4月15日 (火)

やっぱりいいたくなっちゃった。。。

     夢想家には夢を見させておくがいい
     彼らの好きな理想の国を
     そんな楽園あるはずもない
     かぐわしき花、美しき木は
     揺るぎなき地にこそ育つもの
     無垢でもなく、賢明でも、善良でもなきわれらは
     ただ己の知る最善を尽くすのみ
     家を建て、薪を割り
     庭を育てよう

     ----後掲書所載、L.バーンスタイン「キャンディード」中の歌詞、山本章子訳----
     


「おかどちがいじゃないですか?」
そんな印象を受けたのは、最近、奇しくも同じイニシャルMをもつかたのお出しになった、「クラシック音楽(!)」関係の啓蒙書です。
私が「おかどちがいじゃないですか」といってしまっているくらいですから、私自身は購入もしておらず、したがって、私の綴ることの方が「おかどちがい」である可能性も充分ありますので、そこはお読みくださるかたの良心と判断にお任せします。


まず、1冊目は、ラ・フォル・ジュルネ・ジャパンにも貢献し、最近テレビなどへの露出度が高くなった、とあるアタマのご研究者のご本ですが、「クラシック音楽」がいかにアタマ(この人のお考えでは、イコール情操)によい影響があるか、ということについて、ご自身の経験をもとに<演繹>して<延延と>お述べになっている。
・・・魚の「鰹」のとある成分が<アタマにいい>と言われて久しいですが、鰹が大好物の私が未だにお馬鹿である、ということを<演繹>して新通説を<ダラダラと>開陳する、すなわち、「そんな成分、べつにアタマにいいわけではない」と述べるのに等しい論の進め方で、はなはだ気に入りません。ラ・フォル・ジュルネ・ジャパンが何故、都度成功してきたかへの本質的な反省と、今後への洞察にも欠けています。


もう1冊は、コミックを元にしたテレビドラマの音楽監修と、同じくそのコミックの音楽を題材にしたコンサートを指揮して有名になられ、いっときは私もファンになった、本来は指揮者ではないMさんの出された本。これは、クラシック音楽の聞き方の薀蓄本で、前に作品の聞き方のほうを列挙した本を出されていまして、今度(4月刊行)でお出しになったのは、コンサートへ出かけるときの服装から拍手のマナーまでお綴りになったものです。・・・まあ、<ツウ>のかたにとっては常識なのかも知れませんが、一方で、お書きになったことの全てが、実はこんにちの「クラシック音楽業界」の慢性的な不況を招いた原因になっていることばかりでして、ご自分は存分にお稼ぎになっていらっしゃるから構わないのかも知れませんけれど、他の音楽家さんの生活についてはどうお考えなのでしょうか?「クラシック音楽は敷居が高いのは当然」だとか、「聴衆がどこでどう拍手するかをレクチャーしましょう」なんてのは、<余計なお世話>だと言いたくなります。

後者のMさんは、ご自身の若かりし日の、貴重な体験を素直に美しく綴ったご著書もあり、私はそれに打たれて彼のファンになったのでしたが・・・その後のご本は、どんどん初心をお忘れになっているような記述ばかりで、目を疑っております。これからの「クラシック音楽業界」はどうして行ったら伸びるか、という展望をお書きになった本もお出しになっていますが、アイデアの面白さは抜群だったものの、実際的なマーケティングを考慮したものではないために、統一的な、あるいは臨機応変なものにはなっておらず、本来ならその延長としてのヴィジョンを呈示するご著作をものにすべきではないかと思うのですが、どうも、今回の新刊は、過去にせっかく打ち出したアイデアをつぶす方向が目立ち、
「Mさん、どうなっちゃったの?」
と声をあげたくなりました。
本来は指揮者ではないこのかたが、随所に「指揮したい」仰っていることにも反感を覚えます。指揮しなければあなたの音楽は出来ないのですか? 「弾き振り・吹き振り」について、せっかくプレヴィンのいい例を出しながら、「弾き振り・吹き振り」の捉え方を誤っています。アシュケナージはピアニストに専念しているときはいい「弾き振り」をしていましたが、日本の某超一流オーケストラの指揮者になってからは、だんだんにその指揮も下降線を辿る一方です。前任者が築き上げた財産で何とか食い繋いだ、という恰好でした。そこも、お見えになっていないのでしょうか?

とにかく、この2冊に限らず、「クラシック音楽は特別だ」ということを主観や、歴史の表層の薀蓄を述べるだけで強調し、「クラシック音楽」というジャンルを<なにか、オバカな私とは違う世界のものなんだって!>という読後感を与える本が屋上屋を重ねるのには、ほとほと嫌気がさしました。最たるものはCD紹介本なのですけれどね、こちらは「ちょっと特別なCD」というメディアに興味のある人だけが手を出すだろうから、まだ害が少ないのかも知れません。CD本じゃないから、たちが悪いのです。

なんだか気が高ぶってしまって、すみません。
でも、こうした本は、本当に、私は人様には読んでもらいたくない。


「クラシック音楽」分野にのみ(加えてジャズもあるかもしれません)目耳が行きがちのかたに、音楽だけを念頭におくと読みにくいかも知れませんし、お安くもない(2,400円+税)のですが、むしろ目を通して頂きたい種類の本があります。

芸術の売り方――劇場を満員にするマーケティング Book 芸術の売り方――劇場を満員にするマーケティング

著者:ジョアン シェフ バーンスタイン

販売元:英治出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

コトラーが推薦しているだけあって、経営関係の本ではあり、最初に手にしたときには
「結局、損か益かだけでしか<クラシック音楽>業界を捉えていないんじゃないの?」
という印象がありましたので、読む必要があるかどうか、ためらいを覚えました。内容も海外の事例ばかりですので、日本の実情に合うのかどうかも疑問でした。
ですが、次の一文に接したとき、
「やはり、これはよく読まなければならない」
と、強く感じました。

「マーケティングを一種の投資と考え、その投資にかかる費用は長続きする顧客や収入を生み出すのだと考える必要がある。」(p.144)

・・・すなわち、数多くは明言していないのですが、本書の著者は、<クラシック音楽>は大事な<資産>であり、だからこそ、<資産>を保持していくだけの収益を(助成金や寄付金ではなしに、企業努力・団体の努力として)確保する・・・そのための大胆な投資もする必要があるのだ、というポリシーを、バックボーンとしてしっかり持っているのです。

著者は、音楽の演奏者やバレーの演じ手、あるいはそれらの監修者が、自分の発案に沿った聴衆・観客像のみを期待することに警鐘を発しています。
数多く採り上げられた事例は、子供から老人まで気軽に「クラシック音楽」を楽しめる企画に満ち溢れてはいますが、それに偏っているわけではありません。「楽しめる企画」というのは、企画自体も重要ではありますが、(どんなものをさしてそういうのかは難しいですけれど)「正当な企画」の顧客を確保する補助的な手段であることを見失ってはいけない、とも述べています。(いずれも、著作全体を読まないと完全には伝わってこないメッセージではあります。)
面白いものして、ひとつだけ。
「定期会員は、会費値引きしたからと言って増えるものではない。すなわち、定期会員と会員費には価格の高低による相関関係はない」
ということが、具体的な事例をいくつも、何度も挙げて述べられています。このことは、プロのオーケストラは良く良く参考にすべきであるかと思います。
また、本文中には非営利の団体の運営についてどう考えるかも言及されています。したがって、アマチュアオーケストラのプランニングをなさっているかたにも充分参考にしていただけます。


再び、音楽家のMさんのほうへ戻ります。
Mさんは、コミック絡みのコンサートのほかに、レクチャー・コンサートという注目に値する企画も継続的に行なっており、家内を亡くした後の私たちもご案内を頂いて堪能させて頂きました。・・・それは、「歴史的」な作品を「歴史的」に演奏してみせる、それにあたって、信頼できる良心的な研究者の成果を取り入れ、前半に充分な説明を行なった上で、後半は演奏そのものを聴衆に味わってもらう、という、素晴らしい内容のものでした。
この点に関する敬意は、今でも失っておりません。
ですが、私の感じるMさんの欠点は、ご自身が納得されるところまではよろしいのですが、それ以後は「納得してしまった」ことに対し拘泥してしまうために、柔軟さを失う、というところにあります。
かつ、どうしてもご自身が「指揮」することばかりご念頭にあるお姿は、(これは私の、あまりに日本人的すぎる美意識なのかも知れませんが)美しくありません。
かつて、まだ第2次世界大戦後の心の傷を背負って生きている西ヨーロッパの人々に深い感慨をもって接してこられた日々を、是非再び新鮮に思い出して頂き、本当にご自身にふさわしい、あなたの「音楽」を、それなりの深みを持って聴衆にアピールするにはどうしたらよいか、を、硬い発想を押し隠した上でのジョークによってではなく、生真面目でもいいから原点に返った新鮮な、柔軟な発想でお考えいただければ、このうえない喜びなのですが。

かつて、私はこのM先生に、モーツァルトのスコアの問題やハイドンの交響曲の時期的な諸問題について、無償でご教示をお受けしたことがあり、そのことにはいつまでも感謝の念を忘れないだろうと思います。

「ですから、どうか、あなたの進むべき向きが今のままで良いのかどうか、是非、お考え直してみてくださいませんか?」

そのように、切に訴えたい気持ちでいっぱいです。


CDや『クラシック音楽』書籍のことなら、こちらのサイトをお勧めします。お買い物も出来ます。

CVLTVRA ANIMI PHILOSOPHIA EST ― おもにクラシック音楽な日乗

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月14日 (月)

吉川吹奏楽団定期演奏会(4月20日)のお知らせ

昨年家族でお邪魔した吉川吹奏楽団の定期演奏会ですが、今年の開催について本日お知らせを頂きましたので、PRさせていただきます。


吉川吹奏楽団第18回定期演奏会

日時:2008(平成20)年4月20日(日)14時から、でよろしいですか?
場所:吉川中央公民館(埼玉県吉川市、電話048-981-1231)
入場:無料(違ったらゴメンナサイ。コメント頂ければ修正します)
曲目:団員さんのお知らせが無いので詳細は分かりませんが・・・別ルートからの情報です。
    ・ワシントングレイズ
    ・オリエンタルワルツ
     他

アクセス:JR武蔵野線「吉川駅」から歩10分かかりません!
     吉川駅北口の道を、右手に「ライフ」(四葉のクローバーの看板の大きなお店」)を
     右手に見ながら直進、斜め右前方に栃木銀行のある交差点を右に曲がって
     まっすぐ行きます。
     JAが見えますが、そのまま通り過ぎてなおまっすぐ行って下さい。
     「マツモトキヨシ」まで行っちゃったら、行き過ぎです!
     そんなに分かりにくくはないと思います。

昨年、本ブログで吉川吹奏楽団さんの演奏をご紹介した記事は、こちら


<リンク> ・吉川吹奏楽団の公式ページ

お近くの方はもちろん、「誰でも楽しめる音楽」のかたちを、文字通り楽しく追い求めていらっしゃる方達の素敵な笑顔に巡り会いたい方は、是非、お出掛けになってみて下さい。

本日は宣伝まで。

    



なお、先日ご紹介した杉山欣也さん「『三島由紀夫』の誕生」は、本日20:50現在、Amazonの<三島由紀夫>の本で売り上げの12位にランクされています。まだのかた、是非!
(4月15日現在で2位に躍り出ました! 専門書としては快挙ではないでしょうか。)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年4月13日 (日)

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(6)第4楽章

チィコフスキー<悲愴>第4楽章

大変間が空いてしまいましたが、終楽章について、です。

いつもの通り、汚い手書きのメモで恐縮です。
この楽章、有名なことではありますが、スコアを開くと、弦のパートが図の左のように書かれています。これが・・・これまた見づらくて恐縮ですが、耳に入る時には右のように聞こえる。チャイコフスキー初演時の弦楽器の配置が、ステージ側にヴァイオリンを置いたため、音響が右・左と捻れて聴衆の耳に入る効果を狙った、とされています。
カラヤンが晩年にウィーンフィルと収録した映像では、各パートに最初から左の図のように「旋律の塊」に訂正して弾かせているのですが、1954年来日時のカラヤンは、N響には記譜通り弾かせています。これは、セカンドがタイミングをハズしていてメロディが完成できなかったことで容易に分かります。
他の録音では、よく聴かないと、カラヤンの晩年のように修正しているのかどうか、なかなか分かりません。が、ムラヴィンスキー盤も岩城盤も譜面通り弾かせていることは、音色から確認出来ます。
譜面通りに弾いた方が、音響効果はともかく、チャイコフスキーの意図した、「悲嘆の捻れ」が明確になり、後半でこの第1主題が再現される時(そちらでは素直にメロディ通りに書かれています)に、もはや捻れではなく直裁なものに変化し、激情的になった嘆きが、いっそう効果的に感じられるようになります。
この冒頭部の、木管楽器の方に注目しますと、要素3(運命の動機)と要素1(嘆きの動機)がない交ぜになっていることが分かります。ポイントは、これがユニゾンで響くところにあります。弦楽器の方で<身悶え>を表現しているとすると、木管の方は、悶えの後で<天を仰ぐ>動作を反復している様を表現していることになります。・・・これは、悩みのうちにある人の身体的な動作に良く合致しています。
冒頭に続く部分は第1要素の前半(3度上昇、のうちの2度まで)を活用し(木管側は要素1後半の2度下降を用いています)、嘆きの底に沈みかけた自分に、再び強い感情が甦ってくるのを巧みに演出しています。
こうしたやりとりが、36小節まで続きます。

37小節目から第2主題に入りますが、こちらは第1要素後半の下降音型を延長し旋律化したもので、やはり「嘆き」の動機です。ただ、第2主題には、ここからあとも、常に要素3の「運命の動機」が伴います。これは初めは37小節目からホルンで示され、46小節目の3拍目からクラリネトとファゴットに受け継がれます。55小節目からは再びホルンに戻って行きますが、62小節目の3拍目からは、今度は木管全体に敷衍されます。第2主題の方はトランペットとトロンボーンの切迫感のある音色によって、感情の強度を上げて行きますが、ここで金管が初めから強く入りすぎると71小節目で頂点に達する感情の炸裂の効果が薄くなりますので、この部分の金管をどういう音色と強さで吹くかは、終楽章の演奏設計上、非常に重要な問題となります。

82小節から89小節にかけては、炸裂した感情を沈静化するための小結尾です。
90小節目から、再び第1主題が現れるのですが、これは最初から直裁に書かれていることは前述した通りです。ディナミークもffなので勘違いしやすいのですが、すでに「嘆き」の炸裂は80小節までで終わっています。ですから、このffは、すでに「嘆きの感情」ではなく、もっと客観的な「嘆くおのれの受容」という、現実的なものです。ですから、この部分は、再び感情の高揚に向かう104小節までのあいだは<理性的に>演奏されなければなりません。
107小節からの感情の高揚は、第1主題の再現の延長(音楽之友社スコア解説では其の括りで捉えられていますが)ではなく、第2主題の変形を元にしているので分かる通り、・・・妙な表現ですが・・・嘆くべき現実を受容した<決意表明>としての、「炸裂」ではなく<高揚>へと向かうのであって、71小節から80小節のときとは異なるものであることは、認識しておかなければなりません。

「私は、この<嘆き>を直視します」
という宣言が、126小節からなされ、実際に、神の前に頭を垂れることを表現するため、137小節でドラ(有名な<悲愴>の銅鑼ですね)を鳴らした後、全曲を通じて初めて、本来の伝統的なかたちでのラメント動機(半音階的下降音型)を用いた厳粛なコラールが、トロンボーンとチューバという、まさにコラールを奏でる上では正統と言える楽器を用いて響かせられるのです。
148小節以降はコーダで、弦楽器は第2主題を、木管楽器は第1主題の逆行形(細かい動きは省かれていますが)を、金管楽器はコラールの延長を響かせていますが、肝心なのはコントラバスが最後まで奏で続ける「運命の動機」でして、168小節からの最後の3小節はRitenutoの指示が仮に書き入れられていなくても、自然に敬虔に曲が閉じられるよう、音価を次第に長くする書法がとられています。

以上、この楽章を演奏上どう捉えるかを中心に述べてみました。



   ・前提
   ・全体像
   ・第1楽章
   ・第2楽章
   ・第3楽章
   ・第4楽章


ということで、杉山欣也さん著「『三島由紀夫』の誕生」を、よろしくお願いします!

チャイコフスキー:交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」Musicチャイコフスキー:交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」


アーティスト:ムラヴィンスキー(エフゲニ)

販売元:ユニバーサル ミュージック クラシック

発売日:2001/10/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

Musicチャイコフスキー:交響曲第6番


アーティスト:岩城宏之

販売元:キング

発売日:2006/11/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月12日 (土)

のらねこ。

また、音楽に関係ない話です。

昨日から子供たちと約束していたので、きょうはクルマで近所の県営公園まで行き、貸し自転車を借りてサイクリングをしてきました。
たくさんあっただろう桜の花はとっくに散って、入れ替わりに緑がさまざまな濃さやかたちで私たちの周りをつつんでいました。

帰りに、娘の学校用の本を探すために、駅前の本屋さんへ行きました。

その本屋さんで、息子が覗き見していたのが、「のらねこ。」でした。

のらねこ。〜ちいさな命の物語〜


息子には、小学校時代を通じてずっと、そしていまでも、仲良しの野良猫がいます。
マンションの管理組合にとっては、それが増えることにも、衛生上の扱いにも困りものの野良猫たちですが、たくましく生きている連中です。
息子の仲良しは、目が悪い猫です。
家族で出掛けるとき、いつもその猫が息子の側に寄ってくるので、息子と猫の仲は父母も姉も知るところとなりました。
家族で話し合って、息子の仲良し猫を、我が家では「コウジロウ」という名前で呼ぶことに決めました。
息子だけでなく、娘も、母親つまり私の家内も、私も、「コウジロウ」に出会うたびに、
「コウジロウ、いま、なにしてるの?」
と話しかけるのが習慣になりました。

そのうち、コウジロウは、お父さん=私が帰宅するとき、たまたまエレベーターの前で会ったときは、私と一緒にエレベーターに乗って、我が家の玄関まで一緒に来るようになりました。
「かわいそうだけど、マンションの決まりで、食べ物はあげられないんだ。ゴメンね」
そう話して聞かせても、家族が入れ替わりで頭や背中を撫でてやると、それだけで嬉しそうにして、満足するまで家の前から立ち去りませんでした。

そういうことが、何年続いたでしょう・・・何年間だったかは、忘れてしまいました。

家内が死んだ日の朝、雨の激しい中、私と子供たちは、家内の枕頭におかなければならないものの買い物に出ました。
帰宅したら、留守番をしていた親族に
「さっき、野良猫が入ってきたから、慌てて追い出したよ」

報告されました。
「あ。コウジロウだ」
私も子供たちも、とっさに、そう思いました。
家の中に入れたことはありません。
家内が死んだことを、何かの勘で分かって、訪ねて来てくれたのではなかったのかと思います。

その日以来、コウジロウは、我が家を訪ねてくることはなくなりました。
時々出会うことがあっても、それがエレベーターの前の私であっても、もう、ついてくることがなくなりました。

息子がこの本をみつけてきたとき、そんな思い出から、つい、買ってやってしまいました。

それだけのお話です。

どうも、失礼しました。

のらねこ。 -ちいさな命の物語-Bookのらねこ。 -ちいさな命の物語-


著者:中川 こうじ

販売元:エンターブレイン
Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月11日 (金)

音楽と話す:楽譜って、どんな姿?(2)

前回、楽譜さんが見せてくれた「姿」は、文字と記号ばっかりで、そこから引き出される<音楽>はいったいどういうものなのか、見ただけでは皆目見当のつかないものでした。

で、辟易した私が、おそるおそる楽譜さんに質問するところから始めます。

「あのー・・・」
「なにか?」
「やっぱり、字とか記号ばっかりだと、よく分かりません」
「なにが?」
「ここにかかれた曲って、どんなメロディなのか」
「約束事を覚えれば簡単でしょ?」
「いや、その約束事を覚えるのが、タイヘンでしょう!」
「どのへんがタイヘンなんですの?」
「音の高さに、いっぱい名前がついてるじゃないですか」
「長さにも名前がついている場合がありますわね」
「それを全部覚えなくっちゃ、結局読めないんでしょ」
「あら、別に、自分で読もうなんて思わなくてもよろしくなくって? 読めるかたに読んでもらって、歌ってもらって、それを覚えればよろしいんじゃないの?」
「・・・いや、まず、そういう知り合いがいないし・・・」
「まあ、お友達作りがヘタですのね」
「(余計なお世話だ)・・・いや、仮にいたとしてもですね、歌ってもらったのを覚えるなんて、そんな記憶力の自信もないですし」
「でしたら、こんなのはいかが?」

楽譜さんが出して見せてくれたもの。

・神楽譜(増本喜久子「雅楽----伝統音楽への新しいアプローチ」所載。音楽之友社1968)
Hukagurauta


・初期ネウマ譜(水嶋良雄「グレゴリオ聖歌」所載。音楽之友社1966)
Huneuma


「な、なんですか、これ?」
「線で、メロディを表したのよ。これなら、なんとなくカンで、テキトーに歌えちゃうんじゃないです?」
「・・・」

かえって、分かんねー!!


・・・なるほど、歌詞に対応する「相対的な」音の高さ、或いは抑揚を表している点で、これらは文字譜よりも「音楽のイメージ」を目に捉えやすくしている・・・ような気がします。 ですが、現実に歌ってみようとすると、文字譜に比べ、具体的にどんな音の高さから歌い始めたらいいのか、どんな節回しを使ったらいいのかが分からないので、実用性という面では、「一歩後退した」ものであるのかもしれません。 ただし、「後退」とは「独習」を前提とした場合に、のことであって、これらの線的な「楽譜」は、実際には独習向けではありません。

最初に例示した雅楽の神楽歌の譜は現在でも用いられているものですが、習得するに際しては、この譜を前にして、師匠から口伝で唱法を含めてフシ(メロディ)を教わります。なお、線の切れ目や上下に、補助のために音の高さやブレスの位置が記されています。

初期ネウマは、ここに例示したものは現在はもう実用に供されていないはずですが、使われていた当時は、やはり修道士たちが唱和する際の「補助」として用いられたのでしょうね。一人で歌う場で使われたのではないのでしょうから、具体的に「こういう音の高さだよ」という目印は付さずにすんだのではないかと推測しております。ただし、それではさすがに、歌ってもらう領域を拡大しようと試みる際には不便だったと見え、例示したものとそう隔たらない時期になると、真ん中や上下に線を引き、その線の位置がヨーロッパ音名でいう「C」である場合には「C」、「F」である場合には「F」という文字を左端に付けて、音程の明確化をはかるようになります。
ネウマ譜を何とか手軽に読みたい、と思う場合には、たとえば白水社「図解音楽事典」の186頁にネウマの記号の対比表が載っていますし、E.カルディーヌ「現代聖歌学に基づくグレゴリオ聖歌の歌唱法」(水嶋・高橋訳、音楽之友社2002)に、音高記譜法採用後のネウマ譜と対比した説明(12〜20頁)や譜例(48頁)があって参考になりますが、上記例のネウマを用いての例示ではありません。元々何通りもあったネウマのすべてを尽くしての説明書は素人の手に出来るところには見当たらないようです。

なにはともあれ、前回の文字譜といい、今回の線的な譜といい、楽譜は本来、どう記すべきか、についての考え方が一種類しかない、と考えてしまうのは誤りであることを、存分に思い知られてくれます。



という次第で、本論、今日はおしまい。


杉山氏の「『三島由紀夫』の誕生」、是非宜しくお願い申し上げます。(AMAZONにリンクを貼ってあります!)〜あくまで私の勝手な宣伝で、杉山氏から私が見返りを頂戴できるわけではありません!・・・それだけ、この本に「惚れ込んだ」というだけでございます、ハイ。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月10日 (木)

手短に:「フランス組曲」の中の民謡

昨日ご紹介した杉山氏のご著作、は従来の<三島由紀夫>観を「正統に」覆す内容です。あらためてお勧め致します。(リンクした昨日記事をご参照頂ければ幸いに存じます。)



今日は、TMFが6月22日(日)の定期演奏会で採り上げる予定の、ダリウス・ミヨー作「フランス組曲」(オリジナルは吹奏楽曲、コンサートでは管弦楽編曲版を演奏)について、その素材となった民謡を探り当てた冊子がありますので、手短にそのご紹介を致します。

France「フランス組曲」各曲が、フランスの「県(というより郡、かな?)」を表すタイトル付けをされていることについては、既にお気付きの方もいらっしゃるかと存じます。図は、とあるフランスの児童向け地理書にある、フランスの地域圏の配置図です(フランス語を読めるようになりたい、と思って購入したのですが、家内の逝去のちょっと前でして、内容は読み切っていませんし、フランス語も未だにダメなまんまです)。クリックすると拡大しますので、併せてお楽しみ下さい。

本日は、「フランス組曲」の各楽章に用いられた民謡の名前をご紹介するに留めます。「フランス組曲」作曲の経緯については、リンクしたWikipediaの記事に記載されていますので、これも予備知識としてご参照頂けたら幸いです(第2次世界大戦と深いかかわりを持っていたことをお知りになると、ビックリなさるかもしれません)。

・第1曲 『ノルマンディー』:Germaine(1小節目から)/The French Shepherdess and The King of England(45小節から)

・第2曲 『ブルターニュ』:The Lass from Paimpol(1小節目から)/The Sailors of Lee(12種節目から)/The Song of Transrormations(27小節から)

・第3曲 『イル・ド・フランス』:With Care I Tend My Rosebus Gay(2小節目から)/Lo 'Tis St.John's Day(25小節目から)/The Fair Maid of the White-Rose Tree(51小節目から)

・第4曲 『アルザス・ロレーヌ』:Lo 'Tis the Month of May(25小節目から)/The Month of May(54小節目から)

・第5曲 『プロヴァンス』:Magali(58小節目から)

調査したロバート・J・ガロファーロ氏によると、他に特定できなかった7つ、計18曲の民謡が用いられているとのことです。

この書籍、学習のためのコピーはOKと序に記されていますので、TMFメンバーで必要な方には実費でコピーを申し受けます。ただし、さほど高価ではないので、本当にご興味がある場合は購入しても宜しいかと存じます。(スコアは日本でも海外でも、有力サイトで検索しましたが、いまのところ入手のめどが立たないとのことでした・・・何故か持っているメンバーがいるんですよね! そういうことに強い人がいるんだなあ。。。)

なお、登場する民謡の楽譜を記載した部分だけなら、5ページだけです。他は演奏をどう仕上げるかのレクチャー、作品分析が英語で記載されています。・・・ただし、オリジナルの吹奏楽曲についての分析ですから、オーケストラ用には読み替えが必要です。(オーケストラ向けのものも出てるようですが、吹奏楽用の方はアマゾンで見つけて購入しました。)全体で54ページほどの冊子です。

Suite Francaise (Masterworks Instructional)

CDはEMIの輸入盤(7243 5 74740 2 3)で、ミヨー作品ばかりを集めたものが、ジョルジュ・プレートル指揮モンテカルロフィルハーモニー管弦楽団(モンテカルロは歌劇場管弦楽団しか無いと思っていました!)で出ています。1000円ちょっとで手に入ります。別の作曲家と併せて、でもよろしければ、他にも幾つか出ています。残念なのは、ルーセルの組曲2作品と併せて録音されたチェリビダッケのCDが、今は販売されていないことです。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 9日 (水)

浄められた<三島由紀夫>:杉山欣也「『三島由紀夫』の誕生」

今日から音楽の話題に・・・と申し上げておりましたが、前からご紹介したい本がありましたので。
ただし、私は(他のこともそうですが)ズブの素人につき、誤読もかなりあるかも知れず、その点はご容赦いただきたく存じます。

人事異動の時期も過ぎ、今朝、会社の定年間近の先輩と、ちょっとした雑談をしました。
「家庭や自分に何にも抱えない人って、いないんだよなあ」
「そうですねえ」
「おまえんとこもそうだったかも知らんけど、うちもそうだしなあ」
「まあ、そうでしたねえ」
「でもさあ、それって、誰か他人のせいで抱えるもんじゃあないんだよなあ」
「はあ・・・」
「だのにさあ、自分が定年延長してもらえないのを、会社のせいにするヤツとか、いるんだよなあ」
「そういう自分は、会社のせいにしてないんですか?」
「まあ、したいとこだけど、しちゃいかんわなあ。制度だもんなあ。それをあえて、というなら、あらかじめちゃんと筋を踏んだ相談をしなくちゃならん。だのに、それをやってないで、ただ『会社が悪い』って、今ごろ言ったって、そりゃ筋違いってもんだ」
「なるほど」
なんて話から・・・まあ、定年問題はさて置いて、今度の異動の問題点やら、それをめぐって異動の前後に起きたさまざまな出来事のことやら、それがまた
「こんな結果になったのはあいつに昔こういう目に合わされたからだ。あいつは絶、一生対許せない、って、言う人もいたりしてなあ」
「そうなんですか・・・」
「これも、おかしいやなあ。昔、悪いところや欠けているところをを正してくれた人がいるから、今からはもっといい仕事が出来る、それを幸せだ、って考えられれば、なにもやっかむことはないはずなんだけどなあ」
「・・・なるほどですねえ」



会話の是非はともかく。

うまくいかなかった結果から<マイナス>にモノを考えるのは、人の常ではあるようです。
いい結果であれば、逆に、それまでの全てが<プラス>だったと思えるのも、また人の常のようです。
でも、<プラス>思考にせよ<マイナス>思考にせよ、つまるところ「現実にあったこと」に対し、主観的に自己評価・他者評価しているという点では相違がありません。

自分の身の回りに起こることから始まって、縁のない他所で起こるさまざまな事柄は、いつでも<プラス>ではないでしょうし、いつでも<マイナス>であることもないでしょう。
そこには、本来、「事実」というものがあったに過ぎません。
しかも、その「事実」が、「事実」どおりに受け止められる、ということは、それを観察する目が複数存在し、それを感じる心がまた複数存在するならば、事後に誰かがそれらを何らかの方法で総合して見直す以外に、「事実」そのものに(限りなく)近づくのは不可能に近い。目が、心が、外からひとつも向けられなければ・・・「事実」は、あったことさえ即時に忘れられる。
とりあえずは、複数の目と心で見つめられた「事実」を、如何にそのものに近づける試みができるか、というのが、「不可能に近い」とはしても、なんとか私たちにできる努力です。

今日ご紹介するのは、真っ向からそうした努力をし、高い成果を上げた、とある本です。
(ただし、以前の記事でも断片的に触れましたから、覚えていてくださる方もいらっしゃるかと存じます。)



Mishimatanjo杉山欣也「『三島由紀夫』の誕生」

です。(写真は私が読み込んだものを撮ったので、きれいでなくてすみません。)

三島事件ゆえに(ご存じない方はリンク先記事をご参照下さい。この記事では、ことさらにこの事件については触れません)、とかくその死に方を前提として、近親者からも評論家からも評価されてきたこの「三島由紀夫」という人を・・・というよりは、三島由紀夫の「作品」を、純粋に「作品」として評価し直すにはどうしたら良いか、ということを、考え抜いた上で書かれたものです。この点を、著者自身の言葉をそのまま引用してご紹介します。

「思い詰めた人間は自らの生が大きな目的に向かってひとすじに営まれたと考えることを好む。その過程で、自らの履歴に対して取捨選択の操作を行なうのである」(p.10)

三島由紀夫、という作家が、とくにそうした取捨選択に熱心であったことは、生前の彼がマスコミ(今と違って雑誌と言う媒体が強力なメディアでした)に対し自己を高頻度で「露出」してみせ、それゆえ知名度も人気も高かったことからうかがわれます。杉山氏は、しかし、そのことには特に採り上げていません。その必要を感じなかっただけでなく、論を混乱させる原因を作ることを避けたためである、と推察しております。

一方で、受け手側について、氏はこのように記しています。

「私たちは作家像なり作品像なりにある種の型を作り、その型に基づいて作品に接する。私たちがこれを安易に受け入れるのは、膨大な作品群を前にしたとき、その方が楽だからであろう。しかし、それは私たちの自由な読解、おおげさに言えば自由な精神の飛翔を妨げ、作家の固有名のもと作品を単純なイメージに塗り固めることと同義である。」(p.5〜6)

三島自身と読者の関係については、この作家の「三島事件」という劇的な死の選択ゆえに、
「いわば、血塗られた記憶、心の傷としての先入観が『三島由紀夫』という名前には与えられているのだ。」(p.6)
という表現で繋げてみせてくれています。

そうした中、三島自身は『私の遍歴時代』に「学校内の文学活動はしばらくおく」(注:「学校内の文学活動」とは、学習院在学時代の活動をさします)として語らなかった自分を「見せ消ち」にしていることに着目、
「さまざまな資料に刻印された言説を傍証に、<三島の語らなかった三島>(注=平岡公威、三島由紀夫の実名)の場から「三島由紀夫」の誕生を捉え直そう」(p.15)、というのが杉山氏のもくろみであるようです。

実は、今回のご紹介は、どのようなかたちをとろうか、と迷ったのですが、いままであげてきたのは「序論」の部分です。

以下、魅力的な本論が、「三島由紀夫」としての初期作品、『花ざかりの森』、『苧菟と瑪耶』(いずれも新潮文庫の、前者は『花ざかりの森・憂国』に、後者は『岬にての物語』におさめられています)論をひとつの山場に置くべく周到な順番で具体的に資料を検証しながら展開され、終章に至ってこう述べています。

「当の三島が・・・(中略)・・・「森鴎外(一)」の解説で・・・次のように語っている。(以下、三島の文。前半部省略)『・・・鴎外は、あらゆる伝説と、プチブルジョアの盲目的崇拝を失った今、言葉の芸術家として真に復活すべき人なのだ。』 本書の最後に至って三島由紀夫の発言に依拠することは<三島の語る三島>に対する筆者の敗北だろうか?」(p.308)

私の読後感としては、杉山氏は、決して敗北しているのではない、(記述の順番としては逆ですが)最後に引用した三島発言を発見したうえで、<三島の語らなかった三島>を追い求めることの正当性を裏付けた点で、むしろ、勝利したのだ、と、私は受けとめております。

本文のなかにちりばめられた、作品ばかりでなく書簡や学校記録等の資料を縦横無尽に駆使しつつ文学論としては(全うな)歴史研究家のように冷静に・整然と・しかも実に美しい展開を見せる核心部については、お読み下さるかたの楽しみにとっておく方が妥当だと判断し、額縁だけをご紹介するかたちをとりました。
それ以上、私が語ることは無意味だからです。

この額縁に、私は、今後の私たちが持つべき健全な<方法論>を見いだした気がしております。

三島作品についてよくご存知の方も、そうでないかたも、杉山氏のこの本に是非接して頂き、<ものごとを客体として見る目>はどうしたら養えるか、を、存分に追体験し、学習して下さったなら、そうした<方法>自家薬籠中のものとするヒントを、必ず得られるもの、と確信しております。

最後に、これは杉山氏の意図に反する表現かもしれませんが、この書によって初めて、「三島由紀夫」は、その魂を清められた、と言っても差支えないのではなかろうか、と・・・実際のところは三島作品を殆ど全くと言っていいほど知らない私にそこまで言う資格はないのですが・・・そのようにも感じている次第です。

Book「三島由紀夫」の誕生


著者:杉山 欣也

販売元:翰林書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年4月 8日 (火)

ご報告:姉と弟、同日入学式。。。

本日は、音楽に関係のない私事のみで申し訳ございません。
(明日は音楽ネタに戻る予定です。)

今日は、朝から関東はひどい嵐でした。
桜はすっかり散りました。
海沿いの電車が止まりました。

我が子たちは卒業式も雨でしたが、入学式も雨になってしまいました。
しかも、冬の名残も、春の芽吹きも、いっぺんに吹き飛ばしてしまうような強風の中での入学式でした。

ただ、こういう日は虫がとりやすいのでしょうか、たくさんの が飛び交っているのを目にしました。
つい一昨日までは、 が鳴いていたのに・・・(音楽の話題でないお詫びに、鳥の名前のところに鳴き声をリンクしておきました!)

姉は高校で学校は家から1時間かかる場所、弟は中学で学校は目と鼻の先。

で、弟クンの入学式には祖母が出てくれました。
こちらは昼までに終わったようですが、昼頃が、ちょうどいちばん振りも風も強かったし、出席した本人も、つきそったばあちゃんも、へとへと。帰り着いて、へたっ、と床に座り込んでしまった由。

娘の入学式は、そのあとの事務説明も含め、4時過ぎまでかかりました。
図太いタチのはずの娘が、緊張で、昼ご飯を食べる気力が出ずにいましたから、つきあって私も食べずにいたら、式典と説明会のすべてが終了した頃には疲れきってしまいました。・・・が、まだ、電車の定期券購入をしなければなりません。これがまた長蛇の列でした。

くたびれた〜。

でも、子供たち、よくここまで無事にたどり着いてくれました。

明日からが、本当の新天地。
オヤジとしても気を引き締めて、この子らが独り立ちできるまでは、この子たちを支えてあげられるだけのヤツにはならなくては、と思うものの、夫婦揃ってお子さんにつきあってきたかたを見たり、
「いや、うちは娘のほうが中学の入学式でね、そっちは女房が行って、僕がこっちへ来たんだよ」
なんて話を耳にして、
「男親一人で、果たして、どこまでできるのかなあ・・・」
と、不安感も新たに涌いてきているところです。

でも、不安であろうがなかろうが、これは他人様に代わって頂けることではない。

これからが、私自身にとってもいい勉強になって行くのかな、というつもりで、日々に臨んで行きたいと存じます。

今後とも、なにとぞ宜しくお願い申し上げます。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 7日 (月)

怒らないことによって怒りにうち勝て

すみません、本日が決算の(現場での)ピーク日で、昨晩も通勤時も記事を思いつきませんでした。帰宅しても、頭カラッポです。

ですが、ひとつだけ、悶々と悩んだことがありましたので、それを、人の言葉を借りて綴っておきたいと思います。政治を語らない信条なのですが、やむを得ませんので、前半では政治的なことを「例として」採り上げます。けれども、主眼は、後半部です。



チベット問題は、起こったときから私も非常に気になっていましたし、その後の推移を熱心にご覧になっている日本人のかたには、(チベットが仏教国であるゆでに、でしょうか)
「なぜ宗教界が動かないのか」
と不審に思っていらした、と述懐なさる方がいらっしゃいました。
かつ、実際に、日本の仏教界で長老格のかたが、チベット問題について「政治的な」言及を・・・もの静かに、という、聖職者として尊敬に値する静かなお声とお振る舞いで、ではありますが・・・なさったかたもいらっしゃいます。

ですが、私個人としては、政治の問題に宗教が関与することは望ましいことではない、と思っています。あるいは、宗教でなくてもいい、哲学がそうであったとしても、同様です。

「では、誰が責任を持つのか」
と仰られるのでしたら、やはり、あくまで当事者のかたたちである、と思います。

兵器を豊富に保持する側が、貧しい側を押さえ込む姿勢、というのは、納得できないやり方であることは否みませんが、それは今回のチベット問題で初めて起こったことではありません。
第2次大戦が終わったあとでも、どれだけ同じことが、これまで繰り返されてきたでしょう?
そのとき、(これは特に日本に目だつことだと感じていますが)その都度、世論と言うものは
「その騒動・その戦争」
で、自分たちのモラルに近いほうを支持し、それが「持たざる」勢力の側であれば、なおいっそう支持を強める。
ですが、そういう言動をとることに、ご自身の命をかけようとまで、深くお考えでしょうか?
「支持をする」ということは自らの命をそのために失っても構わない、という前提が、本来はあることを、私たちはナチス時代のドイツや、ナチスに支配された人々の事例で、さんざん見てきたはずです。
日本国内であっても、東京裁判の前と後での日本人の豹変ぶりは実に見事でした。
「国際裁判」
であることに権威を見いだしたからでしょうか、責任を問われる立場に無かった大半の日本人は、自分の中にあった「日本軍隊への支持」から一挙に鞍替えし、GHQの胸を撫で下ろさせたのでした。
そのことへの「歴史的反省」が、どうも、この国にはないように思っております。

まして、「チベット騒動」に関しては、たまたまチベット「自治区」が仏教圏だということで、ことさらに仏教界の関与を求める意見も出てくるのでしょう。

しかしながら、世界の、とある地域が、どんな宗教を信仰しているかは、それほど単純な話ではありません。同じ仏教でも、大きくは大乗仏教と上座部仏教があり、それぞれにまた、その国・地方・民族の土着信仰に起源する要素が取り入れられた独自世界が築かれています。同じキリスト教でもカトリックとプロテスタント、イギリス教会、ギリシャ正教などがあり、それらもまた仏教と同様の傾向を持っているのは、昨日ハチャトゥリアンのことを述べた際に若干注記した通りです。

宗教にしても哲学にしても、たしかに、人間の歴史の中では「国家の形成」に強い影響力を持ってきたことはご存知の通りです。古くはプラトンの『国家』やアリストテレスの『政治学』に始まり(実際の影響は中世に始まりましたが)、近代から近世にかけてはヘーゲルの歴史哲学がファシズムを、マルクスの経済哲学が共産主義的独裁を、発意者の本来は平和的な意図に関わらず、助成してしまった事実があります。(慣用句として使われる「政治・経営哲学」とか「人生哲学」とかいうものは、じつは哲学でもなんでもないので、混同なさらないようご注意下さい。)

いずれも、それがある『完成型』を作り上げてしまった段階で、発意者の意志の源泉など「どこ吹く風」と化してしまったことも、御承知の通りです。

そう言う点で、遺憾なのは、歴史研究者が、その客観的な研究成果の蓄積を第三者的に呈示する機会(機関)が国際レベルで存在せず、冷静な討議の場が持たれることも無く、・・・かつ、仮にそこまでのものがあったとしても、「国家」はそれに客観的に耳を傾ける、というかたちで運営されることは無いであろう、ということです。・・・こうしたことに関しては、私の感情は常にペシミスティックです。

現世にどんな事象が起ころうとも、宗教と称されるものの果たすべき本来の役割は、
「俗事は起こるに任せよ」
ということであり、(残念ながらコーランの翻訳は所持しないので、イスラムの聖典からの引用はできませんが)この点では世界的に普及した宗教の聖典には必ずうたわれていることです。
・・・それでももし、起こるに任せるわけにいかない場合にはどう振る舞うべきか、は、かつてガンジーによって体現された、徹底した非暴力でした。
あるいは、国家、という枠組みにこだわらず、人間を厳しくも優しく見つめ続けた、マザー・テレサが、そのような人でしたでしょう。彼女は日本人の服装を見て「きれいなものを着すぎている」と言ったそうですね。

むしろ、こうした人たちのしてきたことに、私たちは思いを致し、歩むべき方向を見いだすべきではなかろうか、と痛いほど思う今日この頃です。



まずは、キリスト教の聖典である新約聖書の中の、有名な「山上の垂訓」です。講談社版という、あまりメジャーではない版からの引用ですので、お手元のものと文が少々異なるかもしれません。

心の貧しい人は幸せである。天の国は彼らのものである。
柔和な人は幸せである。彼らは地を譲り受けるであろう。
悲しむ人は幸せである。彼らは慰めを受けるであろう。
正義に飢え渇く人は幸せである。彼らは飽かされるであろう。
あわれみのある人は幸せである。彼らもあわれみを受けるであろう。
平和のために励む人は幸せである。彼らは神の子らと呼ばれるであろう。
正義のために迫害される人は幸せである。天の国は彼らのものである。
(マタイ5章)

・・・これを言ったイエス自身は、抵抗することなく十字架にかけられたことに、思いを致してみて下さい。

さばかれたくないなら、他人をさばくな。ひとをさばけばそれと同じように自分もさばかれ、ひとをはかれば、それと同じはかりで自分もはかられる。なぜ、兄弟の目にあるわらくずを見て、自分の目に梁に気をとめないのか。自分の目に梁があるのに、なぜ兄弟に向かって、きみの目のわらくずをとらせてくれと言うのか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取り去れ。そうすればはっきり見えて、兄弟のわらくずをも取ることが出来よう。聖なるものを犬にやってはならぬ。真珠を豚に投げ与えてはならぬ。そうすれば相手は足で踏みつけ、向き直ってあなたをかみ裂くであろう。(マタイ7章)



シャカの言葉は口伝されて、新約聖書のようには明確に成文化されていないのですが、いくつかの書に分かれて文書になっています。その中の「ダンマパダ(真理の言葉)」(中村元 訳、岩波文庫収録)第17章の「怒り」を引用します。

怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることが無い。
走る車をおさえるように、むらむらと怒る怒りをおさえる人----かれをわれは<御者>とよぶ。他の人は、ただ手綱を手にしているだけである。(<御者>とよぶにはふさわしくない。)
怒らないことによって怒りにうち勝て。良いことによって悪いことにうち勝て。わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。真実によって虚言の人にうち勝て。
真実を語れ。怒るな。請われたならば、乏しいなかから与えよ。これらのことによって、神々のもとに至り得るであろう。
(中略)
・・・沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。
ただ誹られるだけの人、また、ただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう。現在にもいない。
(中略)
身体がむらむらするのを、まもり落ち着けよ。身体について慎んでおれ。身体による悪い行ないを捨てて、身体によって善行を行なえ。
心がむらむらするのを、まもり落ち着けよ。心について慎んでおれ。心による悪い行ないを捨てて、心によって善行を行なえ。
落ち着いて思慮ある人は身をつつしみ、ことばをつつしみ、心をつつしむ。このようにかれらは実によく己れをまもっている。

シャカが「己れをまもっている」という時、それは「個人主義』を意味していないことだけは、申し添えておきます。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 6日 (日)

4月6日練習記録(仮面舞踏会)

TMFの皆様、前半の、<悲愴>第1楽章練習に参加できず、申し訳ございませんでした。

後半は、ハチャトゥリアン『仮面舞踏会』組曲の第1、3、5曲を練習しましたので、其の練習で記憶している限りのことを綴ります。

が、その前に、ハチャトリアン(ハチャトゥリャン)という人の「風土的背景」について、簡単にご紹介しておきます。(簡単な伝記はWikipediaに記事がありますので、リンクしておきますから、そちらをご覧下さい。また、『仮面舞踏会』組曲は全音版スコアが2,000円+税で入手できますので、曲については是非、スコアをご参照下さい。)

ハチャトゥリアンは「ソ連」の作曲家でした。そのことが、そのまま「ロシアの作曲家」ということにはなりませんので、そのことだけでもご存知置き頂きたい、という主旨です。

私自身、彼はアルメニア人だと誤解していたのですが、スコアの解説を見て、そうではなく、グルジアの生まれだ、ということを知りました。
なぜアルメニアの作曲家と誤解していたか、と言いますと、彼の音楽にはロシア的な要素は無く、民族音楽上、アルメニアのものに非常に近い系統だと感じてきたからです。(残念ながら、いま、お聴かせできるサンプルが手元にありません。)

グルジアは、リンク先のWikipediaの地図をご覧頂ければ分かります通り、東南はアゼルバイジャン、南はアルメニア、西は黒海トルコ、北は(戦争で有名になってしまった)チェチェン他数国、などの「カフカス地方諸国」に接しています。
このあたりは歴史的には、西アジア圏に含まれます。アルメニアは容易に手に出来る書籍ではイブン・ハルドゥーンの『歴史序説』(岩波文庫)にも登場します。
西アジアの北端にあたるため、このカフカス諸国は、宗教上はイスラム勢力とギリシャ正教系キリスト教(ギリシャ正教はコンスタンチノープルの陥落後、ローマの権威の後継者を自称したロシアの諸王が保護した東ローマ系のキリスト教を本体としますが、同時期までにローマで異端とされたアリウス派やネストリウス派といった少数派の信教も包括しています。カフカス諸国のキリスト教は、ギリシャ正教の正統ではなく、そうした「異端少数派」の流れを汲んでいます)の接点であり続け、交易の中継点でもあったようです。
これも誤解していたことになりますが、私はイスラム教国家だと思い込んでいたのですけれど、アルメニアもグルジアも、共に「キリスト教」国家です。但し、文化的には、上のような経緯もあって、中世では先進的だったイスラム圏の影響が色濃く残っています。
そのため、ハチャトゥリアンの音楽素材は、カフカスに由来するのだ、という点は、是非ご承知置き下さい。・・・いずれ、この地方の土着音楽をご紹介できるようにします。

ハチャトゥリアンは、そうした地域に育ちながら、教育はモスクワで受けており、ショスタコーヴィチやカバレフスキーとほぼ同世代でもありますから、作風に同時代性と同地域性が見られることは否めません。ただ、それはショスタコーヴィチに比べれば「(西欧音楽風に)穏健」で、カバレフスキーに比べれば「民族色が濃い」、ということに注意しておかなければなりません。

こういう次第で、『仮面舞踏会』組曲は(1)ワルツ、(2)ノクターン、(3)マズルカ、(4)ロマンス、(5)ガロップ、と、標題はすべて西欧音楽に倣ったものになっていますが、練習してお感じになっていらっしゃる通り(と信じております)、どこかにシルクロード的な雰囲気を漂わせています。・・・このことは、是非感じ続けて頂きたいと存じます。

さて、前置きが長くなりましたが、練習記録。

第1曲(ワルツ)
・4小節が1単位、という旋律構造で貫かれていることに留意
・4小節目に来る区切りは、(とくに次に休符が控えている場合は注意が必要だが)「弾ききる・吹ききる」のではなく、「抜いて」終わって次へと移行するように。(上手い合唱が次のフレーズを歌い始める前に、息苦しげではなく、ゆったりと音を伸ばして徐々に声を消して行き、聴き手に気取られないようにブレスをする・・・それと同様のブレスをする必要がある、ということです。)
・4番からは、管楽器と弦楽器が1小節交代で主要動機を演奏する(ただし、オーボエは弦楽器と一緒です)ので、受け渡しのコミュニケーションをきちんと意識すること。
・14番からは、雰囲気が一転して優雅になるので、変化に注意。(「メリー・ウィドウ」のワルツなど、ウィーン系のオペレッタのワルツを連想しても良い)
・14番の木管、7、8小節目ではあとのほうが音が高くなるので大変だが・・・8小節に向かって、むしろ音は小さくして行かなければならないので、留意すること。15番も同様。(14番ではオーボエ1番、15番ではクラリネット1番は、この点、ちょっとオ得ですね・・・)
・16番以降は冒頭部と同じに戻る。

第3曲(マズルカ)〜個人的感想では、チャイコフスキー的である気がします。
・マズルカであることを意識して。誰の作品でもいい、マズルカを連想し、そのリズムになるように。
(・・・すなわち、補足すれば、ワルツやポロネーズではない、ということです。マズルカはポロネーズ同様、ポーランド起源とされているので、ちょっとその違いを見いだすのは難しいのですが、ポロネーズに比べると激し目の踊りで、1ステップめを強く踏みます。ハチャトゥリアンの場合は、文字通りの「マズルカ」というよりは、アルメニア系の土俗的な踊りを連想した方が宜しいかと思います。)
・5番からは木管主役。1stViolinは合いの手なので、前半の木管を軽く受け止め、次の始まりへと、やはり軽やかに受け渡す。

第5曲(ガロップ)
・ディナミーク注意。ともすれば全体がフォルテだと思いがちだが、たとえば1番の最初の2小節は木管はメゾフォルテ、ホルンと弦低音部ははメゾピアノ、打楽器とヴィオラ以上の弦楽器はピアノである。

・・・この程度の記憶で済みません。お役に立つことを祈っております。

道化師~ロシア管弦楽名演集Music道化師~ロシア管弦楽名演集


アーティスト:コンドラシン(キリル)

販売元:BMG JAPAN

発売日:2007/11/07
Amazon.co.jpで詳細を確認する

スコア ハチャトゥリアン 組曲「仮面舞踏会」 (Zen‐on score)Bookスコア ハチャトゥリアン 組曲「仮面舞踏会」 (Zen‐on score)


著者:ハチャトゥリャン

販売元:全音楽譜出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 5日 (土)

曲解音楽史:32)マルコの帰路に沿って-3(インドシナ島嶼部〜インドネシア)

前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世 29)宋・元時代の「中国」
    30)日本の「オラショ」 31)ヴェトナム伝統音楽



前回、「大陸部ではマラッカ以外に寄港していない」としたのは誤りでした。
本文を読み直したら、チャンパのどこかの港(現在のヴェトナム南部)には上陸したらしく思われます。
すみません。

次に寄港したのがジャヴァ島(ジャワ、ですね)のようですが、そのあと幾つかの島を経てスマトラにたどり着いたと思われます(159〜170)。・・・が、そこに記載されている島々の位置関係は、本文上では錯綜もあるようです。マルコの記憶によるのか、当時の航路の事情が絡んでいるのか、の、いずれかでしょう。複雑ですが、ジャワ島に寄ったあとでマラッカに至り、その後にスマトラに向かったものと思われます。

かつ、実際にはスマトラより小さいジャワの方を大ジャヴァ島、大きいスマトラの方を小ジャヴァ島と呼んでいますが、これはマルコ当時のインドネシア地方の経済力が、スマトラよりジャワの方が大きかったことを反映しているのかどうか、は、私には分かりません。ただ、ジャワについて記述した部分には、すぐ後にヨーロッパで珍重されることになる香辛料の名前がいくつも現れるのに対し、スマトラに付いては、記事数は多いものの、島内が小さな王国に分離している状況が伺われる程度の記述しかなされていません。
スマトラの諸地域については、北部に偏って、おおむね正確な順番で記されています。すなわち、フェルレク(ペルラク)、パスマン(パサイ)、サマトラ(サムードラ)、これは私に配置が分かりませんがダグロイアン、ランブリ(ラームーリ)という具合です。()内は、『パサイ王国物語』(東洋文庫690に邦訳あり、野村亨氏)と呼ばれている、14世紀中葉に原型が成立したと考えられているインドネシア(その大半がスマトラ北部を舞台としています)に現れる地名です。現代の地名でいうと、外れているかもしれませんが、ペルラク(ラングシャーより西北の町)、ロクスコン、ロクスマウェ、?、バンダ・アチェ、あたりでしょうか?(英語の地図上の発音を仮名にしたので、日本製の地図と読みが違っていたらゴメンナサイ)
このあとは、もうインドの領域であるニコバル島に向かいます。

中国と民族も地理的位置も近いために古くからの歴史を記述して残していたヴェトナムとは異なり、インドネシア方面には『パサイ王国物語』よりも古い歴史関係書は無い模様でして、かつ、この『パサイ王国物語』も、内容は日本の『古事記』に相当するような、半ば神話的な世界像を描いているだけです。しかも、この物語の成立の背景には、マルコの時代にはまだぼちぼち、だったと思われるイスラム商人の力が増してきたため、それまではおそらく全体がヒンズー国家だったインドネシア地域でも最も西よりにあるスマトラが、自らイスラム教を受け入れるにあたり、自分たちが正当なイスラムの継承者である、とアピールして貿易を有利に進めたい、という政治力学が働いていたのではないか、と想像されます。このあたりの詳しい事情は、弘末雅士『東南アジアの建国神話』(山川出版社 世界史リブレット72)をご一読頂けると分かりやすいかと思います。

『パサイ王国物語』には、音楽面での記述が5ヶ所ありますが、1ヶ所を除き、すべて「大太鼓」だけが楽器名として明示されています。戦いの場面にはラッパも登場し、インドとの類似を見せています。他に明示されているひとつの楽器名は「フスパ・ラガムという名の非常に美しい音色の楽器」とされており、邦訳の註では「おそらくガムラン系の楽器であろう」としているものの、同時にこの名称がサンスクリット起源で「音楽の花」という意味になる、とも記しており、果たして現行のジャワ島やバリ島のガムランの楽器と関連性があるものかどうかを確かめたく思いました。ですが、残念ながら、スマトラ島の音楽のCDは、(注文画面にはあったのに!)現在メーカーでも品切れで、この試みは断念せざるを得ませんでした。

したがって、インドネシアの音楽の観察にあたっては、ジャワ島とバリ島の「ガムラン」を大まかに比較する試みをします。
この地域は影絵劇を初めとする多彩な個性的芸能が今でも息づいていて、あれこれ浮気してみたいのはやまやまなのですが、まずは、前回見たインドシナ大陸部との繋がりがどのようなところに見られ、どのようなところでは見られないか、を確認するに留めることが、「中世」の時空領域を超えずに済ませるには妥当ではないかと判断しました。

ガムランというと、私たち異邦人は、金属製の、ピッチ(音程)を持った楽器だけを連想してしまいます。が、実際のインドネシアのガムランには、擦弦楽器も声楽も取り入れられていますし、竹笛(ラオスのものが有名ですが、ガムランでも用いられますし、ガムランの金属鍵盤楽器とでもいうものの共鳴筒は竹製です。東南アジアからニューギニアにかけて、竹は音楽の上で重要な役割を果たしています)も、さらにバリ島では口琴も用いられます。バリのケチャ的な唱法(もともとは祈祷で叫ばれるサンギャンの規則的な発声)も、声による器楽ガムランだ、とみなされていたりします。(つまり、あの「チャッ、チャッ、チャバチャバ」は、歌ではないわけです。)

金属打楽器を中心としたガムラン音楽は、なにもインドネシアの専売特許ではなく、北はミャンマー(ビルマ)から南はフィリピンにまで分布している由、柘植・植村『アジア音楽史』に記載がありますが、やはりガムランを主体とした音楽世界を築き上げているのは、インドネシア特有のこと、と見なして良さそうです。

ガムランの諸楽器、バリの場合の音楽については、『神々の島 バリ』(春秋社)に詳細な説明がありますので、ここで半端な詳説を私ごとき素人が行なうのは避けておきましょう。

ただ、ジャワとバリのガムランには、おおむね次のような違いがあります。

*ジャワでは、擦弦楽器、歌が普通に取り入れられる。笛はあまり用いられないようであり、口琴を用いた例は、少なくとも私は耳にしていない。リズムは、比較的ゆったりしている。

*バリでは擦弦楽器、歌を採り入れることが少ない。笛は多用される。バリには口琴に世界でも類を見ないほど多くの種類があり、そのためガムランの中に口琴が採り入れられている事例もある。

さほどはなれた距離にあるわけではない二つの島で、これだけの相違があるというのは、二つの島の文化全般のあり方とも関係がありそうです。
すなわち、ジャワ島は人口の大半がイスラム化している一方で、バリ島のイスラム教徒は島の西、すなわちマルコの時代以降、イスラム貿易の入り口だったと推定される地域に少数存在するだけであり、他は(バリ化された)ヒンズー教を信仰しています。
これは、バリ島の方が、古い時代の東南アジア島嶼部の流通経路であったらしいインド貿易時代の文化を色濃く残している可能性を示唆しています。

南インドにはガムラン系の音楽がないことを考慮しますと、ジャワにせよバリにせよ、金属打楽器はヴェトナム地方から南下してきたドンソン文化を受け継いだもので、これがまず第1波だったでしょう。それ以前に竹笛と口琴は、インドネシア地域には元々根付いていたかもしれませんので、これは端から土着だった、というふうに考えておいてもいいかと思います。

第2波がどんなものだったかの推測は、少し難しいですね。擦弦楽器は仏教国タイでも盛んに演奏されていますから、イスラムの影響、と断言することは出来ません。しかし、擦弦楽器にも歌にも重要な位置を与えているジャワのガムランは、イスラム貿易へと流通が変化した時期に成立した、と見なすのが、バリとの差異を考慮した時には妥当であるように思えてなりません。

それぞれの特徴をよく表している演奏例をお聴き頂きましょう。なるべく極端なものを選びました。

・ジャワのもの:
  「ジャワの宮廷ガムラン2」NONESUCH WPCS-10711

・バリのもの:
  「バリのガムラン1」NONESUCH WPCS-10706

同じ「ガムラン」と呼ばれながら、これだけ印象が違います。
音楽って本当に面白いですね!・・・って、言ってしまっていいのかな?



東南アジアの建国神話 (世界史リブレット)Book東南アジアの建国神話 (世界史リブレット)


著者:弘末 雅士

販売元:山川出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

パサイ王国物語―最古のマレー歴史文学Bookパサイ王国物語―最古のマレー歴史文学


販売元:平凡社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 4日 (金)

価値観・世界観(可能性としての)

<悲愴>終楽章の読みについては、紙上の準備は随分前に終わっているのですが、音の例の切り出し作業時間がなく、ちょっと先になります。(読んで頂いているかたには)あらかじめお詫びします。



さて、昨日、台湾とバリの事例を眺めながらいろいろ考えているうちに、また別のことを思い出しました。
「放送・録音・録画の発明と普及で、現代人は価値観・世界観を見失ったり、共有できなくなったりした」、上手い要約ではありませんが、世の評論家(プロ・アマ問わず)はそう嘆いていることが多いな・・・で、この「価値観・世界観の喪失もしくは希薄化」を公理とし、「喪失・希薄化」公理を出発点として、自身の価値観なり世界観なりを開陳し、あたかも非ユークリッド幾何学を構築した数学者達に今更追随を試みるかのように、新「公理」の提案者たらんと<押し売り>をしているケースが少なくない。
たかだかブログ上とはいえ、もしかしたらこれは、自分も同様の尊大さを犯しているのではないかな、とも感じ出しました。

私のブログの主旨から、<クラシック音楽世界>に話を絞ります。とはいえ、この世界に留まる述懐であってはいけない、とは思っております。

<クラシック音楽世界>では、ロマン派の伝統が途切れ始めたころ(年次を明確に区分できません)から、「楽譜どおり」に、ということが、合言葉のように有名演奏家の口に上りだすようになりました。
では、「楽譜どおり」とは、どういうことなのか?

当初はおそらく、印刷楽譜に記された音符の音高・音価・記号等を守る、という単純な発想だったのかもしれません。
が、そこから多様な問題が派生するようになりました。
些事から言えば(馬鹿げた話、と笑ってはいけません)、
「スタカートは、本当に、それのついた音の長さを音符の示す長さの半分で演奏するの?」
とか、
「スラーは続いている間ブレスはとっちゃいけない? スラーが切れている都度ブレスするの?」
みたいなことから始まりまして、
「そもそも印刷された楽譜が作曲者の書いたとおりなのか?」
という疑問に発展して原典版なる新たな校訂譜が権威をもつようになり(これには細かい経緯に面白い話もいっぱいあります・・・でも、面白いと思うのは、マニアだけだろうな)、
「じゃあ、原典版を作曲者の意図どおりに演奏するにはどういう奏法であるべきか」
なることになって、古楽運動が活発化する。
概観すると、<クラシック音楽世界>という限られた「結界」ひとつにも、「楽譜どおり」という<新価値観>が成立するはずだったところから、むしろ大きな混乱が引き起こされている。
この混乱は、昨日引き合いに出した台湾の民情変化よりも深刻かも知れません。
バリのガムランでは変わらずに受け継がれ続けているような<世界観>が、これに伴い、<クラシック音楽世界>では爆発した超新星のように散り散りになってしまっているかに見えます。

一方で、他のジャンルの例に漏れず、CD・DVDというメディアが、放送以外の新たで手軽なメディアとして、大量に出回ってしまっている。このメディアは、しかも、100年前からついこの間のものまで、という、決して短くない期間に収録された多様な演奏様式のサンプルをランダムに提供し、受け手はそれらの中からどれを選択してもいい、という「自由」を手にしている。

何度も引き合いに出して恐縮ですが、ベートーヴェンの「第5」の映像を並べたものを、ここでもう一度ご覧下さい。

単純に「好きだから聴いている」というかたがたにとっては、それらのあいだに見られる(聞かれる)差異が「面白く」もあり、あるいは
「なんだ、演奏様式が違っても、思ったほどの差がないじゃないか」
という印象もあったりするのではないでしょうか?

ところが、とくに玄人さんだったり、自らも演奏する、とりわけ「プロ」の人たちは(まあ、プロの人がこんなブログを目にしているとは思えませんが)、おそらく、それぞれの「差」がどこにあるか、に徹底的にこだわり、自分の立脚点にいちばんちかいところに
「これこそ」
あるいは
「いや、もう少し、違うはずなんだが」
ということを、目くじら(もとい、もしかしたら耳くじらですか?)を立てて、額に青筋を立てて、何らかの理屈のネタにしたい思いに駆られるのではなかろうか、と想像します。
「素人に、何がわかる!」
という感覚が、潜在的にある。
・・・それが悪い、と言いたいわけではありません。別に、<クラシック音楽世界>じゃなくても、いろんな世界に、<プロ>としての矜持をお持ちのかたはいらっしゃるし、ある意味では、その矜持が「伝統」を支えているのですから。

「伝統」・・・しかし、<クラシック音楽世界>が、ロマン派から転換しようと言うときに「楽譜どおり」というテーゼを掲げたときから、本職さんは、じつはこの「伝統」を自ら否定したのです。否定した結果、新しいものをもたらした、と信じているのです。

「新しい」ことが、そんなに重要だったのでしょうか?

こだわらなければ、たとえば「伝統」を絶えず守りつづけているバリのガムランにしたって、実は新しいものを過去からのものに「積み重ねて」いる、というのが、本当のところです。
これは、日本の「雅楽」にしても・・・これは一旦、中絶の危機を迎えたことがあったのですが・・・、同様です。典拠を忘れたのが遺憾なのですが、「雅楽」については、時代が新しくなってから、演奏されるテンポが変化した(遅くなったんでしたっけね?)という報告もあります。

連綿と続いた「伝統」を「否定」したところで、それは一過性のアンチテーゼに過ぎず、一般の享受者にとっては、もたらされた変化があったとしても、それは「面白い」くらいの興味しか呼び起こさないのだとしたら・・・まして、100年間の演奏を、むしろ素人の方が先入観抜きで俯瞰できる立場にいるのだとしたら(いや、まちがいなく、<プロ>よりは素人の方がそういうフラットな目・耳をもっています)、職業として音楽に携わる<クラシック音楽世界>の人たちは、新しい価値観に追随しなければ、ということだけへのこだわりを捨てなければ、いずれ自分たちの地位は、どんな形でかは分かりませんが、別の何者かにとって代わられるのだという事を銘記し、痛切に反省すべきではないでしょうか?

何度も言って来ましたとおり、「古楽」とは<クラシック音楽世界>では、もはや死語に等しいのに、昨年あたり、とある有名なプロさんが「古楽も身に付け、取り入れなければ」と仰っていたので、実に笑止に思いました。
大切なのは、これだけ過去の推移の累積が誰でも手軽に接することの出来る状況下で、固定した価値観・世界観を築こう、という試みは尊大なのだ、ということへの自覚ではないのかと思います。

文化が転換点を迎えた時期(ヨーロッパで言えば「ルネサンス」と称されていた頃など)は、その当時なりの、おおきなメディアの変換があったことが分かっているのですから、似た状況にある現在は、
「時の流れに身をまかせ」
ということが、おそらく、もっとも適切な振舞い方なのかなあ、と、結論ではありませんけれど、今、そんな思索をしている最中です。



なんだか良く分からない文になってしまったかも知れず、毎度ながらお詫び申し上げます。

この記事で考えたかった<クラシック音楽世界>における演奏者の「伝統」からの逸脱あるいは接近については、専門書ですが、非常にいい本が出ました。
今日、娘のレッスンに出掛けて待っている間、レッスン場のある店舗で見かけ、思わず夢中で第4章の頭まで読みふけってしまいました。・・・金欠病なのに、買って帰りました。

♪バッハ 演奏法と解釈全音楽譜出版社
「バッハ 演奏法と解釈(ピアニストのためのバッハ)」パウル・バドゥーラ=スコダ著(全音楽譜出版社2008.3.15、7,500円+税)です。

ピアニストのための、と称しながら、ピアノ曲(クラヴィア作品)の音構造を他の楽器での奏法から類推して適切な弾き方を見いだす試みを数多く行なっていますし、「バッハ」の本でありながら「バッハ」だけを取り上げたのではなく、ヘンデルを初めとしたバロック期の音楽との比較、古典派(主にモーツァルト)との比較から、「伝統」がどう引き継がれてきていたかにも深い考察が施されていて、興味の尽きない本です。2005年刊の橋本英二著「バロックから初期古典派までの音楽の奏法」は例示が多い好著でありながら考察の根拠に触れる点が浅く不満が残っていましたが、バドゥラ=スコダはひとつひとつへの考察が丁寧です。なおかつ、日本の学者さんはクヴァンツとエマヌエル・バッハの、各自の著書での奏法に対する記述の差を「フリーとリッヒ大王からの信任度の差」に起因する、ということで片付けてしまっているのに対し、そうした主観的評価ではなく、奏者(ピアノだけでなく、弦楽器や管楽器の立場へも臨機応変に視点を変えます)の立場から両者を比較している点に、目からうろこが落ちる思いでした。
なお、バドゥラ=スコダは、グールドのバッハ演奏の「不適切さ」にもきちんとした根拠を持って評価していますから、グールドファンであっても冷静にお読み頂けるなら、グールドの本質を掴む上で参考になる、ということを申し添えておきます。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年4月 3日 (木)

忘れ去られたこと・・・

私は、本は一度に1冊を集中して読むタイプではありません。
本当は、集中力がないから、かも知れません。
でも、本人は、
「1冊に集中してしまって、その世界に引きずり込まれるのには怖いから」
などという、訳の分からない理由で、そのような読書の方法をとっています。

ただし、普通、数冊の本を読むのでも、1つから3つくらいの「テーマ」らしきものを持って読書をしている「つもり」ではあります。・・・本人が自己申告しているだけですから、信じるかどうかはお任せします。

そんなテーマのひとつ・・・うーん、具体的には何をどう言うふうに、と、まとめていいのか分からない(この辺でいい加減さがバレますが)・・・で、数冊読んだうち、1冊はこちらへコメントを下さったふねさんにご紹介頂いて、姫野翠『芸能の人類学』(春秋社1989)というのを、他には友人にお借りして、吉田禎吾監修「神々の島 バリ」(春秋社1994、2006新装版)を読みました。

どちらもいい本です。

それだけに、・・・音楽に限っても、ですが
「あれ、こういうこと、僕の子供時代までは日本でもあったよなあ・・・」
と連想されることがいくつかあり、
「そうか、この場所ではこういうものがなくなっているのか、日本と似ているなあ」
と感傷的になる箇所もいくつかあり、えも言われぬ気持ちになりました。

ふたつ、ご紹介します。

まずは、『芸能の人類学』に出ている、台湾のアミ族の話から。

「・・・今やどこに行ってもテレビが見られる。最近ではパラボラ・アンテナを取り付ける家もでてきて、NHKの衛星放送を楽しんでいる人々が多くなった。一昔前であったなら、夕食後必ずどこかの家に何人かが集まって、酒をのんだりしながら歌う声が聞こえたものだが、今は皆各自の家でひたすらテレビを見ている。家庭内での対話もなくなってしまった(注:これには台湾の複雑な言語事情が絡んでいますので、日本と同じ理由からではありません)。・・・以前のアミ族の生活は大変オープンで、逆にいえばプライバシーが無きに等しかったが、今では全くその逆で、皆自分の家に閉じこもってしまう。いきおい、近所同士のつきあいかたが変わってきた。またラジオ、レコードなどの普及と相まって、西洋音楽を基礎にした流行歌がどんどん浸透してきた。その結果、ほぼ純正調で歌っていた歌は平均率に近くなり、発声も・・・ポピュラー・ソング的発声になった。」

ノンプライバシーが良かったかどうか、は別として、アミ族を覆ってしまったのと類似した閉塞感は、ここに記されたのが20年近く前のものでありながら、現代日本人が、たとえば職場で感じる窮屈感・・・「ほっといてもらうのがいい」という派と「ほっとかれると寂しい」派が分離して溶け合いようが無い状態を、私に連想させたりします。
私が子供の頃は、父親の職場に社内旅行がありました。
今でも社内旅行をなさる会社は、まだ無くなっていません。いや、決して減ったというほど大きく減少はしていないのかもしれません。
が、その場合でも、今の社内旅行と、私の子供時代の、父親の会社の社内旅行には、大きな違いがあります。・・・当時の社内旅行は、家族同伴が当たり前でした。それで、よそのお姉さんと席を並べて、お姉さんが「山寺の、オショさんが・・・」と楽しく歌って聞かせてくれて、おかげで小さかった私もこの歌を覚えた、という、楽しい記憶があります。

今の日本は、娯楽は基本的に「個々人のもの」であり、会社は「家族とは別に存在するもの」です。
・・・どこもかしこもがんじがらめに繋がってしまうことには問題もあり、私は思春期には家庭の事情に右往左往させられながら過ごしましたから、当時が必ずしも良い思い出だけを呼び起こしてくれるわけではありません。
ですが、窮屈さはあっても、それを補ってくれる「楽しさ」や「柔らかさ」は・・・家内の死という局面を前にし、錯乱していた時には特に違いを感じましたが・・・私の少年時代の頃の方が、もっと自然に訪れてきたし、いつでも優しい目で見ていてくれたような気がしたものでした。

「バリ島」には、台湾とは正反対とも思える発想が、今も生きています。
これは音楽について述べた部分から引用しますので、台湾の事情と単純に比較は出来ないかもしれません。

「彼らは音を単なる空気の振動としてではなく、気配として感じる能力を持っている。リーダーの微妙な挙動の変化で次の瞬間に鳴り響くべき音をメンバー全員が察知できる。それが予知できるかできないかがそのグループの合奏能力の高さを測る基準になる。バリ人はガムランをそのようなものとして捉えている。」(第9章、186頁から)

バリのこの例は、今の私を「失望」に追いやるようなものです。
学生時代、ヨーロッパ音楽をやるオーケストラに入団して先輩にいわれ続けたことは、
「音の膨らみの変化を聞いて、それに合わせろ。タイミングが合わないというのなら、パートのトップの指を見ても合わせろ」
ということでした。すなわち、演奏は指揮者の棒でテンポをとるのでもニュアンス作りをするのでもない・・・指揮者はあくまで、その英語での表現である「ディレクター」なのであって、団体としての合奏は自分たちが主体的に、かつ、上のガムランの話のように、「個人を主張するのではなくて、みんなで揃えるもの」だという教えを受けたのでした。

今の私は、そんなふうには、オーケストラで演奏できているでしょうか?
あるいは、それを分かっているメンバーに恵まれているでしょうか?
メンバーのことは信じたい。・・・とすれば、自分の伝達能力の低さを思わなければなりません。
せっかくオーケストラという場に参加していながら、CDの演奏を再現できればいいのさ、というだけの意識で、他メンバーとは共時性を持たない閉塞感の中で練習や本番のひとときを過ごすメンバーをひとりでも生み出しているのだとしたら・・・それは、指揮者のせいではあり得ません。分不相応でチカラも無いとはいえ、閉塞感に閉じこもるメンバーを生み出しても構わない、という音楽的土壌を作ってしまった、「コンサートマスター」なるお役目を果たしていない私の責任です。

いや、オーケストラのことに話を限りたいわけではなかったのですが。

どのようにしたら、私たちは、柔らかな「楽しさの共有」を、ケースによっては程よく保って行き、ケースによっては失われたところから甦らせることができるのでしょうか?

そのための手段を、現在の私たちは、知っているのでしょうか?

少なくとも、今日、「バリ島」を読み終えた私は、これらの手段を「忘れ去っている」私自身を、切なく思わざるを得ませんでした。

神々の島バリ新装版神々の島バリ新装版


販売元:楽天ブックス

楽天市場で詳細を確認する


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 2日 (水)

モーツァルト:1777年作品概観

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



いよいよ、モーツァルトの「自立」に向けて、最初に動きがあった年までたどりつきました。
ただし、以下のように多彩な曲種を創作していますが、それは9月23日に彼が母と共に旅に出るよりも以前に、ザルツブルクで仕上げられたものがほとんどです。
ですから、作品そのものは前年までの延長で観察すべきものが圧倒的に多い状態が続きます。


さて、「自立」とは、しかしどんな状態を指し、どんなことでその状態に達したと証明されるのでしょうか?
いずれ「子供を自立させなければならない」親としては、私には気になるところです。この年の段階では、モーツァルトはまだ母と行動を共にしていますし、同行できなかった父とは書簡でのやり取りを欠かしていません。自分ひとりの手で自分の「職」を獲得する、という意志までは見えません。それが見え出すのは、翌年、アロイジア・ヴェーバーに首っ丈になってからのことです。
・・・自立を促進するのは、はなれた土地でしてしまう、異性への「恋」、すなわち、「足枷のない状況下で、肉親や地縁にとらわれないで<愛する(と錯覚する)>異性に巡り会い、心を占有されてしまうこと」、なのでしょうか?
私自身が、故郷をはなれてから起こした「錯覚」(それはことごとく、恥ずべき、惨めな結果に終わりましたが)によって、初めて心が肉親や地縁から離れる、という経験をしました。
そのことからの類推に過ぎませんから、あんまりあてになるものではありませんが。


モーツァルト母子の旅程は、出発の翌日、9月24日に、ミュンヘン着。ここで就職運動に失敗し、10月11日に父の故郷であるアウグスブルクに着(ここで、従妹のベーズレ【アンナ・マリア・テークラ】と意気投合します)。同月30日にマンハイムに着きます。

旅に出てからの作品は、下のリストでは2つの歌曲と1つのクラヴィア用カプリッチョに限って現存していることになります。
ただし・・・歌曲が10月30日に完成されていたかどうか、となると、怪しいかもしれませんね。マンハイムに着いた当日には出来ていた、とは思えないのですけれど、それはあらためて検証してみましょう。



<宗教曲>
Missa brevis in B K.275(9.23以降、ザルツブルク)
グラドゥアーレ「サンクタ・マリア・マーテル・デイ」K.273(9.9 ザルツブルク)
「Alma Dei creatoris」 K.277

教会ソナタト長調K.274、ハ長調K.278(3.4)、K.328(7.9)・・・以上、ザルツブルク

<劇音楽>
「エジプトの王タモス」幕間音楽(79年説あり。初稿1773年)

<声楽曲>
ソプラノ用レシタティーヴォとアリア・カヴァティーナK.272(8月、ザルツブルク)
歌曲「鳥たちよ、毎年」K.307(10.30 or 78.3.13、マンハイム)
歌曲「寂しく暗い森で」K.308(同上)

<室内楽>
弦楽器と管楽器のためのディヴェルティメントK.287(第2ロドロンセレナーデ)6月?
管楽ディヴェルティメントK.270(1月、ザルツブルク)、疑作K.289
コントルダンス疑作K.269b・・・12曲中4曲のみ現存
フルート四重奏曲ニ長調K.285、ト長調K.285a(78.1〜2月説、疑作説あり。真性資料なし)
弦楽三重奏のためのアダージョとメヌエット変ロ長調K.266(春、ザルツブルク)

<協奏曲>
クラヴィア協奏曲第9番「ジェナミ(ジュノム)」K.271(1月、ザルツブルク)
ヴァイオリン協奏曲第7番K2.271a(疑作、7.16?)
オーボエ協奏曲K.271(散佚、またはK.314と同一か?)、ハ長調K.314(春、ザルツブルク)

<器楽曲>
クラヴィアのためのカプリッチョ(3つのプレリュード)ハ長調K.395(10.10頃、ミュンヘン)

<編曲>C.カンナビヒのバレエ音楽編曲(散佚、12.6付書簡で言及、マンハイム)



なお、1772年分から始めた、毎年の作品の概観には、そのあとで「読んだ」レポートへのリンクを這っていませんでした。
これは片手落ちなので、リンクを貼り始めました。1775年76年分はとりあえず作業を終えましたので・・・自己満足ですが・・・お使いになれるようでしたらご利用下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 1日 (火)

「芸能化」する日本のクラシック音楽享受

3月決算の会社が多い日本ですが、私の職場も同様です。
で、今日明日は、昨日までの業績をまとめるのに大わらわの方が多いかと存じます。

仕事柄、私も今日からバタバタ、すべきでありました・・・が、体調を崩し、電話で「せめて午後出社します」と言ったのですが、私の具合や家庭のことをよくご存知の上司が
「今日無理してあとで崩れるより、じっくり休んで明日からに備えなさい」
と言ってくれました。
ホンネは少々悔しくはありましたが、休みました。・・・こういうふうに遇して貰えるのは、ですが、世間一般から見れば、かなりの幸いです。有り難くも、申し訳なくも思います。

ところで、「休む」ということになると、今は学校が春休み。つまりは、子供たちも家にいる。
・・・これがまた、実は私にとっても子供たちにとっても「災難」なのです(なんていうとバチがあたるのですが)。
そうでなくても日常野放しで寝たい放題昼間で寝ているガキどもの前で、オヤジがひっくり返って寝ていると、ますます示しがつかない。
さすがに、10時には
「こら、いい加減にしろ!」
雷をおとしました。ガキどもは慌てて布団から跳ね上がり、朝飯。
「春休みだからって、サボってていいのか!」
今度高校に入る娘は、渋々、私が与えている中学数学の復習問題集に取りかかり、息子は息子で定期的にとっている講座の勉強をはじめる(うちは家内も塾へは行かせない方針でしたし、私もそれを受け継ぐつもりでいます・・・大丈夫かなあ)。

で、遅くなってから昼飯。
これが、たいしたもんを食べるわけではないのですが、私の調子が悪くて調理をしませんから、外食になってしまう。高くつく。
飯代だけならまだいいのですが、今日は二人の子供それぞれに、お気に入りのDVDを買ってやる羽目になり(本当は、外へ出たついでだから、というので私のアマチュアオーケストラが次回の演奏会でやる曲のCDを探しに行ったのですが・・・お金はDVDに吸い取られてしまったので断念しました)、心も懐も寂しくなりました。



買えなくなったCDを眺めつつ、店の別の棚に目をやって、
「そうか、そんなものなのか。。。」
と、あらためて思わされたことがありました。
標題に記した通り、日本での「クラシック音楽」の楽しまれかたが、「芸能化」している、ということです。

数年前まではほとんど考えられなかったことですが、いまでは、とくに「のだめ」の登場で、まず、「クラシック」のCDがコミック(他には「ピアノの森」がありますね)登場曲や、甲子園の入場曲などを集めたり、いちおうクラシックの演奏家とされる人たちが「千の風・・・」などの話題曲を演奏したものを集めたりした企画ものが、ローカルな土地の、中規模なお店では、「クラシック」の棚の3分の1以上、2分のⅠ近くを占めるようになっています(これはネット上の販売ベストを観察した時にも伺われたことです)。
この「クラシック」の2分の1近くの棚の中に、3種類に区分されるCDがありまして、それは
・「クラシックタレント」もの
・「音楽療法」もの
・入門用と称するもの
とでも区切ったら宜しいかと思います。

最初のものは本田美奈子さんが亡くなってから幅が広がってきて、しかも、アイドルであることに反発してロックへ走った後、ミュージカルにも目覚めた、と試行錯誤を続けた本田さんとは違い、最初から「クラシックタレント」としか呼びようのない登場の仕方をした人たちがたくさんいます。宮本笑里ちゃんなんかも、そんな中に入ってしまったわけで、美人だったり可愛かったりする女性が圧倒的に多く、J-POPと呼ばれているものと、まず見かけはそんなに変わりません。但し、肝心の音楽の実力となると、もしかしたら「美人かどうか」を問題にしないJ-POPのほうが、高いかもしれません。
・・・まあ、これはこれくらいで、深入りは止しましょう。私も美人は好きですので、グタグタ言って美人さんに嫌われるのは、寂しいですから。(あとで、Tower RecordのサイトにJ-Classicなるジャンルが誕生しているのを知りました!)

「音楽療法」もの、は、まあ、クラシックで「癒される」のだったら結構なことで・・・ただそれにしては演奏の内容が厳選されているわけではないので、本音を言えば「笑止!」だと思っています。・・・などと言っていると、家に火をつけられて「焼死」しないとも限りませんから、これもこれだけにしておきます、ハイ。失礼しました。



「入門用」というので、しかし、どうしてもクレームをつけたくて仕方がない人がひとり、います。
ご自身で名乗られている別称を省略して、このかたをBI氏、とお呼びしておきます。

私、実は、以前からBI氏には、あまり好感を持っていませんので、そんな主観も混じっているかもしれません。テレビに出てくるとハイトーンで喋りまくるし、それが面白いから、とファンになる方も少なくないのですが、歴史や理論の話でも、勢いに任せて「ウソ」の領域にまで話が脱線しますから、ファンになってしまう人の気が知れません。ただ、優秀な作曲家ではいらっしゃるし、楽譜の校訂でも、モーツァルトの「音楽のさいころ」(全音から出版)などはモーツァルト当時に楽しまれた通りに今の人にも楽しんでもらおう、という、これは文句の付けようのないいいお仕事もなさっています。

CDは、しかし、いただけませんでした。
いまどき
「サルでも分かるクラシック」
的なタイトル付けでCDをお出しになったのはご愛嬌だとしても、サルでも分かる音楽なら、聴かんでもいいわい、と腹が立ってしまいます。それが「クラシック」なら、なおさらです。これが仮に
「サルでも分かるジャズ」だって、ロックだって演歌だって、失礼なタイトルです。
まあ、それでも我慢できたとしましょう。
「これだけ!西洋音楽史!!」
なんてのもあるとなると・・・もう、いい加減にしてくれ、と叫びたくなります。
これらを今日、店頭で目にしたときは、ビックリ仰天すると同時に、たいそう腹が立ってしまいました。



「芸術」という言葉は、もともとあまり好ましいとは思っていないのですが、それはこの言葉を使う日本人たちに尊大なイメージの人が多かったことから来る嫌悪でして、語彙としての「芸術」は、それによって示される、芸事の「技術」の大切さを良く示したものであり、Artの訳語としては適切なものだと考えます。
この言葉で括られているものには、人間が「芸事」に熟達し、「芸事」を昇華させて行く精神が、深く込められていることを、私たちは認識しておくべきです。

その一方で、「芸能」と言う言葉があります。これは中国でも、平安期頃までの日本でも、元来は「芸事をする能力」を表す言葉だったことが(たとえば平安期の日本では「武士」も「芸能人」でした)明らかになっていますが、現在日本人が使っているような、エンターティメントそのものを含む「芸」を指す用法に対応する外国語はないそうです。(姫野翠「芸能の人類学」春秋社1989、<はじめに>、を参照)

姫野さんによれば(前掲書242頁)、

そもそも芸能は、誰が演じるかによって、次の三通りがある。
(1) 誰でも皆参加するもの
(2) 普通の人の中で、技術を伝承する者が一時的に芸能の演者になるもの
(3) 職業的演者によって演じられるもの

「音楽療法」ものはさておき、新しく誕生して来た「J-Classic」なるものが<芸能>なら、それが誕生してきたのも自然な成り行きですし、受け入れる層がいる限り、存在価値を否定する謂れはありません。

しかし、
「サルでも分かるクラシック」
というのは・・・これは一体なんなのでしょう? どういうおつもりか?
クラシックが芸能だとしても、かつ「クラシック」の中に「J-Classic」を入れてしまっても、それはなお、「能力」を持つ人の手で担われている、というのが(例外じゃないか、と思えるような品もあるにはありますが)本来の姿です。
それを「サルでも分かる」と称すること自体が、既に、其の背景にあるはずの「能力」も、さらには「技術」をも、否定し去っている。
ましてや、長い時間を経て築き上げられて来た音楽の歴史を、たとえ西洋のものに限っているとはいえ、「これだけ!」と言い切れる精神構造は、いったいどんなものなのか?
BI氏の人格を疑わずにはいられぬまま、腹の虫も治まらず、・・・これも原因で、勢いで子供の好きなDVDに手を出してやってしまい、気付いたら時既に遅く、懐がまた寒風が吹くようになった、今日の私でありました。

・・・つまらぬことで、短気を起こしても、何にもいいことありません。
昔からいわれていることは真実でした。
「短気は損気。」



ただ、「クラシック音楽」そのものに戻りますと、それが「芸術」として受けとめられていた時代は、もしかしたら日本では過ぎ去りつつあるのかもしれません。
現代「クラシック」作曲家の新作が売れることがあまり少ない時に、「J-Classic」が、「クラシック」的なものを「芸能」として呈示し、現代作品の果たすべきだった役割を私たちから忘れ去らせ、「クラシック」の享受のさせかたを変え始めている、という事実は、もっと明確に、私たちに認識されなければならないことのように思えてなりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »